2024年6月28日金曜日

 

中島岳志『保守と大東亜戦争』集英社新書2018

 

 

 

感想 2024617() 

 

筆者は「保守は急な変化を好まない」と言うが、本書に出て来る彼ら「保守」は全て特権階級だった。竹山道雄は銀行員の息子で、一高の教授となり、欧州に留学した。全く同世代ながら、農学校を出て小学校の代用教員となり、学費の要らない師範学校を出て、教員をしながら文検を受けた私の父とは資力が違う。関東大震災の時に国家権力によって南葛で殺された日立鉱山出身の息子たちとも違う。彼ら保守は自らの特権的地位を守りたかったから「変化を好まなかった」のではないのか。Wikiによれば猪木正道は民社党のイデオローグだったとのこと。頷ける。

 

感想 2024619()

 

保守を懐疑主義者とし、戦前の大東亜論者や戦後のマルクス主義者を極論主義者として対比することと、大東亜戦争を擁護するかしないかとは異なるのではないか。懐疑主義者や極論主義者は大東亜戦争論を擁護する人々の中にも、しない人々の中にも、多かれ少なかれ存在するのではないか。人格論と政策論とは異なるのではないか。

 

「保守」主義者の、大東亜論者とマルクス主義者との同一視に異議あり。確かに威勢の良さという点では類似点があるかもしれない。また私も個人的には威勢のいいのはあまり好きでない。しかし、大東亜論者は自国の利益だけを考え、他国に軍隊を入れ、その資源を獲得した。それはまさに侵略である。それに対してマルクスの視点はイギリス労働者の悲惨な状況であった。威勢の良さという現象面の共通性だけを捕えて両者を同一視するかのような著者の言説には納得できない。

 

 

私は「保守論者」の多くが戦後平和憲法の丸腰「絶対的平和主義」をくさすのには同調できない。私は「自国のために戦って死ぬ」なんてまっぴらだ。

 

 

「兵隊にとられた」日本の「無辜の民」の死の冒涜論に異議あり。「無辜の民」は実は無知の民であり、権力に反対するどころか迎合したのであり、それ自体に責任がある。どんなに苛酷な外地で栄養失調でなくなったとしても、無知で権力に迎合したという点で、責任があるのではないか。「無辜」とは言い難い。

 

 

 

疑問

 

・保守主義と理想主義(仏革命)とを対置し、理想主義が保守主義的伝統の長所まで全く無視しているかのようにいうが、いかに理想主義でもこれまでの歴史的経験の長所まで捨て去ってそれを教訓にしないなどということはあり得ないのではないか。単純な対置ではないか。

 

・筆者は日中戦争における前線部隊が「勝たない戦争はあり得ない」として戦争を継続し、国家意思に反して軍部・右翼の跳ね上がりが戦争を長引かせたとするが、それは頷けるが、それを太平洋戦争開戦にまで援用できないのではないか。筆者は戦前の戦争に国家意思がなかったかのように言うが、1941年の太平洋戦争開戦決定に際しても国家意思がなく単なる右翼の跳ね上がりが主導したというのだろうか。

 

・極東裁判で共謀を指摘されたことに筆者には異論があるようだが、太平洋戦争開戦時においても、日本の国家権力に共謀がなかったと言えるのだろうか。

 

・マルクス主義的歴史観を批判するが、戦争は資本主義経済の行き詰まりから生ずるという理論には説得力があると思うのだが。

 

・著者は「保守」=天皇機関説派を、宗教的右翼と対置するが、その天皇機関説派それ自体には問題がなかったのだろうか。彼らは過度なことを控え、自分の欠点を自覚している理想的な人たちだったのだろうか。

 

・東大教養部の大学教員だった竹山道雄が1950年の学生によるレッド・パージ反対試験ボイコット・バリストを、戦前の右翼ファッショ軍運動に重ねるのだが、竹山は、レッド・パージそのものについてどう考えていたのだろうか。その点が本書では欠落している。確かに学生の自信過剰な態度と右翼ファッショのふるまいとが似ているだろうことは認める。そもそも竹山道雄の中に、右翼ファッショと共産主義運動とを同一視する考え方が戦前からあったのかもしれない。

 

・猪木正道がマルクス主義の疎外論を良しとしながらマルクス主義を嫌うというのは理解できない。猪木正道1914--の思想的な揺れの原因は、彼が竹山道雄1903--や田中道太郎1902--より10年若く、比較的幼い時代に軍国主義の荒波にさらされたこととも関係があるのかもしれない。猪木正道「自分自身の意に反する戦争にも全力を挙げて協力し、たとえ生命を犠牲にしてもやむを得ないと19413月末に決心した」129

 

・猪木正道が「武器をとっても自国のために戦うべきだ」というのは、河井栄治郎の愛国主義によるものらしい。

 

 

 

賛成

 

・大正デモクラシーを引き継ぐ若槻礼次郎・幣原喜重郎外交(浜口雄幸内閣)が続いていたら日本のその後の進路も変わっていたのではないかという考えには賛成だ。本書に出て来る田中美智太郎・猪木正道もそう考えていた。

 

・大東亜戦争論が生み出される過程を見た世代と、幼少期だったためにそれを知らずに軍国少年だった世代とで、大東亜戦争論の見方が異なるという観点は理解できる。

 

・大東亜論者の野蛮な暴力性(現在の自衛隊に温存)と上滑りの日本主義(日本書紀礼賛)を著者が批判していることには賛成だ。安倍晋三を担ぎ上げた日本会議諸君が、なぜあのような馬鹿げたことを礼賛するのか信じられない。韓国からの植民地支配批判や、戦前の侵略行為に対する自己批判(河野談話1993・村山談話1995)に反発する自己中で盲目的な愛国主義としか言いようがない。

 

 

 

本書に現れる大東亜論者たち アンダーラインは1930年代生まれの軍国少年・少女ではない人

 

藤岡信勝021 1943— 教育学、東大教授、「自由主義史観研究会」、「新しい歴史教科書をつくる会」1997、『近現代史教育の改革』1996

・西尾幹二1935—ドイツ文学、「新しい歴史教科書をつくる会」、

小林よしのり1953—漫画家、評論家、『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』1998

・中村粲(あきら)1934—2010 東大卒、都立高教諭、獨協大学講師、助教授、教授、英文学者。「昭和史研究所」「NHKを考へる会」

・渡辺昇一1930—2017 上智大学、英語文法史、

・石原慎太郎1932—2022 作家

・小堀圭一郎1933— ドイツ文学

下中彌三郎061 1878—1961平凡社創業者

小田村四郎244  1923—2017 日本会議副議長、大蔵官僚、経営者、拓殖大総長

 

上記の人達の専門は、歴史学ではなく文学(教育学)が多い。

 

ちなみに

 

櫻井よしこ1945— ジャーナリスト

百田尚樹1956— 作家、活動家

稲田朋美1959— 弁護士、政治家

田母神俊雄1948— 自衛官、活動家、

桜井誠1972— 活動家、文筆家、在特会会長、

・茂木弘道1941- 東大経済学部卒、富士電機、国際羊毛、世界出版、

 

 上記の人達の専門も歴史学ではなく、作家、弁護士、ジャーナリスト、自衛官、会社員などである。

 

 

本書に現れる大正保守派

 

・田中美智太郎1902—1985 哲学、『時代と私』1971

・竹山道雄1903—1984 作家、『昭和の精神史』、

・猪木正道1914—2012 政治学、防大校長

・福田恒存1912—1994 劇作家、

・池島信平1909—1973 文藝春秋社長、

・山本七平1921—1991 評論家、山本書店店主

・会田雄次1916—1997 歴史学、

・林健太郎1913—2004 歴史学、東大総長

 

 

 

本書に現れる戦後の科学的マルクス主義歴史学者

 

遠山茂樹1914--2011、今井清一1924--2020、藤原彰1922—2003の三者による共著『昭和史』岩波新書1995

 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿

斎藤幸平『人新世の「資本論」』2020

  斎藤幸平『人新世の「資本論」』 2020       メモ     西欧による東洋・中東・ロシア蔑視     マルクスは当初「西欧型の高度な資本主義段階を経なければ革命はできない」 173 (進歩史観 174 )としていたが、ロシアのヴ...