2026年2月28日土曜日

駒込武「内なる帝国主義の克服に向けて」『世界』2026年2月号

 

駒込武「内なる帝国主義の克服に向けて」『世界』20262月号

 

 

感想 2026224()

 

台湾が中国の内政問題だというのは分かるが、だからと言って、台湾が、台湾人2300万人の意思も尊重されずに、米日中の大国間の取り決めによって中国側に領有されるというのは、弱小民族に対する不当な帝国主義的介入であると、駒込武は指摘する。頷かれる。忘れられがちなテーマである。反省。

知っていますか。台湾には日本語しか話せない台湾人がいたということを。これは厳然とした事実。彼らは戦後、大陸からやって来た中華民国人に差別・弾圧されたという。

台湾が18954月に日本によって領有された時点から194912月に蒋介石が破れるまでの55年間に生まれた台湾人は、1949年当時55歳以下の人たちだから、当時55歳以下の人で日本語しか話せない人がいてもおかしくない。

 

 

メモ

 

054 本稿は、20251123日に「キャンパスプラザ京都」で行われたシンポ「排外主義・軍事化といかに闘うか」(反戦・反貧困・反差別共同行動in京都主催)での駒込武の発言を基に補筆修正したものである。

 

044 内田樹の「台湾は中国の内政問題論」は、1972年の日中共同声明における「台湾を中国の一部とすることに日本は理解し尊重する」、つまり、ひょっとしたら台湾は中国の一部ではないかもしれないという含みがある点を捨象している。(「環球時報からの質問への答え」「内田樹の研究室」20251123日)

(日本は)中国との戦争を避けるために、台湾を見捨ててもいいのだろうか。

国連憲章第2条第4項「国際関係では武力による威嚇や行使を、領土保全や政治的独立に対して、慎むべきだ」とあるが、現在のウクライナ侵攻やガザ虐殺は、国連憲章を根拠にして正当化されている。(最上敏樹『国際法以後』みすず書房2024

045 中国の「反国家分裂法」2005.3.14は、「台湾独立を目指す勢力が、台湾を中国から切り離す事実をつくりかねない場合には、非平和的方式を用いてこれを阻止する」とするが、中国は「台湾は内政問題だ」としてすでに国連憲章に違反する行為を行っている。

ドイツは20世紀初頭、アフリカの「ヘレロ人(台湾人は)人間ではない」として大量に虐殺した。(最上敏樹)

 

それではどうしたらいいのか。それは台湾を国際的に認めることではないか。アジア太平洋経済協力会議APECや国際オリンピック委員会IOCに台湾は「中華台北」として参加している。WHOにもかつてはオブザーバーとして参加していて、それを米・カナダ・欧州が支持していた。それは中国による台湾進攻を抑止する力となるはずだ。

 

046 過去に日本は台湾人を見下して利用したが、それを繰り返してはならない。これまでの外交交渉を相対化すべきではないか。(外交ゲームのルールの相対化)他者の土地を「分割・返還」できると考える帝国主義の論理は今でも通用している。

 

台湾史を振り返る。

 

第一、1895年の下関条約で日本は清国に台湾を「割譲」させた。清国は17世紀に台湾を中華帝国に、辺境・開拓地として組み込んだから、それを「手放す」こともできるが、それは突然割譲された人々にとっては青天の霹靂である。

 日本は台湾の全島平定に半年かかったが、その後も10年間、武力による抵抗運動が続き、多くの台湾人が日本軍によって殺害された。台湾人は清国から見放され、その後は本島人として(蒋介石に)差別され、その過程で台湾人としての意識が醸成された。

 

第二、1945年の米英中によるカイロ宣言によって、台湾は台湾人の意思に関わりなく中華民国に「返還」された。

中華民国は独自の国語を組み立て、国旗・国歌を制定したが、その過程から疎外されていた台湾人は、中国語を話すことができなかった。

 

047 中華民国で一党独裁制を築いた中国国民党の指導者は、この中国語を話せず日本語を話す台湾人を「日本人によって奴隷化された」として軽蔑し、日本時代と同様に参政権を制限した。

1947台湾人は反政府反乱を起こした。蒋介石は南京から援軍を派遣して鎮圧した。影響力のある知識人を中心にして2万人を処刑した。(228事件)

このなかから高度の自治を求める台湾人は独立を求めた。廖文毅1910-86上海で「台湾再解放連盟」を組織し、その後香港に拠点を移し、人民投票で台湾の帰属を決めるべきことを主張して綱領を定めた。この運動の中には、中国共産党を支持する左派も含まれていて、民主独立政府を台湾に樹立し、人民投票を経て、「中国民主連邦」に参加することを想定していた。

 1949年、中華民国の中央政府が台北に移転されたが、それに先立って、(国民党は)全島に戒厳令を敷いて、政治弾圧・言論統制を行った。サンフランシスコ講和条約は台湾の帰属に言及しなかった。

 

048 第三、1965年、米軍が北ベトナム爆撃を本格化し、中国では文革が始まった。69年、中ソ国境で軍事衝突が起きるという背景の中で、米中が接近した。

19722月、ニクソンが訪中し、毛沢東は彼と握手したが、毛沢東のその行為はベトナム人民への裏切り行為とみなされた。『台湾時代』という雑誌を刊行する、米滞在中の左派台湾人は、米中国交正常化を裏切り行為をみなし、中国が「西側帝国主義陣営に加わった」と批判した。

 

19729月、田中角栄が訪中し、日中共同声明に調印した。その声明の第5条「対日賠償請求権の放棄」の蔭で、在沖縄米軍基地からの核兵器の撤去を(毛沢東は田中に)約束させていた。

 

台湾人の意向の無視 謝雪紅1901-70(女性のようだ)は、日本植民地時代に台湾共産党の創設に参加し、228事件で国民党政府と闘った後に、香港に亡命し、後に全国人民大会の台湾省代表に選ばれたが、台湾政策では台湾固有の事情を踏まえるべきだと主張したために、「地方民族主義者」と批判され、1957年に中国共産党籍を剥奪された。70年、紅衛兵に攻撃される中で死亡した。

 

049 20246月、中国司法当局は「職権を利用して、台湾が中国の一部であるとの事実を改竄する」行為は処罰の対象になり得るとし、重大案件では「国家分裂罪」に基づき死刑も可能であるとする方針を示した。台湾が中国の一部であるというのは事実ではなく一つの歴史解釈である。思想の判断は曖昧で恣意的である。軍事力で台湾を統一した場合、大勢の台湾人が処刑されるだろう。「中国が台湾に侵攻しても台湾が降伏すればいい」という意見もあるが、台湾人は降伏しないだろう。

 

 1972年の日中国交正常化を歓迎する人は、右でも左でも多かったが、そうでない人もいた。川満信一1932-2024は宮古島出身のジャーナリスト・詩人・社会主義者であった。川満は沖縄の本土復帰に反対した。19722月の『中央公論』の中で川満は、「中台間で歴史的体験の隔たりがある。台湾は自らの意思や選択で自らの歴史を定めて行くことを大国間の取り決めによって許されなかった。」とする。

 

050 林景明1929-20161945年に15歳で日本軍学徒特設警備部隊に召集された。林は1962年に日本に実質的に亡命し、台湾独立運動に関与しながら、日本の入管行政の非道さも告発した。

 林景明は、『台湾処分と日本人』1972の中で、1972年の日中共同声明を新たな台湾処分だと告発し、世界同時革命を目指す日本の「正義漢」が、「台湾は中国の支配に服すべきだ」とか、「台湾人は中国人と同一民族だから、中国人によって解放されるべきだ」とか、「世界革命のためには台湾は中国の支配を受け入れるべきだ」とか言うのは、台湾を中国への賠償物にしようとするのではないか、「正義漢」は「台湾では反米の声が聞かれないから自己解放の能力がない」と決めつけているのではないかと反論する。

 

 強大化した中国に対しては国益的感性でもみ手で臨み、国家としての性格も怪しい台湾には高慢に望む態度は、日本の左右いずれにも当てはまるのではないか。

 

051 中国は、西松建設中国人強制連行・労働補償訴訟で、最高裁が、日中共同声明が賠償請求権を放棄したことを根拠にして請求を退ける解釈をしたことに異議を述べている。

 

052 「台湾大陸委員会」のアンケは、「台湾の将来は台湾人が決めるべきだ」という人が84.4%に上ることを示している。

国際連盟1920は植民地獲得競争に一定の歯止めをかけ、45年の国連憲章は「人民の同権及び自決」の原則を掲げた。そして66年の国際人権規約は、自決権を国際法上の権利として確立した。

台湾の戒厳令下から米国に逃げ出した台湾人は、「台湾人民自決運動」を組織し、1975年、「ワシントンポスト」紙上で、北京政府に要求した。「台湾の自決権は、北京政府の政策とも一致している。台湾の人民投票の結果を受け入れてもらいたい。」

 

「台湾問題は中国の内政問題ではない」という国際的合意を目指すべきだ。

 

川満信一は「東アジア非武装地帯」というビジョンを提起した。同様に、森宣雄・冨山一郎・戸邊秀明編『あま世へ――沖縄戦後史の自立にむけて』法政大学出版局2017は、「済州島、沖縄、台湾、海南島など、大国間にはさまれた島々を、非武装地帯にせよ」と述べている。

 

以上

 

2026年2月27日金曜日

内田雅敏『飲水思源 以民促官』藤田印刷エクセントブックス2023年4月

 

内田雅敏『飲水思源 以民促官』藤田印刷エクセントブックス20234

 

 

「飲水思源 以民促官」は周恩来の言葉。

「以民促官」は、民間交流によって日本政府を動かし、1972年の日中国交正常化実現に向けた1950年以来の戦略。

「飲水思源」は、水を飲むとき井戸を掘った人の苦労を思うという意味であり、歴史的恩恵を忘れないという精神が背景に込められている。日中間の過去の歴史を踏まえた感謝と友情を込めたことばである。

 

尖閣諸島を日本が領有したのは1895114日の閣議決定。日本はそれ以前の1885年以降調査をしていた。18954月の下関条約には規定がない。

「尖閣問題は当面棚上げしておこう」ということで日中が(口頭で)同意していたが、それを破り、「そんな同意をしたことがない。尖閣に領有問題など存在しない」(2010.9.26閣議決定)と、中国の領有意思を全否定したのが、何と菅直人首相だった。041

枝野幸男官房長官「尖閣諸島の1cmたりとも譲らない」012

041 20101021日、前原外相が衆院安全保障委員会で「棚上げ論は鄧小平が勝手に言っていることで、日本政府として合意しているものではない。」

2012912日、尖閣諸島を国有化。

 

 

 

日中国交正常化50年から日中平和友好条約45周年――「平和資源」としての日中間の4つの基本文書を読み解く――

 

005 毛利和子『日中漂流』岩波新書2017

 

008 LT貿易 1962年、廖承志と高碕達之介との間で結ばれた日中長期総合貿易に関する覚書」「以民促官」の具体例。

 

011 国共内戦不介入を唱えていたトルーマンは、朝鮮戦争を契機に政策を転換し、台湾海峡に第七艦隊を派遣し、中国による台湾進攻を牽制した。そのため、中国は台湾を領有(解放)できなかった。

 

013 1879年、中国が日本による琉球藩廃止・沖縄県設置に反対したとき、前米大統領のグラントが仲裁に入り、日本は尖閣を含む先島諸島(八重山群島、宮古群島など)以西を琉球本島から切り離して、それを中国領土にしてもいいと中国側に提案し、仮調印した。

しかし、それは、清に亡命した琉球人の反対運動や、清がロシアとのイリ問題を優先したため、調印・批准はされなかった。

 

015, 018 「中国が6年以内に台湾を武力介入する」というデイビッドソン米インド太平洋軍司令官の発言2021.3.9の真相は、実際の武力介入ではなく、武力介入することのできる能力を持つだろう、というものであった。(兼原信克・元内閣官房副長官補『君たち、中国に勝てるのか』産経新聞社出版2023

016 2016年、安倍晋三首相が、外務・防衛・自衛隊などの幹部に「君たち、中国に勝てるだろうな」と開口一番に述べた。(2023.1.3毎日新聞)

017 経団連は武器輸出を国家戦略とするように提言している。

200010月以降、リチャード・アーミテージ元国務副長官は、日本の改憲や集団的自衛権行使容認を求め続けた。

023 日本の自民党と台湾の民進党とが、日台与党間の外交・国防2プラス2を実施する方向で一致した。((2022年)1229日、毎日新聞)

 

 

 

日中国交正常化50年史 「一つの中国」論、反覇権条項、尖閣諸島問題

 

027 19599月、前首相石橋湛山が訪中し、周恩来と共同コミュニケを発表した。これは日中共同声明の原型となった。

 

028 1972227日、ニクソン・周恩来の上海コミュニケ

 

中国側「米国の全ての軍隊及び軍事施設は台湾から撤退ないし撤去されなければならないという立場を再確認した。」

米国側「当面、米国政府は、この地域の緊張が緩和するにしたがい、台湾の米国軍隊と軍事施設を漸進的に減少させるであろう。」他人事みたい。

 

 

032 197810月、(靖国神社が)靖国神社にA級戦犯を合祀した。これが公になったのは翌19794月の例大祭の時であった。

 

033 尖閣問題棚上げ論の暗黙の確認 1972年の日中共同声明当時、外務省条約課長として声明案作成作業に従事した栗山尚一は「尖閣問題は棚上げするとの暗黙の了解が首脳レベルで成立したと理解している。(中国側が棚上げを主張し、日本側は敢えてこれに反対しなかった)」

 

 

037 2005917日、日朝平壌宣言で、植民地支配に対して謝罪した。

 

 

尖閣諸島を日本が領有したのは1895114日の閣議決定。日本はそれ以前の1885年以降調査をしていた。18954月の下関条約には規定がない。

 

041 「尖閣問題は当面棚上げしておこう」ということで日中が(口頭で)同意していたが、それを破り、「そんな同意をしたことがない。尖閣に領有問題など存在しない」(2010.9.26閣議決定)と、中国の領有意思を全否定したのが、何と菅直人首相だった。

012 枝野幸男官房長官「尖閣諸島の1cmたりとも譲らない」

041 20101021日、前原外相が衆院安全保障委員会で「棚上げ論は鄧小平が勝手に言っていることで、日本政府として合意しているものではない。」

2012912日、尖閣諸島を国有化。

 

 

 

日中共同声明第五項(戦争賠償請求の放棄)と二分論(民衆と軍国主義的為政者とを分離して論じる)

 

045 1952428日の日華平和条約で、蒋介石がいやいやながら対日戦争賠償を放棄したのは、同日発行したサンフランシスコ条約で連合国が対日戦争賠償請求を放棄していたためである。

 

046 毛沢東と周恩来は、日本に対する賠償請求放棄を、幹部も国民も全く知らないうちに決定した。

 

046 靖国神社は日中・太平洋戦争を「アジア解放の聖戦だ」とみなしている。

 

065 2007427日、最高裁は、西松建設中国人強制労働事件で、中国による対日賠償の放棄(1972年の日中共同声明の第5項)を利用して、賠償請求権の法的根拠はないと断じている。

 

 

 

雨中嵐山の周恩来――王敏教授「周恩来の対日「民間外交」の原点を探る」に触発されて(「月刊社会民主」20209月号)

 

051 19241228日、孫文は神戸高等女学院で「日本は西洋覇道の番犬となるか、それとも東洋王道の干城(軍人、楯と城)となるか」という演説を行った。

 

052 韓国側の調査によれば、三・一独立運動での死者数は7500人、逮捕者は46000人に上った。

 

 

 

花岡事件和解から20年――法的責任の有無論争を止揚し、歴史的責任へ(「月刊社会民主」202012月号)

 

060 199075日、日本企業(鹿島建設)が、戦時中の花岡(事件)での中国人強制労働に関して、中国人被害者・遺族との共同発表の中で、初めて謝罪したが、その後の両者の交渉は進展せず、被害者・遺族は1995628日に提訴した。

 

一審東京地裁は除斥期間を理由に、被害者・遺族の請求を退けたが、東京高裁では20001129日、1年余の難航した交渉(和解勧告1999.9.10、和解勧告書2000.4.21)の末、和解が成立した。しかし、鹿島はその法的責任を認めなかった。

 

063 東京新聞は「政府は国の責任という残された問題の解決を急ぐべきだ」と、国の責任が果たされていないことを指摘した。

 

064 鹿島は和解成立直後に「責任を認めたわけではない」とHPで発表したが、後に削除した。

 

和解の第一項は「中国側はその(鹿島の法的責任はないという)主張を了解した」とするが、了承したわけではなかった。

 

 

064 2007427日の西松建設中国人強制労働事件最高裁判決は、「日中共同声明第5条によって裁判上訴求する機能を失った」と、西松の法的責任は否定したが、(請求する)権利そのものが消滅したわけではないとし、付言の中で、「なお西松は自発的に(被害者らに)対応してもいい。上告人(西松)と関係者(日本国)による被害救済努力が期待される」とした。

 

 

066 西松建設広島安野発電所和解

 

20091023日、和解が成立した。(当事者の協議後、裁判所が和解調書を作成する)「即決和解」の形式を用い、確認書を作成した。「中国人360名が死亡したのは、「華人労務者内地移入に関する件」という閣議決定に基づく歴史的事実であり、「相手方」(中国人側)は、最高裁が西松の法的責任を否定したのは事実だが、その見解を受け入れてはいない。」

 

西松建設は和解金を支払い、受難の碑を建立して歴史的責任を記した碑文を刻み、受難者・遺族を招待する追悼事業を継続した。これを「歴史的責任」という。

 

 

068 三菱マテリアル和解

 

201661日、北京で、三菱マテリアル社は、中国人強制連行・強制労働事件で謝罪し、和解が成立した。

生存被害者らは「日本政府と多くの加害企業が依然として歴史的事実を無視し、謝罪を拒む中で、三菱マテリアルは歴史的事実を認めて公開謝罪する姿勢を積極的に評価する」と述べた。

三菱マテリアルは「722人がなくなり、終局的な解決がなされていない。当社に関する5つの訴訟が提起され、いずれも元労働者の請求は棄却され、確定した。」

 

070 20233月現在、3765人の受難者のうち1330人に対して合計25億円の和解金が支給された。この5月に遺族を招待した追悼式が行われる予定である。

 

 

感想

 

最高裁判決は、戦時中の中国人に対する強制連行・労働について「法的に救済できない」=「訴求する機能を失った」065というが、それは相手の善意の上に乗っかっていて、ずるいと思う。

 

日本に対して戦争賠償を求めないと、蒋介石も毛沢東も言っていたが、蒋介石はいやいやだったらしいが、毛沢東は早くからそう言っていた。中帰連の戦争犯罪者に対する判決の過程からもそのことが推測できる。

 

 

071 これまで積み重ねられてきた基本文書

 

1972929日北京、日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明 田中角栄総理大臣、大平正芳外務大臣、周恩来国務院総理、姫鵬飛外交部長

 

1978812日北京、日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約 園田直外務大臣、黄華外交部長

 

19981125日~30日東京、平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言 江沢民主席、小渕恵三内閣総理大臣

 

200857日(6日~10日)東京、「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明 胡錦涛主席、福田康夫内閣総理大臣 

 

2014117日、北京、一つの確認 楊潔篪国務委員、矢内正太郎国家安全保障局長

 

 

094 国連創立40周年記念総会における中曽根内閣総理大臣演説(抜粋)19851023日、ニューヨーク

096 村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」1995815

 

「杖(よ)るは信に如くは莫(な)し」「春秋左氏伝」(左丘明の著とされる歴史書「春秋」の注釈書。)

 

098 大韓民国現行憲法前文

 

099 日韓共同宣言(要旨) 21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ 1998108日、金大中大統領、小渕恵三首相

 

 

内田雅敏 1945- 弁護士

 

以上

 

2026年2月23日月曜日

石川達三「生きてゐる兵隊」1938.3『中央公論』

 

石川達三「生きてゐる兵隊」1938.3『中央公論』

 

 

感想 2026223()

 

本作品は発禁処分になったとのこと。どの点がひっかかったのか、思い当たる所がありません。おそらく著者ご本人もそう思われたことでしょう。著者はその後、家庭内の愛情をテーマとする分野に転身したとのこと。

 

Wikiによれば、これは新聞紙法41条(安寧秩序紊乱、風俗壊乱)違反だとして、即日発禁処分となって起訴され、禁錮4か月、執行猶予3年の有罪判決。ビビった石川はその後は恋愛や結婚など家庭内部の問題に転向したとある。

 

軽々しく軍隊のことについて口を出すな、ということなのでしょうか。分かりません。南京での大規模な婦女暴行や、捕虜の大量虐殺などについては全く触れていないのに。

 

著者が言いたかったことは、思うに、戦争は死と背中合わせであるということ、狂気と背中合わせであるということ、戦闘を生き残り、生きているように見える兵隊は、実は生きていない、その生は死と隣り合わせであるということ、そういう不条理な気持ちを表現したかったのではないかと思います。

 

 

石川達三33歳の時の作品。193712月下旬、中央公論社特派員として中支方面へ出発。翌年1月まで南京に滞在。

 

 

 

メモ、漢字、固有名詞等

 

 

主人公たちは中国の太沾(タークー)で上陸し、子牙河(ズヤホー)を南下しながら戦闘を行い、寧晋に集結した。寧晋から北京の南西方向にある石家荘まで行軍し、そこから鉄道で北京・天津を通過し、大連から船で上海に向かい、南京攻略戦争に従軍した。

 

 

一 

 

高島本部隊

太沾(タークー)に上陸。

子牙河(ズヤホー)を南下。

寧晋に集結。

333 石家荘まで行軍。

333 野田一等兵

 

 

 

 

347 坊主出身の兵隊、片山玄澄従軍僧は、日本人になら念仏を唱えるが、中国人にならその気にはならない。ここで石川達三は戦争が宗教の国際性を否定するという危険性を内包していることを指摘する。

 

ところが、Wikiによれば、これは新聞紙法41条(安寧秩序紊乱、風俗壊乱)違反だとして、即日発禁処分となって起訴され、禁錮4か月、執行猶予3年の有罪判決。ビビった石川はその後は恋愛や結婚など家庭内部の問題に転向したとある。

 

 

五 「無錫」は上海・南京の中間に位置し、京滬鉄道が通っている。

 

352 京滬(けいこ、チンホ)鉄道 北京・上海間の鉄道。

 

本作品の主人公

 

倉田少尉 日記をつけている。小学校の先生。

平尾一等兵 母親を殺されて泣き続けるクーニャン姑娘を殺した。

近藤一等兵 ピストルを持っていた女スパイとされた女を殺した。医者。

笠原伍長 日本軍人が宿として使おうと思っていた自宅に放火した支那人を殺した。

 

蹲(うずくまる)

踞(うずくまる)

燻(くすぶる)る

 

365 主人公たちは、西澤大佐連隊長346部隊(歩兵第三大隊353)長335の下で、戦死した北島中隊長349の跡を継いだ古家中隊350に属しているようだ。

 

 

 

356 1125日、26

西澤連隊長大佐

無錫→横林鎮358→常州

「大行李」とは輜重隊のことらしい

武井上等兵

357 支塘鎮

中橋通訳

近藤一等兵

358 跣足(はだし)、肱(ひじ)

359 白茆(ぼう)江(上陸地点)

1130

 

毟る、毮る(むしる)

 

 

 

360 山茶花(さざんか)、立ち罩(こ)める

 

361 121日、奔牛站(たん)→122日、呂城→123日、4日、丹陽

 

362 笠原正三

第三大隊加奈目少尉

 

赫(かく)と

 

句容

高島師団

 

364 胯(また)

 

 

 

128日、湯山

湯水鎮

 

365 甕(かめ)

 

武井上等兵

倉田少尉

129日、麒麟門

366 秣陵関(モリングアン)→牛首山

索墅鎮(そうすうちん)→浮化

烏龍(うろん)山、幕府山、

 

高島師団

 

129

 

唐生智

 

1210

 

高島師団長→西澤連隊→古家中隊

 

屹(きつ、そばだつ)、屹(きつ)となって

 

草間

368 1210日、中山陵を占領

小林部隊

「南京城内で支那兵が略奪した」とあるが本当か。

1211

1212

369 古家中隊

古家が負傷し、倉田少尉が代行する。

370 武井上等兵が戦死

 

「一夫関に当たって闘う」

中国の故事「一夫当関、万夫莫開」関所を守る勇士が一人いれば、万人の敵が押し寄せても突破できない。地勢が極めて険しく、防衛に有利なこと。

 

371 1213

碼頭

唐生智

1214

1215日、16

1217

 

 

 

371 聲(こえ)

374 覘(うかがう)

 

感想 2026223()

 

「慰安所」や「クーニャン、クーニャン」の言及はあるが、強姦の場面は出てこない。指輪をせしめて来たなど、それをほのめかす表現はあるが。知らなかったはずはあるまい。

 

 

 

張青年

大阪で大震災の流言 「河内大和地震」は1年前の1936221日に発生している。

中央軍官学校

377 14日、15日、鎮江着

18日、上海着、虹口

378 「青幇紅幇」 紅幇(ほんぱん)は、中国の秘密結社。同時期に存在した青幇と対のようにいわれる民間発祥の秘密結社である。 広義の紅幇は哥老会と天地会の2つの幇会の総称となっている。

 

乍浦路

甦生(ソセイ)

近藤はもと医学士

112日、上海から南京へ

 

380 凋びる、しぼむ

 

381 笠原

 

一一

 

382 衞(衛)門(えいもん)=営門、兵営の門

383 立ち罩(こ)める

384 焦々(いらいら)していた

恰度(ちょうど)

焦(いら)だたしい

 

一二

 

以上

 

駒込武「内なる帝国主義の克服に向けて」『世界』2026年2月号

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