教育修身研究『現代教育教授思潮大観』春季臨時増刊 日本教育学会 分担執筆者 平塚盆徳、生井武久、三木壽雄、宗像誠也、佐野朝男、山田彌、白井今朝晴各学士 昭和7年1932年
第四章 現代の学級組織案
第一節 ダルトン・プランDalton Plan
一、沿革と原理
166 この案の名は北米合衆国マサチュセッツ州Massachusettsのドルトンと呼ばれる町の名に起因する。創始者自身の命名ではドルトン実験室案Dalton Laboratory planという。「実験室」というのは学校を一つの実験室にするというのであり、これは創始者の学校改革の根本的観念を示すものと思われる。
ド案の創始者は北米合衆国のヘレン・パーカスト嬢Helen Parkhurst1886—1973である。パーカストの教師としての最初の経験は、ある村落の学校で与えられた。ド案の胎芽はすでにここに見いだされるようである。
(パーカストによれば)スウイフト著『精神の形成』1908によって「教育的実験室」の考えが初めて起こされたという。3年後の1911年、パーカストは8歳から12歳までの児童のための最初の「教育的実験室」案を計画し、1913年にそれが完成し、その後それを「実験室案」と呼び、1915年以後は時間割を全廃した。1914年、パーカストはモンテッソリー法の研究のためにイタリアに渡り、その後モンテッソリーの事業に関与して自己の案に専心できなかったが、教職に就いて以来正に15年後の1919年9月に実験室案を(イギリスの)バークシャ起廃学校Berkshire cripple schoolで実施することができた。その成績は良好だった。この実験でパーカストは図表法を発明した。
167 この成功を見てクレーン夫人はその郷里のハイスクールの男女生徒のために(ド案を)実施した。実施後まもなくロンドンのソーンダーソン夫人やその令嬢ベル・レニイの視察があり、レニイによってド案が英国に紹介された。その時パーカストは「実験室」の語が誤解されることを恐れ、この案を「ドルトン実験室案」と呼ぶことに決定し、以後この名によって知られるようになった。
「実験室」という観念は学校教室や教育を見直そうとするものであるが、パーカストは「今までの学校では生徒は受動的であった。しかし今日の学校は自己発展Self developmentのための要求を生徒に満足させてやらねばならぬ。それゆえ旧式な方法では教育の機能を全うできない」とした。この自己発展を成就させるものは何か。それをパーカストは「経験」であるという。「経験こそが生徒の唯一の学校である。彼らが青年や成人となる前に先ず児童期の諸問題を解決できるように鍛えられねばならない。これを成し遂げることのできる唯一の方法は、児童に自由と責任を与えるように、またこうして児童自身でそれらの自由と責任を捕らえられるように、教育を工夫することである。経験こそそれである。経験なしに性格の発展は不可能である。経験は個人の道徳的・知的素質を「検試」する唯一の方法である。経験は個人の理想を造り鍛え、個人の判断を鋭化・拡大する。それと同時に個人が他の個人と関係するようになれば、経験は最も重要な教訓となる。即ち自己訓練である。団体意識はこの社会的経験から成長してくる。このような経験を学校の日常生活に持ち来すことによってのみ、従来失っていた妙味と目的と興味を取り戻すことが出来る。このような経験を可能にする環境を(児童に)作り与えることが第一の本質的必要事である。」
このように見て来ると、(ド案は)児童の学校生活様式上の一企画であることが分かる。これを要約すれば、学校全体を社会化することである。それは児童の心意発達の機会となる好環境の意味であり、それは作業に伴う社会的経験の場であり、知識と性格を決定する所である。このような経験を可能にする自由こそが、ド案の第一原理というべきであろう。
168 次にド案の第二原理と見るべきものは、「協同」である。つまり集団生活の相互作用である。従来の学校が反社会的・個人的であったのに対して、(ド案は学校が)協同であり相互作用であるべきことを説く。学校の全ての部分が相互に緊密な関係をなす相互扶助は、校外において人々が相結ぶようなものでなければならない。そうでなければ学校は社会的経験を反映することができない。学校全体が社会化される必要がある。以上がドルトン案の根本的な考え方であるが、以下その内容について詳細を述べる。
(一)年齢 第四学年以上であればどの分野の学校にも適用できる。即ち9歳または10歳の児童から始めるから、高等小学校、中等学校、専門学校、士官学校、師範学校、各種職業学校などに適用され、それぞれ成功している。
(二)仕事job(学習量) 従来の学年や学科課程はそのまま維持される。ただし各学年に対して最大と最小の学科課程(学習量)が定められ、「仕事」(学習量)全体が最初に生徒に提示され、契約として生徒に引き受けられる。これを契約仕事contract jobと言う。つまり生徒は自己の学年に割り当てられた仕事を契約として引き受けるのである。そしてこの仕事は1か月分を一つの大きな単位とし、その1か月分はさらに20単位の小さい仕事から成り立つ。これを仕事割当assignmentと言う。それが表示されたものを「割当表」と呼ぶ。生徒はこの1か月分の仕事を完了せずに他の学科目の学習へ進むことはできない。また一、二科目では所属学年の平均より優越しても、その他の学科目ではそれ以下に落ちるような学習の仕方は許されない。
(三)実験室 これはドルトン・プランの一大特色である。ドルトン・プランでも旧式学校の教室を使用するが、一学科のために一教室を設ける。そこは生徒の学問的仕事場であり、自習室である。実験室というのは、生徒が実験し、経験する所であり、決して実験されるところでないことを示すためである。
169 例えば地理科の実験室の場合、地図、地理学的画図、天文学用教具、地理学的資料、教科書・参考書などが設備されていて、一人の地理科担任の教師が相談役adviserとしている。
パーカストは全学科目を二つに分け、数学、歴史科学、英語(国語)、地理、外国語などを大科目とし、音楽、芸術、手芸、家事、手工、体操などを小科目とした。これは上級学校の入学資格の関係からなされたものである。ただし12歳以下の児童だけを収容するところでは外国語は小科目とされている。
ドルトン・プランにおいても学校組織の単元である学級即ち班formがあるが、そこでも教師は常に生徒の相談役である。
この実験室には時間割がなく、どの実験室に入ることも、どの学科について、どう調べるかも自由である。(前言と矛盾しないか)どのようなことに力を入れるべきかについては教師と相談することはある。途中から他の実験室に移ることも自由である。実験室の中では生徒は小団を作り、研究し、討議し、社会的影響を与える。
このように実験室では自由に学ぶのだが、専門教師の必要上、同程度に達した生徒を全員集めて、団体教授を行うことがある。これを「会議」Conferenceという。またもう一つ、「総会議」がある。これは実験室の時間の終わりに集合して30分間行われる。これは各学級の全生徒が学級としてその学級所定の教室に会合するものである。午前中に離れ離れになっていた全(学)級の生徒が一堂に会して、それぞれの「割当表」に関して論議する。生徒は進度を比較し、特殊の困難点を相談し、互いに解決に助力し合う。これは一日の仕事を適当に終了するために必要なことである。ドルトン・プランでは「割当表」は重要である。
(四)割当表 これによって生徒は予期された仕事を完全に見通せる。毎月の割当表を作ることは教師の最大の任務である。生徒の能力と割当仕事の量を一致させることは、教師が常に直面する大問題である。
170 この際心理学的研究に十分な注意が向けられる。同一年齢、同一学年であっても知能が著しく不同である。これに応ずるために最低、中庸、最高の三つの割当表を用意している。最初一か月分の契約仕事によって生徒はその仕事を十分に見通せるが、生徒が仕事を進めるにしたがって自分の進歩を知ることができるように、一か月の仕事をさらに一週間宛ての仕事に分ける。こうして生徒は成し遂げたことに満足し、更に新たな努力への勇気を鼓舞される。
この割り当てにあたり、各学科の教師相互、及び学級担任などの協同と同情を必要とする。またこれらの仕事の進度を記録するのに図表を用い、生徒自らに自分自身の進度を記録させ、明瞭に彼の仕事量を意識させる。教師の方は表で指導する上で便利である。ドルトン・プランの性質上、困難繁多に陥りがちな教師の仕事はこの表のおかげで簡単化される。
以上は専らパーカストの著述に見えるものである。ドルトン・プランにはもとより固定した法式はない。この点に関してパーカストは学校の事情によってまた当局者の判断によって変更されるべきであると断っている。
ウオシュバーン171はドルトン・プランが主として学校を色々の児童に適合させるための管理上の一工夫であり、学科課程上のそれ(工夫)ではないと論じている。
第二節 ウイネツカ・プランWinnetka Plan
一、沿革
171 ウイネツカ学校案はドルトン・プランと共に「個別教授」の双璧をなす。ウイネツカはミシガン湖畔に位置するシカゴ市の郊外地である。人口は1万2千で、住民は学校に関心があり、強烈な団体的精神を持っていると言われる。ウイネツカは「典型的な」郊外住宅地で、相当の富者、給料生活者、小売商人、日雇い労働者などで構成されている。年々わずかだがイタリアやスイスなどから移住者がやって来る。従って学童も多種多様である。良家の子弟の比率が米国一般よりやや多い。知能検査でも少し平均を越している。社会状態も「平民的」である。このことは、ウイネツカ学校案が相当成功して各方面から批判されている今日、一考されるべきことであり、ごく平凡な事情の下でウイネツカ・プランが行われていることを知るべきである。
ウイネツカの教育評議会には長年「聡明で公共精神豊かで政治的野心のない高潔な」人物がいたと言われているが、この当局が1919年現視学カールトン・ウオシュバーンCarleton
Wolsey Washburne, 1889—1968を招聘し、新計画を行わせた。
ウオシュバーンは1912年スタンフォード大学を卒業した。初めは法律を勉強していたが、次第に医学、科学に興味を持ち、教育にも興味を持つようになった。教育界に出て低能児童の教育に従事したこともある。後にサンフランシスコ師範学校でバークの下で「個別教授」に関して勉強した。カリフォルニア大学で学位を得た後ウイネツカに招かれた。バークの個別教授法はウイネツカ法の基礎となったと考えられる。
二、組織
172 ウイネツカ・プランには三つの特徴がある。個別的進度、個別的教授、社会的・自己発表的諸活動である。
ウイネツカ学校の課程には二種類ある。一つは共通的な必習科であり、もう一つは団体的活動と創作的活動である。
必習科は何人も実際上用いる知識や技能に関するもので、算数ではある程度の速度と正確度、国語では普通の形式の句読、その他文の前後等の基準、正しい文字の書き方、その合理的な速度、相当程度の速度と理解力によって行われる読書能力、正しい文字の綴り方、その使用方法、一般に知らなければならない人物・土地・事件に関する知識、そして米国における著しい公民問題や産業問題などを理知的に論ずる能力などを含む。
これに対して団体作業や創作的活動では、児童の間に差異が表れるもので、文学・音楽・美術の鑑賞や創作、運動場での運動、集会、各種の手工工芸など、主要学科の手段ではなくそれ自体が一つの目的となっている。各種の「構案」、「戯曲法」、学習の方法としてでない討論等まで、団体行動や協同作業を通して社会生活の一員としての相互扶助を学ぶと共に、自己を赤裸々に発表する機会が与えられる。しかしこのように二大別しても両者の内面的な相互関係が存在する。
(一)必習科
173 必習科の進度は厳密に(児童それぞれに)個別化されている。各児童は自己自身の速度で学習を進める。一定の課業を完了しない間は次の作業に移ることはない。一定の作業を完了するにも人によって所要時間に相当の差がある。即ち業績の単位によって作業を進め、時間の量を単位として作業を進めるのではない。基本的な必習科には「割当」に(児童間で)「変化」(差異)があるから、優秀児は遅鈍児よりも多くの負担なしに進む事ができる。この個別的進歩の一般的方法は次の三つから成り立つ。(一)必習科を分割して非常に明確な単位業績にする。(二)この単位を修得したかどうかを判定し、難関がどこにあるかを知るために、完全な診断的査定を使用しなければならない。(三)自学的教材や自己で訂正できる実習教材を十分に使用する。
業績の単位は目標goalと呼ばれている。この目標は「一般的」でなく特殊的である。例えば「第三学年中に縦書きの加法を学習しなければならない」と普通なら(日本では)言うところを、ウイネツカでは「第三学年の算術を終えるまでには三桁の数の四個縦書きの加法を三分間以内に三題100%の正確さを以て計算できなければならない」と言う。必習科には各々このように明瞭に目標が示されている。
尤も各学年に対する正常な年齢が考えられていない訳ではない。第一学年を6歳以上7歳未満に、第二学年を7歳以上8歳未満にと進み、第八学年を13歳以上14歳未満に終わっている。
この目標は簡略な大きなカードに印刷して児童に与えられる。一つの目標を完了した時、目標の欄にその日付を教員が記入する。6週間の終わりにこの完了した日付を朱線で綴る。こうして6週間ごとに図表の上で進歩の程度が明らかにされる。カードの裏面は品性陶冶に関することが記述される。カードの利用に関して表裏とも教師と生徒とが相談して決める。なおこれは成績表の代わりになる。
174 児童が目標に到達したかどうかを見るために査定(テスト)が用いられる。この査定は診断的であるべきである。これを「通す」(行う)ことによって、どんな点に欠点や難関があるかを知ることができる。
査定の設定より困難なことは自由に用いる適当な教材の準備である。ウイネツカでは教師がその資料を蒐集・記述し、視学ウオシュバーンの名によって発行されている。この練習教科書は通信教授をするように直接指導をするように編纂されている。これによって一歩一歩学習を進めていくことができる。
課外読み物に多大の関心を払い、綿密な調査に基いて各学年に相当する読み物を決定している。
教師はこのような自学自習に対して個別的にも「団体的にも」援助を与える。時には児童に無害であり教師の労力や時間の経済となるときは、学級全般に一個の問題を提出してこれに従わせることもある。
必要に応じて援助・奨励を与える。
このような事情だからウイネツカには固定した学年がない。それは各学科における「一定数の目標の集団」を意味する。(その目標は日本のような)「普通の該学年児童によって修了される作業」と凡そ一致されている。
また教室内の座席も固定していない。児童は最も自己の環境に「通ずる」者と集団groupを作る。
このように個別的で自由であるから、(日本の)普通の学校のような落第はない。児童は各自の進度によって自己の目標に進めばよい。たといある学科で1年半を要するとしても、それを継続して完了すればよいので落第はない。人によって進度の相違があるだけである。2年間同一教室にいることも許される。
175 第6学年までは「分科制」(選択制か)は採らないが、尋常中学校では完全に「分科制」が行われていることであろう。低学年の作業を非常に速やかに終了した児童が特に教育の拡大と充実のために考慮されるのは尋常中学校においてである。ここではおよそ35科の選択と特殊科目が行われている。そしてこの尋常中学校の課程を終了したと認定されるには、学術方面ばかりでなく身体方面や社会方面の考慮も与えられている。
(二)団体的また創作的諸活動
社会化された作業あるいは自己表現の活動は、団体的活動であり、創作的活動と言われる。この作業は前述の個別的教授とは異なり、一定の標準がなく、各自の「性能」が適する自由の活動に没頭することができる。それゆえ必習科の算術や国語のような全く個別的作業において仮令二、三年の(進度上の)前後(相違)があっても、直ちにそれがこの社会化作業の妨害にならない。ただし歴史や地理科だけはこれらの作業に関連し、ウイネツカではこの二科で遅れた児童を待って次の段階に進んでいる。この待ち時間に進度の速い児童はさらに豊富な地歴の教材を割り当てられてもよいし、個別的教授の方に向かってもよい。この社会化作業の時間は教師も児童も共に本来の興味に従い、自立心と創意独創力の発展に努めることができ、協力して業務につき、構案に従う。この種の作業に従事する時間は午前・午後とも作業時間を折半してその一を占めている。(意味不明)以下この種の作業時間で特に考慮されている点を掲げる。
討論 これは(児童が)特殊の課業を学習したかどうかを(教師が)知ろうとして行われるものではない。討論はしばしば個別的な作業で取り扱った教材とは全く異なるところで発生する。社会科学においては殊に(そのことが)甚だしく、それが討論や社会化作業の基礎となっている。地理、歴史、公民科に関する諸問題の討論及びある種の算術問題の討論においてさえ、児童は心と心との衝撃を経験し、思うところを自由にかつ自ら進んで語ることを学ぶ機会を持つ。(これは素晴らしい)
176 自治 ウイネツカの各校は同一計画の自治制を採用している。議会制度を倣って行われる児童集会があり、学校の事業の責任を分担する委員会なるものもある。これらを通して自立・討論・迅速な思慮・責任・弁論などを学ぶ。
劇化 自由で即興的な学級内の演劇活動から、歴史的大事件の描写や文学的傑作の翻案等を公衆の面前で披露するものまで種類・方法が多い。劇化される活動(題材)には社会科学に関するものが多いが、文学に関するものもある。演劇活動には教授上の価値もあるが、その主要な目的は協力的活動の訓練である。劇化は児童の社会化と自己表現に最大の機会を与える。
構案 構案の目的は構案自体の中にあり、学究的事項を取り入れるための特別の努力を要しない。構案は児童自身の活動計画に委ねられ、児童はそれぞれ独自の力を入れるように(児童各自が独自の能力を貢献できるように)また他人の長所で自己の短所を補うように工夫されている。例えば、学生新聞の発行は句読、綴り方、編輯、作文、校正などの訓練のために行われるのではなく、結果的にそれらを修練することになるにすぎない。新聞発行は児童の考えていることを発表することに関心があり、教育的には機関紙の発行は協力の習性の養成であり、作業の分担協力による相互扶助の精神を習得するのに役立つ。
集会 集会の計画は児童自身によって行われる。
討論 ウイネツカでは学校によって多少の増減があるが、演劇、自治、音楽、講演会などのために一週に一度乃至五度の(準備のための)集会が行われる。これに集合する学級も数個に及ぶことがある。児童はこの種の集会で聴衆となるとともに、自ら呼びかける(発言する)こともある。
177 工作 低学年の砂遊び、粘土、切り紙、積み木遊びなどから、尋常中学校の木工、印刷、金工、美術、裁縫、割烹、自然科学など完備した設備を必要とするものまで、児童の技術的訓練や創作的活動の機会が多い。これには一定の形(形式)がなく、資料と機会が与えられれば、児童はこれを利用し興味と能力に応じて活動する。上級での割烹と裁縫は一定の目標に従って個別的に作業させている。
音楽と美術 音楽では若干の技術的教授が行われているが、個別的(教授)ではない。(一斉授業である。)音楽の主な目的は先ず歌謡を通じて情感や情緒を表現する手段を与えることであり、次にこれを良い音楽にすると共に音楽に対する理解や評価を発達させ、第三には団体歌や斉唱によって団体精神を養うことである。美術は社会化された活動や自己表現の活動といくつかの点で関連している。例えば、歴史の一端を演劇化するには、美術に関する服飾・背景などがあり、新聞を発行する際にも様々な関連がある。また美の理解もこれらの作業を通して理解される。
体育 体育は生理的に個別的であることもあるが、一部分は団体競技によって団体精神を養う。児童はいつでも任意に体育的作業に従事していいから、運動場に一時に二学級以上の者が活動することはほとんどない。運動場に訓練を積んだ専任の体育教師がいて、児童の活動を組織化している。体育は競技精神の理解、協力の理解、忍耐の理解を得るのに良い機会である。もちろん体育は健康を主(目的)とするものである。
参考文献
「ウイネツカ・プランの学校」石谷信保 『教育科学』岩波講座第四回配本
「ウイネツカ・プランの研究」小林茂 文化書房
「最近教育思潮と実際」入澤宗寿 明治図書
「学級編成の諸問題」中島太郎 目黒書店
「手長足長個性教育膝栗毛」松月秀雄・東尾眞三郎共著 日東書院
雑誌「小学校」「教育研究」「帝国教育」「児童研究」昭和6年2、3月
感想 児童の自発性や体験を重視するウイネツカ・プランの児童中心主義の考え方は、当時の日本の教育学者の気持も強く引き付けたようだ。そのことは筆者が敢えてウイネツカ・プランの文献を多数紹介していることから分かる。
次の第三節「プラトウン・プラン」を読んでいるときにネットで調べたことだが、産業界の効率的な生産性向上の取り組みから生まれたプラトウン・プランが先駆となってウイネツカ・プランが生じたとのことだが、私は系譜的には両者は全く異なるのではないかと思う。というのはウイネツカ・プランと内容的に似通ったドルトン・プランの考案者パーカストが、イタリアの精神科医モンテッソリーのところに赴いているからである。またのんびりとした児童中心主義は、生産性向上至上主義とは矛盾するようにも思う。ただしプラトウン・プランでも自学自習主義でやっていたようだ。
第三節 プラトウン・プラン Platoon plan
一、沿革
178 プラトウンとは軍隊の分隊・小隊の意味である。プラトウン・プランとは生徒を二つの集団に分け、一方が普通教室で学習している間に他方は特別教室で課業に就き、それを交替することによって校舎・教室の利用度を最高にしようとする教育組織である。
プラトウン・プランという名称は米国オハイオ州マスケゴン市の督学官ハートウエルO. Hartwellが1915年に同州クリーブランド市の学校調査に関連して「児童過剰の学校とプラトウン・プラン」という報告をしたのに始まる。ハートウエルはゲーリ―組織*を視察し、その長所が校舎や教室の最高度の利用と教育の社会化との二点にあることを見て、しかも学級担任に教科目担任を加味することによってその特徴を発揮できると信じ、ゲーリー・システムから換骨奪胎(先人の作品を作り替える)した組織を考案し、ミシガン州カラマンゾーの一小学校でそれを試み、その成績が良好だったので、更に三校に及ぼし、遂にジュニアー・ハイスクール以下同市の学校全部でこれを行うようになった。次いで他の都市でもこれに倣うものが生じ、特に同州のデトロイト市ではこの案を全市の小学校に採用した。
*ゲーリ―組織Gary system インディアナ州ゲーリー市の初代教育長ワートが1908年(1907年 Britannica)に始めた学校経営方式。学校の全施設を有効に利用することにより、生徒数の急増に対処しようとしたもの。教育史上の一実験として終わったが、新教育運動の先駆となった。(精選版 日本国語大辞典) 工場における生産効率化を図る科学的経営運動の一つであった。(Britannica)
二、組織
179 プラトウン・プランでは教室が普通教室と特別教室とに分かれ、一半の集団の組々が普通教室で課業に就いている間に、他方の集団の組々は特別教室で学習を行い、一定の時間で互いに教室を交替する。国語、算術などの基礎科目は普通教室で課せられ、唱歌、図画、手工、理科、生理、家事などは特別教室で課せられ、前者は学級担任が教授し、後者はそれぞれ専門の教師が指導する。このようにこの案はゲーリー・システムと従来のシステムとを半々に採用しているから、ゲーリー・システムが全く専門的なために教授訓練が支離滅裂に陥る弊害を避けるとともに、小学校における学級担任制の特徴も保っている。
一日の授業時数は6時間であるが、その半分が普通教科に配当され、他の半分は特別教科に配当されている。普通教科ではこの6時間を4分して90分を一時限とし、特別教科ではこの6時間を12分して30分ずつを一時限とする。デトロイトでは午前の始業は8時半であるが、先ず甲の組は普通教室に入って90分間普通教科を学習し、一方乙の組はその間に三つの特別教室で30分間ずつ特別教科を学習する。甲乙とも10時になると互いに交替して今度は前と反対に乙の組が普通教室に入って90分間学習し、甲の組は特別教室に移って30分間ずつ三時限の学習を教室を代えて行い、甲乙とも11時半に終わり、昼食となる。午後は12時半から始まり、前と同様に2時で交替し、3時半に全く終わる。
180 一般の小学校における一日の授業時数は大抵5時間であるが、ここでは6時間である。これは普通教室と特別教室との平行二重組織にもよるが、児童の健康の増進や教育の社会化に、より多くの時間を配当する趣旨から出ていて、在来の組織とゲーリー組織とを二つながら顧みてその中間を進んでいる。
普通教室での課業即ち普通教科の学習は当該学級担任の教師によって教授されるが、専ら「指導つき攻究」シューパーヴァイズドスタデーsupervised studyの方法を取っている。これは教師の学習経済の見地に立ち、児童の自学自習を監督指導する。
特別教室での課業即ち特別教科の学習は専科の教師によって教授されるが、特に発表と教育の社会化・職業化を重視している。この特別教科の中には講堂と運動場とにおける課業が含まれるが、特に講堂での課業は非常に重視されている。小学校の講堂は社会化の単位として極めて大切な使命を持った設備と見られている。講堂は普通教室の二倍の広さがあり、ここで児童は多くの仲間と会合し、社会的関係を意図した活動に参加し、交友に関してどのように行動すべきかについて実地に練習する。毎日30分間二組ずつ組み合わされる。講堂における課業には統一的・連絡的性質がある。その項目はデトロイトでは健康、公民の観念、閑暇の有効利用、倫理的観念、職業指導、価値ある家庭の一員としての心得、各種の行事などである。それらは普通教室や他の特別教室での課業と連絡を取っている。これを監督するのに特に堪能な教師二人が担当し、一人は主として低学年を、他の一人は専ら高学年を指導する。
181 運動室も重視され、それは講堂と同じ広さがあり、ここに健康増進に役立つ設備を施し、講堂と同じく同時に二組の児童を入れ、一人の主任の外若干の指導教師がいて、体操・遊戯・競技などの指導監督にあたる。
特別教室で行われるべき教科目が定まれば、児童数に応じて教室の数が定まる。例えば(従来の方式で)16学級の学校なら、集団の対が8つできるから、普通教室は8つ、特別教室では講堂と運動室とが二組を同時に入れ、それらと通常の大きさの教室4つを合わせて6つ、合計14教室となる。従来の組織では特別教室を別としても16教室必要だったから、教室が節約される。(確かに特別教室の分は節約できるが、それを除外すれば、校舎の広さは変わらないのでは。)こうして在来の学校より3分の4倍の収容力を増し、18学級で24学級の児童を収容することができる。つまり収容力が33%以上増加する。*
*16/14=1.14 4/3=1.33 24/18=1.33 どういう計算をしているのか分からない。
ただし単級学校や六学級くらいの小規模校では教室節約ができない。しかし米国でも交通機関の発達と村落経済の向上によって単級学校が次第に合併される傾向にあり、また都会の学事当局は毎年増加する児童過剰の問題に直面しているから、このプランは歓迎されている。
プラトウン・プランにも欠陥はある。例えば最低学年にはこのプランは不便で、合科(級)教授を行い難い。しかし最低学年の教授は全部普通の学級教室で行い、第二学年以上に対してプラトウン・プランを用いることにすれば、この二つの欠点を避けることができる。
第四節 バタビア・プランBatavia Plan
感想 学級での授業の中で一人が全体に教え、もう一人が個別に指導するというやり方は今の日本でもやり始めたようだ。
アメリカ,ニューヨーク州バタビア市で開発された学習指導法。 1898年に J.ケネディが創始したもので,児童数 60名以上の過大学級に,正教師のほかにアサインメント教師を配属し,正教師が担当する一斉授業と並行してアサインメント教師が個別指導を行うもの。一斉教授の欠陥である画一性を,個別指導の併用により補完しようとするものである。実際には遅進児の救済面では効果があったが,反面優秀児にはあまり効果がなく,一時的な実践にとどまった。ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
一、沿革
182 全級的教授と個人的教授とを比較してみると、前者は(一)学校維持の上で経済的である。(二)一体としての学級の「幸福」のために個人的衝動を従属させることを教える。(三)競争や団体的興味を引き起こすなどの点で後者に優るが、(一)児童の個人的差異を見逃がし、(二)実際に存在しない理想的平均児童を考えて教授しようとする傾向があり、(三)能力不同の児童を同一時期に進級させようとするために、劣等児は苦悩圧迫を感じて健康を害する。(四)全級中の幾分の児童を失望させ、学校の仕事(課業)を継続して修業しようとする意気を失わせるなどの欠点がある。
このような両者の得失を考慮し、それらを調和させることによって学級制度の効果を高めようとした方法の一つがこのバタビア・プランである。その根本的目的は団体的教授から生じる利益を保持しつつ、学級中の劣等者を優良者と並行させ、確実かつ系統的に特別教授を行うことである。
バタビア・プランはニューヨーク西方の小都市バタビアの学校監督官ジョン・ケネディJohn Kennedyが企画したものである。このシステムの発見は偶然の結果であった。バタビアの古い学校には60名ないし70名の児童を収容する大教室しかなかった。1898年、児童数が急増し、補助教師を使用する必要が生じた。教室には多数の児童が充溢したが、新築の計画がない。ここでケネディは補助教師を置くことを主張し、各教室に収容できる限りの児童を入れ、一教師は単級教授を行い、他の一教師は個別的指導を行うことを発議した。当時その任(補助教師の任)に当たった人はルーシー・ハミルトンLucie Hamilton女史であった。彼女は(もう一人の)協同者として初めは専ら教室の後方にいる劣等生に対して、他の児童と作業(課業)を共にすることができるまで補導した。こうして予想外の好結果を得て、たちまち伝播し、同一の教室に労力を分担する二教師を置くことになった。こうして劣等生の学習力を進めるだけでなく、学級全体が変化し、為すべき作業(課業)のない優等生もなく、為す事の出来ない劣等生もなく、学級全体が愉快に学習し、課業の標準も向上した。
183 バタビア・プランの特徴
(一)個別教授を正規の学校作業(教育行為)の一定部分とする。どの学校でも教師が終業後に劣等生を励ましたり、授業時間中に多少の注意を与えたりすることがあるが、バタビア・プランでは個別教授を全級教授と同等に重要視し、教案上に一定の個別教授を配し、系統的・秩序的に取り扱う。
(二)個別教授を行う教師は全級教授を行う教師と同等な能力を持つ。換言すれば個別教授は未熟教師によって行われるのではない。
(三)個別教授法の発展を要求する。個別教授法は多くの点で全級教授法と異なるが、その(全級教授の)成功に絶対的に必要である。個別教授法に二つの原則がある。第一に、個別教授の着手(イニシアティブ)は常に教師から行う。(生徒に要求されてするものではないということか。)第二に、すべての個別教授は啓発法によらねばならない。児童の自助力を高めるために教師は補導すべきであり、直接教授はよくない。
バタビア・プランは真に教育上から見て何ら価値のない世話焼き方法によって劣等児をますます劣等にさせるような危険を予防するだけでなく、最も有害な「軟教育」に堕落する傾向を制止することができる。このプランに賛同し、これを採用するもの(学校)が多いのは実績があるからである。バタビア学校で全ての児童が同様に成績が良好であることは驚くべきことである。ケネディは児童の多くが一年間で二年分の課業を修めることができると断言している。
184 バタビア・プランはどんな学校にも応用できる。これを応用するには個別教授のために一定時間を用意し、前述の原則に従って個別教授を行わねばならない。また一教室に必ず二人の教師を必要とするわけではなく、一教師の場合にも応用することができる。その場合には「二重交番案」double alternation programという方法に従う。即ち各回交番に(交替して)個別教授のレシテーション(口頭の質問を交えながら行う授業。lectureは一方的な講義。seminarは学生の活動を中心とする演習)を行い、全級中の劣等性を救済する。個別的取り扱いを要する生徒は同時に教卓に呼び出され、他の生徒は「独立研究時間」として席上作業を行う。地理科のレシテーションが個別的に行われたならば、次に行われる算術は全般的に教えられ、継続して(連続して)二回も三回も個別的取り扱いは行わない。
交番の方法には種々あるが、個別的作業のために一定の時間を配当する限り、バタビア・プランの根本条件は満たされる。
一学級一教師制度にバタビア・プランを応用する場合に最も不都合な点は、個別教授を受けない児童に独立的作業を与える点である。席上作業はややもすると書き方作業にだけ流れやすい。
ケネディはバタビア・プランを採用する学校のために次の暗示を与えた。
(一)まだ教授していない教材について個別教授してはならない。
(二)教師は児童が真に理解していない点を知った後でなければ何事も話してはならない。個別教授の危険は児童の勤労(労力)を少なくしがちであることである。
(三)教師は児童が真に為し得ないことを知った後でなければ手を下してはならない。個別教授は生徒を優良者と同等にするためではなく、勇敢で有能な登攀者にすることである。正しい個別教授は生徒の困難点を発見し、これを処理することである。以上の注意点は全く直接教授をしてはならないという意味ではないが、直接教授は全級教授に譲るのがよい。個別教授の危険は援助のやりすぎであり、全級教授の危険は援助の足りない点である。
185 ミネソタ州ではその所轄学校にバタビア・プランを採用し、種々の訓示をしたが、その訓示の中で参考とすべきものを以下に記す。
(一)個別指導は確かな目的をもって行わなければならない。
(二)個別指導中に全級に与える仕事(課業)の配当は明瞭かつ一定にすべきである。
(三)個別指導は(課業の)根本的法則を理解させるために行うものであり、(法則の)例外を教えるために行うものではない。
(四)児童の特質・能力に応じて指導方法を変えるのがよい。
(五)欠席者の補充教育として個別教育を用いるのがよい。
(六)一時にあまり多数の児童を救済しようとしてはならない。
(七)児童の実力を増すためにバタビア・プランを採用するのであるから、学校の事情に応じて適宜改変することは当然である。バタビア・プランのためにバタビア・プランを用いてはならない。
第五節 ケンブリッジ・プランCambridge Plan
感想 これは能力別クラス編成である。
一、起源及び組織
186 ケンブリッジ・プランは1891年にマサチュセッツ州ボストン市に隣接するケンブリッジで始められた教育制度であり、別名ケンブリッジ複線案Cambridge double track Planとも呼ばれている。
マサチュセッツ州の小学校の課程は9年であるが、ケンブリッジ・プランではこれを二つに分け、最初の3学年は通常の進級法を用いるが、第4学年以上はこれを(甲)通常課程Regular
Courseと(乙)短縮課程Shorter Courseとに分け、(甲)は第四学年以上に6年を費やして全課程を9年で修業するが、(乙)は優秀児童を集め、第四学年以上を4年で修了させて全課程を7年で卒業する。そして(イ)君は初め(乙)組に入ったが後に成績が不良であることが判明して第五学年の終わりに(甲)組に移し、また(ロ)君は初め(甲)組に入ったが、その後の成績が優秀で、第六学年の終わりに(乙)組に移し、こうして(イ)(ロ)両君とも全課程を8年で卒業する。即ちケンブリッジ式では在学期間が7年、8年、9年の三種が生ずる。
このプランは以上のように修学期間を伸縮できることから、伸縮組織Flexible Systemとも呼ばれている。この伸縮組織を行う理由は、児童の能力差が厳然としてあることである。このプランはほぼ同じ能力の者をまとめて組み分けして能力に応じて課業の進歩を変えるから、能力に基く編成である。ただし各級間の出入りをなるべく自由にして成績の進歩によって移動を容易にしている。また地方によっては学科ごとにこういう移動ができるようにしているところもあるが、それは煩瑣であり、また(交換する)一定数ずつの者がいなければできないから、大きな学校でないとそれは難しい。
187 以上は課業(の量)が同じで進度に遅速をつけるから修業年限に長短を生ずるが、修業年限を同じにして課業(の量)を制限をする一種の伸縮組織も行われている。これも能力によって組み分けし、優等の学級では所定の課業が早く済むので、付加教材を課している。ただしその付加教材は全然違ったものではなく、同じ基礎の上に築かれる教材を用いる。これに反して劣等の学級では所定の教材の中から必須のもの、基礎的な事項を選んで十分に咀嚼させる。この組織では修業年限は伸縮しないが、教授事項に増減を施すことから一種の伸縮組織である。前者は教科の課業は同じだが年限で伸縮し、後者は年限は同じであるが教授事項で伸縮する。
188 ケンブリッジ・プランの出現の背景 理想の学級組織は一定のグループに属する全児童がほぼ同年齢であり、かつ学業に対して同等の能力を持っているということである。そして「進級組織」が望むことは、一グループの児童がほぼ同等の学力を持ち、一定の課程を一定の割合で一貫して進歩することのできる才能を持つ児童だけを一団とすることである。だから学級編成や進級は、児童を教授する際に起る種々の問題の中心点となる。従来の学級組織の画一性は学級組織の融通性を欠き、一定課程において所定の学年から他の学年に進級させる際に大きな窮屈を感じている。
しかし一グループの等質性は厳格には求めることができない。現実にはほぼ等質であることを期待することしかできない。即ち通常の児童の中で全児童が同率の進歩をすることがないことは事実に照らして明らかである。ケンブリッジ・プランはこのような見地に立って、児童の「個性」に適する学級編成をしようとしたのだが、この案の過去17年間の統計によれば、グラマースクールGrammar
Schoolの卒業生1203名の中で、六学年(Lineal(正統の)Grades)を4年で終了した者は7%、5年で終了した者は28%、6年で終了した者は50%、7年かそれ以上で終了した者は15%であった。
1910年、ケンブリッジ・プランはさらに変化し、通常課程の一学年から七学年までをそれぞれ3段に分け、八学年を2段に分け、こうして全課程を23段に分けた。
またこの通常課程と並行する短縮課程も同様の趣旨に基き17段に分けた。このような変化の目的は、一課程から他の課程への移動の機会を多くすることによって児童の進歩に応じられるようにすることであった。
ケンブリッジ・プランは種々の学校によって種々の変容を加えられて採用された。その変容されたプランのうち学校制度を記載した文献に現れるプランは次の通りである。
・レマールズ・プランLemars Plan (Le Marsル・マーズ)
・オーデボルト・プランOdeboed Plan (Odeboltオデボルト。人口996人のアイオワ州サク郡の都市。)
・ポートランド・オレゴン・プランPartland Oregon Plan (Portlandポートランドはオレゴン州の最大の都市。)
レマールズ・プランはケンブリッジ式をやや変化させ、ケンブリッジ式の第四学年以降の特徴を第一学年から適用する。これは米国アイオワ州レマールズで行われたもので、最初から優劣に分け、優等児童には初めの3年の課程を2年で修了させ、優等児は6年で全課程を修了する。3年ごとに短縮課程に入らせたり通常課程に復帰させたりして、児童はその資質に応じて6年、7年、8年、9年の4通りに分かれて卒業する。
二、批評
ケンブリッジ・プランの欠点についてケンブリッジの教師は次のように言っている。
(一)少数の生徒のために多数の級を設けること。
(二)必要な系統的訓練を欠くこと。即ち早く進級させようとするためになすべきことを十分になさず、また十分熟練する暇がないこと。
(三)優等生だけを選ぶために残る者は劣等生だけになり、教師が教えるのに困難を感ずること。
(四)一年進級制は不可であり、半年進級制がよい。
しかし最後の(四)の欠点は1910年の改良によって除かれた。
第六節 ノースデンバー・プランNorth Denver Plan
感想 意味の分からない日本語表現が多い。筆者はこのプランの特徴が何かを絞り切れていないのではないか。節全体の長さも短く2ページ半しかない。
アメリカでは第五節ケンブリッジ・プランのように能力別学級編成もあり、一人一人の個人を尊重する授業が望ましいとする説もあり、さまざまであるが、能力別学級編成を批判する意見が根強いように見受けられる。この節も能力別学級編成を批判している。第一節のドルトン・プランも第二節のウイネツカ・プランも第四節のバタビア・プランも個人を尊重する。
一、起源及び組織
190 ノースデンバー・プランはマサチュセッツ州スプリングフィールドの督学官ゼームス・エッチ・フォン・シツクルG. H. Von Sickleが、コロラド州のデンバーのノースサイドスクールThe North Side School of Qeuver, Calorado
(QeuverはDenverか。CaloradoはColoradoの間違いだろう。)の督学官であった時の1895年に考案したもので、主として「グランマー・グレード」で学級管理上「大なる順応性」を現わすために考えられたものである。
即ち下級(生)では短期の「変化ある」(様々な)学期を設け、上級生では半年制の学期を設ける。(児童の)個性に適応するには、学級内における(能力別)「等級」の機械的方案は生徒の個性に応ずるものではない。児童は各種の事情を異にしているから、(個人の平均は(能力的に)大差ないが、(意味不明))これ(児童の各種の事情)に応ずるようにしなければならないとする。この案の方法としては、
(一)生徒の時間を最も有利(有効)に使用させること、
(二)与えられた時間に何をするのがより良いかを決定するには、(児童が)教師と協力して自身の判断力を養成すること、
(三)不得手な学科に対して十分努力すると同時に、得意の学科をさらに助長させること、
(四)学校での学習時間を多くして、(児童を)学校に放課後残らせないようにすること、
(五)(学習が)特に「進んだ者」に、その進んだものをよく徹底させること、
(六)(児童の)能率を上げかつ知識を進歩させるためには、得点を与えるとか、特別の席を用意するとか、賞品を与えるとかではなく、自分の力で優秀となったと自覚させ、一層奮発心を喚起することである。
要するに個人の創造力と責任感を発達させ、あることを成し遂げたとき、あるいは終わった時に、これに対して正当な判断をさせ、独力で事を処理する習慣をつけさせようとするものであり、即ち自覚(自学)自習的な方法を取ろうとするものである。
一般普通の(教授)方法では教師が全てを行い、そのため児童にその真価を発揮させる余地をなくしている。だから時には教室が運動場よりも教育的価値がないこととなる。換言すれば児童は学校の教室ではただ教師によって発達させられていて、運動場では自ら発達している。このようなやり方は間違っていて、教育上最も大切なことは自己活動であるとする。
191 実施方法 全児童が保持(学習)すべき全学習に最低限度(の量)があり、これを終わった後は一定時間特別の学習をさせ、優秀の児童には「自然に生じる不十分の教科」を学習させたり、特に書物を指示したり材料(教材)を蒐集したりしてさらに深い研究をさせる。各教室に50部ないし70部の精選された図書を備え付けている。復習が終わった児童は劣等児童の補助をするために再び(教室に)呼び戻されることもある。
このようにいつも為すべき仕事に責任を持たせる。もしいつでも責任を守らないときは普通学校を終了する能力がなかったものとしてこれを取り消されるなど、種々の方法で児童の判断力や責任感を発達させようとしている。
このプランの特徴は学習を無理に強制して早く進ませようとするものではない。学級は各人に適する新しい学習を授けようとする。新しい学習は初めは全体として、その学級と共に進ませるので、ある一人の者だけが早く進むことはなく、ただ量を多く学ぶだけである。即ち優秀児には広く深く学ばせる。早く学年を経過することは児童の利益とならない。
二、批判
192 要するにこの案は児童に「各方面で通暁させようとする」ものである。そして(児童が)特に得意で好きな学習を愉快に学ばせる。
その方法は決して家庭学習を要求せず、劣等児の救済に努め、児童の潜在力を引き出すことに努める。また優れた者はその能力を調査して「いつでも進級させる。」またある(優秀な)者には自由な学習をさせる。即ちこの案は全ての児童を「奨励(督励)する」ものであり、一部の者だけを鞭撻するものではない。そしてこの案は児童が得た能力を社会に出て十分活用できるように心がけている。
このようにこの案は学級編成上優れた多くの点を持っているが、この案の実施上で困難とする所は教師の修養が足らぬことである。今日の師範学校では全ての生徒は同時に同じ仕事(課業)をするものと教えられてきたため、彼らには学級一様class uniformityではなく、学級統一class unityができることが分からない。このような困難はあるが、この案は学級一様を破って学級統一を行おうとするもので、こうした方法で教育すれば、希望に満ちた児童がその精神的財産を増し、創造力や責任力を陶冶し、最近の学校が苦心しているところの真の力を(児童に)与えることができるという。
第七節 マンハイム・システムMannheimer Lehrsystem
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典によれば、
1901年ドイツのマンハイムの視学 J.ジッキンガーによって創始されたフォルクスシューレ(英語表記ではMannheimer Schulsystem)の学級編成法。当時ドイツでは,フォルクスシューレの最高学年まで到達する児童は全体の4分の1ぐらいで,残りの4分の3は途中で脱落した。脱落の原因には,教育課程のむずかしさ,児童労働,欠席,転校などがあるとされていた。これに対しジッキンガーは,問題点はむしろ学校が児童の学習能力上の個人差を無視して画一的な教育を行なっていることであるとし,学習能力別に多元的な学級編成を実施した。この計画は十分な成功を収めるにはいたらなかったが,ジッキンガーの個人差への着目は,その後の教育に重大な影響を与えた。
感想 この節も分かりにくいが、「個性」を尊重すると言いつつ、この個性とは能力を意味し、能力主義的学級編成を主唱している。
一、沿革及び組織
各児童の能力と「勢力」に適応した教育を施し、児童にその「自然の個性」に適した発展を遂げさせるためには(従来の)学級編成法を改め、各種の学級で異なった教授細目を編成しなければならない。個性に適応した教育を施すためには、年齢を基準にして学級を編成するのではなく、児童の理解力や能力によって編成すべきであるとする。
193 マンハイム・システムはジッキンゲルによって1901年の学年の始めにマンハイム市の小学校で実行された能力別学級編成の計画である。
系統表における略号
甲 主級系 7学年程もしくは8学年程。
乙 進級系 5学年程もしくは6学年程。
丙 補助学校 4学年ほど。
丁 白痴教育所
文 文科中学
退 退学級
実 実科中学
予 予備級
業 実業学校
進 進級
徒 徒弟学校
復 復習級
第一、復習級
194 病気やその他の事情でしばしば欠席したために、または低能のために、例えば第一学年の課程を修了できなかった者は、第二年目に再び原級に留め置かれるのではなく、特別な学級つまり復習級に編入される。この学級では児童数は少なく、多くても35人を越えない。他の学級と離れて熟練した教師が担任し、教授をできるだけ個人的に行うために、教授時間を適宜斟酌できる。通常2組に分け、低能児を甲組とし、そうでないものを乙組として教授する。その方法は、三種の教授時間に分け、第一種は甲組だけを教授し、第二種は乙組だけを教授し、第三種は甲乙を合わせて教授する。一復習級の教師は毎週26時間教授し、そのうちで生徒は19時間半教授を受ける。(意味不明)
教師は各児童をできるだけ「個人的に」扱うための正当な根拠を得るために、児童を復習級に編入する前に担任していた教師から一定の形式に従って個性・成績等についてあらかじめ詳細な報告を受け、また家庭の事情や従来の教育方法等を調べている。
復習級における教授課程は大体普通の学級における場合と同一である。学年の終わりに及落を判定する際に次の四項目に分けて審議する。例えば第一年級の児童ならば、
(一)第一年級の課程を修了し、しかもその成績に疑問を生じない者は、次の学年には普通の学級の第二学年級に進級させる。その後(その児童が)通常の成績を得る限りは、普通の学級に留めて教育する。
(二)第一年級の課程を修了したが、まだ特別級において教授を受けさせることが得策である者は復習級に編入して教師も持ち上がりとする。
195 (三)第二年目において、しかも特別級でも、第一年級の課程を修了することのできない者については、その原因が児童の精神的欠陥(低能)に基かない者は、もう一度原級に留め置く。
(四)(その際)低能な脳のために不成績を示している者は、校医と学校長の試験によって補助学級に編入する。そしてその補助学級においてもまだ陶冶の見込みのない者は、公立学校から分離して白痴教育所に入れる。
それ以外に病気や旅行などのために学業が遅れて復習級に入っても、同一年齢に該当する普通の学級に編入して差し支えない能力を現わす者は、学年の途中または学年の終わりに普通の学級に移る。また能力が薄弱なために幾人かの生徒が長く復習級に留まっていることになれば、「復習級」という名称は適当でないので、第5学年からは「進級」と名づけた特別学級の系統を設ける。
第二、退学級
退学級は復習級の続きかつその補修と見るべきもので、(何かの理由で)小学校(修了)の目的を達することができず、第五・第六・第七学年等で義務を完了(終了)するに至る(せざるを得ない)児童のために設けたものである。従来の組織では第五・第六学年を修了しただけで退学する児童は、最後の教学年の重要な知識を修めずに退学することになるので、そのような児童は第四学年から第五学年に進むときに退学級に入り、第五学年から第八学年までの教材の中で最も重要なものを学習する。
第三、補助学級
補助学級は低能児童のために設けられた学級で、通例、通常学級の第一学年復習級の初級から始まる。補助学級における教授は個人的教授を主とするから、児童数の最大限を20人と定め、数組の児童に同一教科を同時に授けている。手工教授は重要な要素である。
196 その他この組織はギムナジウム、レアルギムナジウム*、オーベ、レアルシューレ*などの中等学校に進む者のために「予備級」を設けたが、それは多くの人の賛成を得た。この予備級に入る時期は第二学年の終わりからであり、「適当な」児童だけが編入される。
*レアルギムナジウム ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ドイツの高等学校の1種。9年制で、1882年、第1級レアルシューレを転換して設けられたもので,ギムナジウムがラテン語,ギリシア語の古典学習を重視するのに対し,ギリシア語の代りに現代外国語を履修するほか,数学,自然科学の学習にも重点をおいた。 19世紀末には,さらにこの傾向を強めたレフォルムレアルギムナジウムが設けられたが,1930年代を境にその普及度は停滞し,その後はむしろレアルギムナジウムのほうが発展の傾向を示している。
*レアルシューレ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ドイツの中等学校の1種。実科学校と訳される。中級技術者,公務員などを養成する6年制の中等学校。 1706年 C.ゼムラーがハレに設立した数学と機械学を中心とするレアルシューレが最初のものといわれ,9年制のギムナジウムに代って普及し,その後諸外国の教育改革のモデルとされた。卒業者には中間成業証 mittlere Reifeが与えられ,直接社会に出るほか,進学準備機関であるギムナジウムへの転学,さらには職業経験を経て上級の専門職業教育機関への進学の道も開かれている。カリキュラムはアカデミックな教科目のほか,実務的な教科目を重視している点に特徴がある。
二、この組織の特徴
(一)この組織で注目に値することは、原級に留め置いて単純に同一のことを繰り返すことを避けられることであり、前学年で学んだことを応用の形で復習させることができる。
(二)能力の近い児童を集めて学級を編成するために教授上便利である。
(三)特殊学級の児童は教師の熟練した注意と愛情によって鼓舞奨励され、そのため注意と熱心とを喚起され、あることを成し、ある価値を持つという感情、つまり従来の学校ではかつて経験しなかった幸福な感情を持てるようになる。
第八節 ニュートン・システムNewton System
感想 ニュートン・システムは補助教員が教室内で困っている生徒の個別指導を担当するバタビア・プランとよく似ているが、このニュートン・システムの前身として紹介されているピュブロー案は全くの個人指導であり、教師による教室での一斉指導はない。
一、起源
ニュートン・システムはピュブロー案Pweblo plan*に近いから、先ずピュブロー案について説明する。
197 ピュブロー案はコロラド州ピュブローで約30年前(1902年ころ)に督学官プレストン・アイサーチ(『理想の学校』の著者)によって発達された。
*ピュブローはWikiでは「プエブロPueblo」発音はプウェブロウ
これは「学級教授」(学級での一斉教授)の価値が発見される以前に長く行われた「個人教授主義」の再現に近い。即ち児童はその教科が完了すれば随時進級させられる。この個人的教授法は19世紀の後半にスコットランドの最も優れた学校で採用されていた。この案の特徴は児童ができ、またできると考えるにしたがって学習を進めていき、教師はこれを指導するにすぎない。即ち著しく個人的学習を重視し、「学級教授」として教師が全体の児童に一斉に授けるのは、大体の指図や説明と難解な個所を補助する程度で、各自の学習修得は各自の自学に任せる。ちょうど我が国で以前に行われた寺子屋教育のように、また現に「単級学校」(小規模校での複式学級か)で児童の課業を主たる部分としているのと同じである。
この案は中学校でも採用されたが、中学校では1日を6単位(各1時間)に分け、毎日体操を、隔日に手工を課し、1日に4時間半学習させる。これは下級では教師が指図するが、上級では生徒の自由に任す。時間割はあらかじめ定めず、教師が随時これを定める。学科は作業を多く課す。初年級では「幼稚園の方法で」教育する。小学校では多少これと異なるが、大体同一である。
この案は劣等児にとっては都合のいい案であるが、その利点をサーチは次のように挙げている。
(一)健康上有効である。(体育を重視し、作業を多く課するからである)
(二)独立自尊の念を養い、すべてのことを自分で行うこと。
(三)仕事を完全にかつ十分に行うこと。
198 (四)仕事に熱心であること。
(五)元気いっぱいに働くこと。
(六)各々が好むものをさせること。
教師の資質については健康で学力豊富かつ注意深い人である必要があると言っている。
この案が非難されている点は、個別的学習に偏し「学級教授」の精神を失っており、児童が学習の刺激を教師から受けないことである。「学級教授」では児童の学習は教師によって指導・促進される。それが十分に徹底されるかどうかは教師やその方法によるが、教師の教授力が優れ、教師が同情に満ちた人ならば、子弟は刺激を教師から受け、その学習も進む。ところがこの組織ではほとんど全部を児童の自学自習に任せるから、教師はただ各児童の力が及ばない点を補助するだけであり、個人的方面が注意される利点はあるが、ややもすると放漫に流れ、子弟が教師から学習の刺激を十分に受けないという弱点がある。その上この方法は遅鈍な児童のために力を籠めるから、優良な児童の進歩がなおざりにされるという弱点もある。普通の学級授業でも優等生は多少無聊(ぶりょう)を感じ、倦怠を生じ、その力を引き下げられる恐れがあると言われているが、それにも増してこの組織は「不平均」にする。
二、批評 (「批評」というタイトルだが、ここではピュブロー案の欠点を補うニュートン・システムを紹介している。)
ピュブロー案は極端すぎて実際には実行を期しがたい。ニュートン・システムNewton Systemはサーチの考えを実現することにほぼ近く、1904年マサチュセッツ州ニュートン市でスポールディングSpauldingが始めた一種の学級編成法である。
*ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典やWikiには以下の説明があるが、この人かどうかは分からない。
スポールディングSpaulding, Edward Gleason 1873—1940 アメリカの哲学者。新実在論の立場に立ち、プラグマティズムに対抗。主著 “The New Rationalism”1918
199 この案(ニュートン・システム)では普通の「学級教師」Class Teacherの外に、数学級につき一人の、学級担任をしない教師Unassigned
Teacherを置き、この教師が、数学級から集まって来る「特別児童」に個人教授を行う。この点では、ピュブロー組織程個別的でなく学級教授の意義を発揮しながら個別的見地も顧慮するバタビア・プラン182に似ているが、バタビア・プランのように教室の中で補助教師が活動しないから、他の児童の妨げにならない。
この案の欠点は学級教師と補助教師との間の連絡が困難であり、補助教師は各学級児童が常に交替するから愛情が十分にならない傾向がある。またこのような経験のある教師を得ることが困難である。(ニュートン市では師範の優等卒業生を採用し、却って経験のある教師より良いと言っている)
ニュートン・システムにはいろいろの欠点もあるが、特別の児童に対して十分指導することができる点がその特色である。(ニュートン市では中学校でもこのような補助教師を置いている)
第九節 セントルイス・プランSt. Louis Plan
感想 これは一年進級制ではなく学期進級制であり、優秀者には有利な制度である。
もともと歴史的には個人指導制であり、後に学級指導制となったが、その弊害が現れて、個人指導制の長所を採り入れようとする歴史的な過程があったようだ。
一、起源
セントルイス・プランは1868年にウイリアム・テー・ハリスWilliam
T. Harris博士がセントルイスSt. Louis市の公立学校の督学官Superintendentであった時に創案したものである。
*William Torrey Harris1835—1909はアメリカの教育者、哲学者、辞書編集者。セントルイスで督学官superintendent of schoolsを勤め、公立幼稚園を建設1873し、公教育としてのハイスクールを創設した。Wiki
彼は(督学官として)1868年から1880年まで在勤し、それから1889年まで合衆国教育委員United States Commissioner of Educationを勤めた。セントルイス・プランは従来の「等級学校制度」Graded School Systemに伸縮性を与えた。(「等級」というのは1年という等しい期間ごとに進級するという意味らしい。)
200 もともと古い時代の教育は個人教授であったが、次第に今日のような「等級学校」が一般に行われるようになり、19世紀の中ごろからは個人教授は廃れてきた。しかし等級学校制度も次第にその弊害が現れたために、従来の個人教授の考えが取り入れられ、改善されるようになった。そのようなときにハリスは新しい主義主張つまり学校はそれを構成する個人のそれぞれの異なる要求に応ずるように組織されるべきであることに注意して、伸縮性に富みしかも生徒の教育に適した短期制組織Short Interval Systemを提案した。有名なバタビア・プランはこの30年後(1898年181)に現れた。
この案の特色・長所については、彼の報告書(1868—1869, 1871—1873) の中で論じられている。なおハリスはその計画案について1872年の国民教育連合会の会合The
National Education Associationで発表し、さらに1874年にはこの案の詳細な説明を報告している。即ちそれは「等級学校における学級期間」“Class Interval in the Graded Schools,” Proc. N.E.A.である。(Proc.とはproctor代理人か。)
二、組織
従来の進級法は普通年1回であり、(この進級法は)米国では過去三、四十年間(1892年――1932年)に渡る一大問題であり、1870年以来諸方で行われ、今日もなお多くの都会で行われている。「一年期間進級制」に対して論議されている。一時は「この新しい案」が多く受け入れられたが、またその欠陥も指摘され、多くは多少の修正が加えられて米国で流布した。即ち「等級学校」で優劣児童共に不利益な結果を示した。故にこれらの進級制度に注目して学級組織が改造された。
201 次にこの(セントルイス)案の要領を述べる。生徒が短期間に進級することによって利益がもたらされる。第一学年から第八学年までの各学年の教科を数学期に配当し、一学期の期間を5乃至10週間とし、生徒の能力に応じて次から次へと進級させる。こうして児童は学級の中で順調に進むことができる。そして各学期の終わりに新学期が編成され、次の高い程度の学期に進められる。従って優秀な児童は困難なく学期ごとに進級して友達を抜き、短年月の間に卒業する。即ち進級する者は一学期ごとに進み、進級できない者も単に一学期(5乃至10週間)分遅延しただけで、他の学級から来た児童と新たに学級を構成するから、わずかに(5乃至10週間)進級を引き延ばしたことに過ぎない。
一学級を生徒の能力によってABCDの4組に編成し、全学級の生徒数が少ない場合は一人の教師が担任し、多数ならば二人の教師が担任する。従って一学年は各学期に分かれて教科の進度によって4つの異質的学級――3学期を終了した者、2学期を終了した者、1学期を終了した者、まだ1学期も終了しない者――に編成され、8学年全体で32学級になり、種々な段階にある生徒に適合して個々別々の教授上の指導を行うことができる。ここに個性に即そうとする意図がうかがわれる。
三、批評
長所 ハリスの詳説を要約すれば次の通りである。
(1)落第による時日の損失を減少する。
(2)秀才児童の能力を抑圧することがない。
202 (3)出席の差異によって按配できる。
(4)劣等生もたびたび後から来る優等生に追いつかれ、その進歩の中で自分だけが停滞していると認識し、奮然努力するようになる。(逆にめげてしまう者も出て来るのではないか)
(5)(2)に関連して、優秀児童は出来る仕事(課業)を続けて進むことができるので、従来のように足踏みをしてとどまることがなく、怠惰の習慣に陥るのを防ぐことができ、仕事(課業)に興味を持ってそれに没頭し、不注意・不活発に陥ることがない。
(6)しばしば行われる進級は全ての児童に対してでなく、ただ特に優れた児童に対するものであり、中等者も優秀者の進級の当座は優組となり、劣等者も一時は中等組となる。(落第等により)上級で常に人数が少なくなる弊害を正し、学級人数を均衡にすることができる。従って学級編成上有利である。
短所
(1)教師をしばしば交替するために訓育上「面白くない」結果が多い。
(2)実際は教師は優等生の開発に関心があって優等生にその主力を注ぎ、劣等生の救済指導が等閑になりやすい。
(3)もし中等学校で1年に一度の進級をすれば、上級はこれに適するように編成しなければならない。(意味不明)
この案は独創的であったが、実際上はこのままの形では困難だったようだ。しかし従来の伝統的な形式的画一主義から脱却し、「個性」に即したより良い教育を行おうとした点では賞賛すべきであり、この考えや見方は後の多くの修正され改良された形の新教育案を生む根源となった。ハリスも言うようにこの案の二三の短所は、児童の欲するままに進ませることに比べれば何でもない。
203 この案の効果はセントルイス市やカンサス市で実験したことによって証明することができる。しかしそのいずれでも多くの遅滞者がいることは事実である。また学級管理上では未だ完全に学級の痕跡が残り、後の無学級制Ungraded School Systemに至るまでに多くの過渡的時代を経過せねばならなかった。なおアメリカ合衆国の教育界でも、この短期進級制度に対して、多くの督学官の中でも教員の中でも、賛否が分かれている。しかし今日から評すれば後のエリザベス・プランと共に短期進級制は一般に注目され、米国では教育制度の一原則となっている。
第十節 エリザベス・プランElizabeth Plan
感想 これは日本で今やっている習熟度クラス分けと同じであるが、英語だけでなく、全教科に及ぼしたものである。
一、起源
米国における新しい学級編成の祖ハリス博士のセントルイス・プランに多少の変更を加えたものがこのエリザベス案またはセアラ―案Shearer Planである。即ちこれは1886年、W. J. セアラ―W. J.
Shearerが前述のセントルイス・プランを派生的に改変して得たものであり、これをエリザベス市で行ったためにその名称が取られた。
しかしセアラ―は初めペンシルバニア州のニューカッスル市で督学官であった時にこれを考案し、それをニュージャージー州のエリザベス市の督学官に転じて来た時に実行した。しかしこの案は同地でも十分に実施されず、間もなく中絶された。今日ではそれが改変された新しい教育案が行われ、セアラ―案は過渡的な一形式、歴史的存在として見られているに過ぎない。
二、組織
204 第一学年から第八学年までの各学年を3組ないし4組に分け、各組はそれぞれの生徒の能力に応じて等質的な組み分けを行って教授能率を上げようとすることがこの案の目的であった。従ってこの各組でできるだけ多く修学させ、随時進級させる。従来の案と異なり、各組の学習教授の進度は自由であり、進級試験を用いず、その能力がさらに上の組の仕事(課業)をなすまでに向上したと認められてから進級させる。その(進級判断に用いる)標準的学科は、下級では読み方や数え方であり、上級では国語や算術であり、それらの学科の能力で進級させている。セアラ―はこれについて詳細な説明をするために“The Grading of Schools”1889を著した。
三、批評
長所 この案の創案者であるセアラ―によれば、
(1)学級の改造(成績による児童の選別)をしばしば行うから、従来の一年進級制の等級学校の弊害であるところの児童の卓越性の犠牲を予防する。即ち同級生より進みの早い生徒は上の組に、遅い生徒は下の組に編入される。
(2)児童を能力に応じて比較的等質の一組10人ないし15人の単位に組み分けするから、教授がより良くなり、個々人に徹底できる。
(3)児童各自の進級はその能力によるから、児童は皆希望を持って学科に熱中している。(本当か)例えば、グランマー・スクールの最上級の42%が現在の課程を3年間で修学し、ハイスクールでは4年のもの(課業)を3年で修了することができた。またこの案を実行した第一学年の終わりに、ハイスクールの下級の45%は1年の仕事(課業)の1/4ないし2/3の時間を利した(節約した)。しかもこの場合教師は特別指導をしなかった。
205 この案を実地に経験したことのあるホルムスW. H. Holmes*によれば、この案の長所は、
イ、この案は前述のセントルイス案199と根本的な相違はなく、その長所も大体そのまま適用される。
ロ、特に能力の優れた生徒の迅速な進歩が可能であり、俊才の啓発と発展に大いに貢献できる制度の一つである。
*William Henry Holmes 1846—1933 かも。ホルムズはアメリカの探検家、人類学者、考古学者、芸術家、科学画家、地図製作者、登山家、地質学者、博物館学芸員。オハイオ州ハリソン郡カディズKadizの農家に生まれ、1870年、オハイオ州のマクニーリーMcNeely普通学校を卒業後、短期間その学校で教師をした。Wiki
短所 ホルムスによれば、
(1)セントルイス案と同様な欠点はその本質上免れない。
(2)優等生はもちろん「皮相的」優秀者にも、急速な進級を強いられる恐れがある。
(3)優等生だけに全力が注がれ、劣等生が閑却されがちである。
(4)教師の力を諸方に分けることができるため全体に児童の成績がよくなり、また区分が多いため教師が過労になり、十分注意する暇もなくなって皮相的な観察をするため、往々にして実力のある児童を見逃す傾向がある。
(5)従って監督が不行き届きとなり訓練が不十分となる。「普通」教師一人の担当可能性は二組とすべきだろう。
要するにこの案は根本においてセントルイス案と相通じ、その長短を併せ持つ。能力に応じて組み分けすることは教授上は極めて良いが、訓育上は幾多の問題がある。また実際上でも、有能な教師でなければ理想的に行うことができない。従って一般的には無理だろう。またこのように多くの組み分けをすると経費が増大する。また教師の教授対象の中心点は優秀な生徒に偏しやすく、遅滞した児童はますます遅れがちとなり、中位の児童は負担過重となり、教授上面白くないと反対する人も多い。これらの欠点はやがて次に来るコンセントリック案にまで変革されていった。(意味不明。コンセントリック案となって欠点が解決されたのか、それとも解決されずに問題点がそのまま残ったのか)
第十一節 ポートランド・プランPortland Plan
一、組織
206 この案は1879年、オレゴン州ポートランド市Portland, Oregonで行われた。この案はその性質・特徴において大体ケンブリッジ案を改変して得られたものであり、ニューケンブリッジ案New Cambridge Planとほぼ同格に置かれる。即ち「学年転移制度案」Varying School Years Systemに属する。
この案では学科の全課程を54の部分Partに分け、その3部Partを合わせて1小(学)期とする。即ち(全課程54部分Partは)18小(学)期に分けられ、その1小学期を5か月でやる。(全部で90か月、1学年を2小学期10か月として9年)正規の進級は各(小)学期末に行われるが、普通の学級のような進級法と異なり、学級の成績点の平均の向上に標準(目標)を置かず、各(小)学期ごとに成績に応じて進級させる。各(小)学期の初めに当たり、この学科課程の同一点に達した生徒をそれぞれの「分団」に分ける。1小学期間中に前述の54部の中の各(小)学科課程の4部Part(普通は3部)を修得する速さで進む「速進分団」Fast Divisionと、同じ時間内に3部しか進まない「遅進分団」Slow Divisionとがある。またケンブリッジ案と同様にその中間を行くものもある。速進分団だけに所属する生徒は7か年で全コースを終えられる。(54/4=13.5小学期、13.5×5か月=67.5か月、67.5/10=7年)一方遅進分団の生徒は10年(1年2小学期分の落第を許容する)で完了し、その中間を行く生徒は9年でコースを終了できる。そして各学年の終わりにその成績の進度によって再び能力に適合する分団に配当される。
二、批評
207 ポートランド・プランは大体ケンブリッジ・プランと同じだから、長所もほぼ同様である。
(1)生徒の能力によって学科課程の年限を異にすることができる。(これは差別的である点で短所でもあるのでは)
(2)優等生には特別の設備(制度)を提供し、劣等生には落第の損失を軽減することができる。
(3)進級の際に従来のものよりも個別的である(個別的配慮をしているということか)ようにしている。
短所
(1)早く進級させる傾向があるため、十分に仕事(課業)を訓練させにくい。
(2)Skipping Class(速進分団のことか)の児童の仕事(課業)が系統的・組織的にできない。(意味不明)
(3)この進級法も1年1回式(1年に1回進級するということか)であり、それは弱点であると言われている。(意味不明)
これらの学級転異案は一学校組織であるが、学科課程の質と量における分科に着目した案とは言えない。(意味不明)
第十二節 グループ・システムGroup System
一、起源
208 このグループ・システムは大学校案Large-School Planとも言われる。リンカーンが提唱して永久不磨の原理となった「人民のために、人民による人民の政治は永劫地球上より滅びざるべし」との根本主義は北アメリカ合衆国の国是であるが、この国是はやがてアメリカ合衆国の教育の根本原理となった。すなわち「教育は児童のためにする教育であらねばならぬ」という原理である。近代教育思潮の一つに児童本位の自学自習主義の「研究的教育」が強く要求されている。従来の教育教授法の改善は行われたが、学級教授では個別的な優等生の開発や、劣等生の救済が不十分であった。また学級教授の標準対象である普通児でも自学自習の研究的訓練が行われていない。この案はこれらの欠陥を補おうとして分団式教授法を提唱し、教授上に一光明を投じた。
元来この案は1909年にニューヨーク市第120番公立小学校の校長オリーブ・エム・ジョンズ女史Mrs. Olive M. Jones*が前述のような要求から、児童の能力によって教授法を異にし、優等児には席上課業(自習)を課して学習法を指導してその能力を十分発達させ、劣等児には個別的に教授してその学習を指導しようとした。従来もこのような考えに基づく方法が教育者間で早くから多少注目されていたのだが、それがとくにニューヨークで成功した。オリーブ・エム・ジョンズ女史はその実施した結果をまとめて「グループ・システムを応用した学習指導法」と題して1910年に出版した。この案はその性質上ニューヨークやシカゴ等の大都会で多く採用され、別名大学校案とも称せられる。
この案はある点でエリザベス案203やバタビア案182と似ているが、古い無学級学校Ungraded Schoolではなく、しかもその特色を最近の学校に応用したものである。この案は優秀児童を特別に保護してその能力を早く発展させるものではなく、劣等児童がその学級を維持して進んで行くことができることを目標とする。故にこの点から見れば、ノース・デンバー案190に似ている。
二、組織
209 分団式教授とは一斉教授を行った後に教授を吟味(テストをするのか)し、必要に応じて(やらないこともあるのか)普通成績の生徒からなるCグループ、優等生のAグループ、劣等生のBグループに分け、優等生には練習問題や席上課題を課して研究法を指導し、劣等生にはこれを分団的または個別的に教授・吟味(分かったかどうかを吟味することか)して学習の補導を行い、教授を児童個々に十分徹底しようとする。この組み分けは生徒の能力を基礎として行われ、その分団の分け方はさらに細かくなっている。この案には固定式分団法と可動式分団法とがある。
(甲)固定式分団法Constant Group System
固定式分団法では分け方が「形式的」であり、児童の分団の所属は一定の期間定まって移動しない。ただし一定期間内に一分団から他分団へ、甲学級から乙学級に進級することもあるが、固定的である。児童はその能力によっていずれかの分団に入れられる。同一学級内に大抵は優劣二分団、時には優中劣の三分団があり、ある一分団は他の分団より教科が進んでおり、他より早く学年の学業を成就する。教科目によって(ごとに)二分団にされ、その分団をつくる基礎は、児童の先天的禀賦(ひんぷ)である。多少理解力や遂行能力などによって分けることもあるが、それは補助手段にすぎない。進級は生徒のよく準備した(理解した)学科だけで進級させ、よく準備されない(理解できていない)学科ではそのままである(進級させない)。この方法ではほとんどすべての教科で分類(分団化)する必要がある。最上の分団にいる者は、ある教科目が不十分であっても高い等級に進む事ができる。このシステムはその一般的目的として優秀児童にその能力ある学科において迅速に進む機会を与えようとする。(リンカーンの平等原則違反ではないか)
(乙)可動分団式Shifting
Group System
210 可動分団式における組み分けは、時々刻々の児童の学習能力・理解能力の遅速によって、つまり児童が新しい点を把握する能力による。教師が選ぶ問題によってまたその認定の程度によって多くの分団ができる。また一定期間児童を分団に固定させておく必要がない。つまり多くの程度によって分けられた学科と同数の分団があり(意味不明)、いつでも進級を行うことができる。この分け方は形式的でなく、甲分団から乙分団への移動は自由である。分団分けの基準は前述の通り先天的禀賦ではなくその時々の児童の進歩ないし理解力・把握力である。つまり課業に精通する確実さ・完全さによる。
ホルムス205によれば、この可動分団式は優良児童を高い学級に進級させることが主目的ではなく、真の目的は優秀児童を十分に働かせるとともに、一般遅滞児童を標準学年に引き上げることにある。固定的分団式が優秀児童を専ら教育対象として彼らをできるだけ早く進級させるのと異なる。
(丙)学年分団式Graded
Group System
この学年分団式は実際的であるため大都市の小学校で実施されている。これは前記二分団式の意向・方法・手段を結合したもので、一学年の児童数が多いことを必要とする。即ちある学年の児童を固定分団式のように優等生組、普通生組、劣等生組に分けた後で、各組内で可動分団式の分け方をして教授する。具体的事例を上げれば、第四学年の児童数を126名とし、その中で45名が優等生、51名が普通生、30名が劣等生とすれば、一学年で3組が編成される。優等生組は固定分団とし、教授速度も他の二組に比べて迅速で、予定よりも早く終了することもあり、また「特別進級」もされるが、組内部では可動分団式である。普通生組は固定分団式であるが、組の内部では可動分団式であり、教科目を十分に教え込む。劣等生組も固定分団式であるが、内部では可動分団式に区別され、課程の最小限度を修了すれば、普通生組と同様に次学年に進級させる。
211 分団組織の方法 先ず新教材が全体として当該学級(学年)に提示(教授)され、つぎに簡単なテストを実施して新教材が会得されたかどうかを検査し、第二の試問で前の学科を会得できなかったとされた者はB組とし、これを十分に会得したとされた者はA組として更に進んだ学習をさせる。B組にはさらに教授を行い、また試問をする。そこで不合格の者はC組とする。残りのB組にはA組の作業をさせる。C組には新しい作業をさせ、C組が十分修得した時全体が集められ、他の新教材が提出(教授)される。
三、批評
(1.2.3.が示されていないが、後に4.5.が出て来るのでそれに合わせて)
(3.固定分団法式の長所と短所)
長所
(1)経済的である。優良児童は早く進級するから下(上)級の室を新入児童(用)に利用する事ができる。こうして室と「教師の不足」を少なくすることができる。
(2)優良児童は「時間に注意されない」から仕事(課業)に多くの興味を持てる。
(3)スカラーシップScholarship(奨学金制度)の標準化が進められ、高学級の人員が多くなる。
(4)分団が小さいから特別の教科で(習得が)不十分な者を個別的に指導することができ、このような(劣等)児童をその学級と共に進ませることができる。
短所
(1)等級(学級Grade)を早く通り越す者は、空想的となり、着実な考えがなくなり、また児童の健康を害するきらいがある。
(2)固定式の方法では教師が児童に対する個人的接触を失わせる恐れがある。
212 (3)知識の分量が進級の標準となり、査定や試験がこれを強いる(増幅する)嫌いがある。
(4)遅滞児童は往々にして誤解され、軽視される傾向がある。
4.可動分団法式の長所と短所
長所
(1)どんな児童も軽視・排斥されることがない。優等児童もその仕事(課業)を十分に行うことができる。
(2)(優等児童は)研究の方法を学び、その習慣をつくることができる。
(3)遅鈍な児童は教授に多くの時間を取り、「等級」に引き上げられ、優等児童と共により高い学級に進むことができる。
(4)どんな児童も教師から個人的注意と教授を受けることができる。
(5)教科によっては分団を必ずしも必要としないから、ある教科は全体で教えられ級単位で評価されるという利点がある。分団組織を取る場合、(分け方の基準となる教科は)普通、読み方や算術や文法である。
欠点
(1)このプランは以上のような煩雑な手段・方法を取るため、極めて優秀な教師でしかも十分技術的に習熟した人物が要求されるが、実際このような人を求めることは極めて困難である。
(2)生徒の能力を正確に計測することは実際困難である。
5.学年分団法式の長所と短所
これは前二者の混合型だから両者の長短を相殺して比較的妥当な点を多く持っていると言える。
学級教授に個別指導を加味して教授の徹底を期することは教授本来が任務としてきたことであり、古来教育実際家が着眼してきたことだが、それは教授者の主観的着想に止まり、客観的具体的方法論を持つに至らなかった。これをやや完全な一系統に編成したものが、バタビヤ・システム182と本節のグループ・システムである。このシステムに対する主な非難は、実行上の問題であり、例えば、席次の決定が困難であること、学習材料の配列の困難などである。もしこれらがよく(解決)できなければ、児童に怠惰の習慣を生ぜしめるだろう。それに反してよく困難を克服できれば、良い習慣をつけ、独立で仕事(課業)を行う力を与えるだろう。
213 日本でも一時兵庫県明石女子師範学校や奈良女子高等師範学校などで分団教授が試みられたが、以上の案を本として立案された。しかし種々の事情のため、それが完全に実行されて予期の結果を収めたかどうかは不明である。なおこのシステムは教育の学校管理上の見地からしても、完全な個人教授とまではなっていない。即ち何らかの形で学級の形式は脱却できないが、個人教授の典型的形式であるピュプロー案196やニュートン案196などの先駆をなし、それらへの一過程をなしていると言われる。
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