『コメニウスの生涯と謎を追う』――通説の疑問を歩いて考える 井ノ口淳三 文理閣2020
感想 コメニウス(Johannes
Amos Comenius, 1592--1670)の関心は、三十年戦争1618--1648問題(新旧教徒の凄惨な争い)の教育拡大による解決であった。
コメニウスは新教徒(チェコ兄弟教団)であり、旧教徒(オーストリア=ハプスブルク家)の迫害を逃れてポーランド、イギリス、スウェーデン(ポーランド)、オランダ、ハンガリーなどを転々とした。
コメニウスはチェコ出身。幼くして両親を亡くし、親戚に引き取られた。
1642年、コメニウスはオランダでデカルトに会っていた026。
著者はコメニウスの『世界図絵』1658を翻訳(ミネルヴァ書房1988、平凡社1995)したことを評価され、2002年9月、ハンガリーのコメニウス教育大学で同書のハンガリー語復刻版を贈呈された。030
また著者は1996年9月から1997年8月までの1年間、チェコ共和国科学アカデミー哲学研究所の客員研究員としてプラハに滞在した。プラハでの国際学会で司会を務めた。
月夜野町(現みなかみ町)がチェコのウヘルスキー・ブロトの姉妹都市で、当地の博物館に日本庭園を造って管理している。008
関連図書
『教育思想とデカルト哲学』相馬伸一 ミネルヴァ書房2001
『地上の迷宮と心の楽園』コメニウス1623年執筆、1631年出版(相馬伸一監訳、東信堂、2006)
『教授学著作全集』コメニウス1657
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