『真実 私は「捏造記者」ではない』 植村隆 岩波書店 2016 要旨・抜粋・感想
序文
これは討論ではなく闘いだ。戦後民主主義の価値観を否定し、戦前の価値観を強引に復活させようとする安倍政権との闘いだ。彼らは韓国と親しくすることを認めず、嫌韓・反中を基本方針とし、韓国と親しくしようとする人たちを、反日・国賊と看做す。
安倍政権は世論を操作するために、まず、読売、産経、NHKを取り込み、政権を忖度する方向に向わせ、次に朝日新聞、東京新聞へ矛先を向けてきた。問題を解決しようとしていくら議論しても言葉がかみ合わないのはこれが原因だ。
政権のやり方は右翼を取り込み、暴力性をはらんでいる。これは戦後民主主義をまもる闘いだ。植村さんはその闘いの矢面に立ち、一人で闘ってきた。植村さんや東京新聞を孤立させてはならない。
2019年3月23日(土)
金井正之
第1章 閉ざされた転職の道
注 松蔭=神戸松蔭女子学院大学、文春=『週刊文春』、敬称省略
1991.8.10 韓国挺身隊問題対策協議会の尹貞玉共同代表から、金学順の告白テープを聞かされた。
1991.8.11 植村隆が朝日新聞社大阪版の社会面で、一朝鮮人元慰安婦が、女子挺身隊の名で戦場に連行されていたことを名乗り出たという内容の記事を発表した。004
1991.8.14 金学順が自分は慰安婦だったと名乗り出た。
2012.4 札幌の北星学園大学で勤務を開始した。
2013.12 神戸松蔭女子学院大学へ採用が内定した。
2014.1.26・27 文春の記者が植村に取材を要請した。この時大高未貴も同行していたようだ。植村は取材に応じなかった。*その文集記者は植村に「自分の記事に責任を持ちなさい。」
*応じなかったというのは言い過ぎで、朝日新聞の広報部を通すことにしていた。
2014.1.27 文春から松蔭へ植村を採用するかどうかや講座内容に関する問い合わせの電話があった。008
またメールで文春の記者は松蔭に「植村記者を採用された理由をお教え下さい。」「植村は強制連行の事実を証言する元慰安婦が現れたとの記事を書いたが、この記事は意図的な捏造であり、日本の国際イメージを大きく損ねた。」010
2014.1.30 『週刊文春』が2月6日号で、植村の記事を「捏造」と報じた。
「〝慰安婦捏造〟朝日新聞記者が、お嬢様女子大教授に」「怒りの総力特集 韓国の「暗部」を撃て!」
その中で西岡力は「挺身隊は慰安婦と全く関係がない。」「女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書いている。」「植村は強制連行だとしている。」
2014.2.3 ネットテレビ「チャンネル桜」で大高未貴が「逃げるな!朝日新聞・植村隆記者よ」という番組を担当し、植村は「捏造記者」だとした。013
2014.2.5 松蔭は植村に「文春の記事に関する説明はいらない。この記事が正しいかどうかは問題ではない。」
2014.3.7 植村は松蔭側と合意書を締結し、契約を解除した。
2014.8 朝日新聞が植村の要望に答えて検証記事を報道したが、朝日は返って苦境に陥った。
松蔭側は「植村を辞めさせろ」というメールのコピーを持参し、植村に「文春の記事を見た人たちから、多数の抗議が大学側に来ている。」「毎日数十本の抗議電話、抗議メールが大学側に来ている。」「何らかの(右翼の)行動が危惧される。」「就職取り消しを求めるメールが250本大学に送られた。」
『Will』編集長の花田が、産経新聞の「花田紀凱(かずよし)の週刊誌ウオッチング」で「日本軍による慰安婦強制連行があったとする記事を書いた植村が、松蔭の教授になるという。…こんな記者が女子大でいったい何を教えることやら。」
・ネットでは
「植村を国会喚問せよ!」「大学で捏造慰安婦を教えるかも[超拡散]。「早速維新にメールしました。」「採用取り消しということになるかも」「植村隆の犯罪によってどれだけ多くの国費が使われ、どれだけ多くの日本国民への侮辱を招いたか!」「学生だってこんな売国奴に来られたら困るでしょう。」「売国奴、詐欺、主犯、アカ日新聞、トンスル女子大学、反日、凸電」、「地獄の果てまで追いつめるんだ!!!」「死刑」「○○されても当然」「国会喚問まで自殺させるな」029
・某ブログでは、植村氏の娘の写真を掲載し
「こいつの父親のせいで大勢の日本人が苦労した。自殺するまで追い込むしかない。」094
・2014.8.10、久保田るり子が編集委員であるネットの「産経ニュース」の中の読者の書き込みには、
「植村はギロチンで公開処刑にすべき 朝日新聞は廃刊にしろ」「とりあえず、拉致して有用臓器&組織を捕獲しようぜ!」「妻がチョンの植村隆を吊るし上げして処刑しろ」154
2014.5.29、北星学園大学の学長・理事長宛に脅迫状が届いた。「あの元朝日(チョウニチ)新聞記者=捏造朝日記者の植村隆を講師として雇っているそうだな。売国奴、国賊の。朝鮮慰安婦捏造記事がどれ程日本国、国民の利益を損なったか?植村の居場所を突き止めて、なぶり殺しにしてやる。すぐに辞めさせろ。やらないのであれば、天誅として学生を痛めつけてやる」「出て行けこの学校から 出て行け日本から 売国奴」「史上最低の新聞記者は捏造記事を書き日本を貶めのうのうと生きている」109
匿名電話「街宣活動をする」
感想・仮説
・植村さんが「連行」という語彙を用いたことから、それが右派国粋主義者を刺激し、彼等に「強制連行」を想起させたといえないか。
実は、挺身隊として連れて行かれたのだが、そこは慰安所だった。つまり、騙されたというのが真実である。騙される事を「連行」と表現するのは不正確ではなかったか。*
韓国で挺身隊=慰安婦とされているが、それは事実に反するともいえるし、事実であるとも言える。事実に反するというのは、当時挺身隊は工場労働者を意味していたからであり、事実であるというのは、当時は実情を伏せられていたとしても、実はその挺身隊の何分の一かが慰安婦に振り向けられていたということである。
戦前の韓国でも表向きは、挺身隊は工場労働者を意味していたものと思われる。
*再考 しかし、結果的には望んでいない慰安婦にさせられ、逃げ出すこともできない状況に監禁されたのだから、この行為が騙しの行為だったとしても、「強制連行」という行為として認識すべきではないか。実際インドネシアでは慰安婦の必要があったからこそ、まさに強制連行した場合があったようで、韓国の場合でも、もし騙しに成功しなければ、強制連行が行われた可能性も否定できない状況だったのではないか。
また、『「慰安婦」問題を子どもにどう教えるか』の中で、平井美津子氏はナヌムの家で、ある元慰安婦との面談の様子を述べている。それによると、
ペ・チュンヒハルモニは、1923年慶州(慶尚)北道の出身で、19才の時に友達の家で「挺身隊」募集の話を聞いて志願し、お金を稼げると聞いて行ったものの、連れて行かれた場所は慰安所だった。1942年から日本の敗戦まで満州で日本軍の「慰安婦」としての生活を強いられた。戦後は日本に渡り、スナックなどで水商売をし、80年代初めに韓国に戻った。「慰安婦」だと名乗り出たのが93年。ナヌムの家で暮らすようになったのが97年からだ。087, 088
このペさんの例は明らかに挺身隊だとして騙して慰安婦にさせた例である。
このような、どのような経緯で慰安婦にされたのという細かい点を問題にして、間違っている、捏造だとか何だとか言い募り、逃げられない慰安所という問題の本質をそらしてはならない。そのことは本書の後の方で指摘していることだ。170「日本の歴史家を支持する声明」
・匿名ネット右翼の言葉遣いの中に、戦前の国家観を良しとする発言があるが、これは問題である。「反日、売国奴、アカ」などである。
私たちの父祖が行った行為で世界に胸を張って誇れるような行為なら弁護してもいいが、決してそうではなく、むしろ恥ずべき行為なのに、他国も皆同じことをやっていたなどと合理化し、その非を認める孫を「売国奴」呼ばわりし、いくら強がって叫んでみたところで、自らの傷を深めるばかりではないか。
・西岡力は間違いを認めた。ウイキペディアによれば、西岡は植村さんに指摘されて、間違いを訂正したとのこと。
「私(金学順)は40円で売られて、キーセンの修業を何年かして、その後、日本の軍隊のあるところに行きました」と、ハンギョレ新聞の記事にない表現を付け加えたことを、「間違いです。後で気づいて訂正した」と誤りを認めた。
さらに西岡は「金学順さんが、身売りされ慰安婦になったと訴状に書いた」とする自身の記述は、事実ではなく、「記憶違いだった」と答弁した。
「女子挺身隊の名で戦場に連行され」との植村の記事について、西岡は「この方は一度も女子挺身隊の名でとは言っていない」としたが、植村は「金さん自身、当時の記者会見で『私は挺身隊員だった』と述べている」と反論した。2018.9.15東京地裁、(西岡の)本人訊問。
・松蔭の問題点 今自治体や図書館などが匿名右翼に負ける危険な現象が進行しているが、松蔭の問題点もその一つである。
・朝日新聞社自体の問題点 朝日はバッシングに毅然とした対応をせず、バッシングを受けて変質したようだ。そして朝日という堤防が破れて、攻撃の対象が他へ転嫁した。
感想 「挺身隊」解釈における日韓での誤解の原因
挺身隊に関する日本国粋主義者と、韓国や日本国際派との行き違いの原因は、挺身隊の意味するものが、戦前の韓国と日本では違っていたことに起因するのではないかと想像される。つまり、戦前において日本では挺身隊員として日本人女性を慰安婦として使用することはなかった。それに対して韓国では挺身隊を口実にして騙して慰安婦にするということが一般的に行われていたのではないか。だから日本人国粋主義者は、挺身隊員が工場労働者であると解釈し、それに対して韓国では、挺身隊と言えば、騙された慰安婦というイメージとして一般的に受け入れられ定着したのではないかと思われる。
第二章 「捏造」と呼ばれた記事
「録音テープ」から始まった記事
032 1991.8.10 韓国挺身隊問題対策協議会の尹貞玉共同代表から、金学順(この時は実名を公表していない)の告白テープを聞かされた。それによると、金学順は、中国東北部の生まれで、17歳の時、中国南部の慰安所に連れて行かれたが、数ヶ月働かされたあと、逃げることができた。
033 韓国では当時慰安婦問題に関する関心が非常に高まっていて、女性団体が調査を始めていた。尹は1980年から慰安婦の調査を始め、1990.1、『ハンギョレ』新聞に「挺身隊『怨恨の足跡』取材記」を連載した。
034 韓国では当時慰安婦のことを挺身隊と言っていた。
1943、尹が梨花女子大(梨花女子専門学校)1年生の時、学生全員が指紋を取られた。女子挺身隊にでも引っ張られるのではと心配した両親が、翌日尹を退学させた。
その女性(金学順)は、「日本政府が挺身隊があったことを認めないことに腹が立ってたまらない」とし名乗り出た。
037 1991.8.14 金学順が記者会見を開き、自分は慰安婦だったと、実名を公表しながら名乗り出た。
植村の『朝日新聞』大阪版夕刊記事「元従軍慰安婦(女子挺身隊)の女性が証言した。」042
1990.6、参議院予算委員会で本岡昭次議員(社会党)が、戦時中の朝鮮人強制連行や慰安婦問題について質問し、慰安婦に関する政府による実態調査を求めた時、労働省職業安定局長が「民間業者が軍とともに連れ歩いている」と答弁したが、韓国内で反発が強まった。
1987.6 軍事政権を支える与党代表委員の盧泰愚(ロテウ、後大統領)が民主化宣言をした。
038 1987夏から1年間私はソウルの延世大学校韓国語学堂で学んだ。
039 1992.9.2 朝日新聞担当デスクは「元慰安婦の『語り部』は、朝鮮半島出身者が、沖縄とタイに一人ずついる。1990.5、韓国で慰安婦について日本に戦後補償を求める動きが広がった。」
私は太平洋戦争犠牲者遺族会(遺族会)の女性理事・梁順任(やんすにむ)の娘と結婚した。その時遺族会は第一次補償請求訴訟を起こしていた。
042 1991.8.15、植村は『朝日新聞』大阪夕刊記事で「8.14、元従軍慰安婦(女子挺身隊)の女性が証言した。」
1991.8.15付の韓国紙
「挺身隊慰安婦として苦痛を受けた私」(『東亜日報』)、「私は挺身隊だった。」(『中央日報』)、「挺身隊の生き証人として堂々と」(『韓国日報』)
尹貞玉によると、金学順は「日本政府は挺身隊の存在を認めない。怒りを感じる。」
043 1991.8.15付の『北海道新聞』が、金学順との単独インタビューを掲載した。「わけ分からぬまま徴用」「女子挺身隊の美名のもとに従軍慰安婦として」、金学順「16歳だった1940年、中国中部の鉄壁鎮の慰安所に強制的に収容された。」
8.18付け『北海道新聞』「もう一つの強制連行」「金学順は7月下旬韓国教会女性連合会事務局を訪問し、韓国人女子挺身隊(従軍慰安婦)問題担当の事務局員に、「私は女子挺身隊だった」と切り出した。」
044 2014.11.17『北海道新聞』「韓国では勤労のための挺身隊と慰安婦とを混同していた時期がある。」「女性もそう語っていた」とし、金学順が女子挺身隊という言葉を使ったことを明らかにした。
『読売新聞』1991.8.24、大阪読売朝刊「連行された約20万人の女子挺身隊のうち『慰安婦』として戦地に送られたのが8万人から10万人とみられている。」
1987.8.14『東京読売新聞夕刊』「女子挺身隊の悲劇」
91.7.12『毎日新聞』「「女子挺身隊」などの名目で徴発された朝鮮人女性たちは自由を奪われ、各地の慰安所で兵士たちの相手をさせられた。」
91.12.9『毎日新聞』の中で、尹貞玉「私たちにとっては挺身隊がすなわち従軍慰安婦なんです。戦争中、女子挺身隊の名で徴用された女性たちの多くが、慰安婦にさせられたのですから。」
045 91.9.28『毎日新聞』「記者が8月下旬金学順に会った。」
91.8.24『読売新聞』は尹貞玉を通して金学順について書いた。
91.8.11付の植村の記事は、韓国に転電されなかった。
046 2014.3.28、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が慰安婦に関する『20年史』を発行した。その中で
1991.7.22 金学順が挺対協事務所を訪問。
1991.8.14 金学順が韓国で初めて本人自ら慰安婦であったことを明らかにする記者会見を開いた。
金学順を挺対協に案内した、挺対協の会員団体である韓国教会女性連合会のイ・メンヒは、金学順のことを挺身隊と呼んでいた。
『終わらない戦争』(金東元監督2008)の中で、1991.8.14に記者会見する金学順が現れる。金学順「16歳になったばかりの娘が強制的に連行されて、必死に逃げても捕まえて離してくれない。目を閉じる前に話して、怨みを晴らしたいんです…」
映画の中に出てくるKBSニュースのタイトルは「私は挺身隊だった」
048 また男性キャスターは「50年前日本軍に連行されて慰安婦生活を強要された。」
オランダ人のジャン・ラフ・オハーンも登場する。金学順の証言に勇気づけられて自らも被害証言をすることにした。「本当に驚くべき事実は、50年間沈黙していた私たち慰安婦女性が同時に突然口を開いたことです。」そのことをオハーンさんは「バーン!」と表現した。
049 その後、韓国では元慰安婦の証言者が続出し、その流れの中で1993.8の河野談話が出された。韓国では被害者として申告した元慰安婦は200人を越えている。さらに、オランダ、フィリピン、台湾、インドネシア、中国からも元慰安婦が証言した。オハーンさんら3人は、2007.2、米下院外交委員会小委員会公聴会で被害体験を証言し、2007.7、米下院本会議で日本政府に謝罪を求める決議案が可決された。
91.12.25付の植村の記事「女たちの太平洋戦争」は、金学順の、弁護団への証言内容を伝えた。
050 「韓国の『太平洋戦争犠牲者遺族会』の元朝鮮人従軍慰安婦、元軍人・軍属やその遺族35人が今月6日、日本政府を相手に、戦後補償を求める裁判を東京地裁に起こした」金学順は原告3人の内の一人である。
「日本の戦後責任をハッキリさせる会」(ハッキリ会)は、弁護団と行動を共にした団体であり、彼ら(弁護団とハッキリ会)の韓国での聞き取りに私も同行した。その中で
金学順「私は満州の吉林省の田舎で生まれました。父が独立軍の仕事を助ける民間人だったので、満州にいたのです。私が生後100日くらいの時、父が死に、その後、母と私は平壌へ行きました。貧しくて学校は普通学校4年でやめ、その後は子守をしたりして暮らしていました。「そこへ行けば金儲けができる」。こんな話しを地区の仕事をしている人に言われました。仕事の中身は言いませんでした。近くの友人と二人、誘いに乗りました。17歳(数え)の春(1939年)でした。」…①
金学順は日本政府に対して戦後補償を求める「太平洋戦争犠牲者遺族会」(金鐘大会長)の訴訟に加わった。
051 2014.8.5『朝日新聞』は「慰安婦問題を考える」で「植村の記事に事実の捻じ曲げはない。」
2014.8.29『読売新聞』
「植村氏は91年12月25日の『朝日新聞』で、金さんが母親に40円でキーセン(妓生)を養成する家へ養女に出された事実に触れない。妓生は宴会などで芸事をする女性のことで、妓生から慰安婦になった人もいたとされる。金さんは養父から「中国へいけば稼げる」と言われて、北京に連れて行かれたと証言している。植村氏は金さんを騙した人物を「地区の仕事をしている人」とし、養父であることが分からなくなっている。」…A
052 91.11.25、金さんは養父について全く語らなかった。
「日本の戦後責任をハッキリさせる会」の記録『ハッキリ通信』によれば、金さんは「私が17歳の時、町内の里長が来て、「ある所に行けば金儲けができるから」としきりに勧められた。私は日本名でエミコさんと呼んでいた友達と2人で行くことに決め、大勢の朝鮮人が乗せられたトラックに乗った。」…①
弁護団聞き取り要旨では「1939年、同原告(金学順)が17歳(数え)の春、同原告らの住む町内の区長から、「そこへ行けば金儲けができる」と説得され、同町内からもう一人の娘(エミ子)と共に出稼ぎに行くことになった」…①
053 2014.10.3、『週刊ポスト』は、
「植村氏は11月25日の取材時点で、「連行」ではなく、「親に売られた」のだということを知っていたはずだ。」「もし『検番の養父』と言っていたのに、『地区の仕事をしている人』と改変して書いたなら、これは意図的な捏造の決定的な証拠となる。」…B
キーセンは韓国の芸者である。私はキーセン学校については書かなかった。キーセンだから慰安婦にされたのだろうか。
91.12.6、金学順ら3人の元慰安婦を含む遺族会のメンバー35人が、東京地裁で日本政府を相手に植民地支配と戦争で被った犠牲の補償を求める訴訟を起こした。その訴状の中で金学順について、
「14歳からキーセン学校に3年間通ったが、1939年、17歳(数え)の春、「そこへ行けば金儲けができる」と説得され、金学順の同僚で1歳年上の女性(エミ子といった)と共に養父に連れられて中国に渡った。」…②
11月25日の聞き取りでは話していなかった「養父」が加わっている。
裁判を取材した『朝日新聞』の記者も12月6日の記事でキーセンについて触れていない。『読売新聞』も書いていない。
・挺対協による聞き取りをまとめた『証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集Ⅰ』(2006, 明石書店)で西野瑠美子、金富子は、「金学順さんは妓生にはならないまま養父に連れられて北京の食堂を出たところを日本人軍人によって連行され「慰安婦」にされた。」…③
金さんにどんな経歴があったとしても、金さんが意に反して慰安婦にされ、人権を侵害された被害者であることに変わりはない。
055 1991.12.6、提訴時の夕刊で、『産経新聞』はじめ5つの全国紙が、妓生の経歴を触れていない。
感想 ①②③と金さんの証言内容が少しぶれているが、金さんの発言内容が揺れているのではないか。植村さんは金さんの発言をそのまま伝えているのだが、植村さんを批判する側は、自らに都合のいい情報だけを根拠にして植村さんを批判する。しかし、植村さんが全貌を掴んでいないのではないかという危惧もある。
結局どちらが正しいのか。金さんは妓生修業をしたのかどうか。金さんが中国に行ったのは、村の里長に勧められ、その後トラックで中国に連れて行かれたのか、それとも養父に中国に連れて行かれ、その時日本軍人に連れて行かれたのか。それは偶然なのか、それともその時養父と日本軍人との間に、経済的なあるいは雇用に関する取り決めがあったのか。非常に複雑である。
第3章 省略
第4章 反転攻勢、闘いの始まり
096 帝塚山学院大学の某教授が、朝日新聞の記者だったころに吉田清治氏の記事を書いたとして、同氏を辞めさせるよう求めた脅迫状が2014年9月13日に大学に届き、彼はその日のうちに辞職した。
北星学園大学を応援する「負けるな北星!の会」(マケルナ会、10月6日発足)には、野中弘務・元自民党幹事長や上田文雄札幌市長も賛同人として名を連ねた。
097 また『読売』『産経』を含む各紙が、大学への脅迫を批判した。ドイツ、アメリカからもマケルナ会への賛同者が現れた。11月7日、380人の弁護士が、威力業務妨害罪で刑事告発をした。
2014.10.3、中山武敏弁護士が応援してくれることになった。彼は被差別部落の出身だった。石川一雄再審闘争の主任弁護人である。崔善愛(チェ・ソンエ)が、中山に植村のことを知らせた。
崔善愛は指紋押捺拒否闘争で、85年に罰金1万円の有罪判決を受け、再入国を拒否され、米国に留学し、特別永住資格も剥奪された。その後の裁判で、2000年、特別永住者となった。崔「朝日新聞の謝罪会見、嫌な予感というか、何か恐怖すら感じてなりません。」「異常な脅迫を続ける右翼(これをあやつる政治家)と週刊誌の人権侵害、まさに殺人行為だと思います。」
105 中山弁護士は中国の新民主革命の時の活動家の詩で、中山の父が死去の際に書き遺した「人は只一生に一死あり 生を得て意義を要し 死を得て価値有り」を座右の銘としている。
小林節・慶応大学名誉教授はもともと右派だったが、中山から支援を要請され、最初聞いた時は乗り気がしなかったが、また慰安婦問題論争には嫌気が差していたが、植村捏造のバッシングの経過を読み、残り僅かな人生を自分に偽らないで生きようと、植村支援の弁護団に参加した。小林は弁護士資格を持っていた。
小林はかつて自民党のブレーンで、『産経新聞』の「正論」メンバーであった。
小林「西岡は捏造を立証していない。櫻井よしこも植村を悪人呼ばわりしている。また某右派の人から電話で『あいつ国賊だぞ』と言われた。」
108 小林「私は体制側に近いところに長居をいたしました。しかし権力者の傲慢をいやという程見せられ、60歳の頃から、妥協せず信じることを語り切って生きて死にたいと思うようになりました。」
109 2014.5.29、北星学園大学の学長・理事長宛に脅迫状が届いた。「あの元朝日(チョウニチ)新聞記者=捏造朝日記者の植村隆を講師として雇っているそうだな。売国奴、国賊の。朝鮮慰安婦捏造記事がどれ程日本国、国民の利益を損なったか?植村の居場所を突き止めて、なぶり殺しにしてやる。すぐに辞めさせろ。やらないのであれば、天誅として学生を痛めつけてやる」「出て行けこの学校から 出て行け日本から 売国奴」「史上最低の新聞記者は捏造記事を書き日本を貶めのうのうと生きている」
110 2014.春、北星学園大学に脅迫状、抗議電話、抗議メールが届き、街宣活動やビラまきが行われた。7月に再度脅迫状が届いた。
111 『週刊文春』は8月14日・21日号で「慰安婦火付け役 朝日新聞記者はお嬢様女子大クビで北の大地へ」という見出しで、
「植村発の従軍慰安婦が世界を駆け巡り、アメリカのあちこちに慰安婦像が建てられ、日本と日本人の名誉が傷つけられ、日本人の子どもたちがいじめにあってるんですよ?日韓の歴史すら歪めてしまって…」
115 下村博文・元文部科学相が「裁判で負けることがないような対応を考えていただきたい」と述べた。(本心?それともごまかしのジェスチャー?)
119 朝日新聞は社員の訴訟を応援しようとせず、会社の顧問弁護士にも会わせてもらえなかったが、8月6、7日、朝日新聞は、捏造記者と書いた週刊誌二誌に抗議をした。一度目は写真週刊誌『FLASH』の8月19日・26日号「『従軍慰安婦捏造』朝日新聞記者の〝教授転身〟がパー」二度目は『週刊文春』の8月14日・21日号「慰安婦火付け役 朝日新聞記者はお嬢様女子大クビで北の大地へ」の中で「自らの捏造記事を用いて再び誤った日本の姿を刷り込んでいたとしたら、とんでもない売国行為だ」
121 10月28日の『産経新聞』は、「朝日の検証が植村の記事に『事実の捻じ曲げはない』としたこと自体が、事実のねじ曲げだ」という西岡のコメントを紹介している。
朝日新聞は吉田清治証言の報道を取り消したことで、返って激しいバッシングを受けた。
122 北星学園大学に対する脅迫事件が『週刊金曜日』や『読売新聞』でとりあげられた。
海渡雄一弁護士や中山武敏弁護士ら弁護士9人が、朝日新聞が福島原発の「吉田調書」に関する記事を取り消した際、それを報道した記者を処分しないように、26日朝日新聞社に申し入れた。
9月27日、秀嶋ゆかり弁護士を紹介された。彼女は私の娘への攻撃についても心配してくれた。
海渡弁護士は、私の訴訟の件で、沢山の弁護士に参加してもらい、卑劣な攻撃を跳ね返す運動を起こすよう提起した。
123 伊藤弁護士は、14人連名の緊急アピール(10月6日)の発表に尽力してくれた。
10月10日、札幌弁護士会会長声明が出された。会長は田村智幸。
10月7日、7人の弁護士の一人が、私の問題は「戦後民主主義擁護の大きな運動の一環と位置づけられる」と述べたとのことだ。
125 被告は西岡力と文芸春秋だ。弁護団側は、団長が中山武敏、副団長が海渡雄一、東京大空襲原告訴訟の事務局長の黒岩哲彦、性暴力問題に取り組んだ角田由紀子である。それに宇都宮健児や梓澤和彦も参加する。
第5章 「捏造」というレッテルが「捏造」
感想 「金さんが金で売られて慰安婦になった」という言説は、産経が仕組んだデマらしい。
強制されたのか、お金で買われたのか、養父に連れて行かれたのか、挺身隊として連行されたのか、そういう連れて行かれるまでの詳細に関する正誤を追及することは、慰安婦として自らの意思に反して性奴隷として扱われたという重大な人権問題を見えなくさせるということに、産経を始めとする右派自己中愛国主義者は気づかなければならない。
そして産経は、強制的に慰安婦にされたという言説を裏付ける証拠を示せなければ、日本軍による慰安婦事業はなかったとする立場だと産経新聞で公言するのだが、169そんなことはまず無理である。つまり産経は軍主導の慰安婦事業という事実はなかったということ、彼女らは業者に連れて行かれる売春婦だったということをアプリオリーに言いたいようだ。
右派の批判は1990年後半から一変した。157前半では、彼等自身が「強制連行」と言っていた。
産経の記者(阿比留や原川)は、慰安婦に直接インタビューしたことがない。168
128 西岡力は『増補新版 よくわかる慰安婦問題』(草思社2007.6)の中で、
「朝日新聞社は、私の批判に対する一切の反論、訂正、謝罪、社内処分などを行っていない。」
129 西岡力は「北朝鮮に拉致された日本人を救出するため全国協議会」(「救う会」)の会長で、安倍晋三のブレーンである。
130, 131 西岡力の植村隆批判の論文一覧。
132 西岡力は『増補新版 よくわかる慰安婦問題』(草思社2007.6)の中で、
「1992年から行われてきた慰安婦問題をめぐる論争は、『強制連行は証明されない』ということでほぼ決着した。慰安婦強制連行というデマは内外に拡散して、93年8月、宮澤政権は、朝日新聞などの意図的捏造報道と韓国政府からの外交圧力に負けて、あたかも強制連行を認めたかのように読める河野談話を出してしまった。」
「河野談話」は、従軍「慰安婦」について「当時の軍の関与のもとに、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」と結論づけ、謝罪と反省、そして歴史研究、歴史教育を通じて永く記憶に留めるとの決意を表明した。
西岡力は続けて「ここで『新しい歴史教科書をつくる会』に代表される良識的学者らが立ち上がり、産経新聞も加わり、論争が起こった。政界でも中川昭一、安倍晋三など当時の良識派若手自民党議員が『日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会』を結成して、真剣に取り組み始めた。この段階で、朝日新聞や左派学者らは、連行における強制だけが問題ではないとして、慰安所の生活などにおける強制性を強調しだすが、説得力が乏しい。」
133 「自分でキーセンに売られたと話している老女を『挺身隊として強制連行された慰安婦』として、平気で嘘をつく新聞記者。それが発覚しても責任を問わない無責任新聞社。キーセン出身老女や2万6千円の大金を貯金した老女を先頭にして日本を訴える厚顔無恥な弁護士。国連人権委員会に毎年わざわざ出向いて『慰安婦は性奴隷』などという奇抜な詭弁を報告書に書かせた自虐的NGO活動家。これらはすべてが日本人だ。」
「嘘に始まり。詭弁が乱舞し、ついに米国議会で日本を糾弾する決議が採択された。これを推進しているのが『反日』日本人たちだ。」
134 「…彼らは私たちの祖国、この美しい国・日本を貶め続けている。この人たちの〝反日執念〟こそが、私たちの敵だ。」
また、西岡力は『正論』(2014.10)の中の「隠蔽と誤魔化しでしかない慰安婦報道『検証』」の中で、
植村の1991年8月11日と12月25日の記事について、次のように批判した。
1.本人が語っていない「挺身隊」の経歴を付け加えた。
2.キーセンとして売られた事実を隠すため、正体不明の「地区の仕事をしている人」を出した。
3.裁判の利害関係者(義理の息子のことか)だから「捏造」記事を書いた。
136 2014.8.17付『読売新聞』は、キーセン学校の経歴を書かなかったとして批判した。
2014.8.28、読売新聞は私に質問状を送り、私の1991年の二つの署名記事などに関して質問した。
1.金さんについて根拠がないまま「強制連行された挺身隊」と表記した理由、
2.キーセンの経歴に触れなかった点は、報道の公平性の観点から問題はなかったのか、
3.養父によって中国に連れて行かれた事実を伏せ、「地区の世話役」を持ち出すことで何らかの公権力が関与したと印象づけようとしたのか、
4.義母が関与する訴訟に有利になるような記事を書いたことについて、報道機関としての公平性に問題はないのか、
5.ソウル支局長が入手した情報を植村氏に提供したとのことだが、なぜソウル支局で取材しなかったのか、
6.植村の退職時期、経歴は。
137 ところが読売新聞社は、植村が読売の取材に応じるという返事を待たずに記事を書いた。
139 朝日新聞は、朝日新聞の慰安婦問題検証記事を批判した池上彰のコラムを見送ったことや、原発所長の吉田調書に関する記事取り消しなどで、編集局幹部が更迭され、木村伊量社長が辞任した。
140 2014.12.12、読売新聞の原田哲哉は、植村の『文芸春秋』の手記2015.1に関して、抗議書を植村宛に送った。
「読売新聞社の名誉を不当に毀損していることから、厳重に抗議し、謝罪と訂正を求めます。」「読者を誤導」「当社の信用を不当に貶めようとした。」
「貴殿の書面回答の全文掲載という条件は到底受け入れるわけにはいかず、貴殿からの直接回答を掲載できないと判断した。」
143 2015.1.13、私は読売新聞からインタビューを受けた。
一人の記者は「騙された」と「連行」とは両立しないと指摘した。
144 読売の記者は、キーセンがどういうものか知らなかった。
145 読売新聞編集局の『徹底検証 朝日「慰安婦」報道』(中央公論社、2014.9)の「いわゆる『従軍慰安婦問題』をめぐる関連年表」には、金学順が実名で証言した1991年8月14日が載っていない。
147 産経の阿比留瑠比記者は安倍晋三に近く、産経慰安婦報道を担当している。
2015.1.9、阿比留は植村に「『挺身隊という名で戦場に連行され』という言葉自体は聞いていない、という理解で宜しいんですか」と質問。それに対して、
植村「当時『挺身隊の名で』という言葉は、『読売』も『毎日』も『北海道新聞』も書いていた。私は『みんなが間違っていた』と言っているわけではない。当時の時代認識がそうだったのだ。」
2015.1.10付の『産経新聞』では、「提訴は言論の自由に反している。」とし、
阿比留は「被害強調…記事に反省なし。」の中で「(朝日の)第三者委員会が公表した報告書も、『安易かつ不用意な記載』『だまされたと連行とは両立しない』と批判し、それに対して植村は『もうちょっと丁寧に書けばよかった』とするくらいで、反省はなかった。」
阿比留は『歴史戦――朝日新聞が世界にまいた「慰安婦」の嘘を討つ』(産経新聞出版、2014.10)の中で、
「記事では金は匿名となっていたが、親から売られたという事実への言及はなく、強制連行の被害者と読める書きぶりだった。」
150 『破壊外交 民主党政権の3年間で日本は何を失ったか』(産経新聞出版2012.10)の中のコラム「慰安婦問題は朝日の捏造」(2012.8.30)の中で、
阿比留「1991年8月11日付の『朝日新聞』に、植村隆記者が「従軍慰安婦」を名乗る韓国人女性の記事を書き、あたかも日本軍に強制連行されたかのように紹介して、慰安婦問題を捏造した。植村記者は今日の日韓関係の惨状を招いたが、反省がない。」
2014.8.10、久保田るり子はネットの「産経ニュース」で、
「植村隆の記事は大誤報だ。挺身隊と慰安婦を混同している。植村は強制連行を印象付けた。義父(ママ)にキーセンとして売られていたことを書かず、事実を歪めた。」(商売女ということを言いたいのだろうか。)
「『朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した』というのは誤報である。」
「金学順さんは挺身隊と騙されたのではなく、親に身売りされたのだ。」
「金さんは記者会見で『14歳の時に母親に平壌のキーセン検番(学校)に売られ、3年後に義父(ママ)に日本軍の部隊に連れて行かれた。私は40円で売られた。*』と述べた。挺身隊は慰安婦とは全く関係がない。当時(いつのこと?)韓国では混同があった。韓国メディアが朝日の『挺身隊として騙されて連行』という表現を、強制連行の根拠に利用した。」
*「義父(ママ)に日本軍の部隊に連れて行かれた」のすぐ後に「私は40円で売られた」があるが、これでは読者は義父が日本軍の部隊に金さんを40円で売ったと受け取るだろう。私が見る限り全ての韓国紙で「私は40円で売られた」との掲載はない。
153 40円という記述は、挺対協と挺身隊研究会が行った聞き取り調査に出てくる。それは『証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』(明石書店)に収録されている。つまり、
母親がキーセンを養成する家に金さんを養女に出したとき、養父から母親に40円が支払われた。また、金さんが慰安婦になった経緯は、いずれの記録でも強制連行・拉致と読める。
『Q&A 朝鮮人「慰安婦」と植民地支配責任――あなたの疑問に答えます』(お茶の水書房2015.10)は、挺対協などの聞き取りをもとにして、金さん場合、拉致としている。そして、
「これ(40円)を身売りの前借金とするには、余りにも少額だ。…現在の貨幣価値に換算して概算7万円から8万円である。」「1920年代後半でも朝鮮における前借金の相場は、朝鮮女性の場合、約420円だった。」
154 養父が金さんを日本軍に売ったとすれば、人身売買の責任が日本軍にもあることになる。
久保田のネット記事には必ず西岡が登場する。そして(読者の)コメント欄には、
「植村はギロチンで公開処刑にすべき 朝日新聞は廃刊にしろ」「とりあえず、拉致して有用臓器&組織を捕獲しようぜ!」「妻がチョンの植村隆を吊るし上げして処刑しろ」
155 「強制連行」の記述は、読売、産経、日経、毎日、北海道新聞、ハンギョレなどの記事や、94年6月6日の金さんの法廷での証言に見られる。157
2014.8.5、朝日は慰安婦問題検証記事の中で、産経が吉田清治氏の証言を記事にしたと報じた。それは1993年の産経の「人権考」である。
156 『人権考――心開くとき』(産経新聞大阪本社人権問題取材班編)(『産経新聞』の連載「人権考」1993をベースにした書物)の中に得てくるこの連載の93.8.31の「人生問い実名裁判」に、金学順の証言が出ている。
「今月13日夜。韓国・ソウル市の東大門(トンデムン)に国際電話をかけた。…
従軍慰安婦問題で日本政府は今月4日(河野談話)、強制連行の事実を正式に認め謝罪した。そのことを聞いた時だ。金さんの声が、突然上ずったように激高した。
『日本政府は最初からはっきり言えばよかった。言葉だけの謝罪には満足できない。』…
1941年ごろ、金さんは日本軍の目を逃れるため、養父と義姉の3人で暮らしていた中国・北京で強制連行された。17歳の時だった。食堂で食事をしようとした3人に、長い刀を背負った日本人将校が近づいた。「お前たちは朝鮮人か。スパイだろう。」そう言って、まず養父を連行し、金さんを無理やり軍用トラックに押し込んで一晩中、車を走らせた。着いたのは、鉄壁鎮(チョルピョクチン)という村だった。住民が逃げ出し、空き家だけが残っていた。
『真っ暗な部屋に連れて行かれ、何をされたか。とても自分の口では言えない。』
慰安所生活は、約4ヶ月間。日に何十人もの軍人の相手をさせられ、抵抗すると暴力をうけた。」
そして産経は従軍慰安婦を定義して、「戦時中、強制連行などで兵士の性欲処理のために従事させられた女性。当時の正確な総数を示す資料はなく、終戦時では約八万人以上とされている。」と説明している。
157 1991.12.7付の産経は、日本政府を相手に謝罪と賠償を求めて6日に東京地裁に提訴した後、大阪で行われた記者会見と翌日の集会予定を報じ、金さんが慰安婦になった経緯について、「金さんは17歳の時に、日本軍に強制的に連行され、中国の前線で軍人の相手をする慰安婦として働かされた。」としている。
つまり産経は、93年と91年の二回、金さんに直接取材し、強制連行としており、1994.6.10付の記事では、羽田孜首相が、訪日中の金さんと対面したことを報じた。
ところが1990年代後半、歴史修正主義のバックラッシュが始まると、産経は変身した。例えば、
「(金が)慰安婦にされた年が、新聞記事や本で食い違いがある。」1997.3.11
「身売り話にすぎない。」(政治評論家・屋山太郎1998.10.6)
「養父に連れられて行った(売春婦としての)出稼ぎ先の中国で数ヶ月間、慰安婦の仕事をしたが、その客の中に日本兵がいたに過ぎなかった。」(2002.4.12ソウル支局長・黒田勝弘)
158 阿比留瑠比は、産経新聞報道検証委員会で報告した。
「慰安婦募集の強制性を認めた河野談話は日韓合作であり、慰安婦16人の証言の裏付け調査をしなかった。(裏づけなどできるわけがない。焼却して証拠隠滅したのだから。)だから河野談話はずさんである。これまで日本は一方的にやられるままになっていたという危機感をもつ。8月に朝日は、朝鮮半島で女性を強制連行したとする吉田清治氏の証言による記事を取り消し、自社報道の間違いを認めた。河野談話と朝日新聞報道は慰安婦問題を深刻化させた。河野談話や朝日新聞報道は大きく変容。」
159 また鳥居洋介委員も、産経新聞報道検証委員会で報告した。
「産経新聞は1993年6月から11月の「人権考」で、二度慰安婦問題を取り上げたが、吉田証言を裏付ける被害の証言者が現れないと指摘されている。被害証言がなくても強制連行がなかったとも言えないが、記事に甘さがあった。」
産経は自らが「強制連行」と報道したことを読者に伏せている。
産経は植村に対しては、挺身隊と慰安婦とを混同したことへの謝罪がないと言うが、産経自身はどうか。
1991年9月3日付で産経は、「挺身隊の名のもとに従軍慰安婦として戦場に駆りだされた朝鮮人女性たちの問題を考えようという集いが、大阪市中央区の市立労働会館で開かれ、挺対協共同代表の尹貞玉(ユンジョンオク)さんが話した。」とある。また、
1991.10.25付の産経新聞は「女子挺身隊の名で、戦場に赴いた朝鮮人従軍慰安婦」としている。
161 2015.2.23、秦郁彦は『産経新聞』オピニオンページの「正論」に書いた「大弁護団抱える植村訴訟の争点」の中で、「確かに植村氏は訴訟までの約一年間、被告ばかりか日本メディアの取材を拒否し、手記も公表していない代わり、米韓の新聞や外国人特派員協会の会見には登場して、批判の対象にされた1991年の朝鮮人慰安婦第1号(金さん)に関する記事の不備は、誤用や混同であって、意図的な捏造ではないと釈明した。」と述べたが、これは事実ではない。
青木理著『抵抗の拠点から――朝日新聞「慰安婦報道」の核心』(講談社、2015.12)にまとめられているように、私は青木理氏からインタビューを受けた。その中で青木さんは「決して見逃しにできないほど重大な人権侵害が私たちの眼前に立ち現れている。」としている。また、
162 私は2015.1、『文芸春秋』に反論を掲載した。
2014.12.6、私は提訴した。
2014.12.7、産経「週刊誌の報道以来、彼の勤める大学や家族への脅迫が相次いだという。(とぼけ)許されざる卑劣な行為(口だけは)だが、植村氏も小紙などの取材から逃げ回った*のはなぜか。」
163 *私は産経に文書で回答した。
164 産経「植村が主張するように、金は『養父』という言葉を使っていなかったのかもしれないが、疑問は残る。」とした。(いい加減な態度!)
2015.7.21、産経が私にインタビューを申し入れ、私はそれに応じた。
2015.7.30、産経とのインタビュー
これまで阿比留は1991.8.11付の私の記事について、「親から売られたという事実への言及がなく、強制連行の被害者と読める書きぶりだ」と指摘しているが、産経新聞は、1991.12.7付の記事で金さんの大阪での記者会見を報じ「日本軍に強制的に連行され」と明記している。
阿比留「この記事は間違っている。」
阿比留「これを今日はじめて見たので、訂正したかどうかわからない。」
同行の原川貴郎記者も初めて見たとのこと。
166 産経の記者たちは自社が過去に「強制連行」と書いていたことを知らずに私を攻撃していた。
産経は1991.9.3付の記事で挺対協共同代表の尹さんの講演を伝え、「『挺身隊』の名のもとに、従軍慰安婦として戦場に駆り出された」と書いている。
阿比留「記者の署名がないので分からない。これは逃げた書き方だ。間違っているかもしれませんが。」
167 阿比留は私の1991.8.11の記事に関して、私が遺族会の幹部である義母から情報をもらったとか、義母の団体の裁判を有利にするために書いたとしていた。ところが、
阿比留は「この記事に関して関係者からの便宜はなかっただろうと思う。」と認めた。
次に1991.8.19の記事で(私は)「元朝鮮人慰安婦が補償求め提訴へ」の中で、金さんではない別の慰安婦が弁護団の聞き取り調査を受けていることを伝えていた。
私はこのことに関して阿比留に、弁護団や、その活動を支援する市民団体「日本の戦後責任をハッキリさせる会」、遺族会などを取材して書いたものであると説明した。
それに対して阿比留は「記事化することで後押しするという」として、それを以て便宜供与としたいようだったが、私は、韓国の連合通信も同時に取材したと説明した。
168 阿比留も原川も、金学順さんなどおばあさんを直接取材したことがなかった。
産経は2015.8.4、「朝日慰安婦誤報取り消し1年」という記事を紙面の3箇所で展開したが、瑣末なことしか報じられなかった。
「(植村が)証言テープを聞いたのは一度だけ。」「証言テープ『僕(植村)は持っていない』」
また産経は自社もキーセン学校の経歴を報じていないことを認めたが、紙面では触れなかった。しかし「強制連行」や「挺身隊」を使ったことに関しては記事化したのだが、
「《『挺身隊』の名のもとに、従軍慰安婦として駆りだされた》や『強制連行』などは、それぞれ尹さん、金さんの説明を(そのまま)伝えたもので(自社の立場ではないと言いたいようだ。)あるとしつつ、*
「金氏の証言は次々に変遷し、信憑性が揺らぎました。産経新聞は、金氏を含め強制連行を裏付ける証拠はないとの認識に基づいて報道しています。」2015.8.4『産経』朝刊
170 産経はこの報道で主語を明示しなかった。(当初の記事の)主語は「日本軍が」や「日本人将校が」であった。
金氏の証言は、意に反して慰安婦にされたという点では変わっていない。
170 米国などの日本研究者ら187人は「日本の歴史家を支持する声明」の中で、
「歴史家の中には、日本軍が直接関与していた度合いについてや、女性が「強制的」に「慰安婦」になったのかどうかという問題について、異論を唱える方もいます。しかし、大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことは、既に資料と証言が明らかにしている通りです。特定の用語に焦点をあてて狭い法律的議論を重ねることや、被害者の証言に反論するために極めて限定された資料にこだわることは、被害者が被った残忍な行為から目を背け、彼女たちを搾取した非人道的制度を取り巻く、より広い文脈を無視することに他なりません。」と言っている。(実にその通りである。よく聞け!産経新聞、安倍晋三よ。)
171 8月29日から9月7日まで計10回、産経はこのインタビューの詳報をネットの「産経ニュース」に載せたが、その後のサイトには、
「産経新聞の【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報】がすごい件」というまとめサイトが登場し、
「法華狼の日記」(ブログ)には「植村隆インタビュー詳報において、産経側の主張が自壊していくまで」とし、
本と雑誌のニュースサイト「LITERA」は、「『韓国人慰安婦を強制連行』と書いたのは朝日でなく産経新聞だった。」とした。
172 そして「LITERA」は「そもそも朝日新聞バッシングは最初から右派メディアと官邸によって恣意的に仕掛けられた全く中味のないものだったのだ。」としている。(その通り。)
2015.10.16、私は6項目の質問状を産経新聞に送ったが、産経は「お答えできません」を繰り返した。産経は私には回答を求めておきながら、自社への質問には口を閉ざすのだ。
第6章 新たな闘いへ向って
174 2015.1.9、私は、西岡力と『週刊文春』を名誉毀損で東京地裁に訴え、損害賠償と謝罪広告の掲載を求めた。
2014.12.24からの僅かな期間で、170人の弁護士が代理人になってくれた。
175 その後東京地裁内の司法記者クラブで記者会見を行った。
176 次に外国人特派員協会でも記者会見をした。質問の中に、「朝日新聞が謝罪をしてから、朝日新聞は服従的で、自己批判的で、自虐的だと見られていることに対してどう思うか」という質問があった。*
私は、私が朝日新聞の記者であること、慰安婦に関する記事を最初に書いたこと、妻が韓国人であることなどが私に対するバッシングの理由であり、私や朝日新聞社を萎縮させることがその狙いだと答えた。
*私(金井)自身、このころの朝日新聞は弱腰になっていると思い、そのことを批判し、ガーディアンのような気骨を持てと叱咤激励する投書を「朝日新聞社謝罪事件」と銘うって朝日新聞に送った。それに対する謝礼なのか、新聞販売店の宣伝なのか分からないが、ある朝、朝日新聞のタオルが新聞投函口に入っていた。私は朝日新聞が戦前のようにまた権力に迎合するのではないかと気がかりだった。最近の朝日新聞の論調はどことなくのっぺりとしていてかなり自己規制している感じを受ける。それで東京新聞も取り始めたのだが、今度は東京新聞が菅義偉官房長官にたたかれ、それがネットで増幅されているようだ。国民の目、政権監視の目がつぶされることを危惧する。
177 その次に参議院議員会館で報告集会を開いたところ、250人が集まった。
178 2015.4.27の第一回口頭弁論で意見陳述した。被告席には誰もいなかった。被告の答弁書には、「捏造」の表現が、事実摘示ではなく論評だと主張していた。
180 私は意見陳述で脅迫状を紹介しながら、次のように述べた。
「貴殿(北星学園大学学長)らは、我々の度重なる警告にも関わらず、国賊である植村隆の雇用継続を決定した。この決定は、国賊である植村隆による悪辣な捏造行為を肯定するものだ。」
最後に娘の実名を挙げて殺害予告をした。
「必ず殺す。何年かかっても殺す。どこへ逃げても殺す。絶対にコロス。」
北星学園への脅迫状はこれで5回目である。最初の脅迫状は昨年の5月末で、私を「なぶり殺しにしてやる」というものだった。
娘への脅しは昨年8月にもあった。ネットに実名と顔写真がさらされ、
「こいつの父親のせいでどれだけの日本人が苦労したことか。自殺するまで追い込むしかない。この子をいじめるのは「愛国無罪」。堂々といじめまくりましょう。国家反逆の売国奴 植村隆 の娘といった看板を背負って一生暮らさなければならない。」
『週刊文春』の遺跡捏造疑惑報道の後で、遺跡調査に関わった大学の名誉教授が自殺し、遺族が名誉毀損で文芸春秋を訴え、文芸春秋は敗訴が確定した。
183 私の事件は英文のウエブジャーナル『ジャパンフォーカス』や、『ガーディアン』、『ニューヨークタイムズ』などで報じられた。
2015.4.28から5.9まで、私はアメリカの研究者の招待に応じて、シカゴ大学、デュポール大学(シカゴ)、マーケット大学(ミルウォーキー)、ニューヨーク大学、プリンストン大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で、計8回講演・講義を行った。
184 通訳兼運転手をしてくれたシカゴ大学名誉教授のノーマ・フィールドさんは『天皇の逝く国で』や『小林多喜二』などの著書がある日本研究者である。ノーマさんと車中、1930年代に京都で発行され、ファシズムに抵抗した文化新聞『土曜日』について話した。『土曜日』はジャーナリストとしての私の原点である。ノーマさんは『土曜日』創刊者の中井正一の娘を知っていた。
デュポール大学で講義を行った。私は日本の嫌韓漫画『大嫌韓流』を学生に見せた。また私が標的にされる理由について、私が最初に署名入りで金学順さんに関する記事を書いたこと、『朝日新聞』の歴史認識・リベラリズムへの嫌悪、私の妻が韓国人で、義母が元慰安婦らの裁判を支援する遺族会の幹部だったこと、民族差別などを挙げて説明した。
そして裁判を起こした理由に関して、
①捏造というレッテルはりをやめさせなければ、私や家族、大学に対する攻撃は止まらないし、
②私の記事を捏造とすることは、慰安婦問題をなきものにしようとすることだし、それは勇気を持って辛い体験を告白した元慰安婦の尊厳を傷つけるものだし、
③この問題は言論の自由、報道の自由、大学の自治という日本が戦後70年間守り続けてきた民主主義に対する攻撃だからだと説明した。
ある女子学生の感想「植村さんは日本の歴史の汚点である従軍慰安婦について書いてくれた。植村さんの行動は、人間への信頼を取り戻し、真実がいつかは明らかにされるということを教えてくれた。」
187 ウナ・リーさんはマーケット大学でのセミナーを実現してくれた。
講演の前に在米韓国人のチャンジン・リーさんのビデオ映像 “COMEFORT WOMEN WANTED”
2013が上映された。元慰安婦の写真と証言が流れ、6カ国の元慰安婦と日本の元軍人にインタビューしてつくられた。
ニューヨーク大学では、パブリック・トークが行われた。トム・ローサー准教授が、この企画を実現してくれた。
最初日本研究者であるキャロル・グラック・コロンビア大学教授が「植村さんは1991年に書いた慰安婦問題の記事に関して、日本の右翼や政府関係者によって全く望ましくない受け入れがたい注目の的でありつつづけてきました。」と切り出し、
188 「植村さんはグローバルな問題である表現の自由のために立ち上がり、はっきりと立場を表明し、攻撃に耐え抜いている。」とし、「慰安婦問題は始まった当初は大きな問題ではなった。植村さんの記事が慰安婦問題に火をつけたという考え方はナンセンスである。」「各国の慰安婦が勇気を持って証言したことが世界を変えた。慰安婦問題は国際的な女性の人権問題である。」
そしてグラック教授はキング牧師の言葉を紹介した。「表現の自由の抑圧は、どこで起きても、それはあらゆる場所での表現の自由への脅威だ。」
ネット上には「不誠実な日本人ジャーナリスト」という書き込みもあった。
189 私の講演の後で初老の日本人男性が英語でまくし立てた。「日本人の子どもに対する韓国人からの攻撃が起きている。朝日新聞が間違った報道をしてきたからだ。植村さんもその一人だ。なぜ植村さんは逃げるのか。」
産経新聞の地元特派員が取材に来ていたが、その記事は講演内容を淡々と伝えていた。
プリンストン大学では通訳なしに日本語だけで講演をした。ある在米日本人が言った。「米国人は第二次大戦に突っ込んでいった日本人と戦後の日本人とを区別するが、非難を浴びなければならない戦時中のことについて、どうして名誉回復をしたがるのか、米国人には分からないだろうと思う。」
190 ノーマさんが教えてくれたプリンストンの偉大な歌手・スポーツマン・活動家のポール・ロブソンは、アフリカ系米国人で、黒人差別やマッカーシズムと闘った。アインシュタインは、ポール・ロブソンと交友があったとのことだ。
191 安倍晋三の4月29日の米議会上下両院合同会議での演説は、「痛切な反省」と言いつつ、慰安婦問題に言及せず、「植民地支配」や「お詫び」という言葉も使わず、韓国や中国の報道はそれに反発した。
5月5日、米国などの日本研究者や歴史学者ら187人(5月19日に457人)が、慰安婦問題解決の為に安倍首相に「大胆な行動」を求める声明「日本の歴史家を支持する声明」を発表した。これは2014年10月に歴史研究会(歴研)委員会が発表した「政府首脳と一部マスメディアによる、日本軍『慰安婦』問題についての不当な見解を批判する」という声明を支持する声明であった。
この後者の歴研声明は、朝日新聞が吉田清治証言の記事を取り消した2014年8月以降、慰安婦問題否定の声が強まったことに対する批判である。それによると、
「誤報という点のみをことさら強調した報道によって、朝日新聞などへのバッシングが煽られ、いっそう拡大し、「慰安婦」問題と関わる大学教員にも不当な攻撃が及んでいる。北星学園大学や手塚山学院大学の事例に見られるように、個人への誹謗中傷はもとより、所属機関を脅迫して解雇させようとする暴挙が発生している。これは明らかに学問の自由の侵害であり、断乎として対抗すべきであることを強調したい。」
「日本の歴史家を支持する声明」には、ハーバード大学のエズラ・ヴォーゲル、入江昭、マサチュセッツ工科大学のジョン・ダワーなど知日派の研究員が署名していた。シカゴ大学のノーマ・フィールド、コロンビア大学のキャロル・グラックも署名した。
192 この声明のポイントは、
①歴史家の中には、日本軍が直接関与した度合いについてや、女性が「強制的」に「慰安婦」になったのかどうかについて、異論を唱える人がいるが、大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことは、既に資料と証言で明らかである。
②特定の用語に焦点を当てて、狭い法律的議論を重ねることや、被害者の証言に反論するために極めて限定された資料にこだわることは、被害者が被った残忍な行為から目を背け、彼女たちを搾取した非人道的制度をとりまく、より広い文脈を無視することになる。
193 カリフォルニア大学ロサンゼルス校での講演会を実現したのは、同大の平野克弥さんだった。参会者の中には反対派の人もいたし、『週刊文春』は東京から記者を派遣していた。
194 「日本の歴史家を支持する声明」は、「過去の過ちを認めるプロセスは、民主主義社会を強化し、国と国との間の協力関係を養う」としている。
2015.6、上智大学のグローバル・コンサーン研究所が、シンポジウムに私を招待してくれた。
2015.7.1、上智大学グローバル・コンサーン研究所の田中雅子教授が、私を授業に招待してくれた。
195 2015.7.11、北海道大学公共政策大学院の中島岳志ゼミで講義した。
2015.10.15、明治学院大学国際平和研究所の高原孝生教授が招待してくれ、学生に講義した。脅迫を受けたSEALDsの奥田愛基さんも聴講した。
196 12.9、小樽商科大学の荻野富士夫教授が招待してくれた。聴講した学生から「私は中国13億人を代表して植村さんを支持します!」というメッセージをもらった。
196 2015.2.10、櫻井よしこ、『週刊新潮』の新潮社、『Will』のワック、『週刊ダイヤモンド』のダイヤモンド社を相手取って、札幌地裁に名誉毀損で訴えた。
櫻井よしこは2014.4の『Will』の「朝日は日本の進路を誤らせる」の中で「こんな人物に、果たして学生を教える資格があるのか。いったい誰がこんな人物の授業を受けたいだろうか。植村氏は人に教えるより前に、先ず自らの捏造について説明する責任がある。」
10.23の『週刊新潮』の「朝日は脅迫も自己防衛に使うのか」の中で、「23年間、捏造報道の訂正も説明もせず頬被りを続ける元記者を教壇に立たせ学生に教えさせることが、一体大学教育のあるべき姿なのか。」
10.23の『週刊文春』の「朝日新聞よ、被害者ぶるのはお止めなさい 〝OB記者脅迫〟を錦の御旗にする姑息」という、西岡力との対談のなかで、
「捏造疑惑について説明責任を果たしていない元記者を教壇に立たせていいのかという問題意識が、本来先に来るべきでしょう。『週刊文春』(2月6日号)の報道で、植村氏が神戸の女子大に勤務する予定だと知り、事実関係の確認の為に、その女子大に問い合わせしました。大学側は『お答えできません』と回答しましたが、その後、採用は取り消された。現在、北星学園大学で彼に教わっている学生たちは、どのような気持ちでしょう。」
198 「社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起している者があるとすれば、それは朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか。」(暴力容認。恐ろしい。)
このころ北星には「植村を辞めさせろ。やらないのであれば、天誅として学生を痛めつけてやる」という脅迫状が届いていた。
某ブログには「もし私がこの大学の学生の親や祖父母だとしたなら、捏造で大問題になった元記者のことで北星大に電話で問い合わせとかしそう。…たまたまその中に脅迫の手紙が入っていたからといって、こんな大騒ぎを起こすほうがおかしい。」
199 提訴日までに106人の弁護士が弁護団に参加した。そのうち道内の弁護士は94人である。第1回口頭弁論は2015年4月17日と決まった。
ところが、2015.3下旬、櫻井氏側から、東京地裁への移送申し立てが、札幌地裁へ出された。札幌弁護団は反対の意見書を出した。
そして5月1日、読売新聞が、札幌地裁が東京地裁への審理移送を決定したと伝えたが、それは誤報だった。誰かのリークかもしれない。1週間後に読売は誤報を認めた。しかし、5月29日、それが現実になった。札幌高裁に即時抗告し、署名活動を行い、2629筆の署名が集まった。一時は訴訟を取り下げることも考えたが、取り下げはしないことに決まった。
札幌高裁は8月31日、東京地裁への移送を取り消した。被告らは最高裁判所へ特別抗告したが、11月25日に棄却され、結局札幌地裁で開くことに決まった。
205 2015.8.12、慰安婦問題の国際シンポジウムに招待され、ソウルに行った。
2015.8.15、韓国忠清南道・天安市の国立墓地「望郷の丘」に金学順さんの墓参りをした。金さんは1997年12月16日、73歳で亡くなった。金さんの墓前で、韓国のドキュメンタリー映画『終わらない戦争』を流し、金さんの言葉を聞いた。047
206 私は「中傷されたために、あなたや慰安婦問題に距離を置いてきました。」と金さんに詫びた。
墓参後ナヌムの家に向った。そこは元慰安婦10人が共同生活をしている福祉施設である。姜日出(カンイルチュル)さん、李玉善(イオクソン)さん、朴玉善(パクオクソン)さんら元慰安婦のハルモニに会った。所長は快活な安信権(アンシングオン)さんで、工事中の歴史館に宿泊施設をつくるとのこと。
8.16、江原道春川市の尹貞玉さん(1925--)宅を訪ねた。尹さん「金学順さんは結局騙されたのです。満州へ行けばお金儲けができると言われて。キーセン学校に通っていたが、キーセンは売春婦ではない。金さんは、踊りや、歌を芸術学校で学び、お金を稼ごうとした。証言を疑い始めたらきりがない。」
8月14日の安倍晋三首相の戦後70年談話は、女性の尊厳を傷つけたのは誰かを語らなかった。
産経の阿比留記者は、記者会見で安倍に「安倍談話は、ヴァイツゼッカー大統領の、歴史から目をそらさないという一方で、自ら手を下していない行為について自らの罪を告白することはできないとの発言1985に通じるものがある」と言っておだて上げた。
ヴァイツゼッカー大統領の「荒れ野の40年」演説は「罪の有無、老幼いずれを問わず、我々全員が過去を引き受けなければなりません」としている。
(植村さんは、北星学園を去ることになった。結局は脅迫に屈したことになる。)
208 10月末、北星学園大学内のある友人から、韓国のカトリック大学校での仕事を紹介された。カトリック大学校は、文系学部、医学部、薬学部、音楽学部を擁し、ソウル市内に医学部があり、2つのキャンパスがある。ソウルに隣接する富川市に本部がある。
私に本部キャンパス内のゲストハウスを提供してくれ、同キャンパスで教えるという条件である。期間は1年間。
北星学園大学はカトリック大学校の提携校である。
「解雇しないと爆破する」と脅迫され、教職員は疲弊し、警備費用もかかった。
210 ノーマ・フィールドさんは「(北星学園大学で)平穏な日常を取り戻したいという考え方は、いずれは自分も危険にさらされることになる考え方だ。それは『さかさまの全体主義』を支える願望だ。」と講演会で指摘したが、私にはカトリック大学校の話を受けたらどうかと勧めた。
私はカトリック大学校では、客員教授(招聘教授、Visiting Professor)の資格である。2016年3月からの1年間だ。
212 私がカトリック大学校に行くと話すと、北星の田村学長は安堵したようだった。
「植村さんと北星が対立することは避けて欲しかった」とある人から言われた。
215 北星には4年間勤めた。
私は「捏造記者」ではない。これからも闘っていく。決して屈しない。
231 あとがき
2015.12.28、日韓外相会談で岸田文雄は「安倍が慰安婦に対しておわびと反省の気持ちを表明する」とした。
これはオバマが、河野談話見直しを主張していた安倍を牽制し、安倍がそれを受け入れた2015.4結果もたらされたものだ。突然なされ、被害者への意見聴取を行わず、謝罪が伝言であるなどの問題点はあるが、一定の評価ができる。
232 河野談話1993の要は、歴史教育の重要性を指摘した点である。
232 1993.10、小渕恵三外相が首相となり、金大中大統領を国賓として迎え、「日韓共同宣言」を発表した。
233 西岡力、櫻井よしこは河野談話の見直しを求めていた。
234 ブログ「植村応援隊」「植村裁判資料室」を参照されたい。
資料
223 1991.8.14に金学順さん(1924—1997.12.16)が名乗り出たときの年齢は、67歳又は68歳だった。
225 1998.6、西岡力が植村の記事を「捏造報道」「捏造記事」と表現した。
2007.3.16、第一次安倍内閣が「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」との答弁書を閣議決定した。
2011.8.30、韓国憲法裁判所が、元「慰安婦」らへの個人補償が日韓請求権協定の例外にあたるのかどうかについて、韓国政府が日本政府と交渉しないことは「憲法違反」と判断した。
2011.12.14、ソウルの日本大使館前での「水曜デモ」が1000回になり、挺対協が「慰安婦」を象徴する少女像を設置した。
2012.9.14、安倍晋三元首相が、自民党総裁選の共同記者会見で、河野談話について、「私たちの子孫にこの不名誉(慰安婦強制連行)を背負わせるわけにはいかない。国内、国外に対し、新たな談話を出すべきだ」と主張した。
2012.10.29、『産経』阿比留瑠比編集委員は『破壊外交』(産経新聞出版)を発行し、「植村隆記者があたかも日本軍に強制連行されたかのように紹介して慰安婦問題を捏造しました」と記述した。
226 2013.10.16、『産経』は元「慰安婦」16人の聞き取り調査報告書を入手し、「ずさんだったと判明したことで、河野談話の正当性は根底から崩れた」と報道した。
2014.6.20、日本政府が河野談話の作成過程などの検証報告書を発表した。
2014.8.7、『産経』は、次世代の党の山田宏幹事長が植村の国会参考人招致を求める考えを示したと報道した。
2014.8.16、『産経』は、自民党有志の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」での櫻井よしこの講演内容を報道した。櫻井は『朝日』の「慰安婦」報道を批判し、「廃刊にすべきだと考えている」と発言した。
227 2014.9.1、櫻井よしこは『産経』のコラムに「潰すべきは『河野談話』」と書いた。
2014.9.13、帝塚山学院大学に、元朝日記者の教授を辞めさせないと大学側に危害を加えるという趣旨の脅迫状が届き、教授は同日、辞職した。
2014.12.17、北星が植村との契約を来年度も継続することを発表した。
228 2015.1.13、植村は『読売』のインタビューを受けたが、いまだ記事は掲載されていない。
2015.2.7、植村・東京弁護団事務局長の弁護士事務所に、いやがらせのファックス431枚が送りつけられた。
以上
感想 2019年3月18日(月)
・日本軍人のための慰安婦施設の運営を、日本の国家的政策として日本軍が指揮していたことを認めると、どうして日本の尊厳を貶める国賊になると判断するのか、理解に苦しむ。
このことから導かれることは、国益、国賊を唱える人たちが、自らを戦前の日本軍の立場と同一視する右翼国粋主義者であること、また日本軍人の中国大陸での一般中国人女性に対する性的暴行を緩和するために、当時必要だったから行った慰安婦事業が、今では決して望ましいことではなかったと彼等が認めていることである。
・慰安婦問題の認識のための資料は何か。一つは被害者の証言、聞き取り。もう一つは日本政府が現在所持している日本軍関係の資料や他の資料。しかし、日本軍関係の資料の殆ど全ては、駐留軍が来る前の一週間で燃えつくされたと思われる。だから、被害者の証言が、たとえそれが昔のことでしかも年少の頃の記憶だから揺れが生ずるにしても、決定的な資料とならざるを得ない。そういう揺れはあっても、導き出せる結論は、次のようになるのではないか。
・工場労働者を募る挺身隊という名のもとに騙されて慰安婦にされたらしい。*
・強制連行かどうかは分からない。多くは強制連行ではなかったのかもしれない。しかし、強制連行と言ったのは読売や産経であって、植村は紛らわしいが単に連行とし、そのあとで騙してと言い添えた。だから本質的に、植村は騙してと言っているのであり、連行と言ったのは、結果的な被害の甚大さ、つまり慰安所という、行動の自由を認めない、強制的な施設に閉じ込められるはめになった、そのことから結果的に連行したと表現したとも言えるのではないか。
・連れて行かれる過程だけを過大に重視して、問題の本質を見誤ってはならない。慰安婦事業を総体的に俯瞰して見なければならない。
*ただし、本文を読んでいると、挺身隊という名でということが真実ではなかったように読み取れるような箇所があるが、よくわからない。
感想 2019年3月19日(火)
これは討論ではなく闘いだ。戦後民主主義の価値観を否定し、戦前の価値観を強引に復活させようとする安倍政権との闘いだ。彼らは韓国と親しくすることを認めず、嫌韓・反中を基本方針とし、韓国と親しくしようとする人たちを、反日・国賊と看做す。
安倍政権は世論を操作するために、まず、読売、産経、NHKを取り込み、政権を忖度する方向に向わせ、次に朝日新聞、東京新聞へ矛先を向けてきた。問題を解決しようとしていくら議論しても言葉がかみ合わないのはこれが原因だ。
政権のやり方は右翼を取り込み、暴力性をはらんでいる。これは戦後民主主義をまもる闘いだ。植村さんはその闘いの矢面に立ち、一人で闘ってきた。植村さんや東京新聞を孤立させてはならない。
感想 2019年3月21日(木)
植村さんのこの問題は、単に植村さんへの個人攻撃という問題ではなく、安倍政権、日本会議が、着々と戦後レジームからの脱却という執念を実行する一環と捉えるべきだ。
安倍政権の、偽りを含み表面的できれいごとを並べ立てる言葉ではなく、これまでの安倍政権の歴史が、そのことを雄弁に物語っている。
・朝日新聞社長恐喝事件。朝日新聞の謝罪を求め、朝日新聞社の応接室で、刺しで問題を決着すると言ってその場でピストル自殺した右翼野村秋介の恐喝事件。1993.10.20。
・NHK慰安婦報道に対する、右翼暴力と自民党政権による検閲・弾圧。2001, 2005
・NHK経営委員の中に、埼玉大学の復古主義者・長谷川美智子や右翼作家百田(ひゃくた)尚樹の参入人事。2013, 2014
・NHK「クローズアップ現代」キャスター国谷裕子2015, 2016, NHK「ニュースウオッチ9」キャスター大越健介2015, テレビ朝日「報道ステーション」の古館伊知郎2015.12, TBS「NEWS23」の岸井成格2015.12, らの更迭。
・朝日新聞の慰安婦報道や植村さんへの追及。2014, 2015
・東京新聞記者への追及。2019
彼らのやろうとすることは「『戦後レジーム』からの脱却」である。彼らは戦後民主主義革命をマイナスと考えている。
・軍事力の増強、自衛隊の復権と軍隊化、
・天皇制の強化、天皇の元首化、国体へのこだわり、服従・差別の強化、
・批判者の封印、弾圧、戒厳令制定、共謀罪制定、
・非理性主義、実学重視、基礎研究軽視、大学自治への介入、
・右翼暴力集団の活用、ネット右翼の活用、
感想 2019年3月22日(金)
櫻井よしこや埼玉大学の長谷川美智子の問題点は、右翼の暴力を認めていることだ。つまり、櫻井よしこは、植村さんの職業を奪い、さらには植村さんを殺すという右翼の暴力を正当なものだと認めている。これはすでに言論による討論の域を超えた立場と言わざるを得ない。
そして更に重大なことは、この二人の立場を現安倍政権、日本会議が追認し、同じ立場に立っているということだ。また彼らのずる賢い点は、自らの手を汚さないことだ。