2019年3月31日日曜日

『抵抗の拠点から 朝日新聞「慰安婦報道」の核心』 青木理(おさむ) 講談社 2014 メモと感想


『抵抗の拠点から 朝日新聞「慰安婦報道」の核心』 青木理(おさむ) 講談社 2014 メモと感想


序言 

本書を読んで、筆者の思惑とは異なるかもしれないが、私は、朝日の慰安婦や原発の報道に何ら落ち度はなかったと再確認した。右派からたたかれて朝日が内部処分をやり、批判され放題になったように受け取られるのは残念でならない。しかし、商業新聞という制約はあるものの、朝日新聞の各記者にはまだプライドがあるようなので、それに望みを掛けたい。




第1章 朝日バッシングに異議あり!

018 安倍晋三首相は国会答弁で、「朝日新聞は政権打倒を社是としている。」*

*ネットで調べてみると、参院予算委員会2014.2.5で、安倍は、「三宅久之から、朝日新聞の幹部が『安倍政権打倒は朝日の社是である』と言ったという話を聞いた。そういう新聞だ思って読んでいる。」

020 感想 朝日新聞関係者が、慰安婦問題で悪化した日韓関係を「座視できないと思った」とあるが、もし、朝日新聞社が、膠着した日韓関係を解決できると思って、慰安婦関連の記事を訂正することに踏み切ったとすれば、それは思い上がりである。国際関係では諸問題の膠着状態は常態である。そんなことを気にすることはないと言ったら言い過ぎかもしれないが、現実はそうだ。解決の為に尽力することは立派な心構えだが、一新聞社の力だけで解決できるものではない。情勢分析が間違っている。もともと右翼の嫌韓の流れがあることが、日韓関係悪化の底流にあることを認識すべきだ。

安倍が河野談話の改変を思いとどまったときの米の大統領は誰か。ブッシュ242とオバマと二回あったようだ。以下ネットで調べてみた。

ブッシュ 2000--2009
オバマ  2009.1.20—2017.1.20
トランプ 2017.1.20--

・第一次安倍政権2006.9.26—2007.8.27

2006「安倍内閣は歴代内閣の立場を引き継ぐ」との立場を明言した。

2012.11.30付『日経』によると、安倍「人さらいのように連れて行った事実があったかどうか証明されていないことは閣議決定している。」*

*「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と閣議決定した。*
*ネットで調べてみると、これは2007.3.16の、「辻本清美君提出の質問に対する答弁書」を指し、それが閣議決定された後に示されたということらしい。

 以上のことから考えられることは、第一次安倍政権は、2006年に「歴代内閣の立場を引き継ぐ」と明言しながら、翌年の2007年には、強制連行を否定するかのような内容の答弁書を閣議決定し、前言を翻したことになる。


・第二次安倍政権2012.12.26—

2012.11.30付『日経』によると、安倍は(政権奪取直前に)「河野談話を見直す」と発言した。

2014.2 安倍は「河野談話を検証する」と発言した。

2014.3.14『産経』によると、安倍は「河野談話を見直さない」と参院予算委員会で明言した。しかし、菅は「韓国側とのすりあわせなど、河野談話の作成過程について調べるべきだ」と言った。

2014.4.20 安倍は「河野談話を見直さない」とキャロライン・ケネディ米大使に言った。

 以上のことから考えられることは、第二次安倍政権は、就任前には「河野談話を見直す」と主張し、就任1年後には「検証する」と啖呵を切ってみたものの、結局その矛を収めたことになる。

感想 2019325()

青木氏は金学順さんだけには敬称をつけない。他の人には「氏」だとか「さん」だとかつけているのに。なぜか。金さんがキーセンだったからなのか。それとも保身のためか。


第2章 歴史を破壊する者たちへ 省略

第3章 全真相 朝日新聞「慰安婦報道」

植村隆氏へのインタビュー

077 読売新聞《「日本軍に強制連行された慰安婦」と「親から身売りされた不幸な慰安婦」とでは意味合いが違う。》2014.8.29(これは冷たい差別的な態度だ。また植村さんは「強制」とは書いていない。)
079 キーセン学校の経歴について触れているのは北海道新聞だけ。読売、産経を含む全国五紙が触れていない。植村さんだけが触れなかったのではない。不公平だ。
080 感想 キーセン学校について植村さんが触れなかったことについて、青木さんは、植村さんが20年前のことをはっきり覚えていないようだとし、植村さんが「特定の意図をもって触れなかったのではないことを証明できない」としているが、ここで青木さんは何を言いたいのか、はっきり言ってほしい。
081 91.8.18付の北海道新聞に、金学順へのインタビュー記事が載っている。

 「金学順さん。平壌出身の両親を持ち、1924年、満州吉林省で生まれた。1940年、中国北部の鉄壁鎮でキーセン(日本の芸者に当たる)になる修業をしていた当時16歳の学順さんは、日本軍部隊に養父と共に突然呼び出され、慰安所で厳しい監視下に置かれた。」

*この証言と他の場合の金さんの証言とを比べてみると、金さんの証言がゆれていることが分かる。証言したのが67歳、連行されたのが16歳、およそ50年前の、それも今で言えば高校1年生くらいの頃を思い出すのだから無理もないと言える。また、植村さんは、「(金さんが)言いたくないことや、自分に都合のいいことを言ったのかもしれない」とも言っている。087

 北海道新聞以外でキーセンに触れているのは、98.10付の産経新聞のオピニオン欄「正論」での屋山太郎だけだ。

084 遺族会にも植村が当時探していた慰安婦がいたのだが、妻はそのことを話してくれなかった。だから妻から情報を提供してもらったことはない。

087 金さんの証言にゆれがあることは、植村さんも認めている。

089 植村「朝日新聞が一番熱心に慰安婦問題を報じた。慰安婦たちの恨(はん)を伝えてあげなくてはいけないと朝日新聞のみんなが思った。
しかしそういうことを認めたくない人たちは、それを取り上げることが国の恥だと考え、慰安婦は売春婦だ、戦前は公娼制度があったのだから、当たり前のことだったと考える。

094 某大学の教員採用試験を受けたとき試験官の教授から、「ネットであなたに関する慰安婦問題が書かれているが、あれはどういうことですか」と問われ、結局落とされた。

095 (2014年の)5年くらい前から私に対するバッシングが増えた。
098 2014.5の連休明けが最もひどかった。自宅にも電話がかかってくるようになった。」

100 青木「このようなことをする連中は、真正のクズである。匿名という壁の陰に隠れ、ネットに下劣で愚劣な書き込みを繰り返すような人間に、言論や表現の自由という崇高な権利で守られるべき正義は一ミリたりともない。論争するには守るべきルールがある。自分の身分と氏名を明らかにし、筋道だった論理と事実に基づいて意見を提示すること。また最低限の礼節を示すことである。」

101 2014年5月と7月、北星学園大学に「非常勤講師の植村隆を辞めさせなければ爆破する。辞めさせろ。辞めさせなければ学生を痛い目にあわせる。」という脅迫状が届いた。


若宮啓文(よしぶみ)氏へのインタビュー 若宮氏は論説主幹を務めた。

132 コラム「風考計」の若宮論文2006.12.25

1929年、長谷川如是閑は、雑誌『我等』に「戦争絶滅受合(うけあい)法案」と題して「戦争の開始から10時間以内に、国家の元首(君主か大統領かを問わない)、その親族、首相や閣僚、国会議員らを最下級の兵卒として召集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わしむべし」と書いた。元首と君主を伏せ字にし、デンマークの陸軍大将がこれを起草したとカムフラージュした。
大阪朝日新聞はシベリア出兵や米騒動で寺内正毅内閣を批判し、発売禁止処分をしばしば受けていたが、1918年、「白虹日を貫けり」*という記述が皇室の尊厳を冒すとして筆者が起訴され、村山龍平社長が辞職し、謝罪した。132

*ウイキペディアによれば、これは、荊軻が秦王暗殺を企てた時の自然現象であり、内乱の兆候を示す。新聞紙法第41条「安寧秩序を紊し…」に当たるとされ、関西で大阪朝日新聞の不買運動が起こり、右翼黒龍会が村山龍平社長を襲撃し、村山を全裸にし電柱に縛り付け「国賊」と書かれた札をぶら下げ、また後藤新平は、右翼誌『新時代』に、朝日攻撃キャンペーンを張らせ、他社もそれに追従した。(今の状況とよく似ている。)

134 石橋湛山は、東洋経済新報の社説で、満州へ中国へと領土的野心を広げていく日本を戒め、「一切を棄つるの覚悟」を求め続けたが、「どこの国の新聞か」と批判された。(いつごろのことか。)以上コラム「風考計」の若宮論文2006.12.25

151 朴裕河(パクユハ)著『和解のために 教科書・慰安婦・靖国・独島』(平凡社)、『帝国の慰安婦』(朝日新聞出版)に関して、
朴は朝鮮人自身も慰安婦募集事業に関わった事実を直視すべきだと言っているが、同感だ。従って慰安婦救済事業では韓国も金を出した方がいい。(私はこの考えには反対だ。韓国人は当時慰安婦募集行為を名誉な事として進んで引き受けていたのだろうか。そして今もそのことを名誉な事と考えているのだろうか。若宮のスタンスは、余りにも植民地体制を無視していないか。)


市川速水(はやみ)氏へのインタビュー

174 戦前香港で香港ドルと交換に、日本軍が発行した軍票は、戦後紙切れになった。慰安婦問題だけが唯一の戦後補償問題ではない。
178 1992.1.17・21、市民団体による「慰安婦110番」の活動を朝日が報じた。
182 旧日本軍が慰安所の設置や慰安婦の募集を監督、統制していたことを示す資料を、吉見義明・中央大学教授が、防衛庁防衛研究所図書館で発見し、その情報を辰濃哲郎・朝日新聞記者に提供した。
185 朝日新聞大阪本社社会部のデスクだった鈴木規雄は、植村隆を韓国に派遣し、慰安婦を探させた。市川も鈴木の部下だった。
195 安倍政権が公表したがらなかった福島第一原発の吉田調書を、朝日が特ダネ2014.5.20で報じたが、その後3ヶ月して産経、読売だけが報じた。安倍晋三官邸からのリークが疑われる。



231 資料 朝日新聞の記事や社説

1.吉田清治証言 1982.9.2
2.金学順の提訴に当たっての証言 1991.12.25
3.「日本の道義が試されている」(社説) 1993.3.20
4.河野談話 1993.8.5
5.「従軍慰安婦消せない事実」 1997.3.31
6.NHK「慰安婦」番組改変 中川昭一・安倍晋三氏「内容偏り」指摘 2005.1.12
7.「慰安婦問題 国家の品格が問われる」(社説) 2007.3.10
8.慰安婦決議、日米に影も 安倍首相発言、不信招く 2007.8.1
9.所長命令に違反、原発撤退 福島第一、所員の9割 2014.5.20
10.慰安婦問題を考える 上 2014.8.5 (吉田清治証言の取り消し)

*6.NHK「慰安婦」番組改変 中川昭一・安倍晋三氏「内容偏り」指摘 2005.1.12

 2001年1月、旧日本軍慰安婦制度の責任者を裁く民衆法廷を扱ったNHKの特集番組で、中川昭一・現経産相、安倍晋三・現自民党幹事長代理が、放送前日にNHK幹部を呼んで「偏った内容だ」などと指摘していた。
 NHKはその後、番組内容を変えて放送した。番組制作にあたった現場責任者(同番組の担当デスクだった番組制作局のチーフ・プロデューサー)が昨年2000末、NHKの内部告発窓口である「コンプライアンス(法令順守)推進委員会」に「政治介入を許した」と訴え、調査を求めている。
 これは番組編集についての外部からの干渉を排した放送法に違反する恐れがある。
 番組は「戦争をどう裁くか」4回シリーズ第2回として、2001年1月30日夜、教育テレビで放送された「問われる戦時性暴力」であり、2000年12月に東京で市民団体が開いた「女性国際戦犯法廷」を素材に企画された。
 2001年1月半ば以降、右翼などがNHKに番組内容の一部の放送中止を求め始め、局内では「より客観的な内容にする作業」が進められ、放送2日前の1月28日夜に番組が完成した。
 翌29日午後、松尾武・放送総局長、国会対策担当の野島直樹・担当局長らNHK幹部が、中川、安倍両氏に議員会館に呼ばれた。
 中川は当時、慰安婦問題などの教科書記述を調べる研究会「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」代表であり、安倍は同会元事務局長だった。
 番組内容の一部を事前に知った両議員は、「一方的な放送はするな」(自らが一方的ではないか)「公平で客観的な番組にするように」(彼らは「公平」という言葉で、番組としてのまとまりを無視し、ある一つの番組に相反する内容を入れさせる)と求め、中川は、「それができないならやめてしまえ」などと発言した。
 同日夕、NHKの番組制作局長が番組内容の変更を指示した。局長、松尾、野島の下、局長試写を行った。
 試写後、松尾らは、

①民衆法廷に批判的な立場の専門家のインタビュー部分を増やせ。
②「日本兵による強姦慰安婦制度は『人道に対する罪』にあたり、天皇に責任がある」とした民衆法廷の結論部分などを大幅にカットせよ

と求めた。さらに、放送当日夕、中国人元慰安婦の証言などのカットを指示し、番組は短縮された。

 中川「擬似裁判公共放送が報道するのは、放送法上公平ではない介入は当然のことだ。」「NHK側が、あれこれ直すと説明し、それでもやるというから、『だめだ』と言った。それは放送中止の意味だ。」
安倍「偏った報道と知り*、NHKから話を聞いた。中立的な立場で報道されねばならず、反対側の意見も紹介しなければならないし、時間的配分も中立性が必要だと言った。政治的圧力ではない。」

NHK「番組はNHK編集責任者が自主的な判断に基づいて編集した。」(この時NHKは死んだ。)

感想 *誰が中川・安倍に知らせたのかについて、彼らは明らかにしていないとのことだが、おそらく右翼学者の誰かだろう。
 彼らの言う「公平」や「時間的配分も中立性が必要」は、一見「公平」で「中立」であるように受け取れるが、相反する主張を同時に同一番組で報道したら、番組自体が自己分裂して番組そのものを破壊することにしかならない。つまり、「女性国際戦犯法廷」の取材に、国家主義的な右翼の宣伝を入れたのでは「女性国際戦犯法廷」の報道にはならず、ぶち壊しになってしまう。彼らはそのことを十分知った上でもっともらしく「公平性」「中立性」などと言う、極めて知能犯なのだ。
 この事件の問題点は、この事件が、NHKが右翼権力に屈服したことを意味するとともに、最高裁も彼らの介入行為を追認し、これ以後右翼日本会議がこれに味を占めて、堂々とファッショ的暴力を行使し始める契機となったことだ。


217 年表

1973.1、千田夏光『従軍慰安婦 〝声なき女〟八万人の告発』(双葉社)刊行。
1973.12、金浦空港で梨花女子大学の学生が(日本人の売春)キーセン観光反対のデモ。それに呼応して羽田空港でも反キーセン観光デモ。(注 本来「キーセン」は芸者であり、売春婦を意味しない。)
1975.10、高知新聞が沖縄在住の慰安婦裵奉奇について報道した。
1977.3、吉田清治『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)刊行。
1982.9、朝日新聞大阪本社版が吉田証言を初掲載。
1983.7 吉田清治『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房)刊行。
1990.1、尹貞玉が「挺身隊『怨念の足跡』取材記」を韓国紙「ハンギョレ新聞」に連載。
1990.11 韓国挺身隊問題対策協議会発足。
1991.8 朝日新聞大阪本社版が、元慰安婦の生存者について報道。(植村隆記者)
1991.12、金学順らが日本政府に補償を求めて東京地裁に提訴。
朝日新聞が「元従軍慰安婦・金学順さん」の証言を掲載。(植村隆記者)
1992.1、旧日本軍が慰安所設置や慰安婦募集統制について関与したことを示す資料が、吉見義明・中央大学教授により防衛庁図書館で発見されたことを、朝日新聞が報道。(辰濃哲郎記者、市川速水記者)
加藤紘一官房長官が「軍の関与は否定できない」と述べ、謝罪。
宮澤喜一首相が訪韓。慰安婦問題で謝罪と反省を表明し、真相糾明を約束。
ソウルの日本大使館前で、元慰安婦と支援者たちによる「水曜デモ」が始まる。
朝日新聞が、慰安所を巡回していた元軍人の証言など、「従軍慰安婦110番」に寄せられた談話を紹介。(市川速水記者)
1992.5、秦郁彦・拓殖大学教授が、済州島での実地調査を『正論』に発表し、吉田証言に疑義を呈した。
1992.7、日本政府が慰安婦事業での軍の直接関与を認める。
1992.8、ソウルで第1回「慰安婦」問題アジア連帯会議開催。
1992.10、ソウルに元慰安婦の共同生活施設「ナヌムの家」開設。1995.12、広州市に移転。
1992.12、東京で「従軍慰安婦」等国際公聴会が開催され、韓国、北朝鮮、中国、台湾、フィリピン、オランダの元慰安婦が証言。
1993.4、在日の元慰安婦宋神道とフィリピンの元慰安婦が、東京地裁に提訴。
1993.6、ウィーン世界人権会議で、慰安婦制度は「性奴隷制」と看做され、女性の人権として提起される。
1993.8、河野洋平官房長官が軍の関与と強制性を認め、「お詫びと反省」の気持ちを表明。(河野談話)
1994.1、オランダ人元慰安婦が東京地裁に提訴。
韓国人元慰安婦が責任者処罰を求めて東京地検に告訴したが、不受理。
1994.5、永野茂門法務大臣が「慰安婦は公娼であり、それを今の目から、女性蔑視とか韓国人差別とかは言えない」と発言し、アジア諸国から反発を受け、引責辞任。
1994.11、国際法律家委員会と国連女性差別撤廃委員会が、慰安婦問題について日本政府に勧告。
1995.7、日本政府主導の「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)が発足。しかし挺対協など内外の43団体が、国家責任を曖昧にするとして反発。
1995.8、村山富市首相が、戦後50年にあたり日本の侵略戦争や植民地支配について公式に謝罪。(村山談話)
中国人元慰安婦の第1次訴訟。
1995.9、第4回世界女性会議開催。
1996.1、ラディカ・クマラスワミ・国連人権委員会「女性に対する暴力」特別報告者が、国連人権委員会に慰安婦問題に関する報告書を提出。日本政府に国際法上の法的責任を取ることなどを勧告。秦郁彦による吉田証言への反論にも言及。
1996.2、中国人慰安婦第2次訴訟。
1996.3、国際労働機関(ILO)が、慰安婦は性奴隷であり、強制労働条約違反とする見解を発表。
1996.5、自民党機関紙『自由新報』が「異常な朝日の従軍慰安婦報道」を掲載し、「売国的な臭いさえある」とした。
自民党の板垣正参院議員が、教科書の慰安婦記述を批判。
1996.6、自民党「明るい日本」国会議員連盟結成総会。奥野誠亮会長は「慰安婦は商行為強制連行はなかった」と発言し、教科書の慰安婦記述を批判。(こんなのがまかり通るのか。)
97年度中学校歴史教科書7冊全てが慰安婦問題を記述。
1996.9、「日本を守る国民会議」が教科書から慰安婦記述の削除を求める。
1996.12、「新しい歴史教科書をつくる会」(つくる会)結成。
1997.1、つくる会が、小杉隆文文部大臣に教科書からの慰安婦記述削除を求める。
1997.2、「日本の前途と歴史教科書を考える若手議員の会」(代表・中川昭一、事務局長・安倍晋三、幹事長・平沼赳夫)結成。
1997.4、読売新聞は社説で、朝日新聞の慰安婦報道が「日本を〝比類なき悪〟に仕立てようとした」と批判。
1997.5、日本会議結成。
1997.12、台湾政府が日本政府による補償の立替金として各被害者に約200万円を支給。
1998.4、釜山の元慰安婦と元女子勤労挺身隊員が日本政府に謝罪と賠償を求めた訴訟で、山口地裁下関支部が日本政府の不作為を認定した。ただし、控訴審はこの一審を破棄し、最高裁は棄却した。
1998.5、韓国政府が各被害者に支援金約300万円を支給。
1998.6、VAWW-NETジャパン(「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク、代表・松井やより)が発足。
1998.8、国際人権委員会で、ゲイ・マクドゥーガル特別報告者の報告書が採択され、責任者の処罰、元慰安婦への損害賠償などを日本政府に勧告。
1999、周辺事態法、通信傍受法、国旗・国歌法が成立。
1999.8、中学校歴史教科書4社が慰安婦記述を削除。
2000.12、東京で女性国際戦犯法廷が開廷された。
2001.1、NHKが女性国際戦犯法廷を取材した番組「問われる戦時性暴力」を放映したが、VAWW-NETジャパンは、政治的圧力による番組改竄を問い、7月に提訴。
2001.3、読売新聞は社説で朝日新聞の慰安婦報道を「自虐史観の極み」と批判。
2001.4、「つくる会」の歴史教科書が検定に合格。
2001.5、韓国政府と中国政府が「つくる会」歴史教科書に対し記述修正を要求。
2001.7、文部科学省が韓国・中国両政府の修正要求に対して「つくる会」に訂正を求めない方針を示す。
2002.9、アジア女性基金が償い金支給事業を終了。
2003、最高裁が慰安婦訴訟を次々に棄却した。
2003.1、安倍晋三官房副長官が、朝日新聞社説の、拉致問題による不健全なナショナリズム批判を批判。
2004.11、最高裁が金学順裁判の上告棄却。
2005.1、NHK番組「問われる戦時性暴力」の内容が、中川昭一「若手議員の会」代表と安倍晋三官房副長官の政治的圧力により改変されたと朝日新聞が報道し、翌日、長井暁チーフ・プロデューサーが記者会見で、番組改変を強いる政治的圧力があったと証言。
2005.2、安倍晋三自民党幹事長代理と中西輝政(歴史学者)との対談「慰安婦も靖國も『朝日問題』だ」が『諸君!』に掲載された。
2006.4、中学校歴史教科書から「慰安婦」の記載がなくなった
2006.10、安倍晋三首相が河野談話を受け継ぐと明言。
2006.12、改訂教育基本法が成立し、「愛国心条項」が盛り込まれた。
2007.1、NHK番組改変事件が、高裁で勝訴。政治家の発言を忖度して番組の修正が行われたと事実認定。(しかし、最高裁で原告VAWW-NETジャパンが敗訴。)
マイク・ホンダ議員が米国議会下院に慰安婦決議案を提出。
2007.3、安倍首相が軍の強制を否定する発言を行った。(第1章参照)
安倍首相が参院予算委員会で、米下院の決議案は客観的事実に基づいておらず、決議があっても謝罪しないと答弁
米紙ワシントン・ポストが、「安倍首相は拉致問題には積極的に取り組むが、慰安婦問題には目をつぶっている」と二枚舌を批判し、「慰安婦問題で謝罪すべきだ」と求めた。
アジア女性基金事業終了。
2007.4、朴裕河が、「慰安婦問題をめぐる米国の安倍批判は、韓国の運動体の主張をそのまま受け取ったものだ」とした。(「米国の」とか「韓国の運動体」など用語が漠然としていて曖昧)
林博史・関東学院大学教授、吉見義明、西野瑠美子・VAWW-NETジャパン共同代表らが強制性を示す新資料を公表。
2007.6、有志国会議員らが、ワシントン・ポストに「慰安婦強制性否定」の全面広告を掲載。
2007.7、米下院が慰安婦問題について、日本に公式謝罪を求める決議を採択。
2007.9、安倍首相が辞任。
2007.11、オランダ議会下院が、謝罪等を求める慰安婦決議を採択。
カナダ議会下院が、謝罪等を求める慰安婦決議を採択。
2007.12、欧州議会が、謝罪等を求める慰安婦決議を採択。
2008.10、韓国議会が、謝罪等を求める慰安婦決議を採択。
2008.11、台湾議会が、謝罪等を求める慰安婦決議を採択。
2009.9、民主党に政権交代。
2011.8、韓国憲法裁判所が、韓国政府が慰安婦問題解決の為に努力しないことは違憲と判決。
2012.11、安倍晋三自民党総裁が、党首討論会で、朝日新聞の吉田証言記事を誤報だと批判。
2012.12、第二次安倍晋三内閣の菅義偉官房長官が、河野談話の見直しに言及。
2013.1、ニューヨーク・タイムズが社説で、「安倍政権の目論む、河野談話の見直しなどの日本の戦時史書き換えは、恥ずべき衝動的行為だ」と批判。
2013.5、橋下徹大阪市長が、「慰安婦制度は世界各国の軍が持っていた」「慰安婦制度は必要だった」「米海兵隊は風俗業を活用して欲しい」と米を挑発した。(このあたりから暴力性が顕著となった)
国連社会権規約委員会と国連拷問禁止委員会が、慰安婦問題などについて、日本政府に勧告し、ヘイトスピーチにも批判的に言及した。
2013.7、吉見義明が、自著の内容を捏造と発言した日本維新の会の桜内文城議員を名誉毀損で提訴。
2013.10、産経新聞が、河野談話に関わる元慰安婦16人の聞き取り調査報告書に基づき、「調査がずさんで、河野談話の正当性が根底から崩れた」と報道
2014.1、籾井勝人NHK会長が就任記者会見で「慰安婦問題は戦争地域にはどこにでもあった」と発言した。
2014.2、石原信雄元官房副長官が、参院予算委員会で、「元慰安婦への聞き取りの裏づけ調査がなかった」「河野談話作成過程で日韓の意見すり合わせがあった」ことを示唆した。(焼却したのだから、裏付けなど取れるはずがない。二国間に関わることだから、すり合わせはいつでもあるのでは。)
菅官房長官が、河野談話作成過程の検証チーム設置を発表。(産経とタイアップか)
2014.4、オバマ大統領が訪韓し、「慰安婦問題は甚だしい人権侵害であり、事実の正確で明快な説明が必要だ」と発言。
2014.6、安倍政権が河野談話の作成過程などの検証結果を公表。
2014.8、朝日新聞が吉田証言を撤回した。
2014.9、クマラスワミ元特別報告者が、朝日新聞の吉田証言記事取り消しに際し、報告書の内容を修正する必要はないと表明した。



感想 2019328()

本書のメインである第3章は、朝日新聞が右派から叩かれたテーマに関して、筆者が朝日新聞のOBや現役社員を取材してまとめたものだ。植村隆053、若宮啓文103、前報道局長(GM, General Manager)の市川速水158、外岡秀俊203、それにちょっとだけだが、本多勝一143と、市川速水の先輩である辰濃哲郎181らである。
テーマは慰安婦問題だけでなく、福島原発の吉田調書125、つまり所長命令違反の撤退問題を含む。いずれも朝日新聞が右派から攻撃を受けたときの朝日新聞当事者の声をレポートしたものだ。だから論文というよりは、取材証言集である。

巻末の年表や朝日新聞の問題とされた記事は資料的に有用だ。

本書を読んで、新聞社などマスコミ関係の人たちの生活がよくわかった。言論で失敗したら首になる恐ろしい大変な職場だ。
本書を読んで、私は朝日のこれまでの報道に何ら落ち度はなかったと再確認した。右派からたたかれて朝日が内部処分をやり、批判され放題になったように受け取られるのは残念でならない。
しかし、朝日新聞社では各記者の自由がかなり許されていて、各記者には一匹狼的なところがあり、プライドもあるようだから、それに望みを掛けることにしよう。
ただし、注意すべき点は、朝日新聞が商業新聞であるということだ。新聞は勝手に読者の最大公約数を措定し、それをターゲットにして営業しているから、社の方針が時代と共にころころ変わる。それは信用できないところだ。その意味で共産党の赤旗は信頼できると言えるかもしれない。共産党も時代と共に変遷しているとしても。
私は二つの吉田問題、吉田調書と吉田清治証言164は、いずれも問題ないと思う。ただ朝日が屈服しただけだと思う。朝日の関係者や筆者は、問題だったと言うが、私はそうは思わない。
慰安婦問題では、朝日新聞において、強制連行と記述したとか、金学順さんのキーセン体験についての言及が無いなどと右派はしきりに指摘するのだが、それは慰安婦問題の本質ではない。ただ右派がそれらを突破口にして、朝日を攻撃し、慰安婦問題を亡き者にしようとする策動に、朝日が屈服しただけにすぎないと私は思う。

*強制連行と記述したのは朝日ばかりでなく、秦郁彦245も記述し、産経も報じていた。(植村隆『真実』157

秦郁彦165が、右派言論の本源だったようだ。彼が、吉田清治の唱える済州島での出来事を「確認できなかった」と異議を唱えたことから、朝日バッシングの堰が切られたようだ。1992.5, 219, 248

ただし、池上コラムの投稿の一部修正を朝日が池上に求めたというのは、横柄ではなかったか。168

外岡秀俊さんが語るような悠長な左右融和論は、今ではもはやありえないユートピアではなかろうか。203
筆者は、本多勝一のような極端な考え方は、もはや今の朝日では受け入れられないだろうとし、取材の様子を記述しないのだが、せっかくインタビューしたのだから、少しくらい知らせて欲しかった。143
朝日が、特に若宮が論説主幹だったころ、PKOへの自衛隊参加や有事法制の容認、自衛隊を位置づけるための憲法改正の主張などをしたとは知らなかった。そういう保守的な時期も特に若宮が主筆だった時にあったようだ。147

感想 2019327()

本書の問題点

・青木理の人に接するスタンス 他の人には「氏」や「さん」をつけているのに、金学順さんには「さん」をつけず、金学順とする。彼女がキーセンだったからか。
・青木理は言う。「時代は変わった、だから今、本多勝一が朝日に戻ったとしても、今の朝日では受け入れられないだろう。批判にさらされて焼死してしまうのが落ちだ。」144
この立場は、現在のように状況が右傾化した中で、筆者が自らを中間的立場に置き、自らの生活やジャーナリストとしての延命を図ろうとするものであり、いずれその本性が人々に見透かされてしまうときが来るのではないかと危惧する。

・このことは若宮についても言える。若宮は言う。「中道層を巻き込まなければいけない。真っ当な保守の人たちの支持を失ってはならない。昨今の朝日は、集団的自衛権や特定秘密保護法に際して、かつての左翼的な闘い方をしたが、それはまずかった。中国の進出など時代状況の変化を見極めながら複合的に問題提起をすべきだ。」146 
 若宮がかつて朝日の論説主幹だったとしても、若宮は既に定年退職した人だ。朝日を代表しているわけではない。若宮は朝日在籍時代でもその保守的な社説に関して同僚から抗議されたと言う。自衛隊容認改憲論、PKO参加容認論、有事法制容認論などである。147, 148
・若宮啓文(よしぶみ)の発言「多様な発言が許される日本の言論界の事情を韓国に見せ付けてやりたいために書いた」134
これは自己中で優越的で他者蔑視の態度、他国の歴史の特殊性を無視した傲慢な態度ではないか。

・青木は、菅生事件1952.6.2を単に「警察の自作自演」と説明するが、それでは警察の行為に現れた当時の国家権力の本質を正確に表現しない。レッドパージ1949--50、朝鮮戦争1950.6—1953.7という状況下での事件であることに触れなければ正確さに欠ける。ウイキペディアでさえも「公安警察による日本共産党を弾圧するための自作自演の駐在所爆破事件」としている。
・青木の文章には無駄な言葉が多い。植村さんのプライバシーに触れる必要はない。それは植村さんの問題の本質ではない。ことさら負のイメージを暴きだすことは愚かなことで、上品でない。

以上
2019330()


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