教科書問題を考える 林健太郎 1986 「文芸春秋」にみる昭和史 第三巻 1988
感想 著者は、東京裁判(おそらく民族国家の否定)を否定し、日露戦争は(日本民族の)自衛のための戦争であり、列強に抑圧された諸民族の解放戦争だったとし、その根拠として「時代性」=歴史的状況という用語を用いているようだ。しかしそれでは一人孤立させられた植民地の韓国や台湾は面白くないだろう。
著者の言う「国際主義」もご都合主義である。著者は、民族主義(おそらくそれは天皇を中心とする大和民族の民族主義)と国際主義とは矛盾しないと言うが、教員組合や「左翼」が語る国際主義による「歴史の裁断」には反対する。著者は、左翼が語る国際主義は、国家(おそらく大和民族)や自由民主主義を危うくすると言う。そして歴史学は歴史的事実に道徳的講釈をすることを任務としないとして、列強による植民地への侵略は歴史的事実として認めよなどとも言い、矛盾だらけだ。
著者を理解するためのキーワードは、「天皇を中心とする大和民族」のようだ。自己中愛国なのだ。
2020年6月27日(土)
ウイキペディアの「現実主義者」という評はピッタリだ。著者の聡明さを物語る、広範囲に目配りできたそつのない文章だ。ウイキペディアによれば、著者は戦後、マルクス主義から転向したとのことだが、戦後の激しい労組運動から離れて、思想的に自由に(あるいは勝手気儘に)振舞いたかったのだろうか。
一晩寝て考えて見た。著者は聡明である。また東大総長(学長ではなく総長というらしい)1973--1977とか、自民党の参院議員1983.6—1989.6とかの肩書きを持っている。
彼の民族愛、国家主義、東京裁判否定、天皇制擁護、教育勅語肯定、マルクス主義や教員の労組運動に対する反感は、自己保身や自己愛に基づくのではないかと寝ながら夢想した。
彼は歴史的進歩観に対して単刀直入な言い方をせず、肯定と否定を織り交ぜて語り、右往左往するのだが、結局はやはり、進歩観を否定し、19世紀の大日本帝国の植民地主義を肯定する立場に立っているように思われる。彼は、教員労組運動や進歩的歴史観が、19世紀以来の日本の国家主義を否定・断罪すると非難し、結局は戦前の国家主義を擁護する。彼は聡明だから、それを一部では否定し、満州事変以後の日本の進路を批判するが、それはカムフォラージュのように思える。自己矛盾なのだ。彼のような聡明な人で、しかも肩書きを持っている人のずるいところだと思う。
彼が東京裁判を否定するのなら、女性の参政権を否定し、共産党員を牢獄に閉じ込め、治安維持法を擁護し続けるのだろうか。
ウイキペディアによると、
林健太郎1913.1.2—2004.8.10
旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学文学部西洋史学科卒1935、旧制一高教授、東京大学文学部助教授を経て、(この間1944年、31歳の時に徴兵され、海軍の一等水兵となった。)1954年、東京大学文学部教授。
初読の感想・疑問点
初読と二度目とでは受け止め方が変わることがよくあるものだ。二度目は初読の時よりも著者の真意がよく分かり、感想が初読の時と違うことが多いが、初読時の感想も、直感的で素直なものだ。それはともかくとして、以下初読時の疑問点や感想を述べる。
・小堀桂一郎ら9名によって書かれた高校用の日本史教科書、原書房版「新編日本史」では、天皇に対して敬語を使っている。その点に関して著者は、「悪くはない」とし、「朝日新聞の言うように、非難すべきことではない」としているが、違和感を覚えた。613 以下、著者の言である。
・「新編日本史」は教育勅語の全文を掲げ、それを「評価」している。教育勅語は、天皇が自らを神格化して道徳の根元たらんとしているのではなく、古今東西に通ずる普遍的な人倫思想を祖先の遺訓として提出し、天皇が臣民と共にそれを「遵守しよう」と述べているのであって、…その内容は決して日本の他国に対する優越性を誇示しているものでもなければ、いわんや他民族への支配を説こうとしているものでもない。教育勅語は、所謂超国家主義や軍国主義とは無縁なのである。(以上のように著者は言うのだが、確か、教育勅語には、「いざという時にはお前たちは私のために命を捧げて戦え」と言っている筈だが、著者は肝腎のその点については触れていない。)615
・技術化・大衆化が著しい現代社会で人々が解放され、そのためにかえって不安になるとき、人間としての存在根拠が求められるようになる。それを解決してくれるのが「共同体」であり、その共同体が育み我々の心を内から支えてくれる文化が不可欠である。それは民族的立場といえる。この立場がなければ我々は生きることができない。616(私はそれほどまでに民族的立場が不可欠とは思わない。)
・しかしそういう民族的な立場と同時に、世界的な歴史認識も必要であり、それを欠けば、民族的立場も危うくなる。
・世界史を一つの、人類の歴史とみるか、それを多くの文明の集まりと見るか、という二つの見方がある。前述の民族的立場とは、民族を文化の担い手としてとらえる。日本は一民族が一文明を形成する世界で数少ない例である。*この民族的立場は、人類史的立場につながる。(どうつながるのか。)(*揚げ足を取るようだが、アイヌや沖縄のことは眼中にないようだ。)
・知力の向上や自由や民主主義への進展という進歩史観は、現代の基準で過去を裁断する「歴史否定」の態度を生み出す恐れがある。この進歩史観の誤りは退けられねばならない。歴史は単なる進歩の過程ではなく「不変の人間性を写す鑑」である。人間は「かくも善くかくも悪く、かくも高貴でかくも獣的で、かくも洗練されかくも粗野であり、かくも永遠に向っていると共に瞬間に縛られている被造物である」(ランケ)617(何だかよく分からない。何を言いたいのか。)
・東京裁判からの脱却も、私がこの「新編日本史」の著者の立場に賛同するところである。戦勝者が戦敗者を裁くということは国際法上認められていないから、この裁判は法的根拠をもたない。(コソボの国際裁判2002は非合法か。)サンフランシスコ条約で日本はこの裁判を受諾しているが、その刑の執行を無効にしないという意味であって、その判決の内容に承服するという意味ではない。(かなりこじつけで強引ではないか。それではファシズムを正当と考えるのか。後でまずかったと自ら言っているではないか。自己矛盾)判決がこの戦争を日本の首脳部の共同謀議とするのは事実に反する。(共同謀議でなければ他の何か。)618
・しかしそれはこの戦争に至る日本の政策を正当化すべきだという意味ではない。我々はそれを外国人の裁判によってではなく、自己の裁判によって厳しく批判すべきである。(賛成、それが日本人には足りなかったのではないか。)
・日本にとってそれ(植民地争奪戦)は民族の独立のために必要な行動だった。それを放置すれば、それは日本の独立を危うくすることが明らかであったからだ。(本当にそう言えるか。第三の選択肢はなかったのか。)日露戦争は日本にとって民族自立のための防衛戦争であり、その勝利は、未だ西洋列強の覊絆下に置かれていた諸民族に多大の鼓舞を与えた。(朝鮮や台湾の人はそうは思わないだろう。明らかな間違い。)619
・歴史上の各時代には独自の課題があり、価値基準があり、それぞれに意味をもつ。(帝国主義をみとめよということか。)後世の価値基準で過去の事実を裁断できない。619
・満州事変1931のときは、私が旧制高校の最後の年で、今日で言えば大学1年生にあたる。柳条湖事件は中国人の仕業だと公表されたが、実はそうではなく、日本軍によるものらしいということは、まもなく噂として広まってきた。三年前に、時の首相が「満州某重大事件」の責任を取って辞任したのも、何か悪いことをしたことの証拠ではないか、国家行為としてどうしてこんなことが許されるのかと私は考えた。
・当時でも反軍演説を行った人もいて、彼らの中心に天皇の存在があった。(どういう意味か。)一方、超国家主義者や軍国主義者は、日本民族の文化的伝統を受け継がず、ドイツのナチズムに共鳴したり、末期にはソ連共産主義に異常な関心を示したりした。622
・外国(韓国や中国)からの(日本の教科書の内容に関する件での)申し入れに対して、外務省当局は、なぜ「事実を調査の上で返事をする」と答えなかったのか。
・今年の3月19日、家永裁判の東京高裁控訴審判決があった。判決は「国は憲法上国民の信託を受け、教育政策上の権能を持っているから、国の関与ないし介入は、教育の内容や方法に関するものであっても、容認できる」としたが、これは私のこれまでの考え方と一致する。
・戦後の日本では「敗戦という特殊事情」により、国家を否定し、自由民主主義体制を無力化しようとする思想が、組合運動の力によって、教育界に異常な勢力を張った。(「国家を否定する」とはどういうことか。「自由民主主義体制の無力化」とは共産主義ということか。)623
・「新編日本史」の中の、満州事変以後の中国への「進出」や太平洋戦争への過程の記述に、近隣諸国から誤解を招く記述が、「原稿本」の中にあったが、「内閣本」ではそれが訂正されたので、教科書検定はその役目を果たしたと言える。624
以下要旨と感想
611 編集部の注 1982年の夏、社会科教科書の記述をめぐって、中国と韓国から抗議がなされたが、外交上の決着を見た。1986年の夏、『新編日本史』や文部大臣藤尾正行の発言をめぐって、再び国際問題となった。
以下著者の本文の要旨と感想
この夏の参議院選挙では自民党が大勝した。
5月24日、朝日新聞が、文部省検定に提出された高校用の某日本史教科書について、「“復古調”の日本史教科書。検定審内部にも異論」というセンセーショナルなタイトルで、記事を掲載した。*この教科書は5月27日の検定審(教科用図書検定調査審議会)を通過したが、その翌日朝日新聞は「“復古調日本史”合格に。異例の激論3時間半も」という記事と、大江志乃夫氏の「露骨な偏向検定、国定教科書さながら」という批評文を掲載した。
*1986年の時点ですでに朝日新聞は右派にマークされていたことが分かる。また著者は一見論理的に見えて、実は情緒的な人だ。ここでは論旨に関係ない修飾語句をカットしているが、感情的な語彙が多い。
韓国の各新聞がこの問題を取り上げ、日本攻撃の論陣を張り、韓国政府は日本政府に申し入れを行った。中国も6月4日、この教科書について「歴史事実を歪曲し、侵略戦争を美化するもの」という意見を発表し、ついで北京駐在の日本代理大使に、日本政府への要求書を伝達した。
日本政府はこれに対して、当該教科書が検定中であると答え、国内では文部省に対して、この教科書の内容を再検討することを命じた。
612 このため5月27日の検定審を通過した内容に、文部省はさらに4回にわたって修正要求をし、執筆者はその大部分を受け入れ、7月7日、検定審の最終的審査を経て、この教科書が合格した。
高橋史郎が「諸君!」8・9月号で、この件に関して二つの論文を書いた。またこの教科書の執筆者の一人である小堀桂一郎が「正論」8・9月号で二つの論文を書き、さらに、この教科書の発議者である「日本を守る国民会議」事務局長の椛島有三が、本誌先月号で「『新編日本史』を襲った外圧と内圧」という文章を発表した。
以上の三氏は朝日新聞の報道態度を不当だとし、また、既に合格が決定していた段階で外圧に従って更に修正を要求した政府の行為を外交上の一大失政と見なし、検定制度の再考を要求している。
この教科書「新編日本史」は、小堀桂一郎他9名によって作成され、原書房によって出版された。
朝日新聞は「復古調」「教育勅語礼賛、建国神話、三種の神器も」「神武天皇の建国伝承を紹介」との見出しで紹介した。大江志乃夫は「戦前の国定教科書さながら」と評した。
613 「新編日本史」には、最終的な「合格本」と、5月27日の検定時の「内閣本」と、最初の「原稿本」の三種類がある。朝日新聞の検定審内部に関する記事は事実に反していると高橋氏が指摘した。大江氏の批評はまったく間違っている。(言いぱなしでなく、どの点でかを説明してもらいたい。)
戦前は、国定は小学校の教科書しかなかった。現在の高校に匹敵する戦前の中学校の国史教科書は国定ではなかった。戦前は記紀の建国神話は史実として述べられ、紀元は神武紀元だけが用いられていた。神武紀元が西暦より660年長いことや、天皇に当たる倭の五王が中国に朝貢していたことや、歴史時代になってからの皇族間の争いである壬申の乱などの事件は、触れられていなかった。
「新編日本史」は、先土器文化、縄文文化、弥生文化などの考古学的記述をし、次に「漢書」「魏志」などの中国の史書によって当時の日本の状況を説明する。その次に記紀の物語が出てくる。それは1ページに渡って、神話、伝承として扱い、前記の、戦前伏せられていたことも記述されている。それは原稿本のときからそうだ。(だからといってこれが「復古調で戦前の国定教科書さながら」でないとは言えないのではないか。この教科書が唯一、戦前に限りなく近づいているのは否定できないのではないか。)
「新編日本史」には戦後のこれまでの教科書になかったものがある。記紀の国生み神話、建国伝承である。また天皇や皇室関係の記述が多く、(三種の神器の記述は、内閣本で消えた。)さらに天皇や皇室に対して敬語を用いているのは本教科書が初めてである。しかしこれは果たして悪いと言うべきか。(これは居直りではないか。)
古事記、日本書紀、万葉集は、「日本国民」の大事な古典であり、「民族神話」であり、「民族の心の表現」であり、人々の心の中に生きている。文化的伝統を重視すべきだ。どの民族でも事情は同じで、それは国際標準になっている。だから古事記、日本書紀、万葉集は、教育に取り入れられるべきだ。(古事記、日本書紀、万葉集は、天皇家の文化ではないか。それを日本人全体の文化といえるのか。)
614 米軍による占領時代、記紀の神話は、皇室支配の由来を語り、超国家主義・軍国主義に利用されたことが批判され、教育の場から追放されたが、今は占領時代ではないのだから、記紀の神話を教育の場で採用すべきだ。(御都合主義)
戦前、津田左右吉は古事記や日本書紀を研究し、8世紀の作為性を強調した。確かに古事記、日本書紀は8世紀に編纂されたが、それ以前の帝記、旧辞などの伝承をもとにしている。その編纂の意図は、天皇家と皇室を中心とするが、「日本人」が国家としての意識を持ったとき、事実として皇室がその中心にあった。
皇室はその後も国民の生活の中心であり続けた。皇室の存在は、「歴史の連続性を保証し」「社会の安定と統一の基礎となってきた。」現憲法で天皇が「日本国民の統合の象徴」とされているが、それはこの歴史的事実に基づいている。(事実ならたとえどんなに悪でも正しい。従って支配は正しいと言っているように聞こえる。)
国民会議の椛島は「これまでの教科書は階級史観に立ち、天皇の記述を避けてきたが、天皇は歴史上欠かせないから、教科書に記述すべきだ」と言っているが、今日の高校日本史教科書で階級史観に立って、天皇の記述を避けているものは少ない。山川出版社の「詳説日本史」は、人物を中心にして書いている。天皇の記述も「新編日本史」同様に多い。しかし、天皇に敬語を使ったのは「新編日本史」が初めてで、天皇の写真や肖像も他より多い。朝日新聞によれば、他の教科書の平均が2枚であるのに対して、「新編日本史」は8枚である。
615 坂本太郎は「歴史を愛する心」を説き、「天皇でも歴史上の人物になっている場合は、敬語はあまり使わない方がよい」(「諸君!」九月号)と言うが、朝日新聞のように非難すべきではない。(どう違うと言うのか)
「新編日本史」は教育勅語の全文を掲げてそれを評価している。教育勅語は天皇が自らを神格化して道徳の根元としようとしているのではなく、古今東西に通じる普遍的な人倫思想を祖先の遺訓として提出し、天皇が臣民と共にそれを遵守しようと述べているのである。(教育勅語は天皇自らが書いたものではないのではないか。)教育勅語の内容は、日本の他国に対する優越性を誇示しているのでも、他国への支配を説こうとしているのでもなく、超国家主義や軍国主義とは無縁である。(どうかな、おかしいな。あなたはそう信じたいだけではないのか。「事(=戦争)があれば、私のために命を捧げよ」と書いてあるのではないか。)
考古学の発掘が、神話や伝承が事実であることを立証している。聖書考古学がキリスト教信仰と矛盾しないように、歴史の科学的研究は、神話伝承と共存する。(もはや信仰だね)
私は「新編日本史」を、危険どころか、「時代の要請」に答えるものとして、高くその価値を評価する。小中学校の社会科教科書では「左翼イデオロギー」の浸透が著しいが、高等学校の日本史教科書はその傾向が強くない。「諸君!」八月号「教科書は狙われている」の中で、粉川氏は「『新編日本史』に拍手を送る」とし、彼が教科書の「左翼偏向」として挙げる例は、小中学校の社会科教科書である。
616 1982年夏、文部省がその年の教科書検定で、「侵略」を「進出」と書き改めさせたという報道を日本の新聞が行い、それに基づいて中国や韓国が日本に抗議した。その後この報道が誤りであることが明らかになった。(変だな。*)それが「誤り」であることが分かる以前に、外務省は遺憾の意を表明し、政府は官房長官談話で、「近隣諸国との外交関係に配慮する」ことを検定基準に新たに追加した。このとき教科書の内容の改訂はなかった。(変だな。*)翌年の教科書では「侵略」の文字が増えた。今回の検定の追加も、この官房長官談話を根拠にして、政府からの要求で行われたが、 中国や韓国は、今回日本の教科書に関して、古代史や天皇に関することではなく、日中戦争や韓国併合に関して抗議した。
* 私はこの件について何も知らず、当初は、火のないところに煙は立たないと思い、文部省が当初の検定の目論見をもみ消したのではないのかとか、申請本の教科書では「侵略」としていたものを文部省が「進出」と改めさせようとしたが、それを新聞社にかぎつけられて、「侵略」のままで許したのではないかなどと推測したのだが、ウイキペディアを見て、愕然とした。
文部省は1955年、昭和30年ごろから「侵略」という表現をできるだけ使わないようにさせ、「進出」「侵入」「侵攻」という表現に変えさせようとしていたようだ。著者が新聞社の「誤報」というのは重箱の隅をつっつくような「誤り」であり、右派はこの問題を「誤報」で済ませようとしたかったのだと思う。その背景には秦郁夫が言うように「国益」があるのだと思う。
「誤報」というのは華北への日本軍の「侵略」を、「進出」ではなく、「侵入」「侵攻」と書き換えさせたから「進出」ではない、という意味での「誤報」であり、また、実際、実況出版「世界史」では「侵略」を「進出」に書き換えられ、帝国書院版では「侵略」を「軍事行動」に書き換えられていた。(ウイキペディア)
そして、東南アジアへの場合は「侵略」を「進出」と改めさせていた。
すでに1978年から「侵略」が「進出」に変わっている具体例がある。
また、韓国の三一独立運動を「暴動」とし(このことでは韓国から批判された)、古代の天皇に敬語を用い、自衛隊成立の根拠を明記し、(“自衛隊合憲”の記述を定着させ、)明治憲法の長所を記述していた。これが大きな流れであるのに、著者はそれに触れない。そこには何らかの意図が潜んでいて、欺瞞的・政治的である。
この時点ではさほど大きな国際問題となっていなかったが、7月23日、小川平二文部大臣が、「外交問題と言っても、内政問題である」と発言し、また松野幸泰国土庁長官が、日韓併合に関して「韓国は日本が侵略したことになっているようだが、どちらが正しいかわからない」と発言し、これらの発言がもとで、中国や韓国に激しく批判されるようになった。また、「日本は過去の戦争への責任を全く忘れているのではないか」という批判は、中国や韓国だけでなく、シンガポール、マレーシア、フィリピンなどからも起った。
小川文相は教科書の訂正を容認し(=書き換えたことを認め)、「日中戦争は侵略」との旨の発言をするようになり、8月26日、「日本は過去において韓国・中国を含むアジアの国々に多大の損害を与えた」(「侵略」の語はない)とする政府見解(宮澤喜一官房長官談話)を発表し、9月26日、鈴木善幸首相が中国を訪問した。
吉田裕の説明文がこの間の事情をよく説明していると思う。以下吉田裕の評である。
「1982年6月25日、文部省は翌年4月から使用される高校用教科書の検定結果を公表し、翌日の新聞各紙はその内容を詳しく報道した。ところが、この報道によって、文部省が日本の対外侵略を「侵入」や「進出」に、朝鮮の三・一独立運動を「暴動」などと書き直させていた事実が明らかになると、アジア諸国は敏感に反応し、中国や韓国では厳しい対日批判がまきおこる。教科書検定の国際問題化である。この時の初期の報道の一部に「誤報」があったのは事実だが、「侵略」という表現を排除する検定が一貫して行われてきたのは確かである。」
右派を代表して、秦郁彦の評を次に掲げる。
秦郁彦は、歴史教科書問題について和田春樹が「韓国と中国の批判が、我が国の反動派、右派に痛撃を与えてくれた」と1983年3月に発言したとし、「日本人としての『国益意識』がほとんど見られない」「こんな心がけで、運動を広げられては、我が国益は害される一方と思う」と述べた。
加害の事実を認めずそれを隠蔽することが「国益」に資するのだろうか。真の国益とは、加害の事実を認めて謝罪し、その上に立って国際協調外交に努めることではないか。
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古典や文化的伝統は、現代のように技術化や大衆化が著しいなかで、解放が不安をもたらしている時、人間としての存在根拠を求める上で重要だ。共同体、そしてその共同体が育み、人の心を支える文化は、「民族の立場」といえる。この民族の立場なしに人は生きられない。(私はそこまで思わない。習慣の問題ではないか。)
民族の立場は、人類の立場や世界の立場と(しばしば対立するが、)本来対立しない。人は人類的・世界的な歴史意識を持つべきだ。それを欠くと民族の立場も危険なものとなる。
617 世界史を一つの人類の歴史と見る見方と、多くの文明の集まりと見る見方*とがある。(*トインビー)先述の「民族の立場」は、民族を文化の担い手と見なす。日本は一民族が一文明を形成する世界で数少ない例である。(アイヌや沖縄人は日本人か。)この「民族の立場」は、一つの人類史的立場につながる。
人類史的立場は、世界の歴史を、全体としての人類の進歩、発展の過程として把握する。つまり、経済の進歩、知力の向上、自由の発展、民主主義の進展などとして把握する。しかし、近年この考え方に疑いがもたれるようになった。「進歩の影の暗い半面」が気づかれるようになったからであり、この進歩史観が、現代の基準で過去を裁断する「歴史否定」の態度を生み出したからだ。(相対主義、過去礼賛か。)
進歩史観は退けられるべきだ。歴史は進歩の過程ではなく、不変の人間性を写す鑑である。(人間は変化しないということか)しかし、同時に歴史における人間の進歩は否定できない。(どうなってんの)進歩の兆候としての、生活の向上、知識の拡大、自由と民主主義の進展などのマイナス面はあるとしても、その積極面は評価されねばならない。人間は善悪など両面を持つ矛盾した存在だ。(ランケ)人間には進歩もあるが、退歩もある。
今日の教科書問題の国際的な側面、つまり、近隣諸国からの抗議を惹き起こした問題は、専ら「太平洋戦争」に至る近代日本の対外政策である。それに対抗して、「国民会議」の椛島は、「新編日本史」編纂のねらいとして、東京裁判史観からの脱却を追加している。
618 戦勝者が戦敗者を裁くことは国際法上認められていないから、この裁判は法的根拠を持たない。サンフランシスコ条約で日本はこの裁判を受諾したが、それは刑の執行を無効にしないという意味であって、裁判内容に承服するという意味ではない。(歴史修正主義。コソボ裁判は非合法か。)また東京裁判の判決は、この太平洋戦争を日本の首脳部の共同謀議によるものとしているが、それは事実に反する。(どう事実に反するのか)
東京裁判の価値判断に従うべきではない。(女性の参政権、共産党員の監獄からの解放、治安維持法廃止、農地解放などすべきでなかったということか)しかし、この戦争に至る日本の政策を正当化すべきだという意味でもない。(どうなってんの)外国人の裁判によってではなく、自己の判断で厳しく批判すべきだ。(それには賛成だが、それを自力ではできなかったのではないか。今でもできていない。)
四年前、中国や韓国が「侵略」という字にこだわったのはこの点を問題にしていたのだろう。(韓国は満州事変以後ばかりでなく、日韓併合を問題にしている。)「ヨーロッパ諸国は植民地を所有し、他民族を支配していた。日本だけが悪いというのは不公平であり、それは自虐史観である」という意見があるが、この考え方は「時代性を無視」*している。(*そう言いながら、結局最後では「自虐史観」批判を肯定しているのではないか。)日本は列強の中国植民地化争奪戦の最後に登場したが、それは日本にとって民族の独立のために必要だった。(そこが他の国の行った植民地化と違う点だと言いたいのだろうか)当時ロシアは朝鮮に圧力をかけていて、それを放置することは、日本の独立を危うくすることが明らかだった。日露戦争は日本にとって民族自立のための防衛戦争だった。(第三の選択肢を考えられなかったのか)日本の勝利は、未だ西洋列強の覊絆下におかれた諸民族に多大の鼓舞を与えた。(朝鮮や台湾がこれを聞いたら面白くないだろう。著者の言う「時代性」とは、日露戦争=自衛戦争らしい。)
619 列強の行動は侵略であったが、歴史学は歴史的事実に道徳的講釈をすることを任務としない。客観的事実を明らかにし、それぞれの時代の状況や傾向を認識することが歴史学の任務だ。歴史の各時代には独自の課題があり、価値基準があり、それぞれに意味を持つ。後世の価値基準で過去の事実を裁断することはできない。(相対主義、過去の悪行の容認か。そう言っておきながら著者は後述のように日本の満州事変以後を断罪する。自分の論理構成に都合の場合に、あれこれの論理を採用する。)
しかし、歴史の進歩は、確かにある。(また両論併記か)20世紀世界の国際政治には進歩があった。列強間の抗争が世界戦争という災厄をもたらしたことから、国際間の紛争を武力に訴えるのではなく、協力し合い、平和を維持すべきだという認識を固め、さらにそのための具体的手段を講じ、国際連盟を結成し、不戦条約を締結した。
1920年代は国際主義と世界平和が価値基準として形成された時代だった。この人類の到達点に敢えて挑戦し、歴史を退歩させたのが1930年代の日本の大陸政策やナチスの政権掌握だった。
これは現代につながる問題だから、今の価値判断を適用してよい。(ずるい。日本にとって当時は正当だったことを、現代の価値判断で裁断しているのではないか。)これに対して、当時の日本のおかれた状況に対する理解を欠くと反論する人もいるだろうが、それは間違いだ。
620 1931年9月18日の柳条溝事件は中国人の仕業だと公表されていたが、それは日本軍の手によるものであるらしいことは噂として広まっていた。また3年前に時の首相が満州某重大事件の責任をとって辞めた。そして東大法学部の横田喜三郎教授は、帝国大学新聞で満州事変を批判した。
国内では当時、自由と民主主義という20世紀の進歩に反対する政治変革が行われた。
満州は日本の生命線であり、それを守ることは民族の生存のために必要だったという反論が出るかもしれない。しかしそれは「歴史的視野」を欠いている。
第一次大戦後、植民地地域におけるナショナリズムが台頭した。イギリスはエジプトやインドの自治に向って譲歩し、フランスはモロッコ問題に腐心した。(一方日本は治安維持法で朝鮮人を弾圧し、台湾人も弾圧し続けた)個人意識の覚醒は民族意識を覚醒する。19世紀に生まれた先進諸民族のナショナリズムは、第一次大戦後、後進諸民族にも起ってきた。
自分の利益だけを考えて他人の利益を無視すれば、結局自分の不利益に跳ね返ってくる。(これには賛成)当時、倫理的にも、現実の力関係でも、そうなっていたが、日本の陸軍はそれを敢えて認めようとしなかった。
621 満州事変後暫くして、イギリスの文豪H・G・ウエルズは、「日本が満州から北支、全支那へと限りなく侵略を進めていかざるを得ないだろう」と述べたことが日本の新聞に掲載された。
この戦争が自衛のためだったと言う人がいる。ABCD包囲網、つまり、アメリカの石油禁輸やハル・ノートは事実上の日本への最後通牒であったと言って日本の行動を正当化する。しかし、日本がとめどなく侵略を続ければ、それを阻止する動きが起るのは当然だ。日本が他民族を支配するのは正当で、他民族がそれに反対するのは不当だと言えるか。北部仏印から南部仏印へ進駐すれば、それに対する対抗措置がとられるだろうことははっきりと予知されていた。
経済力においてはるかにまさるアメリカに戦争を仕掛けて勝つと考えるのは驚くべき知力の低さである。緒戦の戦闘に勝てば、向こうが和平を申し込んで来ると考えるのも甚だしい無知である。政治指導者の無知は、罪悪だ。このような知力の低さを以て今日の歴史認識の基準にするのは明らかに間違いである。
当時でも戦争が自衛の途ではなく、日本を滅亡に導くと考えた人は少なくなかった。日本のこの戦争は歴史の必然ではなく、日本人が一致して望んだものでもなかった。
1920年代の日本は、大戦後の新しい時代の傾向に即した歩みを始めていた。議会政治が軌道に乗り、国際協調、他国の民族主義への理解も緒につき始めていた。しかしこの方向に向っていた人々を軍部が圧服した。勝田龍夫『重臣たちの昭和史』は、軍部勢力の跳梁に抗争した人々の思想と行動を述べている。斎藤隆夫、浜田国松、津村秀松らは、帝国議会で反軍演説を行った。彼らは武力と組織を持つ軍部に勝てなかったが、孤立していたわけではない。彼らの行動は国民の良心と良識を代表していた。そしてその中心に天皇がいた。(本当か)
622 先述の「民族の立場」は民族利己主義を意味しない。当時の超国家主義や軍国主義を推進した人々の中では、日本民族の文化的伝統が少しも受け継がれておらず、彼らはナチズムに共鳴したり、末期にはソ連共産主義に異常な関心を示したりした。日本民族の文化的伝統は、かえって彼等に反対した人々の中に生きていた。(本当か。これが、「民族の立場が民族利己主義を意味しない」理由か。)
中国が教科書問題で非難したのは、「歴史事実を歪曲し、侵略戦争を美化する」という理由である。具体的に言えば、「日本の中国侵略戦争を日本軍がやむなく応戦したものと書いている、日本軍の南京大虐殺の真相を、意識的に覆い隠している、日本がかつて『太平洋戦争』を行った目的を、『欧米列強の支配からアジアを解放し、日本の指導の下で大東亜共栄圏を築く』ためと言いくるめている」と中国は非難した。
「新編日本史」はどうか。満州事変の発端について、張作霖の殺害も鉄道の爆破も、日本人の仕業であったと書いてある。日中戦争の始まりについて「突如日中両国軍が衝突」し、その後「中国側の戦意と現地日本軍の積極的華北戦略との対立は厳しく」(原稿本)と書いてあり、在留邦人や上海陸戦隊将校の殺害があったことを取り上げている。後者について内閣本では「現地日本軍の積極的華北戦略と中国側との対立」と順序が逆になったが、その後の検定では「現地日本軍は、積極的な軍事行動をとった。そのため中国側は激しく抵抗し」となって、また日本人殺害事件は削られた。私は後者(その後の検定かそれとも内閣本か)のほうがいいと思う。というのは北京の近郊に日本軍が駐屯して演習を行うこと自体が問題だからだ。しかし、前者(内閣本かそれとも原稿本か)でも「やむなく応戦した」とは書かれていない。侵略戦争を美化してもいない。(個々の事項を反証として使って弁明するのでは説得力がない。全体のトーンがこの教科書の問題なのではないか。)
南京の事件は、これまでの検定でも問題となった。中国側の数字が誇大であることは間違いない。(具体的な個々の数字が問題なのではなく、虐殺の事実が変わらないことが問題なのではないか。)日本が米英との戦争を、東亜解放のための大東亜戦争と称したのは事実である。(事実だから正当化してよいのか。)
623 教科書問題の真の問題点はこういうことではない。中国も韓国も、最初にこの教科書を問題にしたとき、教科書を見ておらず、4年前と同じく、日本の新聞記事や、現地駐在新聞記者の質問に対する反応であった。(それではまずいのか。全体としては「誤報」ではなく、正しい指摘だったのではないか。)
また外国からの申し入れに対して、外務当局は、「事実を調査の上返事をする」と答えるべきだった。外務省は直ちに文部省に連絡して実情の把握をすべきだった。しかし外務省は、4年前と同じく、事実を確かめず、遺憾の意を表明した。
中国や韓国の態度を内政干渉だと言う人もいるが、彼等がかつての日本の支配から苦痛を蒙ったことは事実であるから、敏感であり、無理からぬことだ。外国が何か言って来たらすぐ教科書を改めさせたり、教科書の発行をやめさせたりするのは、「国家の自立」を害し、「教育の根本」を傷つけることだ。(誤りを正すことで国家の自立が失われるのか、「教育の根本」とは一体何か。)
家永裁判で検定違憲論を唱え、教科書の自由化を唱えた「左翼」の人たちは、今度はこの教科書の出版に反対し、検定の強化を要求した。(当然ではないか)一方、かつて家永教科書の検定に際して文部省を支持した人々は、今度の検定に反対して教科書の自由化を説くようになった。
今年の3月19日、家永裁判に対する東京高裁控訴審判決は、「国は憲法上国民の信託を受け適切な教育政策を樹立、実施する権能を有しているから…必要かつ合理的と認められる関与ないし介入することは、教育の内容、方法に関するものであっても容認できる」とした。(もったいぶって権力を振りかざしているに過ぎない判決だ)
戦後の日本は敗戦という「特殊事情」のために、「国家否定」そして「自由民主主義体制をできるだけ無力化させようとする思想」が、組合運動の力によって教育界に異常な勢力を張るという状況が生じた。それがなお存在する限り、国家による検定の制度は必要である。検定を行うのは検定審がその責任を負うが、現実的には限られた数の教科書調査官という文部省の役人である。人間のすることだから不適切や間違いがあるだろうから、検定を批判する必要もある。
624 今回の「新編日本史」での検定で、理由が分からないところもあったが、改悪ではなかったと思う。
「新編日本史」は初めて記紀の伝承を採用し、「天皇に関する必要な事項」を十分記述し、日露戦争に関して大山巌や東郷平八郎の名を挙げ、「この戦争の世界史的な意義」を述べていることは評価すべきだ。しかし、満州事変以後の日本の中国への「進出」や太平洋戦争への過程の記述の中には、近隣諸国からの「誤解を招く恐れがある部分」が原稿本にはあった。(誤解ではなく真意なのでは)
原稿本は「事実を歪めたり、戦争を美化したりしてはいない」(どうかな)(原稿本の中で)「侵略」という字を使えとか、いちいち「悪かった」と謝れと私は言うつもりはないが、「勘ぐられるとまずいな」というところはあり、その点を調査官が修正している。(「勘ぐられる」という発想は惨めだな)しかし、内閣本以後の改定には、無理があり、その点を椛島も指摘している。椛島は、「左翼」に対する検定には理由があったが、この教科書に対する修正には守るべき検定基準がなかったと言っているが、それは支持できない。
(1986年、昭和61年10月)
以上 2020年6月26日(金)
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