2020年8月30日日曜日

ゴー・ストップ問題 末弘厳太郎(いずたろう) 1933年、昭和8年9月号 「文芸春秋」にみる昭和史 第一巻1988 要旨・感想

ゴー・ストップ問題 末弘厳太郎(いずたろう) 1933年、昭和8年9月号 「文芸春秋」にみる昭和史 第一巻1988

 

 

メモ 2020830()

 

 ウイキペディア「ゴーストップ事件」によると、

 

・事件後、兵隊のからむ事件(行政行為)は警察が担当できなくなり、憲兵隊の管轄となり、軍の横暴が強まった。

・事件は天皇の鶴の一声が出るまで解決がつかなかった。

・和解の内容は秘密にされているが、警察側が譲歩(謝罪)したようだ。

・兵隊は、「信号無視していない、最初に殴ったのは警官だ(自分から手を出した覚えはない)」と主張した。

 

感想 2020829()

 

 要旨をまとめながら再々度読んでみると、著者の意図が分かってきた。これまでは断片的にしかとらえていなかった。これは法律家の立場から見た、軍による提訴に異議を唱える、裁判否定論である。

しかし、著者が軍の面子を認めていることに、時代の雰囲気が伝わってくる思いがする。五・一五事件の当事者が警察など全く小ばかにしていたことから考えると、さもありなんである。

 

感想

 

交差点での警官の手振り信号を無視した人(陸軍軍人)を警官が殴ったら、陸軍がクレームをつけ、結局警察側(内務大臣)が陸軍側(陸軍大臣)に謝罪して問題が決着したという事件なのだが、軍側の主張の根拠は、警官が暴力を振るい、信号無視した人が軍人で、制服を着ていて、公衆の面前でというものである。

著者は双方に公平な討論形式で論を展開するのだが、どうも若干軍に軍配を上げるかのような論調である。編集部の注「軍が次第に政治力を誇示し始めた時代の象徴的な出来事だった」とあるように、この事件は、軍部の発言権が益々高まろうとする時代に起ったようだ。

 

本文中の各所で、軍部に肩入れするような気になる表現がある。

「吾々国民は御国のために軍務に服してくれている兵隊さんに対して心から敬意を表さねばならない」「巡査(なぜ「巡査さん」と言わないのか)も兵隊さんのすること(信号無視)はなるべく大目に見てやるくらいの雅量はもって欲しい。」

「それ(信号無視を咎めないという警官の好意に報いるだけの心がけを兵隊が持つこと)でこそ兵隊さん兵隊さんといって一般国民から敬愛される。」202

「軍当局から(警察に)厳重な抗議が提出されることを、僕は少しもおかしいと思わない。その抗議を警察の側も率直に認めて適当に善処(信号無視を咎めない)しさえすれば、現在のような「悪い」事態は絶対に発生しなかったのだと思う。」204

そして最後は方法の問題に転嫁される。

「軍当局の抗議の仕方が気に入らないというようなことは確かにあるらしい。」「事実交渉の局に当たった当事者「双方」に落ち度があるということになるな。」204

そして最後は円満解決だ。

「平和な(警察と軍との)関係を回復することを念として事を処理すべきであると思う。」204

また警察に注文をつける。

「警察の方ではまた兵の素行を調査して交通規則違反の前科何犯とかを発見したとかいう話だが、(兵隊が頻繁に交通規則を無視していたようだ)こういう「抹消」に走って争われては困るな。」

 

 

要旨

 

編集部注

 

 1933年、昭和8年6月17日午前11時40分頃、大阪市天神橋の交差点(天六交差点、天神橋筋6丁目交差点)で、信号を無視して横断しようとした歩兵第八連隊の中村一等兵を、交通整理の曽根崎署の戸田巡査が殴るという事件が起きた。「皇軍の威信にかかわる重大問題」として軍が硬化し、陸軍大臣対内務大臣の対立にまで発展したが、結局、警察側が折れて事件は解決した。軍が次第に政治力を誇示し始めた時代の、あまりにも象徴的な出来事であった。

 

本文

 

 A 大阪のゴー・ストップ事件をどう思うか。

B 意地の張り合いから問題がこじれ、非常に遺憾だ。

A 交通違反したとはいえ、白昼公衆の面前で巡査が制服の兵を殴るとあっては、事はなかなか容易でない。

B 巡査がやたらと人を殴ってならないことは、相手が兵であれ、普通人であれ、異ならない。普通人だと多く泣き寝入りをするが、軍は断然抗議をする点が異なる。

A 警察官を懲戒処分にしていたら、問題は簡単に片付いていたかもしれない。

B 警察があの通り頑張るにも理由がある。巡査の中には没常識で乱暴する男もたまにいるが、相手が無茶をしない限り、どんな巡査もむやみに乱暴をするわけがない。

A 巡査は相手の出方次第では殴っていいのか。

B むやみに殴ってはいけないが、場合によっては止むを得ない。司法警察職務規範の中に「現行犯人を逮捕するには、務めて穏当の方法を用い、過酷に渉らざることに注意すべし」とある。しかし、同時に事情によっては、相当手荒なことをしても差し支えないという趣旨も認めている。

A 相手が乱暴をする以上、こちらも多少手荒なことをしなければ、逮捕や訊問もできないに違いない。

B 巡査が相手の弱みにつけこんで乱暴をしやすいことは認めるが、今回の事件で兵がどんな態度で巡査に対したかを問題にしないわけにいかない。交通規則を犯しておきながら、ゆえなく巡査の制止や訊問に対して反抗的な態度を示す以上、巡査が相当強力な態度に出るのは止むを得ない。軍当局は「いやしくも兵に対して…」と言って非常に強いことを言っているらしいが、戦時やその他の特殊な場合なら格別だが、今回の兵の場合は、普通の一歩行者と何の変わりもない。それが交通規則に違反する以上、巡査がこれを制止するのは当然であり、その制止に対して反抗する以上、強力的手段をもってこれに臨むのも当然である。

A 吾々国民は御国のために軍務に服してくれている兵隊さんに対して心から敬意を表さねばならない。しかし敬意を受ける側も心がけと態度が必要である。巡査兵隊さんのすることはなるべく大目に見てやるくらいの雅量はもって欲しいが、兵の側でも好意をうけるだけの心がけを持たねばならない。それでこそ兵隊さん兵隊さんといって一般国民から敬愛される。平素兵の教育上十分注意されているとは思うが、今回の事件でこのことを指摘しておきたい。

203 B 兵であるとしても、とうてい大目に見逃し難い程度の違反行為をする以上、巡査がそれを咎めるのは当然で、ことに交通規則違反のように、一人の違反行為が直ちに多数の生命身体の安全にまで影響を及ぼすような事柄にあっては、誰彼の区別をつけて取り締まりに手加減を加えることは望ましくない。今度の事件で巡査が兵の行為を制止したのは当然であり、またその制止に関連してなされた強力的手段も、必要止むを得ない程度を超えない限り、適法と見るべきである。これに反して、もしも巡査の行為がその許されるべき程度を超えるならば、刑法第95条「裁判検察警察の職務を行い、またはこれを補助する者、その職務を行うに当たり、刑事被告人その他の者に対し、暴行または陵辱の行為をなしたる」ものとして罰せられるのが当然であり、それも相手が兵であるか否かで区別する理由はない。ただ、巡査が実際に行った行為が、この規定に違反し、処罰に値するかどうかが問題になるだけだ。

204 A 軍は正規の軍装をした兵が白昼公衆の面前で警官のために陵辱されたとあっては、法律上の理屈はともかくとして軍の威信上軽々に看過することはできないのかな。

B それは尤もだ。軍当局から厳重な抗議が出されることはおかしいと思わない。警察はその抗議を率直に認めるべきだった。

A 警察が謝罪すべきだったのか。

B そうだ。しかし、警察にも言い分があるに違いない。警察は軍当局の抗議の仕方が気に入らない。

A 法律問題は別として、交渉の局に当たった当事者に落ち度があるということになるな。

B そう思う。両者にある程度の落ち度はあったのだから、互いにその点について遺憾の意を表し合い、将来の戒めとしていれば簡単に問題は解決していたことだろう。それを両者が細かい点にまでこだわり、軍と警察との対立になったことは遺憾だ。勝ちさえすれば後はどうなっても構わないという態度で争うべきではなく、一日も速やかに平和な関係を回復することを念として事を処理すべきだ。後に悪い感情を残すようでは何にもならない。

A 新聞が伝えるところでは、軍が告訴をすると、警察の方では交通違反をした兵の前科を探しだしたとのことだが、こういう抹消的問題に走って争われては困るな。

B 実際困る。一日も早く大臣なり上の方で問題を取り上げ、平和的に将来を考えて事を処理すべきだ。裁判では解決せず、事態は悪化するばかりだ。同じく大事な国家の機関である軍と警察との間にそうした事態が永く続くことは国家のため非常に悲しむべきことだ。

 

 

1933年、昭和8年9月号

 

以上 2020829()

 

ウイキペディア

 

末広厳太郎 1888.11.30—1951.9.11

 

東大卒の法学者。民法、労働法、法社会学。

大審院判事の長男。1912年、東京帝国大学法科大学独法科を優等で卒業。同大大学院へ進学。1914年、東京帝国大学法科大学助教授。1917年、民法研究のためシカゴへ留学。1921年、東京帝国大学法学部教授。1942年から1945年3月まで東京帝大法学部長。

アメリカで学んだ社会学の影響を受け、ドイツ民法学のような概念と論理の法学ではなく、判例を重視した。穂積重遠と共に民法判例研究会を設立した。

また日本独自の法の現実を知るために、日本古来の農村の慣習を調べ、法社会学を提起した。

1946年3月、東大を辞職。戦後GHQにより教職追放を受けた。GHQの下で労働三法の制定に関与した。1946年東京都地方労働委員会会長、船員中央労働委員会会長。1947年、三宅正太郎のあとを継ぎ、中央労働委員会二代目会長となり、二・一ストの折衝にあたった。

 

以上 2020829()

 

ゴーストップ事件

 

 この事件は満州事変後の大陸での戦争中に起り、軍部が法律を超えて動き、政軍関係(シビリアンコントロール)がきかなくなるきっかけの一つとなった。

 

 1933年6月17日、慰労休日に映画を見に外出した陸軍第4師団歩兵第8連隊の中村政一一等兵22が、市電を目がけて赤信号を無視して交差点を横断した。交通整理中だった大阪府警察部曽根崎警察署交通係の戸田忠夫巡査25は、中村をメガホンで注意し、天六派出所まで連行した。その際中村は、「軍人は憲兵に従うが、警察官の命令に服する義務はない」と抗弁し、派出所内で殴り合いの喧嘩となり、中村は鼓膜損傷全治3週間、戸田は下唇に全治1週間の怪我を負った。

 野次馬が大手前憲兵分隊に通報し、駆けつけた憲兵隊伍長が中村を連れ出した。その2時間後、憲兵隊は「公衆の面前で軍服姿の帝国軍人を侮辱したのは断じて許せぬ」と曽根崎署に抗議した。この後の事情聴取で戸田は「信号無視をし、先に手を出したのは中村だ」と証言し、逆に中村は「信号無視はしていないし、自分から手を出した覚えはない」と述べた。

 

 警察側は穏便に事態の収拾を図ろうとしたが、21日、事件の概要が憲兵司令室陸軍省に伝わり、最終的に昭和天皇に達した。

 

 6月22日、第4師団参謀長井関隆昌大佐が「この事件は一兵卒と一巡査との事件ではなく、皇軍の威信にかかわる重大な問題である」と声明し、警察に謝罪を要求した。これに対して粟屋仙吉大阪府警察部長は「軍隊が陛下の軍隊なら、警察官も陛下の警察官である。陳謝の必要はない」とした。6月24日の第4師団長寺内寿一中将と縣忍大阪府知事の会見も決裂した。

 

 荒木貞夫陸軍大臣は「陸軍の名誉にかけ、大阪府警察部を謝らせる」と息巻き、山本達雄内務大臣と松本学内務省警保局長(現在の警察庁長官)は「謝罪など論外、その兵士こそ逮捕起訴すべき」との意見で一致した。内務省は「官庁の中の官庁」といわれ、強大な権力を誇り、警保局中堅幹部ら内務省官僚は東京帝国大学法学科を上位の成績で卒業した「新官僚」と呼ばれる新たな政治勢力とされるエリートであった。

 7月18日、中村は、戸田を相手取り、刑法第195条(特別公務員暴行陵虐)、同第196条(特別公務員職権濫用等致死傷)、同第204条(傷害罪)、同第206条(名誉毀損罪)で大阪地方裁判所検事局に告訴した。

 

 私服の憲兵や私服の刑事を動員して戸田と中村をそれぞれ尾行し、憲兵隊が戸田の本名が中西であると暴くと、警察は中村が過去に7回の交通違反を犯していることを発表した。大阪の寄席の漫才の題材にもなった。市民は当初警察に批判的だったが、事情が分かるにつれ、軍の横暴を非難するようになった。

 

 高柳署長は過労で入院し、7月28日、腎臓結石で急死した。8月24日、事件の目撃者の高田善兵衛が事情聴取に耐え切れず、国鉄吹田操車場で自殺した。(拷問か)

 

 大阪地方裁判所検事局の和田良平検事正は「兵士が私用で出た場合には交通法規を守るべきである」としながらも、起訴すればどちらが負けても国家の威信が傷つくと仲裁を勧めた。

 事態を憂慮した昭和天皇の特命により、寺内中将の友人の白根竹介兵庫県知事が調停した。天皇が心配していると知った陸軍は恐懼し、11月18日、井関参謀長と粟屋大阪府警察部長が共同声明を発表し、11月20日、戸田と中村が、和田良平検事正の官舎で会い、互いに詫び、握手して幕を引いた。和解の内容は公表されていないが、警察側が譲歩したというのが定説となっている。

 

 陸海軍軍法会議法によれば、一般警察官が、現役軍人の犯罪行為を告発する義務があり(296条)、司法警察官が調書を作成することができた(299条)が、明治以来、軍兵の犯罪は勤務時・非番時を問わず、本来は憲兵が行うものと解釈されていた。(どうなってんの。慣例優先か)

 

 この事件を契機に現役軍人に対する行政行為は、警察でなく憲兵が行うものと意識され、満州事変後の世情に軍部組織の統帥権国体の問題を「印象付けた。」

 

以上 2020830()

 

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