2025年7月13日日曜日

「満蒙「開拓」団史を次の世代に伝えたい~方正友好交流の会総会・講演会」

 

「満蒙「開拓」団史を次の世代に伝えたい~方正友好交流の会総会・講演会」にzoom で参加 20250713(日)

 

 

講師の胡桃澤伸(くるみざわしん)さんは精神科医で劇作家でもあるが、長野県阿智村から、同村の満蒙「開拓」=侵略の歴史を劇にして欲しいと頼まれて子どもたちが主役の劇を作り、その製作の顛末をドキュメンタリー映画にしたものも講演の前に見せてもらった。

 

胡桃澤伸さんの祖父は、長野県下伊那郡阿野村(現豊岡村、阿智村の北東)の村長で、満蒙「開拓」=侵略の国策を推進した人でもある。

 

印象的だった胡桃澤伸さんの言葉「(参政党に対しては)言葉で反撃するしかない。」そこで私は日頃の考えを以下のようにまとめた。

 

「米第一」「都民ファ」「日本人ファースト」と華々しいが、「○○ファースト」や「○○第一」と唱える輩にとって、「第二」は差別の対象になる。そして「日本人ファースト」の場合、「自分は日本人だから差別されなくて大丈夫」と考えるのは浅はかである。差別主義者は第二の差別対象がなくなると、第三、第四の差別対象を見つけることを性とする。

 

戦前の治安維持法による弾圧対象の変遷を考えて見れば、そのことは明らかではないか。最初の弾圧対象は共産党員で、「自分は共産党員ではないから大丈夫だ」と思っていたら、次は自由主義的批判的文化人(人民戦線事件、横浜事件)に、そして天皇制以外の宗教に弾圧対象が拡大したように、差別思想は次々と差別対象を見つけてゆく。

 

差別の根源である天皇制=身分的差別は廃止されなければならない。

 

 

メモ

 

 

ドキュメンタリー映画「あなたのいない村 満蒙開拓を語り継ぐ」の上映

 

阿智村から満洲へ満蒙「開拓」団が侵略。(会地村・智里村・伍和村が1956年合併して阿智村になった。)

大石真紀子(阿智村の職員、東京都出身)が胡桃澤伸(1966-59、精神科医、劇作家)に映画製作を依頼し、胡桃沢が戦後72年の20171、大阪で製作した。 「遊んでお父さん」 姉と二人で満洲から無事帰国できた野中章(あきら、79、当時10歳)の証言を元にしている。

 

昭和205

2013

阿智郷

中国密山市

 

194589日、関東軍は「開拓」民を置き去りにして朝鮮へ撤退した。

開拓民は逃亡中に敵に見つかるからと我が子を殺した。

佐渡開拓団の陣地へ逃げた。

ソ連軍が包囲した。

男は玉砕し、1500人が集団自決した。

 

野中さん家族は中国人に捕まった。姉を差し出され、それ以来生き別れのままである。

 

女は男装して逃げた。野中さんは当時10歳だった。

 

阿智村職員の大石真紀子は「会地村報」を調べた。

 

満洲へ行けば補助金を出した。

世界恐慌時に繭が暴落したが、それ以後は持ち直した。それでも戦争協力の姿勢が求められた。

阿智村平和記念館(阿智村にある満蒙開拓平和記念館)に野中章の証言が展示されている。

 

二川舞香が振付、村民劇…

「タンポポの花」

 

姉と二人で日本に帰った野中は当時10歳だったが、「乞食が来て寝とる」と級友たちに言われた。

 

下伊那郡が(満蒙派遣へ)特別指定され、昭和18年、派遣世帯数3年間で200世帯が目標とされ、支援金や補助金を出し、結婚を斡旋しても、応募世帯は少なかった。そこで昭和19年、30軒単位で構成される常会で人数割り当てが行われ、村の助役が毎晩野中家を訪れて勧誘した。

昭和19年、先遣隊を派遣。

 

昭和20年、計画見通せず○○

64世帯196人中121人が死亡。

 

村民劇「タンポポの花」

 

 

講演 胡桃澤伸

 

本映画は2017年に放送されたものである。2016年から17年にかけて製作した。

今回の映画の上演と講演会を企画した「方正(ほうまさ)友好交流の会」も解散するらしい。(「方正」は中国の地名。ハルビン市郊外の方正県に5000人の日本人を葬る日本人公墓がある。)

 

私の祖父は河野村の村長だった。河野村(現豊丘村)から100人が満洲へ行った。(東京新聞では1945年春、27世帯、95人を吉林省に送り出した。)

高○○女…

祖父は自殺した。

私はいつも考え続けている。

 

映画(劇)は村民プロジェクトとして始まり、2016年の秋から活動を開始した。大石さんからの依頼による。大石さんも東京の人だが、「まいかさん」も東京の人である。

 

大石さんは2015年のころから戦争について考えるようになり、大石さん主催でトラックデモをしたという。

 

野中さんのインタビュー 三沢あき(広島県出身)

 

(劇の)脚本を書いてくれと言われた。

 

阿智村の人は満蒙開拓団のことを知らない。

 

金田… 中国帰国者 アフリカルーツの人も(職員の中に?)いる。

 

村長は反省していない。西沢権一郎(ごんいちろう、内務省官僚で長野県の上級役職を歴任)は、戦後長野県知事1959-1980になり、「慰霊」の字を碑文に書いたが、謝罪はなかった。

 

劇に子ども16人が出演している。

 

野中姉弟の二人は日本に帰ってから別々の家に預けられた。

 

医師は希望を処方することである。自由にやっていいという問いかけをする。

 

被害者であったアジアの人たちに伝わる話でなければならない。

中国帰国者の感想…

祖父の反省…

中国に対する謝罪がないと中国人留学生に批判された。

 

吹田公民館は使用料が無料。

 

参政党は企業「富士住宅」を通して在日コリアンに対するヘイトを配布した。

 

参政党憲法草案

 

1-3「天皇は神聖にして侵すべからず」

5-2「日本を守る義務」

 

言葉で話すしかない。

「ファースト」

 

満蒙「開拓」でなく満蒙侵略とすべきである。

2023年、「中国朝鮮蒙古追悼碑」に書かれた「拓魂」に「鎮魂」という貼り紙(板)をした。

加藤莞爾が書いた…

末広さん…

 

 

週刊金曜日によれば、

 

在日詩人の金時鐘(しじょん)は4・3事件を経験し、作詩したが、彼が言うには「気の毒だだけではだめだ、どのように気の毒なのかがなければだめだ。」

 

慰安婦問題でも、日本人女性自身も体をとられたのだから「お互い様だ」というのではだめだ。

 

 

著書紹介・販売

 

早稲田新書『…』

劇や映画のシナリオ

戦後の米軍人相手の慰安婦問題

 

50人参加。Zoom参加者にもレジュメをシェアしている。

1階でこれから懇親会1000

 

 

東京新聞 胡桃澤伸 2024124 1200 有料会員限定記事

 

村民73人の集団自決、自責の念で自殺した村長…「その孫だからこそ」満蒙開拓団の悲劇語り継ぐ 劇作家・胡桃沢伸さん

 

 

 戦時中に旧満州国(中国東北部)の満蒙(まんもう)開拓移民として送り出された長野県旧河野村(現豊丘村)の村民の多くがソ連の侵攻時に集団死し、村民を送り出した村長は自責の念に駆られて自死した。一連の悲劇はなぜ起きたのか。村長の孫で医師・劇作家の胡桃沢(くるみざわ)伸さん(57)が28日、東京都三鷹市で「河野村開拓団と祖父と私」と題して語る。(佐藤直子)

 

 「幼いころ、祖父の(もり)は戦争で死んだと聞かされていた。けれど、近所の子に『おまえのおじいちゃ(祖父のこと)は自殺した』と突然言われたことがあって」。胡桃沢少年は尋ね返せなかった。親にも聞けなかった「真相」を知るのは37のときだ。

 一つの記事が地元紙に載った。大戦中に農業「移民」や青少年「義勇軍」などとして渡満体験を持つ人に聞き取りを進めていた飯田市歴史研究所に、父が盛さんの遺品の日記を寄贈したことを伝えていた。「君のおじいさんのことでは」と言って友人が記事を送ってくれた。

 

国策に加担した祖父について語る胡桃沢さん

 

 1932年、中国に傀儡(かいらい)国家「満州国」を建国した日本は、農村部などから移民を送り出し、その数は敗戦までに27万人。日米開戦後は、町村単位で地元に残る人と満州に送る人を分ける「分村移民」を推進し、各自治体に送り出し人数が割り当てられた。当時河野村長だった盛さんは分村移民を決断した一人だった。45年春、27世帯、95人を吉林省に送り出している。

 しかし開拓団の成人男性は敗戦直前に徴兵され、村に残った女性や子ども、高齢者73人は、ソ連軍侵攻時に日本人に土地を奪われた中国の人たちに襲われ、帰国をあきらめて集団死翌年、悲劇を知った盛さんは村民を送った罪責から自ら命を絶った。42歳だった。

 

◆国策にのまれた祖父、重い事実から学び

 

 「悩んだ末の決断とはいえ、村民を送り出し、死に追いやった責任を感じて祖父は生きていけなかった」。事実の重さに打ちのめされながらも、胡桃沢さんは事実から学ぼうとした。

 河野村と同じ下伊那内の阿智村にある満蒙開拓平和記念館に足を運び、河野村の集団自決をただ一人生き延びた男性に会った。中国の河野村開拓団入植地も訪ねた。盛さんの日記からは、国策にのまれていく祖父の姿を見た。

 「くるみざわしん」の名で戯曲を発表してきた胡桃沢さんには、日本軍慰安婦など戦時性暴力や、町おこしのために放射性廃棄物の処分場誘致を画策する男を扱った作品などがある。

 戦争の加害や国家の欺瞞(ぎまん)を見つめてきた劇作家は今、祖父の過ちや故郷の悲劇も自ら語ろうとしている。

 

◆「次の戦争に加担しないため」

 

 「厳しい言い方だが、祖父は村長として甘かった。国に協力しない者は非国民と非難された時代、国策に従わない選択はなかったと言う人もいる。けれど、僕はその声にうなずきたくないんです」と胡桃沢さん。

 身内の痛みをもあえて語る。なぜか。「次の新たな戦争に加担しないためです。祖父の誤りを語るのは孫である僕の役割。僕が言わなくて誰が言えますか?」

 

 講演会を三鷹市と共催するNPO法人「中国帰国者の会」の前身は、旧満州に放置された「中国残留婦人」の一人、鈴木則子さんら十数人で1982年、産声を上げた。事務局次長の橋本美緒さんは「胡桃沢さんの講演を通して満蒙開拓とはなんだったのかを考えたい」と話す。

 会場は三鷹駅前コミュニティ・センター。開演は午前11時半(開場同11時)。胡桃沢さんの話のほか、信越放送制作ドキュメンタリー「決壊 祖父が見た満州の夢」の上映などがある。定員60人。参加無料、事前申し込み不要。

 

 

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