2021年5月24日月曜日

七 一の精神を欠く 昭和3年、1928年12月 『国史学の骨髄』平泉澄 至文堂 1932 所収 要旨・感想

七 一の精神を欠く 昭和3年、1928年12月 『国史学の骨髄』平泉澄 至文堂 1932 所収

 

 

感想 2021522()

 

気合が入っている。狂信的。名古屋の右翼の「先生」高須克弥を思い出した。

日本人が学ぶべき歴史は日本史(国史)しかない。国史は日本人の人格の中枢であり、真の日本人を形成する。国史は本当の歴史であるから、国史を国民教育の中心に据えなければならない。

また先生を尊敬しなければならない。

日本人に一本気骨(骨髄)を入れなければならない。

道元からの引用は付け足し。

論理は滅茶苦茶、牽強付会。国史を中心に据え、先賢を尊敬すべきだとする情念のほとばしりである。

 

 

要旨

 

140 教育は極めて多くの、あるいはむしろ余りにも多くの科目に分かれている。それぞれの方面を独立させ、専門的に学習し、攻究することは、それぞれの方面の発達の上で結構なことであるが、その結果、教育が「支離滅裂」になり、「中心がなく、」「統一がなく、」それぞれの方面に相当の知識を得て、技術を覚えても、これらの主となり、統率する力が欠けている。これは人格者として恐るべき欠陥を持つ。一部門の知識があり、一方面の技術に堪能であっても、それは「偏跛な」才能であり、それだけでは危険である。中心を失った教育は「教育の眼目」を閑却し、教育の目的を達成できない。科目の立て方は様々あるだろうが、その中心となって統率し、全体に対して主となる科目は歴史でなければならないと信じる。歴史こそ国民教育の中心であり、眼目であり、骨髄である。

141 ここで言う歴史は我が国の歴史である。我々日本人にとって我が日本の歴史こそ「本当の歴史」である。「日本の歴史以外に歴史はない。」外国の歴史の知識は大切であるが、その外国の歴史は国史とはすっかり違った性質のものであり、違った価値を持ち、違った意義を持つ。「人格の中枢」をなすものは決して外国の歴史ではない。日本の歴史こそ我々日本人をして、「真に日本人」たらしめるものであり、真に人格たらしめるものである。歴史こそ教育の中心をなし、核心をなす。

 

142 ところが従来の国史教育は、この重大な任務を担う上で甚だしい欠陥を持っている。それは政治上の出来事を雑然と並べ立て、わずかな文化事象をほんの申し訳に、まただしぬけに、所々に差し込んだものに過ぎない。〇古い政治史の年表的な抜き書きに、文化史の様式を真似て形ばかりの化粧を施したようなものだ。このような蕪雑なものでは日本の歴史が分かるはずがない。このような国史教育を受ければ誰もが日本の歴史をしみじみと味わい、深い意味をその中に発見し、自分の本当の姿をそこに見いださず、むしろこれを軽く見て、あっさりと見過ごすようになる。

 私は数年前に中学を出たばかりの学生数百人に教え、試験をしたことがあるが、彼らは既に小学校でまた中学校で何度か国史教育を受けているのに、ほとんど全く国史に盲目であったことを知り、呆然としたことがあった。おそらくこの数百人は特異な例ではあるまい。国史が軽んぜられたことが、かなり長い間に渡ったので、その間の国史教育は、おそらくこのような無意味な努力をして、無益だったのだろう。

143 国史教育を大いに改めなければならない。単なる年表的な抜き書きを改め、文化の発展、国民生活の発展、国民思想の進展を明らかにし、時代ごとの相違をはっきりと描写し、それにもかかわらず、国史三千年を貫いて流れる精神を感得させなければならない。歴史の中に己の真の姿を見い出し、歴史の中に自分の使命を悟り、歴史の中に人生の帰趨を求められなければ、歴史教育は無用の長物だ。単なる年号や人名の暗記が、このあわただしい人生で何の必要があろうか。

歴史教育でいろいろの趣向が凝らされ、いろいろの考案がめぐらされ、教授の技術は随分進んでいるが、一の精神が欠けている。

 殊に遺憾と思うことは、先賢に対する尊敬の欠如である。これは歴史を真に理解せず先人の思想や業績の意味を悟れないためだろう。逆に言えば、その傲慢不遜の態度が、先賢の心を得られない原因だろう。教師も生徒も先賢に対する態度が傲慢不遜である。

否、生徒の教師に対する態度が非常に失礼である。この師に対する倨傲無礼の態度こそ、日本の歴史に矛盾し、脊(せき)反する。道を求める熱烈な心、賢を賢として色(態度)に易(か)える心、長者を敬い仕える心、この心が今の教育界で稀である。

 

144 昔永平の道元禅師曰く。

 

「髄を獲得することや法を伝えることは、必ず誠実と信心によるものだ。誠心が外部からやってきた先例はなく、内心から生ずるしかない。まさに法を重視し、自らの身を軽くすること、世を逃れて道を住処とすることが重要だ。少しでも自らの身を顧みることが、法よりも重視されると、法は伝わらず、道を得ることはない。その法を重視する志気は、一つではない。佗(ほか)の教訓を待たないと言っても、ちょっと一二例を挙示してみよう。法を重視することは、たとえ露柱でも、燈篭でも、諸仏でも、野干(狐)でも、鬼神でも、男女でも、大法を保任し、我が髄を汝得せるあらば、身心を腰かけにして無量劫にも奉事する。身心を得ることは容易で、世界に稲麻竹葦のようだ。法に会うことは稀だ。」(正法眼蔵礼拝得髄)

 

145 道を重んじ、身を軽んじ、得道の人を礼拝し、法を尋ねる至誠、これが先賢(道元)の学問に対する態度であった。この心が今の世においてほとんど稀である。呪われたるかな、求道の至誠なき教育界!ひとり国史教育と言わず、教育界の全てにわたって、技巧はますます進むが、一の精神を欠いている。

 

昭和3年、1928年12月

 

以上 2021524()

 

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