2020年6月22日月曜日

旭ヶ丘の「白虎隊」 京都旭丘中学事件 臼井吉見 1954 「文芸春秋」にみる昭和史 1988 要旨・抜粋・感想


旭ヶ丘の「白虎隊」 京都旭丘中学事件 臼井吉見 1954 「文芸春秋」にみる昭和史 1988


私は旭丘というと名古屋の旭丘高校のことかと思っていたら、京都の中学だということを、恥ずかしながら、初めて知りました。この臼井吉見さんの一文やウイキペディアの「京都旭丘中学事件」を読み、この事件にすでに全共闘運動のさきがけみたいな雰囲気があることに気づき、もし、私がこの事件の当時者だったらどちらにいただろうか、それまでのいきさつ次第で、どちらにでもついていたかもしれないなどと想像しながら、無定見な自分を恥じるばかりだ。読んでいてまた憂鬱な気分になってしまった。
臼井吉見さんは、ウイキペディアで見る限り、左翼運動にかかわった人ではないようだが、旭ヶ丘中学の教育を「観念が先走りしている」*と評しているが、傍から見ればそうなるのだろう。しかし、観念のない運動などあるのだろうか。
*正確には「事件の根本は、複雑な国際政局のせめぎ合いのなかにある平和擁護のスローガンを、観念的に義務教育のなかに持ち込んだところにある。」277
 問題の発端は「父兄」の批判だというが、その父兄とは恐らく右翼、つまり左翼が嫌いな人なのだろう。もしその批判がなければ、旭ヶ丘中学の教育はそのまま行われていただろうし、そのままでいいのじゃないかと思う。また生徒が作成した学校新聞で、修学旅行の行き先である東京の各名所の批判ばかりしていると臼井さんは言うが、私なら目を瞑るだろう。「偏向」というが、それなら「中庸」な生徒像とは一体どんな生徒なのだろうか。右派の京都勧業館での補習授業と、左派の旭ヶ丘中学での自主管理授業とで、生徒を奪い合い、その生徒数の比がおよそ2対1くらいとウイキペディアにはあるが、それから考えてみると、この運動が決して浮いていたわけでもないようにも思える。
 1954年は、朝鮮戦争1950.6.25—53.7や、サンフランシスコ単独講和1951.9と日本の独立1952.4.28の後で、日本が再び軍隊を持ち始め、右傾化が進行していた時期である。

 三人の教員、北小路昴教頭、寺島洋之助教諭、山本正行教諭を懲戒免職処分にし、警察導入に言及してまで恫喝し強行する手法などに見られるように、弾圧は強烈で、平和教育運動は気に入らない、何としてでも潰してしまえ、という意図が明白だ。要は気に入らないということだ。

ウイキペディアによれば、転補(他の官職に補せられること)と懲戒免職撤回を求める裁判闘争が1974年まで続いたが、最高裁は懲戒免職を認める判決を出した。
1954年3月24日、京都市教育委員会が三人の異動を内示したが、父兄や生徒から反対行動が起った。
結局、懲戒免職対象の三人の教員以外の教員が他校に転勤する(三人は懲戒免職5.5となる)ことで和解が成立6.1した。
教育二法(5.29成立)とは、政治的なデモや集会に公立学校教育関係者*が参加すること、また生徒に参加を呼びかけることを規制し、これに抵触した場合は懲戒処分とするというものである。

ウイキペディアによれば、
臼井吉見1905—1987 小説家、編集者、評論家
長野県安南曇郡三田村(現・安曇野市)出身。東京帝国大学文学部卒業1929、旧制伊那中学教員、松本女子師範学校教員、東京女子大学教員、『展望』編集長、文芸評論家

要旨

276 ぼくが京都の旭ヶ丘中学校を訪れた時期は、京都市教員組合と京都市教育委員会とが第三者の調停斡旋を受け入れ、分裂授業を打ち切った(1954年)5月20日だった。
 ぼくは図書室で北小路昴教頭から話を聞いた。
記者会見が開かれ、寺島洋之助や山本正行教諭から「ファシズムから平和と教育をまもるための父兄大会」が夕方7時半から開かれると聞いて、私は「異様だ」と感じた。
277 山本教諭は「平和を守ることがどんなに大切で難しいことか、生徒も分かったと思う」と述べた。
寺島教諭は「日本国民はファシズムの暴力から平和を守ろうとしている。敵の手段は予想以上に悪辣卑劣である。」と述べた。
北小路教頭は「今日が生徒との最後だなどと考えていない」と記者の質問に答えた。というのは、第三者の斡旋を受け入れる上での覚書に、「京教組は懲戒免職になった三教諭に出校しないようにする」という一項があったからだ。
北小路教頭は続けて「市民として学校に出入できる。教育は教室の中だけではない」と答えた。(これは甘いのではないか。何年ももたない。新しい生徒とのつながりがなくなり、存在を忘れられてしまうからだ。)

ぼくはここへやってくる前から今度の事件の根本は、複雑な国際政局のせめぎ合いの中にある平和擁護のスローガンを、観念的に「義務教育」の中に持ち込んだところにあるのではないかと思っていたが、この見当に誤りはなかったらしい。
 北小路教頭のぼくに対する説明は、「平和教育という名称は偏向教育という非難に対して押し出されたものだ。紛争の平和的解決、社会のあり方、国際協調などを教材にし、生徒に考えさせたい。
278 しかし、現実は、教育予算が限られ、父兄の給料は不況で押し下げられているのに、税金は取られ、再軍備のための費用として流れている。こうして社会の矛盾、政治への疑問に目が向けられ、自覚が生まれる。
 生徒は毎朝新聞の政治面を読んでいる。我々は生徒の考える力を伸ばしてやりたい。」というものだった。
ぼくは「若い教員は生徒の心理を知らないので、偏向教育と言われるときもあるのではないか」と北小路教頭に言ったら、北小路教頭はそれを肯定した。
 問題はそこにある。中学生が新聞の政治面を読んで嘆き憤ることは変態で望ましくない。中学生がそのようなことを自覚するような不幸や矛盾は確かに社会にあるが、子供をそこまで連れて行くのは「別の問題」だ。(ではどういう問題なのか。)

市教育委員会側が「補習授業」を行っている岡崎勧業館を訪ね、指導主事に話を聞いた。指導主事は「旭ヶ丘中学の教育は偏向教育ではない*と市教育委員会は考えている。しかし、誤解を招くようなことがあった。昨年(1953年)12月15日、父兄の有志(=右翼)が、偏向教育が行われていないか、調査・監督を申し入れてきた。そしてその書類には80数項目の具体的(偏向)事例が書かれてあった。(*市教委は偏向教育が行われていると実質的に考えているのではないか。)以下はその一例である。

・校舎建設対策委員会に、生徒代表を、教員、父兄と同等の資格で参加せしめていること
・「左翼文化団体」である洛北民主協議会に、同校の新聞班が、校長の許可もなく、生徒会の承認も経ずに参加していること
・学習教材に「教室内で」「アカハタ」を扱ったこと
・学校新聞が(政治的)時局を風刺したものが多く、「中学生の新聞としては多面的でなさ過ぎること

279 教育長は校長を呼びつけ、教育計画の「整備」、指導方法の「妥当性」、その他を要求した。これが事件のきっかけらしい。

 1953年9月17日発行の「旭ヶ丘新聞」には、大阪で行われた関西平和祭に参加した生徒の手記、洛北平和祭の記事、南山城水害現地ルポ、映画「ひろしま」の解説、東京バス案内などが掲載されている。この東京バス案内はバス・ガールの口調を擬して語られ、現代社会や政治を風刺したものである。「戦争とコカコラが飯より好きだという不思議な国」からやって来た兵隊さんをからかったり、東京中央郵便局については、「ここの待合所は多くのブローカーの無料共同事務所になっております。そして吉田さんがフリゲート艦を貸してもらうために書いた有名な吉田書簡も、ここから出されたのであります」と説明され、楠正成の銅像に皮肉を浴びせ、中央気象台については、「明日は晴天の模様ですが、曇ったり、雨が降ったり、風が吹いたり、吹かなかったりするかもしれませんというふうに、役に立つ天気予報をしてくれるありがたいお役所」という説明が加えられている。国会議事堂については、「ここは国の政治を議するところ、ということに一応なっておりますが、中身は田舎まわりの大根役者やバクチうちどもが集まって、恥ずかしいような漫才や茶番劇をやっています。この間座頭が、バカヤローと怒鳴ったことがもとで、一座は解散しましたが、再び旗揚げ興行が行われることになり、この間中の馬鹿囃子やふれ太鼓によって、きまった一座をもって、相変わらずの漫才やストリップが演ぜられることでございましょう」といった調子だ。
 上野動物園になると、「さっきご案内申し上げた国会に集まる議員さんたちを、この動物園のオリの中に全部収容して、みなさまがたの見物に供しようという国民運動が目下着々と進められ…そうすれば、オリの中でバカヤローと言おうと、ケンカをしようと、小便しようといっこうにかまわないわけでございます。では、動物たちはどこへ行くかと申しますと、さっきの国会議事堂に全部入れて、日本の政治をやらせるのでございまあす。そうしますと、真面目な動物のことですから、よからぬことをたくらんだり、待合に行ったり、戦争の準備をしたりなどいたしませんから、今よりきっといい政治ができるでしょう。」
280 この国会議員と動物との入れ替えなどの着想は、清水崑や近藤日出造の政治漫画だったら使いものになるが、中学生の修学旅行の参考としてはどんなものか。東京中央郵便局や中央気象台などに対する冷やかしは、教育的にはニヒリズムを植えつける以外ではあるまい。(私は中学生がこんなにレベルの高いことを書けることに感心した。私が中学生の時は、田舎だったせいもあるかもしれないが、こんなに意識が高くなかった。)
 楽しみしていた修学旅行で、東京までやって来て、眼に見えるものことごとくをこのように罵られケチをつけられ、冷やかされる(これは修学旅行中の話ではなく、修学旅行前の話ではないのか。修学旅行中は学校新聞のことなど忘れているだろうし、そもそも学校新聞自体を読んでいない生徒も大勢いるのではないか。)のを、新聞の第一面の「異常な」愛読者であるという中学生たちは、わが意を得たりとしたのであろうか。そうだとすれば、われわれの想像を絶する、「おどろくべきグロテスクな中学生というほかない。こういう教育のどこが「平和教育」であり、進歩的なのであろう。

 修学旅行で東京を訪れる中学生たちの、いたずらざかりで元気な顔の中に、こういうグロテスクな中学生を想像することは、ぼくにはできそうもない。かてて加えて、新校長に対する、さながら人民裁判を髣髴たらしめるような辞職強要の場面5.7を考えると、いよいよ困惑を感じないわけにはいかぬ。
 5月20日の京都新聞に、辞職を強要された北畑校長の「私が辞表をかくまで」という手記が載っている。それによると北畑校長は、4月7日、知人の中学校長に介添役として付き添われて旭ヶ丘中学に赴任したという。新校長が赴任する場合は、学校の代表者が迎えに来るのが慣例になっているが、自分の場合はそんな旧式(?)なことはなかったので、単身赴任したが、見るに見かねて、知人の校長が介添役を買って出てくれたそうだ。
 PTAの役員が待っていて、北畑校長は質問状を突きつけられ、これをのんだら挨拶を受けようと言われた。質問状には「あなたは三先生を守るために共にたたかいますか」と書かれていたという。その1ヵ月後の5月7日、校長は強要されて辞表を書いた。

(以上のとおり、筆者は校長が人民裁判のように辞職を強要されたと書いているが、ウイキペディアによると、大分事情が異なる。筆者はその意味で読者に誤解を招き、犯罪的でさえある。以下、ウイキペディアを要約する。

異動は41日付で発表されたが、3教員は転任を拒否し、旭丘中に出勤する。47日に後任の北畑紀一郎校長が着任すると、教職員から「三先生を守る」ことを確約するよう求められ、押し切られた北畑校長は「三先生を守るために共にたたかう」ことを誓約した。
55日、臨時の京都市教育委員会において3教員の取り扱いについて議論が行われ、5人の委員の内京教組の推薦で当選した2人が処分に反対して大モメになったが、最終的に2人が「処分決定を前提とする委員会なら退席する」とコメントして退室。残りの3人で決を採り、「職務上の命令に服しない」ことにより、3教員の懲戒免職処分を決定する

着任した北畑校長は、1ヶ月間3教員に対して転任を勧告する側に回り、「紛糾したら市教育委員会と相談し警察権の導入も考える」と言い放ったため、前述の人事異動に応じない3教員に対する教育委員会による懲戒免職処分とあわせて、糾弾されることになった。1954年5月6日昼から7日未明まで、保護者代表、教員、生徒会代表ら70名との団交が行われ、警察権発言の撤回と3教員の授業続行の許可を要求した。またこのとき、4月22日に行われた、校長着任後の懇談会の二次会で、北畑校長が若手教員十数人をサロンに連れて行き、金品を渡して京教組サイドから離反するように働きかけていたことが暴露された。団交が終了し、北畑校長が帰宅後、生徒大会が開かれ、そこで校長辞職決議が議決された。午後3時頃北畑校長が登校すると、校長は、教職員、生徒、保護者ら100人に取り囲まれ、生徒が罵声を浴びせる中で、辞表と辞職理由書を書かされた。以下は辞職理由書である。

一 4月22日の懇談会のあと、サロン菊水に出入したことは、教諭として面目を汚したこと、更に、学校の先生を誘い入れたことは、甚だよろしくないことを認めます。
二 三教員を守ることが出来なかったこと。
三 平和と民主的自由をその教育方針とする学校の教師として相ふさわしくないため
四 自主的な行動を第一義とする中学生の指導者として不適任である。

教育委員会は強要されたものとして辞表を受理することを拒み、週末(8日土曜日、9日日曜日)をはさみ、10日から休校、教員の自宅研修命令を、北畑校長名で通達した。しかし、教職員は休校命令を無視して自主管理授業を強行した。10日、在校生の7割が登校し、京教組や総評傘下の労働組合の名入りの赤旗が校庭に林立した。(これはやりすぎだったか。)教育委員会側はこれに対抗して11日から京都勧業館で補習授業を開始した。市教育委員会が生徒をバス30台で京都勧業館へ輸送しようとする際、生徒の奪い合いが怒声の中で行われた。20日、京都府教育委員会が斡旋に乗り出し、20日限りで休校とすることで合意した。

 (ここで本文に戻る。)

281 5月7日に校長を吊るし上げて辞表を書かせたのは、自然の勢いらしい。当日、市教委の指導主事、校長、京教組幹部、PTA役員、生徒役員らが出席していた。校長が三人の教員に懲戒免職が発令されたのだからとして、警察権力によってでも三教員の退去を求めたため、「興奮のあまり」「校長の非行」を暴く者が出てきて、一挙に校長への辞職強要に発展したという。校長の非行とは、新校長の着任に際して、教職員の懇談会があり、その二次会に新校長が若い教師12、3名を誘って、菊水というカフェの二階に上がり、札束を見せて、「酒を飲むなり、女と遊ぶなり、おおいにやれ」と言ったとかで、*憤慨した教師たちが校長を街頭に担ぎ出すという事件があったが、それをいう。
*著者は、ウイキペディアの指摘する、京教組からの脱退勧告については触れず、エッチな話だけに限定し、事実を歪曲している。
 校長は、戦争中は、元陸軍大尉の肩書きを持ち、予備役将校であったため、「孤身敵中」に踏み込み、軍隊式手法を講じたものと僕は想像している。
 「金と酒と女で先生を誘惑する」と、生徒たちは当日の生徒大会ですでに校長の辞職要求を決議していた。
それで「人民裁判」に「突き進んだ」というのが真相らしい。生徒たちは校長に向って「オッサン、ヤメロ! ヤメロ!」と叫んだそうだ。この生徒たちの言動は、グロテスクに相違ないとぼくは思う。
 この話は不愉快だが、客引き同然に生徒を奪い合ったのはそれ以上に不愉快だ。

 話は戻り、教育長が橋本前校長に警告を発した頃、自由党の教育二法案が提出されていた。橋本校長は年度末に辞表を出したが、市教委の言うところによれば、自分は無力で、監督指導できないという理由だった由。橋本前校長は、あのままの教員組織では新校長もロボットになるよりほかあるまいからという理由で、三教師の他校への転任を年度末定期異動に繰り込み、自分の辞表と同時に内申したという。これは市教委が前校長に強要して決行した、予定の計画だと教組側は考えているが、いずれにせよ校長と市教委との話し合いの結果だろう。市教委側は、左遷という印象を与えないようにするため、市内一流の三条中学、四条中学、柳原中学への転任を内定していた。教委側が旭ヶ丘中学の教育を偏向教育だと断定しなかったのは、市教委の中に二名の「革新派」の委員が存在したからだろう。
282 三教師はこの転任を拒絶し、全校揚げて前校長の退職に反対した。それを認めれば、偏向教育を認めることになるからであり、それは教育二法案の通過を促し、教師の口が封じられ、戦争に突入しなければならぬことになるし、卒業生の就職にも障害になると教員や父兄は言う。しかし、ぼくはこの論理に納得できない。教育二法案はぼくも大反対で、あらゆる手段を尽くして阻止しなければならぬものと信じている。(自己矛盾ではないか。)
 三教師が転任すれば、偏向教育と認められ、教育二法案の通過を促し、日本の戦争突入の機縁になるという「直線的」論法に、ぼくはどうも納得できそうもない。ぼくは旭ヶ丘中学の「進歩的」勢力の中に、自由党の秘密党員が潜入しているのではないかという疑惑を消し去ることができない。奇怪な事件が起っている昨今、それはありうることではないか。これがぼくの妄想だとしても、いずれにせよ、今度の旭ヶ丘中学の事件は、自由党の思うツボではないか。京教組は何かに憑かれている。「全国の先生に明るい希望を与えた」と言う山本教諭は、何かに憑かれている。
283 三教師は転任して、新しい環境でその信ずる教育を推し進めたらどうか。*問題が大きくなり、自由党に利用されている中を、三教師が旭ヶ丘に止まることが、日本の平和につながるという論法が、理解できない。
*それでは運動がつぶれる。知っていて言っているのだろう。
 生徒が可愛そうだと思う。新聞は「罪のない生徒を事件に巻き込んだ」と書くが、そのことに生徒は憤慨しているという。
 生徒は自主的に判断し行動しているというが、20日正午の生徒大会を見て、ぼくは自主的判断が働いていなかったと思う。
 午後7時半からの「ファシズムから平和と教育をまもるための」学校側の父兄会を傍聴したが、その中で出席者は「敵」側の陰謀を説き、「職を脅かされ、アカと呼ばれる」と発言する人がいたが、アカならもっと筋道の通った話をするはずだ。(挑発的)
 市教委側が主催する補習学級の父兄たちは口をそろえて、「三教員は勿論、全教員が去ってほしい」と言っていた。そして山本、寺島両先生に生徒がなついているのは、「あの人たちのであろう」という父兄もいたが、ぼくはこれらの先生が本気で生徒のことを考え、教育を考え、日本の社会のことを考えていると思う。ぼくはその真意を疑わない。
284 市教委側の補習学級が日増しに生徒を獲得し、旭ヶ丘に残る生徒は100名を割るだろうとの一般の予測を裏切り、最後まで509名の生徒が居残ったのは、三先生の人望のせいだろう。しかし、三教員が観念的なものにとり憑かれていることは間違いないと思う。
 北畑校長の手記によれば、「政治問題と教育とを直結し、職制の無力化民主化と考え、子供を統一行動に引きずり込むが、それは中学校教育での妥当性を欠き、実に寂しい思いだ。あるべき中学校教育という一点に勢力を結集すべきではないか。」という。
 京教組、日教組は、もっと冷静に考えるべきだ。卑屈な事大主義から教師を守ることのほうが緊急かつ主要だとぼくは思う。この3月、ある高校生で君が代を歌わせることに疑問を持ち、その理由を質問したが、有無を言わさず退校*させられたという。教組の全組織を揚げて教育と教師を守るために戦うことが大事ではないか。そしてそれが平和につながると思う。*退学ではなく下校か。
 週刊朝日5月23日号は、旭ヶ丘問題についての「京都在住の代表的文化人」の意見なるものを掲げている。湯川秀樹氏は「まったく意見はありません」とし、末川博氏は「PTAの一部有志が、偏向教育だなんだと騒ぎ出すのが問題だ」と言い、「いわば京大事件の戦後版だ」と語っている。また桑原武夫氏は、「教育二法案が成立し発効した時に、その取り締まり対象の第一号にされやしないかと心配だ」と言っている。
 ぼくは失礼ながら、これら京都文化人は、是は是、非は非で以て問題の核心に迫ろうとしていないと思う。ぼくは「京大事件の戦後版」などと思っていない。(1954年、昭和29年7月)

以上 

教育二法


・教育二法とは、「教育公務員特例法の一部を改正する法律」(昭和二十九年法律第百五十六号、195463日公布)および「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法」(昭和二十九年法律第百五十七号、195463日公布)をいう。


教育公務員特例法の一部を改正する法律

教育公務員特例法(昭和二十四年法律第一号)の一部を次のように改正する。
第十一条第二項中「同法第三十一条から第三十八条まで及び第五十二条」を「第二十一条の三第一項並びに地方公務員法第三十一条から第三十五条まで、第三十七条、第三十八条及び第五十二条」に改める。
第二十一条の三を第二十一条の四とし、第二十一条の二の次に次の一条を加える。
公立学校の教育公務員の政治的行為の制限)
第二十一条の三 公立学校の教育公務員の政治的行為の制限については、当分の間、地方公務員法第三十六条の規定にかかわらず、国立学校の教育公務員の例による。
2 前項の規定は、政治的行為の制限に違反した者の処罰につき国家公務員法第百十条第一項の例による趣旨を含むものと解してはならない。
附則
1 この法律は、公布の日から起算して十日を経過した日から施行する。
2 地方公務員法(昭和二十五年法律第二百六十一号)の一部を次のように改正する。
第二十九条第一項第一号中「この法律」を「この法律若しくは第五十七条に規定する特例を定めた法律」に改める。
第三十六条第二項但書中「公立学校(学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)に規定する公立学校をいう。以下同じ。)に勤務する職員以外の職員は、」及び「公立学校に勤務する職員は、その学校の設置者たる地方公共団体の区域(当該学校が学校教育法に規定する小学校、中学校又は幼稚園であつて、その設置者が地方自治法第百五十五条第二項の市であるときは、その学校の所在する区の区域)外において、」を削る。
第五十七条中「公立学校」を「公立学校(学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)に規定する公立学校をいう。)」に、「学校教育法に」を「同法に」に改める。


義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法
法令番号              昭和2963日法律第157
効力       現行法

概要

教育基本法(平成18年法律第120号)の精神に基き、「義務教育諸学校における教育を党派的勢力の不当な影響又は支配から守り、もつて義務教育の政治的中立を確保するとともに、これに従事する教育職員の自主性を擁護すること」を目的として制定された。

3条で教育を利用し、特定の政党その他の政治的団体(以下「特定の政党等」)の政治的勢力の伸長又は減退に資する目的をもって、学校教育法に規定する学校の職員を主たる構成員とする団体(その団体を主たる構成員とする団体を含む)の組織又は活動を利用し、義務教育諸学校に勤務する教育職員に対し、これらの者が、義務教育諸学校の児童又は生徒に対して、特定の政党等を支持させ、又はこれに反対させる教育を行うことを教唆し、又はせん動してはならないと規定している。

3条に違反した者は1以下の懲役又は3万円以下の罰金に処すると第4条で規定されている。


昭和二十九年法律第百五十七号
・義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法
(この法律の目的)
第一条 この法律は、教育基本法(平成十八年法律第百二十号)の精神に基き、義務教育諸学校における教育を党派的勢力の不当な影響又は支配から守り、もつて義務教育の政治的中立を確保するとともに、これに従事する教育職員の自主性を擁護することを目的とする。
(定義)
第二条 この法律において「義務教育諸学校」とは、学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)に規定する小学校、中学校、義務教育学校、中等教育学校の前期課程又は特別支援学校の小学部若しくは中学部をいう。
2 この法律において「教育職員」とは、校長、副校長若しくは教頭(中等教育学校の前期課程又は特別支援学校の小学部若しくは中学部にあつては、当該課程の属する中等教育学校又は当該部の属する特別支援学校の校長、副校長又は教頭とする。)又は主幹教諭、指導教諭、教諭、助教諭若しくは講師をいう。
(特定の政党を支持させる等の教育の教唆及びせん動の禁止)
第三条 何人も、教育を利用し、特定の政党その他の政治的団体(以下「特定の政党等」という。)の政治的勢力の伸長又は減退に資する目的をもつて、学校教育法に規定する学校の職員を主たる構成員とする団体(その団体を主たる構成員とする団体を含む。)の組織又は活動を利用し、義務教育諸学校に勤務する教育職員に対し、これらの者が、義務教育諸学校の児童又は生徒に対して、特定の政党等を支持させ、又はこれに反対させる教育を行うことを教唆し、又はせん動してはならない。
(罰則)
第四条 前条の規定に違反した者は、一年以下の懲役又は三万円以下の罰金に処する。
(処罰の請求)
第五条 前条の罪は、当該教育職員が勤務する義務教育諸学校の設置者の区別に応じ、次に掲げるものの請求がなければ公訴を提起することができない。
一 国立大学法人法(平成十五年法律第百十二号)第二十三条の規定により国立大学に附属して設置される義務教育諸学校又は地方独立行政法人法(平成十五年法律第百十八号)第七十七条の二第一項の規定により公立大学に附属して設置される義務教育諸学校にあつては、当該大学の学長
二 公立の義務教育諸学校にあつては、当該学校を設置する地方公共団体の教育委員会
三 私立の義務教育諸学校にあつては、当該学校を所轄する都道府県知事
2 前項の請求の手続は、政令で定める。
附 則
この法律は、公布の日から起算して十日を経過した日から施行し、当分の間、その効力を有する。
附 則 (昭和三一年六月三〇日法律第一六三号) 抄
(施行期日)
1 この法律は、昭和三十一年十月一日から施行する。ただし、第一条中地方自治法第二十条、第百二十一条及び附則第六条の改正規定、第二条、第四条中教育公務員特例法第十六条、第十七条及び第二十一条の四の改正規定、第五条中文部省設置法第五条第一項第十九号の次に二号を加える改正規定中第十九号の三に係る部分及び第八条の改正規定、第七条、第十五条、第十六条及び第十七条中教育職員免許法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整理に関する法律附則第三項及び第四項の改正規定(附則第五項の改正規定中教育長又は指導主事に係る部分を含む。)並びに附則第六項から第九項までの規定は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(昭和三十一年法律第百六十二号)附則第一条に規定する教育委員会の設置関係規定の施行の日から施行する。
附 則 (昭和四九年六月一日法律第七〇号) 抄
(施行期日)
第一条 この法律は、公布の日から起算して三月を経過した日から施行する。
附 則 (平成一〇年五月八日法律第五四号) 抄
(施行期日)
第一条 この法律は、平成十二年四月一日から施行する。ただし、第一条中地方自治法別表第一から別表第四までの改正規定(別表第一中第八号の二を削り、第八号の三を第八号の二とし、第八号の四及び第九号の三を削り、第九号の四を第九号の三とし、第九号の五を第九号の四とする改正規定、同表第二十号の五の改正規定、別表第二第二号(十の三)の改正規定並びに別表第三第二号の改正規定を除く。)並びに附則第七条及び第九条の規定は、公布の日から施行する。
(罰則に関する経過措置)
第八条 この法律の施行前にした行為及びこの法律の附則において従前の例によることとされる場合におけるこの法律の施行後にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による。
(政令への委任)
第九条 附則第二条から前条までに定めるもののほか、この法律の施行のため必要な経過措置は、政令で定める。
附 則 (平成一〇年六月一二日法律第一〇一号) 抄
(施行期日)
第一条 この法律は、平成十一年四月一日から施行する。
附 則 (平成一五年七月一六日法律第一一七号) 抄
(施行期日)
第一条 この法律は、平成十六年四月一日から施行する。
(罰則に関する経過措置)
第七条 この法律の施行前にした行為及びこの附則の規定によりなお従前の例によることとされる場合におけるこの法律の施行後にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による。
(その他の経過措置の政令への委任)
第八条 附則第二条から前条までに定めるもののほか、この法律の施行に関し必要な経過措置は、政令で定める。
附 則 (平成一八年六月二一日法律第八〇号) 抄
(施行期日)
第一条 この法律は、平成十九年四月一日から施行する。
附 則 (平成一八年一二月二二日法律第一二〇号) 抄
(施行期日)
1 この法律は、公布の日から施行する。
附 則 (平成一九年六月二七日法律第九六号) 抄
(施行期日)
第一条 この法律は、公布の日から起算して六月を超えない範囲内において政令で定める日から施行する。ただし、次の各号に掲げる規定は、当該各号に定める日から施行する。
一 第二条から第十四条まで及び附則第五十条の規定 平成二十年四月一日
附 則 (平成二七年六月二四日法律第四六号) 抄
(施行期日)
第一条 この法律は、平成二十八年四月一日から施行する。
附 則 (平成二八年五月二〇日法律第四七号) 抄
(施行期日)
第一条 この法律は、平成二十九年四月一日から施行する。

以上


ILO勧告 


・韓国の場合

国際労働機関(ILO)の「協約および勧告適用専門家委員会」(以下、専門家委員会)が、教師・公務員の政治活動を禁止した韓国の国家公務員法第65(政治運動の禁止)は、政治的見解に基づいた差別を禁じる国際労働機関協約111号協約違反という判断を下した。(ハンギョレ新聞2019-02-14 08:57


1958年の差別待遇(雇用及び職業)条約(第111号)
雇用及び職業についての差別待遇に関する条約
(第42回総会で1958625日採択。条約発効日:1960615日。基本条約の1つで最新の条約)

日本の批准状況:未批准 ◆批准国一覧(英語)

条約の主題別分類:差別の禁止(雇用及び職業)/女性  条約のテーマ:機会及び待遇の均等

[ 概 要 ]
基本条約の1つで、労働分野が中心ではあるものの、より一般的な人権保障条約としての性質を持つ。
この条約は、雇用と職業の面で、どのような差別待遇も行われてはならないことを規定する。ここにいう差別待遇とは、「人種、皮膚の色、性、宗教、政治的見解、国民的出身、社会的出身などに基づいて行われるすべての差別、除外または優先で、雇用や職業における機会または待遇の均等を破ったり害したりする結果となるもの」をいうが、特別の条件を必要とする特定の業務についての差別・除外または優先は、差別待遇とはみなされない。また、国の安全を害する活動について正当に嫌疑を受けている者やこの活動に従事している者に対して行われる措置も、差別待遇とはみなされない。
批准国は、差別待遇廃止のため必要な政策をとり、この政策を促進していく上で労使団体の協力を求め、反差別待遇の法律を制定し、教育計画を進め、この政策と一致しない法令の条項を廃止し、政令・慣行を改正しなければならない。
関連勧告として、同名の勧告(第111号) が同時に採択された。     

以上

2020622()



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