2022年10月6日木曜日

教育修身研究『現代教育教授思潮大観』春季臨時増刊 日本教育学会 分担執筆者 平塚盆徳、生井武久、三木壽雄、宗像誠也、佐野朝男、山田彌、白井今朝晴各学士 昭和7年1932年 第五章 現代の新教授法

教育修身研究『現代教育教授思潮大観』春季臨時増刊 日本教育学会 分担執筆者 平塚盆徳、生井武久、三木壽雄、宗像誠也、佐野朝男、山田彌、白井今朝晴各学士 昭和71932


第五章 現代の新教授法

 

 

第一節 教授の目的と意義

 

 

感想 これは欧米の教授思想に関する諸説の断片的紹介であり、筆者の見解はほとんど展開されない。

「先生が教えるのではなく児童が学ぶのであるという見方が近頃の考え方である」と筆者は最初は言っているが、後でそれを否定し、強制が教授の目的であるという。矛盾というか総花的。

 

214 教授の目的を明確にすることによって教授の方法が生まれる。以下教授の目的に関する新研究・新思潮について諸大家の説を紹介する。

 

過去においては教授を「教えること」であるとしていた学者が多かった。コメニウスは「教授とは言語や技術を教える時に、最も容易で簡単な方法で無理のないように教えること」に中心を置いた。つまりコメニウスは教授と学習とを相対して(相対するものとして)考えた。この教授と学習との関係をどう見るべきか、これが教授(学)の目的となるべきである。

 

 「先生が教えるのではなく児童が学ぶのである」という見方が近頃の考え方である。教授するという態度を取れば、児童に対して注入的になる(のはまずい)から、児童に自分で学ぶのであるという考えを持たせてやろうとする。ルソーは「学問を学ぶべきでない。むしろそれ(学問)を案出すべきである」と言い、ペスタロッチは「死んだ知識ほど無用なものはない。それは我々の実際の(周囲の)現実と(自らの)生活との一致を容易にしかつ可能にするところの熟練と見識を欠いた知識である。それは刺激する力もなければ克服する力もない知識である。感官の諸々の力、言語器官及び四肢の根柢に横たわる自己衝動こそ根本的であり、(その自己衝動は)諸感官・諸器官を刺激して活動させる動力でなければならない」と言っている。この言葉は直接は児童に当てはまらないが、言おうとするところに等しい。(意味不明)

 

このように(児童の)自発的活動を主とするけれども、児童の思うままに任せる時は、教授の目的にかなわないこともあるから、教授の目的に叶った学習であるべきである。メスマー精神作業Geistige Arbeitが最もこの目的に合っていると考えられる。即ち「教授の目的は学習活動を根柢に置き、なるべく自発的に活動させるだけでなく、この活動を正しい方向に導く仕事であり、理論である」と言っている。ここで注意すべきことは児童心理学の問題である。児童心理学は教授学そのものではなく、その基礎とすべきである。

215 この両者(児童心理学と教授学)の相違点をメスマーは説いた。児童心理学と教授学は児童を対象として取り扱うが、両者は区別すべきである。それは解剖学と生理学との関係に似ている。両者とも同じ人体を研究するが、解剖学は身体や各部の構造について研究し、生理学は身体や各部の機能について研究する。同様に心理学は児童の自由な活動と発達の研究であるから、「目的」に関与しない。しかし我々は児童の「無計画で無目的な発達」に任せて見ていることはできない。これに対して具体的で意識的に(児童に)影響を与えるのが教育である。教育は児童の自由な発達に対する、教授の目的に沿うようにする強制である。例えば、梨の木は上にばかり伸びる性質があり、横にはあまり伸びない。また葉が多く、実はぶら下がる。(心理学は)このような梨の木の様々な有様や性質を調べるが、教授学はこの研究を基礎にして、上にばかり伸び、葉が多く、葉が重なり合って思うように光線を得られないから、枝を横に伸ばさねばならない。また実も下向きだから枝を横に伸ばすべきである。このように実を思うようにならすには(心理学で)梨の性質を多く知って、目的であるところの実を多くならすようにする。目的の実を多くならすためには強制的に枝を横にするというのが教授である。この強制が教授上の問題を心理学の問題と区別する。

 

 教育者のなすべき作業は精神作業Geistige Arbeitである。これは心的過程や心的活動と異なった、教育者が考えるところの正しい目的に合した精神的活動である。教授学は「正しい」精神作業を中心とする。一方心理学はただどう成り立っているかを問題とし、児童の注意が多様であることを調べる。他方教授学はその多様な注意のうちのどれを陶冶し、どれを避けるべきかを問題とする。換言すれば、教授学は「経験の正確」や「精神力の発育」の要求を明らかにすることを任務とする。

 

216 教授するの(目的)はただ「学問に対する心の方向」を造ることではなく、「学問の目的の要求」に合うようにその方向をつくること、即ち「精神作業」である。この(学問の目的の)要求は、

 

一、結果の正確さ(正しさ)

二、精神力の経済

 

の二つに向かうべきである。この二つは(教授学の)規範である。

 

 このようにメスマーは教授学の意義を、「教授の結果が正しく」なくてはならず、教授の目的のために「精神力を経済的に用い」なければならないとした。この二つの規範のためには論理学による(を用いる)。即ち児童の教育を、目的に向かって論理的に進み、陶冶すべきであるとし、心理学即ち児童の注意の状態の多様性に注意して陶冶・教育すべきではないとした。しかしこれは心理学を不当に排除し、その点では極端である。児童の心的過程即ち心の方向を知り、その後で論理的過程、即ち不要なものを排して必要なものを伸ばさなければならない。心的過程を度外視し、論理課程から教授の方法を述べる最近の「理想主義的教授論」は偏している。

 

 以上教授学の目的について述べた。次はこの目的に対して「新教授法」の意義について述べる。

 

 「新教授法」の意義は「自然に従って行う教育であり、自然に背いている教育は皆旧教育である」と谷本博士は言っている。先生が教えると必然的に注入的になる。この注入的教育は無理に児童の頭に知識を押し込めようとして極めて不自然である。だからこれを排除しなければならない。

一方「真の教育の目的」から言えば、「個人に偏する」のも不自然である。あまりに「個人主義」に偏することはあらゆる方面からして不自然である。なお児童を過酷に取り扱う先生も不自然である。しかし寛大過ぎても悪い結果をもたらす。子供が甘いものを食べたがることは生理学上自然なことであるが、甘いものを必要以上にたくさん与えたら腹を壊し、悪い結果になる。(冗長な論議)

 

217 「教授」の原語(外国語)はUnterricht, Instructionであるが、その訳には「報告」、「指導」、「準備」、「形成」などの意味がある。この「報告」から「知的作業」の意味が生じ、「指導」の意味から「学習を補導する」あるいは「精神活動を正しく成り上げる」という義が出て来る。

コメニウスは「言語及び技術を教えるに当たって、最も容易でかつ簡単な方法を、自然に従って見出そう」とし、この意義の教育の中で訓練と教授とを区別している。ロックも学習を、しつけや訓練と区別している。

 

カントは教育を保護、訓練、教授、陶冶に四分した。保護とは児童を有害な力の作用から守ることであり、訓練は法則を強制してそれを感じさせることである。陶冶は徳育であり、教授は知的作用に訴えて、教育を行う手段である。またカントは「品性の建設」に三つのことを掲げている。即ち、

 

一、学者的――機械的陶冶――教授的、

二、実用的――叡智、

三、道徳的――徳性

 

の三つである。カントは教育活動の一つとして教授を示したが、その内容は示さなかった。(思わせぶり)

 

ニーマイルは「前者」(カントのことか)が明らかにしなかった「教育」と「教授」とを区別した。「教育」とは力の練習であり、その目的は、持って生まれた性格を陶冶によって目的(力の練習)を達しようとすることであり、「教授」とは知育であり、その目的は、児童は生まれただけでは偏頗で知識が少ないから、教授によって知識を授けることである。そして「教授」には二つの目的があり、一つは形式的陶冶で、練習によって生徒に潜んでいる力を喚起することであり、二つめは、実質的陶冶、即ち教材を伝えることである。ニーマイルは教授論を、教材の選択、配列、教え方に分けた。

 

218 ヘルバルトは教育活動を管理、訓練、教授の三つに分けた。教授は、経験と交流とによって得られる認識と同情であるが、これ(経験と交流)だけに任せておいては一方的になるから、教授手段も用いるべきだとした。また教授は認識・同情に関するが、知育・徳育にも関するとした。ヘルバルトは教育と教授を区別しなかった。

 ラインは教授学と教導学とを区別した。教授学は経験と交流によって得られる認識と同情を捕捉するものであるとし、この点でヘルバルトと同じである。ラインは教導学を訓練と管理に分けた。

 ウイルマンは「教えること」と「教授」とを区別した。「教える」とは教材を述べることであり、「教授」は印象付けて修練することに配慮する。大学は「教える」のであり、学校は「教授する。」

 バルトは教育を知情意の三方面から分類した。カントは知育だけが教授であるとはしなかったが、バルトとニーマイルは知育と教育とは同じものであるとしている。(論理の整合性がないのでは)在来は教授は知的陶冶を主目的としてきたが、バルトは知情意を心と見て、知的活動の中にも情意が含まれていると考え、意志も知的活動の主なものであるとしている。バルトは心を知情意の三方面から見て、教育現象の研究も、知育、徳育、美育の三方面から考えるのが便宜であるとしている。

 

 またA学者は教育活動を直接的活動と間接的活動に分け、直接的活動は訓練や養護とし、間接的活動を教授とする。またB学者は教授を、定められた時間に規則正しく行われる教育作用とし、訓練は臨時的に行う手段だとする。しかしこれは明らかな区別とは言えない。教授は知的作業で、教授学はその理論の研究である。(これで終わり。何か尻切れトンボみたいな結末だ。)

 

 

第二節 児童の精神発達と教授法

 

 

感想 保守的。児童を大人との比較で劣等なものと見なしている。また学校での性教育は性欲をそそのかすだけだから、性欲を回避するためにスポーツをした方がいいという。また小学校入学時は抽象的な思考力が欠けていて身体的活動を好むという観点から、勤労教育が流行していたようだ。

 本節は筆者の自説を展開し、諸家からの引用はほとんどない。

 

 

219 児童の精神作用は幼稚であり、大人と比較して外界から影響を受けやすいが、それは精神が身体と関係しているからである。児童の外界知覚は不完全である。(身体的)感覚器官を通した色彩感覚や時間的空間的感覚も不確実である。教育者は精神作用の幼稚な児童の精神が年齢と共にどのように進歩するかを研究すべきである。

 

 児童の精神は肉体と並行する。身体の発達の速い時は精神作用の発達も迅速で、身体の丈夫な者は精神の発達も優っているから、身体にも注意すべきである。ただし例外がある。身体の発達がいいが、精神作用が不十分で学業成績が悪い者がいる。外国では水頭(症)といい、頭は大きいが頭の中に水が入っていて脳髄が少ない。一方身体の発育は不十分であるが、学業成績は良い者もいる。才子多病という諺がある通りである。また身体の発育は普通だが、成績が良かったり悪かったりする。以上は例外である。身体発達と精神発達とが並行するという原則は成立する。というのは身体が十分発達していて精神発達が不十分というのは、頭脳の発達が不十分だからである。(それなら原則が成立しないのではないのか)また反対に胃や腸は弱いが、頭脳が良く発達している場合がある。前に掲げた三つの例は外見上のことであり、内外(精神と肉体)の不一致に過ぎない。頭脳内部の発達の観点から見れば、この並行の原則は成立する。(強弁)身体の弱い児童は過労に陥らせず、そうかといって遊ばせてもならない。精神の発達に伴うように身体を作ることが理想の教育である。

 

220 児童の精神活動の年齢に伴う発達過程には四段階がある。

 

一、児童の精神は初めは感覚的・物質的事情に支配されるが、年齢と共に概念的・精神的方面に進んでいくから、初期の教育は直観教授を重視すべきである。下級動物は感覚的・物質的事情に支配されるが、人間は物質的支配から精神の独立へと発達する。児童の初期の概念は感覚的要素が多く、心意作用も感覚的事情に支配される。

 

二、児童の知識は具体的活動から抽象的活動に発展して行くのだが、断片的で相互の連絡が乏しい。それに対して大人は抽象的活動を通して具体的知識を抽象的知識に化す。児童の心意状態と大人のそれとは内容を異にしているから、同じ言葉を用いてもその内容は異なる。

 

三、経験的活動から論理的活動に進化する。経験的とはある事柄が論理に適っているかどうかを考えずに、体験する現象をそのまま受け入れることである。児童は経験的活動しか持っていないから、抽象的理論を用いて教えるよりも経験的・具体的に教えた方が効果的である。児童は経験のままに頭脳に入れる。そして雑然とした経験から抽象的・論理的段階に進む。それは「精神独立」が発展した時に現れる。児童は経験的であるから衝動的・「現在的」である。

 

四、独断的活動から批判的活動に進む。独断的とは批判を加えないで受け入れる精神活動である。例えば「蛇だ」と言って偽蛇を出した時、それを本物かどうか吟味せず独断的に蛇だと決めてしまうようなことである。しかし精神活動が独立してくると、それが真の蛇かどうかと批判し、正しいと知ってから断定する。児童はかつて見た蛇のことや人に言われたことを信じて盲信的に蛇だとする。

 

 児童の精神発達の速度は身体の発達の速度と同じではない。或る時は速く、ある時は遅い。(これも前言と矛盾)精神発達の速度に関する研究は身体の場合ほど進んでいない。精神発達で(小学校)入学時と青春期の二つの注意すべき時期がある。

 

221 小学校入学当時の児童の精神発達は実に急速である。入学前は注意散漫だが、入学後は注意が確実になり、記憶や想像の働きも大きく進歩する。学ぶ点でも入学前は遊戯的に学んだが、入学後は「真に」学ぶようになり、精神の働きも発達する。その原因は規則正しい生活や、問答的に知識を交換し合う際の答える前に知識が整頓されて頭に入っていなければならず、そのために反省の働きが生まれ、独立的・精神活動が行われるからであり、また一定の学習課題が課されて義務感が生じ、道徳意識が養われ、競争心が生じるからである。競争心は精神の発達を迅速にする。

 

ただし入学当初の児童の精神活動は身体の発達に害を及ぼし、大人になってから十分な精神発達ができないという衛生学者もいる。

 

最近「勤労学校」が大いに唱えられるようになってきた。従来のように教師が児童に教え、児童がそれを受け入れることは、八、九歳の児童にとっては重すぎる。児童には大いに活動力があるのにそれを抑えつけて行う教育は窮屈で不自然である。また入学当初は身体も発達させなければならないから、勤労学校に組織を変えるべきである。心理学上から見ても、「働く力」は精神の主な力である。教えられるよりも働く習慣を身につけた方が活動的であり、それは人類本能の要求である。生物学的・機能的に心理を見たとき、活動を重視しなければならない。勤労学校は必要であるというのである。

222 アメリカの心理学者ゼームスは、「本能は(精神)内部の要求を実行する。知らないうちにも一定の目的に適うように(本能は)活動している。教育(活動)はこの本能を整理することであり、本能を十分に発達させることである」と言っている。この説からすれば、本能の要求を大いに発表して(発現させて)それを整理するのが「真の」教育であるということになるが、いずれにせよ精神と身体の発達が並行することは(根本)原則である。

また入学前と入学当初の生活状態はかけ離れている。児童の心理の発達という観点から考えても、段階的に進まなければならない。従来の階段は適度な階段とは言えない。入学前後の間にもう一つの階段を作る必要がある。この必要が勤労学校を要求する。しかしどの程度まで「自由活動」を与え、「真面目な」精神を植え付け、時間の経済を計るかは研究すべきことである。

 

 第二に青春期の心理作用について述べる。青春期は女子の場合はおよそ13歳から15歳までの間、男子の場合は14歳から1718歳までの間である。青春期は精神の動揺が一生の中で一番烈しく、活動も迅速に進歩する。日本の義務教育はほぼ青春期の前で終わるが、青春期では精神活動の進歩が最も迅速であり、「真の」国民を作るときはこの時期の教育であるから、義務教育年限の延長が必要である。しかしそれは経済的にすぐには望めないから、当面補習学校などを盛んにすべきである。

 青春期に身体が大いに変化するのと同様に、精神も非常な動揺をする。青春期に入るちょっと前は精神活動が衰えるが、間もなく非常に迅速に発達する。この時期には病気等も起こりやすい。精神も病的だからちょっと悪いことをしたからといって叱るのは効果がないことになる。

青春期に病的現象が起こる反面で偉大な精神の進歩もある。中でも感情などは青春期に発達する。美的教育や趣味教育が唱えられているが、このような感情は青春期以降に発達するから、青春期では基礎的(教育)でよい。美的感情も青春期では具体的であるが、それ以後抽象的なる。

思想方面でも青春期になると、それまで外界に影響されてきた活動が次第に独立的活動になる。独立的活動によって外部のものに支配されなくなり、「人格の光」が出来てくる。「人格の光」は他人が何と言っても自分が善だと信じたことを行うことによって生ずる。「人格の光」が完成されるのは25歳くらいである。人格の光は破壊性を伴ってやって来るが、理想に基いて行うのだからあまり咎められない。

またこの時期は元気が旺盛になり、名誉心が高まり、ちょっと気にかかることでも反感を抱くようになり、激しやすく、注意が行き届かず、「分配」が円満でない。それは独立精神が強いからである。思想が一方に偏していると同時に思い切ったこともする。大事業をする人は青年の晩年にそれを始めた。大事業は無鉄砲なことを含んでいるから、青年にもそのような所があるから成功することもある。用心深くては大業は成せない。反対に青年期は判断を定める材料に富んでいないから、実社会から大いにかけ離れた判断を下すこともある。一国でも青年期、老年期がある。明治の初めは青年期である。歴史的なことを今から考えてみると、明治の初めは大いに危険なことをやっていた。

青春期と深い関係のある性欲問題について近頃大いに研究されるようになった。青春期に青年は性欲に関する知識を求めるから、それを隠しておくことは一層好奇心を増すから、これを説明して注意させて過ちのないようにした方が良いという学者も多いようだが、それは理論としては一見正しいようだが、性欲の知識を与えつつ同時に性欲を適当に支配していけるかは大いに疑問である。善い悪いの区別は知っていても、行為にそのまま移すことはできない。特に青春期は感情に支配されるから、それを期待することは難しい。衆人の前で教授すれば廉恥心を麻痺させ、一層好奇心をそそることになる。それよりも運動を奨励して情操を養い、間接的に性欲の破裂を抑える方が「有効」である。

 

224 次に児童の精神の発達を妨げることについて述べる。精神と身体とは深い関係を持っているから、身体が弱くて怠けて困る場合は医師の診察を受ける必要がある。特に鼻の病気は頭にすぐに影響するから治療すべきである。精神上の故障にも注意すべきである。

 

 児童の精神の発達は段階的であり、大人の精神活動とは大いに異なっている。(まとめがない)

 

 

第三節 教授法の発達

 

 

感想 西洋における教授法研究の歴史的概観だが、おおざっぱすぎて分かりにくいところが多い。

 

 

 ソクラテスは(最近の)「新教授法」の源であるといえる。ソクラテスは「自己を知ること、つまり内省や内的集中によって自分がそれまで懐いていた思想が誤りであることを知る」とし、単なる個人的意見に反対し、「『真の知識』に導かれることによって、人は道徳的生活を送ることができる」とする。だから「知識は道徳である。人が悪を行うのは、それが悪であるということを知らないからである。人は善悪を知れば、悪は行わない」とする。「知識は正しい行為の基礎である」とし、「道徳を行って幸福を得るためには知識を開発する必要がある。教育の任務はこの知識の開発である」とする。これをソクラテスの方法の消極的方面つまり反語法という。反語法とはこうである。ここに一つの問題がある。相手がこれを知っている様子であるが、いろいろ学問的に質問を続け、ついに相手を自己撞着に陥れ、自分がこのことを知らなかったということを知らしめるというものである。一方ソクラテスには積極的方面もあった。即ち前述のように自分は知らないということを帰納的に自分に知らしめることによって真正な概念定義に誘導する方法としての産婆術である。この産婆術は近時の力説点である。

 

225 次にプラトンやアリストテレスがあるが、彼らは主として教育制度改造論や徳育論について述べているから、ここでは暫く置いておく。

 

 クインテリアン(クインテリアヌスAD35--100、ヒスパニア出身の修辞学者。『弁論家の教育』)によれば、「人は自然界で最高の地位に至るべく生まれてきていて、他の動物よりも優秀な精神や、道徳の基礎としての理性によって指導される。そしてこの優秀な精神や道徳の基礎は、初めは潜伏しているが、正しい指導・教育によって善良になり、幸福となる。

7歳以下の子供は学習の労力に堪えず、理解力が発達していないと思っている人がいるが、それは間違いで、幼時から学習の労力に堪えられるようにすべきである。このように幼児期に理解力の根柢を作らず、齢が来たら直接に特殊な技能を長ぜしめようとすることは不当である。後日大雄弁家になるためにはその天分を幼時の時から細心に注意して指導し、雄弁家となるべく一貫して教育する必要がある。」

 

また「幼少の者には教授を楽しみにすることが必要である」と言っている。「教育する際にはその目的を先ず考えなければならないが、その目的を達するためには児童の心理を深く考慮してそれを基礎としなければならない。」と言っている。

 

またクインテリアンは個性について力説する。「教師は先ず第一に児童の能力と傾向を見なければならない。」

 

クインテリアンは「児童の主な(能力の)「現われ」は記憶(力)である」とし、これ(記憶力)を二方面から見る。(一つの方面からは)「正しく覚えられるのは模倣による。模倣は教育の可能性である。」(もう一つの方面からは)「児童の中には感じが鋭敏である者や、長時間の作業ができる者や、急激に作業して仕事が多くできる者などがある。」この有様について近来研究がなされている。(論理的整合性がない)

 

 エラスムスヴィーヴェス文芸復興期に現れたが、彼らはクインテリアンから学んだ。エラスムスは学習に楽しみを加えた。ヴィーヴェスは児童の生まれつきの個性を1年に何回か、その知識の内容や行動について検査した。また遊戯は精神力の現われであるとした。そして(様々な)教授法を観察してその一致点を見出し、さらにその改善に努めた。ヴィーヴェスの教育査定や結果の測定は、後の教育学に貢献した。

 

226 17世紀、ラトケは「児童の学習の容易なる一般方法」の発見に努力し、思索をしないで直観だけによって正しい認識を得ようとする直観主義活動主義に基づく新教授法の新学校を作った。これは失敗したが、ゴータの教育法令の基礎を作り、コメニウスに影響を与えた。

 

 同じく17世紀、コメニウス直観主義によって初歩教授の新路を開いた。また言語や技術を(教えるための)容易で簡単な方法を提唱したのだが、その際児童の心理状態が教授の原因、方法、性質、目的を決定するとし、児童の心理状態を基礎として(その)法則を作った。しかし彼は(直観だけでなく)理論的過程も忘れなかった。

 

 同じく17世紀、ジョン・ロック悟性の訓練・指導に意を注いだ。ロックは悟性の目的を二つに分け、知識を増やすことと、知識を他人に伝えることとした。「知識を注入することだけでは悟性を開拓することはできない、能力の開発でなくてはならない」とし、「形成」と陶冶の二方面から見た。教授の方法に関して「(知識の)注入だけでなく、それに興味を持ち、快感を覚えなければ自分の知識にすることはできない。(つまり)知識を発表したり応用したりすることによって知識は確実になる」とした。また理論的秩序に関して、「あれがあのようだからこれはこのようでなければならないと考えること(帰納)によって知識は明白になり、また演繹つまり前に知っていることから推論して現前の事実に到達し、その理由を説明するという、二つの過程(帰納と演繹)を通らなければならない」と説いた。またロックは教材の目的や配列方法についても詳述した。(以上は帰納・演繹に関する筆者の論理上の混乱を訂正したものである)

 

 次にニコールが現れ、論理的陶冶、理性の完成、判断の陶冶を力説し、直観方法を説いた。フェヌロンはニコールと同様の説を持ち、好奇心を利用して教授を愉快にし、自由な気分で研究(学習でなく研究か)すべきだと述べた。

 

227 ルソーは児童を第一に研究し、児童に伴うように教授すべきだと力説した。また教授に対する興味を重んじ、直観によるべきだと説き、知を求める心を力説し、学習によって知識を得るのではなく、求知心によって(知を)発見しなければならないとし、活動主義の教授を提唱した。

 

 ルソーの弟子である汎愛派の人々が教授の研究と実行を進めた。バゼドウは教育心理学を研究し、直観教授を学校で実施して人々を驚かせた。バゼドウの「早教育法」は人々に非難されたが、その心理的・自然的な児童の取り扱いには学ぶべき点が多い。ザルツマンはバゼドウの思想を発展させた。バゼドウは手工や園芸を課し、勤労精神を作るために露天学校を開くべきだと言っているが、ザルツマンは(バゼドウが)園芸や遠足、郊外教授を行い、(それは)理想的な作業学校だと(バゼドウを)賞している。この(バゼドウの作業)学校は久しく栄えた。バゼドウもザルツマンも直観は思考を導くとし、直観による初歩教授を唱導した。また(児童の)想像力を養い、比較し区別する力をつけるべきだと主張した。また彼は(バゼドウか)「児童は自ら積極的にやらねばならない。学校においても講義は止めて、会話をさせて自己の欠点を発見させ、これ(欠点)を完成する(正す)動機と機会を与え、工場室や実験室で前述のことをさせ、その時教師は傍観者・忠告者としていて、児童に力を練らせ、楽しませ、その活動心を満足させるべきだ」とし、それを実行した。これらは全て現代的主張である。

 

 汎愛派の中にカツペがいる。カツペは国語教授に尽くし、児童精神の調和的発達、自由、活動や遊戯的方法を組織した。カツペは「学校及び教育制度集成」という教育の百科辞書を著した。

 

 トウラツプは教育の基礎は心理学であるから、児童心理学を実験的・統計的に観察しなければならないとした。これは今日の実験心理学的研究や統計学的研究の先駆である。トウラツプの教授論は直観主義、児童主義である。(「自動」主義とあるが、間違いだろう)

 

 ドイツのロヒョウも汎愛派に属する。ロヒョウは言語の初歩教授や綴り方教授を改良し、文法教授を国民学校に導入し、悟性の陶冶を主張した。ロヒョウは最初のドイツ語読本「児童の友」を作った。ロヒョウは理論と実際との研究を進めた。(意味不明)

 

228 18世紀から19世紀にかけてペスタロッチが教授研究に貢献した。ペスタロッチは漠然とした直観を明瞭な概念に発展させる方法を研究し、それを五つの方法に分けた。

 

一、直観を整頓し、簡単なものを完成する。

二、根本的でないものを根本的表象に従属させる。

三、印象を強く明瞭にする。

四、身体的必然性に結合する。

五、自由と自立との(に)余地を与える。

 

この五つの法則は形と数と語の生まれつきの力によるとした。形とは形の相違を知ってその内容を心に浮かべる力であり、数とは多数のものを区別して統一と多様として心に浮かべる力であり、語とは言葉によって表現して把握する力である。

 

 後にカントフィヒテが自為・自学の直観教授論を述べた。

 

 ニーマイルはカントを受け継いだ。ニーマイルは教授の目的を形式目的と実質目的とし、形式目的は感官の修練、直観の補助手段(としての)注意、想像、記憶、判断などの陶冶であり、実質目的は一般陶冶と職業陶冶とである。

ニーマイルは言語教授を重視した。

教授方法は興味を起こさせ、自ら活動させ、予習をさせ、必要なことを暗記させ、課題を与える。自己判断と自己認識をさせる。

教え方は対話的と講話的とに分けた。

教授研究 原理の統一のために経験を重視する。経験を軽視すると臆説的・仮説的になる。個性の研究は環境の研究を必要とする。教育学の研究ではあらゆる学問を基礎としないと臆説や仮設となるから、経験を重視すべきであるとする。

 

 ベネケはシュライエルマッヘルの倫理学に基いて教授学を論じた。また心理学から教育・教授を研究した。教授は客観的なものを児童に伝え、概念や表象を作ることである。教育によって道徳観や宗教観が得られるとする。ベネケの教授方法は、感情要素を顧慮し、教師と児童が共に自己活動をする。ベネケは教授と学習とを結びつけた。ベネケの主な仕事は教育・教授の批評である。(論旨にまとまりがない)

 

229 ヘルバルトは教育学を心理学的に基礎づけるために、観察、実験、経験などを重視し、形而上学と数学の助けを求めた。ヘルバルトの教育論での教授目的は道徳的であり、(その目的の達成のための方法は、児童の)興味の作成(を引き起こすこと)によるとする。(論旨にまとまりがない)

 

 チラーはヘルバルトを発展させ、ラインはチラーの説を系統的にした。

 

 フレーベルはペスタロッチの活動主義を組織化した。教授は遊戯作業によるべきである。(児童の)最初の遊戯は力の現われである。遊戯と作業は純な力を発表することをその目的とする。精神に新しい生命を与えるには作業浴がよい。つまり作業=遊戯的行動で生活を満たすべきである。作業浴によってまず手と目を練習し、言語は実物について学ばせ、算術は数図によって学ばせ、地理、博物、理科は散歩や遠足などの戸外生活によって学ばせ、人間を発達させ、強壮・高尚にし、その(何の)意義を教える。戸外生活は教育手段の中で最上のものであるとする。フレーベルは「手工の成績品の統一」や個性・多面性を教授の手段とした。手工・唱歌は言語・思想の陶冶であるとした。またフレーベルは進化論的観点から自然と人間との発達過程を相互に説明した。また言語の一般的発達の法則を発見しようとしたが、それを明らかにしたのがスペンサーである。

 

 スペンサーは有機体の発達の原理から、教育は自分から学ぶ方法であり、愉快な気分で学ぶべきである。すべて進化論によるべきである。教育は「文化を小さく繰り返す」とした。スペンサーは自己研究・自己発展を唱えた。

 

 アレキサンダーペインは科学的見地から教育過程を見ようとし、心理学的・論理学的見地から教育方法が生ずると説いた。また美学も重視した。以上の心理、論理、美学や進化論などからまた認識的・哲学的見地から新教授法の研究が進歩した。

 

 

 

第四節 教授法の原理

 

感想 この節も欧米の教育思想に基づいている。

 

230 教授法の原理を五つ挙げる。

 

一、自由の原理 教育・教授は自由の下ではじめて自由な発達をする。その根拠は

 

一、生物学的・心理学的基礎、

二、目的としての自由から(自由が目的であるから)、必然的に自由な教育方法でなければならない。

 

教育は児童の個性から考えなければならない。児童は自分で考え、自分で行い、その個性を発揮しなければならない。自由のないところは児童の本性に反する。愛のない圧制の下では児童の働きは妨げられる。自由があってこそ個性の発達や児童の自発的発表が可能になる。

 

そのための方法・手段として、学校は作業学校でなければならない。ガウデイヒ084は次の四点を指摘している。

 

一、直観的対象の自由作業

二、教科書の自由作業

三、概念的方面における自由作業

四、自由な発表的作業(手工)

 

ガウデイヒは、生徒自身に活動させるのが一番良い。発動的であるべきだ。外部から働きかけられる作業は不十分であるとする。

 

 以上が生物学的・心理学的に自由を唱えたものである。(ガウデイヒは)教授の方法を心理と個性から導き出そうとした。

 自由が必要であるという考え方について(ガウデイヒは)「我々の精神生活は自然や宿命でなされるものではなく、自己自身の活動であり、自由につくり出して行く生活である。人生に意義があるというのは自由だからであり、単なる活動を自己自身の活動に転換して精神生活を進めてゆく。自我の本質発揮のためには器械的なことと戦ってゆかねばならない」とする。

なお児童の学習については、「自ら進んで学習させるように、自己活動と自由を旨とし、学問と法則の注入を避け、自我の人格・特質を発揮し、自己形成・自己陶冶をさせなければならない。個性と人格との間に自由な余地を与えなければならない」と(ガウデイヒは)説く。

 この自由はあらゆる生活を統制して自己の特性の発揮に努める、つまり自己を自己によって律し、これによって自己を決定し、生活の各方面で自由を獲得して自己を完成するのである。

 

二、生活の原理 前項の自由の原理から、教育・教授が、児童の発達傾向に伴いつつ、児童の現在の生活と離れたり、社会生活と学校生活がかけ離れたりしてはならない。教育は生活の準備である。学習は将来必要なことについて知るためであるという。

 この生活即教育という考え方は教育の性質から見て正しい。

 

三、構案の原理 構案法Project Methodは新原理として各科の教授法に用いられるようになってきた。この原理は初め農業から理科に進み、全科目に用いられるようになったようだ。この構案法は18世紀からアメリカで唱えられた。ルソー、ペスタロッチを経て19世になってアメリカで発展した。この(構案の原理)説は「児童の実生活と密接な関係を持ち、かつ一定の目的・計画の下に有機的に結合された事実問題を(児童に)提供し、児童にこの事実問題を解決させること、これが教授の根本原理である」という。このような構案法は農業教授で初めて唱えられた。今までの農業教授では先生が家庭の農業状態を知らず、生徒は農業を企図せず、教えられ、採点され、卒業してゆく。このような教育よりも、例えば、一反歩の土地に大根を作る計画で、土壌についての科学的知識を学び、大根の性質や害虫の駆除法、収穫の計算など、実生活に関係のある事柄を自分から必要に応じて学ぶ教授法でなければならない。この教授法つまり、実験、推理、結論と、系統的に発展してゆく方法は、従来の結果より効果が多いという。

232 この教授法は農業から理科に進み、後にミラーによって手工や家事に進められた。この方法の効果を高めるためには、(学習が)自己の活動から発するものでなければならない。試験され、吟味されることによって価値が現れるから、(教材が)実生活や実社会の代表的なものかや、教科課程に直接関係しているかなどを考えなければならない。このような吟味を経た構案でも適当な監督がいないと十分効果を発揮できない。そしてその構案をよく指導するためには、学ぶ者が外部から強制されず、目的に向かって学ぶ必要がある。自分で考え、計画し、その目的に向かって自由に努力して行くことによってそれが自己規(整)制となる。つまり自発活動に多くの機会を与えることは、自発性や創造性や考案工夫の念を陶冶する。しかし全ての学科でこの構案を採用することは容易でないから、教授の補助として用いることが適当だろう。この(構案を)補助として用いることは、児童の研究心を助長するから有利である。

 

 教育における構案の意義 人間と他の動物とは様々な共通点を持っているが、特に異なった点は人間が自己の活動を「理智化」してその活動を意識的目的をもって支配することである。この構案法が人間を動物から分化して成長させる原因である。人間も動物も同じく本能的に順応するが、人間は思考し、活動を理想化する。だから人間は本能的方法と構案法とが必要となる。児童は構案によって自己の持たない知識に関係して行く事ができる。しかし自己以外にある知識は到達できる範囲内にある必要がある。このように自己以外の知識に到達してゆくことを繰り返すことによって児童の世界が広がる。学校はこの構案法を通じて意義ある発達をさせ、動物的存在でなく人間的存在に準備させる。

 

233 構案教授法の三つの原理

 

一、根本的真理の発展における帰納的・演繹的思考の結合

二、新問題を類化する既得知識の応用

三、新問題を解決しそれを知識の範囲に入れる自己活動

 

この三つの原理に矛盾したことも生まれて来るが、その矛盾は知識を具体的に変化していけば解決される。

 ストツクトンは各科で構案法を使用することによって、教師による形式的・記憶的教授から脱して、学校を実生活と児童の天性とに沿うようにできるとし、また個人主義と「社会主義」を打破するよう努力すべきだと言っている。

 

 以上色々と混雑してきたが、まとめてみるとこうなる。つまり学校内に社会の具体的な仕事を採り入れ、教授を実生活と密接な関係を持たせ、各科の統合や結合をもたらし、問題を児童自身の問題として研究に専心努力させ、目的のある計画に全力であたり、自己活動によって教授を進行させるというものである。

 

四、作業の原理 作業の原理は前項の構案の原理とよく似ている。構案法が具体的・社会的であることを唱えたのに対して、ガウデイヒ一派は「自己活動から自己活動へ」を唱えたが、作業の原理はこれを中心として生じた。この説によれば、経済状態が進歩し、手工業が尊重されるようになり、それとともに実験心理学が進歩し、筋肉活動と知能の発達との深い関係があり、手工教授を尊重すべきであり、作業は純粋な精神作業であると力説した。

 ブルガーは作業過程を三つに分け、一、作業における目的意識、二、その目的を実現するための手段と工夫、三、目的の成就とした。ブルガーが唱えることは構案法とよく似ている。即ち十分な知覚と実験比較とによって正しい判断を導くことができ、自然に接することによって教育的影響を受け、学校と実生活との連絡によって実際的知識を得る活動をさせて知識や技能を修得させることなど多くの共通点がある。

234 幾多の学者が同様の説を発表しているが、要は作業活動が純粋な精神活動であるということである。だから作業教授によって知能(知識)を修得させ、その教材は実生活と密接な関係があるもの、現実主義的要素を含むものを用いるべきだとする。

 

五、個性の原理 従来は画一的教授が行われたが、教授を有効にするためには、児童の天性に沿うように個別的指導教授が必要であると説く。ケルシェンシュタイナーは「統一学校論」を唱え、公民たるものは自分の子弟をその天分に応じて国家社会に有用な者とする義務がある。だから一般公共学校では各児童の天分に応じた教育ができるようにしなければならないとする。

 個性の原理を推進するための方法として個性表が出来て、児童のあらゆる天分を検査し、学校の入学指導(進路指導)や職業選択の指導に用いられるようになった。この個性検査にまつわる問題は教育学者、心理学者、父兄、教師などの共同作業によって解決すべきであると(多くの学者が)言っている。(これは個性そのものの尊重というよりは個性の社会的利用というべきではないか)

 

 

第五節 修身科新教授法

 

 

感想 筆者にとって修身(道徳)教育は軍事目的のようで、教育勅語を推奨する。またその方法論は陳腐なハウツーものである。

 

以下は、道徳教育において教師の人格が大事か、それとも方法論が大事かと問い、結局いずれも重要だという陳腐なお話し。

 

 

 現在の修身教授が道徳教育に何ら貢献していないという人もいるが、修身のような精神上の教育ではその効果を明示することは難しい。しかし、万一学校や家庭その他のところで修身や道徳教育を行わなかったら、おそらく日清・日露の戦役であれほどの「国論の統一」*も、近くは(近年では)「爆弾三勇士」*も出すことは出来なかったことであろう。また国民道徳も腐敗・堕落したことと思う。(「腐敗・堕落」とはどういう意味か)

 

*幸徳秋水や堺利彦、内村鑑三、与謝野晶子など日露戦争に反対した人もいたのではなかったか。

1932年、上海事変。マスコミによって美談化されたが、実際は自主的(志願)ではなく上官の命令(特攻の始まり)であり、三人の作戦も失敗した。(青山英子「国民的英雄になった『爆弾三勇士』“作られた美談”の真相」(『西日本新聞』2020525日、2021218日閲覧。『福岡地方史研究』第56号)や、「日本の『爆弾三勇士』は偽り…75年ぶりに明らかになった軍国の真実」(韓国中央日報日本語版2019.01.28

 

235 現在の修身(道徳)教育は無為でもないし、また道徳教育にとびぬけた名案がある訳でもない。「やはり」教師の人格と道徳教育の方法論が重要である。

 修身は道徳の涵養だから、その教授は教師の心情から出て、児童の心情に入るようにしなければならない。教師の人格の修養が重要である。

236 教師の人格と道徳教育の方法論は相俟って行かなければならない。この二つにどんな関係を持たせていくか、それをどう改善していくかが研究の目的となる。

 

 

一、感情興奮の方法(これも陳腐な話)

 

 修身教育が教育勅語の主旨によることは小学校令にも出ているから明らかである。単に道徳的な知識を与えるのではなく、道徳的な判断を覚醒させて道徳的感情を「陶冶」しなければならない。即ち思想をつくるだけでなく、「感情的」にさせなければならない。従来のヘルバルト派の教育説は児童の感情を動かすことをあまり研究せず、観念だけを説いた。観念さえできれば感情や意志は自然と生まれて来るとした。即ち感情や意志は観念に従属すると唱えた。しかしこのヘルバルト派の中からもこの観念論が直接に意志や感情を陶冶しようとしないのは間違いであると叫ぶようになった。

 今日の修身教育は思想をつくることにだけ力を注ぎ、感情をつくることが十分でない。即ち教室の中が温かく、心の底を刺激するような空気で満たされていない。外国でも我が国でも、史談や宗教上の訓示を記憶させることだけに努め、児童の「宗教的感情」や道徳的感情を起こすことに力を入れていない。エツチリューバは、道徳には知識の方面と「勢力」の方面とがあるが、近ごろは勢力の方面がおろそかにされていると言った。(勢力とは感情や意志のことである)

 児童を「興奮させる」には教師が感情的にならなければならない。感情の「反響」や暗示は大きい。…先生は児童の感情に大きな影響を与え、暗示を与える。このことは全科目でそうであるが、ましてや道徳を中心とした修身教育では先生の影響力は大きい。だから教師は教授する場合、妄念を去り、教えようとする訓話や訓語のような気分にならなければならない。即ち先ず教師自身が感情的にならなければならない。しかし感情的だけになってはいけない。「適度の制限」の下に道徳的事項について感情的になるべきである。(折衷的)

 

237 また、児童の感情を興奮させるためには教師のどんな言語や態度がよいのかを研究する必要がある。教師の言語、顔色、容姿、動作は児童の興奮、即ち教授の結果に大いに関係する。教師がむやみに他の教師の言語や容姿、動作等を真似ることは感心しないが、或る程度までは他人から学んで得られる。教師自身の天性をあまり曲げずに、研究して自分に似合った言語、顔色、容姿、動作ができる。以上のことは修身教授で考えなければならないことである。

なお、ドイツでは歴史の時間に唱歌を歌わせて児童の感情を興奮させている。これは教会で最初に賛美歌を歌って敬虔な気持ちになり、その後説教を聞いてなるほどと分かるように、良い方法である。我が国のようにまだそのような時に歌う音楽がないところでも、いずれこの方法を修身教授に取り入れることは、児童の感情を興奮させるために良い方法である。

 

二、修身教授を儀式的になすこと

 

感想 修身とは教育勅語であり、天皇のために死ぬことである。論理的にも陳腐である。

 

 宗教は東西を問わず儀式を非常に重んじているが、これは敬虔な念を起こさせるためである。儀式は修身教育においても道徳的信念をつくるために必要な方法である。外形的な儀式など不必要だと考える人もいるがそれは誤りである。それは「唯物論」的に考えても明らかである。儀式それ自体が大切な修身教授である。(アプリオリ)だから修身教授それ自身もできるだけ儀式的の方が良い。できるだけ講堂でやるか、教室を講堂のように儀式的につくり、音楽等をやり、おごそかな気分の中で教授するのが良いと思う。ある学者は修身教育を機会のあるたびに行うべきだから修身教授の時間だけ謹厳な態度をとるべきでないと言うが、一日中、一週間中このような謹厳な中で修身教育を行えば、児童は飽きて自由をなくし、注入的教育となる恐れがある。(それに対して修身の時間だけでも)時間中は教師の話を聞いて沈黙し、自省することは必要なことであり、できるだけ真面目でいる方がいい。

 

238 教師も児童も一緒になって「思想を正しい方向に」集注するのがよい。朝の会で正直とか勉強とかに注意するのもよい。小学校の教室に道徳の格言などが書いてあるのは結構なことである。なおこれを朝読むことは児童の注意をそれに向けるのによいことである。ただ掲げてあるだけではあまり効果がない。上級生には修身の時間毎に教育勅語を読ませて考えさせることも道徳の涵養に大いに効果があると思う。(羅列)

 

 

三、修身教授を実生活に適合させること

 

感想 陳腐

 

 これはそれほど新しいことではないが、現在行われていないように思われる。修身教育は児童の感情を高尚にし、現在および将来の生活を善導するように児童に影響を与えなければならない。現在の修身教育は実際的でなければならない。セリグスバーグによれば、「修身教育の効果が少ないのは教えた事実と実生活とがかけ離れているからである。両者は連絡を保たねばならない。修身科の材料として例話を用いるが、児童の生活と並行しているものが少ない。またそれがあっても「連絡」がなければならない。修身教授の教材は実際の生活からとるべきである」という。

 

 教師は日常の材料に対して確実な意見を持っていなければならない。例えば、生徒の告げ口をどう扱うべきか。告げ口する者は相手を陥れようとするのか。(教師に)善いと思われようとするのか。告げ口があっても取り上げない方がいいのか。告げ口をするのは良いことなのか。これらの問題に関してあらかじめ考えておき、一定の方針をとるべきである。(くだらない)

 

 修身教育の教材を実際の児童の生活の中からとることはなかなか行われないが、修身教育教材と実生活との連絡を取らねばならない。このことは「有利な」結果を得るための重要な問題である。現今の修身教育の第一の欠点は、教える訓辞や例話が実生活とかけ離れていることである。ここに面白い例話がある。ある生徒が教師に母が病気になればいいと言ったが、その理由は、母が病気になれば孝行できるのだがと言った。これこそ修身教育で親孝行に関して親が病気したことだけを教えて平常の時を教えなかったからである。(これは作られた笑い話ではないか)このような欠点を作らないために、実生活と修身科の教材とを連絡させるべきである。

 

四、間接修身教授

 

239 間接修身教授とは直接修身教授の外に、国語や歴史などの教育の際に道徳を涵養すべきだというものである。例えば、算術で勤倹貯蓄の精神を作り、図画や書き方で清潔を、理科で禁酒・禁煙の必要を説くなどである。このように修身科以外の教科でも、初めから調査して方針を定めて修身と連絡を取って行えば、効果があるだろう。

 

 

第六節 国語科新教授法

 

感想 国語は民族主義の源であると、はっきりしている。これにはびっくり。次は表音・表意などの文字論。後半のほとんどは国語科教授法、特に漢字教授法と読み方教授法である。

 

 言語は思想を入れる容器であると言われている。また日本語は日本人の精神的血液であると言われ、日本の「国体」は日本語という精神的血液によって維持されてきたと言われている。国語が国民の思想と深い関係がある例を次に挙げる。

 19世紀のドイツの小学校ではその学校の児童の大多数が家庭で用いている言葉で教授すべきであるとされていたから、ポーゼン州の小学校ではポーランド語を(で)学んだ。しかしその後いろいろの不自由が生じ、州令で宗教科以外はドイツ語を用いてもよい(用いよ)とした。それに対して民衆は不満を抱き、小学校でストライキが起こり、280名の町村長が免職となり、305人の僧侶が禁錮に処せられた。それまでドイツでは生徒は教師に従順でなければならないとされ、ストライキは一度も起こったことがなかったのだが、ポーランド国が滅んでも、その国民の愛国的精神はその国語と共にあり、自分の国語が亡びて行こうとするのを見て民衆は怒ったのである。国語宗教と共に国民の頭に深く入っていた。国語はこのような偉大な力を持ち、国民の精神的血液であるとも言える。従ってそのような国語の「質」を良くし、「循環」をよくすることは、「完全な国家」をつくることを意味する。国語を研究し、その材料や方法を発達させなければならない。

 

240 (日本)国は昔(江戸時代)各藩に分かれていて藩の間の交際がなかったので、それぞれ言葉も異にしていたが、現在では国が統一され、交通も開け、国語も次第に統一されてきた。また口語と文語とが互いに歩み寄り、外国語も混用するようになり、どの社会(地域)でも通ずるように統一された。教育学者はこの趨勢を助けるべきである。(なぜがない)

 

 文語は口語と比較して書いて残すものであるから「歴史的勢力」があり、(文語に関する)改革意見も強い。それには字体上の改良と文体上の改良とがある。

 

字体上の改良では、ローマ字採用論がある。在来の文字を全廃し、ローマ字を用いよと唱える。また仮名専用論、漢字全廃論、漢字節減論などがある。ローマ字採用論者の意見は、在来のものより(覚える)時間が節約でき、外国人に日本の国語を学ばせやすく、思想を交換するのに便利であるという。しかしその欠点は、漢文はそれ自体に意味を持っているが、ローマ字では発音が同じで意味を区別するのに不便である。また仮名専用論は廃れた。漢字節減論は大いによろしい。(その理由は)

 

 文体上の改良では、「国語体」あるいは言文一致体にしようとする意見が優勢である。この意義を広めて行くと、文法上の改良や仮名遣いの改良となる。文法の不完全なところを改良し、国語の理解と運用を正確にし、仮名遣いの改良のための研究を早く完成し、(仮名遣いを)改革すべきである。その改良は表音主義によるべきである。(理由がない)

 

241 海外での国語改良の情況では、主として表音主義の改革が主張されている。即ちドイツ、フランス、プロシャや米国でそれが盛んである。アメリカでは表音主義によって改革しようとして会を作り、300語の綴り方を定めて広めようとしている。しかし議会の反対などで成果があまり上がっていない。以上各国も改革の必要を認めても、反対意見もあり、実行できないでいるが、日本でも(反対意見などの)困難を感ずるから、学者や教育者は慎重に研究に当たるべきである。

 

 以上のとおり、国語改革には大きな障害があり、一朝一夕には改良されないから、教育者は今の国語がどの点で教授上の欠点があるのかを明らかにし、他日の改良の資料とすべきである。

 

 教授法 文字と仮名遣いの習得 外国における正字教授では1週に3時間くらい書き取りをさせているが、写字法の方がいいと言われている。覚え方に関して、つぎの三通りの方法が考えられる。

 

一、書き取りを多くやらせた方がいい

二、読み方を多くやらせた方がいい

三、見て書くのを多くやらせた方がいい

 

第一は効力があまりないとライ氏が証明しているが、社会生活では書き取りが重要であり、実用上やらなければならない。

第二は国語の目的として多く読まなければならないから、書き取りに時間を費やすよりも、読むとき少し注意すればいいように思われるが、それは効果がない。

第三の方法が一番良いようであるが、単に本を写すのでは効果が少ない。この方法を槙山氏は4つの段階に分けている。

 

一、先ず本を注意して読ませる。

二、新出の文字や文句、特に間違いやすい文句を写させる。

三、本を見ないで暗写させる。

四、再度本を開いて書かせる。

 

この方法が児童に最も簡単にしかも正確に文字を習得させ、仮名遣いも苦も無く正しく覚えさせることのできる方法であると信ずる。

 

242 次に書いて覚える方法と読んで覚える方法について、「くせ」のあまりない4年生を対象に実験がなされた。

 

一、薬剤室、膝、美麗、快(書いて覚える)

二、勇壮、困難、温泉、蘆(視て覚える)

 

これらの漢字に仮名をつけて二度書かせた後で漢字を消して仮名のところに漢字を書かせた。その成績は次の通りである。

 

 

A

B

C

D

E

F

 

2回書くのに要
した時間(分)

6

5

7

8

10

10

 

 

5

 

 

 

 

 

1

 

 

4

 

 

 

 

2

 

5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3

5

3

3

2

1

17

 

243 他日前の実験と同じ時間だけ見せてから、二、の方を書かせた実験の成績表は次の通りである。

 

 

A

B

C

D

E

F

 

6

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 

 

4

1

2

1

3

1

12

 

以上二つの実験の結果によれば、A君だけは見る方(漢字を見てから書くテストをする)が書く方よりも成績が良かったが、他の者は書く方の成績が見る方よりも良く、総計でも書く方が良い。

この実験で使われた漢字は字画が多く、書く順序も明らかでなかったので、他の方法による実験を試みた。つまり、「妻」という漢字の場合、一「一 | 女」というようにヒントを与え、仮名をつけ、読んで大体の意味を説明してから行った。その結果は次の通りである。

 

書かせた場合

 

A

B

C

D

E

F

 

5

5

5

5

4

4

28

見させた場合

 

A

B

C

D

E

F

 

5

5

5

5

2

1

23

 

問題が簡単だったためか児童間であまり違いがなかった。

また一、二の実験が時間的に近接していると二の成績がよくなるかもしれないという疑いを避けるために1週間の間をおいて再度実験をやってみた。その結果は次の通りである。

 

書かせた場合

 

A

B

C

D

E

F

 

3

5

5

4

2

5

24

見させた場合

 

A

B

C

D

E

F

 

4

2

4

3

1

1

15

 

やはり書いた方の結果が良かった。ただしA君だけは見た方の成績が良い。

 

 以上は単語の場合であるが、短文の中の漢字についても実験した。その結果は書く方が19で、見る方が16、また別の実験でも、書く方が29、読む方が17であった。

 この実験を三年生に行っても、高等科の生徒に行っても、書く方の成績が見る方よりも良かった。

 

 

読み方に関する研究

 

 読み方は国語教授における習得法として最も重要である。習得できなければ話し方も綴り方もできない。(話すことくらいできるのではないか)発表するためには(その方法を)習得しなければならない。

 「読む」は「よぶ」から変化した。単に機械的に読むのではなく、文字が表している内容を知らなければならない。(読めたら内容は分かるのでは)例えば、「川」は「かわ」とも「せん」とも読み、水が流れている所(そんなことは言葉を覚える幼時の段階で分かっているのでは)であると会得しなければならない。読むには二つの意味がある。一は、器械的音読・黙読であり、二は、意味を会得する音読・黙読である。(この分類も同様に無意味では)この二つには深い関係があり、器械的に読むことは読み方の本体ではないが、内容会得の前提である。

 

 読み方の大体の意義は以上の通りである。今度は文字を読むときの心理作用や生理作用を分解する。(先ず心理的分解について)器械的読み方を二つに分けることができる。文字を音に変えることと、おのおのの音を結び付けて文章にすることである。音を正しく聞き、正しく発音しなければならない。聞いて発音することができてからその次に文字(が表す意味)を正しく会得して、音と文字とを結びつける。

 

 文字を音に変える際に三つの働きがある。

 

一、音そのものを聞き分けて発音する

二、音の符号である文字を習得する

三、音と文字とを結びつける

 

 教師は先ず発音に注意すべきある。児童が正しくそれを聞き取れなければ、児童は発音を正しくすることができない。また児童の発声器を鍛錬する必要がある。文字を習得させるには反復・直観させ、前述のように写させる。こうして大脳の視覚中心に印象づける。しかし音と文字との間には何ら自然の連絡がないから、連絡を作ることが大事となる。

この連絡方法について外国では文字とそれを発音する時の口の形によって連絡をつけようとしたが失敗した。また文字の横にその音を出す物の絵を描いた。例えば「わ」の字の横に犬の絵を描いた。しかし児童はその絵と文字との連絡を忘れ、文字と音とを連絡させるのに却って障害となった。現在でも絵と文字とを連絡させているが、絵から離れて反復させる必要がある。ドイツでは音図を用いている。それは発音の時の口の形を描いたものである。しかしこれは正しく発音させるには良いが、音と文字とを連絡させるためには十分な効果があるとは思われない。音と文字とは全く異なったものだから、この連絡をつけるには反復以外にない。(常識的な結論)

 

 文字を読むことの生理的分解 文字から来る光が視覚神経を刺激し、その刺激が大脳の視覚中心に伝わり、文字の印象を留める。これは耳から入って来て聴覚の中心に作られた音の印象と連絡し、次に運動神経が働き、発声器官に働きかける。

 

 次に文字を連絡して文章とすることがあるが、これも両者に何の連絡もないから、人為的連絡、即ち規則正しく反復練習する以外に方法はない。その方法は写字が最も良い。

 

246 器械的読み方とその文字や文章の内容との連絡について考えなければならない。この器械的読み方の(研究の)意義とは、(それを)児童の経験したことや前に学んだことと連絡させることである。児童の読み方の遅速は主としてこの点に(関係が)ある。

また音読と黙読とではどちらが文章の内容を理解するのに効果があるのかを精密に研究・調査・実験することは、国語教授改革の上で必要である。とりわけ実験法によって読み方の研究をすることは、読み方教授の将来の発達上特に必要である。

 

 

第七節 綴り方新教授法

 

 

感想 論理があらぬ方向へ進む。最初の自由という問題提起が受け継がれず、陳腐なお話になってしまう。「自由」が5WHのような作文の技術問題に変質する。「自由」を単なる技術問題と考えているのかもしれない。一体筆者は「自由」をどう認識しているのだろうか。

 

 

 国語教授の中に発表方法があり、その一つとして綴り方があるが、その綴り方の教授では研究すべき幾多の問題がある。近頃流行している自由文法自由発表法なるものがあるが、この両者には相通ずる点が大いにある。以下自由発表なるものについて述べる。

 これは通称自作と言われるものであり、教師が文題を出すか児童が勝手に文題を定めるかして児童の思うように書くのである。教師は単に児童の注意を文題に集めるために多少の指導を加えるだけであり、児童が作った文章を訂正して指導する。この自由作文の目的は、児童が教師に依頼せずに自由に考えて発表するように教師を仕向けて児童が自由に作文できるようにすることである。これを(この準備を)早くから行わせ、上級生になってからこれを課す。

他の目的に人格養護説がある。人格とは個性、即ち思想、感情、意志である。人格養護説の目的は児童の人格を自由に発達させようとすることであり、できるだけ自由に発達させるようにすることが、児童のために権利の自由を保護するのであるという。この説によると全ての学科もそうであるが、特に作文などでは教師からの干渉がなく、思うままに発表させ、その個性を発達させるのがよろしいと言っている。そして三学年以上でこれを課すべきで、それ以下ではその準備をすべきである。そして材料は児童の経験の内からとるのが良いと唱えた。

 

 これに対する反対意見としては、教師が児童のために作ってやった思想を書き表せばよいとするものや、小学校では作文は必要ない、なぜならば、それよりも話し方を教えた方が良い、そうすれば綴り方は自然にできて来るというものなどがあるが、これらはいずれも極端な意見である。児童が自分で行うようにしようとするのがすべての学科の目的であるから、教師の干渉から離れ、児童に自由にさせるのは良いことである。即ち教師の世話を少なくした綴り方教授は誠に良いことである。しかしこの自由とは生活上他人の手を借りないでやって行けるということであり、他日独立できるようにするのである。

 

 しかし自由発表が余り極端なのはいけない。字もろくに書けないのに長い文章を書かせれば、短文など簡単に書けるように思われるが、実はそうでない。(文字が)間違っているばかりの長文よりも短文の方がずっとよい。その理由が二つある。

 

一、日常生活では長文よりも短文の方が一般人には必要だから、必要なことを先に学ぶべきである。不必要なことを学ぶことは時間の余裕の少ない小学校教育には不適当である。

二、長文を作ることは教育的でない。長文を奨励すると、思ったことを何でも書くようになり、「選択」(思想を練ること)がなくなって来るからである。思想を練ることが含まれている綴り方で、選択即ち思想を練るために長文を奨励することは矛盾する。

 

感想 ここでいきなり作文における自由の問題から、長文と短文という文章の長さの問題に転換している。そして次は個性の問題に戻る。

 

 以上の二項は自由発表長文の欠点を述べたものである。次に自由作文の第二の目的として唱えられている個性発揚の問題がある。これは人格養護説から来たもので、図画の自由画と同様である。しかしこの種のものは、児童の個性を調査してそれに適当な指導をするのには好都合だが、「あまり勝手な」発表は個性発揚にはあまり効果がないと思う。(なぜ)この方法は個性を知るのには好都合だが、それを教授の本体とすることは間違っている。(なぜ)自由作文を課さねばならない理由は見当たらないし、自由作文を綴り方教授の本体にすべきであるという論にも賛成できない。(なぜ)

 

 綴り方教授が十分な効果を発揮できない主な原因は、教授法が両極端に偏していることである。一つの教授法では教師が世話を焼き過ぎて十分な準備をしてあげるから、児童は書き取りを行うようなものであり、作文の効果も少ない。もう一つの教授法はその正反対で、あまりに自由であり、文題を出すだけで、勝手に書かせ、自由発表の度が過ぎる場合である。干渉が過ぎると作文の力をなくし、自由が過ぎると放漫となる。この中庸が望ましい。(論理なしの折衷論)中庸を心理的に根本から研究すべきである。

 

248 また他の学科ではその(教授の)順序が第一に研究されているが、綴り方は読み方の付属物のように考えられ、読み方の研究が出来れば綴り方は自然にできるように考えられている。しかし、これは間違いである。覚えること(読み方)と発表すること(綴り方)とは異なっているから、両者は並行して行われるべきである。発表は習得に従属せず、習得を本体とすべきでない。綴り方はそれ自身の教授の順序方法を研究すべきである。綴り方教授の独立した研究が行われなければ、過去の誤った教授法を直して発達させることはできない。読み方で学んだ文字を用いるのだから、綴り方は読み方の応用である、と考える人もいるが、そういう論法だと、綴り方以外の学科の大部分も読み方の従属物になってしまう。読み方は国語教授の習得方面であり、綴り方は発表の方面である。この二方面は並んで進んでいくべきである。両者は相互に関係しているが、個々に研究すべきである。先述したように心理的に根本から研究調査すべきである。

 

心理的方面からみた綴り方教授法 学校教育に従事している人は皆経験していることだが、綴り方教授の法則的研究が欠けていて、勝手に自由作文などと言って方案も定めず行っているために、先の教師が教えたことだと言って正反対のことを教える場合がある。心理的に綴り方の法則を立てなければならない。(挑発的)

ドイツの学者シュミダーはこう言っている「綴り方教授と図画教授を比較してみると、作文と図画とはいずれも人間の精神の内容を発表する二つの方便であるから、図画教授をどうするのが良いのかを知ったなら、自ずから作文(教授)も分かって来るだろう」と。図画教授では簡単なものから始める。例えば、木の葉を描く場合、先ずそれを観察し、色と形を知り、図画によって発表する。描く場合、形を第一にし、色を付けて陰影によって質を示す。綴り方も同様である。綴り方教授では葉を観察させ、形と色とを知らせて、児童の思想を成立し、何のために書くかを考えさせる。しかし綴り方の結果は美しさも興味もあまり興させない。だから綴り方では学んだことばかりでなく、経験したことを綴らせるべきである。(教室で学ぶことと経験から学ぶこととは異なるのか)経験の過程の行為を作文の緒言に結びつけてまとまったものにしなければならない。実物の観察と思想とをどうまとめるのかについて指導し、児童一人で経験したように書かせるのがよろしい。次に一例を示す。

 

私の飛行機

 

一、緒言 兄さんと縁日に行きました。

二、形 店で私は飛行機を売っているのを見ました。それは一尺くらいの大きさでした。

三、色 それは大層美しく黄色く、後ろに日の丸がついていました。

四、質 私は兄さんにどうぞ買ってくださいと言いました。私は買う前に飛ぶかどうかその飛行機を飛ばしてみました。飛行機は遠くまで飛びました。

五、結 そこで兄さんはそれを私に買ってくれました。私は非常に嬉しうございました。

 

感想 つまらない

 

これは初歩の綴り方教授の一例である。次に心理的原則を11段に分類した。

 

第一段 一つのものについての経験

第二段 他の時においての一つのものについての経験。即ち木の葉なら現在および過去の状態。これには記憶作用が必要である。

第三段 二つのものの関係。例えば海から舟を連想すること

第四段 景色 即ち一つのものだけでなく、その周辺のものを観察させる。

第五段 様々な見地から観察した景色 即ち全体の景色と部分的に精密な観察。

第六段 様々な時から見た景色 即ち現在、過去、未来の景色。

第七段 話すところの景色 即ち何を言おうとしているのか、それを表す特徴のあるものを入れる。つまり要点を入れることである。

第八段 多くの景色を結びつけること(物語) 即ち活動写真のフィルムのように景色を連絡して物語とする。

第九段 二つの景色の関係 即ち悲喜の二情態を比較して述べるようなこと。

第十段 特性 即ちそのものの特性や本性を表す。

第十一段 論文

 

250 以上の11段は論理的文法で観念し、判断し、推論する。これは綴り方教授の順序を示したものである。

 

 我が国でも何年生から綴り方を課すべきかが問題となっているが、区々あってまとまっていない。また綴り方を学校でさせるのが良いのか、家庭での宿題とするのが効果が上がるのか、明示できない。要するに心理的に研究して法則を立てて綴り方教授の改善を図らねばならない。

 

 

第八節 地理科新教授法

 

感想 論理展開が分かりにくい。自然地理学か人文地理学かと問い、結局自然地理学を推奨するのだがそこにたどり着く論理展開があやしい。教授法(教材)としては狭いところから教えるのがよいのか、それとも広いところから教えるのがよいのかと問い、結局は折衷的な方法を推奨する。教授法も焦点がはっきりしない。コツとかノウハウのような陳腐な感じを受ける。

 

 この論文に限らず本書の中の論文の多くで論理展開にまとまりのない理由が分かった。この論文は所謂論文ではなく、断片的な知識を紹介することを目的としているから、各知識間の連結は必然的に無理なつながりになりやすいということではないか。

 

 

 18世紀末までの地理学は歴史学と同様に単なる「記載」だけと考えられていたが、そこにカール・リッター*が現れ、従来の寄木細工のような雑駁な材料を集めた地理学に対して、地理上の諸現象を比較してその間に存在する「理法」を発明(発見)して系統的知識を形成した。即ちいろいろの知識を有機的に結合し、地理的見地からその理法を明らかにしたのである。

 

251 地理学の扱う知識を分析してみると、天文学、物理学、化学、動植物学、鉱物学、法制などである。これらをただより合わせるのではなく、その間に有機的な連絡をつくり、地理的見地からその「理法」を発見する。例えば、木の葉が青いが、なぜ青いのかを問うのは植物学である。それに対して地理学は温帯地方ではどうか、寒帯地方ではどうかを考える。このように地理学は種々の知識を有機的に統一して合わせた後で、「地理的理法」を発見する。リッターは直観だけによる記載に過ぎなかった従来の地理学に思考を加えたのだから、多方面の知識が集まったものとなり、広くかつ深くなった。

そこで自然を色々と区別するようになった。すなわち地球を一つの天体として観察する、言い換えれば宇宙に対して地球の位置を観察する。これが天文地理学である。地理学はそれだけでなく、物理学や化学からも論じなければならない。これが物理的地理学である。また地球には生物が存在する。即ち動物や植物鉱物がある。この変化が生物的地理学である。そして人類はこの地球上に棲息し相互に関係しあっている。この密接な関係を研究するのが人類的地理学である。これらの(学問の)成立はすべて結合的であり、人類も結合的である。(意味不明)

 

Carl Ritter1779—1859ドイツの地理学者、教育家。アレクサンダー・フォン・フンボルト1769--1859とともに近代地理学の父と呼ばれる。

 

 リッターはこれ(地理学)を大きく二分し、人文地理と自然地理とに分けた。ところがそのどちらに重きを置いて教授すべきかが問題となる。なるほど文部省の地理学教授の施行規則に(地理学教授の)要旨が掲げてあるし、地理教授に用いるべき国定教科書もあり、論議は不要のように思われるが、決してそうでない。教師が人文地理を主とすれば、教授でも人文地理に偏するようになり、またいずれとも考えが定まっていなければ、ある時は人文地理を重視し、ある時は自然地理を重視するような不統一になる。(そもそも人文地理と自然地理とはどういうものなのか説明がない)また自然地理と人文地理とが五分五分であっても、自然地理を重視してもしなくても、同じ結果と思われるかもしれないが、決してそうではない。どちらを重視するかによって大いに結果に影響を及ぼす。

 

252 リッター以前は政治学を重視したが、リッターは自然を重視した。リッターは言う。「移り変わる人間の行動を重視するよりも、永久に変わることの少ない自然を重視する地理的記述が主体にならなければならない」と。一方ラッツエルはこの説に反対し、人文地理学文化地理法(学)を唱えた。「人文地理学とは、人間が社会生活をするにあたり、その住所である自然の有様によってどう支配され、また人間が自然を如何に役立つように変化させたか、を扱う学問である。」つまり歴史的本分、即ち文化地理を研究するのが、地理学の目的であるとした。

 

 以上をまとめると、最初政治を重視し、次にリッターが自然を重視し、その後に人文を重視した。学校での地理学教授でどれを重視すべきかが明らかでないから、地理学が何かをはっきり知らなければならない。非常にたくさんの説があり、千差万別であるが、統一してみると、

 

一、地球の表面を研究すること

二、地球上に現存している有機物・無機物をその場所に関係して研究すること

 

木でも人間でもそれだけでは地理学の目的物にはならない。それが場所と関係してくるために「地理学は物によって満たされた地球上の場所に関する学問である」と言える。こう考えて来ると、自然地理を重視するようになることは当然である。

 

 

 次に教材について述べる。

 

 地理教授はその基礎を郷土に置くべきであるとする説も、ある意味では正しい。郷土地理がよいとして、自分が住んでいる村や町を郷土とし、これを広めて郡、県、国、全世界に及ぼそうとする。それは木の年輪のような発達をさせようとする。

しかし児童の頭は必ずしも整然と順序だっているのではない。児童に郷土以外の知識がないとは限らない。例えば教師が郷土の山を教材として想定し、児童が郷土の山を答えるだろうと思って質問しても、児童は富士山や浅間山を見たと答える。小さいものから大きいものに進ませることはよいとも限らない。

 

253 地理教授を二方面から見ることができる。直観によるものと想像によるものである。郷土地理は前者で、世界地理は後者である。直観的教授即ち郷土地理は理解しやすいからこれを基礎として世界地理等に及ぼすことは有効的方法である。段階的に行くことも大いに研究を要する。その全体に及ぼす方法を次に述べる。(意味不明。論理的脈絡が途切れている。)

 

 第一、分解法 これは記載的地理の教授方法であり、昔行われた。例えば、日本地理の場合、先ず「大体」(日本全体)を教え、本州、九州、四国、朝鮮とかに分け、後に中部地方、関東地方のように分け、次第に県や県内の市や地方というように、大きいものを分解して行く方法である。しかしこれは初歩教授の方法としては不適当である。

 第二、綜合法 これは分解法の反対な方法であり、郷土から県、地方、国というように小から大へと行って綜合して行く。この方法は地球全体の概要を教えるにはあまりに遅いが、分解法よりは優っている。

 第三、綜合的分解法 これは前二者の長所を取った方法で、我が国の地理学教則にも適していて、よろしい。即ち郷土から国や世界に行き、地球全体の概観を国と世界との間で教える。(意味不明)その後で世界を分解的に教えていく。

 第四、循環法 先ず地球全体の概観を教え、その後で綜合法でやる。このような反復は倦怠し、時間的にも不経済である。

 第五、結合法 これは地理教授を他の学科と綜合して行う方法である。例えば、歴史で北条早雲を教えれば、地理で伊豆を教える。地理と理科(歴史)とを結びながら行う。しかし色々と不便がある。

 

254 我が国では以上の中の単一な理論ではなく、主として綜合的分解法と結合法を採用しているが、それは当を得た方法と思われる。

 

教授方法 

 

 第一、郷土地理つまり直観に要点を置くべきである。

 第二、(地理教育の目的は)日本の国を目的としなければならない。つまり我が国のことを知るために世界を含めた様々な所の地理を細かく知るのである。

 第三、比較を主眼とする。リッターが地理学を進歩させたのも比較の手法による。比較によって概念を明らかにすべきである。

 第四、地理的知識における数字には二つの意義がある。絶対的の意味と比較的の意味である。例えば、東京市の人口は200余万人で、八王子市の人口は51万人である(絶対的の意味)から、東京市は八王子市の4倍(比較的の意味)の人口を有しているというようなものである。この方法は記憶もしやすい。

 第五、教えたことを全部覚えるのではなく重要なものだけを覚える。詳しいことを覚えるよりも重要なことを正確に覚えるのがよい。世の中にとって役に立つことは重要なことであるとして覚えさせるのがよい。

 

この他、旅行的発表や図を描くことはいいことだ。

 

 

 

第九節 国史新教授法

 

 

感想 国史教授の目的は日本の国体を教えることであると、はっきりしている。後段は単純な教授法のノウハウ集である。

 

 

255 国史教育の意義を明らかにするためには、先ず国史教育が国民教育の中でどんな地位を持っているかを明らかにしなければならない。国史教育の地位は分かり切ったことのように思われるが、算術や読み方の教授と比較して軽視されている。

 国史教育の地位を明らかにするためには、先ず国史教授の目的を研究しなければならない。歴史教授の目的(骨髄)は古来のあらゆる人的活動を集めてそれを会得させることである。従ってこの教授法としての第一は、我が国体を会得させ、引いては「国民活動」の現在の大勢を教え、さらに進んで将来の責任や覚悟を悟らせることである。(いきなり)小学校における歴史教授は日本歴史に限られている。その理由は外国の歴史まで教える時間がないという考えもあるが、もし必要なら他の学科の時間を削ったり、授業の総時数を増やしたりすることもできる。しかし自分の国の歴史しか教えないというのには何か理由があるはずである。小学校令施行規則に「日本歴史は国体の大要を知らせて、その上国民たるところの志操を養うを目的とする」とあるように、国民的な志操を与えることは小学校教育において最も必要なことである。我が国の本体を知らせ、国民としての責務を感じさせるためには国史が必要である。それは国史以外の教科でも教授されているが「抽象的」である。これを直接に教授するには国史を主とすることは誠に当然なことであります。

 国史科が国語や修身と同様に重要な任務を持っていることをはっきり認識しなければならない。そして特別な注意を注ぎ、単に面白いという意識から大切な学科だという意志を教師も児童も持たねばならない。

256 19世紀末のドイツは、左翼思想は正義に反し、実行できないものだということを知らせるために、宗教教授を盛んにし、倫理方面を重視し、重要なことを暗記・暗誦させ、自国の歴史を重視して近世史を委しく教え、君主政治は社会主義よりも良いということを知らしめた。我が国も(国史教育によって)外国では見ることのできない立派な国体を児童に明らかにし、修身教授と並行して国民教育の実を上げるべきである。

 以上のように国民教育を発展させるために重大な役割を持つ国史教育は、どんな地位を持ち、どんな方法で目的を達すべきか。材料の選択に注意すべきである。国史教育は修身教授と並行して進むべきであり、修身教授と同様に敬虔な気分をつくる教室や講堂で行うことは良いことである。それは歴史科の目的である。歴史科の目的は忠君愛国の精神をつくることである。それは修身科と相通ずる。修身科新教授法での注意点を国史科の教授でも適用してよい。国史科の材料の選択で注意すべき点は、国定教科書によればよい(アプリオリ)のだが、最も注意すべき点は、我が国体の善美を発揮することである。このために「都合が悪く、話さなくて済むようなところ」は省くべきである。それを話さなければならないなら、国体の精華を傷つけないように心がけるべきである。ただし事実を曲げて教えないことは大切であるが。

 

 次に現在の国史科教授で改善すべき点について述べる。

 第一、国史教授を直観的にすることである。これは全ての教授でもそうであるが、地理や理科のように自然を対象とする学科では常に直観的に教授されるが、国史科は時間的なものを対象とするため直観的に教授しにくい。児童に難しい人名や年号などを記憶させるだけの無味乾燥で注入的な教授ではいけない。自発的教授を行い、親しませ、潤いを持たせるべきである。そのためには直観によるべきである。

257 国史教授を直観的にする方法として談話方法の改革、地図の使用、絵画その他の方法がある。先ず談話改革では、単に口先でしゃべっているだけではいけない。これは修身科教授法でも詳述したが、児童を教師の話す談話の気分にさせる。そのためには教師自身がその話中の人物となり、感情的に話すことである。また現在との連絡をつくることである。現在と関係を持たないと器械的になり倫理的価値がなくなる。また原文の引用がある。児童が理解できる原文や詩歌を引用することはその時代の有様を知らせるのに役立つ。ドイツでは詩歌を先に教えているが、これは我が国では困難であり、当を得ていない。我が国では簡単な原文を入れて教授することは直観を深くする。

 次に地図や絵画の使用について述べる。地図は現在大いに使用されているが、行き渡らないところもある。地図を用いないで歴史の教授を行うのは空中に楼閣をつくるようなものであるという学者もいる。国史教授を直観的にする上で地図は必要である。例えば、一軍が戦いに敗れてなぜその方面に逃れていったのかを知るうえで地図は必要である。

 絵画を用いることも直観的にする。これには教科書の中に挿入してあるものと掛図とがある。掛図は児童の注意を一点に注がせるために用いる。絵画を表すものに三種がある。

 

一、人物、物件、肖像、武器、家具、家屋、衣服、記念品

二、文化の状態、風俗、学芸

三、歴史的出来事を表したもの

 

一は予備知識として最初に示し、二は挿入して用い、三は(授業の)後に用いて前後を想像させる。どんな時に絵画を示すべきかについての意見は様々であるが、絵画と談話との連絡を忘れてはならない。

 

第二、教師は十分に研究して教材を選択すべきである。教師が知っただけを教えることでは単なる受け売りに過ぎない。それでは直観的教授などとてもできない。多くを知って少なく教えることだ。昔から教える者は教えられる者の10倍の知識が必要であると言われている。教師は大いに研究・調査してから教授すべきである。そうでなければどう教えたら最も効果があるかという話にならない。歴史は深い。大学者にも専門がある。多忙な教師には深い研究の時間がないので、教師用書があるからそれを知ればよい。

 

第三、復習 現在の教授法は教えるだけで復習させることが欠けているようだ。復習方法には、授業時間の初めに前の時間にやったことを復習させる、授業時間後にそれと関係する絵画を示して答えさせる、学期の終わりに全体を復習させる、暦年的にする、近世から太古に遡るなどの方法がある。また復習そのものを目的とする方法と、復習が目的ではなく自然に復習させる方法とがある。しかし国史教授の目的は国民的意識を植え付けて重要なことをはっきり記憶させることである。二つのことをぼんやりと知るよりも、一つのことをはっきり知った方がいい。復習を多くして教えることを少なくすることは必要なことである。

 

第四、教科書と談話との関係 教科書を主とすべきか、それとも講義を主とすべきか。先に私は習得方法を生理的に観察したとき、目から入る刺激と耳から入る刺激とは車の両輪のようにいずれも必要であると述べた。国史科の教授でも絵画など目から刺激を入れ、談話によって耳から刺激を入れる。教科書は談話を助ける。もちろん談話を主とするが、談話だけでは時間的広がりだけで、空間の広がりがない。確実な習得を望むには文字や文章によって表された教科書を用いる。談話は活気があるから児童の感情を引き出し、談話の欠点である空間上の広がりを教科書が補う。

教科書は談話の前に用いるべきか、後にすべきか、中にすべきか。談話によっておよそのことを習得し、後に教科書でその習得を確実にすべきである。また談話を始める前に一通り教科書を読ませておくのもよい。談話中に現れて来る難解な人名や地名などを教科書で前もって知り、その書き方即ち文字を教科書で知るので談話の習得を容易にする。またそのことによって教科書は教授の興味を起こし感情的にすることもできる。それをしないと難解な人名や地名を教師がいちいち書いて説明しなければならず、時間的にも不経済であるし、興味も薄らぎ感情も障害される。また談話が終わってから教科書を読ませることも必要である。それは習得を完全にするためである。それによってどれが重要でどれを記憶する必要があるのかを知らせる。教授が終わってから質問をして習得を完全にすることも重要である。

 

 

感想 この時代(昭和71932年)は西洋の教育思想を積極的に導入しつつ、一方では頑なにアプリオリに国家主義的で、国体=国の始まり=国家神道=日本書紀歴史観による国民の形成と将来への躍進を掲げ、その間に何ら違和感もなかったようだ。不思議な分裂である。2022102()

 

 

 

第十節 算術科新教授法 自然科学的論述なので省略する

第十一節 理科新教授法 自然科学的論述なので省略する

 

 

 

 

第十二節 手工科新教授法

 

 

感想 手工科新教授法はこれまで述べられた修身科や国史科の新教授法と打って変わり、欧米の知識に基づいた児童中心教授という積極的な意味を見つけようとしている。

ただし、手工科教授法には実用主義的教授法と陶冶主義的教授法とがあるとし、前者は最近の産業革命後の効率的大工場労働の要請を反映しているが、基本的には当初からの全般的陶冶を目指すべきだとしているように受け取れる。

 

 

268 小学校におけるすべての教授で児童は受け身であり、鍍金(メッキ)のようなものである。それは児童が中心になってやろうとする活動でないからである。即ち発表本能や探求本能、創作構成が表面に出てこないからである。これを表面に表すため、即ち真の教育を行うためには、児童に作業を課し、その機能を鍛錬しなければならない。また産業革命によって家庭工業が廃れ、仕事が工場に集まったが、その大工業組織を発展させるためにも、学校教授が手工を課し、この欠陥(児童の能動的学習でないことか)を救済しなければならなくなった。

 

 

269 手工科は知識方面と技能方面とに分けることができる。

 

知識   (一)人から伝えられた知識

        (二)自らの経験から得た知識

技能    (一)練習によって他人から覚えた技能

        (二)独創によって得た技能

 

両者とも(一)は独創ではなく他人から学んだものであるから、内容が充実していない。それに対して両者の(二)は自らの独創によるものであるから、内容が充実し、自己が表されているので、それは真の知識・技能である。最初は経験的な知識であるが、理解力が発達するにつれて知識の欠陥を補い、誤謬を訂正し、内容が充実して真の知識となる。

 

 

 手工科の目的には二種類ある。

 

一、実用主義

二、陶冶主義

 

一、実用主義 家庭工業は産業革命によって根本から破壊され、実生活では科学が隆盛になり、大工業組織へと根本から変革され、商工業が一般民衆の生活の基礎となった。そのため必然的に大衆は大工業の生産力を増すためにその実務に堪能でなければならなくなり、そのために学校での準備が必要とされるようになった。

270 二、陶冶主義 従来の教育はあまりに鍍金(メッキ)のようであり、児童の発表本能、探求本能、創作構成、つまり自己中心の発表が欠けていた。習得作用には発表が必要である。発表を主眼とする手工を発展させることは他の学科同様に必要である。ケルシェンシュタイナーはこう言っている。「手工はあらゆる技術の根源であり、すべての科学の基礎となる。」「感官や筋肉を練磨し、正確な作業に慣らさせ、また慎重に全てのことを処理して勤務に従事することは愉快な気持ちにさせる。」

 

 以上のように手工科の陶冶方面はあらゆる科目の欠点を補う。デューイは「児童に協同的創作を行わせることによって、利己主義を抑え、共同生活の組織を知らせ、社会生活を知らせることができる」と言っている。

実用主義的手工教授では実用的な材料(教材)、即ち金工、木工などが多く、それらが重要視されている。もちろん児童の遊戯的な折り紙細工や豆細工も課せられるが、目的は工業的に堪能となるように教授する。一方陶冶主義的手工教授の材料は、全般的陶冶を目的とするから、材料選定をあまり問題視しない。しかし全般的陶冶を目的としているからと言って実用性を無視しているわけではない。工芸的に堪能になるように努めているが、どちらかと言えば全般的陶冶の方を重視している。他方実用主義でも同様である。大工になるため、建具屋になるために手工科の教授をしているのではなく、全般的陶冶よりも工芸的技術の発達の方を重視している。

 

271 それでは陶冶主義と実用主義のどちらを重視すべきか。(結論は実用主義である。)手工科は当初は全般的陶冶のために入れられた科目であった。その当時は全般的陶冶が目的とされて教授されていた。ところが途中で産業革命に遭遇し、社会組織が大いに変化し、経済的にも変化し、工芸が盛んになった。また学校教育と実社会との隔たりをなくさなければならない状態になってきた。つまり実用主義をとらなければならないという考え方が人々の頭に考えられるようになってきた。今日はそういう状況である。

 

 教育先進国ではどんな主義の下に教授されているか。ドイツでは一般的陶冶が重視されて手工教授を行っているが、アメリカは実用主義的手工教授を行っている。

ドイツでは小学校三、四年では粘土細工を行わない。他の教授で取り扱われたものを教材とし、図画科と連携を取り、五、六年ではボール紙細工で他の科目と連絡し、七、八年では木工を行い、図画で書かせたものを木に彫って作らせ、図画科と連携している。

 アメリカでは少しだけ紙折細工や豆細工を行わせ、その後は金工や木工を課している。また上級学校と連携している。

 まとめると、ドイツでは他の学科と常に連携し、全般的陶冶を計る。アメリカでは実用に向くように金工や木工を重視し、中学校や師範学校と連絡を取っている。

 

 我が国では小学校は普通教育の目的である一般的陶冶の対場に立つべきである。しかし単に手と眼との練習ではなく、実用になるように教材を選択し、その上に工芸的材料に関する知識を与えねばならない。また数学や理科の考えを創作の上に表させるべきである。そして実社会に出て取ることになる職業の基礎をつくり、準備させるべきである。このような実用的な基礎と準備とともに全般的な陶冶を計るのが我が国の手工科の使命である。

 全ての教授でもそうだが、手工科では特に一定の主義の下に教材を集めなければならない。それは国家の工芸的立場から定めるべきであり、個人的には物品をつくる能力を与えなければならない。またこれに学習関係や生活関係、経費関係を考慮すべきである。つまり、

 

272 一、工芸に関する基本的知識と技能を与える教材

二、製作に普通の知識と技能を与える教材

三、児童の発達過程の趣味に合った教材

四、他の学科と連携する教材

五、児童の生活に必要なもの(将来を含む)

六、経費と労力の大小を考慮すること。

 

良い教材の主なものは、色板ならべ、豆細工、紙細工、粘土細工、石膏細工、竹細工、木工、金工、線細工などがある。我が国は竹が特産物だから、教材として大いに奨励したい。竹は実用上からも有益である。

 

 

 

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