2011年3月26日土曜日

福島第一原発を早くセメントで固めてほしい


福島第一原発を早くセメントで固めてほしい
今後福島原発はどうなるのだろうか。選択肢は2つ考えられる。一つは今までのような修繕的な作業を続けていくことであり、もう一つはチェルノブイリのようにセメントで固めることだ。私は今までの経過から判断して、後者に決断すべき時期に来ていると思う。5,6号機はともかくとして、1~4号機はセメントで固めるべきだと考える。
その理由は、1)放射性物質が外気や外洋から遮断できない状態がここ当分は続くだろうということである。建屋が破壊されていること、水素爆発を防ぐために天井に故意に穴を開けたこと、容器の爆発を防ぐために圧力容器内から排気を強制的に排出したこと、2系統の冷却水系(炉内循環と海水循環)を使用できず、炉内冷却水を直接海水に排出していると思われること等である。2)放出された放射線総量がここ12日間で3万~11万テラベクレルで、このままで行くとチェルノブイリの180万テラベクレルに、あと184日(約6ヶ月)で届くこと。4)飯舘村の土壌汚染は201㎡あたり326万ベクレルとなり、これはチェルノブイリで強制移住の対象となった55万ベクレルの6倍にもなること。5)海洋汚染も広がりつつあること。これは魚として人体に取り込まれたり、水蒸気となって陸地の関東・東北地方を汚染するだろう。東電は海流の進路に当たる原発の北側の海の汚染状況を公表しないが、南側16㎞の地点で2412.6倍とのことである。6)核燃料棒はすぐには冷めないということ。その熱で水蒸気や黒煙を発生させ、それとともにヨウ素やセシウム等が上空に舞い上がり、雨となって、または雨が降らなくても地上に落下することである。(定期降下物が晴れた日にも降下していることは、文部科学省のモニタリングデータが示している。)
報道によれば、事故を起こした原発は、今までのような作業が仮に成功しても、(しかしそれは楽観できないようだ。というのは2号機周辺では放射線量が高くて作業ができないようだからだ。また3号機では作業員3人の被曝によって原子炉または燃料プールの、特定できないどこかに損傷がある可能性が強いことがわかった。)終息するのに一と月とか二た月とかいう短期間でなく、10年くらいかかるらしい。セシウムの半減期が30年であればそのくらいかかるのかもしれない。そしてそれまでずっと我々は、天井が壊れて大気にさらされた、または水素爆発を避けるために故意に天井に穴をあけられた建屋から、ヨウ素やセシウムを含んだ黒煙や白煙が日常的に舞い上がる様子を毎日気をもみながら見ているのだろうか。
322日の雨で今まで検出されていなかった長野県、山梨県、静岡県でも定期降下物ヨウ素131とセシウム137が検出されるようになった。半減期30年の水に溶けやすいセシウムは土壌に蓄積し続ける。農業に適さない土壌は広がるばかりだ。不毛の荒野が原発の周囲何キロまで広がるのだろうか。
323日(水)の関東地方は晴れの良い天気だった。21日、22日は雨だったので納得できるのだが、23日の良い天気の日に、定期降下物の一つヨウ素131の量(これは空気中に飛散している量である。)が22日と変らず多いのに愕然とした。それまで少なかった東京都でも(19日9時~20日9時の間では40MBq/㎢だった。)1日雨だった21日9時~22日9時の間は32,000MBq/㎢、午前中雨だった22日9時~23日9時の間は36,000 MBq/と増えている。そして晴れだった23日9時~24日9時の間は13,000MBq/㎢と依然として高い数値のままなのである。200キロも離れた東京の飲料水が飲めなくなるとは、放射能の威力を思い知らされる。水をペットボトルに頼らざるを得ないとは情けない限りだ。しかしこれも静岡や長野まで汚染が広がれば、信頼できない天然水も出てくるかもしれない。
汚染されているかもしれない水に足をつかってまで必死に作業している方々には頭が下がる。生活がかかっている社員や消防士・自衛隊員は修復作業を断ることはできない。被曝作業員をこれ以上増やしてほしくない。
老朽化し、しかも炉心が溶融して、いずれにしても今後使うことのできない原発を修理するような作業は無駄にならないだろうか。それともまだ修理してまた使うつもりなのだろうか。それはあまりにも自己中心主義的な考え方ではないか。作業員や農家をはじめ、国民のことをどう考えているのかと言いたくなる。
今専門家特に原子力工学専門の先生方の責任は重大である。今をおいていつ発言するのか。私たち庶民はただ東電社長と菅首相の英断を祈ることしかできない。   2011326()
群馬県前橋市青柳町 無職 64歳 金井正之

大橋昭夫『副島種臣』新人物往来社1990

  大橋昭夫『副島種臣』新人物往来社 1990       第一章 枝吉家の人々と副島種臣 第二章 倒幕活動と副島種臣 第三章 到遠館の副島種臣     19 世紀の中ごろ、佐賀藩の弘道館 026 では「国学」の研究が行われていたという。その中...