国民学校訓練の実践的研究 群馬県師範学校附属小学校著 京都帝国大学前総長文学博士小西重直序 明治図書 昭和16年、1941年3月30日初版発行 要旨・感想
感想 2021年7月25日(日)
当時の精神構造をよく表現する言葉
・分に応じて国に奉仕する奉公の態度122
・国土や自然に対する報恩・感謝の態度123
・皇国の道、皇運扶翼、国民的態度
感想 2021年7月21日(水)
生まれた時から毎日こんな教育を受けていたら、おかしくなる。しかし、いったんその非に気づけばそんなことをしてはいけない。
感想 2021年7月15日(木)
本書の論述の中に「行(ぎょう)」や正反合と思われる思想が現れるが、それはおそらく陽明学の知行合一やヘーゲル(マルクス)の弁証法由来と思われる。しかしそれは論述の装飾にすぎず、真の狙いは、全国民を戦争に総動員するにはどうしたらよいか、ということであったに違いない。
天皇の権威(勅語)や肇国神話の徹底した利用もそのためである。宮城遥拝、奉安殿拝礼、皇大神宮(伊勢神宮)遥拝、校舎屋上にある皇大神宮に労作園の初物の献饌、大麻(伊勢神宮の神札)拝礼、君が代奉誦、御製奉誦、視閲訓練での(実際は学校の主事・首席訓導だが、本質的には天皇)への敬礼など、可能な限りあらゆる場面で児童にそれを刷り込む。
礼儀の重視も一役買っている。長幼の序を重視し、親への感謝、先生への感謝を強要する。また郷土愛、国土愛を強調する。
この国民学校運動の主唱者は誰だったのか。本書執筆当時、軍人の荒木貞夫が文相をしていたが、どうか。
Wikiによれば、荒木は「1938年、昭和13年5月26日、第一次近衛内閣の文部大臣に就任すると同時に、皇道教育の強化を前面に打ち出した。国民精神総動員の委員長も務め、思想面での戦時体制づくりというプロパガンダを推進した。この頃から軍部による大学・学園への弾圧が始まり、人民戦線事件や平賀粛学などの思想弾圧が行われるようになった。」とある。
本書の出版は昭和16年3月23日であるが、本校における国民学校の「研究」はその3年前から行われていた(主事・西正行の序文)から、それはちょうど荒木が文相に就任した昭和13年に該当する。
Wikiによれば、吉田松陰は知行合一を唱えていたらしい。水戸学派の重用が当時の流行だったことは、平泉澄の論述からも推測できる。
著者である小学校の先生たちがほとんど全く疑問を持たず、上からの方針を受け売りする末端官僚の立場に安住する態度にはうんざりした。そこには末端官僚といえど群馬県内ではトップを自認し、選抜試験も行い良家の子女が通う群馬師範附属小学校の訓導だというエリート意識が作用していたのかもしれない。
感想 2021年7月15日(木)
本論文で現れる勅語等
「教育に関する勅語」1890.10.30 フランスやアメリカの教育から天皇中心の教育に方針転換。
「国民精神作興に関する詔書」1923 日露戦争後の民心の安定を目論んだ勅語。
「青少年学徒に賜りたる勅語」1939 戦争推進を狙った青少年に訴える勅語。
「軍人援後に関する勅語」079 昭和13年10月3日、近衛文麿首相が召され、「軍人援護に関する勅語」を賜った。その時御内幣金300万円が下賜され、これを元にして傷痍軍人や軍人遺家族に対する各種援護事業を行うため、昭和13年10月7日、「恩賜財団軍人援護会」の設立が閣議決定された。(excite ブログ「戦時期の山梨16『恩賜財団軍人援護会山梨県支部』」)
「国民学校の教育方針」124, 162
「国民学校教則案説明要綱」124
序 小西重直 昭和16年、1941年1月
感想 2021年6月20日(日)
論理の足が地についていない感じを受ける。いきなり「皇国」、「日本の歴史」、実践が論理の中に現れる。当時の人は浮かれていたのではないか。
要旨
知性や思想は実践でなければならず、またそれは皇国の道に則らねばならない。
真に価値ある思想は単なる知性そのものから生じない。それは「人格全体」から創造されなければならない。また人格全体から創造された思想も、客観的なものとして眺めて楽しむためのものではなく、実践実行でなればならず、またこれは皇国の道に則り、国民としての道を実行実践するためのものであるべきだ。(いきなり。理由は。)
日本の歴史の本質は観念的なものではない。(意味不明)それは実に惟神(かんながら、神の本性のままに)の大道の実践である。(意味不明)日本においては歴史の事実の中に国民の行うべき規範が厳存している。日本の歴史に生きねばならぬ日本国民(意味不明)は観念の世界に止まるべきでなく、実行実践へと努力せねばならない。(意味不明)
外国から入ってきた思想も日本固有の実践的国民精神によって実践的同化をした。儒教や仏教を観念として楽しむよりは、それを実践的に醇化(不純なものを除去して整理)し、血や肉とした。実践は日本の一大特徴である。家族の生活が観念の生活ではなく、親心子心の実践の生活である(当然では)のと同様に、大家族としての日本は実践的である。それは家族的な国柄によるのだろうか。
国民学校の教育がその機構の全体にわたって実行実践に重きを置いていることは、日本的教育の特徴を明示する。
群馬県師範学校附属小学校が夙に(つとに、早くから)身心一如、知行一体、実践的訓練の研究を積み、これを児童の教育に実行し、実践的性格の錬成に努めて来られ、最近の国民学校の基本精神に即してますますこの方面の研究を進め、実際の実績を挙げ、今ここに体験と理論とをもとに本書を公刊された。これは実に日本の教育上欣快なことであり、その道に一大光明を放つに至れる(意味不明)ことは心から感謝すべきである。
昭和16年、1941年1月 東京世田谷成城 小西重直識(書き記す)
序 群馬県師範学校長 小野貞助
感想 2021年6月20日(日)
本書の出版は国民学校に関する勅令に基づいて行われたようだ。002
群馬師範付属小学校ではこの勅令以前からこの国民学校の理念を「先取り」する形で「研究・実践」が行われていたようだ。(「国民学校案」002)
国民学校令が国民を総動員する総力戦としての戦争遂行を意識して目論まれ、それに神国日本の歴史(皇国)を加味して大げさに威勢よく脚色した様子がうかがえる。
文科省HP「国民学校令の公布」によれば、
国民学校の目的は、国民学校令(昭和16年1941年3月1日)第一条「国民学校は皇国の道に則りて初等普通教育を施し、国民の基礎的錬成を為すを以て目的とす」に要約されている。
その基本理念は文部大臣橋田邦彦から道府県に当てた文部省訓令第九号「国民学校令並びに国民学校令施行規則制定の要旨」に現れている。
「未曽有の世局に際会し庶般を一新して国家の総力の発揮を必要とするの秋に当たり、教育の内容及び制度を検討してその体制を新たならしめ国本を不抜(強くてしっかりしていて動かない)に」培う必要から、「わが国独自の教育体制を確立せんことを期し、ここに国民全体に対する基礎教育を拡充整備して、名実ともに国民教育の面目を一新し、克(よ)く皇国の負荷に任ずべき国民の基礎的錬成を完うし、将来における学制の根底たらしめん」(文科省「国民学校令の公布」)
年表
・教学刷新評議会は昭和10年1935年12月5日、文部大臣から「我が国教学の現状に鑑みその刷新振興を図るの方策如何」につき諮問を受け、
・その審議の結果、昭和11年1936年10月29日、「教学刷新に関する答申」を可決答申した。その答申の中に「学校教育刷新に関する実施事項」がある。006
・教学刷新評議会は以上の答申と同時に、教学の指導と文政の改善に関する重要事項を審議するために「有力な」諮詢(諮問)機関を設置することを政府に建議し、昭和12年1937年、「畏くも」上諭(君主のお諭し)を拝し、教育審議会が設置された。
・その審議の結果、昭和13年1938年12月8日「国民学校に関する要綱」を内閣総理大臣に答申した。008この「要綱」の具体案が「国民学校教則案」である。009
・国民学校令(勅令、昭和16年1941年3月1日公布、同年4月1日施行)
・「国民学校令並びに国民学校令施行規則制定の要旨」
小学校令施行規則改正(昭和16年3月14日、文部省令)の中に「国民学校令施行規則」が含まれている。
・「国民学校教育方針」019, 157, 162
要旨
001 皇紀2601年、稀有の世界史的転換期を迎えた我が国は、今や肇国の本源に立ち還り、皇国本来の大使命(それは一体何か。*)を遂行すべく、一億一心、外は新東亜建設の大業に、内は皇運扶翼の新体制樹立に、その偉大な生命力を遺憾なく発揮しつつある。
*次の「新東亜建設」、八紘一宇を指すのだろう。それは、日本書紀の「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせん」を、「全世界を一つの家のようにする」と解釈する帝国主義的スローガンである。
このときに当たり、国家発展の根基を培うべき国民教育の一大刷新が企図され、世界に未だかつて類例を見ない国民学校教育制度が愈々(いよいよ)今年の4月を期して実施されるということは、皇国発展のため誠に喜びに耐えないとともに、我ら国民教育者に対してかつてない重大な任務が課せられたものと言うべきである。今日国民教育者の自覚と気魂(きこん)とが要務とされる。国民学校教育の制度と内容は、三千年にわたる我国教育史の凝って成った結晶であり、広くは五千年に及ぶ人類教育史が我国において結晶した記念塔でさえある。(大げさ)この教育制度の内に流れる歴史的生命を体認することが肝要だ。
002 さてこの国民学校は「皇国の道に則りて初等普通教育を施し、国民の基礎的錬成を為す」ことを本旨とし、「教育の全般にわたりて皇国の道を修練せしめ、」身心一体、知行合一の実践的教育を重んじ、学校を挙げて「国民錬成の道場」たらしめようとする。従来の小学校教育に比し、多分に訓練的性格を帯びていることは一見して明瞭である。(上からの立場を忖度しているような表現がふと現れた感がする。)
国民学校案が発表されて以来、その正しい把握と実践に懸命に取り組んできた当付属小学校は夙にこの点に留意し、昨年1940年9月第16回群馬県初等教育研究会を開催し、特に皇民訓練の実践状況を公開し、県下の実際家各位(軍人か。)の批判を仰いだ。国民学校における訓練の重視は教授の軽視を意味するものではなく、却って教授の徹底を意図する。教授、訓練、養護の三者が一体となった教育こそ、国民学校の特色である。西主事を中心とする付属職員一同の研鑽努力がこのような小著となり、世の批判を仰ぐことになった。
昭和16年、1941年2月11日 紀元節の佳節に記す
群馬県師範学校長 小野貞助
序 主事 西 正行
要旨
001 国民学校教育の研究実践を始めてから既に3年になる。我々の教員生活はこれまで国民学校の研究に明け暮れした。(相当無我夢中になってやったようだ。)
本書のタイトルを「国民学校訓練の実践的研究」と称するが、その国民学校訓練は教授や養護と区別された意味での訓練ではなく、訓練が教授や養護と一体となった唯一つの皇民錬成の教育だけを指すのであり、その教育を訓練的見地から述べようとするものである。ただ紙数の制限のために訓練を主とする教育施策だけを取り上げることになった。
002 本書に続いて「国民学校教授の実践的研究」を刊行する予定である。
主事 西 正行
第一章 我が国教育刷新の動向と訓練
第一節 教育革新の機運
感想 安っぽい自賛の現状分析。読んでいて眠くなる。総花的で月並みな話の継ぎ合わせであり、論理の筋が見えない。
要するに「日本」は素晴らしく、欧米の個人主義、自由主義、唯物論、資本主義、共産主義は間違っていて、中国もそういう欧米に感化されて日本を侮辱するようになった。だから満州事変や日中戦争、五・一五事件は正しいのだと、そういうことを言いたいようだ。
要旨
001 我が日本は明治開国以来、日清、日露の二大戦役を始め、幾多の難局を突破して、国運は全く文字通り旭日昇天の勢を以て進展し、遂に今日の如き輝かしき躍進日本の姿を見るに至った。
国の面積では、明治27年1894年に38万方粁(キロメートル)に過ぎなかったが、日清戦役の結果、台湾と澎湖島(ほうことう)を加えて41万方粁となり、日露戦役後に樺太南半を領して45万方粁となり、更に明治43年1910年、韓国を併合するに及び、67万方粁となった。
002 経済・産業では、明治初年、貿易の実権は殆ど全く外人の手中に握られていた。今日輸出品の大宗(たいそう、根本)であり年額5億円を輸出する生糸では、当時(明治初年)は地方の生糸問屋が生糸を集めて横浜の外人に売り、外人は外国の相場を見て生糸の値段を決めて買い取るようなありさまだった。
財政では明治維新当時の歳出が僅かに3050万円余であったが、日清戦後の明治29年度1896年度には1億7000万円に達し、日露戦後の明治39年度1906年度には5億円となり、大正10年度1921年度には12億3000万円、最近の昭和15年度1940年度では、経常費だけで27億4000万円、臨時費は33億4000万円で、総計60億円という大予算になった。(インフレは考慮しないのか。)
003 その他交通や文化等の各方面でも全く面目を一新し、真に隔世の感があると言っても過言ではないと思う。(具体例を示せ。)
教育では明治5年1872年の学制頒布以来、明治12年1879年の教育令、明治19年1886年の小学校令、そして明治23年1890年と明治33年1900年のその大改正が行われたが、その後大改新は行われず今日に至った。
思想面では、明治開国以来輸入された西洋近世の思想は、個人を最終の目的とし、個人を他の手段と見ない所謂個人主義であり、それは同時に外部からの強制を排しておのれ自身の本性に従おうとする自由主義思想であり、さらにこれは物質万能の唯物思想であった。(全部同じものか)
この西洋思想は明治時代にはさほどの弊害をもたらさなかったが、大正、昭和に至り、社会の各方面でその弊害を現してきた。
004 即ち政治的には政党の腐敗・堕落を来たし、経済的には資本主義機構が発達して資本家と労働者との対立抗争が生じ、特に大正末期から昭和にかけての農村の不況は、農村だけでなく社会全般の思想を悪化させた。
このため共産主義思想が社会の各方面に浸潤し、実に憂うべき社会情勢となった。これらの情勢を見て憂国の至情抑えがたく遂に直接行動となって現れたのが、昭和7年1932年の五・一五事件であった。(肯定的)
一方支那においても欧化思想、欧米崇拝の風が漸次盛んになり、遂に欧米を崇拝して我が日本を侮る風を生じ、排日侮日の行動が日増しに増加し、我が国としても到底耐えられない状態となり、遂に満州事変を発生せしめるに至った。(日本が満州事変を起こしたと認めている。)この事変を契機として我が国内では、欧州近世思想の弊を脱却して日本本来の姿に帰るべきことが強調され、日本精神の昂揚が叫ばれてきた。
ところが支那における欧米崇拝と日本排斥の思想はなおも熾烈を極め、日支間の摩擦は愈々激しく、昭和12年1937年7月盧溝橋に端を発した支那事変は、遂に今日のように支那全土に亘る大事変となった。この事変では前線の将兵の忠勇な働きと、銃後の国民の活動により、ますます国民精神が昂揚され、日本教育学の建設、国体日本精神に立脚する真の日本教育の実践が強調される情勢になった。
005 さらにこの支那事変は日支両国間だけの問題でなく、英米ソ連等のいわゆる援蒋第三国があって極めて複雑であった。(過去形)
この時英仏に対する独伊枢軸の攻勢があり、自由主義国家に対する全体主義国家の闘争となり、これは直ちに支那事変にも連関して、全世界は英米仏等の自由主義国家に対する全体主義国家の対立となり、今や世界は全体主義に立脚する新しい秩序建設に進みつつある。
このため各国とも、国内の体制をこの新しい全体主義の原理によって整え、我が国でも大政翼賛に帰一する新体制が着々と建設されるに至った。
この世界史的大転換の中にあり、教育が大きな根本的刷新を要望されるに至ったことは自然の数(運命、情勢、なりゆき)と言うべきだ。
第二節 教育刷新と訓練(第一節とは筆者が異なるようだ。)
感想 2021年6月23日(水)
日本の政治家はこの時点で個人主義、自由主義、唯物論、資本主義、共産主義などの歴史的な意味を理解せず、日本書紀の神話の世界に閉じこもってしまったようだ。
要旨
005 前述のごとく「教育革新」の機運は「必至の運命」を以て教育の全野にわたり澎湃(ほうはい)として「起こった」のであるが、この機運の中で最も「権威」があるものとして教育刷新の使命を担って設置されたのが、教学刷新評議会である。
006 一、教学刷新評議会答申と訓練
教学刷新評議会は昭和10年1935年12月5日、文部大臣から「我が国教学の現状に鑑みその刷新振興を図るの方策如何」につき諮問を受け、審議の結果、昭和11年1936年10月29日、「教学刷新に関する答申」を可決答申した。その中で特に「学校教育刷新に関する実施事項」について、これと我々の主題とする訓練との関係を以下に考察する。
第一に、「我が国において祭祀と政治と教学とはその根本において一体不可分の関係にある」とし、其の結果「学校に於いては古来の敬神崇祖の美風を盛んならしめ、この精神の徹底を図るため、適当なる施設(施策)を考慮(考案)し、またこれに関する教養に力を用いること」を必要としている。これは我が国教学の根底を明らかにしたものであり、学校教育においては先ず敬神崇祖の精神を徹底させるべきことを述べたものである。(同語反覆)この敬神崇祖の精神は、単なる知識として与えるべきものではなく、自然の間に信念として培われるべきもので、直接情意に作用することを本質とするところの訓練で育成されなければならない。
第二に、「学校を国体に基づく修練の施設とすべきだ」と述べている。これは従来の教授本位の学校観を一擲(てき、一度に投げ捨てる)し、学校を修練の道場と観るものであり、学校観の一大転換と「言わねばならない。」
007 この道場としての学校では、訓練こそ教育活動の中核でなければならないが、同時にその修練はすべて我が国体に基づくべきものであることを根本の態度とする。(大げさなもったいぶった言い方。)
さらに「教師と生徒、生徒相互間に於いて精神的人格的関係を図るべきこと」を述べ、従来の知識偏重の教育に対して「躾、修練」を重んじ、(体罰)更に自由主義、個人主義に対して(を廃して)、「奉公の精神」を強調し、特に「実践躬行(きゅうこう、口で言う通りに実行する)を主とすることが肝要である」とする。これは従来の教育に比べて一段と訓練の地位を重んじ、訓練の向かうべき根本方針を示したものと言うべきである。(もったいぶった言い方)
二、「国民学校に関する要綱」と訓練
教学刷新評議会は以上の答申と同時に、教学の指導と文政の改善に関する重要事項を審議するために「有力な」諮詢(諮問)機関を設置することを政府に建議した。昭和12年1937年、「畏くも」上諭(君主のお諭し)を拝し、教育審議会が設置され、その慎重審議の結果、昭和13年1938年12月8日「国民学校に関する要綱」を内閣総理大臣に答申した。
008 その「要綱」によれば、国民学校教育の趣旨として第一に「教育を全般にわたりて皇国の道に帰一せしめ、その修練を重んずべきこと」を述べている。
従来の教育が道徳教育、国民教育、知識技能の教授と、三者に並立的に考えたのに対して、教育の全てを皇国の道に帰一させることにした。これは真に我が国の独自の教育の方向を確立したものと言うべきである。訓練の面から見てもその目標とするところは皇国の道に帰一することであり、従来の欧米思想に根拠をおく個人主義的・自由主義的訓練は根本的に是正されなければならない。
さらに「その修練を重んじ」という趣旨に鑑み、口舌の道徳教授に陥らないように、一段と実践を重んずることが必要である。
国民学校教育の第二の趣旨として、「訓練を重んずるとともに、教授の振作、体位の向上、情操の陶冶に力を用い、大国民を造るように努めること」と述べている。この「訓練を重んずる」の言葉によって十分に訓練を重んずべきことがうかがわれる。それと同時に教授の振作、体位の向上、情操の陶冶と相俟って、大国民を造ることが眼目とされなければならない。(同語反覆)
次に要綱の第11項に「身心一体の訓練を重視して、児童の養護、鍛錬を行うべきこと」を述べている。
009 これは従来の訓練が陥りがちであった単なる形式的、外形的訓練を否定するとともに、実践を離れた道徳教育に陥ることも避け、精神と身体を一体とした身心一如の訓練、つまり行による訓練を重視すべきことを示したものである。
以上は「国民学校に関する要綱」が示す訓練の地位と方向を論じたものである。これは具体的に国民学校教則案に記されている。それについては次章以下で詳述する。
第二章 国民学校訓練の要諦
第一節 国民学校訓練の意義
感想 2021年6月22日(火)
もったいぶった表現。「ご承知のように」と言って論理的説明を回避する。こちらは承知していない。
要は天皇神格化教育を合理化したい。そのためのあの手この手の作文である。即自、対自*などの哲学用語をもっともらしく引用する苦し紛れの論理構成である。
天皇神格化を有無を言わせぬ実践で体得させるという。
安っぽい西洋批判。
筆者は誰か。文責がない。
即自・対自など人間の実存的在り方に関する哲学的思考と本節の論理(天皇への命の無思慮な献上の合理化)とは何ら関係がない。また実践、情念、宗教などの論理も同様に本節の論理と何ら論理的必然性がなく、天皇への命の無思慮な献上を合理化するための手段に過ぎない。
*本節で現れる「即自・対自」はヘーゲル(1770—1831、即自、向自、即自かつ向自『精神現象学』1807)を想定しているのか。「即自・対自」概念はサルトル(1905-1980)を想起させるのだが、時期的にサルトルは後世の人間だ。『存在と無』1943.10を発表したのは第二次大戦中であった。
「正・反・合」はフィフィテ『全知識学の基礎』1794のThese, Antithese, Syntheseの訳語である「定立、反定立、総合」の略称。マルクスやイギリスのヘーゲル学派がこの概念を借用し、ヘーゲルの弁証法を説明したのだが、日本にヘーゲルが紹介された時、「正・反・合」はヘーゲルが用いた概念だと誤解された。(コトバンク)
要旨 (これも前節の著者とは違うようだ。最後のあとがきとしての第四章を書いた人と同一人物のようだ。)
010 国民学校は「皇国の道に則りて初等普通教育を施し、国民の基礎的錬成を為す」ことを以て本旨とする。(もったいぶっている。)ここで「皇国の道」が国民学校教育の最高原則を示し、「普通教育」がその教育内容を示し、「基礎的錬成」がその教育方法を示すことは、既に周知の事柄である。(理由を説明しない強引な論法)如何なることがらも方法の実がなければその成果が望めないように、国民学校教育の実践も何よりも先ず基礎的錬成という独自の教育方法を実にすることから始めなくてはならない。
錬成とは教授、訓練、養護の三者一体の教育方法である。(国民学校)「教則案」に「教授は知識・技能の修得を通して国民的人格を育成する教育作用を指し、訓練は直接に情意に作用し実践を通して国民的人格を育成する作用を指し、養護は身体の養護と鍛錬を通して国民的人格を育成する作用を指す。この三者は方法的に区分されるが、究極の目標は一つ(国民的人格の育成)である。以上が錬成の意味である」とある。ここではこのような三者一体の教育によってのみ初めて国民的人格の統一的発展が期待されると強調されている。(同語反覆)だとすれば錬成の教育を実にする方法は、この三者一体をどう実現するかということが問題になってくる。(大前提が与えられていて、大前提そのものの意味を吟味する余裕はないようだ。)
011 この問題をこれまでの小学校教育にあてはめて考察し、国民学校における訓練の意義を明らかにしていきたい。
教授とは知識技能の習得を通しての教育作用であり、訓練とは直接に情意に作用し実践を通しての教育作用であり、養護とは身体の養護と鍛錬を通しての教育作用であるとするならば、実際の教育実践では厳密な意味での単なる教授、単なる訓練、単なる養護があるはずがない。ただ従来の小学校教育ではこの三者の一体的教育が十分自覚的に行われず、たとえ考慮されたとしても、多くは教授の面だけに力が入れられた結果、偏った教育となり、全一的な国民的人格の育成に欠くところが生じた。(ずいぶん素直な自己批判だな。)
「人も知るごとく」(もったいぶった言い方。論理的推論の放棄)小学校教育は主として西洋近世の合理的世界観に基礎を置く教育思想にその成立の地盤をおく。この世界観は「言うまでもなく」普遍性、客観性を本質とする知的理性の立場に立ち、何よりも理性的であることを主な特質とする。文化の発展が分化の傾向となり、原子論的機械観の窮地に陥ったことは「人の良く知るところである。」(推論の放棄)
012 人間観における知情意(の分離)、心身の分離、教育観における教授、訓練、養護の分離(どんなことを指しているのか)は、その教育上における現れであり、やがてそれが本来全一的であるべき教育作用を分離の「苦しみ」に陥れる結果になった。もしこのような世界観に立つ理性的な教育意識によって生み出されたものが、我が小学校の教育であるとすれば、それが次第に教育の具体的地盤から遊離して(意味不明)所謂文化本位の教育(意味不明)となり、理論を主とする抽象的な学の教育となり、結局学校教育即教授とまで考えられるようになったことも偶然ではない。
このような小学校教育における偏頗な発達(虚構の前提)を是正して真に全一的な国民的人格(枕詞)の教育機関とする国民学校が、特に「錬成」という味わい深い言葉(おべっか)で三者一体の教育作用を強調し、今日まで不当に軽視されてきた訓練や養護など、その中でも特に訓練の教育作用を重視し、あたかも訓練中心の教育を高唱するかの慨があるのも、正当に頷くことができる。(こじつけ)
国民学校では知識技能の習得(教授)も、身体の養護と鍛錬(養護)も、それらが情意に作用して実践とならなければ、十分な教育作用とは言われない。こうしてわれわれは教授、訓練、養護の三者一体の教育作用を強調する国民学校での錬成の教育が、結局その三者一体を訓練中心に考えていると思うに至った。
013 しかし、その訓練中心は行事中心の教育ではない。「改めて言うまでもなく」(尊大)国民学校と雖も教育作用の大部分は教科を取り扱う教育の面でなされる。教科教授という場合の教授と、訓練、養護、教授という場合の教授とは区別すべきである。前者は一個の具体的な教育作用を指すが、後者は一個の教育作用においても、またなされ得るところの原理的区分における概念だからである。(意味不明)一切の具体的な教育作用は程度の差こそあれ、常にこの教育作用の三者の共働において成り立つ。従ってここで訓練中心というのは一切の教育作用に於いて訓練的な性格が強く要求されること、換言すれば、教授の訓練化、養護の訓練化が強く要求されているということである。
そうすれば訓練化は国民教育のどんな層面でどのようになすべきか。我々はさらにこのことについて国民学校のアルベキ姿を素描しながら考察していきたい。(ふざけ)
国民学校は皇国の道を体認(体で認識)し、これを現実生活(戦争)のうちに実践しうる「全一的なる国民的人格の錬成の道場」でなければならぬ。そこ(国民学校)ではこのような国民的人格を形成する国民生活の本質的構造にたいする深い顧慮と配慮がなされなくてはならない。その配慮なしに教育が行われたとすれば、所期の目的を達成できないだろう。それでは国民生活の本質的構造とは何か。それを原理的に考察すると、次のような三つの層面を見い出す。
014 第一は生きることに直接する生活の層面である。それは近衛首相の「国民の全てに最高の名誉と最低の生活を保証する」という、その「最低の生活」にほぼ相当する生活面である。それは国民生活の自然的基礎である国土と国民性に結びついた、いわば文化や意識以前の生活行動の面である。
第二は第一の層を基底とし、それからの自由において成立する文化の生活、つまり意識や理性などの生活面である。それは第一の層の生活の素朴な国民的特殊性に立脚し、それを否定することによって国民生活に理性的な世界性をもたらす生活面である。
第三は第二と同様に、第一の層に立脚しつつ第二の層を不可欠の媒介とし、しかも第一と第二を越え、一切を包んで行われる、広義の宗教的な生活の層面である。それは理性によって否定された国民の素朴な特殊生活(第一層)を、真の「具体的普遍」(相反矛盾)に蘇らせる高次の生活面である。
第一の層を前合理的な未だ意識と行動とが分化しない「即自的」な未分化の生活面だとすれば、第二の層は意識や理性が主として働く「対自的」な文化の生活面であり、第三の層は、即自や対自の境を越えて、それらをそれらとしてあらしめる、常に我々の生活を一個の「統一ある」具体的全体たらしめる超合理的層面である。(宗教などなくても人は統一した人格を持っているのではないか。)
015 ここ(第三層)は、そこで人が自己を超越した全体あるいは超越者(天皇)に対することによって新しい生命と力を得ることができる「特殊絶対」の世界である。
以上で国民生活の本質的構造が尽くされたとは考えないが、以上の三層面が我々の生活の最も主要な「構造契機」をなしていることは十分に認められる。(偉い自信過剰。西洋哲学を借用し、国家や天皇の宗教的絶対性を肯定するためのえせ理論。)
小学校教育との関連で国民学校教育に要求されることは、第一に、教育をそれがよって立つ本来の地盤であるところの第一の世界へ復帰させ、そのことによって新しく国民的教育に向かわせることである。文化、意識、理性等によって性格づけられる普遍的・抽象的な理の世界から、地と血、即ち国土と国民性に根付く具体的・現実的生活実践の世界つまり前合理的な事の世界へと率直大胆に復帰することによって、出発の地盤を獲得すべきである。(前のパラグラフの趣旨と異なるのではないか。前のパラグラフでは第一はあまり重視されていなかったようだが。)
「改めて説くまでもなく」、いかに生きるべきかということは、生きることに即して考えるべきである。(当然。意味不明)「古の教育を尋ねるまでもなく」、教育は教育しようという意図から出た教育意識や教育理性から生まれたものではなく、我々が人間として、国民として(なぜ国民が出て来るのか。)生きることの内に、つまり生存生活そのものの内に根ざしている。
016 国民学校教育は肉体と血を持って生まれて来た個々の児童に対して「皇国民として生きていく」(唐突)力と道(方法)とを与えられるくらいの力強さを持たねばならない。さもなければ、国民教育の権威の確立も「空」になるだろう。
小学校はともすると理論的なものや合理的なものだけに頼ってきたが、国民学校はその前に前合理的な生き方に即した基底的実践力を要求する。(意味不明)国民学校に於ける家庭や社会との連絡の強調や、即生活教育の強調などは、この面(前合理性)からしても留意されるべきである。
これに関して教育も、教授、訓練、養護の三者一体として行われるべきであるが、知識技能を通ずる(知識技能に精通させる)ことを本質とする教授的な作用によってよりは、非合理的な面に直接関わる作用としての訓練と養護が、しかもそのうちでも訓練が中心と「ならざるを得ない。」
第二に、国民学校で強調される「身についた知識技能」を得させるために、教授の訓練化を図ることである。前述のことが、教授中心の教育をその基底的地盤へ復帰させることだとすれば、これは教科教授を情意化・実践化することである。これは「教則案」の全体にわたって明瞭に要求されている。(意味不明)このことは同時に、一方で養護の教授化・訓練化を意味し、他方で訓練の教授化を意味し、そこに養護・訓練の組織化・合理化が考えられるべきであることは当然だ。このことはやがて国民生活の基底的な層である生活行動そのものの理性化・合理化となってくる。(前のパラグラフと逆の方向を言っているのではないか。どうなってるの。)
第三に、国民学校教育に要求されることは、国民生活の第三の層、乃ち児童が自己を超えたものに対する宗教的世界を常にはっきりと持たねばならないということである。それは学校教育の全体が帰一するところ、児童、教師の一切の生活が一に帰する絶対の世界(天皇制)である。ここでは一切が対立を超えて一体となる。国民学校が求める、理論と実践との一体、精神と身体との一切が現実に生成される世界である。生きることと知ること、事と理、教と学とが一体として皇国の道に帰一する、我が国本然の国民教育が初めて現れる世界である。古来東洋的な行において見られた世界はこのようなものだっただろう。そこでは児童も教師も学校も一切が皆、自らを超えた超越者の中に包容され新たに「超越者の自己限定」としての「超越的生命」を感得する。一個の私が公の私となり、一個の児童が皇民としての自らを初めて感得する世界である。
018 この高き世界を見失いつつあったところにこそ従来の学校教育の致命的欠陥があった。生きることに直接する生存の世界に深くその根を下ろしながら、しかも意識的・理性的な世界を不可欠の媒介として、この一体帰一の世界に向かうところにこそ、真の国民教育が成り立ち、国民学校の真面目がある。我が国民学校教育の全ては、この帰一一体の世界で、絶対の道としての皇国の道に参ずるのでなければならない。我が国にあっては皇国の道を外にしての国民生活は考えられない。皇国の道は国民の生命の内にあって、しかも理性的なものを包容し、さらにそれを超える、内在的かつ超越的な絶対の道である。(意味不明)それは単なる実践によって捉えられるものでもなければ、単なる理性によって把握されるものでもなく、知と行とが純乎一体として働くとき初めて会得体得される道である。このような世界への教育を求めるとき、結局それは象徴的なものによる教育とならざるを得ない。これは国民学校において「儀式とりわけ国家的儀式は国民的情操を涵養する第一の、そして無二の機会である」と述べている所以である。このような教育が直接に情意に働きかける訓練的性格を極めて濃厚に持つことを人は誰しも認めることができる。それは教授と並べられる訓練ではなく、教授の中に含み、それを超えた、高次の訓練と名づけるべき教育作用である。(皇国の道について。力説だが、強引な繰り返し。)
019 以上が国民学校における訓練の意義である。最後に、訓練実施上の留意点を述べる。
第一は、国民学校における訓練の重視が原理上のものであるということである。全教育作用の訓練化を図る際、訓練的行事の量ではなく質を吟味・検討し、整理・組織化することである。ただし、極端な合理化は訓練の非合理性(生存そのもの)を失い、人格教育の危機をもたらす。教育意識が教育するのではなく、教育者が教育する…(どちらに重点を置くのか。筆者本人も分かっておらず、迷っているのか。)
第二は、訓練作用は児童の具体的特殊性の上に施されるべきこと。特に養護(心身の育成)との結合に留意すること。――「国民学校教育方針」10参照――
第三は、具体的な教育において、訓練なき教授もなければ、教授なき訓練もあり得ぬことを考えて、教授との適正な結合を図ること。(過度な訓練をするなということだろうが、前言の修正である。)
020 最後に第四は、国民学校の本旨が全一的な国民的人格の育成にあることをわきまえ、教授、訓練、養護の三者をして各々そのところを得しめ、訓練をして他の職分を侵さしめたり、他の教育作用を乱したりすることのないように留意すること。(これも折衷的・生半可)真に(この三者の)相互が生きて全一的な国民的人格が成る。国民学校教育を(訓練によって)反動的なものたらしめることは厳に慎むべきである。(筆者の言いたいことはやはりここにあったのではないか。)
第二節 国民学校訓練の性格
感想 2021年6月25日(金)
言葉が飛び跳ねている。言葉を使っているが、言葉に基づく論理で他者を説得するというよりも、言葉を発する際の威圧的な雰囲気が筆者の言いたいことなのだろう。ヒトラーの演説に意味はないが、そのジェスチャーに意味があるのを想起した。言っているご本人でさえ自分が何を言っているのか分からないが、言葉を通して他者を威圧していることだけは自覚していると思われる。
教育は宗教であるとし、宗教的な皇国の「道」を大仰に宣伝する。
本節で、その論旨に納得できるかどうかは別にして、唯一理解できた言葉は次の言葉であった。「単に頭がよいというだけの子ども、単に心情が善いというだけの児童よりは、善きことを現に日常の生活において具体的・客観的行為として現すことのできる児童、換言すれば仕事のできる働きのある子供を育成しなければならぬ。」023
要旨
020 「改めて説くまでもなく」、国民学校教育の目指すところは、皇国の「道」(進むべき道、生き方)に帰一する(全員がそこで一つになる)皇国民を錬成することであるから、国民学校訓練の性格は何よりもまず、皇国の道そのものに「必然する」ものでなければならないことは言うを要しない。以下、皇国の道で特に留意しなければならぬ諸点を掲げ、国民学校の持つべき性格を述べる。
021 第一に、皇国の道は、個人の道でも、家庭の道でも、抽象的人道でもなく、「特殊と普遍の対立を超え、しかも特殊に絶対性を付与し、普遍に具体性を与える、まさに具体的普遍たる」国家の道である。(意味不明)
「人も知るごとく」、西洋中世では人間の道は神への道に見出され、西洋近世では人間の道は個人の道に観念された。ところが我が国では、肇国以来国家の道以外に人間として生きる道は考えられなかった。我が国家への道は、「言うまでもなく」、万世一系の皇運を扶翼し奉り、八紘一宇の大理想を宇内に布く道である。(今でもか)しかし、歴史の現実ではこの道が常に十分に自覚的であったとは必ずしも言えなかった。現に西洋近世の世界観を地盤として生まれたかに思われる我が小学校教育では、口では国家への道を説きながら、ともすると国家の道以外に、個人の道や家庭の道があるかに考えられ、そこでの道徳教育や訓練の教育が、いつとはなしに多元的性格を帯びてきて、私的な生活も許容されるようになり、やがては立身出世という如き功利的なものと結びつくに至った。
新体制運動の先駆としての国民学校案では何よりもまず、一切の教育の帰一すべきところとして、我が国家の道としての皇国の道が「高く」明示された。
022 皇国の道は我が国家の道である。それは絶対的な惟神(かんながら)の大道(神道)であり、皇祖皇宗の御遺訓であり、この御遺訓を体現せられる 陛下の大御心に応え奉る皇国臣民の道である。それは「一切の道の帰一するところ、そして一切の道を道たらしめる」、「超越的にして内在的な、一にして一切であるところの絶対の道である。」(意味不明)
国民学校教育の一切は、このような「絶対的な国家の道」に則り、これに帰一し、これを体現せしめる「絶対の教育」でなければならぬ。これは国民学校の訓練が、小学校のそれに比し、顕著な国家的性格と宗教的性格とを持ち、あくまでも児童の具体的特殊性に立脚しながらも、常に「全体をして一に帰せしめようとする全体的国体的な性格」をもつ所以である。
第二に、皇国の道は、理性によって捉えられないし、主観的心情によっても捉えられない。皇国の道は、我が国民の生活実践における力と心情が、理性によって媒介・醇(純)化され、知と行との真の純乎一体として働くときに会得・体得され、体現・実践される、「高き意味の主体的実践、乃ち行為の道」である。(意味不明)ところが従来の小学校教育ではともすると道徳教育もしくは訓育が単なる理性の立場からのみ考えられ、生活実践における力と心情を欠き、あるいは単なる主観的心情の面だけに関心を持ち、「客観的な行為的実践性」を軽視しがちであったようだ。
023 国民学校に於いては単に頭がよいというだけの子ども、単に心情が善いというだけの児童よりも、善いことを現に日常の生活において具体的・客観的に行為し現すことのできる児童を、言い換えれば、仕事のできる、働きのある子供を育成しなければならぬ。(この程度のことなら、以前とさほど変わらないのでは。)単に道を教え諭すというのでなしに、ままならぬ(思うようにならない)現実生活の中で皇国の道を(唐突)力強く生き抜く力と心情と理性を錬成し、皇国の道を具体的・客観的に生きていくことを企図しなければならない。「力に即した道、道に即した力」(言葉遊び)の錬成が何より大切である。我が絶対の道たる(唐突)皇国の道は、単なる理によって把握されず、単なる主観的了解でも尽くされない。それは、主観的心情と客観的理性とを不可欠に媒介としつつ、しかもそれを乗り超えた、「高き意味の主観的実践」によって始めて捉えられ、生きられる道である。そのことは意力、体力、企画力、作業能力等の基礎的錬成が国民学校に於いて特に留意されなくてはならぬ所以である。
しかもそれが単なる自己肯定の道行においてでなく、絶えざる自己否定を媒介とする身心一如、知行一体の絶対道への参入であるところに国民学校訓練の行的性格が必然的に生ずる。この行的性格とは、決して従来の小学校訓練の理論的性格や主観的性格に対立する、あれ(小学校教育)からこれ(国民学校教育)への反動的(暴力的)性格を意味するのでもないし、児童の特殊性、自発性を圧迫する硬教育も意味しない。
024 (この行的性格は)児童における生活力、生活心情を根底とし、理性を媒介としつつ、しかしさらにそれらを超えてそれらを生かす「高き意味の実践的性格」を意味する。(かつてもそうやっていたのでは。)血と肉と理性とをもった教師の人間全体が、血と肉を持ち、理性の萌芽を秘めた児童の人間全体に相対し、相合体し、すべてを挙げて絶対の道たる皇国の道に帰一し(唐突)、この道(皇国の道)を、ここ、この時に生活して行こうとする、その全体的実践に対して与えられる言葉である。(何がか、行的性格のことか。)
第三に、皇国の道は歴史とともに無窮に生成発展し、特殊ではなく高き普遍性を持つ「具体的普遍」の道である。「教則案」は「万古(長い間)不易(ふえき、不変)にかつ永遠に生成発展し、『一にして一切である』皇国の道」と説明しているが、これは皇国の道の一貫性と発展性、「特殊的かつ普遍的」な性格をよく説明している。(これは説明ではなく同語反覆ではないか。)
我が皇国の教育を、閉ざされて偏狭な固定の世界の中に窒息させてはならない。(皇国の教育という目標がアプリオリに最初から与えられている。)皇国の道は我が肇国以来一貫不変の国民実践の道であり、その国民実践によって毎日生成発展をしてきた、実践と共に成長する道である。特殊の国民道徳ではなく、特殊に立脚しながら、「一切を内に摂取」し、「一切をそこで生かす」真実の意味での世界的な道でなくてはならない。(これも目標が既に与えられている。)
025 国民学校の訓練は徒な復古的性格の要求でも、特殊的道徳の訓練の要求でもない。歴史に帰れとは過去に帰れという意味ではなく、「過去と未来との生きた関聯」(れん)のなかで捉えられた「生きた歴史的現在」に立つことを要求するのでなくてはならぬ。
日本的教育を建設せよとは特殊で閉ざされた日本教育を要求することではなく、皇国独自の地盤に足場を置きながら世界に向かって開かれた(大東亜)日本的教育をせよということである。こうして初めて大国民の教育となれる。
今日ほど我が国民に、その(日本国民の)長所と短所の大胆率直な自覚反省を要求されるときはない。自惚れでも卑下でもなく、「真に正しい」自己検討の上に立った皇国民の生活道の訓練に国民学校訓練の大きなる歴史的意義が見出されなくてはならぬ。復古的でも固定的でもない発展的歴史的性格が、封鎖的でない開かれた青年的性格が、「学校的性格よりも社会的性格が」、偏った近視眼的自覚でない正しき自覚・反省に基づく自主的・包容的な高くて大きい性格が、国民学校の訓練になくてはならぬ。(形容詞の連発)
026 皇国の道の修練をその根本中軸とし、それぞれの訓練行事がそれぞれ独自の使命をもち、おのおのそのところを得て、この皇国の道の修練に「一元的に」帰一することに、わが国体に則る皇国民錬成の国民学校訓練が生まれる。
第三節 国民学校訓練の方法
感想 2021年6月27日(日)
ここでは「皇国の道」のオンパレードや無理なこじつけはなく、時々唐突に「皇国の道」は現れるが、メインは現場のあれこれの教育の場に関する発言がなされている。やはりこの節も別人が執筆担当したのだろう。
感想 2021年7月1日(木)
上からの指令に無批判。しかし、上からの指示だということは言葉の端々に現れている。なぜ「皇国の道」がアプリオリに出てくるのだろうか、信じられない。
文部省の方針を忖度していると読み取れるが、子どもをいじけさせるような暴力は否定する意地を見せている。
要旨
026 従来の教育の欠陥は理論と実践との分離にあると言われる。国民学校教育の訓練では、その目的や性格が具体的実践においてはっきり現れていなければならない。具体的教育実践はその目的意志の時、所、位での顕現である。「天壌無窮の皇運を扶翼し奉る皇国民の錬成」を、教育の場で、つまり、時間的、空間的、社会的な場で、生身の児童に於いて成し遂げる教育作用を担当するものが訓練である。
027 国民学校の訓練が国家的性格、実践的性格、発展的性格をもつべきであるということは、国民学校訓練の目的においてのみ考えられるべきでなく、時間的にはこの今、空間的にはここで、社会的にはこの社会のこの児童に於いてなさる教育実践の性格を意味する。
一、国民学校訓練の国家的性格
西洋史で人はルネサンスによって自我が発見され、欧州大戦によって国家が発見されたと言われる。我が国が今臨みつつあるこの非常時において国家的なるものへの傾向がますます強くなっているが、それは自然の理である。それは国民学校教育が国家のための教育や国家による訓練を強調する所以である。(現実を疑わない。)
しかし、国家によって国家的に国民を教育することは、今の時局でだけ言われることではない。人は本質的に社会的存在であり、国家的存在である。それは我が二千六百年の悠久の歴史が如実に証明している。(どのように?)
今日までの初等教育では個人的訓練が重視され過ぎ、国家的訓練が軽視される傾向がなくはなかったようだ。(今までも国家的訓練をやって来たのではないのか。)
028 訓練とは、静かに行儀よくさせることであり、動かずに姿勢を保つことであると考えられ、動的な訓練では、先生の問いに対してハイハイとむやみに騒ぎ立てて自己の名誉心を満足させ、他人の答弁を奪う児童が賞賛された。他人の答案に誤りがあれば、胸をなでおろし、己の答案に間違いがあれば、他人を嫉妬する。こうした傾向は偏知主義的な今までの学校で見受けられた。
このような個人主義的(利己主義的)訓練に対して、学級の重視は一歩進んだ訓練方法を提示した。教師は学級王国の国王であり、児童は家来であり、教室はその城郭であると考えられた。学級での訓練は、学級を協同体と考えたところに団体的訓練の意味を持った。役員勤務、役員選挙、自治会、当番制度などは効果的だった。しかし、学級は年齢的には同一年齢者だけが集合した水平的組織であり、性別では男女別であった。画一的行動には都合がよかったが、児童各自の個性を発揮し、その個性に応じた協同社会を作るのには不自然であった。我が国民道徳における長幼の序、男女の別、献身奉公などの徳性を十分に訓練できなかった。
029 学級が重視され過ぎると、学級的個人主義(利己主義)に陥り、学級間の争いが起きた。
この欠陥を補うものが学校主義の訓練である。国民学校の要求する訓練は、学校一体となる訓練である。「学校は畏くも御真影を戴き、校長を中心に、教師、児童、幼老、男女が統一した生活をする団体である。学級より完全な社会である。「訓練は人間相互間の社会的要求から起きた」とすれば、完全な社会で訓練する方が望ましい。「国家は地上の神国である」と言われるほど完全である。この国家に最も近い教育上の社会は学校である。
一個の生命体としての学校は、国家的訓練がしやすい場所である。欧米諸国(ドイツのことか)で学校を国家組織に似せて経営しているところがあるが、まことに面白い。教授の中心は学級にあり、訓練の中心は学校にある。学校では全職員が一つになり、全校児童の訓練に当たる。あの児童は礼ができないが、自分の組でないから注意しないというのでは真の訓練はできない。訓練は学級や受持教師を超越し、全校一体となって行われるとき、その実績を挙げることができる。
030 学校主義の訓練で注意すべき点がある。従来の学校訓練は、学校内に跼(きょく、せぐくまる)蹐(せき、ぬきあし)(跼天蹐地)した訓練であった。つまり、社会的訓練に欠けていた。朝礼、室内規律、学習、掃除等の学校内の訓練は重視されたが、公道を歩くときの訓練や停車場での訓練、道路の清掃、節米運動、廃品回収等の社会的訓練が軽視された。この欠点を補うために少年団訓練や公民訓練の運動が現れた。
少年団は英国のポウエルによって創められ、ドイツのヒトラーによって最大の真価が発揮された。公民訓練は公民教育の思想と共に輸入された。その訓練の眼目は、個人的行動を捨て、現に動きつつある国家や社会に即した行動を訓練することにあった。
以前の学校が等閑視していた実社会の訓練、つまり国家に連なる訓練を重視したのが、少年団訓練や公民訓練の特色であり、これによって訓練の持つ教育的意義がにわかに自覚され、それに対する関心が急速に高められた。
031 日本の現状ではこのような少年団訓練や公民訓練を行ってくれる学校や機関が少ない。ドイツのように青少年団指導組織をもつなら別だが、現下の日本では学校訓練を拡大して少年団訓練や公民訓練を実施し、実社会や国家に直接連なる訓練を意図することが重要だ。
以上国家的訓練が学校でなされる他にないことを示した。学級訓練や個人訓練は学校訓練の徹底方法として考えられるべきである。少年団訓練や公民訓練は学校訓練の補足拡大と見なすべきであり、児童の自治的訓練や市町村有志が参加する社会的訓練もその中心は学校である。学校は最も国家的訓練を施しやすい団体として、国家的事件(戦争)、儀式、行事、教材の取扱い等において、児童の国家に対する態度の錬成を期さねばならない。(「ねばならない」の語調が多い。)国民学校に於いて「学校を挙げて全一的な国民的人格を陶冶し、国民錬成の道場たらしめようと期した」所以を思うべきである。その目指すところは国民として必要な資質の錬磨育成であり、これを「家庭及び社会と連絡を緊密にして」行おうと言う。
032 次に国家的性格の訓練を時間的な面から考える。国家的性格の訓練を、一年の暦の中で、国家的儀式、行事、時局という現実的状態を場として実践する。
国家的儀式や行事は宮中における御儀式行事に発する。「まつりごと」は蒼生(臣民)化育の政治でもあるが、同時に神の御心を体し、神の加護を願い、神徳に感謝をささげる祭りでもある。宮中の御儀式や行事に無関係な国民的儀式や行事は我が国に存在しない。祝日、大祭日を始め諸種の国家的記念日の持つ国家的意味をはっきりつかむことが大切だ。これらの儀式や行事は一年の中で固定されている。二月十一日は紀元節であるというように、時間的に固定化、形式化しているから永続性を持ち、国民各自の意識の中に忘れられないものとして印象づけられる。
固定化、形式化の弊害は、繰り返されるうちに感激を失う恐れがあることである。儀式や行事は皇室や国家の重大な「まつりごと」として、蒼生(臣民)の無事息災を祈念し給う御精神を永久に伝え給うべくできたものである。我が国民にとって国家的な儀式や行事は、国民生活のあるべき姿の指標と考えるべきである。それは国民生活の節である。国民生活は毎日が「まつりごと」の御精神を拝承し、皇運扶翼の大任に参加すべきだ。
033 この指標や節として充実した日を持つことの意義は大きい。国家的儀式や行事の日が休日になっていることを国民は誤解してはならない。この休日は日曜とは異なる。遊山や贅沢、朝寝をする日ではない。国民すべてが充実した国家的精神を体得すべき日である。健康の増進、国家的作業の実践に尽くすべき日である。祭日に飲食店が満員になり、温泉宿が飽和状態になることは、誠に遺憾の極みと言わなくてはならない。
以上、時間的に固定された国家的儀式や行事について述べた。次に国家の現実的な動き、国家の歴史的現実としての時局について述べる。儀式や行事が形式的であるのに対して、時局は時間的に国家が動きつつある現実の状況を意味する。時局において国家の生きた姿が捉えられる。時局の中でも危急存亡の非常時局には特別に関心を寄せなければならない。非常時は国民の一人が国家のために直接奉公できるありがたいときである。親の重病に金銀財宝をなげうち只管平癒に尽瘁する(倒れるほど苦労する)に等しい。大人は勿論、子どもの一人迄が、各人の分に立って奉公すべきである。
034 平時にはそれほどでもない鉄釘一本、灰一握り、米一粒が大きな国家的意義を持つ。時局は力強い国家的訓練である。時勢に遅れず、社会を指導する訓練をすることが肝要である。国民学校案において「東亜及び世界の大勢につきて知らしめ、皇国の地位と使命との自覚に導く」とはこの方面で特に留意されるべきである。偏頗に陥り一般性を欠く訓練に陥る弊害もあり注意を要するが、時局訓練は現実的・体験的であり緊張感を持つから、国家的訓練の一大分野と考えるべきである。
次に国家的訓練を空間的に考えれば、訓練の場として学校、家庭、郷土が考えられる。国家的訓練の場は、広く国の内外に取られるべきであるが、非常時体制下の現在では思うようにいかない。帝都見学、伊勢参宮、外地訓練などが次第に行われようとしており、その更なる充実が望ましい。
しかし場が郷土内に限られているから国家的訓練はできないというのは間違いである。吾人の活動は分限と方向を持っている。分限とは各人の特殊状態に応じた分であり、この分限に即しつつそれを超えてその活動の行き先を指示するものが方向である。
035 児童の郷土、家庭、学校での活動は、分限として与えられた特殊相であるが、帰一する方向は皇国の道に則る皇運扶翼でなければならない。一郷土における活動も、一職業に従事することも、皇運扶翼としての方向を持つものは皆国家的なものとして見られるべきである。国民学校案で「家庭や社会との連絡を密にする」とあるが、各分限において生活しながら常に国家的方向に帰一する指導をすることが特に大切である。児童生活の指導、社会教化など、皆分限を異にするものを皇運扶翼の一途に向かわせるものである。新体制で問題とする職域奉公もこれを意味する。国民学校では、手近な場で国家的訓練をする。この学校、この家庭、この郷土を通じて、国家に御奉公するための態度、行動を常に自覚させ、体得実践させなければならない。
二、国民学校訓練と実践的性格
本来訓練は直接情意に作用し、(文部省の指図でも)「実践を通じて国民的人格を育成することを目的とする」から、国民学校訓練は実践を離れてはならぬ。
036 従来の学校訓練は実践を離れ、単なる知的活動として扱われる傾向が強かった。訓練には直接訓練と間接訓練とがあるとされる。直接訓練とは直接行動によって国民的人格の育成を図るが、間接訓練とは知識を通じて行動・実践を指導しようとする。
直接訓練 これは儒教で教えられた先行後知的な修業、あるいは仏教の上向的修養に当たり、直接事に当たり、事上に錬磨して行くとき真の智恵を得て完全な人格を作ることができるということに基づく方法である。昔の素朴な教育がかえって訓練的に優れているとされるのは、この事上錬磨にあると思う。直接事に当たると人を強く刺激し、力を練り、努力奮闘を促す。
しかし直接事に当たるには時、所、位を必要とする。それは随意に得られない。すべてのことが即時即座に成しえない。このため事実としての時、所、位を知識に置き換え、知識としての指導を通じて事実を理解させようとするのが間接的訓練である。間接的訓練でも知識的把握を通じる(可能である)が、究極の目的は事実を処理し実践力を練ることにある。間接訓練は先知後行的修養であり、下向的訓練である。
037 今までの訓練では間接的訓練における知識の把握だけを多くしすぎ、訓話、説明、修身的例話に陥っていた。
今度の国民学校では直接訓練を重んじ、しつけ、行、実践等を重視するようになった。間接的訓練を取り入れるにしても、知識の把握だけにとどまらず、必ず実践の域にまで踏み入れなければならないと要求されている。(上からの命令だったことが分かる。)教授、訓練、養護の分離を避けるとか、教育を国民の生活に即して具体的実践的にせよなどは、このような実践を重視することを示している。
さらに国民学校が企図している「学習は同時に行であり、行としての学習であらねばならない」とはどんなことなのだろうか。これこそ先知後行、先行後知を超越・止揚したまさに知即行を意味するのだろう。知即行とは、教授することによって練り、練ることによって教授することである。(トートロジー)本を読み、字を書き、地図を調べることによって同時に忍耐心、姿勢の端正、注意力の集中、観察力の養成、慎重さ等の訓練ができる。これは教授に於いて練られるのであり、遊ばせておいてはできない。教授即訓練、知即行の教育を企図することが何よりも大切である。(苦しい解釈)
038 次に、このような訓練が児童の社会的関係(師弟の関係、教師の態度)でどのように実現されるべきかについて一応考えてみなければならない。児童が訓練され指導されるとき、それは師と弟との関係においてなされる。師弟関係には権威的、阿諛的(おべっか)、放任的、徳化的等が考えられる。
権威的関係とは権力によって客観的制度・秩序を保つことである。その時児童は他律的に服従する。古来、賞罰、命令、禁止等が考えられてきた。これらは低学年児童のように自覚がなく、知力もない児童では考慮されるべきことであるが、これだけでは教育的に十分本質的でない。権力やそれによる秩序は外的なものであり、人の内的、精神的、自律的関係ではないことが多い。皇国の道は、内的、精神的関係において体得されなければならない。
阿諛的関係とは、児童の安価な興味や好意を買うために腐心することである。これは児童の内的、精神的関係を持つかもしれないが、児童の傲慢を来たし、皇国の道を踏み外してしまう。
放任的関係では児童は自律的、活動的になるだろうが、教育そのものを否定することになり、野性的状態に陥るだろう。
039 教師は徳化的態度で臨むことが肝要である。徳化的態度とは、教師が先ず皇国道を行ずることにより、児童に皇国の道を行ぜしめることである。徳化とは皇国の道を相ともに行う同行の姿であり、教師が先行し、児童が従行する同行である。皇国の道に帰一するところに徳があり(なぜ)、徳を得させるところに化が成り立つ。徳化とはこれを言う。
徳とは仁義礼知信ではない。日本人の徳は皇国の道に即するところにある。(なぜ)言海(国語辞典。大槻文彦著。明治17年、1884年成鎬。)では、「徳とは、酸いは梅の徳、甘いは砂糖の徳」とある。日本人の徳は日本人の味があるべきである。それは忠孝であり、その道の実践でなければならない。それは具体的で、生活的である。だから行としても真に生きて来ることになる。(意味不明)
040 化とは「翁問答」(江戸時代の随筆的教訓書。中江藤樹著。初版は寛永20年、1643年。孝を説く。)の「口にては教えずして、わが身を立て、道を行いて、人の(が)自ずから変化する」と言う。日本人の徳を、教師の行うことによって行わせ、化することが、徳化である。この徳化の関係こそ、皇国の道の修練を目指す国民学校の教師・児童の根本的関係でなければならない。
実践的訓練の空間的限定 訓練の場は「知的に見れば」場所であるが、「行的に見ると」道場である。皇国の道を行ずる場を道場といい、それは単なる知的空間ではない。国民学校で学校を国民訓練の道場としていることに対して極めて深い注意が払われなくてはならない。(何か分からないが、気合だけは入っている。)
過去において学校施設はしばしば教授上の立場から見られていたようである。知識の伝達に費用をかけ工夫を凝らした。教具、教材はあっても、訓練施設としての設備は乏しかった。訓練上からは、行事板、訓練板、礼法室、作法用具、修養室、講堂、郷土の偉人や篤行者を偲ぶ施設、団体訓練用楽器、団体訓練用彰旗、団体訓練遊戯用具(団杖、綱、飯盒、天幕等)、団体作業用具(鍬、シャベル、リヤカー等)などの施設が望まれる。これらの中のいくつかは国定の規格によって定められ、国家の援助によって作られ、一朝有事の際は、国防の第一線でも使用できるように計画されたら良いと思う。昇降口、下駄箱、足洗い場、水道、井戸、体操器具置き場、農具小屋等は訓練的立場から研究と費用を必要とする。
042 時間的側面 実践は今の面で現実としてなされる。実践には歴史的に予測できるものと、予測できないものとがある。四季の運動やそれに伴う人々の生活態度、行事等はほぼ予測を許すが、偶発的に現れる時事等は予測を許さない。前者を予定訓練と言い、後者を時事訓練という。
予定訓練のなかでも重要で基本的な訓練(訓練の型)がある。それを通じて一般生活の訓練を計るという意味で、訓練上の「一般陶冶」と言える。これは断片的訓練に対して中心と系統を与え、浅薄に素通りする訓練に対して、深く強い体験と思索を与える。礼法、作業訓練、団体訓練、静座、遊戯等が創造されることが望ましい。この基本的訓練は教科外の行事として時間を特設することも意義がある。
043 国民学校で「儀式、学校行事等を重んじ、これを教科と合わせ一体として教育の実を挙げることに勉めること」とし、教科外の施設(施策)を考えていて、三時間までは時間特設が可能である。訓練は生活即訓練だから特別に時間を作る必要はないとか、特別に時間を設けると、その時間だけ型通りにすればよいと考える恐れがあるとか言って反対する人もいるが、この基本的訓練、型の訓練は、訓練上の「一般陶冶」を目指すものであるから、時間を特設することが効果的である。
予定訓練もこの基本的訓練を除けば生活訓練であり、「陶冶を目指しての訓練」である。訓練要目、訓練細目、行事予定等は予定訓練であるが、時間表には載せられない。およそのことを予定しておいて、児童の実生活に最も関係の深い時を見はからって、時事訓練的に扱い、児童生活を直接訓練すべきである。訓練要目を現実の中に改訂して生かさなければならない。
044 時事訓練 訓練の本来の「姿」が時事訓練である。日々の訓練も教授も「時事として」ある。予定訓練も時事に生かして訓練する。「平常心是道」の訓練が大切である。予定訓練は知的に前もって計画・準備し、時事に対する見通しをつけるに過ぎない。予定や計画は「神でない」我々にとって大切である。思い付きの訓練となれば「皇国民錬成の正道」を失することになる。しかし実際は計画や準備を許さない場合もある。その場合は我々は自己の修養を基礎として、直覚力、思慮、信念をもって処理するしかない。教育者は平常修養に励み、直覚力、思慮、「一貫の信念」を体すべきである。
045 今の時事訓練は明日の予定訓練となる。日々の訓練を記録することが大切である。だから訓練簿、訓練録、個性調査簿等が訓練上必要である。最も効果のある記録は、教師が毎日記録する指導案(教案)の帳簿の中に訓練養護欄を特設して毎日記録することである。
三、国民学校訓練と発展的性格(児童の発達段階に即した教育)
皇国の道は発展的性格を持つ。訓練方法を発展的にする際、「児童性」の発達に即して考えるべきである。訓練方法の段階が児童の皇国の道の修練段階となり、皇国臣民としての人格育成の段階となり、皇道顕揚の段階となる。(唐突。「発展的」とは児童の発達段階を言っているようだ。)
046 児童性の発達に応じた訓練方法
初等科一、二年の児童は主客未分化であり、この時期は他人の態度の中で注意を引くものがあるとこれを模倣し、それが自分本来の態度であるかのように感じる時期である。(被暗示性)一、二年の児童は知力が低く説明的指導は難しいので、この被暗示性を活用することが大切である。言葉で言うよりも実際に教師が体で示してやる方が、児童には強く響く。
低学年の児童は自覚が乏しいので、一つの目的の下に統一した活動をすることは難しく、ただ興味の生起するままに動く。だから遊戯を活用すべきである。遊戯では悪い刺激を取り去って環境を整備することが大切であるが、それと同時に、積極的に良い遊戯をつくることが大切である。遊戯は深い興味のうちに規律、勤労、親愛、奉仕等の社会的精神が練られる。こうして国民学校の要求している躾の教育が多面的にまた児童心理の発達に順応してできる。
047 初等科三年から六年ころまでは、英雄崇拝や歴史譚愛好の時代であるから、英雄の活躍を自己の生活の標準と考えるようになる。また先生や友人に対しても生活の目標を求め、社会的になってくる。この時期に規範的訓練を十分なすべきである。学校生活の規範、家庭生活の規範、社会生活の規範等に対して十分訓練し、「善良な習慣」を養うことが大切である。
またこのころは遊戯から労作への過渡期である。遊戯的労作の時であるともいえる。遊戯のうちに労作を取り入れ、労作へ導入するように訓練すべきである。
高等科の児童では体験的訓練と労作的訓練が大切である。体験的訓練は内的なものに向かい、児童の主体的なものの自覚啓培を図る訓練である。心身の剛健を意図する訓練、静座の訓練等である。労作的訓練は外に向かい、客観的な実現を図ることを主とする。掃除や学習諸作業である。高等科では目的を主観的かつ客観的に把握させ、目的行動や自律的・自治的行動を訓練することが大切である。ここで国民学校の目指す自修の習慣や大国民の養成を養うべきである。
048 児童の年齢とともに、児童の個性の発展を考えることも必要である。多血質、胆汁質、粘液質、神経質等の個性の類別や、躁鬱気質、乖離気質、内向的気質、外向的気質等を考慮する必要がある。個性に応じてその短所を補い、長所を発展させる訓練をすべきである。個性に応じた訓練の類型が考えられるが現段階ではそれはまだ不十分である。
児童の発達性や個性に対する教師の干渉の度合いについて考えてみる必要がある。短所を抑え、長所を伸ばすとき、どのくらい抑え、どのくらい引き立てるかによって、厳格な訓練、寛大な訓練、誘導的訓練、錬成的訓練の別が考えられる。短所を強く抑え、長所を強く引き立てようとするとき、厳格な訓練が生まれ、それを緩慢にするとき、寛大な訓練が生まれる。これらには一長一短がある。この採長補短をしたものが錬成的訓練であり、それは児童の精力を皇国の道に向かって力強く指導するという。錬磨育成の真義について深く思いを致すべきである。(上を意識した表現である。)
049 国民学校ではこの錬成的訓練を重視し、「中正で生気ある」訓練を目指す。だから(ただし)児童に過激な苦行や、会得できないような訓練をするのは、注意すべきである。徒な硬教育(体罰)によっていじけた児童をつくることは、放縦な子供をつくる軟教育同様に警戒すべきである。
我々は皇民としての十全な人格を練り上げることに一意専心すべきである。
第四節 国民学校訓練と教師
感想 2021年7月1日(木)
空論。内容が飛んでいて、分からない。心情的、哲学的。当時は弁証法が流行していたようだ。本節の筆者だけでなく他の節の筆者にも見られる。
要旨
一、教育者の新しき出発
050 世界観の一大転換期に際し、世界の各地にまた文化の各層にそれぞれ甚だしい激動が感じられる。それは未だ安定せず、世界は今や荒波の中に漂っている。これは将に一大飛躍を試みる前提として、無限なものを蔵する人間社会におけるまさに最も人間的な歴史的状況である。こういう中で文化の各層で自己の本質に再検討を加え、「より生命的なもの」へ向かおうとする胎動が見られる。このとき我々教育者は教育の領域を徹底的に検討し反省するという課題をもつ。この時代を背景に、そして我が国独自の指導理念の下に、我が国民学校が新しく誕生した。
現在に至るまでの文化の発展を概観すると、未文化の時代から文化の時代を経て「一体観を根本とすべき時代」へ向かっている。教育の発展で第一の未分化の時代では生活即教育である。我が国では祭政一致の教育であった。文化が発展し、あらゆる文化は分化した。分化は文化の発達に貢献したが、人は分化した文化の先端で、それがそのものの本質であると思惟し感じるようになった。生活そのものの根底が忘却され、分化した先端にだけ留意するようになり、文化は生活と「間隙を生じる」に至り、抽象的・観念的な傾向を持つようになった。そして(文化は)そのものの存在意義が疑われるような迫力のないものとなり、生活と縁遠いものとなった。
051 以上が世界観の一大転換期において反省すべき点である。
教育界では、今日までの学校教育の弊がそれ(反省すべき点)であった。生活そのものの中に教育の基盤が存在することが見失われ、学校という鋳型の中でだけ教育が存在するように考えられるようになった。その結果、「概念的」、非実際的、貴族的傾向を持つようになった。分化の尖端に立った学校教育に社会が非難を浴びせ、教育者自身もどのようにして活を入れるべきかを苦慮した。この反省のもとに生まれたのが国民学校である。それは失われた根底を取り戻すことであり、生活即教育への復帰である。我が国にあっては、それは尊厳なる国体そのものの姿に戻ることである。復帰は単なる復帰ではない。過去の一切を含んだ高次の生活への発足であり、過去のいずれでもない新たな発足である。国民学校案が過去の文化の一切を否定し(前言「過去を含んだ」と矛盾)、我が国体の基づく独自な立場から出発したことが、まさにそれである。
052 以上のような教育の反省は教育者自身の反省でもあらねばならない。国民として生活するという根源を失い、教育者はこういうものだという抽象化がなされた。教育において国民生活を見失ったのと同様に、(教員は)人間性そのものを見失った。教育者の偶像つまり教員型は、生命力のない、血と肉を失った無気力な人間となり、世間から相手にされなくなった。教育者の理想が光明を与えず、固定して動きの取れないものとなったのも、その根底の国民生活と人間性を見失ったからである。(本当か。でっち上げではないのか。)この現状を打破しようと過去数年間各方面で叫ばれたが、それは失われた根源に復帰することであった。「優良型教員型」を排撃し、「志士的・闘志的であれ」と叫び、「世間知らず」と非難し、「政治的手腕」が要請され、「生活待遇問題」が強調され、「教育者の社会機構」が云々されたのも、根底で(以上述べたことと)一脈通じている。
053 これらの悩みに第一に要求されることは、偶像型教員型を清算し、国民として人間としての根底に復帰することである。堂々と逞しく行進することである。教員は国民として最も生活力旺盛でなければならない。
二、国民学校における教師の性格
(一)国民学校教師の性格
教師は国民としての生き方を教えるのだから、国民として最も「逞しく」生きる人間でなければならない。それは教育者として逞しく生きる人間になることである。逞しく生きるとはどういうことか、その客観的指標を国民学校の本旨から求めてみよう。ここで再び教師の型を提起することになったが、国民学校教師の型は他と訳が違う。これまでの型にはまった教師像は国民生活を基底にして次第に作られ、そこから遊離した。新たな国民学校教師像もそのように遊離しないように自重自戒しなければならない。国民としての人間と教師とを一体に保てばよい。
054 1、徹底した世界観の確立(観念的!)
「皇国の道」は教育に関する勅語に昭示し給える「斯の道」つまり皇運扶翼の道である。これは文部省が説明しているところである。この道を我々が把握する上での態度は、それを「対象的に」把握すべきではない。主観的であるべきである。知的、観念的に対象化したものは、道そのものではありえない。主観的であるべきとは、皇国の道が主観的ということではない。皇国の道は客観的、普遍的であり、永遠に「生々発展」する創造性と「抱擁性」がある。(「主観的」についての説明が続かない。)
055 「皇国の道」はそれを目指して行ずる具体的実践の中にだけ存在する。
我々が悟得したと思うものは「皇国の道」の観念である。「斯の道」は卑近で「深淵高邁」である。(意味不明)「皇国の道」の追求実践こそが「我々日本人の一生の課題」であり、永遠の課題である。(「永遠の課題」とは結局最後まで得られないということか。)ことに我々教育者は「その追求実践に対する熱烈さを有すべし」という自己に対する「誇り」が欲しい。そのためには確乎たる世界観の徹底が必要である。その世界観は「皇国の道」に即した「生々発展性」があるべきで、固定的であってはならない。
教師には哲学的教養や文化的修養が必要で、常に時代認識に心がけ、具体的実践を通して、「深く高く」一歩一歩と向上する国民生活をせねばならぬ。
2、全体的基礎的教養
「普通教育を施し」ということを中心に、特に「基礎的」ということとともに、それを考えてみよう。「普通教育」とは国民全般に共通で、平易で、この教育の上にすべての教育が行われ、人格発展の基礎が築かれる教育である。
056 「基礎的」とは本質的で必須という意味であり、「本質的とは普遍的で、不動であり」、「必須とは時代につれて動くこと」をいう。全体的基礎的教養は五教科全般にわたる教養であり、基礎の確実な把握である。
この教養を実践することによって次代の大国民としての児童の資質を培うことができる。従来「特徴を伸ばせ」ということを誤解して自分の趣味に合う方面だけに専念する傾向があった。我々教師が、十人十色の児童、つまり自分に合うように咲く花を、立派に育てるために、全体的基礎的教養が必要である。特徴や個性と全体的基礎的教養とは矛盾しない。
3、生成発展の肚(はら)の修養
057 「基礎的錬成をなす」の錬成 錬成は新語である。それは錬磨育成の意である。それは単なる反復でも、無自覚的、機械的、他律的でもなく、皇国の発展と深い結合のある、喜びを通した自覚ある錬成でなくてはならぬ。錬成の過程で人は具体的・生命的な姿で活躍する。「生きない教養」は身についておらず、人格化されていないといえる。具体的に生きた場面で己の教養を生かす修練をすることが重要である。生きた具体的な場面で全身全霊を打ち込む「肚の修養」が必要である。それは「禅的修養」であり、積極的に各場に直面し、時所位に於いて自己の最善を尽くし、絶対無我の心境になることである。それは小さな自己の否定である。その肚は融通無碍(ゆうずうむげ、自由で伸び伸びとしている)な、生々発展的性格がなければならない。
(二)教育における教師の地位
058 教育活動で教材、児童、教師は一体である。三者を別個に考えたのでは、生命ある教育活動は生じない。教材や児童を生かすものは教師であり、それを生かすことは教育である。教師はこの二者よりも優位におかれ、二者を統一する立場にある。教育は教師論に尽きる。
三、訓育(道徳教育)における教師
国民学校は全面的に根底として訓育を重視する。
059 前述の教師の性格は訓育での教師の姿であり、錬成の過程での教師の姿である。訓育は最も直接的であり、具体的であり、生命的であり、実践的であり、全人的である。
有限な人間が内に無限を蔵しつつ(矛盾)永遠の彼方に発展していく過程は、生命の循環と見なせる。
Aは生命の根源である。生きることを直接の対象とした、素朴で原始的な生の生活である。Aはやがて分化し、文化する性質を持っている。その分化し、文化した生活がBである。Bは理性的であり、知的であり、考えられた世界である。
060 Aは動的な生である。Bは静的な死である。Aは生命の前進であり、Bはその前進に加えられた反省であり、生命の停止である。Bは次の大なる生命の発展を遂げるための停止である。
A´はBがAに循環した姿である。A´はAでもBでもない。Aは衝動的で、Bは知的で、A´は情意的である。Aは生の生活、Bは文化的生活、A´は全人的・実践的である。A´はA、Bを内に包含しつつAよりも高次であり、次の発展の基盤となるAの位置を占める。A、B、A´という生命の循環は、次にA´から始まる。これは永遠に発展する。
教育実践はA´である。Aはなまの生活で衝動的であり、Bは考えられた生活であるが、A´は「いずれをも含み、いずれでもない全人的活動」である。Aはなまの生活のままに、やりたい方向に進む。それに対してBはAに加えられた知的で理性的な考えられた世界である。
061 A´(実践)は「予測を許さぬその場に臨んでの全人的活動」である。それはAやBの基盤の上に築かれるが、A、Bの「そのまま」に規定されない、「何ともならない生活」であり、宗教的性格を含む。訓育における教師はA´でなければならない。
「実践を直接対象とした生命の発展過程」の中に、教師論を位置づけるとすれば、A´(Aか)に求めたいものは逞しい生活力であり、Bに求めたいものは、全体的基礎的教養であり、A´に求めたいものは、生々発展的肚の修養である。A´はこれら全体を包含した「生かす教師」であり、徹底した世界観を確立した国民生活者としての最も逞しく生きる教師としての出発点であらねばならぬ。(意味不明)
第三章 国民学校訓練の実践体系
感想 2021年7月5日(月)
画一的な人間観、思想の貧困、徳目調「…しましょう。」創造性・独創性の抑圧。日本文学はもっと創造的だったように思うのだが。
日本書紀の「八紘一宇」は本来日本国内に当てはまることだったが、それを世界に拡大し、侵略の口実として使われた。
八紘一宇 「六合(くにのうち)を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いへ)にせむ」
感想 2021年7月7日(水)
神社参拝や登山に関する小学生の感想文の中で、榛名富士山頂で万歳をしたことについての思い出が語られるのだが、毎朝夕、ことに触れ何かにつけて皇居や伊勢神宮、各地の神社などへの遥拝、万歳、参拝などが教育課程の中に盛り込まれているのに、子どもが「群大付属小学校万歳」(群師附属校六女万歳)と記しているのを見てほっとした。臣民・皇民・国家よりも身近な自分の学校の方を優先した。194
また本書最後の後記(第四章)で筆者が反省事項として、生徒が集合時に背筋を伸ばしてきちんと整列していても、トイレの下駄がそろっていないと愚痴をこぼすのだが、児童の全生命・全生活が国家主義的教育に奪われ尽くされなかったということに私はむしろほっとした。(筆者がなぜこれについて言及したのか、その真意は不明だが。)
同じく第四章だが、群大付属小学校の教員が夜遅くまで熱心に教育論議をしていたことを誇りにしているようだが、その熱意は国家の命令に対する忠実のあまりか、それとも微視的な教育論にはまっていたせいか。
またこの章は余りに主観的で、何を言おうとしているのか分からないところが散見される。却ってその方がこの時代を生きる人の誠実な生き方を示していると評するのは買いかぶりか。
要旨
第一節 本校訓練の根本的態度
一、本校教育環境並びに児童の特性
062 保護者の職業は商工業、銀行・会社員、官公吏が多い。
063 入学試験を行っている。
064 「性質が甚だしく偏して反抗的であるとか、非常にひねくれていて教師や両親の手に負えぬ者はほとんどいない」とあるが、これは他校ではそれが普通に見られたことを意味するのか。それとも単なる自慢話か。
二、本校訓練の目標
国民学校の教育目標は、「皇国の道に則り皇国臣民の基礎的錬成をなす」ことであり、これは最高原則である。本校の教育環境と児童の特性とに基づく本校の校訓は剛健、親和、奉公であるが、これも真の皇国臣民の錬成を目標としている。
「国民精神作興に関する詔書」*1に「国家興隆の本は国民精神の剛健にあり」と仰せられ、一昨年の「青少年学徒に賜りたる勅語」*2の中でも「質実剛健の気風を振励し」と仰せられたが、まことに感激に堪えない。その堅忍持久の精神を本校児童訓練の第一の眼目としたい。
*11923.11.10大正12年、大正天皇の名で、摂政宮(後の昭和天皇)が渙発。教育勅語と戊申詔書(1908明治天皇による日露戦争後の国民道徳に関する注意。地方改良運動を惹起した。)の流れを引き、当時の社会的・思想的激動に対して国民精神の振興を呼びかけた。
「輓近学術益々開け人智日に進む。然れども浮華放縦の習漸く萌し、軽佻詭激の風もまた生ずる。…教育の淵源を崇いて…質実剛健に趨き…秩序を保ち、責任を重し…忠孝義勇の美を揚げ、…爾(なんじ)臣民それこれを勉めよ。」
*21939.5.22昭和14年、昭和天皇が宮城前広場での学校教職員と学生生徒に対する御親閲式後に荒木貞夫文部大臣に与えた勅語。国家主義推進を青少年の責任とする。陸軍現役将校学校配属令施行15年を記念した。
065 「国民精神作興に関する詔書」の中に「人倫を明らかにして親和を致し」と仰せられ、また「日本精神の根源は大和の精神である、」即ち「君臣相和し臣民互いに親和して国家の創造発展がなされるところに我が国本然の姿がある」と言われている。(この詔書には上記最初の「人倫云々」はあるが、それ以下の表現が見当たらないのだが。)それに基づいて本校校訓の第二を親和とした。
「教育に関する勅語」の中に「一旦緩急あれば義勇公に奉し」と御諭しになられているが、この道は皇国臣民の変わることのない大道である。現下非常時局にあり、奉公の念が愈々必要である。戦線や銃後での奉公の事実に感銘する。家庭生活に恵まれた本校の児童に奉公の念を培うことは緊要である。よって第三の校訓として親和を掲げた。
三、本校訓練の方針
066 (一)詔勅の御趣旨に随い、国民道徳を実践し皇運を扶翼し奉るべき皇国臣民の基礎的錬成をなす。
(二)師道を尊び、教師は率先して範を示し、児童からの尊敬と信頼の中に、師弟が同行しつつ児童の薫化を図る。
(三)徳性の涵養。
(四)生活に即して指導し、学校だけでなく家庭や社会における生活にわたって修練する。
(五)時局に関する行事を通じて国民的自覚を深め、日本精神の昂揚に努める。
067 (六)団体訓練を重んじ、規律節制、大和協力など団体的精神の発揮と団体的生活の錬成を期す。
(七)勤労作業。
(八)堅忍持久精神の助長。
(九)女児には徳婦の涵養。
(十)道義的気魄の長養。
第二節 本校訓練の機構
一、訓練体系
道徳は実践を伴うから、訓練は皇国の道を行う。以下の三種の訓練がある。
068 第一 校内訓練 学校団や日直など、校内組織の中で行う。
第二 校外訓練(家庭、社会)
第三 特別訓練
団体訓練 会礼、全校行進、全校視閲、合同体操
宿泊訓練 教師児童が寝食を共にする
作業訓練 労作園(学徒園)での勤労作業
非常時的訓練 時局訓練、非常訓練(防空・防火)
身心鍛錬訓練 野外訓練、剛健旅行
二、訓練運営上の組織(省略)
第三節 本校訓練の実践
一、全校訓練
(一)校訓
1、校訓の本義とその成立
070 国民学校教育の一切は皇国の道の修練にあり、この皇国の道を主体的に把握して実践する皇国民を錬成することは不変不動の原則である。
しかし各校の個々の特殊性に基づいて実践される部面もあり、それが校訓である。校訓作成上の留意点は以下の通りである。
071 第一 教育勅語などの御聖勅に基づき、皇国の道が根本原則である。
第二 校史、校風、児童などの学校の特殊性に配慮し、皇国の道の達成における重点の置き場を変える。校史に基づく校風は教化力を持つ。また児童の特性に対して配慮すべきである。
第三 各学校の教育環境と学校教育との融合。
072 第四 時代の課題を考慮して校訓を制定すべきである。
2、本校校訓(剛健、親和、奉公)の制定
剛健 「青少年学徒に賜りたる勅語」1939.5.22の御聖旨を拝察し、また本校児童の虚弱性を勘案して制定した。
親和 国家的全体的翼賛体制において親和は不可欠である。また本校児童の地域的散在性を考慮した。
奉公 一切の生活を国体随順という国民的志操に基づいて実践し、皇国の道に帰一させる意図に基づき制定した。
3、校訓を中心とする訓練実践上の問題
073 校訓は学年的心理発達に基づいて具体的に提示されなければならない。そのために以下の校訓誓詞を制定した。
校訓誓詞(まるでブラック企業)
〇私たちは心を練り、体を鍛え、剛健なる国民となります。
〇私達は互いに親和し、力を一つにして進みます。
〇私達は御国(みくに)のため、常に奉公の誠を尽くします。
これらの誓詞は皇大神宮(伊勢神宮の内宮)拝礼や神社参拝の機会に全校で一斉に唱和し、全校が一致してその精神の体現に向かって帰一することを図り、その儀式的・情操的雰囲気がもたらす感動に導かれて、校訓の精神が実践的・情意的・動的に生命を持つように努めている。
その他教授(授業)においても、教師の恒常的な意志に訴えて生命的活動を企図し、訓練要目でその精神を具体的に組織・実践することに努めている。(意味不明)
(二)訓練要目
1、訓練要目の必要とその価値
074 皇国の道に帰一する国民的人格の育成としての国民学校の教育は訓練そのものである。そのためには訓練が目的を持たねばならず、偶発事項でも系統に照らして指導すべきだ。訓練要目は部分的訓練を全体の中に規定する上で必要である。
従来の教育は主知主義的で、訓練を知性に還元し、現実を離れ、「行」を忘れ(宗教的)ていた。一時一時が人間錬成の体系の一部であり、生きた錬成の場である。従来は時間的なものだけを抽象し、場所的なものだけを抽象し、環境だけを抽象して訓練要目の体系とした。現実的訓育や実践にしなければならない。現実に即する体系・要目を制定しなければならない。(意味不明)つまり、
075 (1)児童生徒の生きた時間的経過を含む編制をすべきだ。国家的・郷土的行事、学校行事、風土の変転等。
(2)児童生徒の生きた場所を現実に即して組織すべきである。学校、家庭、郷土、その他の一切の社会生活。
(3)具体的、現実的環境を生かして編制すべきだ。
以上三点が一体となって始めて皇国世界観が確立された国民的人格が育成できる。
実践や行は衝動的情意の世界ではなく、知性に照らされた実践であり、一切を含み渾然と一つになった道である。極端な即時・則物的態度は一時的であり、習慣化・品性化できず、道から逸脱する。道、校訓との連関を保ち、反覆修練できるものでなければならない。国民科修身との連絡も考慮すべきだ。(意味不明)
076 教授と訓練とが一体であるのと同様に、訓練と養護(身体)とも一体である。身体は内的なものの表現であるから、訓練と身体とは一体であるはずだ。訓練要目においても身体の養護・鍛錬を考慮してそれを組織すべきだ。
以上の通り、訓練要目は児童の現実生活に基調を置き、皇国の道に省みることによって訓練実践の体系となる。更に訓練要目は健康生活の指導に資し、心身を一体とする児童生活の錬成に生命ある働きを与えるだろう。
ただし、訓練要目は現実から見れば予定されたものであり、それ自身は現実の営為ではない。その実践力の顕現は教育者の生きた営為を待つ。
2、作製の方針
077 (1)訓練要目は各校の歴史、校風、児童の特性、校訓に基づいて組織すべきである。
(2)国民学校教則案説明要項「施設中とりわけ国家的儀式は国民的情操を涵養する第一のそして無二の機会である。総じて諸般の行事を始めその他の作業、体育施設等、諸般の施設による教育作用を重視し、教科と相俟って教育の効果を全からしめようとすることは近時の一般的傾向であって、(自分が命令しておいてとぼけている)今回の改正においても深甚な注意を払っている。」
このような機会に児童は国民的場に自らを投じ、その情操は国民的に高められていく。
(3)その時代、時局の脈搏の中で生々しく生きることには、他のものに取って代わりえない教育的力が生起的に潜んでいる。従来ややもすれば政治、経済、国防等から遊離しがちであった学校教育は反省されるべきである。
078 (4)学校では訓練が教授の従属物に陥りやすい。訓練は教育作用の中核的任務を果たすべきであり、家庭、郷土、国家の実情の上に営まれるべきである。
(5)しつけや礼法は国民学校で強調され、大国民育成上の重要事項である。これは訓練の基礎である。
(6)身体の養護、鍛錬を「一元的に」組織する。それは従来の衛生訓練要目を包含する。
(7)生活現実に即すとともに、校訓に基づき重点目標を定めるべきである。
(8)国民道徳の大本である「斯の道」*に照らし、国民科修身との関係を考慮し、「行」を体現すべきである。
*「皇国の道」は教育に関する勅語に昭示し給える「斯の道」つまり皇運扶翼の道である。054
孔子の説く聖人の道、天皇の政道。
079 訓練要目表(抜粋)
月日 訓練項目 訓練事項 方法
4月1日 興亜奉公日* 各自で神社に参拝し、兵隊さんの労苦に対し感謝するとともに、武運長久を祈りましょう。早起きをして時間を上手に使いましょう。
パン食の日は、毎月1日の、興亜奉公日、7日の(日中)事変勃発記念日、22日の「青少年学徒に賜りたる勅語」下賜記念日である。098
4月3日 神武天皇祭 朝早く国旗を立てましょう。宮城を遥拝いたしましょう。神武天皇の御偉業を偲びましょう。
4月5日 始業式 担任の先生の教えをよく守りましょう。
当番 黙ってせっせと働きましょう。
勉学 先生へのお答えやお返事をはきはき致しましょう。
4月8日 入学式
登校 (道路の)左側を姿勢よく歩きましょう。先生、知人、お友達にあったら礼をしましょう。
室内・廊下 教室、講堂、職員室は礼をしましょう。
4月29日 天長節 朝早く国旗を立てましょう。謹んで式場に入り、しっかり式を致しましょう。天皇陛下の万歳を祈りつつ祝日を過ごしましょう。新聞雑誌等に皇室の御写真のある時は粗末のないようにしましょう。 挙式訓話
靖国神社大祭 朝早く国旗を立てましょう。靖国神社を遥拝致しましょう。護国神社にお参り致しましょう。 挙式訓話、招魂社参拝。
10月1日 興亜奉公日 全校パン食。
軍人援後に関する勅語下賜記念日(銃後奉公強化運動) 前線将兵、白衣勇士、戦没者に対し、感謝の黙祷を致しましょう。出征兵士の家族の方をお慰めしましょう。英霊に対し敬弔の心を捧げましょう。傷病兵を慰めましょう。前線の将兵に感謝致しましょう。 慰問品作製、家族慰問、廃品回収、日赤慰問、護国神社参拝。
10月13日 戊申詔書下賜記念日
10月17日 神嘗祭・大運動会 朝早く国旗を立てましょう。国旗を大切に取り扱いましょう。
靖国神社臨時大祭 朝早く国旗を立てましょう。靖国神社を遥拝しましょう。
10月24日 関孝和先生記念日 いつも郷土の偉人に倣うように心がけましょう。
10月30日 教育勅語下賜記念日 いよいよ奉公の覚悟(命を捧げること)を固めましょう。お勅語を謹書致しましょう。 奉読式訓話。
086 この訓練要目表では生活的配列が「客観的な」道に照らされたものとすべく、徳目、科目、国民科修身と関連づけ、また教授とも関連づけた。また、児童の個性、学級担任の立案、偶発事項、結果の記録などのために備考欄を設けたが、これは知的体系を補う目的がある。
3、運用上の注意点
087 (1)学級担任は児童の心理的発達に基づいて取捨選択し、具体案を立案して実践する。
(2)学級の訓練板に過程や結果を記録する。
(3)学徒団、会礼、挙式、看護日直等あらゆる機会を通じ、諸施設を運用し、実践の方途を拓く。
(4)学級の特性、児童の個性、男女の特性に応じ、力の訓練の概念化や画一化を避ける。
(5)本要目に捉われず、動的に行う。
(6)本要目に示されていない偶発事項は備考欄に記入する。
(7)継続的指導
(8)健康生活の指導は衛生部との連絡を緊密にしてその徹底を図る。
(9)教師による徒な強制的・他律的態度を排し、児童の自発性に訴える。
(三)会礼
1、実施の精神
088 毎朝全校が一場に会し、礼を中心として全校一体で行を行い、全員が精神を統一し、皇国の道に帰一する精神と態度を養う。さらに本校での会礼の根本精神は以下の通りである。
(1)一日の出発点で厳粛な自覚をさせる。皇民錬成を目指し、師弟一体となり、皇国の道を行ぜんとする意味で、一日の出発点は重要である。皇国の道を自ら進んで行ずる真摯な精神的態度の根底を培う。(同語反覆が多い。)
(2)皇道帰一の確固たる信念をつくる。万邦無比の国体を有する国家に生を承けた我々臣民は、宏逢(ほう、大きい)なる肇国の精神を体得し、益々皇運扶翼の赤誠を捧げ奉らねばならない。この精神に基づいて毎朝 天皇の在します皇居の遥拝を行い、一日と十五日に皇大神宮拝礼を行い、十日と二十日に奉安殿の拝礼を行う。(これは最初の言葉と同内容)
089 (3)礼を中心として行をおこなう。宮城遥拝、皇大神宮拝礼、奉安殿拝礼は、我が国礼法の根源であり、最高のものである。師弟の挨拶も道場としての学校で重要な意味を持つ。師に対する態度は礼の精神を根底とした師弟一体の行であるべきだ。
(4)団体訓練の重視 このことは夙に要望されていた。会礼は団体訓練の好機会であり、皇国臣民としての資質を啓培する。
その他 会礼は訓練要目運用のための好適の場であり、皇大神宮拝礼での校訓誓詞は、校訓実践上好都合である。また皇大神宮拝礼や奉安殿拝礼での訓話では、皇室国家に関する御事項について荘重厳粛に行い、国民としての光栄と感激を一層深め、献身奉公の実践力を培うことを念願している。(情緒的)
090 終礼 学年学級の相違のため全校での同一歩調は不適当であり、各学級で反省し、翌日の奉公に遺憾のないようにしている。
2、実施の方針
(1)全校の一員としての精神を徹底させる。(個の圧殺)
(2)動作に規律を重んじ、斉一な行動をとらせる。
(3)師弟一如の精神的・行的融合を図り、一挙手一投足にも精神を充溢させる。
(4)宮城遥拝では心から皇室の弥栄を寿ぎ奉り、全魂を挙げて行ぜんことを誓う。
(5)皇大神宮拝礼や奉安殿拝礼では大前(神や天皇の前)にいるような態度で臨み、皇国の道への帰一を誓う。
091 (6)皇大神宮拝礼では神前の礼法について体得させる。
(7)訓話は厳選し、複雑多岐を避ける。
3、実施の方法
(1)普通会礼 原則毎朝 集合、整列、宮城遥拝、挨拶、訓話、日直訓導の注意、全校体操、教室への行進
(2)皇大神宮拝礼 毎月1日、15日 屋上の皇大神宮前に集合、整列、拝礼(一揖(しゅう、ゆう、お辞儀、会釈)、再拝(二回敬礼、礼拝)、二拍子、一拝、一揖)、校訓誓詞、挨拶、訓話、教室への行進
(3)奉安殿拝礼 集合、挨拶、日直訓導の注意、奉安殿前整列、奉拝、君が代奉唱、訓話、教室への行進
(四)群馬県師範学校付属小学校学徒団
1、「青少年学徒に賜りたる勅語」1939.5.22と青少年
092
畏くも
天皇陛下 におかせられては、去る昭和14年5月22日、全国男女の青少年学徒に対して特に勅語を賜い、負荷の大任と、修練すべき学徳とを諭させ給う。学徒にとって誠に光栄の極みである。全国の青少年学徒たるもの、恐懼感激して優渥なる(恵深い)聖旨に副い奉るべき覚悟を新たにせねばならない。
我が国は支那事変の勃発により、今や複雑にして変化常なき国際情勢の中に、肇国の大理想(日本書紀に基づく八紘一宇の大征伐・侵略)顕現の歩を進め、東亜共栄圏の確立、世界新秩序の建設、(自己中的)永遠平和と文化の進展という世界的使命の達成に向かって聖戦を繰り広げている。而して此の皇道を宇内に宣揚するという歴史的任務の中核的遂行者は、正に時代の青少年学徒(兵隊予備軍)にあるのである。
2、学徒団の結成とその目的
右のごとく時代が切実に要請する青少年性を強力に発揮し、聖旨を奉体して時代的使命を遂行せしめるため、学校児童を強力に団結させ、校内・校外を問わず、あらゆる生活過程のうちに皇国臣民としての基礎的錬成を行い、「闊達剛健なる身心を育成し、献身奉公の実践力を培い」、更に「団体訓練の徹底により、公明正大なる態度や服従の精神を強くする」ことを目的とし、学徒団という統一的な訓練施設を講ずることは、国民学校教育の徹底上、極めて大事なことであると信ずる。これは正に従来の偏狭なる学校観を是正し、従来の少年団・自治団等が、学校教育の校外に置かれた歴史に省みて計画された、力強い訓練組織である。
3、学徒団の実践基盤の指導の主眼点
093 (1)隣保的関係に立つ指導とその主眼点
隣保的関係とは地域を中心とする自然的な社会関係である。これは基盤的・発生的関係であり、本来的・社会的結合である。ここでは自ずから長幼の関係が守られ、親和の情が生まれ、共同の精神が醸成されている。ここは訓練の生きた場であるが、教師の視野から離れやすい世界である。国民学校訓練の新生面である。
指導の主眼点
094 (イ)敬神思想の啓培 日本古来の社会関係は祭を中心として行われた。この思想こそ、現代の日本人を真に日本的に結合する力とならねばならない。その主たる実践事項は、伊勢大廟の遥拝、神社参拝、神社の清掃等である。
(ロ)団体訓練 長幼を一丸とした団体的行動のうちに団体精神を涵養しようとする。出征・帰還軍人の送迎、共同作業、登下校の訓練等を通じて行う。
(ハ)銃後後援事業への参加 公園の清掃奉仕、遺家族の弔問、出征家族の慰問等により、児童相応の時局への認識を高め、銃後後援の一翼とさせる。
(ニ)身体の錬磨と自然を愛好する精神の長養 早起会、登山、剛健旅行等を地域別に行い、身体の強壮を図るとともに、自然を愛し自然に親しむ態度を培い、更に長幼一如の団体的行動を馴致する。
(2)学校的関係における指導とその主眼点
これは前述の隣保的関係の上に立つ。従来の教育はこの点に固執していた。学校社会における児童の生活を聖旨に帰一させようとするものである。
4、本団の組織
095 役員
総裁 群馬県師範学校長を推戴する
団長 同付属小学校主事
副団長 同主席訓導
幹事 同職員
級長、副級長 学級より選ばれ、学校より任命された者
班長、副班長 班より選ばれ、学校より任命された者
団員
学年 本校尋常科第三学年以上の児童
編制 校外は地域別に15班に分け、校内は10学級に編成する。
5、本団の活動
(1)会議 従来の組織における自治会議等は、ややもすれば極端な民主主義に傾いて、却って権威に対する無条件的忠実と「健全なる根本的性格」を薄張ならしむる結果を生み、さらに無邪気な児童の時期を短縮させ、徒に児童性を破壊する結果となった。また指導によっては、遊戯的、偽善的、群集的、阿諛的な理屈や議論に終わる傾向もあった。
096 本校はこの点を考慮し、聖旨に絶対帰依する態度を中心にして、その奉体を激励し、精神的・自立的実践を開拓させる意味で会議を行わせ、全校的輿論・全体的暗示を生かして、良心的にその任務を遂行し、義務意識や責任感の向上に努力している。
会議の組織
イ、校内役員会議 毎学期一回、正副級長を召集し、校内生活の自発的向上を協議させる。
ロ、校外役員会議 毎学期一回、正副級長を召集し、校外生活の自発的向上を協議させる。
ハ、学級会議 随時、各学級別に児童を召集し、学級生活の自発的向上を協議させる。
ニ、各班会議 毎学期一回、班別に児童を召集し、校外各班における生活の自発的・団体的統一を図り、その実践問題を協議させる。
ホ、幹事(職員)会議 必要に応じて幹事を召集して会議を開き、団の指導問題を協議させる。
(3)本団の具体的実践事項
イ、校内役員会議や学級会議の決議に基づく校内一切の生活統制。
ロ、神社参拝、境内清掃を各班別に行わせる。
ハ、遺族弔問 各班毎に八月の盆中に行わせる。
097 ニ、出征家族慰問 各学級、各班に随時行わせる。
ホ、出征・帰還兵の送迎 各班にその都度行わせる。
ヘ、出征将兵慰問 全校一斉に慰問成績品や慰問袋を作製し、家族の慰問等を行う。
ト、班別剛健旅行 各班毎に年一回行わせる。
リ、その他
附(一) 学級会議の指導計画96 尋常科第六学年(女) 指導者 訓導 坂上安太郎
(一)目的 9月の訓練要目や教師の指示事項の実践結果の反省を行わせ、自己修練をさせる。10月上旬の訓練要目を指示し、その実践方法を指導する。
(二)方針
1、虚心に自己反省をする態度を養う。
098 2、常に共同社会における一人としての自覚を持ち、責任ある行動をとらせるよう、実践を指導する。
3、他人の善行を自己の模範として生かすように努めさせる。
4、訓練要目の実践協議において、受動的・消極的な他律的態度を排し、計画的・建設的な自律的態度を重視する。
(三)方法
1、「青少年学徒に賜りたる勅語」の奉誦 勅語を奉誦し、聖旨に随順する自覚を高める。
2、皇大神宮拝礼時における献饌(せん、そなえもの)について 献饌についての主事先生の訓話を敷衍し、甘藷苗の植え付けや除草の労作を回顧させ、その結果が今朝の献饌になったことを考えさせ、労作する喜びを味得させ、自然の恩恵に感謝させる。
3、今月の訓練要目の実践と反省
(1)9月における訓練要目の発表と反省
099 (2)反省事項の発表
(3)実践に対する教師の講評
4、教師の指示事項に対する実践の反省 教師の指示事項に対して反省させ、その結果を発表させ、教師はこれに対して講評する。
5、10月における訓練要目の発表 教師がこれを発表し、その趣旨を説明する。
(1)10月上旬における訓練要目の発表
(2)実践の協議
(3)実践誓約事項の決定 協議の結果を反省録に記録させ、実践の覚悟を固めさせる。
(4)実践事項の斉読
6、校訓誓詞の朗誦 最後に校訓誓詞を朗唱し、実践の意志を強固にさせる。
100 日課表(抜粋)
一、8月1日の興亜奉公日には次のことを致しましょう。
(一)神社へ参拝すること
(二)間食を廃止または節約すること
二、銃後後援について
(一)兵隊さんへ暑中見舞いを上げましょう。
(二)出征・凱旋の兵隊さんを盛んに送迎すること
(三)戦没者の御遺族を慰問し、英霊を弔いましょう。
三、お盆には心を込めて先祖のお祀りを致しましょう。
…
八、色々なものをねだったり、無駄遣いをしたりしないこと。
九、服装は質素にし、暑くてもきちんとする。
…
十一、活動写真はなるべく行かないようにしましょう。
昭和15年7月16日 群馬県師範学校附属小学校学徒団 第 班 氏名
(五)日直(週番に似ている。会礼での発表、来客の接待、保健委員的任務など)
102 訓練要目の大道に照らし、月1回ないし2回、日直に、教師や他学級代表と協力して全校のために働かせる。下意上達も行う。
1、目的 師弟共に躬行(身を以て行う)して校内の訓練・衛生に当たり、皇民錬成の模範的道場とする。
2、組織 看護日直(職員)と児童日直に分ける。
3、方針
(1)教師は率先して児童を薫化し、時には直接児童を訓化錬成する。
103 (2)児童相互の錬磨を重視し、自律的態度の涵養に努める。
(3)学徒団の校内役員と連携し、訓練要目を日常的に実践する。
(4)学校生活における社会性を重視し、愛校精神の育成に努める。
(5)児童に希望を吐露させ、下意上達を計る。
看護日直(職員)
1、看護日直は当直と連携し、児童日直を指揮督励し、校内生活における訓練・養護及び外来者の応接に当たる。
2、組織 職員を七班に分け、班ごとに主任を置き、一班を三名とし、週番制とする。ただし、学校看護婦は毎日。
3、服務事項
(1)会礼の15分前に児童日直を召集し、当日の指示事項を発表する。指示事項は次の各項を参酌する。
イ、前日の児童日直の反省事項(日直誌記載)
ロ、訓練要目の指示事項と学徒団校内役員会の決定事項
ハ、その他
(2)放課後児童日直の反省会を指導する。
(3)児童日直誌(男女別)を検閲する。
記載例(省略)
105 (4)看護日直誌を記載し、児童日直誌とともに主事と訓練主任の検閲を受ける。
記載例(省略)
106 (5)会礼で前週の反省事項を発表する。
児童日直
1、目的 児童日直に校内での相互訓練、衛生や外来者応接等に当たらせ、皇民としての社会的生活態度の基礎的錬成をなす。
2、組織
(1)児童日直は次の人員で編成し、看護日直の指導を受ける。
(2)人員
イ、日直係長 高等科男児童一名
ロ、日直副係長 高等科女児童一名
ハ、一般日直
高等科児童 各学級三名(日直係長、同副係長を含む)
尋常科児童 五、六学年中各学級二名。
ニ、服務期間 高等科児童は半週、尋常科児童は一日交替とする。毎日始業前から下校時までとする。
107 ホ、標識 児童日直は赤色腕章を標識とする。図示(省略)
3、実施方法
(1)会礼15分前に日直係長の合図の笛で応接室に集合する。
(2)日直係長の指揮で整列し、当番訓導の指示を受ける。
(3)校内を巡回し、次の任に当たる。
108 イ、指示事項と反省事項の徹底。
ロ、校内の全般的訓練と衛生に関する指導。
ハ、外来者の応接。主として高学年女児を当てる。
二、その他
二、学級訓練
(一)意義
一体と云うことが強調される今日、訓練でも全校一体の訓練が要求されるのは当然のことである。(上から言われることを疑わない、理由を問わない、そう言われているからするのが正しいとする。)しかし、学級の価値は見逃せない。校長を中心として全校職員によって案出された訓練要目も、そのままでは死の姿である。多くの場合、学級を通じてそれが具体的に活躍する。ただし、学級王国は、一見それが麗しく経営されていても、学級に籠る個人主義であり、「正しい」学級訓練とは言えないばかりか、間違いである。
109 (二)目的
各学級児童の現実生活を基盤として、訓練要目を含む校訓の趣旨を体し、学級独自の経営を行い、皇国臣民としての基礎的態度を錬成しようとする。
(三)方法
(1)学校訓練と学級訓練との分離を避け、全校一体の実を挙げること。
(2)本校の特殊性を自覚し、児童訓練の立場から常に反省すること。
(3)児童が多数の指導者から受ける影響に考慮を払うこと。
(4)各学級で独自の訓練領域を開拓し、本校の特殊性を生かすように努めること。
110 (5)各学級の級訓を制定し、一体となって志向すべき目標を明示すること。
(6)家庭との連結を常に緊密にすること。
(四)実際
学級個人主義に流れないように反省すべきである。
本校における学級訓練の組織は次の通りである。
校訓―訓練要目―学級訓練―級訓―学級と関係のある一切の訓練―終礼―学級日誌、日記
111 組織し体系化することが軽視され非難されてきたが、それは当然のことである。組織し体系化することは児童の錬成や訓練を疎んじがちであったからである。しかし、それは組織化・体系化を否定するものではない。児童を正しい日本人の型に入れることこそ国民学校訓練の重大な任務である。組織即ち型は時と共に発展的に変化し、学級によっても異なる。要は組織を生かすことである。
以下は本校での学級訓練の実際である。
1、級訓 級訓は校訓(訓練要目を含む)を体し、学級一体となって志向すべき目標を明示したものである。その制定と活用に当たり、次の諸点に留意する。
112 (1)級訓の制定に当たっては、学級児童の長所短所に合致したものを選定する。
(2)抽象的なものと具体的なものとの関係に留意し、生命活動を意図すること。(意味不明)
(3)形式に堕さず実践を重視し、その徹底を期する。
(4)級訓の推移発展は各学級の実情に即すこと。
2、訓練要目の実践 学級児童の現実生活を熟視し、要目が概念化・画一化に流れないように注意している。各学級に備え付けられた学級板は学級が実践すべき要目を掲げ、実践を督励するようにしている。
3、家庭との連絡 本校では毎年春秋に父兄会を開催し、また絶えず家庭訪問をし、また各学級が適宜父兄と懇談し緊密な連絡を取っている。毎学期一回学校通信を各家庭に配布し、日々の実践の反省や該学期における学級経営の指針などを伝達している。
113 4、教室環境 教室の正面に二重橋の御写真を掲げ、不断に帰一すべきところを明示している。教室の光度、空中バクテリアの棲息状態を検査し、衛生訓練を徹底している。教室環境の厳粛、統一、更新、発展、特殊、即時などの要素に留意している。
5、学級日誌 学級日誌が単なる事務日誌とならないように、訓練的見地から十分に活用するよう意図している。
6、生活板 生活板は一日の行事、役員、注意事項を記載し、一日の生活を組織的、統一的に運営しようとするためのものである。
7、学徒団学級会議 学徒団団則第一条の精神に基づき各学級で適宜開催する。
学級会議案(学徒団の項に記載してあるので省略)
114 8、学級役員 学級の指導者とともに全員の活動も意図している。
9、その他 各学級の特殊事情に応じて次のことを行っている。御話会、反省会、学級ポスト、生活メモ、日記指導、小学生新聞、学級新聞、「感謝の日」の設定励行、歩行訓練、訓話の記録等。
10、終礼 ここで反省、吟味、検討が行われる。終礼はより良い明日の生活を意図する錬成の時間である。
某学級某日の終礼 教師が教室に入る。児童は各自の席に姿勢を正して待っている、机の上にランドセルと日記帳が整頓されている。教師の合図で一斉に日記を書き始め、教師も児童と共に一日を反省する。しばらくして日直児童が日直誌に記載されたその日の反省事項を発表する。この日の反省事項は主として訓練要目の実践についてであった。その後、教師・児童は自由な気持ちで日直児童の発表を中心に一日の生活を反省し合う。最後に一日の生活及び明日の生活に対して教師が訓話する。一同が起立し厳粛な気持ちで校訓誓詞を唱和し、明日は今日よりも立派な附属児童たらんことを誓う。
三、学習訓練
115 心身を一体として教育し、国民の生活に即した具体的・実際的な教育を施すことは、国民学校において夙に重視されてきた。従って、知識・技能の修得を通じて国民的人格を育成しようとする教授もこの精神に則って行われなければならない。(上から言われたことは論理的根拠とは言えない。)国民学校に於ける教授の目的は、単に知識・技能の伝達拡充により自律的人格を陶冶して自由人を育成することではなく、皇国の道の修練を旨とする、教授・訓練・養護の一体観の上に立ち、知識と実践、精神と身体を一にして、身についた知識・技能を体得せしめることである。訓練や養護と関連したものとして教授を考えることすら教授を抽象的に捉えている。教授自身が訓練であり、養護である。またそういう自覚だけでは教授が訓練・養護を抱擁したことにはならない。
116 一体観の立場に立って教育を具体的・実践的に把握し、教育の全体が教授という形態で実践されているものと理解すべきである。教授は知識・技能の修得を通じて情意に作用して実践に及び国民的人格を育成することを使命とする。教育の原理としての教授は、教育の原理としての訓練や養護と一体となって教授としての真面目を発揮できる。
知識・技能の修得やその実践をする時の態度の錬成が学習訓練である。従来の学習訓練では原理としての教授の目的の一方面であるところの形式的陶冶が考えられていて、知識・技能を授けることよりも、それによって各種の能力や態度を養うための一般的方法を修得させることを目的としていて、興味と自発性の原理をその基盤としてきた。学習の根本態度として児童の自由・創造が高揚され、延いては児童の自負心を高めたが、道を修め教えに随順する精神を失いやすかった。この学習訓練の及ぶところは、児童を優越観に浸らせ、個人主義的・自由主義的態度を児童に持たせる結果になった。この興味と自発的態度を醇化し、皇国に奉仕するために(死への)「道」を求める熱烈な精神に転換させなくてはならない。この態度こそ、今後の「自発的学修」の態度ではないだろうか。すなわち我執を去り、この道を求め、道に随順していく、行としての学修態度の育成に、根本態度を置かなくてはならぬ。道を求める精神を学習の基礎とする学習は、学修となり、学習の一般的方法を体得させることも、学修において有意義となる。
117 行は個人的な修養の方法と考えられがちだが、学習は主として学級で行われる。学級は臣道実践を使命とする錬成共同体である。常に臣道を実践する分を尽くさせなければならない。全級挙って一つの心となり、教えを身に体する自覚的な学修に導かれるべきである。(ああ、無情)
知の知たる所以は、道を対象的に把握し反省することによって、自覚を深めるところにある。一方、行の行たる所以は、道に随順し道になりきるところにある。前者(知)が「客観的自覚」であるのに対して、後者(行)は「一体的で実践的」である。学級における行としての学修訓練は、自覚的であるとともに、一体的でなければならない。学級は自覚を持ち一体となって学習しなければならない。
この一体的学習は礼法の精神に基づいて訓練されて始めて学級における学習訓練としての使命を果たすことができる。幼少の児童に始めから礼法の精神に基づく共同的な学修はなし難いが、まず躾から進んで次第に訓練できる。躾は特に初等科の第一、第二学年において、学修訓練上重要である。
こうして児童は教えに導かれ、全霊を打ち込んだ学級一体の学修態度ができる。この時教室、校庭そして校外教授が行われる山野は、教育の道場即ち教場となりうる。
118 行としての学習では、内への行として「会得の態度」が訓練され、会得による自覚的態度が修練されるが、会得はやがて外への行としての実践にならねばならぬ。会得の訓練は、教材に潜む道を身を以て学ぶことにあったから、会得の訓練では教材が必須である。しかし実践の訓練では、教材そのものは姿を消し、教材が持つ「道の精神」を体現することが中心的使命となる。それは直接児童の情意に作用して実践を指導し、身を以て行う道の実現を修練することである。それは訓練でなければならない。ここに学習の全野において学習即学修訓練の真姿を見る。そしてこの訓練は、時々刻々の錬成行によって、生涯持続して止まぬ修養の習慣を児童の心底深く徹して魂に培うものでなければならない。学習訓練の目的はこの自修の精神を養うことである。
学修訓練の目的
119 各教科科目の趣旨に基づき、学習即行の態度を体得させ、自修の精神を養う。
学習訓練の方針
(一)学習をして道場における師弟一体の修養とする。
(二)各教科科目の趣旨に基づき、学習方法の会得とその実践とを錬磨し、「力」と「創造」の学習態度を養う。
(三)心身の発達に即して一体的な学習態度をつくる。
(四)教場における礼法を重んじ、身を以て学び身を以て行う態度を修練し、知徳体一如の学習に徹する。
(五)各教科ならびに教科外の学習と、訓練・養護との一体を図り、全学習を挙げて恒に皇国の道に行ずる精神を養う。
各教科における学習訓練の概要
国民科
(一)皇室に関する学習では、常に身を正し、心を誠にして、終始、敬虔な態度を持すること。
(二)喜んで道に随い、敬神、奉公の誠をつくす態度を養う。
120 (三)学習即行としての根本態度を持ち、工夫精進して道の達成に努める実践的態度を持たせる。(空疎な言葉)
(四)敬語・礼法を反覆・実践して、体得する態度を作る。
(五)大国民たるの気于(心構え)を持たせる。
(六)諸訓練との関連を密にし、時局に即し、郷土に合った生活をする心構えを作る。
(七)行としての素読*的態度を重んじ(訳が分からなくてもやれ)、素読的な読みの反覆修練によって、徹底した読みの態度をつくる。*素読とは意味が分からずに読むこと。
(八)常に言葉を正醇(混じりけがない)にするように努める。
(九)事象の見方、考え方、平明に表現する能力を訓練し、創造する能力を養う。(やらされてばかりでは、創造は無理ではないか。)
(十)身を正して書くこと、話すこと、聴くことを修練し、言語を通じて国民的思考や感動と一体となり、国語を尊重して愛護する態度を養う。(意味不明)
(十一)国史を通じて一貫する肇国の精神を具体的に感得し把握する態度を養う。(無理では)
(十二)自然と生活との関係から我国民生活の特質を理解する態度を持たせる。
(十三)郷土の理解に努め、国土を愛護する態度を日常の生活に具現させる。(意味不明)
121 (十四)協力一致し、自ら労して、具体的・実践的に学習する気力を修練する。
(十五)教科書その他の学用品を尊重し活用する生活訓練を重視する。
理数科
(一)国家の興隆に貢献する精神を以て数理的・科学的に工夫創造する態度を養う。
(二)事物現象に即して、数理及び自然の理法を推究する態度をつくる。
(三)分析的・論理的に考察するとともに、全体的・直覚的に把握する態度を持たせる。
(四)日常生活の数理的並びに科学的処理の態度をつくる。
(五)自然に親しみ自然から直接学ぶ態度を養う。
(六)持久的に思考し究明する態度を修練する。
(七)継続的に観察・実験し、持久的に研究・実践する力を持たせる。
(八)基礎的事項の反復練習によって応用自在にさせる訓練に留意する。
体錬科
(一)強靭なる体力と旺盛なる精神力とを以て国に奉ずる態度をつくる。
(二)団体訓練により、規律を守り、協同を尊ぶ習慣をつくる。
122 (三)自覚的に心身の健全な発達を図る態度を持たせる。
(四)快活な心情と公明な態度を常に持たせる。
(五)躾、姿勢、その他の訓練を行い、日常生活で常にそれを実践するくらいに身につけさせる。
(六)身体の清潔、皮膚の鍛錬、その他学習生活上の衛生等に関し、自覚的・積極的にそれを修めようとする態度をもたせる。
(七)心身一体の体験を積み、礼節を尊び、廉恥を重んずる気風を養う。
芸能科
(一)真摯な態度で技巧に流れず、「精神を体得する」心構えをつくる。
(二)我が国の芸術・技能の特質を弁え、工夫・創造する態度を養う。
(三)共同作業によって全体のためにその一部を担当し、分に応じて国に奉仕する奉公の態度をつくる。
(四)躾を重んじ、姿勢を適正にして学習する習慣を持たせる。
(五)児童の音楽的資質を啓発し、国民的音楽を創造する基礎的態度をつくる。
(六)歌唱と諦聴(丁寧に聞く)の訓練によって、「心技一体の態度を生活化」する。(意味不明)
123 (七)礼法を重んじ、特に祝祭日等の唱歌は敬虔な態度で学ばせ、国民的訓練を行う。
(八)輪唱、合唱、器楽等の共同的学習により、学級一体の学習態度を修練する。
(九)文字書写の過程並びに鑑賞を重視し、教材の持つ精神に没入する態度を養う。
(十)形象の看取、表現、並びに作品の鑑賞を一体として、創造的態度を養う。(意味不明)
(十一)機械器具の取り扱いに関する基礎的態度をつくり、材料を節約し、工具の手入れ、整理、保存の習慣をつくる。
(十二)「家を齊え」国に奉ずる態度を養う。
(十三)礼法を重んじ、我が国の家庭生活における醇風美俗の体現に努めようとする心構えをつくる。
(十四)家事を科学的に処理する態度を日常の生活にまで徹底する。
(十五)躾を重んじ、勤労の習慣を養い、節約、利用、工夫、考案、清潔、整理等の態度を持たせる。
実業科
(一)時局や郷土など実社会との関連に留意し、進んで実習する態度を持たせる。
(二)実習を心身一体の行とし、国土や自然に対する報恩・感謝の態度を養う。
(三)正確綿密に処理し、工夫考案する態度を養う。
124 (四)信義を重んじ、実業道徳を実践躬行する態度を持たせる。
四、生活訓練
(一)意義 二つの意義があり、一つは「生活を訓練する」で、もう一つは「生活によって訓練する」である。
1、生活を訓練する
ここで生活とは家庭生活と社会生活である。国民学校の教育方針八に「教育を国民の生活に即して具体的・実際的ならしむること」とある。これは、理論の上に建設され、生活そのものから遊離した嫌いのある過去の教育の弊から脱却し、現実の生活に根を下ろした教育を打ち立てることを要求している。一切の教育の営みは、直接に生活に生きて働き、生活を、国民学校教則案説明要綱に言うところの「皇国の道の実践としての生活」たらしめる契機とならなければならない。「生活を訓練するとは教育そのものである。」「生活は一切を含みながら本来渾一的なものである」から、渾一的なものを渾一的な姿に於いて指導の対象とする教育作用を「訓練」と呼ぶことがふさわしい。「生活を訓練する」ものとしての生活訓練がある。
125 この訓練は前述の二番目の定義「生活によって訓練する」ことによって達成できる。
2、生活によって訓練する
修得された知識技能を実行に導くことによって真に人格の力となる。実行を通じて修得された知識技能だけが、よく皇国民の資質向上に参与しうる。この実行を生活と言うなら、生活は、知識技能を生かす場、新たに知識技能を修得する場である。生活は方法であり、手掛かりであり。前述の一番「生活を訓練する」の生活が広義の生活であるのに対して、これは狭い学校生活の中で、教育の基盤としての本来の生活が持つ渾一性をよく保っているところの、食事、遊び、特設の共同宿泊などをその主な内容とし、これらを現実の場として(のように)施される皇民の錬成が「生活によって訓練する」という意味での生活訓練である。これによって「生活を訓練する」教育が可能となる。
(二)目的
126 生活訓練は、学校の中で、教育の基盤としての生活の特性を持つ分野(食事、遊び、共同宿泊など)を対象として指導し、児童の皇国民としての自覚に基づき、児童の生活を「皇国の道の実践としての生活」に高める。
(三)方針
1、「皇国の道の実践としての生活」の建設に際して要求されることは、合理的創造の精神と敬虔な感謝の念である。この二つは皇国民としての自覚に基づいて生まれる。
2、家庭や社会、野外訓練との連関を図る。
3、食事訓練と宿泊訓練は生活訓練の重点である。前者は全学年児童が対象で、後者は尋常科第六学年以上の児童が対象である。
(四)食事訓練
127 1、「食事の意義」を深く考えさせ、「食事に対する皇国民としての心構え」を得させ、その実践を指導する。生命は無窮の皇運を扶翼し奉り、営養がこの生命を維持進展させることを観念させ、国土の恩恵に対する深甚な感謝ととともに、土と人とが一体となった姿としての皇国の大生命を自覚させる。
2、営養に関する科学的識見を付与して食事を合理的にする。また躾を重んじて食事の際の品位を向上させる。本校で副食物を給食していることは前者の指導に好都合である。
3、平素の各自の主食物についても指導するが、節米運動の趣旨を理解させ、その実践を指導する。一月に三回パン食の日を設け、その(日の)精神を徹底する。つまり、パン食の日は、毎月1日の、興亜奉公日、7日の(日中)事変勃発記念日、22日の「青少年学徒に賜りたる勅語」下賜記念日である。098
4、実施の大綱
(1)食事前の訓練
128 イ、手、口等を清潔にし、容儀(礼儀にかなった姿)を正す。
ロ、瞑想 約1分。(感謝の念をこめて)
ハ、挨拶
「いただきましょう」(教師)
「いただきます」(児童)
(2)食事中の訓練
イ、姿勢を正しく、弁当箱を手に、箸は正しく持って。
ロ、口一杯に頬張らぬ。パンはちぎって食べる。
ハ、食物を口に含んで談笑しない。必要以外の話はなるべくやらない。(堅苦しい)談話は意義のあることについて教師と児童との間で行うものとする。児童相互の話し合いはやらない。
ニ、よく噛む。毎週月曜、咀嚼訓練。
ホ、食物を散らかさぬように。
129 へ、残りなく食べるように。偏食矯正のために矯正表を使用する。
(3)食事後の訓練
イ、食器の始末を静かに、丁寧に。
ロ、お湯の飲み方。
ハ、食後の挨拶。「ご馳走様でした」(教師、児童)
(4)食事当番訓練
イ、食器を配る。お湯を配る。奉仕の念を中心に、静粛、清潔、敏速に。
ロ、食事後の整理をする。
(五)宿泊訓練
1、師弟が起居を共にする場を特設し、家庭的雰囲気の中に薫化切瑳の体験をし、平生の教育の徹底を図り、皇国の道の実践としての「生活建設」を示唆する。
2、敬神崇祖の念、長上に対する礼の精神、朋友間の親和の情、団体生活の心得、生活の合理的建設への心構えなどを、生活の中で行ずることによって、体得させる。
3、実施の大綱
129 (1)実施前の準備
イ、指導者・役員打合せ会 実施計画等の協議をする。
ロ、家庭への通知 要綱を印刷して配布し、家庭の了解を求める。
ハ、宿泊訓練の目的等について児童に大要を説明する。
ニ、寝具等の準備。
(2)実施要項
第一日
イ、会場 校内紀念館 午後3時半集合
ロ、清掃作業 会場内外の清掃
ハ、開設式 午後4時半
(イ)集合
(ロ)敬礼
(ハ)大麻(伊勢神宮の神札)拝礼(一揖(ゆう、会釈)、二拝、二拍子、一拝、一揖)
(二)君が代奉唱
(ホ)訓話
(へ)敬礼
ニ、夕食 大麻に供饌 午後5時半
ホ、休憩 午後6時~7時
へ、自習 午後7時~8時半
ト、歯磨 午後8時半
チ、夕礼 午後8時40分
リ、日誌記載
ヌ、父母への挨拶、教師への挨拶
ル、就寝 午後9時
第二日
イ、起床 午前5時半(早い)
132 ロ、掃除、洗面、齊容
ハ、大麻拝礼、挨拶
ニ、ラジオ体操 午前6時
ホ、朝食 午前7時
へ、課業 平日通りの授業
ト、作業 放課後
チ、夕の行事 第一日に準ずる。
第三日
イ、朝の行事 第二日に準ずる。
ロ、終了式 開設式に準ずる。 午前7時半
132 五、団体訓練
感想 2021年6月19日(土)
アプリオリな皇国思想。こじつけの論理。
感想 2021年6月18日(金)
個性を出すな。全体主義的な教育は個性を潰すという人もいるが、それは間違っている。全体があって初めて個性があり、国家があって初めて個人が存在しうる。それが真の個人のあり方だ。
全体主義教育を行進練習で訓練する。これは今の群馬県高校総体の入場行進そっくりである。ボスに対する敬礼137や足踏み練習の後に行進を開始すること136など。
「視閲」は閲兵訓練に他ならない。視閲における敬礼、教育勅語奉誦、「気をつけ」の号令などが特徴的。
視閲における事前の個人「調査」は吾妻高校での服装検査を想起させるが、恐らくその残滓なのだろう。
日直訓導という役職分担は渋川女子高での週番教員を想起させるが、これもその残滓なのだろう。
要旨
132 国民学校の教育目標が皇国の道の修練であることは今さら言うまでもない。すべての教育は皇国の道への帰一をその究極の目標として行われるから、皇国民の錬成や国家人としてのよりよき完成などが(国民学校教育で)当然のことながら企図される。
133 だから国民学校の教育の性格として、国家的性格または団体的性格があげられる。国民学校での訓練という実践面でその教育の性格の実現が求められるとき、団体訓練が必然的に要求される。つまり団体生活によって服従の精神を中心とした規律・協同を尊ぶ習慣を養い、さらに気力と意志を錬成して団体の向上発展を図り、これを通して皇国の道に帰一しうる人格の涵養を期する。
従来ややもするとこの団体訓練を批判して、個性を無視する訓練とか、型に入れる訓練とか云って、一部の人々の間にはかなりの非難があった。当時の教育は個人の人格完成を唯一の目標とし、団体訓練を訓練上の方法手段とのみ考えたためにこのような論議がなされたのだと思う。国家的自覚に立つ国民学校は団体訓練をそういう「偏狭」なものとはみなさない。自己を無にすることは己を消滅させることではなく、団体というより大きなより高次なものの中に自己を見い出すことであり、さらには国家の中に自己を発見することである。訓練が児童の生活を道徳的に陶冶し、「国家人としての人格の完成」を図るためには、個人的道徳生活の態度の確立を望むとともに、国家社会の一員として「公共生活を送ることができる徳性」の涵養が期せられる。
134 前者を個人訓練といい、後者を団体訓練という。両者は一体となっており、個人が国家社会の「尊い」一員として生活できて初めて個人訓練の目的が達成される。一方団体訓練も、そこで個人の性格を陶冶することができ、その道徳的価値生活を体現できるのだ。団体訓練は目的と方法の観点から必要である。(意味不明)本校はその指導に微力を捧げている。団体訓練の内容は様々であるが、本校の団体訓練には団体員としての精神態度の涵養を企図するための全校行進と全校視閲とがある。
(二)本校の団体訓練
(一)団体訓練の目的 全校一体となって集団行動をなし、これによって団体的精神態度の涵養を図り、以て皇国の道に帰一できる「人格」を養成する。
135 (二)団体訓練の方針
1、職員児童が和衷協力し、学校一体の実を顕現する。
2、常に群馬県師範学校附属小学校の児童の一人であるという自覚の下に、すべての行動をさせる。
3、特に規律共同の精神を強調し、没我奉公の誠を実践させる。(それでは個は否定されているではないか。前言と矛盾。)
4、姿勢歩調に留意し、勇往にして端正なる行進を行わせる。(すでに軍隊を意識している。)
5、全校視閲においては厳粛なる雰囲気の中に恭敬の念を養う。
(三)団体訓練の方法
〇全校行進
1、毎週月曜日第三時限体錬科の時間に行う。
2、服装は、職員は上衣を取り、児童は体操時と同じになる。
136 3、実施要項
(1)集合(日直訓導が指揮)日直訓導の振鈴によって、会礼場に低学年を中心に、男女別、各学級身長順、二列縦隊に整列する。
(2)敬礼(日直訓導が指揮)
(3)訓話(主事)主事が短時間全校行進にふさわしい訓話を行う。
(4)全校体操 (体育部員が指揮)体操の隊形をつくり、レコードまたは号令によって、国民体操あるいはその他の体操をなす。
(5)全校行進(開始は体育部員が指揮する。その後は担任訓導が指揮する。)
イ、行進開始 全校体操指揮者は、全校体操終了後、適当に深呼吸を行い、その後、行進曲が始まるのを待って第一笛を吹く。この第一笛によって児童は行進曲に合わせて足踏みを行いつつ学級ごとに四列側面縦隊となりその足踏みを継続している。全校体操指揮者の第二笛によって、高男、六男、五男、高女、六女、五女、四男、四女、三男、三女、二女、二男、(これは誤植か)一年赤白の順序に、トラックに沿って正常歩の行進を開始する。学級担任はその学級先頭伍(くみ、5人一組)の右側に位置し、教生は配属学級の後尾に位置する。これ以後が学級担任者の指揮となる。
137 ロ、行進中の諸動作
トラック南東隅に到り、挙股歩行進に移り、舎監室西側に位置する「受礼者」(主事)に頭右の敬礼を行う。その後再び正常歩行進に移り、男児童は左に方向転換し、その後、同方向(左方向)に行進中に横隊を作り、約30メートル行進した後で、右法に四列側面縦隊を作り、そのまま行進し、各々の玄関に向かう。
女児は正常歩行進をしばらく続け、左に方向転換し、約30メートル行進し、右方に方向転換し、右方に隊形を変換し、二列の横隊行進を続け、更に右方に縦隊を作って玄関に入る。(意味不明)
ハ、行進中の諸動作(尋四以下)尋四以下は正常歩行進を続け、トラックを約一周してそれぞれの玄関に向かう。
〇全校視閲
1、毎月七日、二十二日の第三時限に行う。
138 2、服装は制服制帽を本体とする。
3、実施要項
(1)集合(日直訓導が指揮する。)日直訓導の振齢を合図に、会礼場に会礼と同じ隊形に整列する。
(2)敬礼(日直訓導が指揮する。)
(3)全校視閲の旨を宣言する。(主事)
(4)勅語奉誦または校歌合唱(日直訓導又は音楽部員が指揮する。)
勅語奉誦の場合は日直訓導が勅語奉誦の旨を述べ、敬礼をなし、その後、尋3以上の児童が一斉に「青少年学徒に賜りたる勅語」を奉誦し、終わると敬礼を行う。
校歌合唱の場合は音楽部員の指揮により元気に合唱をなす。
(5)全校視閲の隊形に集合(日直訓導が指揮する。)
指揮者の第一笛により行進曲に合わせて全員足踏を始め、指揮者の第二笛によって学級順に行進を始め、所定の位置に整列する。その隊形は次の通りである。(省略)尋五以上は一列、尋四以下は二列、南面の横隊にし、各学級の間は4メートルとする。
139 (6)諸「調査」(担任指導)各学級毎に服装、衛生その他の調査を短時間に行う。
(7)視閲
イ、主事、首席訓導は第一学級(高男)より順次視閲をなし、担任訓導は当該学級の視閲に加わる。
140 ロ、受閲の方法 視閲者のその学級の級長は「気をつけ」の号令をかけ、次の学級の視閲が始まった時、「休め」の号令をかける。
(8)講評(主事) 視閲終了後、日直訓導の指揮により、所定の場所に集合させ、講評を行う。
(9)敬礼(日直訓導が指揮する。)
(10)教室への行進(同前)所定の順序に会礼後と同じ方法で正常歩行進で教室に向かう。
六、作業訓練
(一)意義
従来の教育は知育に偏してきた。外来の作業勤労教育が重視され、「為すことによって学ぶ」態度を堅持して身についた知識技能の修得を目指し、良き個人の完成への道を辿った。それに最近「東洋への回帰」という思想が台頭し、東洋的「行」の教育が重視されるようになり、心身一体の修練をなすことが活発化したが、それは度を越し、本を忘れて末節に走り、児童の心身発達の度合いを無視し、大人の世界の問題を児童の世界に持って来て、国民教育の本道を離れ、児童の心性身体に即さないものも出てきた。この情勢のもとに国民教育の新体制としての国民学校案が生まれた。(変化の理由が理解されていない。)
141 国民学校教育では、教授は知識技能の単なる伝達ではなく、これを実行に導き、あるいは実行を通して知識技能を修得させ、また訓練や養護の精神的・身体的実践を教授と有機的に関連させて、知性に照らされた実践とし、教授と訓練・養護の分離を避け、知育とともに実践を重んじ、知識と実行、精神と身体とを一体として国民錬成することを目指す。そして以下の通り具体的な教育上の注意点が挙げられている。(どこからの借り物。以前の教育との違いがはっきりしない。)
1、知識技能の修得である学習は同時に「行」であり、訓練である。
2、「真の知識」を尊重し、知識を軽視したり、あるいは逆に知識偏重に陥ったりしてはならない。(無意味)
142 3、作業を重んじ、実践を通して知徳を涵養する。
4、躾を重んじ、自覚的に善良な習慣を体得させる。(自覚と使役とが矛盾)
5、児童の負担を適正にして過労を避け、心身健全にして快活、純真、生気溌剌とした児童を育成する。(言葉だけの作文。理解が浅い。)
以上の通り、国民学校教育は、行的訓練や知性に照らされた実践を重視し、従来の作業、勤労、行の教育の価値を認め、かつその欠点を指摘している。(どのように?)
作業訓練は、国民学校教育の主流と考えられる行的訓練つまり、知性に照らされた実践としての教科外教育施設である。これによって、「為すところすべてが国民的人格の力となる」ようにしなければならない。
従来、教科外教育施設について十分な反省がなされなかった。例えば清掃作業などに教育的意味を持たせるべきだ。また訓練時間を特設すべきだ。国民学校教育は児童の負担の適正(軽減)と心身の健全な発達の観点から一時限を40分としているが、本校はこれに則り休憩時間を訓練時間として特設して作業訓練を行っている。(児童の休憩に配慮していないのではないのか。)
143 訓練時間
8時始業の場合 第三時限終了から第四時限始業までの20分間
8時半始業の場合 第五時限始業前の20分間
前橋のような都市部に生活する者は文化的施設との接触は多いが、自然に親しむ機会に恵まれていないので、本校は労作園を特設し、身心の鍛錬とともに知識と実行の一体化を図っている。(作文)またこれは農業を課していない高等科実業科の農耕的戸外作業や園芸にも利用されている。
(二)目的
144 清掃作業、全校作業、労作園作業、奉仕作業等の行的訓練を通して、勤労を尊び、勤労を愛好する習慣を養成し、奉仕の精神を涵養し、積極敢為で実践的な国民的性格の錬成をする。
(三)方針
1、師弟同行の態度で児童を薫化する。
2、児童を他律的訓練に服従させるとともに、自律的実践をするようにさせる。(自己矛盾)
3、作業結果だけを重視せず、作業過程を重んじる。
4、黙って作業する態度を重視する。
5、僅かな時間でも正課と同じように扱い、心身物を一体として作業に当たらせる。(意味不明)
6、各教科科目との連繋を密にし、それを実践化し活用する。
7、儀式、行事との連絡を緊密にする。
(四)実施事項
1、清掃作業
(1)目的 校舎内外の清掃や学級園の手入れを通して集団的訓練を行い、団体内での各自の責任を完了する精神と愛校の精神を涵養する。
145 (2)種別
特別清掃作業 毎週一回月曜日と木曜日に階上階下に分かれて行う。
普通清掃作業 特別清掃作業日を除き毎日行う。
(3)学年 一年を除き全員参加する。
(4)服装 男子は上衣を脱ぎ、女子は手拭を被る。
(5)時間 毎日の訓練時間(授業の合間か)に行う。但し、木曜日に全校作業を行うときは、放課後に行う。
(6)分担 普通教室(一年教室を除く)と学級園は当該学級の児童の受け持ちとし、特別教室と校舎内外の特別場所は各学年児童の混合編制組が受け持つ。
(7)実施要項
イ、整列
ロ、作業上の注意伝達(担任又は組長)
ハ、作業実施
146 ニ、用具の整頓
ホ、整列反省
ヘ、講評(担任)
2、全校作業
(1)目的 職員と児童が協力して校庭の整地・美化作業を行い、児童に集団的勤労に馴れさせ、愛校精神を涵養する。
(2)学年 児童全員が参加する。
(3)服装 男子は上着を脱ぎ赤白帽を着用し、女子も上着を脱ぎ赤白鉢巻を着用する。
(4)時間 毎週木曜日の訓練時間を充てる。
(5)実施要項
イ、集合 会礼場
ロ、訓話 主事又は訓練主任
ハ、作業分担の発表、作業大要の説明、作業上の諸注意。作業訓練係
147 ニ、御製(天皇の和歌や詩文)奉誦
ホ、作業開始 各学級所定の位置に体形を整え、鐘を合図に一斉に行う。
へ、作業実施 石、ガラス破片、塵芥の拾集、簡単な整地、除草等。
ト、作業終了 鐘を合図に一斉に終わる。
チ、集合 会礼場
リ、講評 訓練主任
3、労作園作業
(1)目的 都市に生活する本校児童に、土に親しみ自然の妙趣を感得する機会を与え、植物栽培の知識や技術を体得させる。また物に対する敬虔感謝の念を養い、勤労を尊び勤労を愛好する習慣を養成する。
(2)施設
イ、第一労作園 勢多郡南橘村上細井 面積 一段一畝
ロ、第二労作園 前橋市才川町(さいがわまち、現在の若宮町一、二、三、四丁目と日吉町四丁目の各一部) 面積 一段五畝
148 ハ、第三労作園 前橋市岩神町 面積 二段
(3)栽培作物 水稲、小麦、桑、甘藷、馬鈴薯、大根、豌豆(えんどう)、大豆、蕪菁(ぶせい、かぶ)、小松菜、ほうれん草、油菜、キャベツ等
(4)分担
イ、第一労作園 毎週一回五年生以上が輪番で行う。
ロ、第二労作園
(イ)学級園 当該学級で随時行う。
(ロ)共同園 高等科児童が主として当たるが、他学級も輪番で行う。
ハ、第三労作園 全学年が輪番で行う。
夏季休業中は五年生以上の各学級が一回以上労作園作業を行い、また各学級は児童招集日に第二労作園の作業を行う。
(5)種別 播種、植苗、除草、整地、中耕、害虫駆除、灌水、収穫、開墾等。
(6)服装 体操の支度
(7)時間 放課後行う。
149 (8)実施要項
・出発前
イ、集合 会礼場
ロ、用具の準備・点検
ハ、諸注意
・往復の途中 沈黙行進、強歩、唱歌行進等を行う。
・労作園
イ、整列
ロ、宮城遥拝
ハ、御製奉誦
ニ、作業分担の発表
作業要領の説明
作業上の注意
ホ、作業実施
150 ヘ、用具の手入
ト、整列反省
チ、講評
・帰校後
イ、整列 会礼場
ロ、用具の整理
ハ、訓話
(9)備考
イ、栽培作物の初物は、全員整列し、屋上に奉安する皇大神宮へ献饌する。
ロ、収穫した栽培作物の一部は栄養食として児童に給する。また児童に分与して家庭に持ち帰らせ、労作の尊さを味わせる。
ハ、児童の家庭の空閑地利用のために苗を児童に給して栽培させる。
ニ、奉誦御製
151 浅緑すみわたる大空の
ひろきをおのが心ともがな
暑しとも言われざりけりにえかえる
水田に立てる賎(私)を思えば
物学ぶ道に立つ子よおこたりに
まされるあだはなしと知らなむ
国をおもうみちにふたつはなかりけり
軍の場にたつもたたぬも
ほどほどに心を尽くす国民の
ちからぞやがてわが力なる
いず方に志してか日盛りの
やけたる道を蟻の行くらむ
大空にそびえて見ゆるたかねにも
のぼればのぼる道はありけり
怠りてみがかざりせば光ある
玉も瓦もひとしからまし
152 大根引 尋六女 萩原雅子(抜粋、優等生的感想文)
…私たちは整列して宮城遥拝をし、戦地の兵隊さんの御骨折りをしのびながら
国を思うみちにふたつはなかりけり 軍の場にたつもたたぬも
と 明治天皇の御製を奉誦した。
…澄んだ秋晴の空ではお日様がさも笑ってでもいるようにやさしく照らしている。
…「自然のありがたさ」「汗の結晶」という先生の言葉を思い出してほんとうにそうだと感じた。
4、前橋公園清掃奉仕作業
(1)目的
154 支那事変記念日、銃後後援強化運動等の記念日に前橋公園の清掃を行い、興亜の大業に対する自覚を深めさせ、公徳心の涵養を図る。
(2)学年 児童全員を参加させる。
(3)日時 日曜日を選び、職員児童全員が早朝に集合し、約一時間行う。
(4)用具 各家庭より箒を持参させる。
(5)種別 公園広場の石、塵芥の箒(しゅう)集、除草、落葉の箒集、護国神社・東照宮境内の清掃。
(6)実施要項
イ、集合 前橋公園広場
ロ、宮城遥拝
ハ、朝の挨拶
ニ、訓話 主事又は訓練主任
ホ、作業分担の発表、作業大要の説明、作業上の諸注意(作業訓練係)
へ、作業開始 各学級所定の位置に体形を整えた上、鐘を合図に一斉に開始する。
ト、作業実施
チ、作業終了 鐘を合図に一斉に終わる。
リ、集合 公園広場
ヌ、講評 訓練主任
ル、護国神社参拝
オ、校訓誓詞の唱和
ワ、訓話 主事又は訓練主任
カ、解散
ヨ、備考 往復の行動は学徒団の校外班を中心にして規律的に行わせる。
5、共同奉仕作業
(1)目的 校舎内外における共同奉仕作業を通して、公共物愛護の精神と愛校の精神を涵養する。
(2)学年 五年生以上の児童
(3)種別 整地作業、教具校具の修理
カーテンや被服の洗濯と修理、温室の整理、立木の手入れ、労作園収穫物の整理等。
(4)時間 放課後
(5)実施要項
イ、整列
156 ロ、作業分担の発表、作業大要の説明、作業上の諸注意。
ハ、作業実施
ニ、整列反省
ホ、講評
6、神社清掃奉仕作業
(1)目的 学徒団員の自発的活動に基づき、所定の神社の清掃・美化作業を行わせ、公共物愛護の精神と神へ奉仕する精神を涵養する。(自発的と命令とが矛盾)
(2)日時 各校外班の決議による日曜日の早朝に、毎月団員が所定の神社に集合する。
(3)実施要項
イ、集合 神社境内
ロ、宮城遥拝
ハ、朝の挨拶
ニ、作業上の注意 幹事(教員095)または班長(児童095)
ホ、作業実施
へ、神社参拝
157 ト、体操
チ、訓話 幹事
リ、解散
七、儀式及び行事訓練
(一)意義
157 国民学校教育方針の第六項に「儀式、学校行事等を重んじ、教科と併せ一体として教育の実を挙ぐるに力むること」とあるが、これは従来の教育が教科による教育と教科外の施設との「統一を欠き、断片的・機械的・偶発的」であり、教科に関係ないことを行事として「外部的に」強制する傾向があり、教育の「全体的統一の精神」に反していたことに留意されて述べられたものである。(苦しい忖度的解釈)
此度の国民学校に於いてはこれらの(教科外)教育施設を「教育的に」「整理し、組織化し、精選」し、教科の教授事項と緊密に関連させ、「併せ一体として」教育の実を挙げることに努めなければならない。(空語)
その(教科外施設の)うち特に儀式、学校行事が重視される所以は、儀式、とりわけ国家的儀式が(好戦的)国民的情操を涵養するための唯一無二の機会であるからである。
158 諸般の行事やその他の作業・体育等の諸種の施設による教育作用を重視し、教科と相俟って教育の効果を全うしようとする傾向は、近時の教育思潮上からも頷ける。(理屈はない)国民学校教育でも勇敢に否積極的に之(行事や作業・体育施設)を利用し、教育効果の発揮に注意を払っている。但し、教科外の施設を重視するあまり、教科による知識技能の徹底を欠くとか、負担過重に陥ることのないよう教育的本道に掉ささねばならない。
国家的記念日、祭日、郷土的記念日等については、その趣旨を理解させ、(その日の訓練が)敬虔、敬慕、敬仰等の国民的志操の啓培に資し、(その訓練を)皇国民錬成の一方法にしなければならない。
(二)目的
儀式や学校行事を通して滅私奉公・全個一如の精神を涵養し、国民的性格の錬成を図り、教科と一体となって教育の実を挙げる。
(三)方針
159 1、儀式では、厳粛性、象徴性を重視し、児童を自然に森厳な雰囲気に浸らせ、国民的礼法を体得させ、国民的情操を感得させる。
2、四大節*を始めとする儀式の式次第を定め、有意的・具案的(方法が備わっている)に実施する。(意味不明)
*四(し)大節とは、四方拝1/1、紀元節2/11、天長節4/29、明治節11/3
3、儀式における訓話は簡潔で、その趣旨に適い、具体的実践性に富み、忠君愛国の志気の振励を図る。
4、儀式での御真影、詔書、勅語などの奉遷(神体をよそに移す)の際は、極めて鄭重に行い、不敬にならないよう細心の注意を払う。
5、大祭日160に際しては、前もってその趣旨を理解させ、終日恭敬の念を培う。
6、国家的記念日、郷土記念日に際して、講和や訓話等によって「即事的」に感銘を深くさせる。
7、行事の組織化、単純化を図り、精選して実践を「有機的」にする。
8、諸行事は体錬科と相俟って、団体訓練の行事や作業的行事を目標とし、さらに郷土、児童の程度、教科との関係を考慮して、その実践化に努める。(意味不明)
(四)実施事項
160 ・四大節「祝日」 挙式 新年、紀元節、天長節、明治節
・大祭日 元始祭1/3、春季皇霊祭、神武天皇祭、秋季皇霊祭、神嘗祭、新嘗祭、大正天皇祭
*元始祭(げんしさい)明治維新後に定められた皇室祭祀の一つ。1月3日に天皇が皇位の始源を祝う。
*皇霊祭(こうれいさい)春秋の彼岸の中日に天皇が歴代天皇・皇后その他の皇霊を祀る大祭。
*神武天皇祭 神武天皇崩御の日とされる4月3日に天皇がその霊を祭る。
*神嘗祭 10月17日に伊勢神宮でその年の初穂を天照太神に供える。
*新嘗祭 11月23日に天皇がその年の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に供える。
*大正天皇祭 12月25日の大正天皇崩御の日に天皇が行う。
・詔書並びに勅語下賜記念日 挙式と訓話
『教育に関する勅語』下賜記念日10/30
1890.10.30 日清戦争1894.8.1—1895.4.17
『戊申詔書』下賜記念日10/13
1908.10.13 勤倹節約と国体尊重。桂太郎内閣内務大臣平田東助の要請による。日露戦争1904.2—1905.9
『国民精神作興に関する詔書』下賜記念日11/10
1923.11.10 当時の「社会的・思想的激動」に抗して国民精神の振興を呼びかけた。
『青少年学徒に賜りたる勅語』下賜記念日5/22
1939.5.22
その他
・国民的記念日 記念講和と簡易運動会
〇陸軍記念日 3/10 日露戦争奉天会戦勝利1905.3.10を記念して設けられた。第一回記念日は1906年3月10日。
〇海軍記念日 5/27 日露戦争での日本海海戦勝利1905.5.27を記念した。1906年の風俗画報341号「海軍記念日祝賀会は五月二十七日を以て、築地水工交社に挙行せらる」
〇支那事変記念日 7/7 1937.7.7
・興亜奉公日 時局訓練の項参照 毎月1日
「戦地の兵士の労苦を偲び、銃後の守りを固める決意の日」として1939年9月から毎月1日が興亜奉公日と定められた。国旗掲揚、神社参拝、勤労奉仕のほか、学童は日の丸弁当(副食なしで米飯と梅干だけの質素な弁当)持参、料理屋やカフェなどは一斉休業が求められた。(No.364戦争とわたしたちのくらし19 アーカイブズ 福岡市博物館)
・郷土的記念日 記念講和 上毛五偉人(新田義貞、高山彦九郎、関孝和、塩原多助、新島襄)八幡宮祭典等
161 ・大運動会 学校一致、全個一如の訓練。教育活動の全分野を発揮させる。
・展覧会 当校では畏くも 今上陛下 の行幸を賜り、行幸記念展覧会を精神込めて開催。同時に父兄会を開き、学校と家庭との連携を図る。
・学習発表会 毎学期一回 普段学習したことを学級単位に行う。教生や父兄の観覧にも供す。
・修学旅行、剛健旅行 毎学期一回。身心鍛錬の項参照。
・生活行事 書初、節分、節句(桃の節句、端午の節句)、七夕祭、盂蘭盆(うらぼん、陰暦の7/15、裏盆はその終わり)、健康週間、交通安全週間、銃後強化週間、防火週間等。
・皇大神宮拝礼 毎月1日、15日。会礼の項参照。
・奉安殿拝礼 毎月10日、20日。会礼の項参照。
・その他の学校行事 労作園作業、全校作業等。団体訓練、作業訓練、時局訓練等と連携して有機的に実践する。
162 ・その他の各種記念日 児童生活の「一元化」に努め、教育の本道・本質を見極め、精選して組織化に努める。
八 時局訓練
(一)意義
「国民学校教育方針」第三項に、「我が国文化の特質を明らかならしむるとともに、東亜及び世界の大勢につきて知らしめ、皇国の地位と使命との自覚に導くこと」とあるように、国民学校においては我が国の世界的地位と歴史的使命との自覚が不可欠である。(日本人は優越感を持て。)
児童の現実生活はこの切迫した非常時局の環境下に営まれているから、時局は児童に大きな影響を与えている。時局は偉大な教育的環境である。しかし(児童の)時局の認識や体験が教育的に見て正鵠を得ているか、また妥当かを反省するとき、組織化された時局訓練が必要となる。
従来時局訓練が学校教育において重視されてこなかった理由は、学校教育が現実の社会や国家に対して孤立するかの観があり、断わって時局訓練として特設する必要を感じなかったことである。ところが支那事変勃発以来、我が国内外の情勢は高度国防国家建設の必要に迫られ、国民は挙げてこの建設の中に織り込まれなければならなくなった。(その通り。正直)児童もまたこの建設の一翼として考えられるところに、時局訓練の国家的意義がある。
(二)目的 現に動きつつある日本の時局の中で生活する児童の訓練の際、児童に非常時局を認識・体得させ、尽忠報国、挙国一致、堅忍持久の精神を養うように努める。
(三)方針
(1)東亜における我が国及び世界の情勢の認識を深め、時局が重大である理由を理解させる。新東亜建設の大事業に邁進する現下の我が国においては、気概のある大国民の育成こそ最重要事である。そのためには我が国の直面している東亜や世界の情勢を理解させることが最も大切である。
(2)恒常的な諸行事に常に清新な内容を与え、その目的を徹底させる。恒常的に行われる諸行事は形式に流れる恐れがあるため、この行事に当たっては、常に現実の時局と連関して、行事の内容に清新な緊張的雰囲気を盛ることが大切である。
(3)偶発的な諸行事の施行に当たっては、その内容について特に慎重を期す。
164 恒常的に営まれる時局講和や興亜奉公日(毎月1日)と違って、資源愛護や貯蓄奨励等の時局によって求められる偶発的諸行事は、その内容は新鮮ではあるが、その内容の検討や計画を慎重にしないと、教育効果が薄弱になる危険性がある。だから国民学校の本旨に照らし、児童の現実に即して行事の内容を決定しなければならない。(意味不明)
(4)国家的行事と学校行事との関連を緊密にして、その趣旨を徹底する。
すべての訓練が緊密に連関することによってその効果が上がり、その目的を達成できる。時局訓練も皇民錬成の一分節であるから、(他の)諸行事や諸訓練と合致する面がたくさんある。
(四)方法
1、時局講話 我が国勢と東亜及び世界の大勢その他の時局講話を、毎月一回全児童に職員が交互に講話し、時局認識に努める。
2、興亜奉公日(1939.8.11決定。毎月の第一日に行う。禁酒禁煙、一汁一菜。飲食店休業。)
165 児童に早朝離床を励行させ、登校時間を早め、県社八幡宮*に参拝させ、興亜奉公日の意義を自覚させる。間食を廃止し、節約して、慰問袋を作製させる。
*前橋駅北側の前橋八幡宮のことか。
3、支那事変その他の記念日
記念式、当日の意義、覚悟に関する訓話。
4、資源愛護
(1)学用品その他の物資の節約により、消費節約の意義を徹底させる。
(2)古針古鉄、その他の金属の廃品回収を定期的に行い、資源愛護の精神を体認させ、資源愛護の国策に協力させる。
5、貯蓄奨励 貯蓄強調週間と連関し、児童の浪費を防ぎ貯蓄を励行し、債権の購入等を奨励する。
6、銃後奉公 銃後奉公強化週間と連関づけ、銃後奉公の諸行事を行う。
(1)護国神社*参拝、靖国神社遥拝。*厩橋護国神社は東照宮の敷地内にある。
(2)前線将士への慰問文や慰問袋の作成。児童各自に一点の慰問品を持参させ、高等科女児に慰問袋を作製させる。
166 (3)白衣勇士の招待 運動会や音楽会の際に日赤病院に入院中の傷痍軍人を招待し慰問する。
(4)白衣勇士の慰問 高崎陸軍病院や日赤病院へ慰問文、図画、習字、工作等の成績物を贈呈し慰問する。
(5)出征及び帰還兵士送迎
(6)遺骨弔迎 全校あるいは代表学級は謹んで遺骨を弔迎し、護国の英霊に感謝の誠をささげる。
(7)出征遺家族慰問 出征遺家族の家庭に児童の成績品を贈呈し慰問する。
(8)戦没者墓参
(9)国防献金 夏季休業中に小遣いを節約し、国防献金として献じさせる。
(10)前橋公園清掃奉仕
九、非常訓練
(一)意義
167 火災、地震、暴風雨、空襲などの非常災害はごくまれにしか勃発しないので、経験者が少なく、日頃訓練されていないと、悲惨な結果を招来する。被害を最小限度に防衛するために、計画を立てて日頃から訓練をする必要がある。
非常訓練は一般訓練のように訓練することそれ自体に機能がある場合と異なり、状況を想定して計画的に行う特殊訓練である。実践を通した修練ができないため、真剣味を欠きやすいので、非常災害時にいるかのような情意を湧かせ、型に入り、身についたものにしなければならない。そのためには状況表示の工夫、事前の訓話、周到な計画が必要だ。
168 皇軍の荒鷲が「日頃の演習に於ける訓練に比し、実戦の方が楽であった」と述懐する実戦談(嘘)のように、訓練が非常災害時における最良の方法となるまで修練を重ねなければならない。
非常訓練は団体訓練である。児童が規律ある統制下で行動すべきことを根底とする訓練方法には以下の二つがある。
(イ)避難防衛の訓練
全校児童を安全に避難させその生命を保護することが第一義的任務である。その後に設備などの被害を最小限度にする防衛手段を行うべきである。
169 (ロ)態度の錬成
非常災害に直面した時に処すべき態度を錬成すべきである。この態度は我が国民として特に必要とされている。高度国防国家の建設を目標とする現在のわが国では、国民全体が国家という有機体の一部として活動しなければならない。このことは非常災害時に臨んでこそ大切であり、国家が非常訓練に力を入れる所以はここにある。敵の空襲下でも防空訓練時のように、各々がその職場を守り、火災が起こっても最小限度の被害に留め、資源の確保を図ることができるよう、日頃の訓練が必要である。国民学校教育は皇国民の錬成を目指して実践されているのだから、皇国民に必要な「非常災害時に処する態度の錬成」もその使命を果たさねばならない。
(二)目的
170 非常災害時に際し児童を完全迅速に避難防衛するための実践を訓練し、その態度を錬成する。
(三)方針
1、非常災害に直面しているような情意を起こさせるように工夫し、実際に即応した避難防衛とする。
2、長幼はその分を尽くして相助け、全校が一つの有機体のように一糸乱れぬ統制の下に沈着敏速な団体行動を行う。
3、本校児童の特質、建築の様式、環境、水路などを考慮し、また学徒団とも緊密な連関を持ちながら方法を作成し修練する。
4、訓練事項は、防火訓練(特設防衛団との関係上、避難訓練を中心とする)、防空訓練、登下校訓練等とする。
(四)方法
1、火災避難訓練
(1)実施前に各学級で警火思想を養い、火災時の心がけについて訓話する。
171 (2)非常信号(鈴を振る)と同時に教師は『火事の時の稽古』と指示する。教師の『用意』で児童は学習用具をそのままに起立し、窓際に近い児童は協力して窓を閉じ(尋一は使丁)、『順に進め』で出口に近い者から二列になって間隔を適度(その方法や姿勢は尋三修身教科書による)に保ち、無言で足下を見て速歩で所定の昇降口から迅速に避難する。(命令されるまで避難開始できないのは時間の無駄で逃げ遅れるのではないか。また無言の強制では児童同士の必要な連絡もできないのではないか。)
(3)避難は上履きのままで、階下の低学年を先に、昇降口に近い学級から順序正しく行う。
(4)避難場所は原則として校庭南側とし、発火地点や風向を顧慮して時に変更する。
(5)避難所に到着したら人員点呼をし、主事に報告する。訓導が不在の学級では級長がこれに当たる。
2、防空訓練
(1)焼夷弾によって起こる火災訓練の方法は、前述の火災避難訓練の方法に準拠する。
(2)『毒ガス』の場合は、非常信号と同時に行動を起こし、階下の学級は階上の教室に避難する。方法は火災避難に準拠し、ガスを防御するために手拭やハンケチで鼻を覆う。階上教室を防毒室とし、窓を閉じ、カーテンを引いて、防御施設とし、毒ガスを防御する。
(3)理数科、芸能科工作と連関させ、防毒マスク、パラシュート、模型飛行機などを製作し、航空、防空に関する理解を深める。
3、登校、下校訓練
172 非常災害の際は各班毎に一団となり、班長を中心に、上級生は下級生を助け、危険防止に努めながら登下校する。
一〇、校外訓練(地区(班176)別の先輩と後輩とが行動を共にする自治的な地域活動176、「子供会」のようなものらしい)
(一)意義
校外訓練は児童の生活発展の助成であるとともに、社会生活への導きである。児童には児童独自の世界があるとともに、既に形成された国家の一員として大人と共同の社会で生活している。校外訓練は児童本姓の発展と国家的・社会的に必要な訓練とを融合統一するところに意義ある。我が日本民族は生々として尽きるところのない発展力と強靭な伝統を誇りとするが、児童の生活発展と訓練との関係についても、一見相反する両者が完全に一致するところに校外生活指導の真意義がある。国民学校の教育方針に、
第七項 「家庭・社会との連絡を緊密にし、児童の教育を全からしむるに務むること」
173 第八項 「教育を国民の生活に即して具体的・実際的ならしむること…」
第九項 「…環境を顧慮して適切なる教育を施すこと」
と明示してある。児童を生活環境から逃避させるのではなく、訓練によって進んで環境を整美する活動力を湧起させるべきである。また実際生活に即しながら学習させて理解を容易にさせるとともに、再びそれ(学習)を実際生活で実践させようとすべきである。従来も教育即生活の建前から、労作教育、戸外観察、郷土教育、勤労奉仕の教育等が頻りに主張されたが、ややもすると単に社会的知識を与えるだけにとどまり、児童の現実体験を通じての「生活行」の訓練が十分でなかった。もちろん学校は複雑な社会環境から一時的に児童を隔離し、児童を醇化し、健全な身体を育成し、皇国臣民の基礎的錬成をなすところであるが、いったん学校の課業が終わって校外に出れば、純化された環境は忽ち複雑な環境と化し、そこに適当な指導者あるいは施設を欠くため面白くない現象が起こりやすい。すなわち学校でどんなに優れた教育を施しても、児童の生活が直接校外に連続し、しかも校外で費やす時間が多いから、この校外生活訓練を無視しては到底教育の目的を達することができない。学校とは別の生活場面で児童の現実生活の訓練を行うことが重要である。
(二)目的
174 児童の校外生活を指導し、複雑な社会環境で秩序ある団体的行動を促し、社会公共に対する献身奉仕と、神仏、偉人、長上等に対する崇敬又は敬愛の念を養い、皇国臣民としての素地を培う。
(三)方針
1、班別の団体生活を主とし、各班の自発活動を重んじる。
2、学校での教授や訓練の実を校外生活に具現させるように努める。
3、学級との連絡を密にし、上級下級児童の親和協力や、長上に従い、年少者を愛護する精神を養う。
4、社会公共ために進んで奉仕する習慣と郷土愛好の精神を養う。
5、神社清掃参拝においては敬神の念を、慰問品作製等においては勇士に対する感謝の念を培養する。
(四)実施要項
1、役員会議 班や各自が校外で行えることや行うべきことを協議し、協議事項を一般児童に知らせ、実践を徹底する。
175 2、班別会議 役員会議の決定事項を伝達し、班の児童の生活状態を懇談的に発表し、正しい生活への話し合いを行い、班の行事を相談する。
3、神社・公園等の清掃 各班は区域内の神社・公園等を、班別に、日曜日、興亜奉公日(毎月1日)、その他適宜に清掃し、参拝し、敬神奉仕の念を深める。
4、班別旅行 各班毎に行程一日の旅行を行い、班員相互の親睦を深め、郷土自然の研究観察や団体生活訓練を行う。
5、慰問品の作製 慰問袋、慰問作文、書き方、図画、手工などの慰問成績品をつくり、戦線の勇士や病院内の傷病兵に贈り、慰問する。
6、英霊弔問と遺家族慰問 各班は区域内の戦没者遺家族を慰問し、英霊を弔う。お盆を中心として一斉に行う。命日などにも適宜行う。
7、官公衙工場見学 働く人々の実相を見させ、躍進日本の姿を理解させ、働く人々に対する感謝の念を養う。
8、昭和15年度学徒団校外班別と役員表(省略)
一一、心身訓練
(一)意義
177 心身訓練は全校訓練の一翼であり、本校児童の特相を省み、校訓の「剛健」、「親和」の精神を徹底し、身体を鍛錬し、精神を錬磨し、闊達雄渾な気魄を養い、献身奉公の実践力を培うためのものである。
178 本校児童は都市生活を営み、家庭や環境は自然に親しむ機会が少なく、都市生活から受ける雑多で強烈な刺激は精神を過労させ、空気や煤煙、塵埃などの地理的環境が児童に及ぼす身体的・精神的害悪は著しい。彼らは多くを知っているが、強力持続的に実践する迫力が欠け、人と物に対する敬虔な態度が持てず、軽率になりがちだ。
本校児童は、悠久な風土や自然に対する深い人間的な感じ方や考え方の修練が困難で、事物を深く思索し情操豊かに考える機会が少なく、愛郷の念が薄い傾向がある。(作文調)
本校児童は土や物に即し悠久な自然を相手に力強く純乎素朴に生きる生活様式が与えられず、人に対して欲しいままに生活する側面があり、僅かの困苦に忽ち屈服し、自ら労して自力で建設する生活面がない。従ってたくましい生活意欲の喚起と実践力の涵養が重要となる。
179 本校児童は身長は優位だが、胸囲、体重が劣り、狭胸性体質が多い。懸垂力、投擲力、跳躍力など体力的修練が農村児童に比べて必要性が高い。
体錬科教授以外に修練の場を拡大して訓練する場が心身訓練である。
心身訓練では、都市生活を越えて郷土の自然や文化を体得させる。
180 心身訓練の一翼である野外訓練では教師・児童が一体となり、天地自然の化育に参して、これに随順し、敬虔な態度を育成する。
野外訓練は将来の綜合的修練道場建設への第一階梯である。
剛健旅行は野外訓練を簡易化した身心鍛錬のための施設である。本校では剛健旅行を昭和12年支那事変勃発を契機に実施したが、団体的訓練を重視し、献身奉公の実践力を養うことがその目的であり、 「心身一体の訓練を重視して児童の養護鍛錬に関する施設及び制度を整備拡張」するために組織された。師弟同行の薫化の立場に立つ。(作文調で、論旨がよく整理されておらず、無駄が多い。)
181 (二)目的 都市生活を基調とする本校生徒に山野を跋渉させ、師弟が起居を共にし、質実剛健の気風を振励し、また長距離鍛錬遠足を課し、強健な身体を育成し、闊達雄渾なる気魄を養い、団体的訓練を行い、献身奉公の実践力を養う。(総花的)
(三)方針
1、野外訓練は夏季休業中(8月上旬)に、尋5以上の男女を対象とし、主として神社を中心とする神域に宿営し、敬神崇祖の真義を体得させる。
2、野外訓練で高等科児童は天幕を設営し野営の訓練を行う。高等科女児や尋常科児童は、神社付近の民家その他に宿営する。
3、宿営に際して、集団的協同の訓練を重視し、人と物に対する敬虔の情を持たせ、自然に親しみ、当該地域の歴史、地理、理科の知識を啓培する。
4、剛健旅行では、団体訓練を重視し、姿勢、歩行、隊形、調査――付近の村落の部落名、神社名、河川の形状(水量、水流、流速)――それらの有機的関係(どんなことか)その他を指導し、質実剛健、堅忍持久の精神を涵養する。
182 5、剛健旅行は毎学期一回実施する。児童の心身の発達に即して学年別、能力別、男女別の分団的指導をする。
(四)方法
1、野外訓練
(1)実施場所
イ、高等科児童 勢多郡富士見村大洞(赤城山、赤木神社を中心とする地域)
ロ、尋六児童 群馬郡室田町字榛名山町(榛名山、榛名神社を中心とする地域)
ハ、尋五児童 北甘楽郡妙義町(妙義山、妙義神社を中心とする地域)
(2)実施事項概要――尋六児童榛名山方面――
イ、第一日(八月 日)
前橋駅前集合 午前6時40分
同駅発 同 7時14分
高崎駅着 同 7時31分
同駅発 同 7時40分
榛名山町着 同 9時
183 神官の講和聴講
昼食 正午
宿舎の清潔・整頓・宿泊準備
休憩 午後3時まで
神域探訪、散策 午後4時半まで
植物・鉱物の研究
自習や家庭への通信起稿 午後5時半まで
夕食 午後5時半
翌日の準備、朗誦、本日の行事の反省、歯磨、家庭や先生への挨拶
就寝 午後6時半
ロ、第二日(八月 日)
起床、洗面、整容、挨拶 午前3時
宿舎出発 同 3時半
榛名富士登攀 同 5時半
天神峠で御来迎遥拝、頂上で宮城遥拝、万歳三唱、皇軍武運長久祈願黙祷、郷里遥拝、体操、朝食
下山 同 7時
徒歩訓練、地理、歴史、理科の研究、動植物採集
榛名山町宿舎着 正午
昼食
午睡 午後2時まで
谷川遊び、薪拾い 午後4時まで
自習 同 6時まで
夕食 同 6時半
焚火を囲んで団欒 同 8時まで
朗誦、お話(偉人の伝記その他)、唱歌、歯磨、挨拶、郷里遥拝、先生への挨拶
翌日の準備 午後8時半まで
就寝 同 9時
ハ、第三日(八月 日)
起床、洗面、整容 午前6時
宮城遥拝、先生への挨拶、郷里遥拝 午前6時半まで
体操 同 7時まで
朝食 同 7時
榛名神社参拝清掃 同 8時半
自習 同10時まで
山野の訓練 正午まで
想定訓練、写生、地理、歴史、理科の研究
昼食、休憩 午後零時半
自習 午後3時半まで
感想文起草、研究事項の整理
帰橋準備、宿舎整理 同 4時まで
榛名神社参拝
榛名山町宿舎発 同 4時
高崎駅着 同 5時10分
同駅発 同 5時50分
前橋駅着 同 6時10分
同駅解散 同 6時20分
2、剛健旅行
(1)方面
イ、赤城山演習林方面(勢多郡大胡町字瀧窪)第一班22キロ、第二班12キロ、第三班7キロ
ロ、産泰神社、大室二子山方面(勢多郡荒砥村字大室)第一班28キロ、第二班14キロ、第三班8キロ
ハ、関東発電所貯水池方面(勢多郡北橘村字八崎)第一班26キロ、第二班12キロ、第三班7キロ
ニ、玉村町八幡宮方面(佐波郡玉村町)第一班28キロ、第二班16キロ、第三班8キロ
ホ、赤城山箕輪方面(勢多郡富士見村箕輪)第一班32キロ、第二班20キロ、第三班16キロ、第四班7キロ
へ、箕輪城址方面(群馬郡箕輪町)第一班28キロ、第二班20キロ、第三班16キロ、第四班12キロ、第五班10キロ
ト、赤城山金丸方面(勢多郡芳賀村字金丸)第一班24キロ、第二班16キロ、第三班12キロ、第四班8キロ
(2)実施上の要点
イ、実施方向は季節に適応するように考慮する。
ロ、全校同一方向に向かって実施し、班別に行動し、出発時、帰着時も能力別に考慮して決定する。
ハ、班別は機械的に学年別によることなく、方針第五項(速度を規定)に即応するように留意する。
ニ、当日は日の丸弁当を持参のこと。(耐久訓練重視)
ホ、高学年児童に対して旅行中次の訓練を行う。
強歩、組別行動、読図指導、歩測訓練、無言訓練、軍歌行進、調査(神社名、部落名、河川の水深、水量、流速、川幅測定、農作物の実地踏査)等。(軍隊予備軍的性格が如実に表れている。)
ヘ、剛健旅行終了後反省会を開き、これを記録して爾後の研究資料とする。
(3)実施事項概要 ――尋常科第五学年男、勢多郡芳賀村嶺方面――
イ、目的 校訓「剛健、親和」の精神に基づき、長距離にわたり、山野を跋渉する鍛錬遠足を行い、心身を剛健にし、団体的精神を涵養し、献身奉公の実践力を培う。
ロ、方針
(イ)共同一致して艱難(かんなん)を克服する態度を強調する。(強歩、伝達訓練等はこの点から取材した)
(ロ)進取敢為、積極的に事に当たる態度を養う。(擬戦、調査等はこの点から取材した)(精神論)
(ハ)読図を指導する。
(ニ)衛生、危害予防に注意する。
(ホ)毎時3キロを行進の標準測度とする。休憩は3キロごとに15分の予定。
ハ、方法
(イ)集合 ――午前9時50分――
A、組の編制(赤白二組に)、服装検査(全員が赤白帽を着用、ランドセルと水筒持参、救急箱携行)
B、注意 助け合って、元気よく 小暮の郵便局まで(目標指示)
188 C、「青少年学徒に賜りたる勅語」奉誦
(ロ)出発 ――午前10時00分 校門の出方をしっかりやる。(意味不明、気合を入れろということか。)
(ハ)往路(校門――下細井――嶺――小暮間約7キロ)の訓練
A、斥候(一組3名ずつ)に部隊の前方を地図によって行進させ、部隊を誘導させる。
B、勝沢――嶺間(約2キロ)で次の調査を行わせる。
神社名、部落名、河川の水深、流速、川幅、農作物の種類。調査印刷物を配布し、これに記入させる。(軍隊の訓練)
C、擬戦(嶺――小暮)
(ニ)昼食、休憩(於小暮)――正午
(ホ)帰路(小暮――上細井――校門間約7キロ)の訓練
A、出発 ――午後1時00分
B、擬戦(時沢――上細井)
C、強歩(上細井――北代田橋約2キロ)
(ヘ)帰校 校門通過は特に厳粛に
A、講評、反省
B、校訓誓詞唱和
C、解散
3、剛健旅行・野外訓練実施後の感想(児童)
(1)剛健旅行(中二子古墳から千貫沼まで)尋六 堺正子(抜粋)
189 金子先生から中二子古墳について上野の国が古い時代に立派であったお話を聞いた。
私たちは第一線の将士の苦労を思い、自分で自分の心を励ましながら歩いた。
(2)野外訓練(榛名山) 尋六 高山若葉(抜粋)
191 8月7日
第一日
(朝の6時過ぎ)私はお父さんお母さんに御挨拶をして出かけた。「気をつけて行っていらっしゃいよ。」と言われるお母さんのお声。振り向き振り向き門を出た。
192 電車(前橋駅に通じる路面電車か)からお母さんや妹が下りてきた。
(前橋駅からの)汽車の中は理研の人でいっぱいだ。新前橋で理研の人が全部降りた。
榛名神社へ参拝に行った。神社では御神楽を見て、神代(じんだい、神武天皇以前の神々の時代)の昔をしのんだ。
はるかに我が家の方をむいてお父さんお母さんにあいさつをし、先生にもあいさつをして床につく。
第二日
193 先生の御命令で予定通り3時に起きず、5時ころまで寝ていた。
谷川から宿に帰ってから薙刀の型をした。
榛名富士の頂上の神社に参拝し、万歳を三唱、「群師附属校六女万歳」をし、お弁当を食べた。記念写真を撮った。
第三日
195 お掃除が済むと社務所で榛名神社の由緒を神官の方から聞き、古いお琴を見せていただいた。
これからも一層心身を鍛錬してどんな苦しいことでも我慢して押し通して行かなければならないと考えた。
第四章 国民学校訓練の実践とその反省並びに将来への希望
197 朝の会礼での国民体操が終わり、一年生迄が不動の姿勢で一人一人の眼が輝いている。ところが便所の扉が開いていた。便所の下駄が散らかっていた。
198 我々の訓練の対象は、皇国民としての学校の児童であるが、それはさておき、会礼体操という団体としての規範の下の児童と、その規範の束縛から脱した日常生活での児童との懸隔を感じる。学校での規範を否定して一個人を訓練の対象にすることは、過去の教育が陥った抽象論である。個々の児童が当人からの盛り上がる力によって皇国臣民としての行動を獲得するのは至難の業である。
向上とは現実の今が過去に対する批判であり、未開拓とは現実の今が未来に対する希望である。
199 本校訓練の向上は、世界観の大転換期に際し、我が国独特の立場から新たに出発しようとする国民学校からの要請によってなされたが、それは間接的要因である。本校訓練の向上の直接的要因は、児童個人でも、学級でもなく、学校の職員である。本校訓練の向上は全職員が打って一丸となった雰囲気からもたらされた。それは迫力を持っていた。学校の儀式行事訓練は児童を煽った。学級担任もそれを力強く支持した。
知性を通して再検討もした。週二回の定例職員会議や臨時職員会議は、毎週各職員の研究発表とその検討で火花を散らした。職員会議や学校の仕事で職員の下校時が遅れるのは本校の特色であり、また各職員はそれを当然のこととして自覚していたが、それがこの度の件でますます繰り返されるようになった。当番職員の発表、質疑応答、検討議論、その花々しさ、率直さ、熱烈さは本校の特色である。しかし議論そのものに訓練の本質は存在しない。それは実践に対する障壁である。
200 この知的、対象的、観念的検討は、職員の実践を強調し、過去の無自覚的・機械的事項に徹底的に反省を加え、実践を支持する力となった。
日々の実践の中で知的納得はぐらついた。実践は尊い。教育的に良心的に反省を要求される。
201 教師が熱心になるあまり児童のことが忘れられ、理想像の児童像を描いてしまい、機械的になる恐れがある。ほぐれなければならない。
児童を一定の型に入れるときと、型から出すときの区別 (実は)我々はこれに関して信念がない。教育そのものは皇国臣民として高い意味での型にいれることであるが、型に入れ型から出すことの区別はない。児童の自由意志を退けて一定の目標に入れることと、一定の目標規範を除外して現在の児童の全人的活動を望む場合とが必要である。この二者を適当に案配しない教師は、児童から盛り上がる力で錬成することはできない。前者のみの訓練では、児童は絶対者の前では型通りに行うが、そこから逃れると、恐ろしい反抗力をもって鬱積を晴らそうとし、指導者の影が薄く一定の規範のない活動では、全くの烏合の衆と化す。
202 一方後者のみの訓練では児童の盛り上がる力は培えるが、過去の自由教育の弊害を繰り返す。この二つを計画的に実践することが必要だ。
マンネリ 機械的に流れることはすでに生命を失っている。校訓の唱和の最中に吐き出したい雰囲気に襲われることがある。真心のこもった唱和でなければならない。
精進の過程で心の底から盛り上がる喜びを以て悟得らしきものを把握することがある。そこには主観だけでなく、客観も存在するような気がする。昨日の真理が主観的であったからでなく機械的になったためにその真理を疑うことが多い。真理は日々変化する。同一事項の繰り返しではいけない。常に新しい生命を以て前進しなければならない。
203 訓練について 訓練は具体的、実践的、生命的であるから、全体的に把握する必要があるのだが、割り切れない部分も多い。過去の訓練の研究は漠然となりがちだった。訓練は人格によるものであるとし、方法論が度外視されがちだった。人格そのものであるという観点から、致命的(に訓練は不可能だ)と感じる教師もいた。
204 現在我々が訓練に要求するものは、具体的、生命的、実践的、したがって全人的活動を科学的に検討することである。文化は未分化から分化へ、そして一体観へと向かうとき、訓練だけが分化から除外されていた。
訓練は精錬された発展を遂げられなかった。教授、訓練、養護を一体としての皇国臣民の錬成が企画されている。訓練を考えることが必要だ。その後の一体でなければならない。
一足飛びに一体へ飛び込むことは真の一体の姿を現わさず、漠然としたものになる恐れがある。
205 一つ一つの反省が訓練全体系の中でどんな有機的地位を占めるかが問題である。本校は組織化を必要としている。
皇紀二千六百年こそは我々日本人にとって誠に感慨深い年であった。愈々来年度は教育界で一大転換の旋風を巻き起こすべき国民学校実施の年である。国民学校は結局人の問題であると言われるが、それは私自身の問題でもある。内省し一致団結して真の日本教育建設に邁進したい。
感想 2021年7月27日(火)
筆者は過去の「自由教育」に反省を加えつつ、児童を強引に「型」にはめることや、訓練によって児童を性急に「一体化」させることに疑問を持っているようだ。そして最後に「真の日本の教育」と言う。性急な国民教育施行に対するささやかな抵抗を表現したかったのだろうか。
執筆者
主事 西正行
訓導 吉田良太郎 白石福司 森泉賢吾 木村勇 坂上安太郎 金子申 重原清三郎 角田てる 宮下常明 黒岩文三郎 正田米吉 廣田良 高橋槌己 金井博之 平野は津
以上 2021年7月21日(水)
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