「学校経営の基本問題とその実際」 岡山工芸学校長 浦上時次郎 1943
感想
「大東亜共栄圏」に関する教育研究発表会をやるから何か発表せよと言われた某実業高校の校長は「俺は20年以上も前から皇国の道の教育を実践して成果を上げてきた」と嬉々として語る。
「忠良」とは自分の意見を言わないことである。
「国家主義」とは自己愛である。
感想
教育勅語に基づく国家主義的教育を他に先んじて実践してきたことを自慢している。自由主義的教育を否定*し、現場の教育実践を重視し、教育研究を軽視しているかのようである。教育行政の末端の教員(実業学校の校長)は国家の忠実な犬である。また筆者自身がそれに甘んじ、自認している。
筆者の名はWikiにも他のサイトにも見当たらない。
*「個人主義、自由主義、功利主義、唯物主義、仮面を被れる人道主義、偽装せる平和主義」などを列挙している。193
要旨
180 一、緒言
教育学の理論については他の諸先生が話すから、私は学校教育の実際問題つまり学校経営の基本問題に関する所見と実際の一部を、今回の主題(大東亜新秩序の建設)の趣旨に沿って述べる。
二、校運消長の梗概
元来岡山市は消費都市であったから、産業興隆のための教育機関の設置が求められてきた。我が岡山工芸学校は大正3年1914年、御大礼(大正天皇の即位礼)記念事業として創立された。入学資格は国民学校初等科修了程度で、修業年限は3年、木工、金工、塗工の3科9学級であった。
181 開校当初は入学志願者が少なく、中途退学者も多く、多額の経費を要したので問題視された。大正8年1919年、2万円の経費に対して卒業生が8名で、大問題となって廃校の議が起こったが、辛くも存続した。
その後、生徒は著しく増加し、卒業生が好成績を出し、世評が良好となった。大正15年1926年、現在の位置に新築移転した。昭和5年1930年、文部大臣から選奨され、同じく昭和5年11月、岡山県で行われた陸軍特別大演習御統監のために天皇陛下が御駐輦(チュウレン、駐車)された際に、畏くも御使御差し遣えの光栄に浴した。この光栄と感激は永遠に新たなるものありと感涙致して居る次第であります。
来年昭和18年1943年から新たに機械科を設置すべく今認可申請中である。修業年限は全部5年制に昇格される予定である。
私が本校に赴任した当時は校地が狭く、腐朽荒廃し、雨漏りと危険を防ぐための応急措置をした。その間私は経営計画を立案した。以下にそれを示す。
三、教育の根本理念とその実際
182 如何に深遠なる理論も、精細なる研究も、如何に周到なる計画も、完備せる設備も、如何に熱心なる指導も、昼夜を分かたぬ活動も、もしその根本方針が妥当適正でないならば、国家に役立つ国民を育成するという真の教育目的を達成できないどころか、「恐るべき結果」さえ生ずることもある。
由来我が国の教育の根本義は、天皇の御神勅、列聖の御詔勅、特に教育勅語を奉体して実践躬行するところに存在する。とかく枝葉末節の論議にとらわれる傾向があったが、私は我が国の教育目的は国家目的に帰一すべきであると信じた。即ち忠良有為の日本国民を育成することであり、今日の言葉で表現すれば、国体の本義に透徹し、肇国の大精神を体得云々である。
今では我が国の教育目的は既に完全に一元的に決定され、更に議論の余地はないが、その昔諸説紛々としていたころ、私は時流になずまず敢然としてこの根本精神を堅持し、それを学校経営の基本とした。広く種々の学説、主義主張、思想傾向等も研究したが、それはこの根本理念をますます鞏固にするだけだった。私は千万人と雖も我往かんの気概を持っていた。そして全職員が私のこの考えを深く理解し、熱誠な協力をしてくれた。参照その一は大正14年1925年に上司に提出したものである。今日唱えられる皇国民の錬成である。参照その二は青少年学徒に賜る勅語を拝して謹解し、職員に示したものである。新旧一貫して(意味不明)この精神が現れている。
四、学園の神聖とその実際
183 日本の各地にあって荘重で神聖な所といえば神社と学園である。これは本質上当然なことである。学校は清浄・無垢であり、学校や教師がかれこれ指弾されたり貶められたりすることはない。卒業生にとっても学校が懐かしく思慕や追憶の対象となるようにしたいものだ。
学園の神聖を汚濁するものは人と物つまり、教師と金銭・物品である。教師については後述する。学校はみだりに父兄などから金銭や物品などの寄付を要請しないことが重要である。
我が校は父兄の学資負担の軽減に努め、父兄団や後援会を作らず、寄付を要請したことがないから、何の気遣いもなく、独往自在の経営ができた。神聖な奉安殿や学校精神の象徴である校旗は公費で造り、校庭の樹木は苗木や稚木を求め、昭和13年1938年が創立25年に当たり、その記念式典の経費は全職員が自発的に昭和8年から5年間、毎月の俸給の百分の一を積み立てる契約書を作り、私もそれに賛成した。(自分が言い出したくせに、人のせいにする)しかしたまたま(日中戦争)勃発の時局を遠慮して、挙式を控えてそのまま預金している。
五、師道の昂揚とその実際
184 東洋は西洋に比べて教師を尊敬する気風が厚く、殊に我が国では今なおその気風があり、大変喜ばしいことである。しかし明治以来日本は西洋流に倣って次第に西洋化が増すにつれ、日本的美風が稀薄となったことは止めることのできない事実である。彼の長所を取りながら、昔の日本の美風を発揮してこれを昂揚させねばならない。このことについて従来様々な会合や雑誌で所説を見聞するが、その多くは父兄や社会、国家に対する要求である。目標を誤ってはならない。私が師道の昂揚を強調するのは、教師のためではなく教育振興のためである。
185 教権の確立、教育の尊重、教師の優遇などの源を教師自身に求めるべきであって他に求めるべきではない。それは他から自然に盛り上がって来るべきものであり、その気運の醸成源は教師にある。教師は良き教師である前に、良き日本人たるべきであり、高尚な品性や人格、円満で豊富な常識、該博な識見、殉職の決意を持つことなどが先決問題である。教師は自己の本分を自覚し、人格の向上、学問や技術の研磨、身体の健全などに努め、伝達、指導、啓培の方法を工夫・研究して熱心に当たるべきである。学校教育は教育内容と教育設備、被教育者、教師の三者からなる。前二者が受動的であるのに対して、教師は発動的で学校運営の中心であるから、その使命の重大性を認識し、日本教育者としての矜(ほこ)りを感じ、恭倹(人には恭しく、自分は慎み深い)、自戒、自奮、自励して生徒を垂範徳化し、他と円満な協調を保つこと、そして全校全職員が渾然一体となり、滑らかに潤いのある教育活動を提供することが重要である。そうすれば師道は自ら昂揚し、教育成果も上がり、教育報国を達成できる。ところが教師は不治不識のうちに反省を失って尊大独善に陥りやすい。殊に実業方面の教師は修養が十分でなく、特に技術教師には天狗がいる。戒心を要する。私は今から24年前に本校に赴任した直後に参照その三の「教職員心得」を定め、全職員にその趣旨の領得と具現を要望してきた。(ワンマン校長)
六、生徒の指導啓培
186 これは教育の根本理念に基づく。その根本は生徒が目先の事象にとらわれず、皇国民としての高い理想を持ち、国家の有用の材となり、生きがいのある生活を送るという人生観を養い、研鑽修養に励まさせるために参照その四の校訓を定めた。当時は自由主義思想が盛んであった時代であったが、私は学校の教養指導に絶対服従を要求し、善美の校風を培養し、和気藹々のうちに薫染感化しようとした。(校長だけの思い込み)
1 人生観の確立
当局は他校の例を引いて公費による校旗作成予算を計上してくれなかったので、モスの布を買い、学校で独自に徽章を描き、国旗用の竿を買って手製の校旗を作った。私は生徒に、他に依存せず、実力相応の生活をせよと語り、自主独立、自重自尊、正義操守の信念の涵養に努めた。
2 訓育の重視
生徒に関する規定第八条に「生徒(の)席次は操行(が)甲なるものにつき合計点の順による、同点なる時は、前期の成績または学校長の認定による。次に操行乙なるものにつき、次に丙なるものにつき同様の順にこれを定む」とある。教師の指導啓培にも、生徒の修養にも、操行を重視し、処罰よりも訓戒を旨とし、生徒の反省と自奮を重視した。20幾年間で退学を命じたものは一人もいない。
3 体育の重視
校庭に健康十則を掲示し、消極的衛生と積極的運動に関する注意を喚起し、校庭を芝生にし、植樹して緑陰を作り、正課の体操以外に、実習作業後の矯正体操、毎日のランニング、毎月の登山を行う。見せるための体育という観念を排除し、自分のための体育を強調し、見せるための運動会を行わず、選手を偏重しない。
4 学習訓練
従来の得点主義や進級主義の弊害を排して自己玉成を推奨し、自発的に楽しく学習させ、卒業後の研鑽の基礎を養う。このためには定期試験を全廃するのが効果的であるが、同地域の他の学校が歩調をそろえないと難しい。
5 実習訓練
188 各種展覧会や博覧会に作品を出品して好評を博しているが、先年は文部省の指定で米国シカゴ市開催の万国博覧会に出品した。売上も多額になった。帝国発明協会岡山県支部主催の発明品展覧会では6回中の4回、恩賜発明奨励金による優勝旗を授与された。
6 教科書の活用
私が本校赴任当時の修身教科書に、河村瑞軒*が江戸の大火に際して我が家の類焼脱れ難きを知りつつ、木曽に行って材木を買い占めて巨利を得たことが美談として記されていた。私は将来はこういう自我功利の行為は許されなくなるだろうと訂正したが、その後関東大震災では暴利取締令が出された。また公民教科書は国際連盟に関して「我が国は国際関係上連盟に加盟せざるを得ない事情がある」としていたが、私は国際連盟に依存しそれに立て籠もることは許されないだろうという所信を生徒に披瀝した。その通りその後遂に連盟脱退となり、今日の時局(太平洋戦争)となった。私には悔いがない。
現今は世界情勢と社会状況が急変するから、特に注意して教科書を活用する必要がある。
7 機会の把握
189 これは国体明徴に関することであるが、昭和12年1937年5月の英国皇帝戴冠式の際の順序や模様を委しく説明した後で、「我が国の御即位御大礼で御自ら高御座に登らせ給うことと英国皇帝の戴冠式との相違は何によるか」と私が質問すると、生徒は一斉に「国体が違います」と答えた。まことに活きた適切な教育であったと今でも嬉しく思い出し、たびたびこれを引用している。
8 生徒及び卒業生
当初入学志願者が定員に達しなかったが、その後非常に増加して数倍になった。入学試験がもたらす弊害が甚大であるため、大正9年1920年以来20余年間にわたり、新(選抜)方法と従来同様の選抜方法の両方を実施してきた。(このあたり不正確)国家教育のため安堵慶祝に堪えない。参照其の五は入学考査内規の一節である。
事変(日中戦争)前の就職困難時に実業学校長は卒業生の就職斡旋のため東奔西走したが、我が校ではその心配はなく、他から来て求められた。工業界に進出した卒業生が多く、中には相当大規模に活躍している者もいる。また工芸界に進み、商工省工芸品展覧会や帝展・文展の入選・入賞者もいる。
七、工芸教育の本質とその実際
190 工業品は作品への技巧や修飾を考慮せず、実用価値に重点を置いたものであり、工芸品は作品の実用価値を重んずるとともに美術的技巧装飾を施した物である。この両面の特質は近年交錯する傾向があり、厳密に区別することは難しい。また工芸品と美術品との違いは、教養の高い作者が作品の実用的価値や価額よりも自己の美的欲求や美的理想を表現したものが美術品であり、それに対して美的表現もあるが用途や実用価値を主眼として、社会の要求、需要、価額などを考慮しながら作った物が応用美術とも言うべき工芸品である。
191 従って工芸は工業と美術との中間にあり、実用価値と美術的要素とを併せ持つ物である。
美術を志す者はその方面の優れた天稟を必要とし、工芸を志す者も、ある程度の美術的天稟を要する。一方工業は普通の能力を持つ者なら工業者になれる。
創立当時は入学生の性能検査もせず、入学時から一律に工芸教育を施したため、これに適さない者は中途で退学した。そこで途中で方針を変え、一般に工業的教育を施し、その中の工芸的天稟を持つ者だけをその方面に伸ばすようにした。これによって落伍者もなくなり、卒業生は工業と工芸の両方に進出した。
八、結論
皇軍の赫々たる大戦果によって我が国勢は急激に躍進し、弥栄に栄えます御陵威の下に、内には道義国家の体制を確立し、外には大東亜の共栄圏と道義に基づく新秩序を建設し、全世界に八紘一宇の大理想を顕現し、厥(そ)の美を済(な)すために、政治、経済、産業等で大英断を下し、目覚ましい革新が行われつつある今、この基礎をなす教育においては、大東亜の盟主として各民族を指導する重大使命を完遂することができる有徳・雄大・強靭な大国民を錬成するために、挙国一斉に在来の学校経営に痛烈な省察・検討を加え、虚心坦懐、全くの白紙に帰り、明朗闊達に粛正・刷新して国策即応の(学校)経営が要望されることが差し迫っている。昭和の教育者はその重大な使命と最大の栄誉を痛感し、大任を全うするために夙夜(一日中)淬(さい)礦(れい)(鍛え磨く、学問・修養に励む)しなければならない。(美文調の空語な作文)
参照其の一
大正14年1925年10月上司に提出せし意見書の一節
(前略)その根本問題は教育目的の神髄を念頭深く刻み、その精神の発揚に精進すべきにあると信ずる。その目的とは
・忠良有為な日本国民の育成
最高学府特有の目的
高等諸学校特有の目的
中等学校特有の目的
小学校特有の目的
小学校、中等学校、高等諸学校等、各種各様その種類と程度によって、その本来の性質に応じて各自特有の目的があるが、それと共に、その種類や程度を問わず、その根本を流れる精神は、忠良有為な日本国民を育成することであり、この根本精神は上下一貫して一つあるだけである。
ところが過去の教育では上下左右の密接な連携を欠き、表面に現れた部面、つまり各学校特有の目的の達成に力を偏傾し、根柢をなすべきもの、つまり忠良有為なる日本国民の育成という大眼目を軽視したというか、むしろ忘れたようであることは、憂うべき大欠陥であり、現代国民精神の動揺・混乱や思想悪化など重要問題の素因は、この点に胚胎したと言ってもうそではあるまい。
この点に深く意を用い、研鑽奮励し(中略)(学校の)成績は自ずから向上し、過去の教育の通弊を一掃し、健実な新面目を発揮することだろう。(後略)
参照其の二
青少年学徒に賜りたる勅語を拝し奉りて 昭和14年1939年6月1日
第一 教職員各位に告ぐ
畏くも天皇陛下は夙に教育に大御心を垂れさせ給い、その振興に関して深く御軫念(しんねん)あらせられ、今回特に青少年学徒に優渥なる(手厚い)勅語を下し賜ったが、その向かうべき方向を示した聖慮が深遠であることに対してまことに恐懼感激の至りに堪えない。(分かった分かった。無内容)
顧みるに我が校は個人主義、自由主義、功利主義、唯物主義、仮面を被った人道主義、偽装した平和主義などが盛んに唱導されていた時代に、徒(いたずら)にそれらの時流になじまず、古今の史実と、中外の時勢を基礎とし、徐(おもむろ)に世界の動向と東亜の情勢を考え、皇国の大使命に鑑み、当時の世界の状態は永続しないという世界観に立って、将来なんらかの形で容易でない事態が発生することは必然であり、しかもそれは阻止できないと考え、常に職員生徒に警告し、敢然と国家主義を強調し、専ら忠良有為な青年の育成を目指し、国体に関する信念の透徹とその具現、日本精神の昂揚、心身練磨、質実剛健、堅忍持久、生産拡充、資源愛護、勤労報国など、当時の世相としては頑固とみなされる教育方針を樹立したところ、幸いに各位の共鳴と協力の下にこれを堅持することができた。
ところが今次(支那)事変(日中戦争)が勃発したのを契機に、我が校の教育の実績を糾明し、過去と現在を検討し、時局の重大性と職責の甚大なことを思い、翻然蹶起し己を捨てて興国の大業に殉ずる覚悟を決め、実践垂範して生徒を率い、雄大で強靭な日本人の錬成を目標とし、その顕現に邁進してきた。ここに優詔を拝して以上の点をさらに強調して生徒の志気を鼓舞し、文武を修めさせて大国民としての襟度(きんど、気前)と大東亜の盟主たるの資質を養い、尽忠報国の信念を振起し、身命を賭して皇運を扶翼する決意を固めさせ、欣然(よろこんで)勇躍挺身して聖業に参与することはもちろん、皇国隆昌の気運を永遠に維持して負荷された大任を全うできる皇国民を錬成し、御聖旨に副い奉ることは、正しく各位の職域奉公・臣道実践の唯一の道である。この確固不動の信念によって全員が一致協力して精細な注意の下に懸命の御奮励御健闘あらんことを希望してやまない。
第二 解題(省略)
参照其の三 教職員心得(大正8年1919年9月)
194 教職員の平素の言行や勤務状況は陰に陽に生徒に薫染感化を及ぼす。本校生徒の善悪や学校の成績の良否は、諸氏の知徳技能の修養と人格高卑の反影である。本校職員はそのことに深く思いをいたし、責任の重大性を自覚して夙夜勉励することを望む。
要款
一、忠君愛国の気魄に満ち、人倫の大道に通暁し、その実現に努めること
一、常に世界の動向に注意を払い、これに対する帝国の使命を自覚し、教育者の責務の重大性を認識すること
一、常に学識を広め、技能を磨き、生きた経験を積み、教育の実績を挙げるように努めること
一、常に円満豊富な常識と高尚優雅な趣味の修養に留意し、人格の向上に努めること
一、常に衛生に注意して健康の保持増進に努め、快活な気宇と質実剛健・敢為敢行の気力をもつこと
一、真実誠意に職分を尽くし、勤労して生徒を率い、親切丁寧に指導して学校教養の精神を発揮すること
一、同僚の人格を尊重してその長所を敬い、信義を重んじ、互いに提携して歩調を合わせること
参照其の四
校訓(大正8年1919年9月)
大綱
聖旨を服膺(ふくよう、命令を忘れない)して大御心に副い奉ることを目標とせよ
要目
一、校規厳守
一、心身練磨
一、勤労報国
参照其の五
入学考査に関する内規(昭和15年1940年2月)
緒言
小学校教育の本来の使命は、知徳心身一体の教育によって児童を忠良有為な皇国臣民を育成することである。つまり小学校教育は国民全体に対する普遍的な基礎教育であり、国家の要求する最小限度の完成教育である。中等学校進学のための階段教育や準備教育ではない。準備教育は間接的目的であって、直接的な目的ではない。それにも拘らず従来中等学校では国家全体の教育成果を考慮せず、中等学校自体の便宜を主体とした入学者選抜方法を行ってきた。そのためついに主客本末が転倒し、小学校教育の完成を破壊することになった。このことは国家教育のため遺憾である。私は夙にこの憂うべき通弊を痛感し、大正9年1920年、学校長として初めて入学者を選定するにあたり、小学校長の報告、学校における口問口答と身体検査の三つを綜合して採否を決定する方法を定めた。他人からの批判や毀誉などは顧慮せず敢然実行したことを職員各位が皆知っていて、その真意も了解している。
文部省はこの憂うべき通弊を匡救するために、昭和2年1927年11月、昭和4年1929年11月、昭和10年1935年2月、昭和12年1937年7月など数次にわたって改正案を示したが、前述の通弊を正すことができなかった。そして今回大改正が断行され、全国一斉に私の年来の宿願が実施された。国家のために欣快慶祝の極みである。
ただしこの考査方法は筆答採点方式に比べて容易でない。本校の職員がこれを国家の将来を思う教育者の責務として煩瑣を忍び、教育報国に寄与することを期待する。
光輝ある紀元2600年と教育勅語渙発50周年記念の佳き年にこの大改正が行われ、私は国家のために安堵喜悦している。過去20数年間にわたり私の主張に共鳴された職員各位に感謝する。
以上
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