書 評
「半島へ、再び」蓮池薫著 新潮社 2009.6.25
朝鮮半島に関する書物で、私が今まで読んだものは、金賢姫の「いま、女として」、ジェンキンズの「告白」くらいで、地理的には日本と朝鮮とは非常に近いところにあるのに、朝鮮半島のことをほとんど知らず、もっと知らなければならないとは思いつつ、ついそのままになっていましたが、この書物はそういう空白を大いに埋めてくれるものでした。
蓮池薫さんの「半島へ、再び」を読ませていただき、南北朝鮮について本当に知らなければならない情報を数多く知ることができました。そのうちでも次の三件は特に心に残りました。それは熱血韓国人作家、孔枝泳、朝鮮独立の民族的英雄、柳寛順、日本による朝鮮支配の実態を今に伝える西大門刑務所歴史館です。また、韓国の民主化運動、死刑廃止運動、日本による朝鮮半島支配の歴史等についても知ることができました。
しかし、一言要望を言わせてください。翻訳家は出版社と協力関係になければ、仕事がやりにくいでしょうし、また、拉致被害者であったということから派生する、蓮池さん自身の身の安全ということも、考慮されなければならないでしょう。しかし、蓮池さんは、拉致被害者として、北朝鮮で24年間暮らし、私どもの知らない北朝鮮の内情について、かなりのことをご存知のはずですから、北朝鮮、韓国、日本、中国、ロシア、アメリカの和解のための提言を発信することができる立場にある数少ない人の一人であり、きっとご自身のお考えもお持ちのはずだと推察するのですが、周囲に気を使われておられるのか、ご自身のお考えを十分には表明しておられないような気がしてなりません。将来に期待しております。
朝鮮半島の問題をいかに打開すべきかは、実際非常に難しい問題です。北朝鮮のみならず、関係諸国もそれぞれの問題を抱えています。例えば、中国では、人権が軽視され、少数民族は虐待されています。ロシアはヨーロッパに対して、天然ガスの価格協定を一方的に破棄するなど、その契約のあり方が信用できない状況があります。北朝鮮はゴーイングマイウェイの軍拡路線をとり続け、ついには核兵器や長距離弾道ミサイルの開発に成功し、アメリカは過去100年以上にわたって、世界第一の大国として世界に君臨してきたし、たとえオバマ政権に移行してからも、そのような傾向はすぐにはなくならないでしょう。また日本の一部政界には、復古的・民族主義的な反共アレルギーがあります。世界がさまざまな体制の国家の寄り合い所帯であるという現実を認めるところから、国際理解・国際協調・国際平和がもたらされると思われます。また拉致被害者家族会は、当事者として大変お気の毒とは思いますが、拉致被害者という自分達だけの世界に閉じこもり、ややもすると世界全体を見ていない要求をしているように思われます。つまり、北朝鮮に対する制裁だけを求めているのでは、事態は進展しないということです。
また「制裁」という表現は、たとえその支配者がいかに子供じみて見えるとしても、一つの主権国家に対して述べるには適切ではないのではないでしょうか。戦前日本が中国に軍事介入するに際して、中国人に対して「膺懲(ようちょう)」という表現を用いたのと同様ではないでしょうか。「膺懲」とは「征伐して懲らしめること」であり、目上の者が目下の者に対して、優れた者が劣った者に対して、善人が悪人に対して用いる言葉です。「制裁」にもそれと同様の意味合いがあるように思われます。それほど日本人は北朝鮮の人達よりも優れた国民だと先験的に判断してしまってもいいのでしょうか。このことは、成人した人と人との関係に当てはめて考えてみればすぐに気づくことではないでしょうか。相手がどんなにやくざな人であっても、そんな言葉遣いをして相手に臨めば、いい気はされないでしょう。敵意を含んだ表現とみなされるのではないでしょうか。
このような状況の中で、朝鮮半島問題を一挙に解決することは極めて難しいことだと思われます。しかし、そのような膠着した複雑な状況を解く鍵が、この書物の中で控え目ではあるが提言されているように思われます。それは蓮池さんもおっしゃるように、庶民レベルでの文化交流を通して、少しずつ状況を変えていけるのではないかということです。また中国やロシアの中にも体制批判派がいるように、北にもいるはずです。今思い切って、日朝の文化交流を始められないものでしょうか。北朝鮮が核兵器を開発してしまったということは、今までの世界の対応にも責任の一端がなかったと言い切れるでしょうか。日本の一部保守派による武力対決をも辞さない強硬な政治姿勢、さらには先制攻撃までもすることによって、問題を解決することはできるのでしょうか。一見それは勇ましく見えますが、武力行使した後のことを考えた上での発言なのでしょうか。そのようなことをすれば、かつてのように、日本国民全体を戦争に巻き込むことになるという考えは思いつかないのでしょうか。そして今度は核戦争になるでしょうから、日本はあっという間に消滅してしまうでしょう。しかも永遠に。そういうことにはならないようにというメッセージが、蓮池さんのこの書物の中にはあるように思われます。庶民レベルでの文化交流によって日米間の距離が縮まったように、日朝間の文化交流を通じて、その距離も縮まり、ひいては核廃絶への道も、拉致被害者に関する真実の情報とその問題解決の方法も見えてくるのではないでしょうか。ただ口癖のように、北はエキセントリックな国だとばかり言っているのでは、問題は解決しないどころか、悪化するばかりでしょう。
2009/08/16, 2009/09/03, 2009/09/04,
「半島へ、再び」蓮池薫著 新潮社 2009.6.25
朝鮮半島に関する書物で、私が今まで読んだものは、金賢姫の「いま、女として」、ジェンキンズの「告白」くらいで、地理的には日本と朝鮮とは非常に近いところにあるのに、朝鮮半島のことをほとんど知らず、もっと知らなければならないとは思いつつ、ついそのままになっていましたが、この書物はそういう空白を大いに埋めてくれるものでした。
蓮池薫さんの「半島へ、再び」を読ませていただき、南北朝鮮について本当に知らなければならない情報を数多く知ることができました。そのうちでも次の三件は特に心に残りました。それは熱血韓国人作家、孔枝泳、朝鮮独立の民族的英雄、柳寛順、日本による朝鮮支配の実態を今に伝える西大門刑務所歴史館です。また、韓国の民主化運動、死刑廃止運動、日本による朝鮮半島支配の歴史等についても知ることができました。
しかし、一言要望を言わせてください。翻訳家は出版社と協力関係になければ、仕事がやりにくいでしょうし、また、拉致被害者であったということから派生する、蓮池さん自身の身の安全ということも、考慮されなければならないでしょう。しかし、蓮池さんは、拉致被害者として、北朝鮮で24年間暮らし、私どもの知らない北朝鮮の内情について、かなりのことをご存知のはずですから、北朝鮮、韓国、日本、中国、ロシア、アメリカの和解のための提言を発信することができる立場にある数少ない人の一人であり、きっとご自身のお考えもお持ちのはずだと推察するのですが、周囲に気を使われておられるのか、ご自身のお考えを十分には表明しておられないような気がしてなりません。将来に期待しております。
朝鮮半島の問題をいかに打開すべきかは、実際非常に難しい問題です。北朝鮮のみならず、関係諸国もそれぞれの問題を抱えています。例えば、中国では、人権が軽視され、少数民族は虐待されています。ロシアはヨーロッパに対して、天然ガスの価格協定を一方的に破棄するなど、その契約のあり方が信用できない状況があります。北朝鮮はゴーイングマイウェイの軍拡路線をとり続け、ついには核兵器や長距離弾道ミサイルの開発に成功し、アメリカは過去100年以上にわたって、世界第一の大国として世界に君臨してきたし、たとえオバマ政権に移行してからも、そのような傾向はすぐにはなくならないでしょう。また日本の一部政界には、復古的・民族主義的な反共アレルギーがあります。世界がさまざまな体制の国家の寄り合い所帯であるという現実を認めるところから、国際理解・国際協調・国際平和がもたらされると思われます。また拉致被害者家族会は、当事者として大変お気の毒とは思いますが、拉致被害者という自分達だけの世界に閉じこもり、ややもすると世界全体を見ていない要求をしているように思われます。つまり、北朝鮮に対する制裁だけを求めているのでは、事態は進展しないということです。
また「制裁」という表現は、たとえその支配者がいかに子供じみて見えるとしても、一つの主権国家に対して述べるには適切ではないのではないでしょうか。戦前日本が中国に軍事介入するに際して、中国人に対して「膺懲(ようちょう)」という表現を用いたのと同様ではないでしょうか。「膺懲」とは「征伐して懲らしめること」であり、目上の者が目下の者に対して、優れた者が劣った者に対して、善人が悪人に対して用いる言葉です。「制裁」にもそれと同様の意味合いがあるように思われます。それほど日本人は北朝鮮の人達よりも優れた国民だと先験的に判断してしまってもいいのでしょうか。このことは、成人した人と人との関係に当てはめて考えてみればすぐに気づくことではないでしょうか。相手がどんなにやくざな人であっても、そんな言葉遣いをして相手に臨めば、いい気はされないでしょう。敵意を含んだ表現とみなされるのではないでしょうか。
このような状況の中で、朝鮮半島問題を一挙に解決することは極めて難しいことだと思われます。しかし、そのような膠着した複雑な状況を解く鍵が、この書物の中で控え目ではあるが提言されているように思われます。それは蓮池さんもおっしゃるように、庶民レベルでの文化交流を通して、少しずつ状況を変えていけるのではないかということです。また中国やロシアの中にも体制批判派がいるように、北にもいるはずです。今思い切って、日朝の文化交流を始められないものでしょうか。北朝鮮が核兵器を開発してしまったということは、今までの世界の対応にも責任の一端がなかったと言い切れるでしょうか。日本の一部保守派による武力対決をも辞さない強硬な政治姿勢、さらには先制攻撃までもすることによって、問題を解決することはできるのでしょうか。一見それは勇ましく見えますが、武力行使した後のことを考えた上での発言なのでしょうか。そのようなことをすれば、かつてのように、日本国民全体を戦争に巻き込むことになるという考えは思いつかないのでしょうか。そして今度は核戦争になるでしょうから、日本はあっという間に消滅してしまうでしょう。しかも永遠に。そういうことにはならないようにというメッセージが、蓮池さんのこの書物の中にはあるように思われます。庶民レベルでの文化交流によって日米間の距離が縮まったように、日朝間の文化交流を通じて、その距離も縮まり、ひいては核廃絶への道も、拉致被害者に関する真実の情報とその問題解決の方法も見えてくるのではないでしょうか。ただ口癖のように、北はエキセントリックな国だとばかり言っているのでは、問題は解決しないどころか、悪化するばかりでしょう。
2009/08/16, 2009/09/03, 2009/09/04,
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