2022年8月30日火曜日

教育修身研究『現代教育教授思潮大観』春季臨時増刊 日本教育学会 分担執筆者 平塚盆徳、生井武久、三木壽雄、宗像誠也、佐野朝男、山田彌、白井今朝晴各学士 昭和7年1932年

教育修身研究『現代教育教授思潮大観』春季臨時増刊 日本教育学会 分担執筆者 平塚盆徳、生井武久、三木壽雄、宗像誠也、佐野朝男、山田彌、白井今朝晴各学士 昭和71932 


第三章 現代の心理学

 

第一節 形態心理学

 

一、形態*心理学の沿革 *形態はドイツ語でGestaltといい、ゲシュタルト心理学とも言われる。

 

139 形態心理学には三派がある。ウェルトハイマーWertheimer、ケラーKöhler、コフカKoffka(ギーセン大学)などのベルリン派と、クリューゲルE. Krüger、ザンデルF. Sanderらのライプチヒ派と、ウイーンのビューラーK. Bühlerである。しかしこの三派には共通点がある。実験的事実に基づき、哲学的認識論を持ち、心理学・生理学・物理学等の実在学を援用することである。連合心理学派のツイーヘンは形態心理学を「スローガン心理学」と呼んでいる。

 

 形態心理学の源はスピアマンによれば、ブント(ヴント)の「創造的綜合」の原理や、ブントの高弟ウイルトの「形態の知覚」である。

140 そして形態心理学(形態説)という名称で呼ばれるようになったのは、1912年にウェルトハイマーが視覚による運動知覚についての事実を実験的に発見しそれを報告してからとされている。

 

 

二、形態心理学の立場

 

 形態心理学は形態を取り扱うのではなく、精神現象を形態として取り扱うのである。その形態とは図形、物の形、旋律だけでなくもっと広い。

 

 形態と要素 三角形(形態)は三辺(要素)で構成され、リズム(形態)は音の強弱(要素)で構成される。

 この形態性という考え方はアリストテレスからブントに至るまで認められるが、彼らは構成要素を出発点としてそれが精神や注意力によって結合されると考えていたが、形態学者はその逆であり、形態性を本源とした。

141 その理由は次の通りである。三角形を構成する三辺の長さが大きくても小さくても、また三角形を白地に書いても黒地に書いても、三角形であることに変わりがない。しかし要素から三角形ができるとするなら、要素が変化すれば三角形も異なるはずであるが、実は異ならない。

 

 こうして形態の構成についての二つの標準が立てられる。

第一 形態はその部分を超えた属性を持つ。その属性は部分から引き出すことはできない。それは要素の総和の外に全体があるからである。

第二 形態は変換することができる。これは第一の標準、即ち要素の総和の外にあるものが形態性であることから起こる。

 形態性の成立過程については種々異説がある。

 

 

三、形態心理学の対象と方法

 

142 形態心理学の対象は形態心理学者の間で広狭の差がある。ケラーは心理学の対象を直接経験とする。即ち内省心理学は全く主観的立場に立ち、行動主義心理学は純客観的立場に立つが、形態心理学はそのような極端は取らず、主観・客観の両方の経験を取る。

 

 しかし直接経験が素材だとするだけでは足りない。直接経験が素材だとすれば、心理学の対象も物理学の対象も素材として異ならないからである。心理学と物理学とが異なるためには素材の性質の相違ではなく、対象領域の相違が必要である

 ケラーは心理学を定義して、「心理学は直接経験における事象を物的客体や事件としてでなく、事象そのものの外的・内的様態において研究する。そのあらゆる種類を体系的に記述するだけでなく、このような事象間の機能的関係も明らかにしようとする」と説く。コフカはこの定義を一歩進めて、「心理学は生活体の環境に対する行動を科学的に研究するものである」とする。

 

 この定義からすれば、心理学の対象に関して形態心理学と他の心理学と異ならないが、両者の区別はある。

 形態心理学者のレビンは「心理学は他のあらゆる学的研究と同様に先ず対象の叙述を行わねばならない。心理学の対象である精神現象の構成に関する叙述は、発生的典型の定立に導く。心理学的法則の定立はこの発生的典型の定立に他ならない。このような心理学的法則の発見こそ、形態心理学の最大の課題である」とする。換言すれば形態心理学は精神現象の事件的即ち条件的・発生的典型を捕捉し、その特質的な〇因に相互間の関数的依存関係を発見しようとしている。

143 この意義をさらに分かりやすく言えば、「形態心理学においては先ず精神現象を叙述する。そうすればそこに多くの叙述概念を得るだろう。そしてそれらは分類されるべきである。その分類の結果は我々をレビンの現象的典型に導く。分類の適否はこれをいちいちの現象に適用することによって決定される。

一方かの叙述概念はその因果的・発生的連関において眺められる。その結果として我々は心理学的法則を獲得する。これが即ちレビンの発生的典型の確立である。このような法則の適否もまたいちいちの現象に適用されることによって決定される。形態心理学は特にこの後半即ち法則に関する部分に力を入れる。」(矢田部達郎氏による)

 

 以上が形態心理学の対象と方法の大要である。形態心理学は現代心理学の寵児であると共に多難な前途を持っている。

 

 

第二節 生命心理学

 

一、生命心理学の沿革

 

144 生命心理学を樹立した人はドイツの心理学者ミュラー・フライエンフェルスR. Müller-Freienfels, 1882--1949である。フライエンフェルスは1882年プロイセンに生まれ、ミュンヘン、ベルリン、ウイーン、ロンドン、パリ等の大学で哲学を学び、久しく念願の教職につけなかったが、最近になってベルリン中央教育研究所で教授の職を得た。

 フライエンフェルスが樹立した生命心理学は彼独自のもので学派の背景がないが、その思想的沿革は実証主義哲学者アベナリウスR. Avenariusに負うところが多い。

 

 アベナリウスはその心理学において、生活序列説を提唱した。即ち心的過程には統一的な生命活動が流れている。これは三つの段階に序列的に変移する。第一段階は刺激の受容であり、生命が完全な休息状態に復帰しようとするのに対して外部の刺激があれば、「生活闘争」の状態に入る。第二の段階は反応であり、不調和を均衡し、休息に還ろうと努力する。第三の段階は休止であり、反応から遂に適当に環境に順応し、元の安静な状態に帰ろうとする。

 アベナリウスはこのような説をなす一方で従来の心理学の伝統も受け入れ、精神生活の分析とその要素の存在を認めつつ、生命観の心理学を樹立した。

 

 フライエンフェルスはアベナリウスの学説を継承発展し、彼独特の心理学を樹立し、それを生命心理学と命名した。

 

 

二、生命心理学の立場

 

 生命心理学はシュプランガー069(スプランガー、文化教育学002と同一人物か)の了解心理学やシュテルン(実験心理学131とは別人か。内容的には別人のように思われるが)の人格学的心理学と共に、全体観の上に立つ心理学で、共に旧来の分析的態度に反対し機械論を排撃して目的論に立ち、自然科学的方法を排除して直観的認識法を主張する。

 

145 生命心理学は生命を方法として精神生活を理解しようとする。即ち精神の原子化・機械化に反対し、精神を生命的なものとして溌剌とした姿のままに把握しようとする。その点でシュテルンの人格学的心理学と相通ずる。

 生命心理学が人格学的心理学と異なるところは方法上の問題である。即ち人格学的心理学では生命心理学と同様に全体観をとり、直観的方法によるのだが、それでも旧来の心理学が採って来た全ての方法も採用し、それに対して包容的態度をとり、科学としての心理学と哲学との綜合をはかるのに対して、生命心理学は実験的研究を全く排撃して相容れず、ただ精神の生命哲学的解釈を以て満足し、他の心理学の労作を全く無視し、偏守的とも独断的ともいうべき立場を固守している。

 

 生命哲学は言う。

 実験は個々の現象を因果関係の確立のために孤立させる。その手段は物理学や化学では有効かもしれないが、生命心理学においては無用の労力である。精神生活においては個々の事象を独立のものと見ることは実際不可能である。たとえ一見単純な表象もしくは感情であっても、常に自我全体が密接に関連している。故に人為的に簡単化された条件での実験によっては到底生きる精神を理解することはできない。だから生命心理学は表象とか感情とかの独立性を認めず、これらを全体的生命との連関においてだけ了解する。

 

 また生命心理学は生命を「連合過程」の非人格的なものとして機械視することに反対する。個々の心的過程はすべて「生動的」で全一的な自我の作用として相互に連関したものであり、しかも個人ごとに特殊に構造化されたものである。生命心理学はこの個性を全一的に研究する。

 

146 生命心理学が目指すところはこの個性の研究に止まらず、個人の精神生活に対する理解から他人の精神生活ひいては人類をそして世界を了解しようとする。

 

 このように生命心理学は生命哲学的見地に立ち、主知主義に反対する。

 

 

三、生命心理学の所説

 

 生命心理学の中心は「自我」である。

 自我は我々の意識的・無意識的生活を成立させるもので、あらゆる精神作用に具現する。しかし自我は感覚的にも理知的にも把握されない。また自我は思考し感覚するが、それ自らは思考でも感覚でも近寄ることができない。自我は万物を照らすが、自己を照らすことはできない。

 

 我々が自我を認識しようとすれば、次の作用によって直接に「体認」できるに過ぎない。即ちその一は対象意識Gegenstandbewusstseinである。この作用によって自我は非我と対立する。自我に属する作用は知覚、表象、思考等の作用である。第二は状態意識Zustandbewusstseinである。感情とか意識という作用である。自我の内的意識である。この作用によって自我の状態が意識に上ってくる。

 

 しかしこれは「一応の」区別であり、単に説明のために立てられた便宜的なものである。実際の自我は全体としてあらゆる作用の中で働き、二つの意識(対象意識と状態意識)は交互に錯綜している。

 

 次に自我は「生命の努力」を行う。我々の生命活動は次の八種の傾向の衝動において具現する。八種の衝動には「根本衝動」があり、これに対して「反対衝動」があり、相互に複雑に作用しあう。精神生活はこれらの衝動が「衝突の合奏」をなしている。精神生活を理解しようとするものは、先ずこれらの衝動の性質を理解しなければならない。そうすれば、一見とりとめもないような自我の姿、生命の如実の態様は理解される。

 

147 八種の衝動

 

一、生命の維持

イ、個体的 食欲、排泄等の栄養の衝動

ロ、対外的 恐怖、防御等の生命保護の衝動

二、生命の進展

ハ、個体的 虚栄、自負等の個体拡張の衝動

ニ、対外的 獲得欲、権勢欲等の対外的拡張の衝動

三、個体間の生活関係

ホ、同情的 群居欲、友誼等の親和的共在の衝動

ヘ、攻撃的 憤怒、憎悪等の敵対的共在の衝動

四、超個体的生命完成

ト、性的 恋愛、性欲等の性的完成の衝動

チ、親的 性愛、父性愛等の親的完成の衝動

 

この八種の根本衝動のどれが比較的強く現れるか、もしくは弱いかによって性格の標識を分けることができる。こうして衝動活動の根本図式から一切の生活事象――感情、意志、情緒等の簡単な精神作用から、思考とか性格のような複雑なものまで――を了解しようとする。

 

148 この根本衝動の理解が直ちに生命活動の理解となるが、心理学はこの衝動相互の「力学組織」の研究以外にない。そして彼独自の「力学組織」による個性に関する差異的研究から、集団の特色即ち人種、民族、社会状態等の研究が進められる。

 

 

第三節 人格学的心理学

 

一、人格学的心理学の沿革

 

 人格学的心理学ウイリアム・シュテルンWilliam Stern1871--1938が提唱した。

シュテルンはドイツ心理学界の長老で、応用心理学界の泰斗で、ハンブルグ大学教授である。シュテルンは1892年にベルリン大学を卒業してから心理学や哲学の研究を重ね、1897年にブレスラウの専門学校教授となり、翌1898年に同地の大学講師となった。1916年にモイマン教授の後を継いでハンブルグ大学に転じ、今日に至っている。

シュテルンの心理学研究方法は、従来の心理学が特殊化されすぎて組織を欠き、生命のない心理学に堕していると痛感し、哲学と心理学との融合を志し、遂に人格学を大成した。人格学的心理学はその人格学の一部門である。

人格学はシュテルンの云う人格主義Personalismusに由来する。即ち(その人格主義では)生命や世界や文化を説明しようとするとき、従来の機械的説明によらず、全体性の理念に基づいて全一体として認識しようとする。この人格主義から生まれた人格学は、論理学的哲学説ではなく、心理学的哲学説である。こうしてシュテルンはこの哲学(人格主義)を基礎とする心理学(人格学的心理学)を建設しようとした。

 

 

二、人格学的心理学の立場

 

149 人格学的心理学は従来の心理学に対立する。従来の心理学は要素観に立つ心理学であり、精神現象を原子論的に考察し、要素の集合として説明する。従ってそれは機械論に堕した。従来の心理学によれば人間は一個の自動人形である。一切の活動は要素の力学的合成であり、それが外部からの物理的刺激によって反応するに過ぎない。そこでは精神活動の自発性は無視され、精神の創造性合目的性等は顧みられない。

 そこで人格学的心理学は他の同じ立場に立つ心理学と共にこれを排撃し、我々の精神生活はただ与えられたものを全体として認識することによってだけ真に了解することができるとし、溌剌とした精神活動の本質を了解し、発達の実際を直観するとともに、精神の歴史性を考察し、動的に精神現象を考察するようになった。

 このような立場の心理学は要素観に立つ心理学に対して全体観に立つ心理学と呼ばれる。

 また人格学的心理学の立場は発達心理学の立場である。発達心理学は全体観に立つ心理学が等しく取るところのものである。(発達心理学は)精神活動を静的・固定的に見ず、動的・発達的に、従って歴史的に見る。というのは精神活動は常に発達して止まないからである。前のものは後に影響して新しい活動を生み、その活動は決して繰り返されず、常に流転して変化し、新しいものが生まれ出て、絶えず発達し続ける。人格学的心理学の立場もこの立場をとる。

 

150 人格学的心理学は了解法を採用する。要素観に立つ従来の心理学のとる方法は説明法であるが、説明法は自然現象の場合は意味があるが、脈々として活動の止むことを知らない精神現象は、個々別々の要素に分析してしまえばその特色が失われてしまい、全体的意義を把握することは不可能である。精神活動を全体として統一的に把握して初めて真の姿を知る事が出来る。これを精神科学的了解といい、人格学的心理学がその方法とするものである。

 

 

三、人格学的心理学の所説

 

 シュテルンによれば、心理学人格学の一部に過ぎない。心理学の目的は人間の精神現象の真の把握であるが、従来人間を了解しようとして生物学、生理学、病理学等の身体の科学、心理学、精神病理学等の心の科学、歴史学、社会学、芸術学、宗教学等の文化科学があり、人間を各方面から実は部分的に断面的に支離滅裂に引き裂いて研究してきた。これでは全部をよく寄せ集めてみても決して人間に関する全体としての知識は得られない。人間の活動はこのように分けて考察するのではなく、人格の全体から俯瞰して見なければならない。そこに人間学に先行する人格学がなければならない。心理学はその人格学の一つの枝節としての役割を果たすべきである。

 

 それではシュテルンの云うとは何か。彼によればとは必ずしも人間と同義ではない。人はその反対のの条件を考えれば明瞭になる。即ち人の条件を欠いていれば物になる。

 人と物とを区別する五つの特性が挙げられる。

151 一、人には統一性があるが、物には統一性がない。

二、人には個性があり質的に異なるが、物には個性がなく量的に相違する。

三、人の活動は自発的・能動的であるが、物の活動は所動(受動)的・受容的である。

四、人の活動は合目的であるが、物の活動は機械的である。

五、人には自己価値があり他を以て代えられない。即ち品性を持つが、物は他から価値を付与され、代価がつけられる。

 このような相違から人の持つ性質を考えると、三つに要約される。第一は「多にして一」Vieleinheit(多くの人と統一、人は大勢いるが一人しかいない)、第二は「目的活動」Zweckwirken、第三は「特殊性」Besonderheitである。

 この三特性は相関的であり、一があれば他もあり、一が欠ければ他も欠ける。こうしてこの三特性がそろって初めて人である。

 こうして人は必ず「内在的目的」追及の努力によって「生活」という活動を営む。人がこの活動をしなければそれは死滅である。

 

 人の生活には外面化内面化の二方面がある。外面化は身体的であり、内面化は心的なものである。人に関する学問もこれに応じて二つに分かれる。即ち外面化の学問は生理学や生物学等で、内面化の科学が心理学である。

 

 内面化に関する科学は意識無意識との両方面に渡らねばならない。通例心理学は「意識の科学」と称せられてきたが、この点で人格学的心理学は異なる。意識は「心的なもの」の全部ではなく、一部分である。「心的なもの」の学としての心理学を意識の学とするのは狭すぎる。

 意識と無意識とは心的活動の二様式であり、人が円滑な生活をしている間は無意識の状態であるが、何かの障害で抵抗を受けて阻止される場合に意識が現れる。意識作用は自己保存自己発達の活動に対する一種の警告であり、人はこのおかげで生命の障害物に対して順応することができる。しかるに一方意識は機械化する働きがある。最初の意識的努力も、継続反復すればほとんど無意識の状態になり、努力なしに行うことができる。こうして意識と無意識とは本来接触している。時に意識となることもあり、時に無意識となってしまうことがある。この二つ(意識と無意識)が、物に対立する「心的なもの」に包摂される。体験(意識)は心的活動の一部分で、全生活の一部分にすぎない。従って心理学は人の生活の一部分である意識だけを対象とせず、無意識の境界も対象としなければならない。

 

 

四、人格学的心理学の方法

 

152 人格学的心理学の方法は、一般に全体観に立つ心理学が取る了解法によるが、その中でも解意法Deutungsmethodeによる。

 解意法とは従来の心理学が取って来た探求方法であるところの内省法、観察法、実験法、検査法などを集めたもの、即ち心理事象を人間の全体に帰して、その材料のもつ意義を考究する。これは単なる解釈法でない。個々の心理事象に対して常に人間を解釈の拠り所とする全体的立場に立つ。換言すれば、個々の事象がどの程度に人間の本質を暗示するかを明らかにする。

 この解意法は二つに分かれる。その一は目的解意といい、個々の心理事象に対して、それが人間の自己保存、自己発達のための活動にどれだけ役立っているかという意味を考える。第二は、象徴解意といい、心的事象が自己に、どのくらい自己を反映しているかという象徴的意味を解意する。

 

153 人格学的心理学は、他の全体観的心理学のように従来の方法を偏狭に排撃しない。過去に使用された全ての方法を抱擁して用いる。この方法を探求方法といい、それは人格学的心理学を解意法と相まってその体系を組織する。

 

 

第四節 了解心理学

 

一、了解心理学の誕生

 

 了解心理学は、ディルタイによって創められたものをシュプランガーE. Sprangerが発展したものである。一般に精神科学的心理学と呼ばれるものの一つであり、この心理学の方法が了解という特殊の認識方法によるところから了解心理学という。

 

 ディルタイは19世紀以降自然科学の隆盛に伴って自然科学的心理学が心理学の主流となるころ、ヴァイツ記述的心理学に追従し、自然科学的心理学とは異なる見地から新しい心理学を建設した。これは精神科学的心理学とも、構造心理学とも呼ばれる。了解心理学も大体同体異名である。

 しかし了解心理学はディルタイの構造心理学から発展したものであるが、(今日の了解心理学は)それと異なるところがある。

 ディルタイの心理学を直接継承する者は非常に少ない。シュプランガーの外に、テオドール・リットTheodor Litt、フリシュアイゼン・ケラーFrischeisen-Köhler、ハンス・フライエル*Hans Freyer等がいるが、心理学として実質上・内容上これを発展させ正統的に継承した者はシュプランガー(一人)である。

 

*ハンス・フライエルHans Freyer, 18871969 彼の初期の頃の生の哲学はドイツ青年運動に影響を与えた。ヒトラー運動に同調し、1933年にテンニースをドイツ社会学会から排斥したが、彼がテンニースの後継者であったためか、1934年からドイツ社会学会の活動を休止した。(英文版Wiki

 

154 ディルタイは構造心理学を立てて精神科学と認識論の基礎を求めようとした。体験に直接与えられる確実な心的関連を記載し、その間に法則性を発見しようとした。しかしそれは一つの計画であり、内容的には未だに充実していなかった。この計画の一部を継承したのが、シュプランガーであった。

 現在シュプランガーを継ぐ人としてエーリッヒ・シュテルンErich Sternがいる。

 

W. Stern 131とは別人のようだ。

 

 

二、了解心理学の主張

 

 ディルタイによって立てられた心理学の計画は大計画であった。ディルタイは心理学を一般的部門特殊部門とに分け、その一般的部門において、第一に術語を定め、第二に心的関連の記述分析として、構造関連発達関連習得関連を説き、特殊部門として知的関連衝動及び感情生活の関連意志行為の関連を説いたが、シュプランガーはこの特殊部門に関する部分には全く触れないで、一般部門について研究を進めた。

シュプランガーの見解では知情意の三作用は全体の構造に関係させてみないと意義がないとし、心的生活を(全体)構造として見る見地を徹底した。

 シュプランガーはディルタイの心理学の一般的部門の三つの関連(構造、発達、習得)を継承発展させたが、シュプランガーが基本的見地とするのは、構造、了解、発達、個性的類型の四つの見地である。

 以下その四つの見地について(ディルタイと関連させながら)述べる。

 

一、構造

 

155 ディルタイは構造を次のように定義した。「生活個体はその住んでいる環境に制約され、またこれに向かって反応することからその内的状態に分枝が生じる。これを心的生活の構造という。」即ち生活個体が外界と交渉する所から起こる心の状態及び作用における分枝であり、心的生活が外界順応の目的生活を営むところから生ずる統一ある組織である。

 ディルタイのこの考え方は経験的であり具体的であり生物学的色彩を強く帯びている。而して構造の中心をなすものは衝動や感情であり、これが知的作用と意志作用とを結んでいると説く。これは主観的方面から考えられているもので、ディルタイはこの構造関連が体験に直接与えられているという。構造関連は体験を内省すれば、そこに内的に知覚されるという。またディルタイは構造を意識の流れのある瞬間を切断した断面の組織のように見て、知情意の組織関係と見る。

 

 しかるにこれらの考え方は形式的であるが、これを内容的に深くしたのがシュプランガーである。シュプランガーは構造を次のように定義する。

 

「価値実現に向けられている生活形態を広義に構造という。また精神的心的構造とは価値の諸方向に向かって分枝した完結した一個の体験性向及び行績性向であり、体験できる価値統一との関係の中に、即ち精神的自我の中に、中心点を持つ。」

 

 即ちシュプランガーによれば、心的構造の全体は主観に体験されない。各個主体は身体的にも心的にも自ら完結しない存在であり、他人及び一般客観界と複雑に入り込んだ関連をなす構造を持つと見る。

 シュプランガーによれば構造は主観に意識されず、客観的超個人的関連を含むところの心的組織である、と客観的方面から広く考えている。またディルタイが構造を意識の切断面における組成と考えるのに対して、シュプランガーはそれ(構造)を価値に向かう心の性向的組織と考え、知情意の代わりに各種価値作用の組織関係と見る。

 

 このようにディルタイの思想における萌芽がシュプランガーにおいていたるところで発展したと見るべきである。

 

 

二、了解

 

156 ディルタイは了解の概念を説明と対立させる。ディルタイは精神科学自然科学と対立させ、精神科学は了解する学であり、自然科学は説明する学であるとする。この了解とは外部から感覚的に与えられる符号から内的なものを認識する過程である。このように了解は符号から心的関係を捉える過程であるから、そこに全体と部分との関係が存在する。全体は個々のものから了解されなければならない。そして了解は同時的・依存的に進むので、個々と全体とは、一方が了解された後に他方が了解されるのではない。即ち了解は理論上は完全とはなり得ない。なぜならば、全は無限に拡大するからである。要するにディルタイにおける了解は他(者)の心的生活を模写して自己の体験にある心的関連をこれに類似させることである。

 

 このディルタイの了解の概念をシュプランガーが発展させた。シュプランガーは了解は体験と異なり、各個人の主体に現れる体験を大きな客観的意義関連の中に編入してその体験の意義を明らかにすることである。即ち了解は客観と主観との関係を結び、心的なもの精神的なものによって意義づけることである。要するにシュプランガーにあっては了解は構造を捉えることである。

 

 了解はどのようにして成り立つのかについて、ディルタイはこれを人間の同質(性)に求めたが、シュプランガーはそれを一歩進めて心的生活を支配する法則性に求めた。その法則性は主観を支配するだけでなく、超個人的精神的関連としての文化価値の世界も支配していると考える。主観と文化全体とは同一の価値の法則性に支配される。

 

157 シュプランガーは了解を認識作用とみる。ディルタイは了解を情意的に見るのに対して、シュプランガーは理論的に見る。シュプランガーはディルタイの主観的体験の了解を客観的意義の了解へと拡大する。

 

三、発達

 

 構造は前述のように心の切断面の内的組織、換言すれば横の関連(広がり)であるが、発達は時間的方向の関連、即ち縦の方向である。ディルタイは発達概念について、この現象が起こるためになければならないものとして、構造関連、目的性、生活価値の増進、分枝分化、性格の生成、創造過程等を数えている。そして以上の要素が具備すれば、その生分(各個主体)は発達するとする。

 次に発達現象の特徴として、(ディルタイは)自発的変化、継続的進行、生命価値を増進する合目的関連等を挙げている。

 

 シュプランガーはただ(ディルタイの)この発達概念を整理しただけである。シュプランガーは発達現象の特徴として次の事項を挙げている。

 

一、発達は各個主体の内部及び外界の両方面の要素の相互影響によって生ずる変化系列であるが、その変化の方向決定は主としてその主体の内的素質に帰せられる

二、発達は開展する。即ち主体の統一と同自性(同一性)とを保持ししつつ諸作用が多様に分枝する。

三、発達は終極状態において価値向上を来す等である。

 

 

四、個性的類型

 

 了解心理学においては個性の問題は特に重要である。それは個人間で心が皆異なることが心の了解に対して困難だからである。そこでディルタイは個性の研究に努力を傾注したが、それは創見に富んでいる。

 

158 ディルタイによれば個性の問題は個性だけから分かるものではなく、個性は一般性あるいは普遍性に照らしてのみ説明できる。個性を考察しこれを表現する方法は、一般的なものを知って特殊性を明らかにすることによる。即ち普遍性の認識があって初めて特殊性の認識が可能である。

 ディルタイは個性を見るに際して、一部の心理学者が見るように生得的のものとは見ない。個性は発達の中にその結果として生成する

 個性が存立する要件は二つに帰着する。その第一は、全ての人間は同一の「質的決定」を持ち、全く他が持たないような特殊の質的性質は存在しない。個人間に存在するものは「量的決定」とその「結合関係」だけである。これが普通に考えられるような「性質の相違」である。

次に個性存立の第二の要件は、結合形式は或る法則に支配され、量的関係の可能及び組み合わせ(の全て)は実際には決して起こらない。即ち諸性質間の結合は無限に可能ではない。或る性質と或る性質とは同一の人格中には決して併存することができない(場合がある)。しかしよく同一人が事情に応じて異なる性質を表すことがある。これは一見矛盾のようだが、深い所に統一的結合関係が存在する

 そこで個性を了解することは、どんな性質が他のどんな性質と結合できるのか、結合しなければならないのか、また、どんな性質が相互に排斥し合うものかについて判断することにあり、この間の法則性を明らかにすることが人間観察、芸術的表現、歴史的叙述等に欠くことができないものとなる。

 

 次に個性は複雑多様な性能を持つものだが、これを研究する上で必要なものは類型である。

 類型とは種々様々な個性の変異の中で繰り返される或る根本形式である。即ち多くの特徴や部分や機能が法則的に結合されたものが類型である。そこで個人の或るいくつかの特徴を知ることによってこれに類型の概念を適用し、その個性の全性質の認識を容易にすることができる。

 

159 以上がディルタイの個性観及び類型の概念である。シュプランガーはこれを発展させ、その心理学の中核にした。

 シュプランガーは個性観において全くディルタイを継承しているが、これを発展したところを求めれば、ディルタイの個性観の形式的自然的見地から内容的価値的見地へ考察の方向を進めたことである。シュプランガーはその構造観の結論として、生活型として理論人、芸術人、経済人、宗教人、政治人、社会人などの個性類型を定め、これを人間生活の価値関連の内容を基礎とする個性類型とした。

 類型についてもシュプランガーはディルタイを継承したが、シュプランガーの独自性は、特に彼が観念的類型経験的類型とに分けたことである。観念的類型とは純粋に現れた場合であり、理想的に仮構したものであり、経験には適しない類型である。而して後者(経験的類型)は経験上現れる多数の事実から帰納し平均した類型である。彼はこれを用いて個性考察を進めたが、ディルタイの類型が自然的経験的であるのに対して論理的理念的である。

 

 

第五節 構成的心理学

 

一、構成的心理学の誕生

 

160 古代から中世を経て近世の初頭に至るまで心理学は哲学の一分科であった。デカルトが物心二元の哲学を論じて以来、二つの傾向、即ち哲学的心理学経験的心理学が発達したが、ブントに至り、漸く心理学が哲学から独立した。

 

 自然科学の発達によって実験的観察法が精神現象に応用されるようになり、それまでの知的心理学の欠陥と感情心理学への不満とから、意志作用が精神現象中の根本的作用であるという考え方が、実験的結果から(ブントによって)立証されたのである。

 

 ブントの言う意志作用は全く我々の直接経験に現れるところの心的過程であり、不可知的な意志の存在を仮定するのでも、哲学的心理学で考えられたような実体的存在でもない。

 

 ブントによれば意志作用は、それを分析してみると、その中にあらゆる心意過程が含まれている。即ち(意志作用は)他の種々な要素的過程の結合の結果であり、意志過程の中には全ての心意過程が代表されている。また心的過程はどんな方面にも流転しているが、意志道程は他の心的道程の模範である。而して前述のように精神現象は種々な要素的道程から成立しているから、無意識的に行われるのではなく、意識の働きによって生ずる。こうしてブントの意志作用は意志的心理学とも言われる。

 ブントは常に分析を研究法の主な方法とする。その結果「感覚」と「簡単感情」とを意識の要素的作用であるとし、この二要素が「連合的結合」及び「統覚的結合」の多様な複合(構成)によって意識が生起するとした。この点でブントの心理学を構成的心理学とする。

 

 

二、構成的心理学の主張

 

161 構成的心理学では精神現象と自然現象とは全く異なり、従って全く異なる法則によるとし、次の原則を立てる。即ちそれは創造的総合の原理相対的分析の原理心的対比の原理であり、これらは精神現象に特有な因果の法則であるとする。

 

一、創造的総合の原理 ブントは意識の構成要素として「感覚」と「簡単感情」とを挙げる。即ちこれらが結合して複雑な精神現象を生ずる。結合の結果、要素とは全く異なった性質を生ずる。これを創造的総合の原理という。例えば細膜*において局標*と眼球との運動感覚の複合によって新たに視覚的空間という性質が生ずる。如何なる意識現象も皆要素過程の複合から構成されている。創造的総合の原理は意識作用の特性を説明する根本原理である。

 

*細膜とは細胞かそれとも網膜か

 

二、相対的分析の原理 創造的総合の原理によって心的過程が複合して一体をなす場合、その過程は自然科学の場合と全く異なる。自然科学の場合、例えば水素と酸素とが化合して水となる時、その要素である水素と酸素とは化合の結果全くなくなるが、創造的総合の要素的過程では全一体と共に個々の要素も分離して存在している。例えば、光の感覚と眼球の運動感覚とが複合して視覚的空間表象を形成する場合、我々は空間的表象を意識するとともに光の感覚も眼球の運動も意識することができる。すなわち要素は全体から分離して存在するのではなく、各要素は互いに有機的関係を持っていて、全体と関係して初めてその意味をなす。これが相対的分析の原理である。

162 この要素を理解するのに良い例は、音楽の合奏を聞く場合である。我々は全体としての合奏の音を聞くことが出来るだけでなく、個々の音も分析して聞くことが出来る。全体の音は個々の音に影響を与え、個々の音も全体に影響し、この相互の関係によって合奏が知覚できる。

 

三、対比の原理 自然現象では相互の関係によって一つの物体がその持つ本来の強度を増すことはないが、心的現象の場合はそれがある。例えば嬉しいと思うときに不快な印象が与えられると、その不快の度合が強くなる。全ての相反する二つの心的現象は互いに影響してその強さを増す。これを対比の原理という。

 ブントは感情を三方向に分ける。即ち快と不快興奮と沈静緊張と弛緩とは相反する方向を持っている。これらの相反する感情が意識内で対立すれば、互いにその強さを増してくる。

 

 以上の三原理はブントが心的過程の生滅起伏を説明する為に立てた原理である。しかし精神は発達するものである。その発達を説明するためにブントは以上の三原理からさらに三つの法則、即ち精神成長の法則異種目的の法則反対発達の法則をつくり、この三つの法則を総称して精神発達の法則とした。

 

 以上の心的因果の原理と精神発達の法則とはブントの心理学を構成するが、その中でも根本的なものは創造的総合の原理である。他の二つの原理はこれから派生し、さらに精神発達の法則は三つの原理から出て来るものであるとした。このようにブントは分析と総合とを巧みに組織立てた。

 

 

第六節 機能心理学

 

一、機能心理学の沿革

 

163 機能心理学は米国のハーバード大学教授ゼイムスJamesに始まり、エール大学のエンゼンによって(機能心理学と)命名された。実験心理学的立場に立つ。ブントの構成心理学のような秩序整然とした論理的のものではなく、実用的見地に立つ。現実に現れる複雑な心理現象をとらえその心的現象を分析することよりも、心全体としての機能を観察記述する方に重きを置く。この心理学は産業交通、販売等の経済生活を心理的に研究し、人間の実際生活に適するように、即ち適材を選択し適材を適所に置くことに関する研究や、作業の条件に関する研究、特殊作業に関する研究等がなされる。

 ゼイムスの跡はドイツのミュンスターベルヒが継ぎ、同じ立場から実験心理学を実際生活に結び付け、あらゆる実社会の諸問題を心理学によって解決しようとした。米国の社会の要求に応じた。

 個人意識の研究方面ではゼイムスの態度はスタンレー・ホール、デューイなどの心理学となり、仏国のビネーのテストの原理にも影響を与えた。またスタンレー・ホールの個人精神の機能の発達研究は、ボールドウンに至って発生心理学という体系を作るに至った。

 

 

二、機能心理学の特徴

 

164 機能心理学の祖ゼイムスの哲学的立場は実用主義である。従ってその心理学はあくまで実用的見地から出発する。

 機能心理学は我々人間を単に一個の生物として見る。即ち人間を他の動物と異なったものではなく、一個の動物として見る。従って生物全体が外界に対する関係はどんなふうかというような点に重きを置く。

 これは生物学の研究の影響を受けたもので、近来の生物学の研究では生物の習慣とか、本能とか、知能とかなどの方面、即ち生物全体の生活状態を明らかにしようとする傾向が強くなってきたが、これに加えてダーウィンの進化論も影響して、ここに心理学が生物学の研究と結合して心全体としての機能を明らかにしようとする機能心理学が生まれた。

 故に機能心理学は意識の分析的研究などには重きを置かない。心全体としての機能や、その外界に対する順応などが主な研究主題となる。即ち順応が生物の心の働きの中の共通な現象であるから、心全体としてはどんな機能が存在しているか、種々の感覚や運動は順応の手段としてどんな作用をなすのかなどの綜合的研究を行う。

 

 機能心理学はあくまで実際的であり我々の日常の具体的経験について説き、実際生活を指導する役目を果たしている。機能心理学の特徴は以下のようにまとめる事が出来る。

 

一、機能心理学は精神現象の発展を発生的に研究する。

二、機能心理学は人間の意識だけでなく、生物全体の意識を考察する。

三、機能心理学は意識の機能を外界に対する順応の見地から考察する。

 

165 機能心理学は学問としては粗雑であり組織も整然としたものではないが、実際生活を指導する知識としての役割を完全に果たしている。

 

 

 

追記 現代の心理学について系統的にその歴史的発達を叙述できなかった。現代心理学の概観を述べ、その二つの傾向即ち自然科学的心理学と精神科学的心理学との二分野に分けて詳論すべきだったが、第一節から第四節までは精神科学的心理学を説明し、第五節・第六節はブント以来の一派の傾向を説いた。さらに精神分析学行動主義心理学に触れるべきだったが、それはかなわなかった。

 

感想 この章は筆者の意見がなく、ただ内容の紹介にとどまる。

2022年8月22日月曜日

教育修身研究『現代教育教授思潮大観』春季臨時増刊 日本教育学会 分担執筆者 平塚盆徳、生井武久、三木壽雄、宗像誠也、佐野朝男、山田彌、白井今朝晴各学士 昭和7年1932年 第二章 現代の実際教育

教育修身研究『現代教育教授思潮大観』春季臨時増刊 日本教育学会 分担執筆者 平塚盆徳、生井武久、三木壽雄、宗像誠也、佐野朝男、山田彌、白井今朝晴各学士 昭和71932 

第二章 現代の実際教育

 感想 それまでの学問的蓄積があるとはいえ、弱冠25歳くらいにして欧米の哲学や教育学の事情をここまで詳細に研究できたことに頭が下がるばかりだが、欧米の教育思潮の詳細な紹介と自らの立場・本音との間には落差があるようで、論旨がいきなり変化する場合が多い。その自らの立場・本音とは、個人や自由よりも、全体社会や国家への奉仕や寄与などを重視する傾向であるように感じられた。

 昭和7年発行の本書は、その10年後の昭和17年ころの所謂国粋主義的・国民総動員的全体主義の圧政下に発行された扇動的な書物・研究書の論調とは大いに異なり、自由に欧米の文物を採り入れつつそれを批判していたことが分かる。歴史は急変しうるのでしょうね。今の日本は大丈夫なのでしょうか。

  机上の学問を嫌うことがこの時代の哲学の流行だったようです。それまで優勢だった(新)カント派哲学に対する反感なのでしょうか。それに対して生きることとか価値観とかの言葉が多出します。理論的演繹や経験的帰納ではなく、生活や生命を重視するようなのですが、それ自体も何か観念的なにおいがしますね。それよりもアメリカのプラグマティズム、現在の生活重視の方が分かりがいいような気がします。所詮何を言っているのかよく分からないのですが。(第八節 個性教育)

 

 

第一節 郷土教育

 

一、郷土の意義

 

067 昭和1926になってから郷土教育が教育者や著書・雑誌等で盛んに取り上げられるようになったが、その意義は漠然としていて、各人各様の観がある。

 

068 金澤博士*の「辞林」によれば「郷土とは人が生まれ長じた土地を言い、ふるさとや故郷と同義である」とする。ドイツ語のハイマートHeimatもこれと同義であり、マイヤーの大辞書Meyer:Lexikonも人の誕生地Geburtsort einer Personとしている。

 

 しかし今日のように交通が発達し、生活様式が向上し、文化が発達した時代では、人は誕生地に永住しなくなり、以上の解釈では不足である。

 

 郷土教育は過去10数年間ドイツで発達した。

日本の郷土教育研究の権威小川正行*は、教育上の郷土概念を、自然的・空間的解釈と歴史的・社会的解釈とに分けた。

 

*小川正行 (1931):『郷土の本質と郷土教育』, 東洋図書 が以下のサイトに、三宅達也の論文「わが国における郷土教育の系譜に関する研究‐郷土教育連盟による活動を中心に‐」の注4)に見える。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/newgeo1952/26/4/26_4_45/_pdf/-char/ja

 

 1、自然的・空間的解釈

 

郷土は地理的・空間的・自然的存在を指し、誕生地、居住地、成長地、直観範囲の各説を含む。

 誕生地説は、現在のように交通が発達し移転や職業の自由が保証されている時代では、全ての児童が誕生地に永住するとは考えられないから不適切である。また居住地説も町村の行政区画に基く地理的範囲を指すから、同様のことが言える。

 以上は地理的区域によって郷土とするが、郷土と人との心理的関係を欠いている。

069 直観範囲説は日常児童の視界に入る範囲を郷土と言う。これはオーストリアの教育学者ウイルマンWilmannが説いたものである。ルーデLudeもこれに基づき、児童が日常的に散歩や遠足できる範囲を郷土とした。その元はヘルバルト派の観念構成説に基くところの主知主義的解釈である。これも現在のように交通が発達した時代では児童の直観範囲も拡大していて適切ではない。

 土地がどのように郷土意識を起こさせるのか、そこにどのようにして価値を見出すのかの根拠を考えるべきである。

 

 2、歴史的・社会的解釈

 

 シュプランガー、リット、フィッシャーらは、郷土意識は体験によって生じる精神的なものであり、非合理的で歴史的・社会的であると説いた。

 彼らは郷土の概念を主観的意識で説明する。郷土は一定の地域に局限されず、体験の世界と共に移動していく。自己意識と関連する地域、風物、文化が郷土の本質であるとする。

070 ハウプトマンHauptmannもその著『郷土科Heimatkunde(郷土学)の中で次のように説明する。郷土は感情と連結し、内心に深い印象を残している。それは誕生地に限らない。誕生地であっても父母、兄弟、親族などの結合がなければ密接な感情を生じない。それでもそこを郷土として感じるなら、それは自己と密接な関係のあった人々の追憶から生じる。また自己の誕生地でなくても、そこに父母、兄弟、親族、友人、知人などの最も親しい人々が永住すれば、そこが郷土となる。永続的な郷土感は、自己と最も親密な人々との関係の中だけで起こる。場所は背後にあるにすぎない。事物や場所などに特別な価値を見出し、そこが郷土であると思われるのは、かつて自分と特別な関係を持っていた故人や、現在でもその(密接な)関係を持っている郷土などと係属する意識があるから起こるのである。

 

 この関係は郷土よりも広い郷国Heimatlandにもあてはまる。郷国では民族・言語・風俗・伝説・政体・歴史などがほぼ同一であるから密接な連結が生じ、調和一致の感情が起こり、国民的関係が生じる。

 

 児童が郷土を去って移住した場合、当初は親密な友人を追憶するが、彼らと時々通信するくらいで間もなく古い郷土感を忘却する。それは自己の父母・兄弟と共に生活している間に、新たに親密な友人ができるからである。

都市の児童が熟知しているのは家の付近の市街や学校近辺だけで、土地への係属観念が欠乏している。また隣人に対しても、その宗教、道徳、風習、生活などの相違から、相互係属の念が少ない。

 

071 郷土意識は、自我と、他の多数我(多数の自我)や郷土人の社会との間に生じる精神的な体験、主観的連結の中で発展する感情である。土地や事物は中心的地位にない。

 

 

二、郷土教育の目的

 

 エルンスト・リンデE. Lindeはその著『教育問題に関する論争』の中で、郷土主義の教育を、方法としての郷土主義と目的としての郷土主義とに分けて説いている。

 

1、方法としての郷土主義 英国のベーコンBaconに始まりコメニウスComeniusに至る直観主義教育はこれに属する。それは児童の周囲にある事物であるところの郷土の事物を直観させることを重視する。

072 この方法はまず地理科で重視された。直観主義教育では児童の直観が近いものから遠くのものに進むことが有効である。先ず教室や学校付近から始め、部落、地方、県方面へと範囲を拡大する。直観主義の原理は郷土教育の方法として有効であり、郷土の自然と文化に関する知識を児童に会得させ、直観を練り、観念を豊富にする。

 しかしこの方法は、郷土の煩瑣で無用な事実を列挙してそれを児童に理解させ、雑多な教材で児童を悩ます恐れがあるのだが、ヘルバルト派的教育者はそのような郷土主義を採用しても無理のないことだとし、心理的に児童を考えた時、それは当然であると考える。

 

2、目的としての郷土主義 教育の目的として郷土の生活を愛護・理解させる。リンデによれば、18世紀ドイツの汎愛主派教育はこれに属する。ザルツマンの教育のように、実際生活に堪能な市民をつくることを目的とした教育は、自然と社会生活に親しみ、それに同情することを強調し、児童は自ずと郷土を愛し祖国を愛するようになるとする。

 

 最近の十数年、直観主義郷土教育よりも郷土的情緒を養成する郷土主義が強くなってきた。事実的主知主義に偏重せず、児童に郷土の社会を理解させ、自らその一員となる自覚を持たせ、「郷土的情緒」を養成し、「国民的社会感情」の豊富な人格を養成するようになった。

075 郷土の自然に関する知識は、郷土の社会を「価値的に理解する」ための材料となるべきである。

 郷土の自然と共に郷土の文物、風土、歴史を理解し、「郷土的情操」を養成すべきである。そしてそれを拡大すれば国民的感情となる。郷土教育は国民的・社会的教育と通じなければならない

 児童が社会に奉仕しそれを発展させようとする「郷土的情操」つまり「発展的郷土愛」を養成することが郷土教育である。

 

感想 筆者は方法的郷土教育ではなく目的的郷土教育を採用したいのでしょうね。つまり国民国家教育(目的)としての郷土教育を推奨したいのだろう。

 

三、郷土教育の実際

 

 郷土教育の現状は混沌としている。郷土教育の理論は建設途上にある。

 

 郷土教育の「本場」はドイツであるが、ドイツでは郷土教育は国民教育の基本とされるほど勢力を拡大した。1920年の全国教育者会議は「すべての学校は郷土学校でなければならない」と決議し、その席上ウエスネルVesnerが報告し、郷土学校の根本特質として次の六点を指摘した。

 

074 (一)郷土学校は陶冶目的として郷土の理解、郷土への信念を追求する。精神と情緒に郷土愛が向けられなければならない。郷土的陶冶材は従来の学校から摂取されるべきである。

(二)郷土的教材は学校の教科課程の中に配列されるべきである。地理的、歴史的、理科的、社会的な郷土誌、地誌、伝説、方言などは従来より一層顧慮されるべきである。郷土教授は教授の基礎原理、教科目とならなければならない。

(三)郷土学校は新学校の教授技術に対して、最も善く最も有効な手段を与える。つまり自由教授、学校遠足、学校園教授、観察、創造的作業教授などである。郷土学校と作業学校とは融合しなければならない。学校新建設に対する国家の立法の基礎と将来の指示の中に、郷土学校の観念がなければならない。すべての学校に特設郷土科が置かれる必要がある。すべての教授法と学習法は第一に郷土的に作成されるべきである。

(四)成人教育機関も郷土教育を行わねばならない。

(五)教員養成は郷土の上に立脚して行われなければならない。

(六)あらゆる郷土教育的施設を統制する最高機関が設置されなければならない。

 

そして最後に「郷土を育み、郷土を成長させることは政治的にも意味と効果を持つ。郷土への確固たる信念はドイツ国への新しい愛を齎す。」「今後はあらゆる学校、小学校も職業学校も中等学校も、郷土学校でなければならない。」と結ぶ。

 

 今のドイツでは祖国ドイツを郷土とする郷土観が中心観念を構成し、郷土教育は国民教育の根本であり、「全ドイツ小学校教員会」が「郷土教育は国民教育の出発点であり、中心点であり、帰趨(帰結)点でなければならない」と決議するまでになった。

 

075 第一次世界大戦後の(ドイツにおける)祖国愛護の運動もこのような主張を促したに違いないが、郷土主義の教育をよく見れば、「正しい」発展を辿るためには必然この点にたどり着かねばならないと私は考える。

 

 我が国(日本)における郷土教育も国民教育に辿る社会的教育学でなければならないと私は思う。

 「偏狭でない郷土愛」は当然「深正な祖国愛」に拡充する。実際に郷土主義(教育)を担当する教員はここまで見通しをつけて当たらねばならない。

 

 低学年では児童中心の合科教授の形式を取り、上級学年では祖国を中心とする国民教育の形式を取り、内容は狭い郷土に限らず、自由にすべきである。

 

 「ドイツ全国郷土学校連盟」が宣言するように「郷土は学科であり原理であり、手段であり目的であり、方法であり理念である」という主張は正しい。

 

 小川氏*の言うように、尋常一年から四年までは直観主義・労作主義の原理に基づき、国語科を中心として他の教科の教材も郷土化し、第五学年以上では国語科以外に国史、地理、理科を中心として、他の教科でも、郷土的材料を比較・連結しながら教授し、郷土の現実生活を理解し、郷土のために努力しようとする意志の養成に努めなければならない。この点で郷土教育は生活教育であるべきであり、併せて公民教育、人格教育であることも期さなければならない。

 

四、結語

 

076 今日本の郷土教育の中には生き生きと躍動しているものもあり、郷土愛の情操が養われている。ただし注意すべき点がある。小さな郷土愛を植え付けたり、排他的な信念を養成したり、郷土のものでも「教育的に無価値なもの」を児童の前に「羅列」して理解を混乱させることは禁物である。(具体的にどういうことを指しているのか)

 

感想 何のことはない、結局は民族・国家教育の推奨だ。

 

 

第二節 労作教育

 

一、労作の意義

 

077 労作教育は最近重視されている。「労作」はドイツ語のArbeitの訳であるが、この語の訳語は労作の外に、勤労、作業、作為などが与えられている。Arbeitの語源は「人に使用されている者がなす仕事」ということで、肉体的労働を意味しているが、労作教育での「労作」は肉体労働に限らず、経済的目的を中心としたものではない。「労作」の意味や目的は各国で異なり、多様である。

 

二、労作教育の起源

 

 教育は人間を対象とするから、それが実践に基礎を置き、現実性を重視するのは当然である。コメニウス、ロック、ルソー、汎愛派の人々は活動を重視した。ペスタロッチの教育説は系統的ではなかったが、今日のドイツの労作教育は彼に源流を発している。そのことを、ケルシェンシュタイナーが1908112日のペスタロッチ記念祭での講演「ペスタロッチの精神における将来の学校即ち労作教育」で明らかにした。

欧米諸国とくにドイツでは世界大戦後、労作教育は公民教育と共に発展した。労作教育は近世の社会経済的変遷に影響されて力を得た。教育は現実の社会で価値ある生活を送ることのできる能力を与えるという目的義務があるから実践的でなければならない。ところが古代ギリシャでは教育は市民にだけ限られていて、その目的は調和的教養であり、教育は身体的装飾と考えられていて、実際生活に目的を置いていなかった。この傾向は最近まで力があり、主知的教育を与えるだけで学校の能事(なすべきこと)は終わると考えていたが、今日ではこの考え方は許されない。教育は知的方面を無視することはできないが、その知は力であり活動でなければならない。新しい歴史を持つ北米合衆国では実用主義が主張されているが、それは当然の帰結である。「学習学校から労作学校へ」という旗幟を掲げて進むのが現今の欧米諸国に見られる教育思潮である。

078 労作教育が最近強調されるようになった理由は社会経済的変遷である。第一に18世紀の産業革命の影響である。産業革命以前は、生産活動は機械ではなく手先により、家庭で一家の者が一団となって共に働き、子供は父母の傍らで自然に仕事を体得できたが、機械文明の時代になり、作業は複雑となり、模倣や見習いによっては機械を運転できなくなり、高等の学問や技術を要した。産業革命以前では子供は作業に関与することで自己を社会の一成員と考えたが、産業革命後は社会事情が変遷した結果、家庭が破壊され、子供は、労働に出かける父や更には両親から遠ざけられ、孤独の生活を送らなければならなくなり、共同社会という観念が薄らいだ。そこで子供を社会的に活動できる人間に作り上げるために、公民としての観念を与えるとともに、技術的知識を組織的に与える必要が生じた。最近の機械工業の発展の結果、経済的に脅かされてきた従来の手工業的労働者は、子どもを労働に従事させようとし、さらに産業文明に貢献するために、実科と技術的教育が教育上重要な地位を占めるようになった。

079 第二に欧米諸国で最近義務教育制度が実施されるようになった結果、多数の労働者の子弟に有用な教育を与えるためにどういう手段を取るべきかが一大問題となり、その帰結は、実際的社会を対象とする教育であった。

 第三に新興科学の影響である。最近の驚嘆すべき自然科学の発展とともに、精神科学、社会科学、文化科学が著しく発展した。人間と社会との関係が問題視され、部分から全体性へと視点が移り、共同社会に基く教育が重視されるようになった。共同社会で活動することから活動主義や実行主義が強調され、主知主義から主意主義に転じる機運が生じた。

 

 労作教育思潮は19世紀後半の歴史的・社会的・経済的事情によって生まれたものではなく、その起源は遠く遡るが、労作教育が国民教育の中で重要な要素を構成するという考え方は、19世紀後半の以上の事情から生じた。

 

三、労作教育論

 

080 ペスタロッチ1746-1827は現今の労作教育思想を開拓した人と言える。彼は不言実行の人であり、「行動のためには言語を要しない。自分でできることはただ実行するだけだ。」と言った。彼の満身の教育愛と実行主義は当時の社会状態に起因する。当時は社会変革の時代であった。近世の啓蒙思想の影響を受け、学問的・政治的・社会的に自覚しようとする時代であった。当時の経済的変遷は現今の社会情勢を構成する原動力であった。

ペスタロッチの教育小説『リーンハルとゲルトルード』は、現実の悲惨な社会に生きる人間に対する愛の結晶である。彼は国民を疲弊困憊・無知蒙昧から救うために、自助・独立への教育を叫び、「自助の力は各自の中に発見でき、他物の中には存在しない」とした。彼は実行を重んじた。彼は抽象性を軽んじ、具体性・現実性を重視した。彼は「空虚の頭の学問を自分の仕事以上に重視してはならない。自分の活動の中から自分の学問を見出さなければならない」とし、勤労から遠ざかる書物中心の教育を非難し、勤労は教育の中枢となった。ペスタロッチは「実践的学問としての立場から教育を見ると、教育は子弟の実生活を構成するために適したものである」とし、学校を社会と考え、「この(学校の)中で子供は自分の属する社会環境から影響されつつ自らの個人的力を発展させ、人類という大社会のために教育されなければならない。」「人間は動植物のような単なる衝動で活動するものではなく、感情と意志を持つ。各人には素質がある。すべての素質は、発展しようとする自己活動の力である。この力は外部から付与できない。」「人間教育は人間の内部からの進化であり、自己発展である。教育者には園庭の役割しかない。教育の任務は人間の内在的力を「純正な人知」にまで啓発することであり、児童を「完全な人間性」に導くことである。」とした。

以上のペスタロッチの思想はルソー1712-1778の自然主義の教育説と相通じ、この(ルソーの)思想からペスタロッチの実行主義が生み出された。ペスタロッチは人間の四肢と感官の啓発を技術教育の物理的方面とし、思考力と判断力の啓発を心理的方面とする。この技術教育は、自己の内部の力を表出し、外部に効果を発揮し、家庭生活や市民生活に必要な技術を養う。ペスタロッチの教授法は直観を重視し、勤労は直観を完全にする手段である。

 ペスタロッチはその労作教育思想を体系的学説にまではまとめなかった。ケルシェンシュタイナーがペスタロッチの思想を発展させ、それがドイツの労作教育思想となった。第一次世界大戦後のドイツ共和国は、191981日の新憲法第148条第3項で、労作教育公民教育と共に学校の義務的教科に編入した。この条文は当時選出された多数の社会民主党議員が提出したものである。しかしこの条文は翌年1920年のドイツ教育会議でその意味が不明瞭であると指摘された。この会議の議題は、統一学校、労作教授、教師、生徒、両親、学校系統の統一、公立学校の設備、私立学校と公立学校との関係の8項目であった。

 

082 労作教育の泰斗(たいと、権威)ケルシェンシュタイナーの考える労作教育は、公民教育と密接な関係がある。彼は公民教育の目的を実現する学校は労作学校でなければならないとするが、彼の最初の出発点は(学校教育の)目的を実際的技術的活動とし、ペスタロッチ記念祭での講演「ペスタロッチの精神における将来の学校即ち労作学校」で、学習学校から労作学校への転向を示した。

しかしさらに彼は著書『労作学校の概念』の中で、両者(労作教育と公民教育)の関係を述べている。「現今の学校が国家の存続と発展を目的とする以上、学校の教育目的は国家の目的と一致しなければならぬ。国家は道徳的共同体としての国家であるべきであり、国民は国家の目的に奉仕することを最高の満足・価値とすべきである。学校は国家の目的とする国民の安寧・保護並びに人道国家の建設に貢献するよう第二の国民(若者)を教育しなければならない。このような使命を持つ学校が労作学校である。」「学校の任務は(一)職業的教育とその準備、(二)職業教育の「倫理化」、(三)共同体の倫理化とし、第一の任務を果たすためには小学校に実際的な仕事を取り入れ、第二、第三の任務を果たすためには小学校は「作業社会の原理」によって組織されなければならない。このように児童生徒を実際的作業や共同作業を通じて教育する学校が労作学校である。」とする。

 彼は職業教育と人間陶冶に関して「理想的人間に達するには有用な人間でなければならない。有用な人間とは国民の労働としての自己の労働を認識し、これを行う意志と力を持つ人間である。こうしてのみ国民は自己の人間としての価値を知ることができる。職業教育は人間教育の出発点である。職業教育の最も重要な手段は生産的労働である。職業教育と普通教育との対立は生産的労働によって取り除ける。」「学校の作業室は生徒の活動の工場となるべきであり、作業室と教室との間に新しく獲得した知識を活用する上での密接な関係がなければならない。」

 

 ケルシェンシュタイナーは、学校で最も必要なものは豊富な手工作業場であり、こうして労作学校は職業教育に役立つとする。彼は学校を作業共同団体とし、この作業共同団体で生活することによって児童は共同の任務を感じ、社会生活を学校内に導入することができ、ここに公民教育の基礎を建造できると考えている。

 

083 スイスのザイデル(1850-1933R. Seidel*)の労作教育 ザイデルは手工教授を労作教授とするのは誤解であるとし、労作教授を三つに分ける。つまり(一)手工を目的とするもの、(二)手先の熟練の一般的陶冶を目的とし、労作教授と理論的教授との連結を図るもの、(三)調和的人間陶冶のための不可欠の手段の三つである。そしてザイデルは(三)を正当のものとして強調する。調和的人間陶冶は、国民全体を教育して、肉体的には健康で美しく、技術的・芸術的には活動的で、精神的には自主独立的で、社会的・国家的には有用で、道徳的には善良な人間にすることを意味するとする。そして彼は「人間は単なる精神的な存在物ではなく、身体的存在物であり、意志し、活動し、創造する働きを持っている。ところが従来の学校は児童の活動性を押さえつけて注入的・強制的教育を行い、実際的活動への身体の陶冶は閑却され、価値ある実際的・技術的な素質と能力が消滅されている。そして全体の教授は実際生活との関係を持たず、寧ろこれから遠ざかっている。この弊害を矯正するためには学校が労作教授による他にない」とした。ペスタロッチが直観は全ての認識の絶対的基礎であるというが、ザイデルはこれに反対し、創造的勤労が認識の最上手段であるとする。「労作は直観を包含するが、直観は労作を包含しないからである。直観は教育の最高原理ではなく、学習の中心は教育的労作である。これは教育上の原則であり、新社会組織の基礎であるべきすべての教育法則の精神である。その新社会とは共同活動の社会であり、各人の連帯責任の社会でなくてはならない。」このように彼の論は社会教育学的基礎の上に立つ。彼は「教育と教授は社会的・政治的事情と密接に関係し、この両者の表現が、教育であり教授である」とし、また産業革命前後の児童と労作との関係から、「現代のすべての児童は教育的勤労をなすべきであり、このような教育は国家社会の重要な問題である」とする。彼は労作教育の社会的作用道徳化と同一視する。「行動のみが品性を陶冶することができ、品性は行動においてのみ現れる。労作教育によって怠惰を防ぐことができるとともに、勤労を知り、愛し、尊ぶようになる結果、勤労する人間の社会上の価値を了解することができる。こうして完全な共同社会生活を送るようになり、健全な社会を構成し、国民全体の道徳を良好にすることができる」とする。(資本家には都合のいい考え方だ。)

 

*ソースは、寺沢幸恭「ドイツ・ワイマール共和国における『Arbeitsunterricht』(労作授業)―全国学校会議(1920年)での論議を中心に―」 そのサイトは下記の通り。

https://shotoku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=501&item_no=1&attribute_id=21&file_no=1

 

084 ガウデイヒはケルシェンシュタイナーの労作学校論に反対した。ガウデイヒはケルシェンシュタイナーのように国家概念や公民教育から労作教育思想を導き出すことに反対し、自己活動の原理による人間陶冶の学校を労作学校であるとした。「国家の学校は単に有用な公民を教育すべきではなく、あらゆる生活領域に生きる人格を陶冶すべきである。公民生活は人格的生活の一領域であり、公民教育は人格陶冶に従属すべきである」(賛成)彼は人格教育学の基礎の上に立って労作教育を主張する。

 

 この他労作教育論を説く人は多い。古い労作学校論の主張者は大戦後、一般教育学における「学習原論的傾向」に進んだ。また他方に多くの新しい労作学校論の分派が現れた。パウル、エストライヒが率いる「決定的学校改造者同盟」は「生産学校へ」という旗幟を掲げて、非伝統的、生産活動的、創造的教育を強調している。一方、ハンブルグには共同社会学校があり、ドクトルライの行動学校があり、ヘルマンやリーツの田園家塾学校があるが、いずれも労作学校の性質がある。さらに生産学校論としてロシアのブロンスキーの社会主義的工業主義の生産学校があり、「左翼的」労作学校論を代表する。北米合衆国で実用主義を主張するジョン・デューイの活動は労作学校である。デューイは著書「明日の学校」の中で自論を展開した。

 

 

四、結語

 

085 労作教育の「特性」

 

 一、教育は実際的社会を対象としているから、「抽象」や「空想」に走ってはならない。労作教育は実生活を対象とし、具体性や現実性を重視する。(同語反復)

 二、(労作教育は)児童の天性である活動性を束縛せず、自由にその力を発揮させる結果、他動的でない自己活性・自己独立性を開発する。こうして児童は自己を意識する。

 三、(労作教育によって)児童は自己を社会の一員と認め、共同社会生活を意識するようになる。ケルシェンシュタイナーが労作教育を公民教育に関係させたのは正当であった。労作教育は国家公民(を育てる)教育的価値を持つ。(児童は)健全な理想社会を構成しようとする力を持つ。

 四、(労作教育によって)児童は全体的共同社会の中での「正しい」成員として生活しようとする意志が生ずるとともに、勤労によって強固な忍耐力を持ち、勤勉の気風を養うようになる。つまり(労作教育は)人格的陶冶に貢献する。社会と個人とを分離して考えることはできないから、労作教育が「健全な」共同社会の建設を目標とする以上、それは必然的に個人的人格を向上させなければならない。この両者(公民としての自覚と人格陶冶)は一にして二ではない。前述のケルシェンシュタイナーとガウデイヒとの論争は問題とならなくなる。(それはどうか)

086 五、労作教育は個性的教育価値を持つ。労作は身体的方面だけを意味すべきでなく、精神的方面も考えなくてはならない。労作によって児童は初めて心身の両方面に自己の個性を十分に発揚することが「許される。」(意味不明)

 六、労作は「作用」だけでなく内容に関係する。つまり体験である。体験は単に生活ではない。体験は内容を必要とする。労作の対象となる内容は文化内容である。児童は労作教育における自己活動を通して対象に働きかける際に文化内容を体得する。ここに文化価値が認識され、文化や社会の意義を明らかにし、その結果社会に対して「有意義の」活動をなすようになる。

 

 以上の通り、労作教育は個人的陶冶手段となるだけでなく「社会的陶冶手段」として重要な役割を果たすが、短所は以下の通りである。

 一、実際的活動に走りすぎ、精神的方面が看過され、「調和的人間陶冶」を破り、「高い」精神財や文化財が、作業のために顧みられなくなる。

 二、遊戯的活動に走り、作業の意味を忘れる。

 三、主観的活動に走るため、「文化の客観化」を無視し、「価値内容」を看過する。

 四、「仕事の統一性」が失われやすい。児童が統一のない部分的作業を行う場合、得るものは断片的であり、「全体を貫く生きた意義」を認知できない。全体性を把握して初めて社会の文化内容を体得でき、調和ある人間陶冶を果たすことができる。

 

 以上の短所を捨てて長所を大いに発揚し、労作教育の目的を果たさなくてはならない。

 

 

第三節 公民教育

 

一、公民教育の沿革

 

087 公民教育とは「共同生活を理解させ、共存共栄に対して各自の持つ連帯責任を完成させるための適当な態度を養成することである。つまり国民としての心得を教えることである。」公民教育は近世*の教育思潮である。つまり公民教育は18世紀以来の社会組織の変革と政治問題の改新の産物である。古代ギリシャやローマにおいても教育と国民生活とは密接な関係を持っていたが、ギリシャの自由市民教育は、公民教育とも考えられるが、その中心点は市民的政治というより修辞学や弁論などの修養が重視され、厳密の意味の公民教育ではない。

 

*ここで「近世」は産業革命を指していると思われる。広辞苑によれば、近世は広義には近代を含む。狭義の近世は日本史では(安土・桃山時代と)江戸時代を指し、近代は明治維新から敗戦までを指す。西洋史では近世はルネサンスから絶対王政期を指す。一般に近代は封建社会後の資本主義時代を言う。

 

 中世における教育は公民教育とかけ離れていた。その時代の中心思潮は出世間的、遁世的、スコラ的であった。エラスムスの学校教育観は、文学と道徳と宗教が中心で、脱俗的理想で貫かれていた。

 17世紀末から国家による教育に対する権力が増大し、中世的考え方から離脱した。政治は一部特権階級の手から民衆一般(ブルジョワジー)の手に移り、公民教育(被抑圧労働者教育)が問題となった。

 公民教育論を最初に唱えたのはジョン・ロック1632-1704だった。ロックは「市民及び普通法」Civil and Common Lawを児童に授けられるべき教授科目とした。

088 公民科が学校教育で独立の学科としての地位を得たのはフランスがはじめである。それはフランス革命に淵源する。1792年、コンドルセの教育草案に修身科公民科が特設され、1882年以後それは小学校の必修科目となった。政治権力を新たに得た「一般」市民(ブルジョワジー)は「市民」としての、つまり自覚した「国民」(プロレタリアート)としての修養を必要とした。以前の貴族特権階級が負った責任を新興ブルジョワジー階級が担うことになった。

 現在では公民教育はアメリカとドイツで重要視されており、日本でも改正中学校令によって公民教育の価値が認められるようになった。

 

二、日米独における公民教育

 

(一)アメリカ アメリカで公民教育が「最も盛んに」叫ばれるが、その理由はアメリカの歴史が浅く、多民族国家(合衆国)であるからである。最初の頃の清教徒から後のイタリアあたりの「食いつめ者」に至る迄、その思想、感情、風習はかけ離れ、言語が不統一であった。そこで夙に1859年、全国教育協会National Teachers’ Associationにおいて、ダニエル・リードは普通教育の一部に「政治」が必要であることを説き、1869年、同協会は各学校が「市民的教養」に留意し、そのためには歴史科でアメリカの「政治組織」(現体制)の教育を徹底すると決議した。

089 やがて小学校でも政治教育が必要であると言われたが、普及はしなかった。1890年の調査によれば、全国の小学校の6分の1、中学校の3分の1が法制について教えていた。この調査に当たった「全国教育(協)会の十人委員会」は、中学校に公民科を配当し、歴史と関連づけて教えるべきだと決議した。そして1899年、「米国歴史協会の七人委員会」は、中学校の最終学年で米国史と合わせて公民科を置くこと、そして両者(歴史と公民)を分離する(すべき)ことを決議した。

 第一次世界大戦はこの点に関してアメリカ人(ブルジョワジー)に大いなる覚醒を与えた。アメリカが意外にも不統一であることが、参戦に際して親英仏対親独両派の抗争が生じて、暴露された。それ以来米国では「社会連帯」の観念を生徒に与えて「米国魂」を養うことを目標とする公民教育が「識者」によって唱導され、1917年、中等教育改造委員会は七つの「中等教育の根本原理」を掲げ、そのなかでも第一に「公民としての資格」を掲げた。爾後「米化運動」は盛んになり、建国当初の物語を背景とした映画が沢山つくられたが、そのことは我々の記憶の新たなるところである。アメリカでは学科課程が州ごとに異なり、同一州内でも場所によって学科課程を自由に変更できるが、アメリカが中等教育で公民教育を重視していることは確かだ。

 

(二)ドイツ ドイツの公民教育は二つに大別できるようだ。大戦前の旧帝国におけるものと、大戦後の新憲法が生んだものとである。19世紀の初め、ナポレオンの侵略を受けたドイツで、フィヒテやヤーンによって無自覚ながら公民的教育が行われた。ドイツは19世紀中頃の普仏戦争1870.7.19-1871.5.10に勝利し、国民的自覚が促された。1872年、デルフェルトが「社会科」つまり公民科を小学校に施すべきことを主張したが、それは1880年代まで顧みられなかった。

090 (ヨーロッパでは)1880年代に社会民主主義運動が勃興し、ドイツはその新しい社会形態へ方向を転じた。ウイルヘルム二世はそれを弾圧したが、大戦後に社会民主主義運動は最後の勝利を得た。ウイルヘルム二世の弾圧は間接的に公民教育を刺激した。ウイルヘルム二世は1889年、社会民主党が不合理であると学校で教えるように命じ、1890年、そのための細則を作った。

 1908年の新高等女学校令がドイツで最初に公民教育を学科課程の中に採用した。1909年、「ドイツ国民公民教育会」が設立され、これは後に「公民教育会」と改称した。

 

 ドイツで本格的に公民教育運動が起こったのは大戦後である。1919年の新憲法第148条は「公民科及び勤労教授*は学校の教授要目である」と規定し、1920年、「ドイツ全国教育会議」は小学校上級と中等学校のそれに相当する学級で、12時間、独立教科目として公民教育を行うべきだと決議した。

 

*労作教育081

 

 19227月、ドイツ内務省は各地方の文部大臣を招集して公民教育に関する会議を開き、公民教育の大綱を決定した。それによると、(以下は吉田熊次博士の訳による)

 

「一、旧来の歴史教科書は君主国体のために少年を教育する傾向を持っていたが、今後はそれを改め、共和国民としての責任意識を覚醒し教養しなければならぬ。教科書はこの見地より検定されるべきである。

091 二、ドイツ国憲法第148条による公民的教授をまだ施行していないところでは、凡ての学校に具体的にこれを取り入れるべきである。その教科書は教育行政の協力によって編纂すべきである。

三、種々なる学校の教案で第一項の傾向(君主的傾向)がある場合は、それを公民教育の新しい任務に適合させるべきである。

四、教員養成機関の教案を改造し、適当な公民教育の教員を養成すべきである。

五、教育行政家、歴史家、国法家、教育家からなる委員会をドイツ国内務省内に設け、教科書と教便物などの改造と製作に当たらせる必要がある。」

 

そして次のように政党政治との関係を明示し、両者の分離主義を取っている。

 

「政党政治的意味において生徒に何らかの影響を与えることは公民教育の精神と一致しない。一般に政党政治を学校から分離することは自明の事柄である。故に学校の公民的任務に矛盾するような意見を持つ団体に生徒が加入することは許されない。(政治活動の禁止)故に学校行政では生徒の団体生活に深甚な注意を払い、特にこの種の団体を阻止するために適当な措置を講ずることに務めるべきである。

学校の構造、教室の装飾、儀式の仕方等も、新しい国家の要求を顧慮してなさるべきである。

学校は幼年者を、現下の祖国の困難、政治的分裂、経済的窮迫から精神的に脱却させ、彼らをドイツ文化の高い伝統の基礎の上に、公共社会に対する責任と奉仕とを本とする共和国の理想にまで導かねばならない。これらの任務を果たすために、学校は各階級の国民の督励と同情を必要とする。特に財政上の持続的援助を必要とする。」

 

(三)日本 日本の公民教育も政治組織の活用(政治による民衆への干渉と支配)に重点を置いている。「長い封建制度」の後での、英国に倣った議会政治の採用は、今に至って民衆の政治的・経済的無自覚のために危機に達している。(優越意識)

 我国(日本)の公民教育の目的も、議会政治の正しい運用に向けた訓練を与えることである。(尊大)中央の議会政治や地方の自治行政におけるこれまでの多くの「弊害」は、その訓練が欠けていたことから起こった。今や普通選挙が行われ、婦人参政権が論議されているとき、中学校や高等女学校で公民科を必須としたのは「当然」である。「我々」は小学校の上級でも、公民「修養」を与えるべきであると思う。小学校時代では直接彼らが公民的社会に接することがなく、経験に乏しいから、独立の学科として公民科を設けないことには理由があるが、国語、歴史、地理その他の教科と関連して公民的予備知識を与えることは、奨励すべきである。

 

 改正中等学校令施行規則第六条は「公民科は国民の政治生活、経済生活、並びに社会生活を全うするに足る知識を涵養し、特に遵法の精神共存共栄の本義とを会得せしめ、公共のために奉仕し、協同して事に当たる気風を養い、善良な立憲政治の民たる素地を育成することを要旨とする。」(威張り腐った表現だ。)「公民科は憲政自治の本義を明らかにし、日常生活に適切な統制上、経済上、並びに社会上の事項を授けるべきである」(民衆は統制の対象である)

 

 これは民衆に「帝国臣民たる自覚」を与え、社会公民として立つことのできる素地を授けるものである。それは「公民的認識を通じて、公民的意志公民的感情を涵養するもの」である。

 

公民科と修身科とは密接な関係がある。フランスやスイスでは両者が一つになっているが、日本は別にしている。昭和619311月の訓令は次のように述べている。

 

「従来の法制経済は、その教授が概して法制と経済の専門的知識を授けることに傾いていて、実際生活に嫌ありし(区別されていたこと)に鑑み、今回これを廃し、新たに公民科を設けて、立憲政治の国民として必要な教養を与えることにした。公民科では法制上、経済上、社会上のことに関してその事実的な説明をし、道義に帰結させることを旨とする。修身、国語、歴史、地理、実業などの諸学科目と(公民科とを)連絡し裨補し(ひほ、補い合っ)てそ(公民科)の教授の効果を全うすることを期すべきである。また訓練と相まって公民的徳操の涵養に努めるべきなり。修身と公民科とを独立の学科目としたが、両学科目は極めて密接な関係があるから、修身を兼ね修めてその知識の豊かな教員に公民科の教授に当たらせることは極めて望ましきことである。」

 

 これは政治生活、経済生活、社会生活に関する知識を道徳に帰するもので、公民教育は従来の単なる法制・経済に関して教える*のではなく、修身と不可分の関係でなされるべきであるという。実に公民科は道徳心、「社会心」を通じてなされるべきものであり、むしろ修身科の中に政治・経済の生活を顧みる態度でなければならない。(それは極論)

 

*フランスの最初のころの教則はこの型に入るべきものであった。各国ともこの弊害に陥っていた。そこに「真の共同生活」のための責任感情が起こらなかったことは明らかである。

 

三、公民教育の意義

 

 公民教育に関する著書は少ない。主としてドイツで公民教育が論じられているが、その代表的人物として、最近115日亡くなったケルシェンシュタイナー1854.7.29-1932.1.15を想起するくらいである。ケルシェンシュタイナーは、教育は凡て公民教育でなければならないとする。彼に『公民教育の概念』という著書があるが、彼はその中で、社会的公民の養成と、公共を通じて個性を完全にすることを説いている。

ワルター・ホールマンは、ケルシェンシュタイナーの主張「体験、自己活動、共同研究及び自治」を項目とする公民教育は、中等学校の内容と無関係であり、適用しにくい手段であると主張している。

ドイツにおける公民教育の問題は、それ(公民教育)が現在の国家と無関係に取り扱われるべきか、それとも現在の国家を土台として取り扱われるべきか、ということである。これは(ドイツ)国家の問題だけでなく、各国の公民教育一般の問題である。ドイツにおける最初の憲法(第148条第8項)は、公民教育は具体的な問題に触れず、形式的に与えるべきであると暗示しているようだが、1923年のラテナウの暗殺事件*後、公民教育の「具体化」(現実の国家と関係を持って公民教育を行う)が主張され始めた。シュプランガーは政治の実際から出発して政治の理想を養成すべきであるとしている。私は超党派的で寛容の態度を取るべきだと思う。

 

*ラテナウ ヴァルター・ラーテナウ1867.9.29-1922.6.24はドイツのユダヤ系実業家、作家。多国籍企業電機メーカーAEG会長。キリスト教へ改宗しなかった。ワイマール共和国初期に外相を務め、ソビエト連邦とラパッロ条約を締結したが、極右テロ組織コンスルのメンバーに暗殺された。暗殺の首謀者エルヴィン・ケルンは「ラーテナウの血は永久に隔てられるべきであるのに、もはや和解不能なまでに隔てなければならない」と述べた。(エルンスト・フォン・ザロモン、小説『つまはじき』1929。レオン・ポリアコフ『反ユダヤ主義の歴史第4巻 自殺に向かうヨーロッパp.437-8

 

公民教育は「国家」社会を構成する各人の国家社会の共同生活に対する理解と責任感を生み、「共存共栄」しようとする新しい教育思潮である。我が国で「健全な」公民教育が行われれば、一、政治を「浄化」し、資本家の横暴を反省させ、「感激性に富んだ青年」(自分は25歳でも青年ではないのか。青年とは「マルクス主義に浮かれた青二才」と言う意味か。)に対して「有害な刺激」を取り除き、二、青年自身に社会生活に関して一層深い知見を与え、彼らの思想を「健全に」導くことができるだろう。今4月から高等女学校でもそれ(公民教育)が実施されることは、将来の婦人参政の上で「大いなる素地」を作り上げ、ますます我が国の「国体政体」のよき理解がもたらされるであろう。

 

 

第四節 職業教育

 

一、職業教育の意義

 

095 職業教育は自由(リベラル)教育や文雅教育に対して言われる。職業教育は、知識的・科学的要素を主とする法律家、医師、教師などの準備教育と、手による作業を主とする農工商業等の準備教育とに分けられる。後者は職業(ボケイショナル)教育と言われている。前者を含める時は広義であり、後者だけを意味するときは狭義である。(後者は)実業(インダストリアル)教育とも言われる。この職業教育は一般的教育段階から考えてみると、教育過程における前期段階と、選択科または特殊科における知識技能の実際的応用とからなる教育である。(このあたりは文構成が乱れていて分かりにくい)

 「形式的教育」は職業能率向上の予備的手段として創設された。最初の系統的教授は、僧侶や武士と複雑な職業(プロフェッション)のための学校内で行われた。これらの学校への入学特権がそれらの職業に限られない俗人や貴族階級の人々にまで広められるに及び、自由教育が起こった。つまり教育が非職業(ノンプロフェッション)的階級までに広められるに伴い、教科課程は一般文化的に変容した。この自由教育も少数階級社会の職業のための教育であり、こうして一切の教育は職業的になった。オックスフォード大学やパリ大学も元来は職業学校であったが、文芸復興時代に自由化された。

以上は広義の職業教育=専門教育であるが、ここでの職業教育は産業革命以後の生産的職業のためのものである。これまでの教育は階級的基礎の上に立ち、この方面(職業教育)は徒弟見習あるいは自然のままに放任されていた。宗教改革・人文主義の運動、(ブルジョワ)民主主義的政治革命、産業革命などの三大社会運動に影響された近世教育には、教育機会の特殊階級から一般民衆への普及、教育目的の理想的・「装飾的」教養から実用への推移、一般民衆の「需要」に適応する教材の追加、教育の国家管理・強制、義務教育制の五大傾向が見られる。こうして現実社会生活上の活動を一層能率的・適宜的に遂行させることを教育の一般目的とするようになった。これが職業教育の目的である。

 

096 生活の能率向上を目指して意識的に努力することは近代文明の要素である。それは経済的、政治的、社会的、文化的理想や一般政策の形式をとって現れる。能率は見識、準備、専門的熟練を要する。能率促進の主動因は勤労の分化(文化)と科学の発達であった。勤労の効果は、科学と専門的技術との、知識と技能との、理論と実際との結合に依存し、それは教育と密接に関連する。特殊な勤労の能率は組織的熟練や専門的技能によるが、その基本は教育訓練である。そ(教育訓練)の性質は実務、徒弟、見習などの非形式的機関によるとしても、学校課程に取り入れられた形式的機関によるとしても、いずれも教育的である。ここに能率向上のために教育や学校は重要な道具となった。そして要求されたものが専門教育であり、産業主義が教育的機会の民衆化や実生活の要求に基づく教育と結合し、職業教育の近代的運動が起こった。

 

 現代民主主義的社会では従来、職業が社会にとって重視され、そのために人々を教育して実務につかせることが社会の「職分」とされ、それが一切の人々に広められるべきだと主張されてきた結果、生産的職業が学校教育を要求する段階に達した。

 各職業の社会的重要性が異なるから、(職業準備のために必要なものの)量や種類に関して、同一の準備を要しない。高級職業のような知能を要することの少ない職業の作業能率のために公費的教育が要求されるようになった。これが職業教育の民衆化である。

 

 社会生活における経済的要因は重大である。この経済的要因の関係で教育は社会生活能率に対する重大な役割を持つ。経済では消費と生産との均衡が重要な要因であり、収入を聡明に消費する(特殊的)訓練と、収入を得る訓練とを均等に並行して行う必要がある。これは生活能率向上のための教育が期待されるところである。この経済的生産力の社会福祉における重要性を認めて職業教育は行われる。(おせっかい。貧乏人は倹約してつましく生活せよということか。)

 

二、職業教育が基づく原理

 

097 先ず社会学的原理として次の四つがある。

 

(一)文化の興起進歩は経済的基礎の上に立ち、高い文化は物質的裕福の雰囲気の中でだけ繫栄する。文明は豊饒なナイル、チグリス、ユーフラテス川の渓谷に起った。これらの地方では生活必要物が簡単に入手でき、それに基づいた必要以上の努力や先見が、経済的生産の余剰を齎した。これが原因となって、交易や新たな欲求、物質の製作へと進み、知識の発達を刺激し、生活標準を高め、有閑階級つまり生存闘争から自由な者が生じ、この有閑階級はその時間や労力の一部を文化的性質の非職業的追及に当て、ここに文化は階級的趣味として発達した。文化の向上はこの経済的富裕の雰囲気の中で進んだ。この物質的基礎は文化の発展を導き、刺激する。天才(が生まれる要因)は、経済的機会に依存することと、閑暇が文化発展の刺激となるという二つの要素にある。

 

(二)文化的好機運の基礎である経済的裕福や生活標準は、職業的能率を普遍化することによって最もよく発展する。先の第一原理(一)が認められる以上、経済的生産を刺激する一切の手段は、文化の動力である。生産物が人の生活面を決定し、生活面は文化的可能性を示唆し文化状態を示す。富は自然的資源に加えられた産業生産物であり、自然的資源を創造できない以上、生産力向上の手段は、聡明な労働の促進による他にない。これは全職業能率の改善を意味する。歴史的に見ても、経済的進歩が職業上の強調に向かったことを示している。原始的生活では作業は不熟練だったが、文明が進み、量にも種類にも経済的生産力の複雑化が要求され、これがひいては職業の分業化となり、個人は自己の最善を尽くすことのできる労働に労力を限定することができた。この分業は現今でもますます進展し、経済的企業の組織が協同的であることによって職業能率が増し、人類の勤労の全形式は、職業状態(分業)に帰せられる経済的支配に適合されつつある。人類福祉を発展させる基本的問題は、労働者の人間性を失わせることなくその専門的労働を普及することである。(労働者の人間性が失われていたことを示唆する表現である。)

 

098 (三)職業的能率の普遍化促進は、科学的職業指導案による適当な職業の配置と、全階級に普及する聡明な職業教育組織との手段による。厳密に階級づけられた社会では、個人はその作業に運命づけられるが、複雑な社会では職業の決定は困難である。民主主義と生活能率という両衝動の下では、職業選択は比較的自由であるが、実際的には義務強制的である。つまり社会経済状態に無頓着(無関係)に(職業選択を)やる。人が職業に適当しないことの経済的浪費と個人的不幸が、科学的大規模(調査)事業で明白にされ、個人の職業に対する嗜好・性能を生産秩序の中で発見しようとする手段が要求され、施行された。これが学校教育に影響し、職業指導と職業的課程の分化が相互依存的とされ、職業的能率を普遍化する一切の構成的方案(方法)の基礎とされねばならなくなった。産業界や経済的社会団体でこの職業選定と職業教育が十分注目されない以上、学校が早くから科学的に(この職業選択問題に)対さねば(取り組まねば)ならない問題となる。

 

(四)職業的能率は、遂行される労働の「社会奉仕性」によって究極に達する。効果的職業教育は無用有害な職業を確実に防止し経済的理想主義を養成するための最も効果的手段に基く。各職業は社会的側面を持つ。有用な職業に従事する個人は、自分のためではなく、「我々が」伝承する堆積した資本的物質のために、また産業化された社会における諸生産的企業の相互依立(依存)のために、社会の総計的収入を増す経済的余剰を創造する。有害無用の職業の労働は、労力を生産的企業から有害な職業へ自転させ(変質させ)、構成的労働者に行く(もたらされる)べき収入を簒奪し、生産力を害する。経済的能率の向上は、つまり職業上の「原規」モーレス*は、破壊的職業を許さず、社会の尊厳に基本的である一般道徳が職業的道徳を包含するようにしなければならない。

 

mores 成員が無意識的、自動的に守っている慣習に社会福祉的価値観が付け加わると「習律」(モーレス)となる。情緒的で道徳的な行動標準。W.G.サムナーの用語。

 

099 (五)この職業道徳の養成は、若年から始めることによってしか完成することができず、それは教育の一主要機能とされねばならない。それは民衆的公立学校を職業化する過程によって一般化される。能率的奉仕を(民衆に)与える(させる)ための社会的職務は既に専門教育に見られる。近年生産的職業人の社会的責任感が増大したが、この方面の職業教育は、その職業的道徳を改良するための直接的道程(手段)である。これは(一)「職業上の理想」と「勤労の標準(義務・規範)」は、職業教育の機能的副産物として自然に強調され、結果する(生ずる)。(二)「勤労の標準」はその代償(民衆が汗水たらして苦労するということか)を払い、作業を管理する民衆によって設立されるために、その作業のための公立学校を準備するときは、民衆は要求を「絶対的に」することができる。この二つの理由から「職業道徳」と「勤労標準」を向上するための方案(方策)は、個人に効果的奉仕をさせるための教育の一つであるだけでなく、すべての人々が処理する(行う)各人の熟達してかつ熱心な勤労を評価し、(かつそれを国家が)要求することをすべての人々に教えることになる。

 

 以上五つの原理は社会学的なものであるが、これによって職業教育を基礎づけ、そのあるべき姿を示唆した。次に心理学的考察をする。

 

 教育は児童の精神発達に適応しなければならない。児童の自然的活動、強烈な興味と衝動には人類の実際的興味や産業活動が再現されている。

嬰児はともかく、幼児期は反射衝動と遊戯の時代となり、製作本能はまだ十分には現れないが、簡単な細工物の組成や破壊に興味を持ち、紙や砂などで穴居時代の人類のような模倣をする。全活動が所動的(受動的)であることは、人類が自然力に服すことに比較される。

少年期では社交心や集団心が発達し、戦闘的・家庭的遊戯を愛し、工作工夫の本能が玩具に現れる。これは狩猟期での獣類との争闘や武器の工夫に熱中した時代に比較される。動植物を採集・飼育し池を作って耕作を喜ぶことは農耕時代に比較される。また私有財産制度が生じたように所有欲が発達し、他物を侵害しないで尊重する。また商業的遊戯も見られる。

青年期では、自己観念が強くなり、利害の打算、企画を好み、遊戯を実用・組織化する。これは文明期に比較される。そして生涯の職業とそれに対する知能を熾烈に要求する。

以上のとおり、精神発達と動作は生産進化の跡をたどる。表現が本能的だから内的要求は強い。この児童の自働的経験を通して勤労や手工的生産活動から(教育を)進めれば、教育の効果が上るだろう。児童の創作性、生産性、社会性などのためにも職業教育が必要である。

 

100 教育は個性(知能)に適応しなければならない。社会生活上の(職業)能率は、先天的要素である個人差と後天的要素である境遇との一致から得られる。職業活動の要因としての知能にその職業の成功可能度がある。職業には適宜的知能の限界範囲があり、それ以上あるいは以下の知能では成功の蓋然性がない。職業知能に一定水準がある。(尊大、エリート主義むき出し)これ(職業知能)に各人の知能の個人差が合致されて職業的能率が向上する。

 

 児童期の興味と成人期の職業とに相関がある。児童期の興味は成人期でも継続し、両者は類似する。児童期における強い興味は成人期の主要興味を予示し、(将来の)職業目的を次第に発展させる基礎となる。教科課程は、児童の現実当面の生活や興味と、実社会における活動者としての将来の生活との二方面に関係する。児童が現実的生活活動に対して持つ一般的興味から将来の職業を予知し、その知能に適する職業を選定するためには、個性に適する教育としての職業指導・職業教育が必要である。それが生活能率向上のための教育である。(能力主義、実用主義)

 

三、現時職業教育運動の性質

 

 以上の通り職業教育案は、社会生活の能率を向上させるために、経済的能率を増進させようとすることを基礎とし、従来特権階級に限られていた専門教育の利益を一般民衆と生産的職業に及ぼそうとするものである。物質的福祉と文化の進歩とは密接に関係しているから、この職業教育は理想主義的文化教育と背反しない。職業教育は児童の個性、知能、興味を閑却せず、その上に立とうとする。将来一般民衆教育の全面に(職業教育が)普及することを期待する。

 

四、学校における職業教育

 

 教育が学校の機能だけによらぬことは当然であり、その他の社会的団体、主に経済的社会団体の教育機能も考えなければならない。そしてそれは学校の職業教育の姿を決定するだろう。

 家庭は職業教育の機会を失い、各個人は経済生活に適応しておらず(家庭内の各個人が生産的経済の主体ではないということか)、児童が各種の職業と直接接触する機会がなくなった社会関係と、諸経済的団体が従来のような徒弟見習制度を採らなくなったことの結果、学校が職業教育の必須機関として委託された。職業教育の欠如が犯罪や貧困の原因となる現実や、職業上の失敗や失業などの事実や、近代経済生活の発展が経済的団体の専門分化の傾向を強めることなどは、個性に適応した職業配置と高度の職業教育を要求する。

学校における職業教育の五つの原理 

(一)近代文明の進歩と仕事の雑多化は、経済的活動と社会的活動のための長期の教育を必要とする。

(二)文明の進歩によって経済的活動の種類や量が増加し、学校はそれら全てに必要な準備教育をなさねばならない。

(三)産業界や経済的団体は、加入する(就労する)不熟練者の職業教育をしないから、学校が社会的・経済的生活のために必要な教育を委託されている。

(四)学校は「学的結論」に基づき、個人や社会にとって有益で無害であるために、各人を選定(選別)して教育することのできる考案や施設を行わなければならない。

(五)職業の条件(就職すること)が可能にする生活標準(水準)の向上は、職業従事への直接的刺激となる。

 

102 現今の徒弟養成が従来のものとは異なることについては前述したが、現今の徒弟養成が(学校での)職業教育と異なる点を考えることによって、学校における職業教育の姿が明らかになる。現今の徒弟養成は単に生産的技術技能のためのものであり、特殊的職業の中の実地練習の機能であり、それは作業状態の下においてだけ与えられる。従ってそのようなものは学校の課程の中には入れられない。学校での職業教育は特殊的技能の発達ではなく、主に見習徒弟の年期を短縮し、究極的熟練を促進させるような、特殊的知識や一般的・基本的技能を与えて、(児童生徒が)経済的生活に入るのを手伝うためのものである。

 

 中学校での職業教育の具体的目的は以下の三項に示される。

(一)現代文明の中の経済問題を理解させ、一般的経済知識、つまり「職業体制の中の事実問題」、資本と労働との関係、産業の民主主義的管理、課税、投資などに関することを熟知させる。

(二)「職業指導組織と選択科との初歩的分化」を通して、職業の決定や選択の助けとなる職業の分野を熟知させ、その準備のための初歩的発出(教育)をする。

(三)実験的実習、つまり製作品店(展)、家事実習室、語学会、学校出版物の中の「文学的実験作業」、実地教授などにより、相当な具体的実験を行い、それを通じて(生徒の)職業的技能を測定し、発達させる。

 以上の目的や、その下で学校課程のどの部分で職業教育を与えるかについて意見の一致はないが、職業教育の段階は次の三つに分けられる。

(一)普通教育と小中学校での職業予備教育、

(二)職業入門期における職業選定、

(三)職業、専門教育、実際の職業生活における職業教育。

(一)と(二)の間の合理的契合が職業指導である。

 

感想 産業や資本に人間労働者を合理的に無駄なく適合させ、いかに国家の生産力を高めるべきかということだけに目が向いているようだ。

 

 職業教育の実際 

 

 小学校 生活のための一般普通教育の初学的知識を軽視して職業教育だけをすることは「許されない。」生活のための教育は、生計のための教育よりも基本的であり、その「得な」知識によって間接的に(職業的知識を)接受(摂取)し、経済的社会団体で活動できる能力が得られる。その方法は、

(一)学科課程の増加 実際実業に直接関係ある学科や職業選定・実業活動に役立つ知識などを与える。なお、「家庭科学」と一般基本的技能のために、手工訓練を重視しなければならない。

(二)学科課程内容の変更 各学科で初歩教育の目的に沿って、文化的・職業的教育の目的に役立つ教材を加える。

(三)学習期間の延長 職業指導(教育)のために一日の在学時、開校日数、在学年数の延長を行う。

 

感想 課程の増加とか時間の延長とか、誰でも考え付くことであり、話題がすごく陳腐になってきた。

 

 中学校 中学校では小学校以上のことが要求される。職業的学科の増設と学科内容の変更は小学校と同様であるが、経済的団体との連絡協働が強調される。ゲーリ学校*のように学理・文化的方面は学校で、職業的実習は工場等で行う。職業関係方面の視察調査や見学等は有力な手段である。

 

 高等専門学校・大学 小学校や中学校は職業予備の職業教育であるが、以下に述べることは、職業の専門分化が可能な(できる)職業教育である。生産的職業の外に高級な職業(プロフェッション)の方面が主であり、専門教育である。

 

 実業学校・職業学校 これは実業教育であり、職業教育である。学術上の中間階級(段階)の立場を以て(であるから)、工業、商業、農業、商船、水産などの方面での理論の実際化、理論と実際との結合の役割を果たし、技能教育が目的とされる。しかし生活の職業的方面を強調するあまり、他の教育的価値を閑却してはならぬ。

 

 実業補習教育 これは従来の徒弟教育に代わろうとするものであり、義務教育が終わって実業生活に入った青少年を教育し、その職業の知識・技能の熟達を計り、その統導(指導)者としての徳性を涵養することが目的である。このために、実業補習教育は職業中心であるべきであり、普遍的に各種の職業人に渡るべきであり、各個人に適応すべきであり、道徳(的)であるべきである。

 

(一)実業補習教育は、職業事実の探求と職業に精通した教員の教授によって実現される。

(二)強制的・義務的にするかどうかという問題がある。

(三)職業学校・学科目が「分科的」である必要がある。

(四)職業と徳性との合一を計るという問題がある。

 

五、学校以外における職業教育

 

104 学校教育は組織的、基礎的、階級的(差別的)であるが、(学校)経営上教科等が一般的であり、生徒は年齢や境遇などによって制限され、その期間は一年のうちの一部分にすぎない。従って、生涯有能・有徳な職業人を教育するためには、学校教育の不備を補う学校以外の職業教育の役割が重大になってくる。

 そ(学校以外の職業教育)の特色は実地的、特殊的、末梢的である。その職業教育は以下の四つの場面に分類される。

(一)家庭における職業教育の機能や使命と可能の程度、

(二)職業実際界、諸経済的団体内での職業教育の効果とその方法、

以上二つは職業個々についての特殊的修練においてその価値がある。

 

(三)軍隊における職業教育は、学校教育に類似する。

(四)職業に関する書籍、新聞、雑誌、刊行物、講演、映画、図書館、博物館、ラジオなどが「指導行政」的方法としてある。

 

 以上の(一)(二)(三)は場所による区別であるとともに、自ずから職業人の成長発達に応じ、(四)は職業や(だけでなく)一般文化に渡って指導的使命をもつ社会教育的設備であり、一生を通じて職業と職業人全部に必要な施設である。

 

 

第五節 芸術教育

 

一、芸術教育運動の沿革

 

105 芸術教育運動は19世紀における教育改良運動の一つである。その原因は18世紀末のフランス革命前後における文明状態に求められる。革命以前では芸術は民衆との結合はなかったが、上流社会の保護によって発達していた。そしてフランス革命という急激で力強い社会改造が行われ、芸術と民衆との関係がなくなり、趣味が堕落した。また産業革命は手工業を圧迫して経済上の大変動を引き起こし、民衆は生存の不安を感じた。そして機械工業の時代に入ると、資本家が跋扈し、民衆は社会上労働階級を構成し、工場では機械のように単調無味に日常の作業に従事し、自宅に帰ると兵営のような生活を営み、次第に荒んでいった。

 

 思想的方面ではカントの哲学以来、科学的思索が次第に普及し、科学上においては歴史主義が各方面に浸透してこれ(科学)を支配した。純理論的思索が、「経験を基礎とする対象的思索」を駆逐し、民衆は死んだ文字に集中し、書物によって得られた知識は大勢の信仰者を見出した。

 このような主知的な傾向は教育の方面にも現れた。あらゆる種類の学校で、また学校内のあらゆる段階で主知主義的傾向が強まり、当時存在した唯一の学校は(主知主義的な)「学習学校」だった。学校は全力を教授に傾倒し、「教育する学校」は実現しなかった。「知識は力である」ということは、当時の全ての学校の信条であり、学校におけるすべての時間は印刷された言葉、書かれた言葉、話された言葉の研究に費やされた。このような知的で批判的な世相では「文化の総合的・情緒的方面」は等閑に付された。

 

 この情勢の中から機械的で無趣味・殺風景な国民生活を改善し、その不安を除こうとする努力が現れた。

106 これに大きな力があったのは普仏戦争によるドイツの大勝であった。この勝利はドイツの新時期を画し、ドイツの国民的自負心はこれからおこったようだ。数百年来の混乱と苦痛を経た後の外部的・政治的統一によってドイツ国民が「内的精神的統一」を得る土壌ができた。この国家的意識は生存に対する喜びと未来に対する希望の念を高め、国外の勢力に対抗して国内的価値を(民衆に)与えなければならないという義務的感情を生じ、それが国民の全ての階級に普及した。このような内的努力は、芸術的方面に害毒を及ぼした19世紀の文化現象に向かった。大工業組織の悪影響、国民全体の分裂、主知主義などに反抗し、個人の調和と平和を求めるようになった。ランブレヒト*によれば、19世紀の80年代から精神生活は合理的な特に科学的なものから離れて想像的になり、先ず歴史主義に対して、次に自然科学に対して、戦いを挑んだ。この時代には、知力を偏重する文化から脱し、肉体や精神の全能力の調和的発達に向かい、長い間軽視されてきた感情生活が高められた。その意図の具体的な表現の始まりをギュヨー*に、次いでラングベーン*に認めることができる。ラングベーンはその著『教育者としてのレンブラント』の中で、従来のドイツ精神生活の明星でありすべてのものの上に立っていた科学を批判し弾劾・非難した。この書物は感情主義的で主観主義的であった。その中にまとまった教育論はないが、よく時弊を達観して文化の新方向を予言し、理性主義の教育に対する不満を大胆に述べ、思想史的に教育史的に意義があった。これは芸術教育の予言者でもあった。

 

 この思想を芸術教育論にまで高めた先駆者は、コンラード・ランゲ*とアルフレッド・リヒトワルク*である。

107 実際的な芸術教育運動の動機は、1851年にロンドンで開催された第一回世界博覧会であった。この博覧会で手工と工芸芸術の革命後における退歩・衰頽が識者によって認められた。そして直接これに刺激されてイギリスやドイツなどで種々の芸術擁護運動が起こり、1901年、ランゲやリヒトワルクなどが中心となって第一回芸術教育大会が開かれた。こうして教育でも児童の天賦の芸術的萌芽を啓培することを期待した芸術教育運動が起こった。

 このように芸術教育は講談教育者が発見したものでも、教授論者の実験によるものでも、二三の人たちの着想によるものでもない。この運動は必然的・有機的に発生した文化問題である。ウオールガスト*はその点を次のように述べている。「我々は今日美的影響によって教育を補おうと叫んでいる。その動機は「形式的教育学」の考察から生まれたものではなく、歴史的発達の事実から生まれたのである。段々増加してきた余暇の時間で芸術を享受できるという意識と、国民の間に教化の分裂があることは不幸であるという意識という二つの社会意識が、今日の芸術教育思想とその試みに原動力を与えた。」

 

二、芸術教育の意義

 

108 ドレスデンでの芸術教育大会の出席者の間でも芸術教育の目的に関する意見は様々であるが、(一)鑑賞力の陶冶、(二)創造力の発揚という二つの見解が認められる。前者は「芸術への教育」であり、後者は「芸術による教育」である。

 

「芸術への教育」 この論は児童の美的鑑賞力を目覚まし発達させて美的鑑賞を可能にさせる教育を説く。その代表的論者はランゲである。ランゲ曰く「芸術はその本質から考えると、自由なもの、遊戯的なもの、感情的なものである。だから芸術に関する教授は、自由で感情的性質を帯びるべきである。衒学的教育や外的訓練によって児童を芸術にまで教育することはできない。これに反して喜びと愛を以て初めて芸術にまで教育できる。実際に芸術を創作することは困難な仕事であり、額に汗して初めて可能なことである。しかし芸術の観照は第一に享楽である。従って芸術的観照までの教育も第一に享楽でなければならない。」このように「美的享楽力」を陶冶することを芸術教育の第一の目的とする見解は、多くの芸術教育論者の間で一致した見解であるという。リヒトワルクもランゲとほぼ同様な主張と思われる。

 

 ラインイツチナーは芸術教育が品性陶冶の手段でもあるという。イツチナーは「芸術教育は他の教育と同様に、人格、特に芸術的人格を陶冶する」と言い、芸術教育の任務は児童に「芸術的性質」を与えることであり、次いで次第に、児童の中に眠っている創作に対する性向を目覚まし、それを鼓舞することであるとする。

 

109 美的享楽を主とする教育は、それが主として受動的であることから、偏狭で弱弱しい審美主義に陥る危険があると主張する論者に対してシュルマールゾーは、美的享楽の中に含まれる固有の活動的要素を強調した。彼は「芸術品の正しい観察は、我々の内的模作に依存し、観察する主観の中に、出来上がった作品を再生する過程は、やがて我々にその作品を体験させる」とし、自己観察の上から立論した。

 

 実際教授の際に、読本教材に文学的要素を豊富に挿入して国文学に対する愛好心を起こさせ、韻文取扱法を改良して徒に字句の穿鑿に没頭せず、精神を玩味して詩的暗示を受けさせようとするように、学校建築、庭園の修飾、教室の装飾などによって審美的鑑賞を進めることは、美的享受によって情的陶冶を行おうとするものである。

 

「芸術による教育」 これを主張する論者は、「非創造的であった19世紀の文化に対して、新しい生活と新しい教育は『汝の生活は行動であるべし』と要求する。創造的活動、芸術的活動に対する欲動は各人に天賦のものである。従って新しい教育はこの創造的素質を自覚させ、強めるべきである。我々の生活において創造以上に高尚で誇りとすべきものはない。芸術的性質は先ず『芸術への教育』によって養われるが、それは単に自己独特のものを生み出すための土台を作り、眠っている創造的性向を呼び起こすに過ぎない。従って我々の創造力の解放は「芸術による教育」によって初めて可能となる」と言う。

 

 ドレスナーは「芸術への教育」による審美主義の危険を力説し、「芸術教育は生活そのものが享楽の対象となり、芸術作品となるようにすべきである。そうすると生活そのものが享楽であり、喜びであり、美であり、幸福である。ここに芸術品に対する理解も自然に生じる」とする。

110 さらにドレスナーは、人間は芸術家として生まれたと考え、しかも児童ほど完全な芸術家はいないと言う。「経験によってなんら制限されていない(児童の)想像は、成人が発見することのできない美の可能性と形成の可能性を発見し、これを美しい現実に変化させる。すべての創造性、凡ての純な芸術性は、児童の心に根ざしている。それゆえ我々がこの児童の性質を保存して発展させなければ、我々は創造的人間性という目的に到達できない。本来創造者として芸術家として作られた我々が、その想像が衰え、その創造力が委縮していることに気づくとき、まず第一に教育がその責に任じなければならない。」「芸術の本来の任務は、芸術品を教授に利用することではなく、形成する力として、創造する力として、教授の全体を支配し、教育の全体に徹底することである」という。

 

 ザルイルクはドレスナーと少し異なる。ザルイルクの言う「芸術による教育」は、必ずしも創造力とか創造的人格とかに限られず、完全な人間を目的とする。その点で新人文主義に近い。彼は完全な人間を作り出すために芸術が貢献できるあらゆることを取り入れようとする。

 

 科学的研究の下においてではなく、感情の陶冶、高尚な暇つぶしの道具、社交の手段などとして行われた芸術教育は古い歴史を持つ。古代ギリシャのムジークや日本の文学、特に詩歌が教化の要素として採用されたが、これも芸術教育である。しかし今日の芸術教育がそれらの芸術教育と異なるところは、創造主義にある。「芸術への教育」を説く人々がただ鑑賞や享楽だけを力説するにしても、この創造の概念に反対はしない。この点で「芸術による教育」の方が新しい芸術教育としての面目を備え、研究されるべき問題もより多く存在すると考える。

 

三、児童教育上における創造

 

111 既にみたように、芸術教育は理論的研究の結果唱導されたものではなく、実際上の必要が生ぜしめた運動であった。そのため芸術教育論は漠然としていて多義である。そしてこれを児童教育の見地から見るだけでなく、広く社会教育も含めて考えることができるが、そうなると対象となる問題も多くなるので、ここでは児童教育上の芸術教育における創造の問題についてだけ考えてみる。

 

 熱心な芸術教育の主張者は常に児童は芸術家であると言い、児童は創造的であると称える。創造は想像の発表である。児童が芸術的、創造的であるということは、その想像が優れていることを示す。

 芸術教育の目的は、創造力・想像力の開発・発展である。

 

しかし児童の想像力は真の想像力か。芸術教育によって我々は児童に想像力を与えられるのか。

児童は大人と比較して空想的であると言われ、その事実は認めるべきであるが、この児童の空想が想像の豊富を示すと考えるのは、心理的に問題がある。

児童が空想的であるとされる理由とは何か。児童の世界は遊戯的で単純である。遊戯的だから余裕が多く、単純だから彼らを拘束する外物的事情が少ない。彼らは必要によって制限・局限されない。従って児童の空想は空想としてそのまま発表され、このことが児童の発表に大人が及ばない芸術的色彩を帯びさせる。(それはその通りではないか)

しかし、これは思いつきであり、組織・統制を経ないために奇抜であるとともに無意味(無意義)である。(その通りだが、それでは元も子もない)

112 創造は想像を必要とする。想像は創造に素材を提供し、その素材(想像)に適当な組織が与えられ、全体として有意義なものにされなければ、芸術にはならないし、科学にもならない。(何でここで科学が突然出て来るのか)想像に対して統制を与えるものが必要である。

 児童がたまたま大人を驚かすような作品を出しても、それが無意義である限り、その成功は簡単なもの以上に出ることはない。児童礼賛の眼で買いかぶられた児童も、何らの外部からの指導と干渉がなくても、統制のない空想の発表が無意義であると感じ、従来得意としていたものは投げ出されて顧みられないだろう。

 

 想像に統制を与えるものは何か。芸術の場合と科学の場合とでその原理が異なる。芸術上では配合された要素間の「感情的調和統一」が第一条件である。

 文芸がただ一時の感情の発表であり、単に部分的の美辞佳句で人を楽しませるにすぎないならば、論外である。深遠な人生観を発表する場合には、論理的統制が必要である。建築の場合は科学的方面からの補助を必要とする。

 「感情的調和統一」も単なる天賦の性質の開発だけによる芸術教育によっては目的を達せられない。

 

113 人格観念の中心に何を求めるのか。それは強固な意志か、正確な理知か、優美な情操か。それは人により、時代により、境遇により異なり、理論的に説が分かれる。

 理性的、主知的人生観を基礎とする教育説に不満を感じ、人生の理想の中に情的方面を包含すべきであるとして生じた芸術教育論は首肯すべき原理を含むが、元来人生は情一面の存在でも(それを言ったらおしまいでは)、知一面の存在でも、意一面の存在でもない。我々は一個の人格体として時々刻々の生存を続けるとともに、一生を通じて一個の統制された人生を構成しつつある。大なる人生を実現するためには、意志の努力が必要であるとともに、正しく価値内容を求めるためには、理知の作用が欠かせない。従来の理知本位の教育説や意志本位の教育説は、大人生実現に当たり、適当な教育法の一つである。しかしこれらが人性(人生)の一面である情的方面を閑却した欠点を補おうとしても、知・意の両面を忘却すべきでないことは、知・意が情を忘れてはならないのと同様である。

 

感想 論点をずらしていないか。子供の創造性を素直に認めるべきではないか。世のしがらみがないことは子供や芸術家の特権であり、だから自由奔放な作品が生まれるのではないか。権力に媚びた芸術など面白くない。組織・統制された芸術作品をこの時代は求めていたのか、この時代の芸術は戦時中の戦争宣伝画家のように、国家の制約を受けていたのだろうか。

 

 

第六節 自由教育

 

一、自由の意義

 

自由教育の思想は大正1912に入るとともに日本でも非常に隆盛を来した。(韓国併合の頃だから皮肉なものだ)「革新的気概」をもつ教育思想はすべて自由的である。自由教育の主張者はいずれも従来の干渉、画一、強制等に反対し、被教育者の自由を主張し、児童は堅苦しい監督や指導を受けることなく、自ら発展する権利を持つと「断定」している。この(自由教育の)「支持者たち」は、このような自由な発達が可能であり、自由に児童を「放任」してゆくとき(児童は)自ずと発達して立派な人格が形成され、価値ある思想を形成することができると考えているようである。(すでに批判的)

 

114 自由教育の語はリベラル・エデュケーションLiberal Education即ち人文主義的教育を意味する。

 この意味の自由教育は職業教育に対するもので、新理想主義が物質文化に対して精神文化を力説する点から言えば、新カント派からの(に由来する)自由教育にもこの概念がある。しかし広く自由主義の教育という意味にとれば、リベラル・エデュケーションにもその意味があるが、近世の人文主義にも実学主義の中にも、それ(自由教育)が力説されており、ルソー(Q Rausseau*)では特にそれが高潮され、これ(ルソー)を受け継ぐエレンケーの主張でも自由が重視されている。要するに個人を力説する主張は皆自由を重視してくる。自由教育の主張は近時の流行であるが、その内容は豊富である。

 

Q Rausseauと、Qが付き、RouRauとなっているが、Jean-Jacques Rousseauの間違いか。P. 115ではRusseauoが脱落している。

 

 近時主張されている自由教育において、自由という言葉で代表される二つの傾向がある。新カント派の哲学を基調とする学説と、生物学的・心理学的立場に立つエレンケーElen KeyやモンテッソリーMontessari女史などの学説である。いずれも児童中心教育であり、革新的である。

 

 (1)新カント派の立場に立つ自由教育 人格は自覚的・自律的であるから、自由である。自覚の力を信頼し、自由に自我を創造すること、つまり自由を自由に実現することが自由教育である。教育は自然を理性化する作用であり、理性活動の各方面であるところの認識生活、道徳生活、趣味生活、信仰生活に渡って、「人格価値の自由実現」を期さなければならない。人格価値の実現は文化であるから、教育はやがて文化価値の不断の創造であり、文化内容である真善美聖とこれを実現する技術は自由教育の中心眼目である。

 

115 ここで言う自由とは、自然が内在的統整原理としての理性に導かれること、生活主体を統御して刻々自我が自己実現してゆくことであり、無秩序無法則ではなく合法則的であり、自ずから立て、自ずから律する(自律する)ことである。無上命法*つまり知恵的自我の命ずるところに従う行動が自由であり、それによって経験的自我を統御しなければならない。

 

*カントの無上命法(定言的命令)は無条件的な至上命令である。一方、仮言的命令は、快楽や幸福などの目的のための手段を命じる。

 

このように児童に自分の理性に従って自己を決定させ、生活の各方面で自由を獲得させ、実現させることが自由教育の主張である。児童が自学し、自治し、自育するのが自由教育である。

 このように自覚・自律の連続的発展が人格価値の実現であり、人格価値の実現は文化価値を創造し、延いては社会我の実現となり、人格的教育の思潮に合流し、「人文国家主義」となる。ここに画一の弊害が打破され、教授中心・教師本位は排され、自由学習の児童本位を確立しなければならない。

 この立場においては児童の人格を尊重し、理性を重視し、理性的取り扱いを主張する。

 

 (2)生物学的・心理学的立場に立つ自由教育 この立場に立つ人々も児童中心・自由中心を主張する。ただし新カント派の自由教育と異なり、自由は、児童の個性の発達と児童の天性の自然的発展を可能にさせるとすることを中心要素と考える。彼らは従来の画一的・機械的・教師本位の教育に「反抗」し、どこまでも児童本位、自由中心を重視する。エレンケーは『児童の世紀』を著し、その中で児童の権利を主張し、児童心理学の進歩と発生心理学の研究と実験心理学の進歩とを説き、現代教育の欠陥は生理学と心理学によって解決されなければならないと主張した。モンテッソリーもこの派に属する。

 この教育上の児童本位説を主張する派の先祖とも言うべきルソー(Russeau正しくはRousseau)は、教師の全精力を一人の児童に集中し、決して他に力を分けてはならないとさえ言っている。教育が児童の発達を目的として活動する以上は、できるだけの力を児童の身体に傾注し、教師自らを児童自身の立場に置き、児童と共に作業することは、教育上もちろん大切である。フレーベルFräebel 正しくはFröbel)は児童と共に生活することをモットーとした。

 

ところが近時心理学が盛んになり、児童学や児童心理の研究から、児童の身体・精神は成熟者のそれを縮めたものではなく、特殊の構成をしていて、特別の作用を持つことが明らかになり、今まで成熟者の生理や心理から割り出して教育を施したことが誤りであることが明らかになり、この点から児童中心の教育が唱えられ、教師本位の教育に反対するようになった。哲学(新カント派)的自由主義から児童の自由を重視する傾向も幾分あるが、児童の自発的活動や発動的動向の尊重は、生理学、心理学、児童学などの上に立つべきである。

 

116 モンテッソリー女史Montessori, 1870-1952, イタリアの女医、障害児教育者)は自由教育の代表者とされるが、この立場に立って自由を主義とした教育体系を構築した。ドルトン・プランDalton Planの創始者であるパークハースト女史Helen Parkhurst, 1920は明らかにモンテッソリーの流れを汲む。

 モンテッソリーによれば、学校は児童の自由で自然的な発表を重視しなければならない。教育に自由を与えよというのは一般の要求であるが、それは科学的基礎の上に立たなければならない。自由こそ児童の個性を発達させ、児童の本性の自然な発表を可能にする。

 モンテッソリーの『児童の家』では小さなテーブルと色々な形の椅子が備えられていて、これらを児童の好むままに運ばせその上に座らせるが、これが自由の現われであり、教育の手段である。椅子を運ぶ際に種々の騒動をするが、暫くして自分で自分を一定の場所に置き、ここに自分の運動を自分で支配することを学ぶ。これに反して古い訓練の方法は児童に不動と静止を強いる。いままでの教育法はこれに類して感心できない。『児童の家』では初め、机をしまっておく柵が小さいために児童が机を入れる時に衝突させ破損させて困ったが、大工が来ないままに放置しておいた。ところがしまいには児童皆が自ら整頓してキチンと置くようになった。すべて自分で発見するまで外部は黙ってみているのが良い。外部の者の不完全さが、やがて児童に活動と巧妙を教えるのである。

117 また自由であるためには独立でなければならない。自由と独立とはつきものである。児童は自由な律動によって独立に導かれるべきである。訓練はこの自由を通じてなされるべきである。(旧来の教室での)不言と不動は決して訓練の道ではなく、却って個性を害する。活動的訓練によって児童は初めて生活の準備をすることができる。教師は常に受動的な立場にいて傍観者となる必要がある。活動や作業に向かって訓練しなければならない。

 以上の原理からすれば、この教育法は賞罰を用いない。他人への妨害などをして、言うことを聞かない子供に対して「児童の家」では先ず医者が診断し、欠陥がない場合は、部屋の隅に離して置く。隔離は叱言よりも一層効果がある。自由の概念は生物学的に見て全個性の発達に最も都合が良いから、教育は自由によって生きた個性の発達を主眼としなければならない。

 この立場は前者(新カント派)の立場とは全く異なった見地から自由を解釈している。個性を重視し、個性を生物的・心理的に解釈し、その自由は全く自然的な自由である。児童の興味を重視しなければ教育は出来ないとする。

 

 以上の通り自由教育には二系統(新カント派自由教育説と生物的・心理的自由教育説)があるから、この二者を混同して漠然と自由の概念を決定することはできない。しかし、現今新教育の理論として盛んに使用されているのは概して後者の意義における自由が多いようであるが、千葉師範の自由教育のように前者に基く場合もあり、(実情は)両方の意味が入り混じっていると言える。

 

 

二、自由教育の意義

 

118 以上の通り自由教育には二つの系統があるが、今日自由教育と言われている思想は必ずしも(1)の立場だけから論ぜず、(2)の立場によりながら前者(1)の自由観も併せているようである。説く人それぞれの主観的意味付けや主張を脱することができない現状である。

 それだけ自由教育が自由であるともいえるが、児童の権利を認め、児童の立場を尊重し、従来の教師本位の教育を捨て、児童中心の教育を施す点では一致している。最近の教育主張である「すべては児童から」alles vom kinderausは、自由教育の神髄を表している。

 今日教育に従事する人々は誰でも児童の心理の特質を洞察し、その偏曲なき発達を希望し、児童の自由を認めて愛と理解とを以て教育しなければならないことを肯定するだろう

 自由教育は児童に対して上述のような態度を以て臨むから、実際上、自学自習、自治、共同生活などに留意して学校と生活との接近を図り、公民科や直観科を特設し、教科書参考書を奨励し、自由学習の施設を行う。また教授方法に関しても種々な新施設を行い、かの有名なドルトン・プランも、自由教育の主張から創作されてきたものであることは明らかである。

 

三、自由教育の為せる貢献

 

119 過去の教育が教師本位で強制中心であるとすれば、その「反動」として自由教育の主張は当然である。しかし「教育の本義」から考えると、自由と共に「干渉」も必要である(これが筆者の本音)。太陽と雷雨は共に必要である。温容と叱責、賞と罰が重要であることはコメニウスComeniusも唱えている(陳腐な譬え)。実際、自由と「服従」の二つがあって初めて教育は「円満」に行われる。

 賞罰は排斥するにしても、手段として(の賞罰)は排斥する必要はない(自己矛盾)。「教育の真の任務」は、(児童の)自己発展の力を「秩序」を以て「支配」し、「当代の文化の授与」を以て(児童を)「支配」することでなければならぬ。(1)の立場でも、児童が「どの程度まで」自由を自由に実現できるか、「真の自我」を創造できるか、教師はどの点まで(児童の)自覚の力を信頼できるかなど、これらの問題は相当重視しなければならない。エレンケー、モンテッソリー等の生物学・心理学を基礎とする(2)の立場からのものも、単に生物的・心理的に見て教育を論じることは危険である。教育は「教育それ自体の目的」から判断しなければならない。(壁をつくる)単に児童の心理や自然からその教育を律するならば、「社会の一員としての児童」の将来に対して全く無責任である。(ついに本音が出た)

 児童の自由や児童中心主義の教育を主張する場合、それは「社会目的」の下における児童中心の取り扱いでなければならない。大人本位、教師本位を排して児童の心理に適当な教育教授を施すことは大いに賛成すべきであるが、ややもすると「社会的目的」、児童の「社会一員」であることを忘却しがちである。

120 「正しく適用する児童中心主義」は、成熟者とは変わった身体・精神を持っている児童に、その心理主義に適合する教育を行おうと主張し、(児童の)興味を重視し、自学自習によって知能を磨こうとする主張である。これは過去の教育方法に比べて画期的良策である。自由教育は幾多の欠点をもつが、最近、教育の進歩に対して極めて重大な貢献をしている。

 

 

感想 

 

・「教育の本義」からして「干渉」が必要だとするが、「干渉が必要だ」ということをモンテッソリーが聞けばどう思うか。そして「教育の本義」とは一体何か。おそらく後述の社会的秩序なのだろう。

・陳腐な太陽と雷雨の比喩から「服従」と「円満」を引き出し、「秩序」と「支配」に言及。

・「文化の伝達」と言うが、モンテッソリーは児童に文化を伝達しなかったのだろうか。それは誤解ではないか。そして「真の自我」とはいったい何か。おそらくそれは筆者にとって「社会の一員としての児童」を指すのだろう。

・そして最後に「正しく適用された児童主義」などと折衷論を言い出し、論理がめちゃくちゃである。

 

筆者はモンテッソリーを理解したのだろうか。一見理解したそぶりをしているだけで、最初からけむたく思っていたのではないか。

筆者は国家=為政者の側に立っているのではないか。

 

 

四、結語

 

120 自由教育の思想は大正1912-1926年の頃から極めて流行し、現在1932年でも相当勢力がある。しかし自由という言葉に囚われて正しい理解を欠けば、その害は多大である。

 自由教育の(新)カント(派)哲学的背景に立つとき、自由実現の能力をこれほどまで児童の側に楽観的に求めることができるのか、その手段の点で遺憾がないかなどの点で疑問がある。また心理的・生理的立場に立つとしても、自由に制限が加えられて初めて自由であると思う。児童の「本能的な」行動に対してどのくらいの手加減が必要かということも大きな問題である。単なる自由、しかも「人生観的根拠」や科学的根拠もない自由教育は、モンテッソリー自身が言うように教育上大害あっても益がない。(科学的根拠がないのだろうか、極めて断定的)

 

 

第七章 生活教育

 

一、生活の意義

 

121 教育思想史上18世紀後半から、形式的教育や機械的教育に対して、具体的で生命に満ちた教育が叫ばれるようになった。教育は概念や知識を持つ人を作るのではなく、生活する人を作るのであると考えられるようになった。

 

 カント流の主知主義から脱して、情意を強調・重視する生命哲学や生活哲学Lebensphilosophieの主張が叫ばれ、教育上でもその傾向が進んだ。

 

 生活教育の主張は近頃流行してきたが、その内容は豊富である。生命生活を教育上重大な要素と考え、児童の現在の活動や実生活、個性、体験を重視するようになった。

 

 生命哲学は生命や生活を自然や人生の統一的解釈の中心とする。生命を統一原理として具体的に考え、概念で人生を捉えることに反対する。生命を直接に直観し、体験しようとする。生命生活は抽象や概念ではなく、むしろ非合理的で情意中心的なものであると考える。

 

122 生命哲学の種類

 

 (1)実用主義の生命哲学 これは米国の哲学界で発達した思想である。ジェームス、デューイが唱える。ジェームス根本経験論を説き、経験を以て全体としての過程を見て、純粋経験の世界の中に生命の推移活動を見出す。またデューイによれば、生命のあるところに行動・活動があり、その活動は連続的であり、環境に対する順応である。知識は分離的・自足的でなく、生活が受け進む過程の中に含まれる。

 この立場では、生活の現実や経験と事実が中心であり、過去・未来との関係はあるが、現実の生活が中心であり、唯一の立場である。伝統や、将来の実現すべき価値などは直接問題としない。現在の地位が全てであり、教育上の価値も、現在の地位を満たすかどうかによって決定される。

 

 (2新ローマン主義の生命哲学は、理知に対して直観を力説するベルグソン一派の哲学である。ベルグソンによれば、直観によってだけ生命を捉えることができる。

 科学理知により、哲学直観による。分析による経験論多様だけを見て、抽象による合理論統一だけを見る。両者とも実在を理解することができない。実在は多様と統一との渾一である。理知では実在を把握できない。分析の結果は零であり、統一の結果は無限となって消失する。(理解不能)我々は直観によって物に同感して味わうことができる。哲学は人生と宇宙の実在である流動的生命を把握する。分析や抽象で生命を捉えることはできない。生命の本質は内面的持続、純粋持続であり、不断の創造的進化である。生命は有機体の持続性によって不断に変化し、躍進する。

ベルグソンはこの変化には全く過去の共鳴があり、内面的生活は過去を担っているとし、純粋記憶を追う点で伝統を重視するが、目的的ではないとする。一瞬一瞬を力説する点でデューイと同じような現在主義と言える。(よく分からない)

 

 (3)新理想主義の生命哲学 これは前者と異なり、価値永遠を中心とするオイケン一派の生命哲学である。オイケンによれば、現実自然を離脱しなければ生活を確立することができない。精神生活自己自身で発展する生活人格的生活であり、その内容は宗教、芸術、道徳、科学であるが、この精神生活の確信は知的解釈ではできない

 自然性を超越し、主知主義を脱却し、宗教的悟入によってはじめて絶対的価値のある内容を得ることができ、宇宙的生命に参与することができる。即ち自然と現実とを離脱して、価値を永遠に追及して進む自己発展的な精神的生活の中に真の生命を把握しようとする。(理解不能)

 

 (4)ディルタイ一派の生命哲学 ディルタイ哲学の出発点は、統一的・全体的・個性的な生命生活(生活単位)である。それは自然と、文化や現実価(価値)との連絡統一である。心理主義と論理主義とを結合して生命を把握する。生活体験、自由、個性、全体性、創造的発展などの中で、現実と理想とは二元的に分かれず、互いに流動している。

 ディルタイは実在の根本として、また知識の基礎として、あるいは存在の前提として、生を直観した。そして、これ(直観された生)を否定できない根源的な事実であるとし、すべての思惟の前提とした。この生命は原本的で内面的な直接経験である。この内面的な直接経験は具体的であり、そこには統一性がある。ディルタイはそれを体験と名づけた。知識や了解もこの内面的な事実体験のうちに、則ち生命そのものの中に、存在する。この体験をあるがままに捕捉しようとするためには、概念的な思惟を捨てて、全人的立場に立たなければならない。

124 ディルタイ派は生命を根本として、体験を意識の直接的事実とし、この体験を知情意の合一した全心意において把握すべきであるとする。こうして生活はそれ自身の中に永遠な意義を持ち、この意義は将来に対してでなく、現在において「事実の秩序構成の充実」を含むようになる。

 以上の主張からして初めて、自然の理想化、現実の価値化の過程として教育を論究することができると思う。

 

感想 カント的主知主義を抜け出すと言いながら、非常に観念的であり、意味不明。

 

 (5)フッサール派の現象学 この派は純粋意識、つまり主観と客観、事実と価値の未分の状態から出発し、生活の直接的体験を分析・叙述・観照しようとする。ディルタイ一派に類似し、生命哲学と言える。

 現象学では体験の流れは前にも後ろにも無限に充実される流動である。この流動を把握するためには、事実に執着する経験論や理性に基く合理論では不可能であり、純粋意識の中に本質を直観しなければならない。(不十分な説明)

 

 生命生活を中心とする生命哲学とも言うべき思潮において、教育をどう見るのか。教育学上、生命や生活をどう考えるのかを次に述べる。

 

 (1)ジェームスやデューイ等の実用主義の生命哲学からすれば、実用主義が基本である。経験の事実・現実が生命生活の中心であり、教育では児童の現在の活動、実生活が、その関心の中心となる。学校と実生活との一致、生活を通じての学問、学校を生活に関係させ、すべての教材を、生活を中心に統合する。生活は実生活であり、現実の生活であり、「目的価値の生活」ではない。

 

 (2)ベルグソンの直観を重視する新ローマン主義の生命哲学の教育的適用は、反主知主義、個性化、教材の生活化、創造、協同、直覚などを重視する。反主知主義、個性化、生活化などを重視する点でディルタイ派の立場に近く現代的傾向を含むが、目的価値を目指す生活ではないという点で(1)と似ている。

 

3)オイケン一派の価値の永遠を求める宗教的な新理想主義の生命哲学では、(1)、(2)の立場が目的や価値や理想などを問題としないのに対して、それらが大いなる意義を持つ。理想にだけ中心を置き一面的である。オイケンの説く自然からの離脱は全く理想主義的であり、このような理想主義からは無から有を生ずるような根拠のない飛躍に陥り、教育の事実と無関係になる恐れがある。

 

 (4)ディルタイ一派の生命哲学では、生活は単なる事実ではなく、またオイケン一派のように現実・事実・自然を離脱したものでもない。自然と精神、経験と理想、現実的なものと精神的なものとを結合し、存在と、価値生活や理想との相互関係の中での実在の全部を把握する中に教育を成立させる。

 個性は現実に現れる理想を自ら保有するから、自己を完成する。教育は価値と自然とを結合しながら個性が進行する過程である。(意味不明)生活において理想と現実とが結合される。

 

感想 意味不明だが、筆者はディルタイに肩入れしているようだ。

 

 (5)フッサール派の現象学の立場は「結合統一」を理念にまで転向させることである。それは生活の超越であり、生活と理念との流動である。(児童の)生活は理想・本質の抽象的な陶冶として教育されず、事物の意義関係の直接的観照によって教育される。

 

 教育上の生活の意義を考えてみると様々な生活観がある。生活観は哲学であり、また個人の主観がそこに導入される。生活教育における生活とは、単なる事実としての生活や、自然的・動物的な生活ではなく、事実としての生活から価値ある生活へと通じる体験過程が意味されるべきである。(唐突で説明不足)

 

二、生活教育

 

126 生活教育では、現在の経験を重視するデューイなどの生活教育も行われているが、現在では事実と価値との統一までの体験を重視する生活教育が盛んである。

 生活教育は体験教育と相通じ、近時我が国の教育思想界を風靡した文化教育学の立場から説かれたものともいえる。

 

 第一に、生命の統一的活動つまり体験を重んじる教育は知情意の統一的活動を重んじ、全人的教育を目指してきた。生活教育で体験は具体的で統一的な活動であるから、教材は知的・分析的・科学的に取り扱わずに、具体的・統一的でなければならない。つまり生活単位・生活目的が教材とならなければならない。

 教材を具体化・直観化・行動化・生活化することが、体験を主義とするものの中心となる。生活学校や体験学校であることは、文化価値の獲得において合目的であるばかりでなく、文化価値の創造にまで導くことができる。

 第二に、生活教育は個性型(個人別)による分別扱いによって教授を徹底させる。つまり個性の生活形式に合わせる必要がある。従来訓練は個性的に取り扱わねばならないとされてきたが、教授の個別的扱いが困難なため、あるいは合理主義・普遍主義・画一主義のために行われなかった。生活教育に於いては各教科の個性的取り扱いが必要である。

127 第三に、体験的活動をする自我や生命は歴史的・持続的実在であるから、この自我や個性は過去に遡って素質と環境が明らかにされ、また教科では歴史的・発達的基礎が追求されるべきである。この点は生活教育理論が特に力説する点である。生命が歴史的・社会的実在である以上、文化と人間の活動で歴史的・社会的基礎を無視すれば、真の教育にならない。

 第四に、生活教育は文化価値の享受と創造とを旨としなければならない。生命哲学や経験哲学は価値目的を忘却せずむしろ強調する。

 

 以上のとおり、生活教育は教授の行動化・個性化に努力し、社会的・歴史的方面を顧慮し、「自治や公民教育、国民伝統の陶冶」(そんな記述はなかったのでは)等に力が注がれる。理想と現実とはこうして連絡し、自然から価値への目的連絡が企てられる。

 

 実人生や現実活動を中心としてデューイが主張する生活学校よりも、体験を主とする体験教育を私は取りたい。

 いずれにしても生命や生活を第一義とする教育は生活学校とされるべきである。今日前述の各種の生活の哲学を混合した概念があり、論者の主観的理論づけが行われているようである。

 

三、結語

 

128 生活教育は生命や生活を根本とする。つまり自然現実を重視しつつ、しかも文化価値にまで到達する。生活即教育という主張も生活教育の一つの立場であり、デューイ一派の間で唱えられたが、この主張も現実を動的に扱い、この現実の中に価値を見出していると信じている。この立場と体験による生活教育の立場とは異なるが、生命や生活を立脚点とする点では同じであり、後の到達点にまで進めると考えている。即ち注入、画一、現実生活の意義の無視などを排撃するが、排撃だけでは終わらない(意味不明)。

 生命・生活は無限流動的である。だからこそ私が述べた生活教育や体験教育は価値ある教育である(意味不明)。

 

 

第八節 個性教育

 

一、個性の意義

 

128 個性教育は近代になって主要な思潮となったが、学問的体系は日が浅く、完全でない。

129 個性の定義 「多くの心理学的標徴が一個の個体において統一結合していて、それがその個体と他の個体とを区別する全体的特徴であるとき、その心理的標徴(学)の統一結合」を個性という。

これは普遍的な定義であり、さらに比較的見地、発達的見地、批判的見地から見た定義がある。

 

1)比較的見地から見た個性 二つの個性を比較し、ある特徴が一個人にあって他の個人にはない、または相互に変異がある(異なっている)とき、その特異性は個性の特有性という。その特徴が共通である場合のその特殊は個性の通有性という。

 (2)発達的見地から見た個性 生稟(せいひん、先天)から出た個性と、習慣(後天)の結果成立した個性とがある。それぞれに特有性と通有性とがある。

 (3)批判的見地から見た個性 批判的見地は価値判断から個性を分析批判する。人格活動に合致するか否かで善性と悪性とに分ける。

 

 個性の使用上からの分類

 

(イ)法政上の個性 画一制度に反対し、諸種の制度・言論・習慣において、個人の個性を認め自由独立を主張する政論家が言うところの個性。

(ロ)疾病治療を目的とする医学上の個性

(ハ)刑罰を目的とする刑法上の個性

(ニ)品性を批判する倫理学上の個性

(ホ)精神活動の陶冶から見る教育上の個性

(ヘ)最も広義の精神現象一般における心理学上の個性

 

 

二、教育上の個性の意義

 

130 教育上の個性の意義は論じる人によって内容が異なるが、四つに分類できる。

 

 (1)個性を心理学上の気質テンペラメントTemperamentと同一視する見解は最も古く、その源を古代ギリシャのヒポクラテスやローマのガレーヌスに発する。彼らは自己の専門の医学上見地から四種の気質を区別した。これは医学的心理学と言える。この説は今日では通用しない粘液生理学に基き、所謂四種の主要液体、血液、粘液(リンパ腺)、胆汁(黄胆汁)、黒胆汁のどれが多量であるかによって、多血質、粘液質、胆汁質、憂鬱質に分類する。この分類の根拠となっている生理学や心理学を容認する学者は今日ではおらず、その名称は廃棄されるべきであるが、長い年月の間の通俗的概括の中に捨てがたい微妙な心理的観察が付帯していて、今でもこの名称を踏襲し、その根拠を与えようとする学者も多い。

カールスCarusは情緒的方面、実践的方面に関して(それぞれ)感情の気質や活動の気質を区別し、さらにこれを生活力の興奮と弛緩によって区別する。

ドイツのブントWundtは同じく刺激に対する感情反応の軽重強弱の差によって、多血質、憂鬱質、胆汁質、粘液質の区分を採るが、(これを)主として感情発動の特質と見て、性格とは異なるとする。ブントは、性格は意志活動の特質に関するものであり、気質は感情活動の特質とみなしている。(ブントは)詳細な気質論には触れず、テンペラメント即ち気質を個性とみなす見方(があること)を述べたにすぎない。

しかし気質は先天的遺伝の関係もあり、精神的・身体的にも関係し、精神上の個性の意義を規定するには漠然としている。今日の学者は個性の意義としてこれを採用しない。

 

 (2)個性を性格Characterと同一視する。個性は個人の精神全体の特性Individualityである。Individualityはその人特有の精神能力に基く。精神活動全体にわたるその人の特質を個性という。

 

ジグワルトCv. Sigwart*は個性を二分し、その一つを個性の実質的方面という。それは従事する業務によって相違する個人性をいう。もう一つは形式的方面であり、それは理論的傾向と実際的傾向に分類される(理論的個性と実際的個性)。そして実質的方面と形式的方面のそれぞれに男女差を認める。精神の実質内容の強弱や、記憶・推理・想像などの精神能力の特殊性などは、個性の実質的証明である。このような個性の多くは品性批判に用いられるが、それは倫理学上の個性と言える。要するにこの見解は精神活動を全体統一しているところに人間の個性を発見する。しかしまだ個性の本質を把握していない。

 

*ジグワルトSigwart, Christoph(英語表記)、Christoph von Sigwart 1830-1904ドイツの哲学者、論理学者。ジグワルトの論理学は心理学を基礎とし、形式論理学に反対し、思考の内容を追求する。倫理学ではカント倫理学の形式主義的側面に反対し、実質的倫理学の立場を取った。 著書に“Logik”, “Vorfragen der Ethik”(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

 

 (3)実験的・経験的手法に基づく個性の定義 これには実験心理学や精神病学が貢献した。クレペリンE. Kraepelin*とシュテルンW. Sternはこの方面の率先者である。クレペリンは精神病学的方面から個性心理学を唱え、シュテルンは実験心理学の方面から研究を進めた。両者ともに実験的に各個人の精神活動を調査し、精神活動の各方面での個人の特有性を究め、それを個性と称した。

最近の教育で個性尊重を主張する者は、個性をこの意味に解釈する。個人の特有性が明白になり、実験的・経験的基礎に立つ個性である。ドイツのモイマンMeumannや米国のソーンダイクThorndikeが言う個性はこの立場であり、(彼らは)個人差Individual differenceを個性とした。

 

Emil Kraepelin1856-1926、ドイツの医学者、精神科医。精神障害を遺伝学や大脳生理学などの原因から分類できないとして予後から分類し、1899年、精神病を早発性痴呆(現在の統合失調症、旧称精神分裂病)と躁うつ病(現在の双極性障害)とに分類し、現代の精神障害の診断と統計マニュアルDSMにまで続く影響を与えた。

 

ただし実験心理学を基礎とする場合でも、個々の心的活動についてでなく、それらを綜合して個性と称する場合がある。つまり感覚、記憶、想像、思考、気質などを実験的に査定すれば、それぞれ個人的特色が集まって、他人が模倣できない特色となる。つまり精神活動の優劣、鋭敏鈍感、精密粗雑、勤勉怠慢などの個人差を個性の基礎とする。

 

132 こうして個性は前述のインディビジュアリティに似ているが、実は大いに趣を異にする。倫理学上の個性は演繹的に立てられるが、これは帰納的・実験的に人間の精神作用を分析し、その結果、「思惟の法則」に基いて綜合され、個性の概念が生じた。この個性は概念上個性と命名される。

 

しかし実際は、場合に応じて、種々の精神作用が、単独にまた結合して、個人的特異性を発揮する。従って精神作用の一部であろうと全部であろうとに関わりなく、その発現したものは個性の顕現である。従って概念的には、総括した精神的特異性を個性と称するが、個々の精神作用における個人的特異性を個性と言っても間違いではない。

 

しかしこれらの所論は、個性の「部分的・皮相的・分析的」意義であって、「個性そのもの」の本質をつかむには十分ではない。また実験心理学的考察による個性の意義は、一面的であって全面的でない。知能測定による個性の意義も、人間生命を全体的に知情意の相関連する一つの統一体として統一的に、全体から中心意味や中心価値を直観的に理解されなければならない。こうして「生命価値」に基礎を置いて個性を規定した人が、ディルタイDilthey1833-1911スプランガーSpranger一派の精神科学派・精神科学的心理学である。(この段落は次のスプランガーを導入するための論述のようだ。)

 

 (4)全体的・価値的個性 精神科学派のスプランガーは精神科学的心理学Geistwissenschaftliche Psychologieに立脚する。スプランガーは全体的・価値的個性生活形式Lebensformenとも言う。スプランガーの著『精神科学的心理学及び人格心理学』の内容は、個性の教育学、個性の哲学、個性の心理学、個性の倫理学等である。

 

 従来の心理学的方面の研究の多くは「真の個性」の問題について説かない。例えばブントは僅かに「倫理学」の中で、一般心理学に対立して人格学Charakterologie即ち個性学が存立すべきであると指摘するにとどまっている。従来の多くの心理学は自然科学的見地に基いた心理学であるため、常に事象の普遍的一般的特徴に留意し、その個別性は科学的価値が比較的少ないものとして看過した。そのため心理学でも心理現象の個別性に留意するものが現れなかった。

 ところが19世紀末から20世紀に至り、個性心理学または差異心理学または比較心理(学)が発達し、個人差を注意するようになった。しかしこれらもまだ「真の個性の心理学」にまで進めなかった。即ちこれらの心理学の研究は、その研究の見地が純然たる自然科学的見地にたつ、所謂「理想としての個性」に対立する「自然としての個性」の研究であり、人間が生まれながら持つ自然の性情を見るものであり、ヘルバルトの客観的品性と称するものであった。従って人の自然性に着目するだけで、個性の核心である人間の価値性を凝視することができなかった。だから個人差を研究するものも、人の自然性における個人差を探求し、価値性の個人差を捨てて顧みなかった。また個人差を探求したといっても、それは「真の個人差」ではなく心的様式Typeであった。例えばモイマンの実験教育学やソーンダイクの教育的心理学が、個性という名称の下に研究を試みているが、これらは素質Anlageとしての個性を問題としているのであって、「真の個性」の問題に触れる境地に未だ到達せずに終わった。前述のステルン(シュテルン131)の差異(的)心理学(実験心理学)も、この点において全く同様である。即ち彼らは各個人の単一な精神活動の反応時間・持続時間や観念内容の相違などの個々の精神作用の量的特殊性を、また稀に質的特殊性を研究しただけであった。

 

134 しかるにスプランガー一派は目的を意識し、自覚的に働く個性に着目し、古くヘルバルトが主張した主観的品性に暗示を得て、ここに理想としての個性を認識するに至った。精神科学派においては、真の個性を研究するためには、自然科学的方法の上にさらに精神科学的思惟法による特殊研究を要する。精神科学的思惟法による心理学を仮に純粋心理学と称するならば、個性心理学精神の自覚後の純粋心理学に属すべきである。

 こうしてこれらの実在(人間)の差異性を、共通の標準に照らして没価値的・局部的にその特殊性を決定せず、寧ろ反対に実在の差異性を価値的見地で考察することによって、価値的個性即ち精神科学的個性が成立する。この価値にも特殊的と全般的の二種がある。即ち比較的表面の一時的個性である特殊価値的個性と、最も根柢の深い永続的個性即ち真の綜合価値個性とである。個性の教育はこの永続的個性を中心としてこれに達する手段としてまたは前段階として一時的個性にも深く留意し、その比較的の絶対価値も認めなくてはならないが、永続的個性は主として成人になって現出し、その連続時間が比較的長い。

 要するに、近代の最も妥当的見解は、個性を価値的見地において考察し、規定すべきである。小西氏*は個性を定義し、「個々の精神現象における特殊性を特異的個性と名づけ、全体的に見て他と異なる特異性を全体的個性と名づけ、全体的個性は特殊的個性が集積した結果ではなく、個人がある目的に基いて自己を集中し、それでもなおその特殊的個性も働かしているところの目的的で動的な状態」と言い、楢崎氏*は「個性は、素質としての個性に立脚し、自覚する自我を中心として、主として自然的環境(運命も含む)と精神的環境(家庭・学校・社会)とを両翼として、展開・産出させた霊的(価値的)生命活動の活ける根本的法則(形式または作用の)の独自性(特殊性)を云う」と定義している。

 

*小西 本文の小西と何らかの関係があるかどうか分からないが、

 

小西聖子(こにしたかこ、1954 - )は、日本の心理学者、武蔵野大学教授。犯罪被害者学。

 

来歴

 

愛知県出身、東京大学教育学部教育心理学科卒、筑波大学医学専門学群卒、同大学院博士課程修了、1992年「司法精神鑑定例における女性殺人者の研究 -その類型と供述の分析」により筑波大学医学博士。1977年から1980年まで東京都心理判定員。1993年東京医科歯科大学難治疾患研究所犯罪被害者相談室長、1999年武蔵野女子大学教授、2002年校名変更により現職。

 

1992年『週刊朝日』にエッセイを連載して知られ、のちNHK人間大学にも出演した。主として強姦被害など女性への暴力とその後遺症について研究している。 1996年日本犯罪学会奨励賞、98年エイボン女性年度賞受賞、2004年より内閣府男女共同参画会議「女性に対する暴力に関する専門調査会」専門委員、2005年より内閣府犯罪被害者等施策推進会議委員。2010年、『ココロ医者、ホンを診る 本のカルテ10年分から』で第8回毎日書評賞受賞。

 

著書

 

『おしゃべり心理学』朝日新聞社 1993/白水Uブックス 2002

『犯罪被害者の心の傷』白水社 1996

『インパクト・オブ・トラウマ』朝日新聞社 1999

『ドメスティック・バイオレンス』白水社 2001

『トラウマの心理学 心の傷と向きあう方法』日本放送出版協会:NHKライブラリー 2001

『ココロ医者、ホンを診る 本のカルテ10年分から』武蔵野大学出版会 2009

 

編著

 

『犯罪被害者遺族 トラウマとサポート』(編著)東京書籍 1998

『被害者学と被害者心理』(講座被害者支援 4巻)諸澤英道共編 東京法令出版 2001

『犯罪心理学 加害者のこころ、被害者のこころ』伊藤晋二共著 角川学芸出版 2003

『「悲しみ」の後遺症をケアする グリーフケア・トラウマケア入門』白井明美共著 武蔵野大学 2007

『犯罪被害者のメンタルヘルス』(編著)誠信書房 2008

『性暴力被害者への支援 臨床実践の現場から』上田鼓共編. 誠信書房, 2016.

『現代社会とメンタルヘルス 包摂と排除』中谷陽二 責任編集, 斎藤環,森田展彰共編集. 星和書店, 2020.10

 

翻訳

 

B.H.スタム『二次的外傷性ストレス 臨床家、研究者、教育者のためのセルフケアの問題』金田ユリ子共訳 誠信書房 2003

エドナ・B.フォア,エリザベス・A.ヘンブリー,バーバラ・O.ロスバウム『PTSDの持続エクスポージャー療法 トラウマ体験の情動処理のために』金吉晴と監訳 石丸径一郎,寺島瞳,本田りえ訳 星和書店 2009

ロスバウム,フォア,ヘンブリー『PTSDの持続エクスポージャー療法ワークブック トラウマ体験からあなたの人生を取り戻すために』金吉晴と監訳 本田りえ,石丸径一郎,寺島瞳訳 星和書店 2012

 

解説

 

心的外傷と回復 ジュディス・L・ハーマン著 中井久夫訳 みすず書房 1999 解説では日本と米国におけるPTSDをめぐる問題について触れられている。

 

TV出演

 

森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ)1989年~1990年、コーナーレギュラー

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

 

*楢崎 浅太郎 ナラザキ アサタロウ 昭和期の教育心理学者 近畿大学教授。

 

生年 明治14(1881)118

没年 昭和49(1974)31

出生地 岡山県津高郡円城村(現・御津郡加茂川町)

学歴〔年〕京都帝国大学心理学科卒

経歴 昭和31928年から2年間のヨーロッパ留学を経て東京高等師範学校と東京文理科大学の教授を兼任。昭和271952年近畿大学教授に就任し、心理学を担当したほか、同校参事・監事として大学運営にも当たった。

教育の場における生徒や児童の素質・個性・心理などの研究に従事し、小中学校教師と大学教授との合同研究を提唱、日本における教育心理学の基礎を確立したことで知られる。

編著に「今後の教育の進み方と実験的研究」「個性教育の原理と方法」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)

 

 

 

三、個性と教育との関係

 

135 教育は個性とどんな関係を持つべきか。

 

 教育の目的は未成熟者を完全な成人にまで導く過程Vorgangであり、身体と精神の調和的発達であるが、それは形式的目的である。その実質的内容は古来様々であったが、今日では人間の本性からして、社会生活をなす上に各個人を健全な一員とすることが教育の最高目的である。

 ここに個人に対して教育が作用すべき標準が規定される。ところが各個人には個性がある。この個性を社会生活に最も理想的に調和させることに個性教育の目的がある。そしてその実質内容はさらにその方法を規定する。即ち人の本質(個性)を理解することによって、人を如何に導くべきかという形式的方面が規定される。

 

 しかしこれだけでは不十分である。どこへ導くべきかの標的を規程しなければならない。歴史上クインチリアヌスQuintilianusc35-c95, ローマの修辞学者・雄弁家)は、人の天賦性の中に教育の根本原理を見出そうとし、人文主義者やその後の新人文主義者は理想的人物の養成のために各人の持つ自然性を発揮しようとしたが、それらは皆学問的には不完全である。もちろんペスタロッチの唱える個性は今日の個性の一部であることは認める。

 

136 我々が今日要求されている問題は、人をして、一個人として、また社会の一員として、家庭・社交団・教会連等の中での市民として、また自己の内部生活に潜在する「実有の世界」において、人として幸福かつ有用な生活をなすに適させるためには、人間の全てを通じてどんな性質に着眼すべきかという普遍的目的を基礎とする教育の一般目的を考え、その上に被教育者の個人的可能性に発展させるべきである。

即ち教育の形式目的は児童の心身の調和的発達である。従って児童に、文化を理解し、さらに(文化を)創造し建設する素養を養うことが教育の根本原理となる。ところが各個人はその個性によってその実生活における仕事は皆特有なものとなり、吾人は、この独自の仕事――個性に最も適した――を成就し完成することを通して、国家社会の理想を実行し、文化の建設に貢献することができるようにしなければならない。従って教育は、個性は(の)各人の通性と相まって、重大な関係を持ってくる。教育の方法論において個性に関する客観的考察は大事である。我々は個性の中だけに教育の根本原理を求めないが、個性を無視するものではなく、人を理想人にするための最も適切な方法を客観的に定めることによって、却って個性を尊重している。なお前述の個性の歴史的意義も、教育的にはこの意味での一努力である。(論旨の筋がだらだらとしていて見えてこない。)

 

 すなわち第一の個性をテンペラメントと解する場合で最も注意を要するのは訓練の場合である。気質は先天性に基づくことが多いが、後天的影響によって多少変化がある。即ち(そこに)広義の教育の力が加えられる可能性があることを証明するし、(教育を)必要とする。

 第二のジグワルトの場合、個性がその人の性格全体の特色を指すものとすれば、智的個性、実践的個性各々その方面に特徴を発揮させる必要がある。しかし人間社会はその活動の円滑を計るためには個人の特性とともにその欠陥もある程度補う必要がある。偏することを初等教育では避けなければ調和的成人にはならない。

137 第三のクレペリンやシュテルン等の個性の見方では、前述と異なり個人の精神作用を各方面に分析してその方面の特質についてそれぞれ個性を定めようとする。もちろん個性を顧慮することは必要であるが、個性を標準として教育することは誤りである。なぜならば個性を改善するのも教育の任務であるからである。ただ方法上この意味の個性を基礎として教授訓育することによって有効な教育を行うことができる。

 最後の第四の見解は、理想としての個性を陶冶する意味において、前述のものと異なる。即ち全体的に相関連した一つの統一体としての中心価値が理解され、生命価値に基礎を置いて個性が規定されている。従って最も社会的要求に合致した、即ち生活に即した、生きた個性が教育される。即ち教育はこの個性を顧慮しつつ、価値意識に導く。そこに教育の意義がある。もし自然としての個性を単に「個性」と言い、理想としての個性を「人格」と言うならば、教育は「個性」を「人格」にする作用であると言える。単に自然としての個性即ち通有的な品性は、理想への個性の陶冶の基礎的一部であるにすぎない。それは必要ではあるが、必ずしも偏重すべきでない。

 

個性に及ぼす環境の力

 

 従来個性は外囲または環境によって変化すると主張されてきた。外囲は吾人の個性の活動の場であるとともに、その活動の動因でもある。外囲は心身を持つ有機体に刺激を与え、諸種の活動を惹起する働きがある。人類は一面では自ら、先天的もしくは後天的に、その個性を展開するとともに、他面では外囲が人類にその個性の持つ特殊性を付与する。外囲は吾々の遺伝、本能、習慣等の発展を余儀なくさせ、遂にはある個性の特色と他のそれ(他の個性の特色)とを区別できるような個性を助長し、形成する。これらの関係を考察する際には、大きな影響力を持つ経済的、教化的、政治的外囲の三方面から考察すべきである。今日新教育案、新施設と言われて設けられるものは、この社会の教化活動の発現である。教育学的には環境整理が唱導されている。

138 要するに個性は、その由来する所は遺伝や環境によって形成されるが、たとえ前者が決定的であっても後者は可変性を持つ要素であり、教育もその中に含まれ、直接もしくは間接に吾人に影響し、意識的・無意識的に個性を決定し、(個性が)成立するのに役立っている。今日(個性は)学校という環境で取り扱われ、さらにその内部では、個性の完全な発達に即そうとする新教育案が実施されつつある。他方今日ではさらに一歩広い社会環境が注意され、今や環境の考察は個性の研究に不可欠であると言える。

 

 

感想 論旨が乱れているような気がするのだが、私の読みが浅いせいか。四つの個性論を紹介し、その中で最後のディルタイ派の価値個性論を推奨し、次にそれぞれの論の教育への適用に関して評価を下しているようなのだが、その中身がよく分からない。そして結論部分ではいきなり環境論が現れる。教育を環境の一つとみなすのだが。

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