駒込武「内なる帝国主義の克服に向けて」『世界』2026年2月号
感想 2026年2月24日(火)
台湾が中国の内政問題だというのは分かるが、だからと言って、台湾が、台湾人2300万人の意思も尊重されずに、米日中の大国間の取り決めによって中国側に領有されるというのは、弱小民族に対する不当な帝国主義的介入であると、駒込武は指摘する。頷かれる。忘れられがちなテーマである。反省。
知っていますか。台湾には日本語しか話せない台湾人がいたということを。これは厳然とした事実。彼らは戦後、大陸からやって来た中華民国人に差別・弾圧されたという。
台湾が1895年4月に日本によって領有された時点から1949年12月に蒋介石が破れるまでの55年間に生まれた台湾人は、1949年当時55歳以下の人たちだから、当時55歳以下の人で日本語しか話せない人がいてもおかしくない。
メモ
054 本稿は、2025年11月23日に「キャンパスプラザ京都」で行われたシンポ「排外主義・軍事化といかに闘うか」(反戦・反貧困・反差別共同行動in京都主催)での駒込武の発言を基に補筆修正したものである。
044 内田樹の「台湾は中国の内政問題論」は、1972年の日中共同声明における「台湾を中国の一部とすることに日本は理解し尊重する」、つまり、ひょっとしたら台湾は中国の一部ではないかもしれないという含みがある点を捨象している。(「環球時報からの質問への答え」「内田樹の研究室」2025年11月23日)
(日本は)中国との戦争を避けるために、台湾を見捨ててもいいのだろうか。
国連憲章第2条第4項「国際関係では武力による威嚇や行使を、領土保全や政治的独立に対して、慎むべきだ」とあるが、現在のウクライナ侵攻やガザ虐殺は、国連憲章を根拠にして正当化されている。(最上敏樹『国際法以後』みすず書房2024)
045 中国の「反国家分裂法」2005.3.14は、「台湾独立を目指す勢力が、台湾を中国から切り離す事実をつくりかねない場合には、非平和的方式を用いてこれを阻止する」とするが、中国は「台湾は内政問題だ」としてすでに国連憲章に違反する行為を行っている。
ドイツは20世紀初頭、アフリカの「ヘレロ人(台湾人は)人間ではない」として大量に虐殺した。(最上敏樹)
それではどうしたらいいのか。それは台湾を国際的に認めることではないか。アジア太平洋経済協力会議APECや国際オリンピック委員会IOCに台湾は「中華台北」として参加している。WHOにもかつてはオブザーバーとして参加していて、それを米・カナダ・欧州が支持していた。それは中国による台湾進攻を抑止する力となるはずだ。
046 過去に日本は台湾人を見下して利用したが、それを繰り返してはならない。これまでの外交交渉を相対化すべきではないか。(外交ゲームのルールの相対化)他者の土地を「分割・返還」できると考える帝国主義の論理は今でも通用している。
台湾史を振り返る。
第一、1895年の下関条約で日本は清国に台湾を「割譲」させた。清国は17世紀に台湾を中華帝国に、辺境・開拓地として組み込んだから、それを「手放す」こともできるが、それは突然割譲された人々にとっては青天の霹靂である。
日本は台湾の全島平定に半年かかったが、その後も10年間、武力による抵抗運動が続き、多くの台湾人が日本軍によって殺害された。台湾人は清国から見放され、その後は本島人として(蒋介石に)差別され、その過程で台湾人としての意識が醸成された。
第二、1945年の米英中によるカイロ宣言によって、台湾は台湾人の意思に関わりなく中華民国に「返還」された。
中華民国は独自の国語を組み立て、国旗・国歌を制定したが、その過程から疎外されていた台湾人は、中国語を話すことができなかった。
047 中華民国で一党独裁制を築いた中国国民党の指導者は、この中国語を話せず日本語を話す台湾人を「日本人によって奴隷化された」として軽蔑し、日本時代と同様に参政権を制限した。
1947年、台湾人は反政府反乱を起こした。蒋介石は南京から援軍を派遣して鎮圧した。影響力のある知識人を中心にして2万人を処刑した。(2・28事件)
このなかから高度の自治を求める台湾人は独立を求めた。廖文毅1910-86は上海で「台湾再解放連盟」を組織し、その後香港に拠点を移し、人民投票で台湾の帰属を決めるべきことを主張して綱領を定めた。この運動の中には、中国共産党を支持する左派も含まれていて、民主独立政府を台湾に樹立し、人民投票を経て、「中国民主連邦」に参加することを想定していた。
1949年、中華民国の中央政府が台北に移転されたが、それに先立って、(国民党は)全島に戒厳令を敷いて、政治弾圧・言論統制を行った。サンフランシスコ講和条約は台湾の帰属に言及しなかった。
048 第三、1965年、米軍が北ベトナム爆撃を本格化し、中国では文革が始まった。69年、中ソ国境で軍事衝突が起きるという背景の中で、米中が接近した。
1972年2月、ニクソンが訪中し、毛沢東は彼と握手したが、毛沢東のその行為はベトナム人民への裏切り行為とみなされた。『台湾時代』という雑誌を刊行する、米滞在中の左派台湾人は、米中国交正常化を裏切り行為をみなし、中国が「西側帝国主義陣営に加わった」と批判した。
1972年9月、田中角栄が訪中し、日中共同声明に調印した。その声明の第5条「対日賠償請求権の放棄」の蔭で、在沖縄米軍基地からの核兵器の撤去を(毛沢東は田中に)約束させていた。
台湾人の意向の無視 謝雪紅1901-70(女性のようだ)は、日本植民地時代に台湾共産党の創設に参加し、2・28事件で国民党政府と闘った後に、香港に亡命し、後に全国人民大会の台湾省代表に選ばれたが、台湾政策では台湾固有の事情を踏まえるべきだと主張したために、「地方民族主義者」と批判され、1957年に中国共産党籍を剥奪された。70年、紅衛兵に攻撃される中で死亡した。
049 2024年6月、中国司法当局は「職権を利用して、台湾が中国の一部であるとの事実を改竄する」行為は処罰の対象になり得るとし、重大案件では「国家分裂罪」に基づき死刑も可能であるとする方針を示した。台湾が中国の一部であるというのは事実ではなく一つの歴史解釈である。思想の判断は曖昧で恣意的である。軍事力で台湾を統一した場合、大勢の台湾人が処刑されるだろう。「中国が台湾に侵攻しても台湾が降伏すればいい」という意見もあるが、台湾人は降伏しないだろう。
1972年の日中国交正常化を歓迎する人は、右でも左でも多かったが、そうでない人もいた。川満信一1932-2024は宮古島出身のジャーナリスト・詩人・社会主義者であった。川満は沖縄の本土復帰に反対した。1972年2月の『中央公論』の中で川満は、「中台間で歴史的体験の隔たりがある。台湾は自らの意思や選択で自らの歴史を定めて行くことを大国間の取り決めによって許されなかった。」とする。
050 林景明1929-2016は1945年に15歳で日本軍学徒特設警備部隊に召集された。林は1962年に日本に実質的に亡命し、台湾独立運動に関与しながら、日本の入管行政の非道さも告発した。
林景明は、『台湾処分と日本人』1972の中で、1972年の日中共同声明を新たな台湾処分だと告発し、世界同時革命を目指す日本の「正義漢」が、「台湾は中国の支配に服すべきだ」とか、「台湾人は中国人と同一民族だから、中国人によって解放されるべきだ」とか、「世界革命のためには台湾は中国の支配を受け入れるべきだ」とか言うのは、台湾を中国への賠償物にしようとするのではないか、「正義漢」は「台湾では反米の声が聞かれないから自己解放の能力がない」と決めつけているのではないかと反論する。
強大化した中国に対しては国益的感性でもみ手で臨み、国家としての性格も怪しい台湾には高慢に望む態度は、日本の左右いずれにも当てはまるのではないか。
051 中国は、西松建設中国人強制連行・労働補償訴訟で、最高裁が、日中共同声明が賠償請求権を放棄したことを根拠にして請求を退ける解釈をしたことに異議を述べている。
052 「台湾大陸委員会」のアンケは、「台湾の将来は台湾人が決めるべきだ」という人が84.4%に上ることを示している。
国際連盟1920は植民地獲得競争に一定の歯止めをかけ、45年の国連憲章は「人民の同権及び自決」の原則を掲げた。そして66年の国際人権規約は、自決権を国際法上の権利として確立した。
台湾の戒厳令下から米国に逃げ出した台湾人は、「台湾人民自決運動」を組織し、1975年、「ワシントンポスト」紙上で、北京政府に要求した。「台湾の自決権は、北京政府の政策とも一致している。台湾の人民投票の結果を受け入れてもらいたい。」
「台湾問題は中国の内政問題ではない」という国際的合意を目指すべきだ。
川満信一は「東アジア非武装地帯」というビジョンを提起した。同様に、森宣雄・冨山一郎・戸邊秀明編『あま世へ――沖縄戦後史の自立にむけて』法政大学出版局2017は、「済州島、沖縄、台湾、海南島など、大国間にはさまれた島々を、非武装地帯にせよ」と述べている。
以上
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