2020年10月25日日曜日

砲声殷々たる北平における日支両国青年座談会 1937年、昭和12年9月号 話 「文芸春秋」にみる昭和史 第一巻1988 感想・要旨

 

砲声殷々たる北平における日支両国青年座談会 1937年、昭和12年9月号 話 「文芸春秋」にみる昭和史 第一巻1988 感想・要旨

 

 

感想 20201021()

 

1937年7月11日の夜は、近衛内閣=軍部政権が企画した、「挙国一致」を報道関係者、国会議員などに求めるために設定した特別な夜だったようだ。*本座談会も、この7月11日の夜に中国でもたれたとのことだが、その趣旨に合致する内容である。出席者の所属は○○で伏せられ、場所は中国とされているが、実際、これらの登場人物、設定された場所が真実なのかどうか疑わしい。要は、本座談会は、文芸春秋社が近衛内閣=軍部政権に協力しますという意思表明のために設定され、世間にその挙国一致の決意を表明するためにつくられた場と考えていいのではないか。座談会に中国人が出てくるのだが、日本寄りの意見を言う者ばかりで、南京政府=蔣介石政権の意思を表明する中国人ではない。こんな日本寄りの中国人がいるとは、本文にも出てくるが、中国人の多くが政治に白けていたからなのだろうか。(この私の論調を次の追記2で修正する。)

 

*1937年7月11日の夜、近衛文麿首相は、報道関係者、国会議員、財界代表を首相官邸に招き、近衛と杉山陸相が挙国一致を要請した。(山崎雅弘『1937年の日本人』pp. 99-100

 

追記1 中国人参加者が全く日本寄りでもなく、中国側の主張をすることもある。ということは本座談会が実際に行われたということか。

 

追記2 20201022()

 

本座談会に出席している中国人は、欧米が指導する東洋世界ではなく、日本を盟主とした東洋世界を、目指すべき世界として想定しているようだ。その点、日本の主張する大東亜共栄圏の考え方とも一致する。だからその意味で日中の衝突はまずいと考える。また、この中国人の一人は、明治天皇を崇拝しているという。これも東洋中心主義の考え方から生ずるのだろう。「日本がいなかったら、東洋は欧米によって植民地分割されていただろう」(賀安忠385)という発言にそれが現れている。

 

追記3 20201023()

 

 当時中国は国家としてのまとまりがないことが悩みの種であった。多くの小国に分割されていたヨーロッパが、戦後EUとして統合したが、中国は、戦前は、北方の軍閥を統合しようとし、戦後は、チベット、ウイグル、内蒙古、香港、台湾などを統合しようと努力している。日本のような小国は国家としてまとまり易かったのだから、戦前の中国が国家としてのまとまりがないと揶揄することは、国家の面積の大小を考慮に入れない自己中の発想ではないか。

 

話はそれるが、アメリカはどうか。アメリカはイギリス系を中心にして、原住民を追い払って居座った侵略者国家であるが、中国やヨーロッパと同様に国土が広大だから、州によって法的事情が異なる分散傾向があり、実際南北戦争のときは、南部諸州が北部諸州から独立しかけたこともあった。アメリカの連邦と各州との関係はどうなっているのだろうか。トランプ大統領が他党派のミシガン州知事を酷評し、そのためウイットマー知事がテロ組織に拉致されかかるなど、連邦と州とは疎遠な関係のようだ。少なくとも日本のように、中央政府の出先機関が実質的に自治体を縛りつけている中央集権とは違うようだ。

 

 

要旨

 

編集部注

 

 1937年7月7日、北京(当時は北平)郊外の盧溝橋での「ナゾの一発」から日中戦争が始まった。それから4日後の7月11日の夜、この座談会がもたれたという。発表当時の解説は以下のようだった。

 「北平東四牌楼四五条胡同の某所に会合した日支両国青年の舌端は火を吐き、日支の現状、アジアの将来を憂うるの至情は火花と散った」(戦争調)北平は当時戒厳令下に置かれていた。

 

本文

 

   出席者

○○会代表 松本 準

日本○○協会北平支部 吉村四郎

○○○嘱託 武島義三

北平○○出張所主任 東 達人

満州国○○会北平駐在員 藤岡 繁

北平○○会理事 王 純慶

中華○○研究会代表 賀 安忠

中国○○青年会北平支部長 劉 国芳

北支○○促進期成会理事 殿 学雲

 

378 松本 日本人はここに来るだけでも命がけだ。道中、哈達門(ハタメン)大街で訊問されたが、強気に出て通過した。

賀 お気の毒です。

東 いくら支那人くさく装っても、面貌、体つき、特に肩の線あたりで区別がつく。第一、歩き方が全く違う。

松本 今朝いつも乗りつけの自動車屋に電話したが、「松本だ」と言ったら、一旦車があると言っておきながら、故障だから行けないという。

東 日本人を乗せるなという指令が飛んでいるのだろう。

吉村 いつもなら洋車(ヤンチョ)夫が乗ってくれと言うのだが、今日は知らん顔をしている。支那人は現金だ。

松本 それは役所の指令に忠実なのだ。後が恐ろしいのだ。今度の事件は今までのとは様子が違う。今度ほど形勢が悪化したことはない。民衆が殺気立っている。

 

松本 (日中は)互いに今まで協力して来た。「北平の特殊性」に鑑み、「北支明朗化」のために協力してきたが、戦争になってしまった。

 

*「北平の特殊性」というのは、北京は南京とは違うから、日本に有利な状況を甘んじよ、「北支明朗化」も北京から南京勢力を追い出せというような意味なのだろう。

 

379 賀 日支が戦争することは東洋のために不幸を招来する。

 

賀 盧溝橋事件の責任は日本側にあると支那側は断じている。日支の新聞の声明は正反対である。

王 欧米各国の大公使や新聞記者は、一般的に、南京外交部員の談を信じているようだ。その内容は、7日夜、盧溝橋付近で演習中の日本軍が付近の住民である支那人を、原因は分からないが、逮捕しようとしたのを、支那兵が目撃し、その非を難詰したところ、日本兵はそれを聴かず、8日午前4時頃、日本兵から発砲してきたので、自衛上やむなく応戦したと言われている。

吉村 正反対だ。でたらめだ。支那一流の悪辣な宣伝だ。日本はこの手でずいぶん過去に泣かされている。事実を捏造して嘘でかためたことをまことしやかに吹聴し、鉦や太鼓でやんやと囃し立てる。

東 自衛上やむなく応戦したというのは、実に生意気なことをぬかす。支那軍がそんな鷹揚な態度が取れるものか。昨年の豊台事件*でもそうだった。今日まで頻発した不法事件のどれも、支那側から先に手を出している。実にけしからん。

武島 条約上の当然の権利に基づいて、通告しなくても演習してもいいものを、好意的に通告してやっている。あの前日もそうだった。

東 (条約上、)戦闘射撃(戦争行為か)をするときだけは通告することになっているが、その他は通告しなくてもいいことになっている。

 

吉村 今度の事件は支那側の計画的な行為だ。事件の直前に、天津と豊台、北平と豊台の間の日本軍の軍用電話が切断されていたそうだ。(日本軍がそうしたのかも。またデマかも。)また竜王廟*付近にたくさんの堅固なトーチカが築いてあった。それに数日来、(中国の)二十九軍には兵器弾薬が補給されていたという噂だ。

380 殿 それはないだろう。二十九軍には日本人軍事顧問の桜井参謀*がついていたから。

吉村 軍事顧問の眼をくらますことはありうる。

殿 私はそれは単なる噂だと思う。話はそれるが桜井参謀は日本武人の典型だ。豪快な人だ。敬服している。

劉 桜井参謀は乗用車の屋根に端座し、白旗を掲げて通過し、日中双方に戦闘をやらせなかったそうだ。

王 冀察*顧問の中島中佐も立派だ。

 

賀 日本側の計画的な行為もあった。6月の中旬から下旬にかけて、平津地方*の支那人の間の噂があった。「××が何かやろうとしている。近いうちにきっとひと騒動が起るぞ」という噂だ。平津地方の民衆は不安に震えていたところ、今回の事件となった。皆が「それやった」と思い込んだ。

東 それは悪性な流言蜚語だ。

松本 その噂は聞いたことがある。僕の家で使っている支那人が、「こんな噂があるが、本当か」と僕に聴いた。大砲の音が轟き出し、やっぱり起ったとその支那人は思った。4月頃、新京から友人が来て、新京の自分の家に来ないかと(その支那人に)言っていたが、それを(その支那人が)思い出して、「新京に行ってもいいか」と(僕に)言い出した。日本人の家で働いている支那人を(中国の)官憲が圧迫するらしく、ある夜(その支那人が)瘤だらけになって(帰って)来て、「飲料水に毒を入れて日本人を皆殺しにしろ。そうすれば賞金をやる」と(中国の官憲に)言われたが、ご厄介になった情け深い(日本人の)ご主人にそんなことはできないから、当分よそに行くと暇をとった。それに早く日本兵がやって来てやっつけてくれればいいとも言っていた。

381 武島 この流言の出所も抗日団体の策動だ。以前にもあった。

吉村 噂を流し、民衆を不安がらせ、敵愾心を煽り、抗日的な雰囲気を作り、時期を見計らってやり出す。

 

武島 その(盧溝橋事件の)時の演習部隊では、兵は空砲だけで、実砲は幹部だけが携行していた。

東 演習中に(中国側から)不法射撃を受けた経験から、警戒のために用意していたとのことだ。

松本 突発当時、自重して撃たなかったそうだ。(どうかな)

東 撃ちたくても弾薬がない。(用意していたのでは)日本軍は慎重だ。すぐ豊台*から補充したそうだ。

吉村 支那の新聞が、「日本の××は議会開会の間際になると、何か事件をしでかす。それは、予算をせしめようとする魂胆からだ」と、言語道断な非常識きわまりない暴言を吐いていた。

東 支那新聞ときたら、こんなことくらいは平気で書き立てる。勝手なことばかり述べている。

武島 先月の6月24日、25日から、今月7月3日、4日頃まで、北京市内外で公安局員その他が非常警戒の演習をしていた。そして戒厳令が布かれてからも狼狽せず、希に見る整然たる配備の線を引いた。

劉 あれは違う。あれは毎月やっている警戒演習だ。

382 殿 北進事変の議定書に明示してあり、(日本軍が)自由に演習しても差し支えないとはいうものの、態度に遺憾な点が多々ある。日本軍ばかりでなく、他の駐兵権を持つ国の軍隊もそうだが、妙に示威的で威圧的な態度が見える。民衆はこれに反感を抱く。

武島 軍隊には颯爽としていて威風堂々、他を圧するような威厳が必要だ。その意味で支那の軍隊の青竜刀は効果的だ。

殿 義和団事件や団匪事件*など、現在の支那の青年たちが生まれる以前に締結された条約だから、不愉快に思うのは無理ない。

吉村 北清事変は残虐だったから(外国軍隊が威圧的なのは)無理もない。

殿 外国軍隊が駐兵しているから北支がいつも揉める。

吉村 駐兵していなかったらもっとひどくなる。駐兵していてもひどいのだから。(屁理屈)

 

松本 今回の盧溝橋事件は直接の導火線となったが、根本の原因は、国民政府の狂奔によって醸成された抗日意識であり、それが、二十九軍に発砲させた。

東 国民政府の協定無視による北支の中央化(南京化か)工作や冀察政権に反日的気分を扶植する工作と日本の北支「明朗化」工作とが衝突した。

 満州事変以後、北支で成立した日支間の協定は、塘沽停戦協定、通車協定、通郵協定、梅津・何応欽協定、土肥原・秦徳純協定、日支電信・電話協定、日支航空協定などがある。今日このどれもが協定違反となっている。実にあきれたものだ

武島 (南京政府は)北支の中央化工作に躍起となり、抗日意識を煽ってきた。

383 吉村 学生層に抗日意識を注ぎ込むために最近やったことは、平津地方の各大学の学長を南京系の人物に変えたことだ。また軍事的には、対日本宣戦を目標にした準備をし、地方の軍閥を中央化するために腐心し、特に二十九軍の士官・下士官を南京の九江軍官学校に入れて訓練し、空軍を充実し、南京軍事分会は、中央軍官学校の学生150名を、将来の北支軍事行動に備え、研究のために(北支に)派遣し、冀察政務委員会を反日的にするための策動を行うなど、本年になって50何件もの不法行為が行われている。排日が、抗日に、そして最近では侮日になってきた。

殿 過去の(中国の)為政者は極端な排日教育を行い、学童に日本に対する敵愾心を植えつけるのに狂奔したので、三歳の童子でも日本は不倶戴天の仇敵だと思っている。日本人を見れば、東洋鬼(トンヤンクイ)と言い、すぐ侵略主義者と思い込み、悪魔扱いする。今日の支那の青年層は皆、この排日教育を受けて成人した。日本に対しては善悪の判断なしに、反抗的な感情を抱き、すぐ激昂する。(これは編集部の作り話ではないのか。)

劉 全くその通りだ。まことにお恥ずかしい話しだが、支那の一般民衆は自分の国家がどんなに危機存亡に瀕しようとも全く無関心で、対岸の火事を見るような顔をしているような国民だ。政府がいかに宣伝し、時局の認識をさせようとしても、反響が起らない心細い国民だ。しかし、これは民国人に愛国心がないからではなく、昔から人民は、天災、地変、洪水、悪疫、飢饉に悩まされていたが、これに対して適当の処置をして救済する機関がなかっただけでなく、かえって軍閥の重税、圧政、搾取、徴発に苦しめられ、また絶えず革命、騒動、一揆、兵乱が年中行事のように続いたので、もう麻痺して少しぐらいの動乱なぞは、またかといった顔をしている。そして一度も保境安民の実績を挙げた国家機関が存立しなかったので、自然、政府なぞは頼むに足らずという観念を抱くようになり、自分一人の安心立命の生き方を考えるようになり、ついに個人主義になってしまった。それで政府の言うことなぞ当たらず触らずにしていた方が賢明だと思うようになってしまった。ところが妙なことにこんな国家意識の乏しい支那民族が、たった一つ相手が日本だということになると、果然激昂するという馬鹿馬鹿しい特異性を有している。今日の支那民衆は正しい批判眼を失ってしまった。(これも作文くさい。国家、愛国心、政府の尊重、個人主義批判など、日本人に向けた意図が垣間見える。)

384 吉村 (中国の)政府当局はこの民衆の特異性を利用し、不可能と見られていた中央集権の実を挙げている。打開に苦しむ危局に遭遇すると、この事件は日本の策動によると宣伝し、民心を扇動して解決している。

賀 我々のようにどちらかというと親日的と見られている者の話だからちょっと偏った議論になるかもしれないが、支那民衆が抗日意識を妄信していることは、自らの墓穴を掘るようなものである。日本では支那再認識論が風靡しているようだが、我々には日本再認識論が急務だ。支那民衆には抗日意識が頑固に潜伏している。日本の対支政策を支持できる。それは良心的だ。言行が一致している。僕がこんな言動をしたことがばれたら、拳銃の洗礼を浴びるだろうが、支那の正面の敵は日本ではない。日本は味方だ。協調すべき相手だ。従来の行き掛かりを捨てるべきだ。それよりも英、ソ、米こそ警戒すべきだ。好餌をもって歓心を買おうとする彼らの腹の中にはどんな計略があるか分からない。現在の南京政府は、欧米依存と抗日主義を武器として政府の体面を保持している。欧米は日本の大陸政策を阻止し、自国の利益を伸張するために、支那を直接・間接に支持しているようだが、国民は、政府が無能のために作れない施設を(欧米諸国が)どんどん作ってくれるので、欧米の真意を看破できず、眼前の恩恵に酔っている。英国は偽善者だ。最近抗日意識が旺盛になった間隙につけ込み、自国の勢力を扶植し、堅固な地盤を築いた。今日では政治経済の各部門に侵蝕している。今日の支那は一日も英国の支援がなくては国家の命脈が保てない。英国は将来の支那の癌だ。英国人はインド人を塗炭の苦しみに呻吟させている。ソ連は論外だ。共産主義は人類の敵だ。語るまでもない。排日運動だけが起こり、排英運動は起こらないから、支那民衆の病は重態だ。一般民衆でも学生でも、日本を理解している者も多い。平津地方の紳商(教養や品位のある一流の商人)は、早く日本が(イギリスを)やっつけてくれればいいと思っている者もいる。

385 東 そう思っている者が大勢いる。

賀 中華民国は将来的に日本と握手すべきだ。日本を盟主として、東洋の諸国はうって一丸となり、大亜細亜建設のために邁進すべきだ。支那は、日本の躍進をそねむ欧米諸国の走狗となって、仲良くすべき日本と争っている。もし日本がなかったならば、東洋は欧米白色人種国の植民地となって分割されただろう。もし日本が弱かったならば、欧米は魔手を伸ばすだろう。今日の支那が四方から侵蝕されてもまだ命が保てているのは、東洋に日本が厳然と腰を据えているからだ。これはお世辞でも、自己卑下でもない。日本は駄々子の支那を叩きもせずになだめている。国民政府の視野は狭い。日本の明治大帝陛下の東洋に対する御理想は実におりっぱなものです。御彗眼御達識、まことに恐れ入る。僕は明治大帝陛下を日夜欽迎している。

386 王 賀さんはご自分の部屋に大帝の御真影を掲げて、朝夕礼拝して、御遺徳を偲んでいる熱心な崇拝者です。(作り話)

賀 昨年1936年、内蒙義軍を起こした蒙古民族の指導者徳王*も、明治大帝を御崇拝申し上げているとのことだ。彼は明治大帝の御理想が即東洋人の理想だと言っているとのことだ。彼はこの理想に刃向かう者は東洋人共同の敵だと言っているとのことだ。

 

王 蔣介石は5、6年前に抗日意識を注入して支那軍の強化に成功した。昨年の綏遠(すいえん)問題*でその効果が発揮された。国論が沸騰し、国家総動員が偶然に起った。支那も以前からそうだったなら、世界の強国になっていただろう。

松本 (綏遠の第一線にいた)傳作義*は中国の英雄と崇められ、綏遠軍は愛国義勇軍と賞揚された。あの時の気分が現在の第二十九軍の少壮中堅の将校を刺激している。満洲の馬占山、上海事変の蔡廷鍇(かい)、綏遠の傳作義などが英雄視された。第二十九軍でも、抗日テロをやると国民が拍手を送り、中央が褒め、テロリストは増長する。ただし、もともと二十九軍は馮(ひょう)玉祥の軍隊で、馮は抗日人民戦線で重要な役割を果たし、ソ連の援助も受けたこともあるから、二十九軍の抗日意識は今に始まったことではない。

387 王 日本の方々も支那の軍隊を軽視してはならない。最近青年将校の間に、現状打破的な革新運動が始まり、昨年1936年11月28日、南京軍官学校の学生が挺身隊を組織し、蔣介石に面会し、日本と即時国交を断絶し、宣戦布告せよと迫った。今までは支那の軍隊は国家の軍隊ではなく、地方に割拠する軍閥の私兵だった。軍長と兵隊との間は親分子分のような関係で、国家よりも自分の一党のために動いた。しかし今は違う。二十九軍もそうだ。しかし、幹部級と少壮中堅将校とが思想的に対立しているようで、また、宗哲元は、日本と(中国)中央とを値踏みし、自分の都合のいい方につこうとしている。宗の煮え切らない態度のために、冀察政府内も二十九軍も混乱している。僕は宗が大嫌いだ。

 宗は日本の強硬な態度に尻ごみしているが、二十九軍の将士は馮治安を中心に、中央の意図通りに動くだろう。宗も中国が挙国一致で日本に当たるなら、中国側につこうとするだろうが、中央が宗をおだてて、日本と衝突させ、宗を日本にやっつけさせて、宗のような地方の雑多な軍隊を解消(消滅)させようとしたり、あるいは宗の中央化をねらったりする南京政府に乗りたくないらしい。宗は南京の真意を計りかねているようだ。

 

藤岡 遅くなってすみません。文林洋行の奈良さんが豊台の帰りに拉致されたらしい。息子さんも永定門付近で捕まり、金銭を取られたとのことだ。

武島 身分証明書と護照を持った私服の憲兵が2名拘禁されたとのことだ。

藤岡 西城新街の忠順旅館も襲われた。丸坊主の者は日本軍人に違いないから看視せよという指令も出ているそうだ。

東 (中国の)戒厳部隊に日本軍や日本側官庁の専用自動車のナンバーを教え、なるべく行動を妨げるようにしているようだ。

388 松本 秦徳純(北京)市長は(日本人)在留民の保護に当たると言っているそうだが、二十九軍が城外に撤退しないうちは、この種の不安は消えない。支那民衆の避難民は、荷物を纏めて安全地帯に逃げようとしている。

東 今朝、支那側は日本の要求を全面的に拒否したようだ。中央系の軍隊が北上し、空軍が出動し、軍需品や兵器の輸送もやっているようだ。衝突は不可避だから(日本人)在留民も引き揚げることになるだろう。北平でも婦女子は満州国方面や天津に引き揚げさせるだろうが、男子は頑張ると息巻いている。非常用の食料も整い、いざという時の合図のサイレン、花火の打ち上げなどの連絡もついたそうだ。さすがは日本人ですね。ある商店の親爺は「俺でも支那人の二人や三人は引き受けられる。いざという時はこの日本刀を持って斬りまくってやる。日本男子は踏みとどまらねばいけない。十何年築いた地盤を失うことは、俺らの損じゃなくて、日本の損だ」と張り切っていた。

吉村 北平はまだいいが、奥地の大同、包頭、張家口の連中はまったく孤立無援になる。平綏(すい)線を絶たれたらそれまでだ。

東 日本の事件不拡大の方針もいいが、あまり隠忍自重は相手に乗ぜられる。すでに日本兵は27、8名の死傷者を出している。

松本 列国は静観しているが油断はならない。そのうちに英国が何とか言い出すだろう。

東 帝国の所定方針は断乎としている。支那側が反省しない以上、欲しない一戦でもやらねばならない。支那も各方面で改革され、実力を過信している。日章旗は勇猛心を奮い立たせてくれる。日本は全くありがたいなあとしみじみ思う

 

松本 賀さんなど皆さんのお気持ちがよく分かりました。皆さんのような思想を持っておられる方々には、今が一番大切な役割を果たしていただかねばならない時だと思う。

389 賀 協力して暗雲を一掃することに努力する。お互いに軽挙妄動は戒めましょう。

吉村 日本人がいかにやられても、日本にいる支那人に対して日本人が危害を加えるようなことはしませんからその点は安心してください。(関東大震災の時の中国人殺害の事実を知らないのだろうか。)日本人は決して支那を憎んだり、支那人を敵対視したりしていない。

 

昭和12年9月号 話

以上20201022()

 

 

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