「社会教育の歴史的課題」 滋賀県社会教育主事 鈴木重信 1943
感想
Wikiに鈴木重信の項はない。
「明治維新によって国体が開顕した」086のに、まだそれが不十分であると考えているようで、国体開顕のためには少数の精鋭がそれを牽引することを熱心に推奨する。これは右翼の暴力的蹶起と親和性のある考えである。何冊か当時の本を読んでいて、鈴木のように熱心な国粋主義者になりきった人が大勢見受けられるが、これかあれかと煩悶するよりも、そうした生き方の方が全体主義時代の当時としては生き抜きやすかったのではないかと推測する。
最近の大衆教育、分化した近代教育を批判し、義理人情を重んじ、懐旧趣味的で、意味は分からなくてもいいから古事記や孟子を読めというが、これは不分明をよしとする危険な思想ではないか。
要旨
084 これは研究というより感想である。社会教育という語に対応する外国語がないようである。*社会教育という語が用いられたのは大正10年1921年と言われている。それ以前は通俗教育という語が用いられていたようである。その対象は、学校外や普通教育終了以後における補充教育が主であり、その内容は、明治時代の文明開化の頃には民衆の主知主義的・啓蒙的教育を意味し、大正期にはデモクラシー的風潮を背景にした個人の完成や個人の教養の向上、教育の機会均等を意味したようである。
085 通俗教育が出現する以前の明治期以前では、近代的学校組織が未だ発達しておらず、社会教育は認められない。当時の学校は社会生活に近接し、一般の庶民生活の中にも教育活動が認められる。
社会教育における教育は「教化」と言い表すのが適当である。(社会教育における)教化とは、学校を含めて国民を高い理想に教え導くことである。近頃の言葉で表現すれば、それは具体的な政治教育である。しかしそれは国策や既定の政策の宣伝ではなく、国民の各階層と国民生活のあらゆる面で一貫した方向や理想を与え、それが生活に浸透して熟し、再びそこから浸みだして来なければならない。換言すればそれは一世の「風教」を振起することである。
一般民衆の教養という意味の社会教育は、以上の観点を備えなければならない。これまで学校教育が分業化し、中等学校以上の教育は専門分化し、感情や利害が対立し、一貫した風教が見られなかった。教化立国の大本が樹立され、一世の風教が振起され、民族の創造的発展が遂げられなければならない。
086 このような広義の社会教育の歴史的課題とは何か。
明治維新は国体を開顕し、封建制度を瓦解して一君万民の大政を復古し、世界史の転換の契機をつくった。
明治維新に当たり天皇は「官武一途庶民に至る迄各其の志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す」と詔し、また「天下億兆一人も其の処を得ざる時は皆朕が罪なれば」の言葉に、我々は有難き大御心を拝する。その目的は臣民と天皇との間に介在する封建的桎梏を撤廃し(うそ)「真の国民」を確立させ、皇基を堅くすることのはずである。ところが事実は封建制度の桎梏からの解放は、明治以後急速に入って来た欧米文物の輸入吸収によって、その自由主義思想や個人主義思想と妥協し、「人権の復活」という抽象的観念と結合し、その風潮は、観念的・皮相的領域ばかりでなく、経済・政治・教育の分野にも浸透した。その結果、真の国民的自覚に至らず、世界市民的なものに個を無限に解消し、個を超えた絶対的共通目標や権威を見失い、個々の自我的目標の対立拮抗となり、その極限は、個が全体のない個となり、個を見失った。
087 明治維新後の日本の世界史における登場は東亜を自覚させ、その後の日本の目覚ましい発展は、日本自らを世界史の焦点とさせ、米英を中心とする世界史の転換が始まり、遂に今日の世界大戦、大東亜戦争の段階に達した。そしていかなる国家も自己の国内体制の急速な強化整備へと駆り立てられている。本来民主主義的国家である米英でも強度の国家規制が行われなければならなくなり、世界市民的個人を全体主義的強制の下に集結させる苦悶が見られる。
このような世界史の必然的段階で日本も国家体制の整備強化を急がなければならなかった。明治以後権威のある共通の目標を見失って分散した個人を国家的統制の下に統一し、高度国防国家の確立を急いで来た。経済面での統制強化、国民組織の再編成、国民精神総動員運動、大政翼賛会、翼賛政治会など一連の国家的動きは、この歴史的必然性に導かれたものである。
しかし今日要求される国家体制では、分散した国民生活の外的も内的も一切の面での一貫した国家的目標が確立されその下に統制されるとともに、国民の各自が衷心から自発性をもってその統制に参加しなければならない。(統制と自発性は自己矛盾でないか)明治以前の封建制度の下でのように、一方的権威が個を一方的に拘束し統一するのではなく、権威ある統制の下に、個がおのおのその所を得てその志を遂げ、その志を遂げることが国家を愈々強固にする。
この統制と自発性との矛盾(矛盾だと自認している)をどう統一するか。両者を結ぶものは我が国体を措いて他にない。明治維新が国体の開顕であったように、今日の国内と世界の転換期にも再度また真に国体が開顕されなければならない。統制と自由とを結合するものは我が国体であると信じる。一君万民といい、義は君臣、情は父子といい、その表現の中に現わされる国体こそ、世界各国が求めても得ることのできない原理であると私は信じる。我が国家に内在しつつ超越する(意味不明)この国体に帰り行き、この国体への自覚を深めて行くことによって、そこから自ら喜んで国家の目標に参加し、自発的に働きだすことによって、統制はその目的を果たすことができると信じる。
088 しかし今日そのような国体が国民の姿の中に生き生きとして生きているか。標語「盛り上がる力」「職域奉公」などに示される気風、風俗、風教が現実にあるのか。よく故老から聞くことだが、「日露戦争当時は一城が落ちると号外が出る。すると老いも若きも金盥やバケツを持って喜んで村中をたたいて回ったものだ。今は防諜関係や音波管制というか、いろいろあろうが、昔のように欣喜雀躍する様子を見かけない。どうして自発性が沸き上がってこないのか」と。以下二、三提案する。(二、三ではなく二点のようだ)
それは一億の国民が共に本当に感激する目標を欠いていることである。教育では色々難しい綱領が書いてあり、どこにも標語が氾濫している。今日ほどありがたい立派な言葉が横行する時代はないと言われる。しかもそれらの標語や綱領の目標と国民の実生活との間に、親密なつながりがない。そのために立ち上がろうという感激を起こす目標が感じられない。統制は究極において目標が、国民が感激するような真剣なものにならなければならない。これが一つである。(次が二つ目なのだが、その指摘はなく、さらなる三点の提案に移行するのだが、二つ目の提案は、この三点の提案の最初の項目、つまり、少数精鋭教育を考えているようだ。)
089 今日の日本国民の生活の欠陥は、在野的良心に欠けるということである。年寄りは、近頃の人間は面白みがない、風格がない、味わいがない、気骨がない、気概がないとよく言う。私が奉職している滋賀県から出た杉浦重剛*先生のような人物がいない。晩年の杉浦先生を郷党の小学校長が上京して訪ね、先生に教育上の意見を聞きたいと言った。当時は何々教育学という難しい教育が大分流行っていたが、先生は「何も話すことはない。これを聞け。これが教育の精神だ」と言って、蓄音機で「鎗(やり)さび」をかけた。「鎗はさびても名はさびぬ。昔忘れぬ落としざし(刀の末端を下げて刀を差すこと)」という唄を先生は感に入って聞き、「諸君、この精神で教育をやってくれ」と言われた。感慨深いことだったと聞いた。先生のこの風格や「鎗さび」の中で歌われているような人物が少なくなってきたのではないか。先生は梅を愛し、常に「その趣を得て己なり」と言ったが、その趣のある人が少なくなった。今日生産、経済、教育、農業などあらゆる方面で結局は人物だと言われるようになった。しかし現状は人物の貧困が蔽うべくもない。
このような少数の在野的良心を持った人物が民衆を率いて下から真に自発的な国家に尽くすと私は痛切に感じる。今日教育が発達しすぎて人物が均一化し、機械化し、そろばんの玉のように粒のそろった難のない人間が増加したが、他方では味わいのある人間が減った。昔は車夫や床屋の中にも気骨があって民衆を率いるに足る人間がいた。今日では「野に遺賢(広く認められないでいる立派な人)なからしむる」ではなく、「野に遺賢あらしむる」が大眼目になっている。最近の壮年団や青少年団でも同様であり、青少年団と青年学校教育とが一体となった。これは青少年団における自由主義的な空気を抑えるために役立ち、ばらばらの青少年を一つに統一する。それは時代的必然性と見られる。しかし実際は農村の青年は自ら先に立って動かなくなった。やろうとすると校長さんに叱られるので面白くない。最近では校長さんが指示してくれないから何もやらない。餘に号令や統制に慣らされ、自ら国を憂い、村を想って奮い立つ気風が欠けてきた。
090 今日社会教育が負わされていることは、国民が斉しく感激するような、はっきりしたしかも国民の生活にピッタリ結びついた目標を明示することである。これに対して下から立ち上がる自発性を涵養する。統制は必然的だが、その必然性に応じて立つ国民の側の気風、自発的な、下から真剣に盛り上がる傾向、容易に築かれないが一朝一夕に崩壊しない人倫的な地盤を築いていくことが社会教育の歴史的課題であると思う。孟子が「文王を待ちて後に興る者は、凡民なり。その豪傑の士のごときは、文王なしと雖もなお興る」と申しました。この文王なくして興るような民風を作っていくことが今日の社会教育の目標ではないか。政治の革新と教育の刷新は重要であるが、教育は宣伝や速成栽培ではなく、あくまでも「国本を培う」ことでなければならない。しかもそのためには、もっと生活に即した重厚な風、それも無自覚な風ではなく国家の目標を自覚した人倫的地盤を築いていくことが必要であると思う。明治維新の時に勝海舟と西郷南洲が敵味方の立場に居りながら話せば分かった。ところがいつごろからか話しても分からなくなった。「問答無用」というか、分かりあう共通の地盤が失われた。今日は同じ国体論の中でもいがみ合う。同じ道に働いている者が嫉視排擠(ハイセイ、押し退け陥れる)する。義理と人情など最も素朴な道徳を、教育のある者ほどピンと感じず、徒に理屈を言っていがみ合う。こういう対立を超えた醇風美俗の人倫的地盤が欠如している。
091 その解決方法について私の考えを二、三(二、三ではなく三点)申し上げる。
第一、少数者教育 今日の社会教育の施策は講習会、練成会、映画会、講座などで、その多くは大衆を対象としたものが多い。併し招聘された先生とそれを聞く民衆との間に何らの人格的・有機的連絡がなく、講演が終わればそれきりである。この方法は飛行機から種を播くようなものである。それよりも民衆の中の少数の優秀な人物を教育する。大衆教育は必要だが、これと並行して、否その眼目として、少数者の教育を行わねばならない。時代が動くとき確かに大衆も動くが、それを動かすものは常に少数者である。これは前述の在野的良心である。この少数の良心を教育していかねばならない。これらの少数者に明確な目標を把握させ、自発的に真の風教振起に当たらせなければならない。「一箇半箇の衲(ノウ)僧を打ち出すれば、日々に万両黄金を費やすも何の悔いかこれあらん」と切実に思う。
092 第二、地域に根拠すること 今日の日本人の弱点は土地(地域)から遊離していることである。知識も(地域から)遊離し、生活も遊離し、学校も遊離しやすい。その結果、商業都市的性格が氾濫し、「ねなしかずら」のような知識階級が生まれた。国体は活字や説教で分かるものではない。生活の中で、自然の中で、冷暖自知されるのが真の国体である。理屈で論議した国体や、本を通じて知った国体は、人を陥れる思想的凶器になるかもしれない、あるいは時勢に阿諛追従していくための防弾チョッキや旅行券(パスポート)になるかもしれないが、それは本当に国を興す力にはならない。郷土の土に根ざした生活環境の中から真に国体を冷暖自知させるようにしなければならない。しかもかつての封建的な割拠主義や地理的個人主義ではなく、明治維新によって開かれた世界的地平に立って、郷土を国土という意識の下に、郷土の教育的環境を作っていかなければならない。そしてこの計画を国土計画や労力の関係などの国策を参照しながら進めていくべきである。新封建主義とでもいうべき環境を、つまり、幕末の長州、薩摩、土佐、水戸などの地域で、当時人情が地に落ちた時代に、剛健な人倫的地盤が残っていたが、そのような醇風美俗を作っていく必要がある。そしてそういう地域で前述の少数者を捉えて郷土的気風を振起し、この少数者を横に結んで全体的な連関をつけ、一世の気風を振起する。
第三、伝統 今日「農村文化」など様々に言われているが、それと同時に、眼前の文化財だけに目を奪われずに、新しい創造の原動力として、我々の父祖が養われその血肉となって来た古い伝統の中に沈潜することが最も必要であると思う。論語や孟子や古事記などを分かっても分からなくてもしみじみと読み、教えることを通して、味わいのある、暖かみのある風教を興していけると信じる。今日相当知識のある人や理屈などがよくわかる人が、案外義理人情が分からない。これではいくら口で巧いことを言ってもだめだ。農村に徒に映画や文化施設を持ち込み、その浅薄な模倣を文化だと誤解させてはならない。これらの文化財を批判して消化する根本的なものを先ず持たせなければならない。「本立ちて道生ず」――本はやはり伝統の中に汲まなければならない。古典的教養、重厚な人倫的基盤を植え付けていく必要がある。
結論 社会教育は学校教育との対比で考えられるものではなく、国民のあらゆる部分で真の風教を振起する。しかもそれが生活の中に浸み入り、また生活から浸み出て来る。そして「文王なしと雖もなお興る」気風を興す。これが迂遠のようだが結局真に国本を培い、汪然たる(深く広い)自発性を下から湧き上がらせる道であると信じる。
*「社会教育という語に対応する外国語がない」084と筆者は言っているが、Wikiによれば、「日本同様に学校外における教育全般を指し、日本と比べて、特にヨーロッパでは、職業教育やキャリア教育の充実が目立つと言われている」とある。
0 件のコメント:
コメントを投稿