2022年8月30日火曜日

教育修身研究『現代教育教授思潮大観』春季臨時増刊 日本教育学会 分担執筆者 平塚盆徳、生井武久、三木壽雄、宗像誠也、佐野朝男、山田彌、白井今朝晴各学士 昭和7年1932年

教育修身研究『現代教育教授思潮大観』春季臨時増刊 日本教育学会 分担執筆者 平塚盆徳、生井武久、三木壽雄、宗像誠也、佐野朝男、山田彌、白井今朝晴各学士 昭和71932 


第三章 現代の心理学

 

第一節 形態心理学

 

一、形態*心理学の沿革 *形態はドイツ語でGestaltといい、ゲシュタルト心理学とも言われる。

 

139 形態心理学には三派がある。ウェルトハイマーWertheimer、ケラーKöhler、コフカKoffka(ギーセン大学)などのベルリン派と、クリューゲルE. Krüger、ザンデルF. Sanderらのライプチヒ派と、ウイーンのビューラーK. Bühlerである。しかしこの三派には共通点がある。実験的事実に基づき、哲学的認識論を持ち、心理学・生理学・物理学等の実在学を援用することである。連合心理学派のツイーヘンは形態心理学を「スローガン心理学」と呼んでいる。

 

 形態心理学の源はスピアマンによれば、ブント(ヴント)の「創造的綜合」の原理や、ブントの高弟ウイルトの「形態の知覚」である。

140 そして形態心理学(形態説)という名称で呼ばれるようになったのは、1912年にウェルトハイマーが視覚による運動知覚についての事実を実験的に発見しそれを報告してからとされている。

 

 

二、形態心理学の立場

 

 形態心理学は形態を取り扱うのではなく、精神現象を形態として取り扱うのである。その形態とは図形、物の形、旋律だけでなくもっと広い。

 

 形態と要素 三角形(形態)は三辺(要素)で構成され、リズム(形態)は音の強弱(要素)で構成される。

 この形態性という考え方はアリストテレスからブントに至るまで認められるが、彼らは構成要素を出発点としてそれが精神や注意力によって結合されると考えていたが、形態学者はその逆であり、形態性を本源とした。

141 その理由は次の通りである。三角形を構成する三辺の長さが大きくても小さくても、また三角形を白地に書いても黒地に書いても、三角形であることに変わりがない。しかし要素から三角形ができるとするなら、要素が変化すれば三角形も異なるはずであるが、実は異ならない。

 

 こうして形態の構成についての二つの標準が立てられる。

第一 形態はその部分を超えた属性を持つ。その属性は部分から引き出すことはできない。それは要素の総和の外に全体があるからである。

第二 形態は変換することができる。これは第一の標準、即ち要素の総和の外にあるものが形態性であることから起こる。

 形態性の成立過程については種々異説がある。

 

 

三、形態心理学の対象と方法

 

142 形態心理学の対象は形態心理学者の間で広狭の差がある。ケラーは心理学の対象を直接経験とする。即ち内省心理学は全く主観的立場に立ち、行動主義心理学は純客観的立場に立つが、形態心理学はそのような極端は取らず、主観・客観の両方の経験を取る。

 

 しかし直接経験が素材だとするだけでは足りない。直接経験が素材だとすれば、心理学の対象も物理学の対象も素材として異ならないからである。心理学と物理学とが異なるためには素材の性質の相違ではなく、対象領域の相違が必要である

 ケラーは心理学を定義して、「心理学は直接経験における事象を物的客体や事件としてでなく、事象そのものの外的・内的様態において研究する。そのあらゆる種類を体系的に記述するだけでなく、このような事象間の機能的関係も明らかにしようとする」と説く。コフカはこの定義を一歩進めて、「心理学は生活体の環境に対する行動を科学的に研究するものである」とする。

 

 この定義からすれば、心理学の対象に関して形態心理学と他の心理学と異ならないが、両者の区別はある。

 形態心理学者のレビンは「心理学は他のあらゆる学的研究と同様に先ず対象の叙述を行わねばならない。心理学の対象である精神現象の構成に関する叙述は、発生的典型の定立に導く。心理学的法則の定立はこの発生的典型の定立に他ならない。このような心理学的法則の発見こそ、形態心理学の最大の課題である」とする。換言すれば形態心理学は精神現象の事件的即ち条件的・発生的典型を捕捉し、その特質的な〇因に相互間の関数的依存関係を発見しようとしている。

143 この意義をさらに分かりやすく言えば、「形態心理学においては先ず精神現象を叙述する。そうすればそこに多くの叙述概念を得るだろう。そしてそれらは分類されるべきである。その分類の結果は我々をレビンの現象的典型に導く。分類の適否はこれをいちいちの現象に適用することによって決定される。

一方かの叙述概念はその因果的・発生的連関において眺められる。その結果として我々は心理学的法則を獲得する。これが即ちレビンの発生的典型の確立である。このような法則の適否もまたいちいちの現象に適用されることによって決定される。形態心理学は特にこの後半即ち法則に関する部分に力を入れる。」(矢田部達郎氏による)

 

 以上が形態心理学の対象と方法の大要である。形態心理学は現代心理学の寵児であると共に多難な前途を持っている。

 

 

第二節 生命心理学

 

一、生命心理学の沿革

 

144 生命心理学を樹立した人はドイツの心理学者ミュラー・フライエンフェルスR. Müller-Freienfels, 1882--1949である。フライエンフェルスは1882年プロイセンに生まれ、ミュンヘン、ベルリン、ウイーン、ロンドン、パリ等の大学で哲学を学び、久しく念願の教職につけなかったが、最近になってベルリン中央教育研究所で教授の職を得た。

 フライエンフェルスが樹立した生命心理学は彼独自のもので学派の背景がないが、その思想的沿革は実証主義哲学者アベナリウスR. Avenariusに負うところが多い。

 

 アベナリウスはその心理学において、生活序列説を提唱した。即ち心的過程には統一的な生命活動が流れている。これは三つの段階に序列的に変移する。第一段階は刺激の受容であり、生命が完全な休息状態に復帰しようとするのに対して外部の刺激があれば、「生活闘争」の状態に入る。第二の段階は反応であり、不調和を均衡し、休息に還ろうと努力する。第三の段階は休止であり、反応から遂に適当に環境に順応し、元の安静な状態に帰ろうとする。

 アベナリウスはこのような説をなす一方で従来の心理学の伝統も受け入れ、精神生活の分析とその要素の存在を認めつつ、生命観の心理学を樹立した。

 

 フライエンフェルスはアベナリウスの学説を継承発展し、彼独特の心理学を樹立し、それを生命心理学と命名した。

 

 

二、生命心理学の立場

 

 生命心理学はシュプランガー069(スプランガー、文化教育学002と同一人物か)の了解心理学やシュテルン(実験心理学131とは別人か。内容的には別人のように思われるが)の人格学的心理学と共に、全体観の上に立つ心理学で、共に旧来の分析的態度に反対し機械論を排撃して目的論に立ち、自然科学的方法を排除して直観的認識法を主張する。

 

145 生命心理学は生命を方法として精神生活を理解しようとする。即ち精神の原子化・機械化に反対し、精神を生命的なものとして溌剌とした姿のままに把握しようとする。その点でシュテルンの人格学的心理学と相通ずる。

 生命心理学が人格学的心理学と異なるところは方法上の問題である。即ち人格学的心理学では生命心理学と同様に全体観をとり、直観的方法によるのだが、それでも旧来の心理学が採って来た全ての方法も採用し、それに対して包容的態度をとり、科学としての心理学と哲学との綜合をはかるのに対して、生命心理学は実験的研究を全く排撃して相容れず、ただ精神の生命哲学的解釈を以て満足し、他の心理学の労作を全く無視し、偏守的とも独断的ともいうべき立場を固守している。

 

 生命哲学は言う。

 実験は個々の現象を因果関係の確立のために孤立させる。その手段は物理学や化学では有効かもしれないが、生命心理学においては無用の労力である。精神生活においては個々の事象を独立のものと見ることは実際不可能である。たとえ一見単純な表象もしくは感情であっても、常に自我全体が密接に関連している。故に人為的に簡単化された条件での実験によっては到底生きる精神を理解することはできない。だから生命心理学は表象とか感情とかの独立性を認めず、これらを全体的生命との連関においてだけ了解する。

 

 また生命心理学は生命を「連合過程」の非人格的なものとして機械視することに反対する。個々の心的過程はすべて「生動的」で全一的な自我の作用として相互に連関したものであり、しかも個人ごとに特殊に構造化されたものである。生命心理学はこの個性を全一的に研究する。

 

146 生命心理学が目指すところはこの個性の研究に止まらず、個人の精神生活に対する理解から他人の精神生活ひいては人類をそして世界を了解しようとする。

 

 このように生命心理学は生命哲学的見地に立ち、主知主義に反対する。

 

 

三、生命心理学の所説

 

 生命心理学の中心は「自我」である。

 自我は我々の意識的・無意識的生活を成立させるもので、あらゆる精神作用に具現する。しかし自我は感覚的にも理知的にも把握されない。また自我は思考し感覚するが、それ自らは思考でも感覚でも近寄ることができない。自我は万物を照らすが、自己を照らすことはできない。

 

 我々が自我を認識しようとすれば、次の作用によって直接に「体認」できるに過ぎない。即ちその一は対象意識Gegenstandbewusstseinである。この作用によって自我は非我と対立する。自我に属する作用は知覚、表象、思考等の作用である。第二は状態意識Zustandbewusstseinである。感情とか意識という作用である。自我の内的意識である。この作用によって自我の状態が意識に上ってくる。

 

 しかしこれは「一応の」区別であり、単に説明のために立てられた便宜的なものである。実際の自我は全体としてあらゆる作用の中で働き、二つの意識(対象意識と状態意識)は交互に錯綜している。

 

 次に自我は「生命の努力」を行う。我々の生命活動は次の八種の傾向の衝動において具現する。八種の衝動には「根本衝動」があり、これに対して「反対衝動」があり、相互に複雑に作用しあう。精神生活はこれらの衝動が「衝突の合奏」をなしている。精神生活を理解しようとするものは、先ずこれらの衝動の性質を理解しなければならない。そうすれば、一見とりとめもないような自我の姿、生命の如実の態様は理解される。

 

147 八種の衝動

 

一、生命の維持

イ、個体的 食欲、排泄等の栄養の衝動

ロ、対外的 恐怖、防御等の生命保護の衝動

二、生命の進展

ハ、個体的 虚栄、自負等の個体拡張の衝動

ニ、対外的 獲得欲、権勢欲等の対外的拡張の衝動

三、個体間の生活関係

ホ、同情的 群居欲、友誼等の親和的共在の衝動

ヘ、攻撃的 憤怒、憎悪等の敵対的共在の衝動

四、超個体的生命完成

ト、性的 恋愛、性欲等の性的完成の衝動

チ、親的 性愛、父性愛等の親的完成の衝動

 

この八種の根本衝動のどれが比較的強く現れるか、もしくは弱いかによって性格の標識を分けることができる。こうして衝動活動の根本図式から一切の生活事象――感情、意志、情緒等の簡単な精神作用から、思考とか性格のような複雑なものまで――を了解しようとする。

 

148 この根本衝動の理解が直ちに生命活動の理解となるが、心理学はこの衝動相互の「力学組織」の研究以外にない。そして彼独自の「力学組織」による個性に関する差異的研究から、集団の特色即ち人種、民族、社会状態等の研究が進められる。

 

 

第三節 人格学的心理学

 

一、人格学的心理学の沿革

 

 人格学的心理学ウイリアム・シュテルンWilliam Stern1871--1938が提唱した。

シュテルンはドイツ心理学界の長老で、応用心理学界の泰斗で、ハンブルグ大学教授である。シュテルンは1892年にベルリン大学を卒業してから心理学や哲学の研究を重ね、1897年にブレスラウの専門学校教授となり、翌1898年に同地の大学講師となった。1916年にモイマン教授の後を継いでハンブルグ大学に転じ、今日に至っている。

シュテルンの心理学研究方法は、従来の心理学が特殊化されすぎて組織を欠き、生命のない心理学に堕していると痛感し、哲学と心理学との融合を志し、遂に人格学を大成した。人格学的心理学はその人格学の一部門である。

人格学はシュテルンの云う人格主義Personalismusに由来する。即ち(その人格主義では)生命や世界や文化を説明しようとするとき、従来の機械的説明によらず、全体性の理念に基づいて全一体として認識しようとする。この人格主義から生まれた人格学は、論理学的哲学説ではなく、心理学的哲学説である。こうしてシュテルンはこの哲学(人格主義)を基礎とする心理学(人格学的心理学)を建設しようとした。

 

 

二、人格学的心理学の立場

 

149 人格学的心理学は従来の心理学に対立する。従来の心理学は要素観に立つ心理学であり、精神現象を原子論的に考察し、要素の集合として説明する。従ってそれは機械論に堕した。従来の心理学によれば人間は一個の自動人形である。一切の活動は要素の力学的合成であり、それが外部からの物理的刺激によって反応するに過ぎない。そこでは精神活動の自発性は無視され、精神の創造性合目的性等は顧みられない。

 そこで人格学的心理学は他の同じ立場に立つ心理学と共にこれを排撃し、我々の精神生活はただ与えられたものを全体として認識することによってだけ真に了解することができるとし、溌剌とした精神活動の本質を了解し、発達の実際を直観するとともに、精神の歴史性を考察し、動的に精神現象を考察するようになった。

 このような立場の心理学は要素観に立つ心理学に対して全体観に立つ心理学と呼ばれる。

 また人格学的心理学の立場は発達心理学の立場である。発達心理学は全体観に立つ心理学が等しく取るところのものである。(発達心理学は)精神活動を静的・固定的に見ず、動的・発達的に、従って歴史的に見る。というのは精神活動は常に発達して止まないからである。前のものは後に影響して新しい活動を生み、その活動は決して繰り返されず、常に流転して変化し、新しいものが生まれ出て、絶えず発達し続ける。人格学的心理学の立場もこの立場をとる。

 

150 人格学的心理学は了解法を採用する。要素観に立つ従来の心理学のとる方法は説明法であるが、説明法は自然現象の場合は意味があるが、脈々として活動の止むことを知らない精神現象は、個々別々の要素に分析してしまえばその特色が失われてしまい、全体的意義を把握することは不可能である。精神活動を全体として統一的に把握して初めて真の姿を知る事が出来る。これを精神科学的了解といい、人格学的心理学がその方法とするものである。

 

 

三、人格学的心理学の所説

 

 シュテルンによれば、心理学人格学の一部に過ぎない。心理学の目的は人間の精神現象の真の把握であるが、従来人間を了解しようとして生物学、生理学、病理学等の身体の科学、心理学、精神病理学等の心の科学、歴史学、社会学、芸術学、宗教学等の文化科学があり、人間を各方面から実は部分的に断面的に支離滅裂に引き裂いて研究してきた。これでは全部をよく寄せ集めてみても決して人間に関する全体としての知識は得られない。人間の活動はこのように分けて考察するのではなく、人格の全体から俯瞰して見なければならない。そこに人間学に先行する人格学がなければならない。心理学はその人格学の一つの枝節としての役割を果たすべきである。

 

 それではシュテルンの云うとは何か。彼によればとは必ずしも人間と同義ではない。人はその反対のの条件を考えれば明瞭になる。即ち人の条件を欠いていれば物になる。

 人と物とを区別する五つの特性が挙げられる。

151 一、人には統一性があるが、物には統一性がない。

二、人には個性があり質的に異なるが、物には個性がなく量的に相違する。

三、人の活動は自発的・能動的であるが、物の活動は所動(受動)的・受容的である。

四、人の活動は合目的であるが、物の活動は機械的である。

五、人には自己価値があり他を以て代えられない。即ち品性を持つが、物は他から価値を付与され、代価がつけられる。

 このような相違から人の持つ性質を考えると、三つに要約される。第一は「多にして一」Vieleinheit(多くの人と統一、人は大勢いるが一人しかいない)、第二は「目的活動」Zweckwirken、第三は「特殊性」Besonderheitである。

 この三特性は相関的であり、一があれば他もあり、一が欠ければ他も欠ける。こうしてこの三特性がそろって初めて人である。

 こうして人は必ず「内在的目的」追及の努力によって「生活」という活動を営む。人がこの活動をしなければそれは死滅である。

 

 人の生活には外面化内面化の二方面がある。外面化は身体的であり、内面化は心的なものである。人に関する学問もこれに応じて二つに分かれる。即ち外面化の学問は生理学や生物学等で、内面化の科学が心理学である。

 

 内面化に関する科学は意識無意識との両方面に渡らねばならない。通例心理学は「意識の科学」と称せられてきたが、この点で人格学的心理学は異なる。意識は「心的なもの」の全部ではなく、一部分である。「心的なもの」の学としての心理学を意識の学とするのは狭すぎる。

 意識と無意識とは心的活動の二様式であり、人が円滑な生活をしている間は無意識の状態であるが、何かの障害で抵抗を受けて阻止される場合に意識が現れる。意識作用は自己保存自己発達の活動に対する一種の警告であり、人はこのおかげで生命の障害物に対して順応することができる。しかるに一方意識は機械化する働きがある。最初の意識的努力も、継続反復すればほとんど無意識の状態になり、努力なしに行うことができる。こうして意識と無意識とは本来接触している。時に意識となることもあり、時に無意識となってしまうことがある。この二つ(意識と無意識)が、物に対立する「心的なもの」に包摂される。体験(意識)は心的活動の一部分で、全生活の一部分にすぎない。従って心理学は人の生活の一部分である意識だけを対象とせず、無意識の境界も対象としなければならない。

 

 

四、人格学的心理学の方法

 

152 人格学的心理学の方法は、一般に全体観に立つ心理学が取る了解法によるが、その中でも解意法Deutungsmethodeによる。

 解意法とは従来の心理学が取って来た探求方法であるところの内省法、観察法、実験法、検査法などを集めたもの、即ち心理事象を人間の全体に帰して、その材料のもつ意義を考究する。これは単なる解釈法でない。個々の心理事象に対して常に人間を解釈の拠り所とする全体的立場に立つ。換言すれば、個々の事象がどの程度に人間の本質を暗示するかを明らかにする。

 この解意法は二つに分かれる。その一は目的解意といい、個々の心理事象に対して、それが人間の自己保存、自己発達のための活動にどれだけ役立っているかという意味を考える。第二は、象徴解意といい、心的事象が自己に、どのくらい自己を反映しているかという象徴的意味を解意する。

 

153 人格学的心理学は、他の全体観的心理学のように従来の方法を偏狭に排撃しない。過去に使用された全ての方法を抱擁して用いる。この方法を探求方法といい、それは人格学的心理学を解意法と相まってその体系を組織する。

 

 

第四節 了解心理学

 

一、了解心理学の誕生

 

 了解心理学は、ディルタイによって創められたものをシュプランガーE. Sprangerが発展したものである。一般に精神科学的心理学と呼ばれるものの一つであり、この心理学の方法が了解という特殊の認識方法によるところから了解心理学という。

 

 ディルタイは19世紀以降自然科学の隆盛に伴って自然科学的心理学が心理学の主流となるころ、ヴァイツ記述的心理学に追従し、自然科学的心理学とは異なる見地から新しい心理学を建設した。これは精神科学的心理学とも、構造心理学とも呼ばれる。了解心理学も大体同体異名である。

 しかし了解心理学はディルタイの構造心理学から発展したものであるが、(今日の了解心理学は)それと異なるところがある。

 ディルタイの心理学を直接継承する者は非常に少ない。シュプランガーの外に、テオドール・リットTheodor Litt、フリシュアイゼン・ケラーFrischeisen-Köhler、ハンス・フライエル*Hans Freyer等がいるが、心理学として実質上・内容上これを発展させ正統的に継承した者はシュプランガー(一人)である。

 

*ハンス・フライエルHans Freyer, 18871969 彼の初期の頃の生の哲学はドイツ青年運動に影響を与えた。ヒトラー運動に同調し、1933年にテンニースをドイツ社会学会から排斥したが、彼がテンニースの後継者であったためか、1934年からドイツ社会学会の活動を休止した。(英文版Wiki

 

154 ディルタイは構造心理学を立てて精神科学と認識論の基礎を求めようとした。体験に直接与えられる確実な心的関連を記載し、その間に法則性を発見しようとした。しかしそれは一つの計画であり、内容的には未だに充実していなかった。この計画の一部を継承したのが、シュプランガーであった。

 現在シュプランガーを継ぐ人としてエーリッヒ・シュテルンErich Sternがいる。

 

W. Stern 131とは別人のようだ。

 

 

二、了解心理学の主張

 

 ディルタイによって立てられた心理学の計画は大計画であった。ディルタイは心理学を一般的部門特殊部門とに分け、その一般的部門において、第一に術語を定め、第二に心的関連の記述分析として、構造関連発達関連習得関連を説き、特殊部門として知的関連衝動及び感情生活の関連意志行為の関連を説いたが、シュプランガーはこの特殊部門に関する部分には全く触れないで、一般部門について研究を進めた。

シュプランガーの見解では知情意の三作用は全体の構造に関係させてみないと意義がないとし、心的生活を(全体)構造として見る見地を徹底した。

 シュプランガーはディルタイの心理学の一般的部門の三つの関連(構造、発達、習得)を継承発展させたが、シュプランガーが基本的見地とするのは、構造、了解、発達、個性的類型の四つの見地である。

 以下その四つの見地について(ディルタイと関連させながら)述べる。

 

一、構造

 

155 ディルタイは構造を次のように定義した。「生活個体はその住んでいる環境に制約され、またこれに向かって反応することからその内的状態に分枝が生じる。これを心的生活の構造という。」即ち生活個体が外界と交渉する所から起こる心の状態及び作用における分枝であり、心的生活が外界順応の目的生活を営むところから生ずる統一ある組織である。

 ディルタイのこの考え方は経験的であり具体的であり生物学的色彩を強く帯びている。而して構造の中心をなすものは衝動や感情であり、これが知的作用と意志作用とを結んでいると説く。これは主観的方面から考えられているもので、ディルタイはこの構造関連が体験に直接与えられているという。構造関連は体験を内省すれば、そこに内的に知覚されるという。またディルタイは構造を意識の流れのある瞬間を切断した断面の組織のように見て、知情意の組織関係と見る。

 

 しかるにこれらの考え方は形式的であるが、これを内容的に深くしたのがシュプランガーである。シュプランガーは構造を次のように定義する。

 

「価値実現に向けられている生活形態を広義に構造という。また精神的心的構造とは価値の諸方向に向かって分枝した完結した一個の体験性向及び行績性向であり、体験できる価値統一との関係の中に、即ち精神的自我の中に、中心点を持つ。」

 

 即ちシュプランガーによれば、心的構造の全体は主観に体験されない。各個主体は身体的にも心的にも自ら完結しない存在であり、他人及び一般客観界と複雑に入り込んだ関連をなす構造を持つと見る。

 シュプランガーによれば構造は主観に意識されず、客観的超個人的関連を含むところの心的組織である、と客観的方面から広く考えている。またディルタイが構造を意識の切断面における組成と考えるのに対して、シュプランガーはそれ(構造)を価値に向かう心の性向的組織と考え、知情意の代わりに各種価値作用の組織関係と見る。

 

 このようにディルタイの思想における萌芽がシュプランガーにおいていたるところで発展したと見るべきである。

 

 

二、了解

 

156 ディルタイは了解の概念を説明と対立させる。ディルタイは精神科学自然科学と対立させ、精神科学は了解する学であり、自然科学は説明する学であるとする。この了解とは外部から感覚的に与えられる符号から内的なものを認識する過程である。このように了解は符号から心的関係を捉える過程であるから、そこに全体と部分との関係が存在する。全体は個々のものから了解されなければならない。そして了解は同時的・依存的に進むので、個々と全体とは、一方が了解された後に他方が了解されるのではない。即ち了解は理論上は完全とはなり得ない。なぜならば、全は無限に拡大するからである。要するにディルタイにおける了解は他(者)の心的生活を模写して自己の体験にある心的関連をこれに類似させることである。

 

 このディルタイの了解の概念をシュプランガーが発展させた。シュプランガーは了解は体験と異なり、各個人の主体に現れる体験を大きな客観的意義関連の中に編入してその体験の意義を明らかにすることである。即ち了解は客観と主観との関係を結び、心的なもの精神的なものによって意義づけることである。要するにシュプランガーにあっては了解は構造を捉えることである。

 

 了解はどのようにして成り立つのかについて、ディルタイはこれを人間の同質(性)に求めたが、シュプランガーはそれを一歩進めて心的生活を支配する法則性に求めた。その法則性は主観を支配するだけでなく、超個人的精神的関連としての文化価値の世界も支配していると考える。主観と文化全体とは同一の価値の法則性に支配される。

 

157 シュプランガーは了解を認識作用とみる。ディルタイは了解を情意的に見るのに対して、シュプランガーは理論的に見る。シュプランガーはディルタイの主観的体験の了解を客観的意義の了解へと拡大する。

 

三、発達

 

 構造は前述のように心の切断面の内的組織、換言すれば横の関連(広がり)であるが、発達は時間的方向の関連、即ち縦の方向である。ディルタイは発達概念について、この現象が起こるためになければならないものとして、構造関連、目的性、生活価値の増進、分枝分化、性格の生成、創造過程等を数えている。そして以上の要素が具備すれば、その生分(各個主体)は発達するとする。

 次に発達現象の特徴として、(ディルタイは)自発的変化、継続的進行、生命価値を増進する合目的関連等を挙げている。

 

 シュプランガーはただ(ディルタイの)この発達概念を整理しただけである。シュプランガーは発達現象の特徴として次の事項を挙げている。

 

一、発達は各個主体の内部及び外界の両方面の要素の相互影響によって生ずる変化系列であるが、その変化の方向決定は主としてその主体の内的素質に帰せられる

二、発達は開展する。即ち主体の統一と同自性(同一性)とを保持ししつつ諸作用が多様に分枝する。

三、発達は終極状態において価値向上を来す等である。

 

 

四、個性的類型

 

 了解心理学においては個性の問題は特に重要である。それは個人間で心が皆異なることが心の了解に対して困難だからである。そこでディルタイは個性の研究に努力を傾注したが、それは創見に富んでいる。

 

158 ディルタイによれば個性の問題は個性だけから分かるものではなく、個性は一般性あるいは普遍性に照らしてのみ説明できる。個性を考察しこれを表現する方法は、一般的なものを知って特殊性を明らかにすることによる。即ち普遍性の認識があって初めて特殊性の認識が可能である。

 ディルタイは個性を見るに際して、一部の心理学者が見るように生得的のものとは見ない。個性は発達の中にその結果として生成する

 個性が存立する要件は二つに帰着する。その第一は、全ての人間は同一の「質的決定」を持ち、全く他が持たないような特殊の質的性質は存在しない。個人間に存在するものは「量的決定」とその「結合関係」だけである。これが普通に考えられるような「性質の相違」である。

次に個性存立の第二の要件は、結合形式は或る法則に支配され、量的関係の可能及び組み合わせ(の全て)は実際には決して起こらない。即ち諸性質間の結合は無限に可能ではない。或る性質と或る性質とは同一の人格中には決して併存することができない(場合がある)。しかしよく同一人が事情に応じて異なる性質を表すことがある。これは一見矛盾のようだが、深い所に統一的結合関係が存在する

 そこで個性を了解することは、どんな性質が他のどんな性質と結合できるのか、結合しなければならないのか、また、どんな性質が相互に排斥し合うものかについて判断することにあり、この間の法則性を明らかにすることが人間観察、芸術的表現、歴史的叙述等に欠くことができないものとなる。

 

 次に個性は複雑多様な性能を持つものだが、これを研究する上で必要なものは類型である。

 類型とは種々様々な個性の変異の中で繰り返される或る根本形式である。即ち多くの特徴や部分や機能が法則的に結合されたものが類型である。そこで個人の或るいくつかの特徴を知ることによってこれに類型の概念を適用し、その個性の全性質の認識を容易にすることができる。

 

159 以上がディルタイの個性観及び類型の概念である。シュプランガーはこれを発展させ、その心理学の中核にした。

 シュプランガーは個性観において全くディルタイを継承しているが、これを発展したところを求めれば、ディルタイの個性観の形式的自然的見地から内容的価値的見地へ考察の方向を進めたことである。シュプランガーはその構造観の結論として、生活型として理論人、芸術人、経済人、宗教人、政治人、社会人などの個性類型を定め、これを人間生活の価値関連の内容を基礎とする個性類型とした。

 類型についてもシュプランガーはディルタイを継承したが、シュプランガーの独自性は、特に彼が観念的類型経験的類型とに分けたことである。観念的類型とは純粋に現れた場合であり、理想的に仮構したものであり、経験には適しない類型である。而して後者(経験的類型)は経験上現れる多数の事実から帰納し平均した類型である。彼はこれを用いて個性考察を進めたが、ディルタイの類型が自然的経験的であるのに対して論理的理念的である。

 

 

第五節 構成的心理学

 

一、構成的心理学の誕生

 

160 古代から中世を経て近世の初頭に至るまで心理学は哲学の一分科であった。デカルトが物心二元の哲学を論じて以来、二つの傾向、即ち哲学的心理学経験的心理学が発達したが、ブントに至り、漸く心理学が哲学から独立した。

 

 自然科学の発達によって実験的観察法が精神現象に応用されるようになり、それまでの知的心理学の欠陥と感情心理学への不満とから、意志作用が精神現象中の根本的作用であるという考え方が、実験的結果から(ブントによって)立証されたのである。

 

 ブントの言う意志作用は全く我々の直接経験に現れるところの心的過程であり、不可知的な意志の存在を仮定するのでも、哲学的心理学で考えられたような実体的存在でもない。

 

 ブントによれば意志作用は、それを分析してみると、その中にあらゆる心意過程が含まれている。即ち(意志作用は)他の種々な要素的過程の結合の結果であり、意志過程の中には全ての心意過程が代表されている。また心的過程はどんな方面にも流転しているが、意志道程は他の心的道程の模範である。而して前述のように精神現象は種々な要素的道程から成立しているから、無意識的に行われるのではなく、意識の働きによって生ずる。こうしてブントの意志作用は意志的心理学とも言われる。

 ブントは常に分析を研究法の主な方法とする。その結果「感覚」と「簡単感情」とを意識の要素的作用であるとし、この二要素が「連合的結合」及び「統覚的結合」の多様な複合(構成)によって意識が生起するとした。この点でブントの心理学を構成的心理学とする。

 

 

二、構成的心理学の主張

 

161 構成的心理学では精神現象と自然現象とは全く異なり、従って全く異なる法則によるとし、次の原則を立てる。即ちそれは創造的総合の原理相対的分析の原理心的対比の原理であり、これらは精神現象に特有な因果の法則であるとする。

 

一、創造的総合の原理 ブントは意識の構成要素として「感覚」と「簡単感情」とを挙げる。即ちこれらが結合して複雑な精神現象を生ずる。結合の結果、要素とは全く異なった性質を生ずる。これを創造的総合の原理という。例えば細膜*において局標*と眼球との運動感覚の複合によって新たに視覚的空間という性質が生ずる。如何なる意識現象も皆要素過程の複合から構成されている。創造的総合の原理は意識作用の特性を説明する根本原理である。

 

*細膜とは細胞かそれとも網膜か

 

二、相対的分析の原理 創造的総合の原理によって心的過程が複合して一体をなす場合、その過程は自然科学の場合と全く異なる。自然科学の場合、例えば水素と酸素とが化合して水となる時、その要素である水素と酸素とは化合の結果全くなくなるが、創造的総合の要素的過程では全一体と共に個々の要素も分離して存在している。例えば、光の感覚と眼球の運動感覚とが複合して視覚的空間表象を形成する場合、我々は空間的表象を意識するとともに光の感覚も眼球の運動も意識することができる。すなわち要素は全体から分離して存在するのではなく、各要素は互いに有機的関係を持っていて、全体と関係して初めてその意味をなす。これが相対的分析の原理である。

162 この要素を理解するのに良い例は、音楽の合奏を聞く場合である。我々は全体としての合奏の音を聞くことが出来るだけでなく、個々の音も分析して聞くことが出来る。全体の音は個々の音に影響を与え、個々の音も全体に影響し、この相互の関係によって合奏が知覚できる。

 

三、対比の原理 自然現象では相互の関係によって一つの物体がその持つ本来の強度を増すことはないが、心的現象の場合はそれがある。例えば嬉しいと思うときに不快な印象が与えられると、その不快の度合が強くなる。全ての相反する二つの心的現象は互いに影響してその強さを増す。これを対比の原理という。

 ブントは感情を三方向に分ける。即ち快と不快興奮と沈静緊張と弛緩とは相反する方向を持っている。これらの相反する感情が意識内で対立すれば、互いにその強さを増してくる。

 

 以上の三原理はブントが心的過程の生滅起伏を説明する為に立てた原理である。しかし精神は発達するものである。その発達を説明するためにブントは以上の三原理からさらに三つの法則、即ち精神成長の法則異種目的の法則反対発達の法則をつくり、この三つの法則を総称して精神発達の法則とした。

 

 以上の心的因果の原理と精神発達の法則とはブントの心理学を構成するが、その中でも根本的なものは創造的総合の原理である。他の二つの原理はこれから派生し、さらに精神発達の法則は三つの原理から出て来るものであるとした。このようにブントは分析と総合とを巧みに組織立てた。

 

 

第六節 機能心理学

 

一、機能心理学の沿革

 

163 機能心理学は米国のハーバード大学教授ゼイムスJamesに始まり、エール大学のエンゼンによって(機能心理学と)命名された。実験心理学的立場に立つ。ブントの構成心理学のような秩序整然とした論理的のものではなく、実用的見地に立つ。現実に現れる複雑な心理現象をとらえその心的現象を分析することよりも、心全体としての機能を観察記述する方に重きを置く。この心理学は産業交通、販売等の経済生活を心理的に研究し、人間の実際生活に適するように、即ち適材を選択し適材を適所に置くことに関する研究や、作業の条件に関する研究、特殊作業に関する研究等がなされる。

 ゼイムスの跡はドイツのミュンスターベルヒが継ぎ、同じ立場から実験心理学を実際生活に結び付け、あらゆる実社会の諸問題を心理学によって解決しようとした。米国の社会の要求に応じた。

 個人意識の研究方面ではゼイムスの態度はスタンレー・ホール、デューイなどの心理学となり、仏国のビネーのテストの原理にも影響を与えた。またスタンレー・ホールの個人精神の機能の発達研究は、ボールドウンに至って発生心理学という体系を作るに至った。

 

 

二、機能心理学の特徴

 

164 機能心理学の祖ゼイムスの哲学的立場は実用主義である。従ってその心理学はあくまで実用的見地から出発する。

 機能心理学は我々人間を単に一個の生物として見る。即ち人間を他の動物と異なったものではなく、一個の動物として見る。従って生物全体が外界に対する関係はどんなふうかというような点に重きを置く。

 これは生物学の研究の影響を受けたもので、近来の生物学の研究では生物の習慣とか、本能とか、知能とかなどの方面、即ち生物全体の生活状態を明らかにしようとする傾向が強くなってきたが、これに加えてダーウィンの進化論も影響して、ここに心理学が生物学の研究と結合して心全体としての機能を明らかにしようとする機能心理学が生まれた。

 故に機能心理学は意識の分析的研究などには重きを置かない。心全体としての機能や、その外界に対する順応などが主な研究主題となる。即ち順応が生物の心の働きの中の共通な現象であるから、心全体としてはどんな機能が存在しているか、種々の感覚や運動は順応の手段としてどんな作用をなすのかなどの綜合的研究を行う。

 

 機能心理学はあくまで実際的であり我々の日常の具体的経験について説き、実際生活を指導する役目を果たしている。機能心理学の特徴は以下のようにまとめる事が出来る。

 

一、機能心理学は精神現象の発展を発生的に研究する。

二、機能心理学は人間の意識だけでなく、生物全体の意識を考察する。

三、機能心理学は意識の機能を外界に対する順応の見地から考察する。

 

165 機能心理学は学問としては粗雑であり組織も整然としたものではないが、実際生活を指導する知識としての役割を完全に果たしている。

 

 

 

追記 現代の心理学について系統的にその歴史的発達を叙述できなかった。現代心理学の概観を述べ、その二つの傾向即ち自然科学的心理学と精神科学的心理学との二分野に分けて詳論すべきだったが、第一節から第四節までは精神科学的心理学を説明し、第五節・第六節はブント以来の一派の傾向を説いた。さらに精神分析学行動主義心理学に触れるべきだったが、それはかなわなかった。

 

感想 この章は筆者の意見がなく、ただ内容の紹介にとどまる。

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