2026年8月11日火曜日

幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について 平野三郎 鉄筆文庫

 

日本国憲法 9条に込められた魂 鉄筆編 鉄筆文庫 006 2016

 

 

付録5 「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」 平野三郎氏記 憲法調査会事務局 昭和3919642

 

 

感想 202686()

 

幣原さんが戦前、世界平和のために献身し、国際協調に尽くしたことが、憲法9条に決断した原動力だった。幣原さんの考えを手短に要約してみよう。

世界平和のためには、世界政府に武力を集中する必要がある。武力は必要だ。

世界政府をつくるためにはその前に世界各国が協議をする必要がある。軍縮でも協議が必要である。しかし軍縮協議は簡単ではない。各国が利己主義を捨てきれないからだ。軍縮協議にはそういう堂々巡りのジレンマが付きまとう。そういう場合に自己否定的なお手本が必要だ。その役割を日本が引き受けよう。このように幣原さんは決断した。

 

 

メモ

 

128 第一部

 

私が幣原先生から憲法についてお話を伺ったのは昭和2619512月下旬であり、それは先生が同年310日に急逝される10日ほど前のことであった。

 

 

129 憲法9条は占領下の一時的な規定ではなく、長い間僕が考えた末の最終的の結論というようなものだ。

130 原子爆弾ができた以上、世界の事情は根本的に変わってしまった。戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる。

 

131 僕は世界は結局一つにならなければならないと思う。各国の交戦権を制限しうる集中した武力がなければ、世界の平和は保たれない。その武力は一個に統一されなければならない。ある協定の下で軍縮が達成され、その協定を有効にするために必要な国々が、進んでまた誠意をもってそれに参加する。各国の軍備が国内治安を保つに必要な警察力程度に縮小され、国際的に管理された武力が存在し、それに反対して結束するかもしれない如何なる武力の組み合わせよりも強力である、というような世界である。

 

原子爆弾が出現した以上、この理論を現実に移す秋が来たと僕は信じた。

 

133 恐らく世界にはもう大戦争はあるまい。原子爆弾という異常に発達した武器が、戦争そのものを抑制するからである。いかなる理想主義も人類の生存には優先しないことを各国とも理解するからである。

 

世界同盟実現の成否は、偏に軍縮にかかっている。軍縮協定なき世界は静かな戦争状態である。しかし軍縮ほど難しいものはない。交渉者に与えられる任務は、如何にして相手を欺瞞するかにあるからだ。原子爆弾の登場によって軍縮交渉は行われるだろう。しかし軍縮交渉は合法的スパイ活動の場でもある。原子爆弾は世界中に広がり、遂に身動きの取れない瀬戸際に追い詰められるだろう。軍拡競争は一刻も早く止めなければならぬ。しかし自衛のために力が必要だ。その結果がどうなるか、そんなことは分からない。責任は自分にはない。責任は相手にある。

136 果てしない堂々巡りである。集団自殺の先陣争いと知りつつ、一歩でも前へ出ずにはいられない鼠の大群と似た光景――それが軍拡競争の果ての姿であろう。

 

137 ここまで考えを進めて来た時に、第九条というものが思い浮かんだのである。そうだ誰かが自発的に武器を捨てるとしたら―― 何という馬鹿げたことだ、恐ろしいことだ。まさに狂気の沙汰である。しかし僕は何のために戦争に反対し、何のために命を賭けて平和を守ろうとして来たのか。このとき僕は天命をさずかったような気がしていた。

 

138 武装宣言は正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だ。世界は今一人の狂人を必要としている。何人(なんぴと)かが自ら買って出て狂人にならないかぎり、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ。日本人は原子爆弾という悪魔を投げ捨てることによって、再び神の民族になるのだ。僕が言うところの「死中に活」というのはその意味である。

 

139 日本の独立後に他国が侵略して来ても、第九条を堅持することが日本のために必要だと思う。強大な武力と対抗する陸海空軍は有害無益だ。我国の自衛は徹頭徹尾正義の力でなければならない。そしてその正義は世界の公平な輿論によって裏付けられなければならない。そうした輿論が形成されるように必ずなるだろう。世界の秩序を維持しなければならないからだ。そして第三国が日本の安全のために必要な努力をするだろう。

 

 

問 そうしますと憲法は先生の独自のご判断でできたものですか。一般に信じられているところは、マッカーサー元帥の命令の結果ということになっています。草案は勧告という形で日本に提示されたが、あの勧告に従わなければ、天皇の身体を保証できないという恫喝があったのですから、事実上命令に他ならなかったと思いますが。

 

答 ここだけの話にしてもらいたいのだが、僕には天皇制を維持するという重大な使命があった。(この表現だけでは幣原自身の天皇制観がどうなのかは分からない)元来、第九条のようなことを日本側から言い出すようなことは、できるものではない。(自殺行為だから)まして天皇制の問題に至ってはなおさらである。(絶対主義的天皇制を象徴天皇制に格下げするのだから)

 

幸いマッカーサーは(どういう経過かは知らないが)天皇制を存続する気持ちを持っていて、米国本土からもその線の命令があった。しかし、豪州とニュージーランドは、日本人は天皇のためなら平気で死んでゆくと、戦中の皇軍に怖れをなし、天皇制廃止をとなえ、ソ連に同調しようとしていて、対日理事会での票決で、アメリカが孤立する恐れがあった。

 

143 しかし、豪州やニュージーランドが恐れるのは日本の再軍備であり、天皇制そのものではない。戦争を放棄するならば、天皇が名目的に存続するだけなら反対はしないだろう。この構想は天皇制の存続と第九条の実現の、一石二鳥の名案である。

 

しかし、象徴天皇制への移行は国体に触れることだから、日本側から口にすることはできなかった。憲法を押し付けられた形をとったが、そうでなければできなかった。僕はマッカーサーに命令として出してもらうように決心したが、首相自らが国体と祖国の命運を売り渡すという国賊行為の汚名を覚悟しなければならないという大問題だったので、僕は松本君*にも打ち明けなかった。(*松本烝治。幣原内閣の憲法改正担当国務大臣)

僕は誰にも気づかれないようにマッカーサーに会った。昭和21124日のことである。僕は二人きりで長時間話し込んだ。

 

144 マッカーサーは(豪やニュージーランドなどからの天皇制廃止の主張にあって)非常に困った立場にいたが、僕の案はそれを打開するものであり、うまくいった。マッカーサーも第九条の永久的規定には驚いたようだったが、賢明な元帥は最後にはよく理解し、感激して握手した。

 

元帥が躊躇した理由は二つある。(日本を米の対ソ連戦争に捲き込むという)アメリカの将来的戦略と、共産主義者に対する影響であった。僕は元帥に言った。

 

 「幸か不幸か日本が戦争に負けたことは、戦争放棄を提起しやすい立場にある。これは世界史的任務である。貴下さえ賛成するなら、現段階における日本の戦争放棄は、対外的にも体内的にも承認される可能性がある。歴史の偶然を今こそ利用すべきである。日本を(対米従属ではなく)自主的に行動させることが世界を救い、したがって(結果的に)アメリカを救う唯一の道ではないか。

 また、日本の戦争放棄が共産主義者に有利な口実を与えるという危険はあり得るが、(世界滅亡という)より大きな危険から遠ざかる方が大切だろう。資本主義と共産主義とのイデオロギー的対立は絶対的に不動のものではない。マルクス・レーニン主義はやがて歴史のかなたに埋没するだろう。米資本主義が現に共産主義の理論的攻撃にもかかわらず、いささかの動揺もないことは、資本主義がマルクス・レーニン主義の理論に先行し、自らを創造発展せしめたからである。(資本主義にそんな理論があるのか。)彼らロシア人の敵はアメリカでも資本主義でもない。世界の共通の敵は戦争それ自体である。」

 

 

天皇制存廃問題

 

 私は吉田茂・外務大臣(憲法公布・施行時は首相)と、マッカーサーの草案をもって天皇を訪問した。僕は天皇に反対されたらどうしようかと内心不安だった。陛下は言下に「徹底した改革案を作れ、その結果天皇がどうなっても構わない。」と言われた。この英断で閣議も納まった。憲法も陛下の一言が決したと言ってよい。

天皇が権力に固執されたら、おそらく今日天皇はなかったであろう。日本人の常識として天皇が戦争犯罪人になるということは考えられないであろうが、実際はそんな甘いものではなく、当初の戦犯リストの冒頭に天皇の名があったのである。それを外してくれたのが元帥だった。元帥の草案に天皇が反対されたら、情勢は一変していたに違いない。

 憲法は天皇と元帥の聡明と勇断によってできたといってよい。天皇と元帥が一致しなかったら、天皇制は存続しなかっただろう。

 

 去年、金森君*に聞かれたときも僕は断った。(*金森徳次郎。吉田内閣の憲法問題専任国務大臣)

このいきさつは僕の胸の中だけに留めておかねばならない。そのつもりでいてくれたまえ。

 

 

150 第二部 前記第一部の結論に至るまでの思考過程

 

感想 202688()

 

幣原さんは戦争中にマルクス主義の文献を読んだようだ。恐らくソ連を隠然たる勢力として気にかけていたに違いない。本書に書かれている限り、その思考過程についてはよく分からない。どの文献を読んだかについても記されていない。マルクス主義といっても、唯物弁証法という歴史的発展論であり、剰余価値説については触れられていない。

 

ダーウインについても述べている。おそらくマルクス主義と同様、歴史的発展という点で共通するからなのだろう。

 

 

メモ

 

150 私は一生を平和のために捧げてきたようなもので、そのため長い間ずいぶん苦労した。しかし、そのために図らずも憲法改正という大事業を引き受けることになった。私は二度と戦争が起こらない保証を新憲法で確立したいと決心していた。

 

151 憲法改正案がたくさん出されたが、満足できるものは一つもなかった。自由党は天皇制護持に熱心なだけであり、進歩党は宣戦と講和の大権は議会の協賛を要するとしていたが、統帥権をやめるというに過ぎなかった。共産党は「日本人民共和国は侵略戦争を支持せず、それに参加しない」とするが、侵略戦争は行わわれたためしがない(どういう意味か)。結局、戦争をなくそうとするものはなかった。

 

人間は平和を願いながら実際は血なまぐさい歴史を綴ってきた。

ナポレオン戦争時のプロイセン軍将校だったカール・フォン・クラウゼヴィッツは、戦争の原因を政治であるとした。

マルクスは、資本主義社会では、階級闘争が帝国主義になり、それが戦争に発展するという。マルクス主義では、(クラウゼヴィッツの言う)政治は経済である。

 

こうした学説では戦争の問題は片付かない。社会主義なら平和になると言っても、現に今度の戦争は資本主義と社会主義の同盟軍がやった。またやがて資本主義と社会主義との最後の決戦はさけられないだろう。

 

ダーウインは、生存競争が生物進化の法則であると言った。私はこの生物学から戦争と平和の問題を考えるのが順序だと思った。政治的原因や経済的原因だけでは平和の問題は解決できない。ダーウインの進化論が核心である。

 

兄弟同志は戦争を始めるが、兄弟は相互扶助して外敵と競争する。人間は他人と競争するが、さらに大きな外敵と競争するために、これまで競争相手であった他人と相互扶助をする。その過程で人間は進化する。

154 戦争と平和は、生存競争と相互扶助ではないか。戦争と平和は人間の進化のために必要な二つの条件であり、人間の本質だ。これは歴史の宿命か。戦争の固まりみたいに思われた大日本国憲法も、平和を基調としていた。

 

ヘラクレイトスは「戦争は万物の王である」と言い、ムッソリーニは「人類は戦争を通じてのみ偉大な存在となる。永久平和など不合理な童話は、世界に存在したこともなく、将来も存在しないだろう」と言った。

 

私は諦めかかった。

 

156 恐竜は肉体が強大になり過ぎて滅び、鹿は角を伸ば過ぎて自らの行動を失い、キリンは首が長くなったために運命を危うくしているし、馬は人間が必要としなくなれば存在理由がなくなるだろう。スカンジナビア半島に棲息するレミンダスという鼠は、繁殖が頂点に達すると一列になって大移動し海に飛び込んで溺死する。死の行進である。

 

157 人間はどうか。人間もやがては滅びるだろう。人間は戦争を繰り返し、今や原爆という武器を手に入れた。原爆は進化における究極兵器である。人間も死の行進をするようになった。

 

158 進化論は科学であるが、科学とは何か。科学は増長した。科学は何事も解決できると増長した。しかし科学は倫理と無関係である。科学は人間を指導することはできない。人間は進化論を批判できる。それは哲学である。哲学は科学を征服する。人間は原爆の世界でも世界の修正を思い立つことができる。

 

160 人間は歴史を作れるだろうか。私には自信がない。

 

人間の意志は決して実現できない。実現できるなら今度の戦争も防げたはずだ。私がいかに戦争に反対し、平和を叫んでみても、怒涛のような戦争の激流を阻止することはできなかった。英米と戦うことが無理だということは、心あるものには分かっていた。しかし日本には必勝という信念があった。一度も負けたことがないからである。つまり今度の戦争は誰が何と言ってもどうしても避けることができなかったと思われる。

 

161 歴史の流れは人間の意志とは無関係に流れていくものではないか。何者か人間を超越した大きな力が、歴史を貫いてゆくように思われる。歴史とは何か。

 

 唯物史観によれば、歴史は物質の反映である。物質は人間の精神に優先し、精神の外部に独立して存在する。物質は科学が説明する。人間の認識は不十分で不正確である。科学の発展の過程で、人間は自然の中から新しいものを認識する。

 

 なるほど。しかしこれは永遠の法則といえるだろうか。人間の認識は事物の外観だけに限られ、真理の認識に至らない。その疑問に対して唯物論者は弁証法で説明する。エンゲルスは、「人間の認識は常に相対的誤謬の中で実現されるが、真実性を主張する無条件的権利を持っている。それは限りない世代の連続の中で解決される矛盾である。」と。レーニンはこのことに関して「そこには相対的真理と絶対的真理との弁証法的関係が見事に描き出されている」と感心している。

 

163 しかし(原爆が出現した)今日では「限りない人間世代の連続」があるかどうかは疑わしい。第三次世界大戦が起こり、究極兵器が発射されたら、人間は消滅するだろう。唯物論者は、精神はなくても物質は存在するというから、「かつてここに愚かな生物ありき」と立札を建てるだろうか。

 

 しかし唯物史観も人間の精神の自由を極力認めようとしている。レーニンは「自由とは自然の法則を特定の目的のために計画的に作用させる可能性の内にある。それは自然の必然性の認識に基づいて、外的自然を支配することである。つまり、自由とは必然性の洞察である」と言っているが、そのような自由は外的自然に支配されている自由だから、歴史を動かし得る人間本来の自由とは呼べないと私は思う。(幣原さんは「歴史を動かし得る人間本来の自由」は物質の外に存在できると考えているのか。)

 人間の精神は客観的実在を認める。しかしその精神は物質の反映にすぎない。その不十分で不正確なしがない影である客体が、なぜ主体を絶対の真理だと認めることができるのか。(むむ。)確固たる第三者がそれを認めるに違いない。それは人間の精神から抜け出した第三者であるはずだ。それは主体と客体を見比べ、物質を客観的実在だと宣告する。つまり唯物論者は人間ではなく、神である。唯物論者は神を否定するが、彼自身は神とならなければできない芸当をした。唯物弁証法は物質を神と見立て、物質という神に向かって旅を続ける永遠の旅人である。この哲学には根拠がなく、歴史の証明はできないと私は思った。

 

 一方、観念論は問題にならない。感覚や観念と客体とが不可分だとしたら、精神の及ばない世界には何ものも存在しないことになる。しかし、実際、南極大陸は精神とは無関係に存在している。

 

166 哲学史は物質と精神のいずれを主体とするかという論争の歴史であったが、それは無益な水掛け論にすぎない。

 真の本性は、観念論がしたように、外面という表皮ではない。また唯物論のように、内面にあるために予感し規定はできるが、決して到達できないような秘められた実在でもない。そのような存在は初めから存在していない。私は真の存在は、精神と物質の連鎖の中にあるのではないかと思う。

 私はすこし分かった気がした。宇宙の存在は精神と物質の連鎖の中にある。歴史は人間と離れて存在するはずがない。確かに歴史には一定の方向があり、それは個々の人間の意志とは別個に動いてゆく。しかし、人間のいないところに歴史が綴られることがない以上、自然の歴史などあり得ない。(恐竜時代は)

167 歴史は時間であるが、時間は本来無である。つまり、過去はすでにないし、現在は無限分割の極限であり、これも無である。未来も固より無である。その時間が一個の時計のように存在するというのは、弁証法的に統一されるからである。弁証法は、ヘーゲルが言うように、綜合的・内面的であり、観念の中だけで実現する。それは本来、唯物論とは結びつかない。時間は観念の統一である。時間は人間の観念によって組織される構造である。歴史も観念による人間的構造である。歴史には人間の意図がある。

 

 私はようやく一つの確信に達した。人間と遊離した歴史の必然など存在しない。歴史は人間のものだ。人間が人間の歴史を構成する。人間は歴史をどのようにも書き換えることができる。

 

168 歴史は今新しい段階に達しようとしている。究極兵器の登場によって人間は戦争進化の頂上に達した。戦争に向かうか平和に向かうか。新しい時代がやってきた。前史の閉幕である。戦争に血塗られた過去の歴史は去った。人間開花とは戦争のない世界である。どうして戦争をなくせるか。生存競争と戦争を区別すればよい。

 

169 戦争で大勢を殺すほど褒められるのは、生存競争と戦争を混同した錯覚に起因する。生存競争と相互扶助は車の両輪である。生存競争と戦争は同義語ではない。殺されることがなくなれば人間は退化するという人がいる。逆である。進化が滅亡の段階に達した今、大転換を図る必要がある。ムッソリーニは言った。「人間は戦争を通じてのみ偉大な存在になる」と。しかしスパルタクスの競技を通して競争者の数は減少し、進化は断絶する。そこで殺人と競技が分離し、殺人を目的としない競技に進化した。平和的生存競争である。平和的生存競争の花が開く。

 

以下の論考は第一部と重複するので重要部分だけを記す。

 

170 どうして戦争をなくすか。平和的方法で解決するには武器に頼らないことだから、武器を持たないことが一番確実だ。

老子の大道国家や、カントやルソーの永久平和案は夢に過ぎない。争いの解決には武力が必要だが、その武力は一つに統一されなければならない。

173 徳川幕府は武力を統一したが、将軍の永久支配というイデオロギーを凍結しようとしたため、学問の禁止という愚民政策を強行せざるを得なかった。そのために徳川幕府は300年しか持たなかった。人間は常に自由を求めてやまないのである。

 

174 資本主義と社会主義との戦いが予想されるが、原爆の出現がその戦争を抑制する。資本主義も社会主義も目的ではなく(平和に向けた)手段にすぎない。いかなる理想主義も人類の生存には優先しないということを人々は知るからである。よって世界同盟は必然である。

 

問題の成否は軍縮にかかっている。

 

178 「もし誰かが自発的に武器を捨てるとしたら――」と私は思いついた。

179 武装宣言が正気の沙汰と言えるか。

180 世界は今一人の狂人を必要としている。

武力は弱者の武器に過ぎない。

181 死中にこそ活がある。

私は人間天皇と戦争放棄とを一緒にマッカーサーに進言した。このことは彼の名においてのみ可能であることを彼は知っていた。

私としては松本君らに(マッカーサーとのこの内幕を)打ち明けることができなかったことは忍び難いことだったが、やむを得なかった。

 

182 マッカーサーが同意するまでには、日米軍事同盟という観点から、かなりの躊躇があった。

私は言った。世界が滅びれば、アメリカも滅びる。

183 「アメリカさえ賛成すれば、現段階における日本の戦争放棄は、対外的にも対内的にも承認される可能性がある」と私はマッカーサーに言った。

イデオロギーは絶対的に不動ではない。

184 マルクスの予言と論理は現実の中に消滅し、やがて歴史の彼方に埋没してゆくものである。二つのイデオロギーは徐々に接近し、いずれは区別のつかないものになってしまう時代がやがてくるだろう。

敵はロシアでも共産主義でもない。戦争それ自体である。このことはやがてロシア人も気づくだろう。彼らの敵はアメリカでも資本主義でもない。

 

以上

 

2026年8月10日月曜日

岩根承成「群馬発の非戦論から日本軍の戦争を考える」

 

講演会 岩根承成「群馬発の非戦論から日本軍の戦争を考える」202689() 前橋市芸術文化れんが蔵

 

 

感想 三点

 

日本は朝鮮や中国だけ(それも不十分でしかも修正しようとしている)でなく、東南アジアの国々に対しても、戦中の行為に関してきちんと謝罪し続けなければならない運命にある。今日本で修正主義者が跋扈しているような状況は、ドイツでは考えられないことである。謝罪した上での真の友好関係が求められる。財力で脅した「友好」関係では駄目だ。インドネシアやフィリピンでは、小中学校の教科書で、戦争中の日本の行為について厳しく指摘している。知らないのは日本人だけ。資料1

 

日本の歴史修正主義者は執拗である。高崎連隊所属の某兵隊が南京戦に従軍していたという資料「戦闘詳報」が、その兵隊の前橋の実家で発見されたことを、岩根さんが「高崎市史」の増補用冊子で発表したところ、某歴史修正主義者*がその実家を調べ当て、その原本を持ち去ってしまったという。証拠隠滅目的である。

 

*講演では「東中清三(当て字、せいぞう)という防大の修正主義者に原本を渡してしまった」と言っていたようだが、ネットで調べると該当者がいない。

 

日清戦争でも日本軍による一般市民に対する虐殺行為が行われていた。資料2

 

 

資料1

 

フィリピンの中学用教科書 ザイデ『普通中学用フィリピン史』1959

 

「彼ら(日本人)がフィリピン人に語ったことは、彼らは、フィリピンを西洋の抑圧から解放するためにやってきたということ、彼らとフィリピン人は兄弟であるということであったが、彼らは街を尊大な「スーパーマン」のように闊歩したり、ちょっと気に障ることがあると、人々の顔を叩いたり、散々に殴ったりした。彼らはこの国を略奪し、男を日本軍の事業に強制的に働かせ、女を凌辱し、多くの罪のない民間人を虐殺した。…すべての鉱坑と工場は日本人の手で運営された。フィリピンの土地の大部分は、日本が綿花を緊急に必要とするために、綿の栽培にあてられた。…あの占領の暗黒時代に、日本軍はこの土地に住み、米、カモテ、果実、野菜その他の食糧を大量に消費していた。当然、国民は飢え、ぼろをまとい、―厳しく反日的になっていった。」

 

インドネシアの小学校5・6年用教科書『わが民族の歴史』1962 (世界の教科書を読む会編『軍国主義』1971、江口圭一『十五年戦争小史』1991

 

「ニッポン人はインドネシアの「支配」を始めた。オランダの物資は日本の保有するところとなった。…さらにすべてのニッポン人は「日本の旦那様」と呼ばれるにいたった。まさに日本は、オランダがそうだったように、インドネシアの主人になろうとしたのである。…日本はインドネシアに多くの要塞を建設した。我々は要塞づくりの労働を強制的にやらされた。…我々は「ロームシャ」(労務者)にされた。「ロームシャ」とは日本人によって強制労働させられた人のことである。農民、労働者はあたかも奴隷のように家屋敷を捨て、他の地方、つまりジャワ、スマトラ、イリアン(ニューギニア)、ビルマ、タイなどに連れていかれた。(強制連行)彼らはジャングル、沼沢地、海岸などで働かされた。わが民族の苦しみは極めて大きかった。コメを日本軍に強制供出させられて、我々は飢えた。着物も、薬も不足した。不足しないものはなかった。人々は恐怖と不安の日々を送った。日本に反抗しようとする気配をみせれば、逮捕され、拷問にかけられ、そして投獄されるか殺されるかしたものである。老若男女の区別はない。学校の生徒たちは「奉仕作業」に狩りだされた。子供たちはまた、日本の歌を歌えなければならず、日本語でしゃべれなければならなかった。同様に日本式の服装まで奨励された。あたかもインドネシア人は日本人に変化しなければいけないかのように。」

 

資料2 日清戦争時の旅順での一般市民に対する虐殺行為 十五連隊第三大隊二等卒の兵士 窪田仲蔵の『従軍日記』明治2719941121日の記事 長野県で発見された。

 

「支那兵と見たら粉にせんと欲し、旅順市中の人と見ても皆討殺したり、故に道路等は死人のみにて行進にも不便の倍なり、人家に居るも皆殺し、大抵の人家二・三人より五・六人死者のなき家はなし、其の血は流れ其の香も亦甚だ悪し 捜索隊を出し或は討ち或は切る敵は武器を捨て逃るのみ 之を討ち 或は切る故 実に愉快極りなし … 後日の調に依れば、婦女四十余人を殺したりと云ふ」

 

以上

メモ

 

 

浅尾 2010年、私は麻屋デパートを平和資料館にしようと運動をしたが、それはならず、2014年から、この煉瓦蔵(前橋市芸術文化れんが蔵)を前橋市から借りている。

 

 

石原まり バッハなどのチェロ演奏とトーク 30分 チェロを9歳の時から習い始め、ベルギーに留学。現在38歳。箱田町の出身。

 

 

石根承成「群馬発の非戦論から日本軍の戦争を考える」

 

 

内村鑑三1861.3.23-1930.3.28 69歳没)は、高崎藩の藩士の長男として生まれた。(以下、Wikiも加えつつ)高崎英学から東京外語へ。そこから札幌農学校へ。クラークと接し、キリスト教に入信。

 

明治231890年、一高(現・東大教養学部)の教員に就任。翌年の明治241891年、教育勅語奉読式で、偶像崇拝(奉拝)を拒否して最敬礼しなかった。学生が注視していた。不敬事件で退職。

 

その後、教会関係の仕事をしていたが、1897年、朝報社に入社して『万朝報』の英文欄を担当し、足尾鉱毒問題を取り上げたが、自己都合で翌1898に退社し、『東京独立雑誌』を創刊した。その間の1899年、「女子独立学校」の校長に就任。1900、内村の問題で『東京独立雑誌』を突如廃刊・解散した。旧社員は『東京評論』を創刊して対立したが、内村は『聖書の研究』を創刊するとともに、その創刊の1か月前に生活のために万朝報に客員として復帰し、今回は日本語で寄稿。また自宅で「角筈聖書研究会」を開く。

1901年、講演がてら足尾を訪問し、万朝報に『鉱毒地遊記』を書く。その後「鉱毒調査有志会」が結成され、「社会改良理想団」の結成にも関わり、佐野の被害地を再訪した。

しかし1902年には、内村は聖書研究に沈潜した。

ところが日露戦争前の1903年、東大の七博士が主戦論を展開する中を、内村は、「戦争廃止論」を万朝報に発表したが、108日、万朝報が世論に押されて主戦論に転じると、幸徳秋水や堺枯川と共に退社した。

内村は不思議なキリスト理論に基づいて兵役拒否希望者を説得して兵役につかせた。

その後内村はキリスト教関連の「教友会」を結成したり、聖書改訳の開始・中断をしたりした。また階級闘争という敵対関係の社会主義を批判した。

その後も教会関係の仕事に関わった。…心臓発作で69歳でなくなった。高崎に内村の屋敷跡がある。

 

感想 内村はキリスト教信仰に基づく不敬事件で退職に追い込まれ、足尾鉱毒問題では古河市兵衛を批判し、日露戦争前には戦争に反対するなどして世に知られる一時期もあったが、その後は社会主義に反対するとともに、勝手気ままにキリスト教関係の仕事をし続けたようだ。英語はよくできたようだ。

しかし石根さんが示す、万朝報(明治36630日)の「戦争廃止論」には、内村の「戦争絶対廃止論者」の決意のほどがよく分かる。曰く「戦争は人を殺すことである。そうして人を殺すことは大罪悪である。そうして大罪悪を犯して個人も国家も永久に利益を収め得ようはずがない。」

 

 

柏木義円1860-1938は新島襄の弟子で、新潟県人である。

 

越後国与板藩の真宗大谷派西光寺の住職の家に生まれた。

1878年、東京師範学校を卒業し、群馬県碓氷郡土塩村(現・安中市)で小学校の教員となった。その時新島襄が伝道に安中を訪れ、それを契機に「同志社英学校」に入学するも学費が続かず、1年で安中に戻り小学校の教員に。安中教会で海老名弾正に影響され入信した。

1884年、同志社普通学校に再入学し1889年卒業。同志社予備校で教職勤務。1892年、熊本英学校事件で辞職し、同志社予備校に復職。

 

1897年、日本組合基督教会安中教会の牧師となる。1898年、大久保貞二郎と『上毛教界月報』を創刊し(193612月まで459号)、足尾鉱毒事件、廃娼運動、未開放部落問題、朝鮮人虐殺問題などの政治・社会批判を展開した。日露戦争や第一次大戦、満州事変、国際連盟脱退を批判し、「無戦世界の実現」を訴え続けた。満州事変では、軍部を批判して『上毛教界月報』が発禁処分となった。

 

「日本新聞紙の報道が、往々にして悉く信じ難くなる。しかし世界の新聞はあからさまに之を伝える」(『上毛教界月報』396号、19311020日)これは満州事変1931.9.18後のことである。

 

 

『憲兵情報』1931109日によれば、「大阪毎日新聞の記者・野中成童は、事変後の922日に満洲に派遣され、102日に帰国したが、「鉄道破壊は日本軍が自ら爆破して、中国側の行為としたものらしく、真相を知るにおよび、馬鹿らしく、到底真面目に勤務する能わざるを以て社命を俟たず帰来した」と友人に語った。」

 

『憲兵情報』19311019日によれば、「『朝日』(大阪朝日新聞社)は19311012日、重役会議で「今後の報道方針として軍備の縮小を強調するは従来の如くなるも、国家重大事に処し日本国民として軍部を支持し国論の統一を図るは当然の事として、現在の軍部および軍事行(動)に対しては絶対非難批判を下さず、極力之を支持すべきこと」を決定し、編集局幹部にこの方針を示達した。」

 

感想 恐るべきこと。1937年ではなく1931年でもすでにマスコミは信用できなくなっていた。

 

 

高崎十五連隊

 

近くに死亡した兵隊のためのお寺と病院(陸軍病院)がある。現在の国立高崎病院である。

 

沼田にも赤城山麓に「迫撃第一連隊」がある。これは松江から19404月に移転したもので、毒ガス隊である。国立沼田病院はその関連病院である。AIでは194112月以降、島根県から化学戦(毒ガス戦)部隊の「迫撃第一連隊(東部第41部隊)」が移駐して駐屯した。赤城山麓の北面(昭和村)に専用の演習場があった。

 

 

P2

 

パリ不戦条約1928.8.27には日本も参加していたが、日本は「戦争」とは言わずに「事変」と称し、これは戦争ではないと戦争を続けた。

 

旅順虐殺事件 明治271121日、日本軍は中国人の市民や婦女子を無差別に虐殺した。事件直後、NYワールドやロンドン・スタンダードがそれを報道した。柏木義円は世界の新聞を読んでいてそのことを知っていた。

 

 

高崎連隊には時の経過につれて連隊が10個ある。

 

日清戦争旅順『従軍日記』は長野県で発見された。

 

日清戦争時に、従軍記者や作家、絵師がいた。洋画家の浅井忠は、『時事新報』の画報隊(通信員)として、914日から126日までの3か月間、遼東半島、金州、旅順などで従軍し、スケッチ、水彩画に残し、帰国後『旅順戦後の捜索』や『樋口大尉小児を扶くる』などを発表した。現在それは国立博物館にある。高校の教科書にもその絵が掲載されている。

 

 満州事変

 

満州事変では日本軍は工作鉄道爆発の直後に中国側の「北大営」を攻撃している。

 

 

明治4年、高崎に県庁がおかれたが、明治5年、高崎に「兵部省」がおかれ、県庁は分散し、前橋に移った。長野県と埼玉県には連隊がおかれず、長野と埼玉の人は高崎連隊に入った。

 

P7

 

ベルリン・オリンピック1936.8のマラソンで朝鮮人が優勝したが、東亜日報は日の丸の絵を消して報道した。

 

以上

 

2026年8月9日日曜日

金平重紀さんより 20260809 日 自衛隊の「別班」「別動」「現地」に要注意

 

金平重紀さんより 20260809 日

 

自衛隊の「別班」「別動」「現地」に要注意

 

熊本日日新聞72324日付、1面トップ

 

陸自中央情報隊「現地情報隊」(2007年、イラク派遣を契機に新設)が数千人分の個人BBDベーシック・データ・ソース報告書を作成していた。元隊員の証言「隊員であることを偽って調査する手法をマニュアル化していた。」

 

防衛相や政治家や官僚には知らされていないとのことだが、本当だろうか。

 

2013年、共同通信が「別班」を「特殊作戦群」と一体運用するという構想を暴露。

1973年、韓国KCIAの依頼を受け、金大中の所在を提供したのは、「ミリオン資料サービス」社。同社は元自衛隊が設立し、社員は警視庁外事課出身者。自衛隊陸幕二部「別班」のダミー会社。「別班」は米軍の「下働き」「下僕」

小泉進次郎「「別班」はこれまでも今も存在していない」

朝日新聞阪神支局襲撃犯の犯行声明文に「別動」

2026年8月6日木曜日

アンゲラ・メルケル『自由』下 KADOKAWA 2025

 

アンゲラ・メルケル『自由』下 KADOKAWA 2025

 

 

感想 2026712()

 

リーマン・ショック(20077月、リーマンの破綻は9月)

 

社会主義の不自由を嫌悪・否定し、「自由」を求めたはずのメルケルさんだったが、資本主義の強欲を抑えるための方策を考え出さねばならなかったという皮肉。

 

2007年の「リーマン倒産放置ショック」(米政府はリーマンが倒産するに任せた)が政治に求めたことは、銀行資本の強欲の全てを満たしてやらないと「市場」が「安定」せず、経済(生産・消費)が成り立たなくなるという強欲そのものだった。これは資本主義政体の危機そのものではないか。放置しておけば、生産は落ち込み、失業者は街にあふれるだろう。「市場」への政府の介入方法が、「市場」の強欲を全て満たしてやることであり、そうしないことには「市場」が回復しないというのは皮肉なことだ。そしてその事後対策が、銀行員の給料を抑制することぐらいしかなかったのである。

 

リーマン・ショックの原因をつくったのは、銀行の放縦な経営を許したアメリカとイギリスの資本主義政体であった。

 

 

感想 2026715()

 

 ユーロ金融危機は、ギリシャの財政赤字が当初発表のGDP3.7%ではなく、実は12.7%だったと判明したことから始まった。その後イタリア、スペイン、ポルトガルなどの財政危機も発覚し、その解決策として、ギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガルの今後2年間に迫る国債償還の合計額7500億ユーロの融資枠組みが決まった。また実際その融資枠組みが決まると、アイルランドも融資を求めてきた。

結論として全てを面倒みないと解決できないということである。

 

ギリシャは国民投票でEU首脳部からの要望に対抗しようとしたが、その不可能を悟ったパパンドレウ首相は退任し、サラマスに交代した。

このユーロ危機の原因は米発のリーマン倒産事件だったのではないかと思われる。

IMFが融資に協力した。

この危機の中でも堅実な経済だったのが、ドイツ、フィンランド、オランダなどであった。

 

 

感想 2026716()

 

 ユーロ・ギリシャ金融・財政危機の続き

 

 「財政と金融との分離」という問題と、ギリシャの内政問題という二つの問題が述べられている。

 

 財政と金融との分離 メルケルさんは各国の財政政策と金融を掌るECB欧州中央銀行とは独立しているべきだ、財政政策と金融政策の分離は通貨同盟の中核だ067と考えていたが、その考えは各国の首脳からも自国の担当者からもまずいと指摘され067、結局、ECB総裁マリオ・ドラギが、ギリシャの短期国債を無制限に買い入れるという「無条件金融取引」を決定し、メルケルさんもそれに従ったようだ。結果的にその決断は功を奏し、ギリシャの国債利回りは着実に下降していった。069メルケルさんはドイツ国内の連邦憲法裁判所の判断を気にしていたが、ドイツ連邦憲法裁判所よりも欧州司法裁判所の判断が優先されたようだ。068

 

 ギリシャの内政問題 2015126日、ギリシャではアレクシス・チプラス首相の左派政権が生まれ、201575日、EU合意案を否決することを目的とした国民投票が実施され、その結果6割がEU合意案を拒否するという政権の方針に賛成した。ところがおかしなことに、そのギリシャが、その直後の2015712日、EU合意案を受け入れたのだ。そのことをメルケルさんはギリシャ国民がユーロを手放したくなかったからだと説明する。またメルケルさん自身もギリシャをEUから離脱させたくなかった。もしギリシャが離脱したら、波及効果が生じ、EUの存続に悪影響を与えると懸念したのである。返済開始が2033年、EFSFによる融資の「加重平均満期」は42.5年とのこと。「加重平均満期」とは、資産全体からの資金回収にかかる平均的な期間。債権などの満期を迎えるまでの残存期間を投資金額の割合で加重平均したもの。

 

「トロイカ」 本書のどこかで「トロイカ」が何であるかについて説明があったはずなのだが、失念したのでAIで調べてみた。「トロイカ」とは、欧州委員会ECEUの行政府)、ECB欧州中央銀行(ユーロ圏の中央銀行)とIMF国際通貨基金である。ギリシャ国民はトロイカに反発した。

 

「ヨーロピアン・セメスター」066とは、各国の議会による審議以前にEC欧州委員会が、加盟各国の国家予算案や改革計画を審査できるというものである。

 

 

感想 2026717()

 

082, 083, 084  メルケルのプーチン評

 

 プーチンは2000年に大統領に就任して以来、ロシアが再び国際舞台で(特にアメリカから)軽んじられることのない大国になることを目指し、そのために全精力を傾けてきた。彼にとっては、民主的な体制を構築するとか、きちんと機能する経済を通じて全ての人に豊かさがもたらされるといったことは、どうでもよかった。それよりもアメリカが冷戦に勝ち抜き勝者となったという事実に対して、何等かの形で反抗することを重視していた。冷戦後のこの多極化世界において、ロシアもまた不可欠な極となることを求めていた。そのために彼がとりわけ活用したのが、スパイとして培った自らの経験だった。

 

 

プーチンの主張

 

2007210日の「ミュンヘン安全保障会議」で私は、意見の相違は多々あるが、ロシアとの対話の道を絶えず模索して取り組むべきだと呼びかけた。

 

続いてプーチン大統領が演台に立った。彼は一極世界について語り、こう問いかけた。「しかし、一極世界とは本当のところ何なのでしょうか。いかに美しく飾り立てようと、結局のところ、それが意味するところは一つです。それはつまり、権力の中心が、そして意思決定の中心が一つしかない世界のことです。たった一人の主、たった一人の君主による世界です。…国際法の基本原理はますます軽視されています。それどころか、ある特定の規範が、そう、実際の所、ある一国の法体系のほぼ丸ごと全部が、あらゆる分野でその国境を踏み越え、経済、政治、人的分野において他の国々に押しつけられています。その一国とはもちろん、とりわけアメリカ合衆国です。」

 

さらにプーチンはイラク戦争を暗に示唆しつつ「ほとんど際限のない肥大化した武力の行使」について語り、アメリカの目指す欧州ミサイル防衛システムについて疑問を呈し、NATOによる国連委任のないセルビア空爆をほのめかしつつ、国連がEUNATOによって置き換えられことは許されないと訴え、NATOの拡大は挑発的だと述べた。そして演説の最後に、

 

「ロシアは千年の歴史を持つ国であり、ほぼ常に独立した外交を行う特権を有してきました。今日においても、この伝統を変えるつもりはありません。我々は世界の変化を注視し、自らの可能性と潜在能力を現実的な目で評価しています。(意味深)そしてもちろん、責任ある、同じく独立したパートナー諸国と協力し合って、選ばれた者だけでなくすべての人々に安全と繁栄が保証された、公正で民主的な世界を構築していきたいと願っています。」

 

 

2008年、ルーマニアのブカレストでNATO首脳会議が開催された。議題はジョージアとウクライナから要望された、NATO加盟に先立つMAP(加盟行動計画)への参加を認めるかどうかであった。このことに関してメルケルとサルコジ大統領と米のブッシュとは意見を異にしていた。082 ブッシュは両国の参加に前向きだった。ライス国務長官がブッシュを代弁していた。092 

 

メルケルが危惧していた点は、082

 

・ウクライナのクリミアにはロシア黒海艦隊が常駐して、その条約の有効期限は2017年だった。

・当時のウクライナ国内では、NATO加盟希望者は少数派であり、国内に深い亀裂があった。

・ジョージアは南オセチアとアブハジアの両地域で未解決の領土紛争を抱えていた。

 

もしウクライナとジョージアをNATOに加える約束をすれば、プーチンとの「戦争」になるだろうとメルケルは恐れていたのだろうか。メルケル「中東欧諸国がどんなにロシアの存在を毛嫌いしても、ロシアは実際存在しており、核武装している、無視できない存在だ。」

しかしこの時2008年のメルケルらの判断を、ブチャの虐殺2022.4.3を見たゼレンスキーは「ロシアに対するバカげた恐れだった」とこっぴどく批判した。080それに対してメルケルは、対ロシア抑止効果の評価での見解の違いだという。098

 

 

096 2008年のNATO首脳会議の翌日、プーチンはブッシュをソチに招待した。当時は敵対ばかりではなかった。(とメルケルさんは言うが、これはプーチンが、その4か月後の20088月の南オセチアの民兵とジョージア軍との武力衝突に対するブッシュの出方を探っていたのではないか。)実際、ブッシュはジョージアの派兵要請に応じなかった。

 

 

蛇足

 

091 1898年、ルーマニアのニコラエ・チャウシェスク大統領は軍事裁判で死刑判決を受け、即日処刑された。(はっきりしているが、極端だと私は思う。)

 

095 ウクライナのユシチェンコ大統領は選挙期間中にダイオキシンを盛られた。(プーチンの影が見え隠れする。)

 

 

感想 2026719()

 

プーチンの変節

 

ソ連崩壊直後のプーチンはEUに対して好意的でEUとの条約にも入っていた*が、どういう訳か次第に変節し、EUとの関係を好まなくなったという。その理由として、プーチンの大国意識を指摘する。つまりプーチンはかつてロシアが支配していた東欧などの衛星諸国と対等な立場でEUとの同じ条約に加盟するのを好まないという。そしてそのかつての衛星諸国がEUに参加しようとすると、関税を強化するぞとか、石油を半額にしてやるぞとか言って、飴と鞭の両用で阻止しようとした*らしい。メルケルさんは、それをプーチンの大国意識というのだが、本当なのだろうか。

 

*ソ連崩壊後、EUはロシアを含むEU周辺諸国に対して様々な条約を用意して、取り込みを図った。099

1994年、欧州共同体とロシアは、自由貿易圏の創設を目指した「パートナーシップ協力協定」を締結し、それは1997年に発効した。

2008年、EUはその南東に隣接した国々との「地中海連合」を創設した。これには、北アフリカ諸国や中東バルカン諸国などが含まれ、イスラエルやパレスチナも含まれている。

 

2000年、ロシアは「ユーラシア経済共同体」を創設し、それは2001年に始動した。

 

*ウクライナのヴィクトル・ヤヌコーヴィッチ大統領は、EUとの「東方パートナーシップ首脳会議」開催の直前に変節し、ロシアとの関税同盟の方向に舵を切った。モルドバとジョージアは仮著押印した。

 

 

感想 2026720()

 

日本会議が11宮家の男系男子の養子縁組を考え始めたのは、愛子天皇人気に対するカウンタパンチだったとのことだが、それと同じことが、ロシアとウクライナ・EUとの関係についても言えるのではないか。革命には反革命が伴う。それは歴史の事実である。ベルリンの壁が大勢の大衆によって取り壊されるのを見て喜ぶ人がいる反面、旧ソ連を信じていた人にとっては、苦々しく思われたことだろう。それがプーチンだったのではないか。

 

 プーチンの孤立 欧米の歴史は華々しい。立派な建築、美術品、洗練された民主主義的政治システム、巧みな弁舌…。それに対して、ロシアやロシア仲間はどうか。華々しい歴史があっただろうか。遊牧民や西洋の歴史から立ち遅れて植民地化された国々などしか見当たらない。悔しい、と思うだろう。当然だ。

 

2014年は、ロシアにとって分岐点だったのではないか。つまりウクライナのベルリンの壁が崩壊したのだ。マイダン(広場)革命のとき、一旦は政界の代表者たちで合意が成立したのに、それを大勢の大衆が覆し、ヤヌコーヴィッチは追放され、ロシアに逃げ、クーデターだと叫んだ。ウクライナではその政界の代表者たちではなく、牢屋に入っていて解放された女性ユーリア・ティモシェンコ*の仲間トゥルチノフが議会の議長と大統領代行になった。

 

2011年、ティモシェンコはロシアとのガス契約に関する職権乱用を巡り、審理妨害で逮捕され、禁錮7年の判決を受け、さらに2013年、1996年の実業家射殺事件の首謀者としても起訴されていた。

 

クリミアでの住民投票3/16と、ウクライナ東部二州の独立が宣言2014/4され、住民投票5/11が行われたのはこの年2014年のことである。

 

 

感想 2026721()

 

・ドイツの2021年度予算の軍事費の対GDP比は1.33% 2%達成目標が2020年代末。これは日本の2%(2025年度補正予算を含む)よりも少ない。ちなみに1%は三木武夫の1976年、それを超えたのが1987年の中曾根康弘の1.004

 

・難民認定率(2012年~2014年ころの申請承認の割合)が1%をはるかに下回っていた。(下128頁) 難民認定率は日本で報道されているほど高くない。(しかしAIによれば、2014年、日本は0.22%、ドイツでは30%~40%とある。)

 

・ドイツのメルケル首相が、小学校の体育館で、子どもとの「市民対話集会」2015.7.15に出席し、しかも相手は「不法」難民の女の子。そんなことは日本でありうるか。その背景は何か。キリスト教か、神道か。神道は居丈高に権威を振りまくが、キリスト教は博愛か。141

 

EU内では首脳間の交流が多く、日常的に行われている。日本ではあり得ないことだ。習近平や金正恩や李在明と問題があるごとに日常的に気軽に話し合っているか。その背景には、戦前の謝罪が尽くされている/いないことが関係しているのではないか。日本はまともに謝罪をしていないし、謝罪しても反故にする。それでは相手は信用しない。また領土問題も未だに抱えている。

 

・メルケルさんの難民問題に対する崇高さ、ポリシー。毎年恒例の夏季記者会見2015.8.31で、ハイデナウでの難民受入施設への襲撃事件を受け、メルケルさんはまず「人間の尊厳は不可侵である」と定めたドイツ基本法第1条の意義を強調する。「ドイツ国民であるかどうか、どういった理由でどこからこの国にやって来たのか、最終的に難民申請が承認される見通しがあるかどうかにかかわらず、私たちは全ての人に対して、その人の人間としての尊厳を重んじます。他者に暴言を吐いたり、攻撃したり、宿舎に放火したり、暴力を振るったりする人々に対しては、法治国家として断固たる姿勢で立ち向かいます。憎悪を煽るデモを呼びかける人々と戦います。他者の尊厳を疑問視するような人々を、決して許しません。」そして住まいや就労の長期的な展望と統合のためのより良いサービスの提供を説明し、難民を生み出しているそもそもの原因に対処することの重要性を強調した。147すばらしい。

 

 

感想 2026723()

 

ドイツ国内におけるISテロ問題 メルケルさんのIS観は「テロ」との戦いであり、内向きだ。なぜISが起ったのか、ISは人間ではないのか、という問いは見られない。ISの影響は、EU全体の難民・移民問題にからんでいる。184

 

 

感想 2026723()

 

ドイツの人は偉い。ハンガリーのブダペスト151の高速道路上を徒歩でオーストリアやドイツに向かって歩く大勢の難民の人たちを、ミュンヘン中央駅やドイツの各地の駅で大勢のドイツ人ボランティアが出迎え、お菓子や食べ物を手渡したという。

 

メルケルさんらが201594日、5日、その受け入れの決断をしたのだが、必ずしもすべての人を受け入れるというわけではなかった。内紛下のシリアなどの難民ではなく、ただドイツの生活水準に憧れて来る人は別である。

 

問題の核心は自らの祖国を離れたいという気持ちになる貧困、国際間格差である。それに対してメルケルさんはトルコやアフリカ諸国(エチオピア、マリ、ナイジェリア、セネガル176)に対して金銭的解決をした。

 

 トルコとは「11メカニズム」と称し174、ギリシャがトルコに一人を送還すると、トルコ国内のシリア難民を一人EUが受け入れるというものである。これによってバルカンルートの難民数が201644日以降、201510月比で95%減少したという。175 

 

やはりこの原動力はキリスト教的博愛か。メルケルさんもその点を指摘している。158

 

 

感想 2026724()

 

ドイツでは移民増加のせいか、ISのせいか、暴力的極右のせいか、暴力事件が頻発した。

 

・集団婦女暴行事件190 20151231、ケルン中央駅。窃盗、暴行、性的暴行。加害者は数百人の北アフリカ、アラブ出身者。

 

・列車内暴行事件179 2016718、一人の男が斧とナイフで。5人中4人が重傷。逃走中にさらに1人を襲撃、警官に射殺された。ISが犯行声明を出した。

・自爆179 2016724、居酒屋で男が自爆。15人中の一部が重傷。精神病の難民。ISとのつながりが疑われる。

・広場でトラックが暴走181 12人が死亡、数十人が負傷、一部が重体。ポーランド人のトラック運転手を射殺していた。ISが犯行声明。難民申請者。ミラノで警官に射殺された。20161219の出来事。

 

・政治家が極右に自宅で射殺された。195 CDUの元ヘッセン州議会議員で、カッセル行政区長官だったヴァルター・リュプケ。極右勢力とつねに立ち向かい、2105年以前から敵意や脅迫に幾度もさらされていた。201961のことである。

 

 

感想 2026724()

 

BRICSの登場は米帝国主義支配の終焉の始まりを意味していた。中国は200811月、世界の金融・経済危機打開のために、4600億ユーロ相当の大金を自国内に投資した。それは同時に世界の金融危機打開にも貢献した。その額はその3か月後の米オバマによる6000億ユーロの景気対策に匹敵する。210

 

2009年のG20ピッツバーグ・サミットで合意されていた、IMFにおける議決権配分改革を、アメリカは2015年末まで妨げようとした。

2014年、BRICS が、IMFと世界銀行に代わる開発銀行である「新開発銀行」を創設した。

2015年、中国が、新たな開発銀行AIIB(アジアインフラ投資銀行)を創設し、50か国以上が参加した。米日はそれへの協働を拒否したが、独英仏伊はAIIBに参加した。

 

2013年以降、アメリカはWTOでも、その紛争解決機関の上訴審である「上級委員会」の新委員選出を阻止してきた。そのためWTOの紛争解決機能は弱体化した。

 

 

感想 2026729()

 

WTO体制の崩壊から二国間・多国間自由貿易協定の時代に変遷した。

 

WTO1995年に設立された。1947年に締結されたGATTを基礎としている。

ドーハ・ラウンド2001では農業分野などでの環境基準が提起され、開発途上国の無税での参入も盛り込まれた。2008年のワシントンでのG20 は、世界経済の崩壊を恐れて成立を求めたが、2013年、オバマは途上国の無税参入を拒否した。

 

ドイツは韓国、カナダ、日本、シンガポール、ベトナムなどとは自由貿易協定を結んだが、アメリカとは失敗した。

 

 

217 パリ気候協定 法的拘束力による強制から自主性へ

 

1997年、京都議定書が採択され、第1約束期間(2008年から2012年まで)に1990年比5.2%のCO2削減を先進国に義務付けたが、米は2001年、参加を撤回した。

2012年、第2約束期間(2013年から2020年まで)に1990年比18%削減で合意したが、ロ日ニュージーランドは不参加で、カナダは前年の2011年に離脱していた。

 

 この3年前の2009年のコペンハーゲン会議で、産業革命以前の水準から2℃以上の気温上昇を避けなければならないこと(そのためには世界のCO2排出量を2050年までに50%削減しなければならないのだが)、2020年までに自主的削減目標を各国が事務局に伝達すること、後進国に2020年以降毎年1000億ドルの支援をすることなどが決まった。

 

 2015年のCOP21パリ会議に170か国が各国の(自主的)貢献目標を提示し、それを5年ごとに更新することに合意した。今世紀末までにCO2を実質ゼロにすることを自らに義務付けた。

 

 

アフリカとのパートナーシップ

 

2015年のG7エルマウ・サミットは、今後5年間で西アフリカ諸国を含む60以上の国々と保健パートナーシップを結ぶことで合意した。

私たちはアフリカ諸国のためにではなく、アフリカ諸国と共に何かを打ち立てなければならない。

2017年、初のG20アフリカ・パートナーシップが開催された。

 

 

236 中国の「九段線」は第二次大戦後中華民国が打ち立てた海図に由来する。中国の「多国間主義への支持表明」は、口先だけのものであることが判明した。

 

 

感想 2026729()

 

237 トランプ

 

2016年、トランプはヒラリー・クリントンとの大統領選挙戦中でも、ドイツと私の批判を展開した。私が2015年と16年に大量の難民を受け入れてドイツを荒廃させたと批判した。

20173月私はワシントンを訪れた。トランプは安倍晋三とは19秒間も手を離そうとしなかったらしいが、私の時には、記者から依頼され、私がささやいても、トランプは私と二度目の握手をしようとしなかった。それが彼の作戦なのだ。会談中、トランプのハッタリによるドイツ批判に対して、メルケルさんは数字で対応し、土俵が違っていた。彼は相手に良心の呵責を起させることを狙っているようだった。

トランプだけでなくオバマもドイツの防衛費増を迫っていた。2014年のNATO首脳会議で、全加盟国が2024年までに防衛費GDP2%を目標とされていたが、ドイツはそれを達成できそうもなかった。ただしドイツは2016年、2017年、国防予算を8%増やした。私は安全保障をNATOに頼っていることを自覚していた。(メルケルさんの方向性は間違っているのでは。)

 

G20ハンブルク・サミットが201777日に開かれた。反グローバル主義者が車を燃やし、商店を略奪し、石を投げ、警官592人が負傷した。

 

気候変動に関して191の決議を採択した。これは異例である。トランプが私に電話でパリ協定からの離脱を表明していた。宣言は「我々はパリ協定から離脱するというアメリカ合衆国の決断を承知する。…それ以外のG20諸国の首脳(安倍晋三を含む)は、パリ協定が不可逆的なものであることを宣言する」

 

2016年の杭州G20で、中国が鉄鋼輸出でダンピングをしているのではないかと問題視されたが、習近平はそれを否定した。国際的な調査が行われるさなか、20186月、トランプは、中国だけでなくほぼすべての国に、鉄鋼とアルミニウムに関税をかけた。202212月、WTOはそれをルール違反と判定したが、バイデンは同関税を撤廃しなかった。私はカマラ・ハリスが大統領になることを願っている。

 

 

感想 2026729() メルケルさんのトランプ対処法を学ぶ

 

メルケルさんのポリシー「私の責務は挑発に乗ることなく、両国の良好な関係のために全力を尽くすことだ。」237

メルケルさんはフランシスコ教皇の忠言「曲げて、曲げて、曲げて、けれど折れないように」242から学んだ。

 

トランプの対話策略 トランプは対話のテーマについて考えていない。対話中に次の足を引っ張るネタを考えているから、対話そのものは深まらない。「彼がこちらの示す論拠に注意を向けるのは、それをもとに新たな批判を考え出そうとしている時ぐらいだった。今話し合われている問題を解決することを、彼はおそらく目指していないのだ。彼が目指しているのは、対話相手に良心の呵責を覚えさせることのように私には思えた。私が断乎として反論する姿勢だと分かると、トランプは唐突に長々とした演説を止め、話題を変えた。」239

 

 

感想 2026730()

 

市民との対話

 

メルケルさんはトゥンベリらの要望に応えて対談の場を持ったという。こんな小娘にと言っては失礼だが、こんなことは歴代の日本の首相の場合にありうることだろうか。日本の首相は事前に質問内容を出させないと、質問に応じない。日本の首相は事前に差しさわりのない答弁を用意しておき、その場で自分の頭で考えようとしない。民主的成熟度の差を感じる。265

 

2020820日、メルケルさんはスウェーデンのグレタ・トゥンベリ、ドイツのルイーザ・ノイバウアー、「フライデーズ・フォー・フューチャー」のベルギー代表2名らと、連邦首相府で対話を行った。

 

ドイツでは1990年から2020年までの30年間でCO2排出量を40%削減し、2005年から2021年までのメルケルさんの首相在任期間の16年間で、電力の再生可能エネが占める割合は10%から40%超にまで上昇した。266

 

 

原発

 

福島原発事故直後の2011312日、6万人の人々が45キロの距離(シュトゥットガルトからネッカーヴェストハイム原発まで)を、人間の鎖でつなぎ政府の原発稼働延長政策に反対した。251

 

20115月、ドイツの原発政策を審議した「倫理委員会」の報告書はこう述べている。「問題の中心となるのは、想像できる物事ではなく、むしろ想像できない物事である」と。

メルケルさんは201169日の連邦議会で、「ドイツは2022年までに原子力利用を終結する」と宣言した。

メルケルさんは「原子力利用のリスクに対する自分の中での評価が変化した」256と述べている。日本でも事故時の政権が民主党ではなく自民党だったら、脱原発の方針は変えなかったのではなかろうか。

 

 

ロシアからのガス

 

 ロシアからドイツに向けてバルト海の海底を走る「ノルドストリーム2」は、20219月に建設されたまま一度も天然ガスを運んだことがない。それはロシアがウクライナ東部2州、ルハンスクとドネツクを承認2022.2.21し、それに対するドイツによるロシアへの制裁が原因である。

それ以前の20217月に、米(バイデン)独は、ウクライナを支援することや、ロシアがエネルギーを武器として脅した場合、ロシアからの天然ガスの輸入を制限することなどの共同声明を出していた。262 私はこの米独共同声明について事前にプーチンに電話で伝えていた。私の後任オラフ・シュルツ首相が「ノルドストリーム2」を止めた。263

 

2014年のロシアによるクリミア併合以降も稼働していた「ノルドストリーム1」(第1ライン2011開通、第2ライン2012年開通)も止められた。前記とほぼ同時期の2022224日、ロシアがウクライナに侵攻し、それに対して制裁がなされ、ロシアも「タービン欠品」を理由に供給を停止した。

 

このため、天然ガスの方がLNGよりも安く、ドイツの燃料費は値上がりした。

 

ロシアからの天然ガス輸送方法は、「ノルドストリーム1」以前に、ウクライナ経由とベラルーシ・ポーランド経由とがあったが、ウクライナ経由は、ウクライナ国内の通過料問題があり、供給が不安定であった。

 

ドイツは冷戦時代もソ連から石油と天然ガスを輸入していて、米から白い目で見られていた。258ドイツのガス輸入に占めるロシア産の割合は、2005年に40.6%、2019年に48.8%で、かなりの量をロシアに依存していた。259 独ロ関係は長い間いい関係だったともいえる。

 

ところが2017年に就任したトランプ大統領は、米の安全保障に差し障るとして、ノルドストリーム2の建設に係るドイツ企業に制裁を科す法案を成立させた。アメリカは2016年までLNGの輸出を禁止していたが、シェールガスの水圧破砕法の発見261によって輸出に転換するようになったようだ。

 

 

感想 2026731()

 

アフガン戦争

 

アフガニスタン戦争に、ドイツ軍兵士93000人が投入され、うち59人が亡くなったという。メルケルさんは戦争参加を「誇りに思う」というが、私は賛成できない。日本は平和憲法があって良かった。中村哲さんのような人も生まれた。

 

アフガニスタン戦争の終結は、トランプ大統領とタリバンとの合意によって決まり、ドイツ軍や他のNATO欧州軍、それに当事者であるはずのアフガニスタンの当時の政権は蚊帳の外であった。

 

メルケルさんは混乱している。アフガニスタン戦争に参加したことは間違いでなかった、テロは軍事力で撲滅できると言いつつ、実際は認識不足だったと白状している。

 

 アフガン戦争は2001911日の「テロ」から20218月の退却まで、ブッシュ、オバマ、トランプと三代に渡る戦争だった。オバマは戦争終結を急ぎ、トランプも大枠ではオバマの路線を受け継いだようだ。

 

 

メルケルさんの野党とのコンセンサス

 

 メルケルさんは野党を含めた各党の党首や議会各会派の議員団長とコンセンサスをとって政治を切り盛りしている。20218月のアフガン退避計画の概要について電話で説明している。270 日本はどうか。

 

 オバマ大統領がその任期の終わる2017年初めまでに8400人の米軍勢力を縮小しようとするのを、メルケルさんは維持してもらいたいと要望し、オバマもそれを受け入れた。277 メルケルさんは軍事力を信奉していたようだ。

 

 

ドイツもアフガニスタンに経済支援をしている。278 2007年に7700万ユーロ、2016年に45000万ユーロ。アフガンのインフラ整備でも貢献している。

 

 

感想 202681()

 

メルケルのリビア・イニシアティブ

 

チュニジアで2010末から始まったアラブの春の民衆運動は、2011.1リビアにも押し寄せた。人々はカダフィー独裁に異議を唱えた。仏英は軍事介入を唱え、アメリカを含むNATOが軍事介入2011.3.19し、カダフィーの車を空爆2011.10.27し、カダフィーは民衆によって殺された。その後リビアは東西に分裂し、周辺国エジプトやトルコ、ロシア、アラブ首長国連邦にいたるまで、それぞれの思惑で東西いずれかの陣営に武器供与し、紛争は収まらなかった。

 

この間ドイツは軍事介入に反対(国連で棄権)し、NATO諸国から批判された。それに対してドイツはリビアの平和的統一を手助けしようとした。20201月にベルリンで開催された国際会議はそのためのものである。この会議には国連のグテーレス事務総長を始め、EU諸国、アフリカ諸国、アラブ諸国が参加した。プーチンや、トルコのエルドアン、エジプトのエルシーシ大統領、アルジェリアのテブン大統領、コンゴのンゲソ大統領、ジョンソン英首相、アメリカのポンペオ国務長官、アラブ首長国連邦のナヒヤーン外相・皇太子、中国の楊潔篪(ヤンチェチー)外事工作委弁公室主任なども出席した。もちろんリビアのガッサン・サラメ国連特使も、ベルリンのこの会議に招かれた。ここで停戦と武器禁輸で合意した。「リビア和平会議」である。

 

ドイツは2016年以降、アフリカ諸国に資金供与もしている。武器や弾薬も供与したとあるが、いかがなものか。

 

 

感想 202681()

 

戦後ドイツの再軍備は1956年に始まるが、徴兵制はその時から始まっていた。メルケルさんは「私個人は徴兵制は防衛上必要だ」と淡々と語るが、私としては違和感を感じる。ドイツでも自由党FDPは徴兵制に反対で、兵役義務の廃止を求めていた。285

 

本節では、徴兵義務そのものは憲法上に残しておきながら、財政健全化・緊縮財政の観点(2009年基本法改正、2016年発効)から、徴兵制を停止2009することについて書かれている。徴兵制の停止であり廃止ではない。これは2010年ころの話だから、アフガン戦争2001-2021のころのドイツ兵は、志願制の兵隊だったのだろうか。

 

 

感想 202681()

 

西バルカン諸国のユーゴ戦争1991-2001後の和解についても、ドイツのイニシアティブが発揮された。2014年、西バルカン諸国の首脳をドイツに招いた。

1999年、ドイツ空軍は創立以来初めて戦闘行為に参加し、ミロシェヴィッチ大統領率いるセルビアとユーゴの軍隊と戦った。

 

 

感想 202683()

 

AIから新事実を発見 イスラエルはナチスのホロコーストに対してドイツに賠償金を請求し、西ドイツはそれに応じた(金銭ではなく物質的賠償)が、東ドイツは応じなかった。理由は自らを反ファシズム国家としたからである。

 

アフガン戦争はアメリカによるあてどもない単なる報復感情の発散に過ぎなかったのではないか。罰せられるはずの犯人はすでに死亡しているから、処罰のしようがないのである。それを転じて応援したとされる人物を罰しよとすることは筋違いであるし、その人物を住まわせたとしてタリバンを攻撃することは、タリバンにとってはいい迷惑だったのではないか。だから戦果に対する何ら「あてどもない」単なるリベンジに過ぎなかったのではないかと思う。

 

メルケルさんは「テロ」という言葉を疑わずに用いる。この世には恐ろしい「テロリスト」がいる、タリバンはテロリストだ、ヒズボラはテロリストだ、と端から信じていて、なぜその「テロリスト」が生まれるようになったのかについて思いはせることがない。そしてパレスチナの人々に対して思いやる言葉が全くない。中東戦争でのイスラエルによるパレスチナ占領の歴史について知らなかったのだろうか。それとも知ろうとしなかったのか。知っていても敢えて言及しなかったのか。このことについての欧州の人々の常識が信じられない。その背景にはAIによれば、冷戦構造による思考パターンがあるようだ。つまりソ連がパレスチナを擁護していたから、西側はパレスチナは無視するという思考パターンである。

 

イスラエルは対ヒズボラ戦争にドイツを抱き込むうえで巧妙だった。イスラエルはメルケルさんを招待して会議をする前に、ホロコースト記念館を見学させてドイツ人の贖罪意識を喚起させたり、メルケルさんの名を冠した「メルケル博士女性化学物理学奨学金制度」を創設295したりして、飴と鞭の両面で懐柔し、ヒズボラに対する監視軍(国連レバノン暫定軍)にドイツ軍を参入301させようとした。20069月のことである。

 

メルケルさんは20083月にイスラエルを訪問した。296

 

 

感想 202683()

 

310カイロス 退任の挨拶

 

情緒的で分かりにくい。しかし誠実さは伝わる。一生懸命にやってきた。16年間首相を務めてきた。疲れた。

 

 

303 国是

 

トランプが「コミュニスト」と言って対立候補を批判するように、メルケルさんも「テロ」、「テロリスト」、「反ユダヤ主義」などの言葉を無反省に用いている。これらの言葉は、事実以上に反感や価値判断を含んでいる。相手をけなすことになるから、軽々しく使うべきではないと思う。より具体的に表現するべきだと思うのだが。

 

イスラエル人入植者やイスラエル軍によって連日西岸で行われているパレスチナ人に対する暴力こそ、被害者にとっては憎むべき「テロ」ではないのか。彼女はアルジャジーラを見ていないのか。そういう現実の中で、彼女が平板に「二国家共存」を口にしても、重みが感じられない。

 

「ハマスはイスラエルの殲滅を目標としている」307と言い、ハマスのロケット弾攻撃そのものだけを切り離して取り上げるのは片手落ちではないか。そしてこの間のSNSでのイスラエル批判は「反ユダヤ主義」であり、表現の自由の逸脱だとして罰せられなければならないとも言っている。ここまでくると一方的な暴論ではないか。

 

彼女はイランの核開発をやり玉に挙げているが、イスラエルが核兵器をもち、米ロ中英仏、インド、パキスタン、北朝鮮が核兵器を持ちながら、イランだけを悪玉としてやり玉に挙げるのは、公平と言えるのだろうか。

 

「民主主義国家による問題解決」という考え方も、聞き捨てにできない気になる言葉だ。それは批判されるべき「非民主主義国家」の存在を暗に前提し、それを問題解決の過程で蚊帳の外に置いてよしとしているのである。304「富の公平な分配から、気候変動、テロと大量破壊兵器による脅威まで、世界が直面する大きな課題は、欧州とイスラエルのように、共通の価値観と利益によって結びついている国々が協力し合うことでしか解決できない」

 

 

感想 202684()

 

メルケルさんは誠実ですね。私はメルケルさんのテロやイスラエルに対する見方には不満があるが、メルケルさんがコロナ・パンデミックの時に、自らの物理化学者としての観点が先行するあまり、国民の実生活を無視したイースター休暇中の隔離政策を宣言したところ、国民から抗議の声が上がり、すぐ思いとどまり、一旦決めた閉じこもり隔離政策を撤回して国民に向かって謝罪した。国民との信頼関係を大切にしたのである。一国の首相が国民に向かって謝罪するというのは勇気の要ることに違いない。

 

 

メモ 202685()

 

347 パンデミック ヨーロッパが迎えた試練 EU全体としてのコロナ対策

 

 当初はコロナに各国がバラバラに対応していたが、後に仏独が中心となって、EUやヨーロッパとしての財政的措置(復興基金創設348)を含む、統一的な対応を取るようになった。(そこには欧州中心主義的な行動も見られる。医療に必要とされる防護用品347を輸出制限した。347

 

347 新聞では「フォンデアライエン」と表記されるが、正確には、ウルズラ・フォン・デア・ライエンというらしい。フォンデアライエンは、2019121日、ジャン=クロード・ユンケルの後任として欧州委員会委員長に就任した。欧州が統一してコロナに対処すべきだという考え方はフォンデアライエンの働きかけによるところが大きい。

 

 

350 新しい領域

 

351 欧州はテロの脅威に対抗するために米の情報に依存していた。

 

 

354 コロナ禍における政界政治

 

ミンスク合意(ロシアによるクリミア半島占領後の20149月、20152月)は一部しか守られず、前線での停戦は守られなかった。ドネツク・ルハンスク2州でロシアが支援する分離主義者が問題の種であったが、ミンスク合意は、分離主義者が支配する地域に自治権を与え、そこでの地方選挙を認めていた。

 

357 ポロシェンコは以前の自らの立場を翻し、キーウで、1万人のデモ隊と共に「降伏反対!赦免反対!」と叫んでゼレンスキーに抗議していた。つまり、ポロシェンコは、ミンスク合意に反対し、分離主義者に自治権を与えることにも、紛争の責任者(分離主義者)に恩赦を与えることにも反対するようになった。

 

355 2019129日、パリで、ノルマンディー・フォーマット会議が開かれた。

358 そこでマクロン、ゼレンスキー、プーチン、メルケルは、シュタンマイヤー方式*の実施と、ミンスク合意の履行を宣言したが、ロシアの国境管理問題については合意されなかった。

 

*シュタンマイヤー方式とは、201510月、ドイツのシュタンマイヤー外相を招いてパリで開催されたノルマンディー会議で提案されたもので、OSCE欧州安全保障協力機構の監視下で、ドネツク・ルハンスク2州での地方選挙を認めるというものだった。

 

355 ゼレンスキーは前任者のポロシェンコが、ドンバスでの紛争を解決せず、クリミア半島の解放もしなかったと激しく批判した。

 

 

359 プーチンは次第にミンスク合意への関心を失った。プーチンはジョー・バイデンの招待を受け、2021616日、ジュネーブにやって来た。それまでの1年間、プーチンはコロナを口実に欧州の首脳とは面会していなかったのだが。

 

 

362 考えの違う非民主主義国の政治家とこそ、直接の対話が必要になる。最小限の共通点を見つけるには、絶え間ない情報交換が必要だ。そうしないと自分の考え方だけが正しいと思い込んでしまう

 

363 防衛費の上昇は不可欠だ。GDP最低3.5%が必要だ。(私は反対)

364 外交努力も必要だ。

 

 

退任式典

 

366 ベンドラーブロックは、現在連邦国防省のベルリン本部であるが、1945720日、反ナチス運動が始まったところである。(日本にはそういうものがなかった。

 

 

エピローグ

 

371 政治家は厳しい質問を避けるために、質問をはぐらかしながら時間を埋めるきらいがある。そして自分の発言を理解しにくくするために、不完全なフレーズを頻発するものである

 

以上

 

 

幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について 平野三郎 鉄筆文庫

  日本国憲法  9 条に込められた魂 鉄筆編 鉄筆文庫  006   2016     付録5 「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」 平野三郎氏記 憲法調査会事務局 昭和 39 年 1964 年 2 月     感想  2026 ...