2021年5月8日土曜日

『伊藤律回想録』――北京幽閉27年 文芸春秋 1993 感想その1

『伊藤律回想録』――北京幽閉27年 文芸春秋 1993 感想その1

 

 

感想 2021429()

 

 

伊藤律が『回想録』の中で語っていないこと。判断資料 宮下弘『特高の回想』と同資料「日本共産党常任幹部会発表」

 

・1935年4月、懲役2年執行猶予3年の判決を受け、出て来てから新井静子という日本女子大出身の共青同盟員と夫婦になったらしく、二人の連名で宮下のところに挨拶状をよこし、宮下は返事を書いたらしい。179—180

・戦前、宮下弘の署長栄転祝いの挨拶に署長官舎へ出向き一緒に飲んだ。227

・宮下弘、岩崎五郎の私宅を訪問し、料理店で会食もしていた。(常任幹部会発表272

・宮下弘、伊藤猛虎に敗戦直後の釈放後に手紙を送り、宮下からは返事をもらっていた。(常任幹部会発表273

 

やはり、こんなことはしてはいけない。警察のスパイだと思われてもやむを得ない。

 

伊藤が指導者としてふさわしくない点

 

山本(麻生)正子がスパイではないかとゾルゲ事件に関する回想文(『偽りの烙印』384--385)の中で述べていること。それが真実だとしても、これは自分の罪を他人に擦り付けるような行為であり、見苦しい。

山本正子は「簡単に釈放されている」、「生活が不透明」、「職業スパイ」、「岡部・長谷川その他を売った」など。

 

伊藤を擁護できる点

 

伊藤と同じように警察のスパイ行為をやった人は他にもいる。宮下の家を建てた人もいる。宮下と酒を飲んだ人もいる。

 

伊藤律が弁解すること

 

 伊藤が最初から北林トモの名前を宮下に言ったのではなく、最初は「アメリカ帰りの婦人」と言っていただけだったのを、1年3カ月後に宮下が北林トモを突き止めて伊藤に示した後の調書の日付を1年3カ月前と同じにさせられ、その結果、伊藤が最初から北林トモの名前を宮下にばらしたと受け止められるようになったというもの。『回想録』049

 

伊藤が共産党から嫌われる原因

 

伊藤は賢しい。いやに自分が共産主義者であるかのような口の利き方をする。中国の監獄では看守に「同志」などと呼びかけ、嫌がられる。看守の生活から共産主義を学ぶなどと言う。他でも「路線闘争」とかいって口論を好んだようだが、それは嘘っぽい。それは他の共産党員にとっては、かき回しと感じられたことだろう。伊藤が徳田と相性がいいのも分かる。二人ともワンマンで自己主張が先に出るタイプだ。

伊藤律は自らが置かれた場の権力に対して常に迎合的で、立ち回りが上手だ。つまり自己中である。警察に捕まれば警察に、戦後の共産党内では党内権力者の徳田球一に、中国で監獄に入れられれば、中国の労働者や中国共産党におもねるような言動が目につく。『回想録』の中で伊藤自らが語る、中国滞在中の中国人に対する言動を見よ。

 

日本共産党に対する疑念

 

 日本共産党は「隔離査問」と称して、なぜ伊藤律を27年間も中国の監獄に入れたままにして放置しておいたのか。伊藤の『回想録』によれば、中国側がこの処置を非人道的だとして伊藤を釈放したという。302いかにスパイだとしても非人道的ではないか。除名処分で十分ではないか。その原因は野坂参三かもしれない。というのは野坂は戦前のソ連滞在時、山本懸蔵をスパイだと密告して(『日本共産党の70年』上136)銃殺刑に至らしめ、自らの保身を図ったことがあったから、伊藤に対しても、そう扱ったとしても不思議はないからだ。

 

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