2019年9月27日金曜日

「南京大虐殺‐私記:その遠景と近景」 田中宏 要旨・抜粋・感想


2018年南京大虐殺81ヵ年 証言を聞く東京集会報告集 全水道会館2018.12.12

「南京大虐殺‐私記:その遠景と近景」 田中宏 

1937年生まれ、東外大中国語科卒、一橋大学大学院修士進学、アジア文化会館、名古屋県立大学1972、一橋大学名誉教授、翻訳家

1931年から敗戦までの日本側の言い分は、日中の武力衝突が、「戦争」ではなく、「事変」であるというものだ。つまり、対中国武力行使は、戦争ではなく、膺懲である。中国は日本より劣っている、中国は日本に対して友好的でない、だから中国を膺懲する、懲らしめるというのだ。戦争ではない。戦争ではないから、国際法を守らなくてもよい。捕虜を殺す、生体実験をする、毒ガスを用いる、細菌をばらまく等々の国際法違反も構わないというものだ。045
また宣戦布告すると、中立国から軍需品が手に入らなくなるという理由で、1937年、山本五十六海軍次官と梅津美治郎陸軍次官が、内閣書記官長(現在の官房長官)のところに来て、対中「宣戦布告」をしないようにと要請した。043

太平洋戦争で宣戦布告する際、「国際法を遵守する」の文言が入っていないのはどうしてかと天皇が問い正すと、東条英機が敢えて入れないように天皇に要請したとのこと。(徳川義寛・前侍従長の証言、朝日新聞1995.8.11)それは、マレー半島に上陸するために、国際法違反であるが、事前に独立国のタイに軍隊を侵入させる必要があるからだった。042

感想 日清戦争時には「国際法を遵守する」という文言を開戦の詔勅に入れて宣戦布告したというが、旅順での虐殺は、国際法を遵守したと言えるのか。日本には西洋人は重く見るが、東洋人は蔑視するという「国際法」無視を合理化するための、民族差別観があったのではないか。2019926()

藤岡勝信は『教科書が教えない歴史』の中で、第一次大戦のとき、日本がドイツ人捕虜を厚遇したおかげで、日本で初めてベートーベンの『英雄』を演奏したのは、徳島の板東捕虜収容所に収容されていたドイツ人だったと言うが、その後の戦争で日本が捕虜をどう扱ったかについては触れない。藤岡の巧妙なトリックに騙されてはいけない。
しかも藤岡以前に、富田弘が『板東俘虜収容所-日独戦争と在日ドイツ俘虜』のなかで、ドイツ人捕虜による、ベートーベンの『英雄』演奏の件について書いていた。
ちなみに、日露戦争時のロシア兵捕虜も、道後温泉で手厚く扱われたらしい。042
044 鈴木明が『南京大虐殺のまぼろし』(文春、73)を出版した。(これは南京虐殺がなかったという説か。)
045 15年戦争時には意図的に国際法を無視するという政策がとられた。南京大虐殺、重慶爆撃、細菌戦、強制連行、「慰安婦」等すべてが国際法違反である。
東京裁判時における、武藤章陸軍省軍務局長の法廷での証言「中国との戦争は公には『事変』として知られていますので、中国人の捕らえられた者は俘虜として取り扱われない…。だから捕虜虐待はない。」045
東京裁判判決文「この戦争は膺懲戦であり、中国人民が日本人民の優越性と指導的地位を認めること、日本と協力すること、それを拒否したから、これを懲らしめるために戦われているのであると日本軍当局は考えている。この戦争から起こる全ての結果を甚だしく残酷で野蛮なものにして、中国人民の抵抗の志を挫こうと、これらの軍指導者は意図したのである。」
049 1964.8、「北京シンポジウム」で訪中し、南京を訪問したとき、「一人で町を歩かないように」と注意された。
051 1987年12月、東史郎が、自分が南京虐殺時の日本軍人だったと南京に行って謝罪した
鈴木明が『南京大虐殺のまぼろし』(文春、1973)を出版し044石原慎太郎が「あれは中国人の作り話だ」と米誌「プレイボーイ」1990.10のインタビューで述べた。
052 東史郎が『わが南京プラトーン』を出版してから6年後の、1993年4月、戦友の西本が東を相手取り名誉毀損で東京地裁に提訴し、2000年1月、東の敗訴が最高裁で確定した。つまり、東が、南京で虐殺を行った上司西本の名誉を傷つけたと日本の最高裁判所が認めたのである。(「郵便袋事件」中国では「殺人遊戯」と言う。*)

*上司の西本は、中国人を袋に詰め、ガソリンをかけ火をつけ、苦しみもがくと、今度は、手榴弾をつけた袋を沼の中に投げ入れ、爆発させた。(ノーモア南京の会『東史郎日記と私』任世淦著、田中宏監訳075

053 吉田裕は『日本軍兵士-アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書2017)の中で、『支那事変の経験に基づく経理勤務の参考(第二輯)1939.3』の中の「住民の物資隠匿法とこれが利用法」を紹介しているが、これは軍の指示による、中国での略奪の仕方の手ほどきである。

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