2021年9月8日水曜日

吉田熊次『教育史教科書』 感想・まとめ

 

吉田熊次『教育史教科書』

 

 

感想 202196()

 

 

日本の学校教育は奈良時代から中国に倣って始まったが、教育の対象は支配階級ばかりだった。しかし空海がほんの一時的であったが、庶民に教育を施した時期もあった。

 

鎌倉室町の文化教育の暗黒時代でも、京都の公家や寺院で学問が継続し、頼朝は京都から公家の文化人を招聘した。足利学校や金沢文庫が開かれた。

 

徳川家康は円光寺を建てて学舎を開き、林羅山を用いた。家光の時、林羅山は書院と塾舎を築いた。これは昌平坂学問所(昌平黌、ひいては東京大学)の前身である。教育内容は儒学であった。

江戸時代には寺子屋(寺子屋は関西での名称で、関東では手習師匠)や家校で庶民の教育も行われ、大岡忠相はそれを奨励した。また庶民の教育機関は他に石門心学があった。

 

 

西洋中世キリスト教社会はギリシャ・ラテン文化を排斥し、アテネ大学を潰した。「キリスト教は西ヨーロッパに普及し、ギリシャ・ローマの思想を異端・邪説と見なして圧迫し、529年、アテネ大学に閉鎖を命じた。」078

 

ルネサンスは自由主義、個人主義、理性主義、主観主義を広め、現代にまで影響を及ぼした。

 

宗教改革=新教は一般大衆向けの小学校を普及した。

宗教改革(新教キリスト教)に抗して厳格な旧教主義(エスイタ宗徒、イエズス会)が起こり、フランスはその支配下におかれたというが、恐ろしい事だ。しかしその厳格さは新教に批判された旧来の堕落を是正するという意味もあったのかもしれない。

 

ミルトン1608-1674は先進的だ。「道徳の根本は自由であり、その中に宗教的自由、市民的自由、家庭的自由がある。第一は信仰の自由であり、第二は言論の自由で、第三は結婚・教育・思想の自由である。」118

 

ルソー1712-1778は主観を、ペスタロッチ1746-1827は社会を重視した。

 

 

感想 202197()

 

 西洋と日本の思想史の相違

 

 西洋では宗教(カトリック)を批判する力が起こった。ペトラルカ13041374に始るイタリア・ルネサンスを源流とする人文主義、理性主義、自然主義の言論は西洋の思想的主流である。

 

新教キリスト教はルネサンスの批判を受け入れつつ、またそれに抗して起こった。新教はキリスト教を維持する勢力でもあった。またカトリックは新教の批判に抗して厳格化(結果的にさらなる右傾化)して自己保存を図った。

 

 

日本はどうか。天皇制国家神道を明治維新時に掲げたが、突如明治2年にそれを止めた。それは単なる条約改正のための西欧思想の模倣のためか。それは西洋思想との思想的対決を避けたとも言える。

ところが日清・日露の戦争は国民的愛国心を高め、為政者は天皇主義を復活した。日本人は西洋思想との思想的対決・思想的訓練を省略してしまったようだ。文部卿福岡孝弟1881や文部大臣井上毅1893らの復古的言辞は、西洋思想の咀嚼や対決を経て生み出された教訓ではなかったようだ。それまでの西洋思想の吸収は条約改正のための単なる模倣に過ぎなかったのかもしれない。

 

日本人はこれまで西洋ルネサンスのように宗教(国家神道)を批判してこなかった。それに触れることを恐れてきた。慣習だと偽ってきた。日本は西洋のような思想的内乱状態(例えば宗教的内乱である三十年戦争1618--48)を経験してこなかった。日本人は国家神道を批判しなければ、思想的に自立できないのではないか。今でも歴史修正主義がまかり通っているのはそのせいではないか。

 

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