2023年9月12日火曜日

石川一雄さんの再審無罪判決を求める集会

石川一雄さんの再審無罪判決を求める集会 202399() 14—17時 加須市民プラザ

「北埼玉地区狭山裁判を支援する市民の会」

 

 

配布された文書をもとに私がまとめたもの

 

 

警察の取り調べの問題点

 

執拗に自白を迫り、「兄さんが真犯人であり、石川一雄さんが犯人だと言わなければ兄さんを逮捕することになる、代わりに自分がやったといえば10年で出してやる、警察は嘘をつかない、男の約束だ」と法律を知らない人をだまして、1か月を要して自白させていった。

 

無罪の証拠

 

・犯行時は家にいた。

 

・検察・警察の有罪立証のごまかしの数々

 

1)床からの高さが175.9㎝の鴨居の上に被害者の万年筆(自白)が、一回目の別件逮捕の日の家宅捜索2時間14分、刑事12名、二回目の再逮捕翌日の家宅捜索2時間8分、刑事14名の後の第三回目の家宅捜索24分、3人の刑事によって発見された。3回目は石川さんが自白した後の事である。

 

2)鴨居の上で発見され被害者のものとされる万年筆で書かれた数字のインクと、実際に被害者が被害当日書いたペン習字のインクや被害者のインク瓶のインクとで、その成分を蛍光X線分析装置で調べて見ると、前者にはクロムが含まれていないが、後者には含まれていた。

 

3)犯人が書いた脅迫状と石川一雄さんが書いた上申書の筆跡鑑定

 

脅迫状で使われている漢字は3457字、稚拙に見せかけようと敢えて文字を崩し、漢字をよく知っているからこそ書けるような当て字、適切な改行、強調すべき文字を大きくしているなど文章を書きなれている人物が書いたと推測できる。

 

一方、2010513日に検察官が開示した1963523日付の石川さんの文章(上申書)では、ほとんど漢字が使われておらず、ひらがなばかりで、拗音が書けず、「狭山警察署長殿」を、解読が難しいが、「狭山けエさツしちよム(orん)どの」、「20万円」を「20まいん」or「に〇(「ゆ」か)まんい」、「12時」を「12晴」などとしている。

 

 

留意点

 

2006523日に東京高裁に第三次再審請求をしてからもう17年になるが、検察は三者協議で反論を繰り返して長引かせ、裁判官は独自の鑑定や、鑑定人の尋問をしようとしない。

 

・石川さんの現在の身分は「仮出所」。19941221日に「仮出獄」したが、何と317か月間の拘束だった。戦前の共産党員でもこんなに長い間拘束をされていない。1928年から1945年として、最大でも17年である。

 

・憲法38条「自己に不利益な供述は強要されず、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白ならば、有罪とされたり刑罰を科されたりしない」

 

1964311日の浦和地裁での死刑判決後、看守曰く「助かる道は一つしかない、字を覚えて全国の人たちに自分の無実を手紙で訴えなさい」

 

 

配布された文書

 

冤罪・狭山事件の経過と有罪証拠

筆跡資料(5/1脅迫状・5/23上申書)、福江鑑定、下山第2鑑定、

東京新聞社説 狭山事件60年 再審の開始に動き出せ 2023510

毎日新聞埼玉版 狭山事件裁判の矛盾告発「幻」の映画 なぜ有罪か 改めて問う 99日加須で上映会「造花の判決」

北海道新聞「言葉の現在地20232023731日 見えない手錠 今もまだ

東京新聞 冤罪はなぜ生まれる? 弁護士 鴨志田祐美 2023823

図書20239月号 いま狭山事件を問うこと 黒川みどり

オレは幸せ者です。みなさんありがとう 桜井昌司

 

参考図書

 

・鎌田慧『狭山事件の真相』岩波現代文庫2010

・黒川みどり静岡大学教授『被差別部落に生まれて――石川一雄が語る狭山事件』20235

・竹内好「基本的人権と近代思想」(『文化と部落問題』196012月)

 

映画

 

・『造花の判決』梅津明治郎監督1976

・『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』金聖雄監督2013

 

感想

 

筆跡 石川一雄さんの上申書1963/5/23の書き方は力を入れている。それに対して脅迫文の筆跡はすらすらと軽やかな筆致で、当て字が多く、その当て字の漢字が想定を超えるような漢字を使っている。わざとという印象を受ける。

 

石川さんはこの上申書で無罪を主張している。別件逮捕当日5/23のものである。

 

 

別件逮捕5/23ということは証拠がなかったということ、そして逮捕してから虐めて自白させようという魂胆が窺われる。

また兄が真犯人なら警察は当然兄を捕まえるべきなのに、それを身代わりに誘導して真犯人に担ぎ上げられているということのおかしさに石川さんは頭がまわらなかったのか、人がいいというか、男の約束だ、10年で出してやる、などということに騙されるなんて。

 

警察は自白の強圧的強要をやめるべきだ。これは戦前の治安維持法時代そのものの名残である。

 


 

 

石川一雄さんの上申書1963/5/23 2010/5/13検察官開示 解読 

 

アンダーラインは誤字 「さのや」は「佐野屋」

 

「上申 狭山市入間〇(町?)二九の8

 

土工 石川一夫(本来は「雄」) 24才

 

いまわたくしにをたずねの五月1日のばんの

ほりかねのなかだい〇(さ?)くさんのところいてかみを

もでいて〇(おorを)どかし〇(む?)すめのいのちがほしければ

かねを20まいんお女のひとにもたして五月二日

の〇〇(ごご)12(時)〇さのや〇の〇口までとどけろといて

きんに10まんいをとりそこねたことわわたくし

のやたことでわありません

五月23にち

 

石川一夫

 

 

狭山けエさツしちよんドの」

 

 

感想 石川さんはほとんど漢字を使わない。冒頭の漢字はおそらく警官が教えたものと思われる。教えられても「書」がうまく書けない。またカタカナとひらがなが入り混じっている。

 


 

 

脅迫状 犯人が1963/5/1に被害者宅に届けた脅迫状 解読

 

「    ××××     この……でこい…

 

子供の命がほ知いなら×月××の夜 12時に、

                              5月2日

金二十万円女の人が×りて×の門のとくすにいろ。

                                          さのや

友だちが車出いくからその人に×××たせ

××一分出もをく来たら子供の命がないとおもい。―

刑札には名須なら小供は死。

もし車出××××た友だちの時かんどおりぶじにか江て気名かったら―

子供も西武園の池の中に死出いるからそこ×いってみ×

もし車出いった友だちが時かんどおりぶじにかえりて×たい

子供わ1時かんごに車出ぶじにとどける。

 

くりか江す 刑札にはなすな。

気んじょの人にもはなすな

  子供死出死まう。

 

 もし金をとりにいツて、ちがう人がいたら

 そのまま×出てきて、こども××てやる。」

 

 

感想 「話す」を二通りに書いている。つまり「は名須」と「はなす」である。当て字を意図的に使おうとしていることが分かる。

 


 

メ モ

 

石川一雄さんの再審無罪判決を求める集会 202399() 14—17時 加須市民プラザ

「北埼玉地区狭山裁判を支援する市民の会」

 

 

・映画「造花の判決」の上映

 

・(部落解放同盟)小野寺○○さんの報告

 

映画「造花の判決」(梅津明治郎監督)は1976523日に初めて上映された。当時上映運動があった。197410月の東京高裁判決(無期懲役)を受けて作られた。

 

 

1964311日、浦和地裁内田武文判決(死刑)

19741031日、東京高裁寺尾正二判決(無期懲役)

197789日、最高裁が上告棄却

1977830日、第一次再審請求

197796日、千葉刑務所に下獄

1986821日、第二次再審請求

19941221日、仮出獄。317か月ぶりに狭山に戻る。

2006523日、東京高裁に第三次再審請求、現在にいたる。

 

 

2022824?日現在11人の鑑定人がいて、

・鴨居の万年筆に関する「事実取調べ請求書」を(弁護側が)提出し、

・(それに対する)検察の意見書「鑑定人訊問をやる必要がない」

・それに対して今弁護側が反論意見書を準備中である。

 

裁判所の…(判断)が求められる。

 

 

8/10 三者協議が行われたところである。2009年に三者協議が行われるようになった。

 

弁護側が検察側に証拠を全部出すように要求し、判事の勧告もあり、当初5項目31点の証拠だったものに、さらに190点の証拠が(検察側から)出て来て、現在221点の新証拠の中から11点に絞った。そのうちの三点を挙げれば、

 

①筆跡 検察は、「犯人が書いた脅迫状1963/5/1の筆跡と、石川さんが書いた上申書1963/5/23の筆跡とは見た目は違うが、両方とも本人が書いたものだ」などとわけのわからないことを言う。

実際石川さんは「自動車」の「じどう」まで書けるが「しゃ」が書けない。拗音が書けない。(取調べ中の)録音も開示されたが、その録音の中で、警官は「本当に字が書けないんだな」と言っている。

 

犯人が書いた脅迫状と石川さんが書いた上申書の筆跡の比較

 

・脅迫状はすらすら書いている。石川さんの指紋はない。当て字に漢字を使っている。

・石川さんが書いた上申書は47年間検察によって隠されていた。

・石川さんはほとんど学校へ行っておらず、文字については、小学校2、3年生くらいのレベルである。

 

②女子高生の万年筆が3回目の家宅捜索のときに発見されたと警察は言うのだが、その場所は12回目の家宅捜索の時にすぐにも目につくような位置にあり、しかもその万円筆の取り方も、警官が取るのではなく、石川さんの家人に取らせたが、それは元の指紋を消してしまい、家人の指紋をつけるような(意図的に杜撰な)取り方であった。

 

③インクの材質 下山進 第2鑑定 2018年 吉備国際大学名誉教授 文化財○○課の人 

 

・被害者女子高生のものとされる万年筆のインクの素材は当初ライトブルーとされていたが実はそうでなく、2016年に検察が開示した、そのインクで書かれた1から10までの数字のインクからは、クロムは検出されなかった。

・検察は実験をやろうとせず、「入手できないから実験をやらない」「水洗いしたからクロムが出て来ないのだ」「弁護側の用いている自家製分析器は信用できない」などと言う。

 

11人の(文字)鑑定人がいて、…

+検察「(鑑定を)やる必要がない」

 

 

現在担当している大野勝則裁判長は12月で退職となる。検察側は三者協議で無限の再反論を行って再審を引き伸ばし、別の裁判長にやらせて時間稼ぎをする戦術のようだ。

 

石川さんは犯行時に家にいたが、警察は家族の証言を取り入れない。もう一人の○○さんのアリバイ証言は警察によって封じられた。

 

 

石川さんは現在84

 

今のとりくみ

 

・鑑定人尋問をするよう請求する署名(現在50万人)、

・マスコミ対策 記者の教育、記者との良好な関係。殆どの報道機関が現地調査に参加してくれた。NHKのディレクターの取り組み…

・県庁での記者会見、

 

 

質疑応答

 

某男性の質問

・三者協議で反論は三回までとする「三回ルール」は破棄されたのか。

・鑑定する必要がないという検察側の理由は。

 

答 分からない。11月に三者協議の予定。

 

 

事務連絡 

 

・裁判長に葉書を出してもらいたい、会員になってもらいたい、カンパ、…

・狭山現地見学会 10/8(日), 9:45 狭山市駅西口デッキの下集合

 

「北埼玉地区狭山裁判を支援する市民の会」赤嶺菊枝090-5570-7864

 

 

以上

2023910()

 


 

100-8933 千代田区霞が関1-1-4 東京高裁第四刑事部裁判長 大野勝則様

 

 

前略

 

先日石川一雄さんの無罪を求める加須市での集会2023/9/9に参加し、犯人が書いた脅迫状1963/5/1と石川さんが書いた警察署長あての上申書1963/5/23のコピーをいただいてきました。私は集会での説明を整理するとともに、この難解な二通の文書を解読してみました。するとこの二つの文書の筆跡や語彙の特徴が明らかに異なっていることに気づきました。

石川さんの文書では漢字がほとんど使われていません。最初のタイトル部分では漢字を使っていますが、おそらく警官から教えられたものと思われます。それは録音で警官が「本当に字が書けないんだな」と漏らしていることからも推察できます。また石川さんの文字の特徴は、非常に丁寧に、一文字の最初から最後までどこまでもしっかりと力を入れて強く書いていることです。これは文字を覚えたての小学校1年生の文字の書き方とよく似ています。また石川さんは拗音を使えません。

それに対して脅迫状は漢字を豊富に使っています。当て字を敢えて使っていますが、それは漢字を豊富に知っていることを窺わせます。また手慣れた書き方で、いちいち石川さんのように均等に力を入れながら書いたりはしていません。

私の解読は別紙の通りです。あなたは解読されましたか。もしまだでしたら、ご自身で解読してみてください。両者の違いがよく分かります。

 

数多くの冤罪がありました。袴田巌さんの味噌樽の中の衣類は、当初の捜索では見つかりませんでした。担当警官が味噌樽をいちいち棒でつついて調べたとのことです。ところがそれが後日発見され、赤い血までついていて、発見されたパンツも袴田さんのものとよく似ていたとのことです。

石川さんの場合についても、被害者のものとされる万年筆は、最初の二度の家宅捜索では発見されませんでしたが、三度めの捜索ではものの20分で見つかってしまいました。前二回の捜索には各2時間余かけています。さらにこの万年筆のインクからはクロム元素が発見されませんでしたが、被害者が書いたペン習字のインクからはクロムが発見されました。検察による捏造が疑われます。

 

当初の別件逮捕は証拠がなかったということではないでしょうか。そこで自白を強要し、当初はこの上申書にもあるように石川さんは無罪を主張していましたが、1か月を要して、自白に導かれました。また「兄さんが真犯人だが、身代わりになれば10年で出られる、男の約束だ」など、検察側が焦って何としてでも犯人に仕立てあげたがっていた様子が分かります。

 

戦前の治安維持法時代、徳田球一は刑期が終わったのに、ただ非転向で危険だという理由で、拘留が戦後まで続けられました。戦後の冤罪事件も、その戦前の警察・検察・裁判所の強引なやりかたの延長に対する反省がないことの結果ではないかと私は考えますが、裁判官としてこの日本の司法制度に一石を投じ、悔いのない判事人生を終えてもらいたいものです。

 

草々

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