2019年9月28日土曜日

2018年南京大虐殺81ヵ年 証言を聞く東京集会報告集 全水道会館 2018.12.12 読後の感想


2018年南京大虐殺81ヵ年 証言を聞く東京集会報告集 全水道会館 2018.12.12

本報告集を読んで感じたこと

一つは、日本軍が関与した何らかのスキャンダルが報じられた場合、そのスキャンダルは、一件だけで尽きるものではないとうことだ。つまり、他にもその種の事例がいくらでも見つかるということだ。たとえば「郵便袋事件」、中国ではこれを「殺人遊戯」と呼んでいて、そのほうが事の真相をよく物語っているのだが、これは、郵便袋の中に中国人を詰め込み、袋にガソリンをかけてから火をつけ、しばらく苦しみもがかせた後で、今度は、袋に手榴弾をくくりつけ、沼に放り込んで殺すという、まさに殺人遊戯なのだ。この郵便袋事件について記述している『東史郎日記と私』には、この他にも、弁髪を馬の尻尾に結びつけ、馬に引っ張らせ、苦しめたあげく刺殺するとか、下半身を裸にさせて、二本の並んだ木に縛りつけ、両足の間に火をつけ生殖器を焼くとか、他にも様々な記述がある。076光文社『三光』の中にもこの種の猟奇的な殺人様式がふんだんに現れる。
こういうやりかたは一時的な一事例で尽きるものではなく、日本軍にとっては日清戦争以後一般的だったようだ。木野村間一郎氏によれば、この種の殺戮は、早くも、日清戦争での東学農民戦争で農民を虐殺したころから始まったとのことだ。これが日清戦争以降の日本軍の一般的な戦いぶりだったとは、残念なことだ。

どうしてこのように他者をなぶりものにするような殺人行為を日本軍はずっとやってきたのか。二つ目の問題はこれだ。その原因は、民族差別意識、つまり、朝鮮人や中国人を蔑視する風潮が日本人の心の中に生まれ、増幅され、習慣化していったためと思われる。そしてその傾向は、日清戦争に勝利すると、それまで中国に対して抱いていた畏怖の心性から解放されて高揚し、自らが優秀で選ばれた天皇の臣民だと自負する優越感に繋がっていったようだ。そして、日清戦争から10年毎に対外侵略戦争を繰り返す中で、その体験が10年毎に、世代から世代に受け継がれ、それを家族全体が支え、全民族的な心性にまで高まり、定着・増殖していったようだ。木野村間一郎氏は、1927年4月、陸軍大将から首相になった田中義一が意識的にこれを押し進めたと語っている。065さらに木野村間一郎氏が指摘していることだが、この日本人の民族的な差別意識は、関東大震災時に、軍部・警察が指導し、在郷軍人会、青年団、町内会などの活動を通して国民全体の中に拡散・定着していったとのことだ。つまり、関東大震災時の戦時体制的雰囲気の中で、民衆は、異民族=朝鮮人・中国人の集団大虐殺を体験・学習したのだ。

 最後の問題は、南京大虐殺は、なかったと言う人たちが何故そう言うのかという問題である。おそらく彼らは日本人だけが優れているという考え方に浸り続けていたいのだろう。同窓の某氏は、私が、彼の考え方は間違っている、右派の考え方に影響されている、元「慰安婦」の証言を読んでみるようにと勧めても、忙しいから読まないと言う。彼はたとえ自分の考え方が間違っていると分かっていても、朝鮮人や中国人なんかに頭を下げたくないと考えているのだろう。朝鮮人や中国人との共存・共生などまっぴらだという気持ちが腹の底にあるのだろう。たとえ自分の考え方が間違っていても、自分だけが、自民族だけが優れているという気分に浸っていたいのだろう。自分は特別だというエリート意識だ。こういう考え方が世の中の大勢を占めないことを望む。同じ過ちを繰り返してはならない。

 最後に、余談になるが、そうならないための提言を一つ述べさせてもらいたい。それは、英語ばかりでなく、韓国語や中国語も学習し、韓国や中国を旅行する、それも、パック旅行でなく、個人旅行で、現地の人と現地の人の言語でコミュニケーションすることだ。そうすると他者を、自分の観念の中だけの他者としてではなく、現実に血の通った生身の人として実感できるようになる。また、その国の言語を学んでいると、自ずとその国の政治・社会・生活・思考様式など様々なことに関心を持つようになり、自国を他国の眼から相対的に見ることができるようになるはずだ。
私自身の体験を話せば、私は韓国語を学び始めてからもう7年になるのになかなか上達しないのだが、今夏40年ぶりにソウルを訪れ、平和の少女像周辺に居合わせた男女や、ナヌムの家のハルモニなどに片言ながら話しかけ、その他の機会にも韓国の人々と生身で接することにより、今までの観念の中だけの韓国人像から脱出し、韓国が今までよりも身近に感じられ、新聞を読んでいても内容がより現実的になったような気がする。一方、中国語学習は1年で止めてしまったのだが、この報告集を読み、中国語学習も、ある程度韓国語の目鼻がつくようになったら、また始めて、南京をはじめ中国の各地を訪れ、中国の人たちと話してみたいと思うようになった。また外国語を学ぶことは、ボケ防止にもなるし、学ぶ過程で人との交わりもでき、社会が広くなり、人生の楽しみも増えるのではないだろうか。

以上 2019927()


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