「満洲国の新学制の精神」 満州国師道大学教授兼建国大学教授 一條林治 1943
感想
筆者は一点しか見ていない。自身の批判的・創造的精神を捨て去り、目標を授ける上司の束縛から抜け出せずにそれに甘んじる。排他的になると、一点しか見えなくなるのかもしれない。満州国の教育方針は天照大神を根幹に据えた仁愛・忠誠の教育であり、それは教育勅語に現れているとするが、これが何度も会議を重ねて得られた結論だというから唖然とする。
日満二国家が生物(生命)的に一体だなどと本気で言っているが、大の大人が「国体明徴」1935の名の下によく恥ずかしげもなくこんなことを言えたものだ。
ネット上では筆者の名前は出て来るが、説明文は見当たらない。
acaddb.com
著者一條林治ID
DA1565183Xによれば、
『教育論』満州国教育史研究会監修 満州国教育史研究会の19人中の一人として一條林治の名前がある。
また『満洲・満州国教育資料集成』の中に、「満蒙に於ける師範教育確立に関する卑見」一條林治とある。
https://kazuo1947.livedoor.blog/ 「blog 小野一雄のルーツ改訂版」によれば、
『敎育機關』[新京法政大學][新京醫科大學]
【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】康德八年、昭和十六年 滿洲年鑑附錄
康德七年九月三十日、昭和15年9月30日現在。但しその後判明せるものは補正す。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445663/4
『敎育機關』 p25-27/73
[新京法政大學] p25/73
學 長 田所耕耘
學長代理 筒井雪郎
敎 授 一條林治
同 中西仁三
同 矢野續藏
同 柚木 馨
同 玉井 茂
同 高橋貞三
同 村 敎三
同 松木太郎
同 田畑志良
學 監 神宮司 操
事務官 丸山常吉
助敎授 岩崎二郎
同 康 成九
同 中島太郎
同 岩井萬龜
同 谷口嘉六
同 根箭重男
同 泉 政吉
同 陳 國柱
同 黄 演准
[新京醫科大學] p25/73
學 長 山口淸治
敎授學生科長 岡崎一武
同 敎務科長 伊藤亮一
事務官庶務科長 森田悌三
敎 授 橋本元文
同 瀧津久次郎
同 山本義男
同 橋本多計治
同 郭 松根
同 江上義男
同 耿 熙麟
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445663/25
昭和十五年十二月一日印刷、昭和十五年十二月五日發行
昭和十六年 康德八年 滿洲年鑑〔附錄〕
編輯人 福富八郎
大連市東公園町三十一番地
發行人 白井由藏
大連市東公園町三十一番地
印刷人 鍋田覺治
大連市東公園町三十一番地
印刷所 滿洲日日新聞社印刷所
大連市東公園町三十一番地
發行所 滿洲日日新聞社大連支店
大連市東公園町三十一番地
發賣所 滿洲書籍配給株式會社
新京特別市西七馬路一四
發賣所 滿洲日日新聞社
奉天市大和區協和街四段
發賣所 大連日日新聞社
大連市東公園町三十一番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445663/70
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「◆満州・蒙古・中華民国・ソ連」カテゴリの最新記事
[文化と經濟]<雜誌>【満洲新聞雑誌総覧:昭和2年】[完]
[天下乃公論]<雜誌>【満洲新聞雑誌総覧:昭和2年】
[滿洲經濟時報]<雜誌>【満洲新聞雑誌総覧:昭和2年】
[滿蒙]<雜誌>【満洲新聞雑誌総覧:昭和2年】
[社會研究]<雜誌>【満洲新聞雑誌総覧:昭和2年】
「【満洲職員録.康徳8年度(昭和16年)】」カテゴリの最新記事
華北電業株式會社~株式會社興中公司〔完〕《北支經濟開發機關》【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】
華北電信電話株式會社〔2/2〕(北京西長安街三號)《北支經濟開發機關》【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】
華北電信電話株式會社〔1/2〕(北京西長安街三號)《北支經濟開發機關》【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】
華北交通株式會社〔3/3〕(北京東長安街)《北支經濟開發機關》【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】
華北交通株式會社〔2/3〕(北京東長安街)《北支經濟開發機關》【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】
要旨
278 要項
一、新学制の意義
新学制とは康徳4年(元年は1934年3月1日、この日満州国が帝政になった。)1937年5月2日の勅令によって公布された学校令と、同年10月10日の民生部令(日本の文部省令に相当する)によって公布された学校規程のことを言う。二つとも翌康徳5年1938年1月1日から実施され、現在に至る。
二、新学制制定の経過
1新学制の発端は既に建国前にあり、2建国直後の応急措置、3旧学制に対する態度、4新学制制定の工作(中央・地方の活動、高等師範学校規程、新学制草案、研究会、審議等)
三、新学制の精神
1国家経営要項(道義の確立、日満両国の生命的一体、民業の確立、民族協和、万邦協和)(建国宣言、執政宣言、日満議定書、組織法、即位詔書、囘鑾(かいらん*)訓民詔書)2教育の重点(建国精神の徹底、実業教育の尊重、労作訓練の尊重)3学校教育要項(十三項目)4学制立案上の要点(十一項目)5特異点(学校体系、初等教育、中等教育、高等教育、研究機関、学科目、設備、教師等)6実施上の諸注意(教科書、教育費、学校学級経営法、教育拡充策、成績考査及び上級学校入学選抜法等)
*囘鑾(かいらん)とは天子が行幸先から宮城に帰ること。あるいは巡行。
四、新学制施行の成績
1実行した点(建国精神の徹底、実業教育及び日語教育の普及、訓練の徹底と国民的自覚)2実行上の難点(設備及び経費の不十分、教師の不足、中等教育と高等教育との連絡不十分、日本国教育との連絡不十分)3協力を要すべき点(教師の養成・訓練及び待遇改善、国家の官吏登庸上の注意)4有望性(国民の淳朴・従順・忍耐・勤勉性、広大な沃野、街村の教化的育成の有望性)
五、結論
1満州国の建設と街村の教化的育成と教育者の活動、2文教部の復活(文教尊重及び国民訓練強化の具現化)3教師の改善充実(養成、錬成、待遇改善)4親邦日本国に俟つべきもの(在満日本人の指導的模範的行動、日系教師の自覚と献身的努力)
本文
279 前掲の三、新学制の精神について述べる。
新学制とは、康徳4年1937年5月2日の勅令によって公布された学校令と、同年10月10日に民生部令(日本の文部省令に相当)によって公布された学校規程のことであり、現在もそれが実施されている。新学制の発端はすでに建国前にあり、満州国での施設経営や今後採るべき方策は既に建国前に確定されていた。それは遠くはヨーロッパの文芸復興に遡り、近くは青島還付以後の排日侮日の蒋介石政府のやり方を見れば自明だ。(意味不明)日本が生きるために、東亜が生きるためには、満州国の独立が不可欠である。満州国が独立した以上、おたがい命をかけてその成長・発達を図らなければならない。
280 我々は大同*元年1932年11月から新学制の起草に取り掛かったが、それを勅令で公布するまでに5年と500余回の会合を要した。*大同1932年―1934年
「国家経営要項」は建国宣言、執政宣言、日満議定書、皇帝即位詔書、国家組織法等に基づき、私がそれを5項目にまとめ、これに基いて教育の目的・方法を決定した。その5項目は前掲の通り、道義の確立、日満両国の生命的一体、民業の確立、民族協和、万邦協和である。以下それぞれ説明する。
281 第一「道義の確立」 満州国にも昔から道義があり、智仁勇、仁義礼智、五輪五常など、口には唱えられてきた。殊に建国後、王道主義を実行し、王道楽土を築くと盛んに唱えられたが、その王道とは何かについて一定の見解がなかった。そこで(満州国)「建国の必然性」にもどり、満州国は日本国を本源に建設された生命一体の国家であるから、あくまで日本国を本源とし模型としてその大本を立てるべきだと考えた。日本国は天照大神の宏大無辺な御仁愛と、その御仁愛に感激する国民の忠誠とによってできた国家であるから、満州国もこの仁愛・忠誠によって君民一体、億兆一心の天壌無窮の国家をつくることを根本道義としなければならない。これに基づく人倫の大道は日本の教育勅語に明示されている。満州国の王道主義もこの根本精神に基づいて教育制度の精神を確立すると決めた。その後畏くも皇帝陛下は康徳2年1935年5月2日に囘鑾(かいらん*)訓民詔書を御渙発し「仁愛を政本とし忠孝を教本として天壌無窮の国家を建設した日本帝国を範とし、永久に(日本に)依頼し、渝(かわ)らない。」「朕日本天皇陛下と精神一体の如し」とし、国家統治の大権を行う根本精神が日本天皇陛下の精神に基づく旨を明示した。これによって満州国の根本道義が確立した。
282 さらにありがたいことに、康徳7年1940年一昨年7月15日に、満州国皇帝は国本奠定(てんてい)詔書を渙発して建国神廟を建て、天照大神を満州国の元神として祀り、「惟神(かんながら)の大道に随って、神人合一の国家を建設する」という旨を示した。この皇帝陛下の天業翼賛の精神を奉じて忠誠を尽くすことは満州国の国本*であり、根本道義である。このことにより新学制はさらに不抜の根柢を与えられた。*「国本」とは国家の基本。国基。
第二項「日満一体」
「一体」とは生命一体の関係にある国家という意味である。(恐ろしい)満州国を日本の属国にするとか植民地にするとかいう意味ではない。(うそ)両国は根本道義でまったく一致し、政治、産業、経済、交通、文化、教育、国防、外交などに於いて全く一体不可分の関係にあるべきである。(それを占領とか植民地化とかいうのではないのか)その後の即位の詔書や昨年1941年12月8日の詔勅、本年1942年3月1日の建国十周年詔書でも、「死生存亡すべて日本国と生命一体たるべき」旨を仰せ出され、日満一体の本義を確立した。
第三項 「民業の確立」
第一項の道義の確立が満洲国家の「精神的本質」の確立であるとすれば、これは肉体的・物質的方面の確立である。つまり国民の生活活動、ことに産業・経済の活動は、どんなに地方化・分業化されても、「国家の生存と発達」、つまり国家の根本道義の顕現という目標の下に組織・統一されなければならない。資本家や労働者が勝手にやり、国民生活に確固とした国家的組織統制がなければ、「健全な国家」の発達はできない。ただ働き汗を流すというだけでなく、それが国家の根本道義に基いて組織統一されなければならない。これは街村の教化的育成によって初めて実現される。(強権的)その成否は「建国偉業」の達成と緊密に関係する。国民教育経営の根本もここにある。
283 第四項 「民族協和」
満州国は複合民族の国家であり、億兆一心、君民一体を理想とする国家であるから、民族協和が不動の原理である。しかし血液、伝統、文化、言語、風俗、慣習、信仰などを異にする民族が一体になることは簡単でない。どんな民族協和が、どうして実現するか。これは「机上の空論」では解決できない。私はその当時民族協和を指導者中心の生活組織体であると解釈した。協和は国民生活の組織統一である。(「協和」の名に反する威圧的な協和)組織統一には中心があり、民族協和はその中心に特定の民族だけがなるのではなく、凡ての民族がその中心になることができる。しかしそれには条件があり、中心者としての資格がある。その資格は少なくとも熱烈旺盛な建国精神の体得者・実践者であり、これは不可欠の条件である。建国の「必然性」、建国の理想などから見ると、各民族中で少なくとも日本人は、この資格なしに満州国に行く必要はない。日本人たるものが苟も満洲に行くならば、この中心者となり得る資格を持って行くべきである。(なぜ日本人だけに言及するのか)
284 第五項「万邦協和」
これは「世界平和」(対米戦争をしていながらどうして平和などと言うのか不可解。)の確立、「全人類の」福祉の増進に貢献すべきであるということである。その実現のための第一条件は「東亜共栄圏の確立」であり、その中軸は日満華(汪兆銘の南京傀儡政権)三国の協力一体である。それは日満両国の生命一体を根源とする。日満両国の生命一体を実現しないで、万邦協和は期待できない。逆に万邦協和を目標としない日満両国の活動は両国の根本方策に反する。
以上5項目が満州国経営上の根本方策であるから、我々はこれに基いて満州国の教育について考えた。
私は教育における重点として二点を挙げた。一は教育の目的である。建国精神の徹底と実業教育の尊重とにより、熱烈旺盛な建国精神を堅持し、至誠を以て職域で精励し、君国のために己を捧げる人間を養成することが教育の目的である。換言すれば、人文的陶冶と実科的陶冶とを渾然として融合させ、人格の全一的陶冶を期する。実業教育は単なる職業教育ではなく、また建国精神の徹底は単に道徳理念の啓培で終わらない。それが国民の「血」となり「肉」となり(どういう意味か)堅実に職場に「脚をしっかり踏みしめて」旺盛熱烈な国家奉仕の精神を以て、惟神の道(行動が神のもの、そんなことはあり得るのか)の実践に努め、神人合一の境地に(生徒を)入らせる(教師はそれではすでに神か)教育が目標とすべき教育である。
二は教育の方法である。それは労作訓練の尊重である。労作訓練とは広義には体験教育、狭義には「行」の教育であり、理想的陶冶を目標とする「霊肉一致」の活動である。それは外形的には観察、実験、実習、実行を重視し、内面的には、常に希望と感謝と喜悦に満たされつつ勇往邁進する不退転の活動心である。(意味不明)体験的、行的、実践的、修練的教育によって、満州国から恨み、悶え、苦しみ、嫉妬、偽り、我が儘、我利など、苟も民族の融合や国家の発達を阻害するものを全部取り除き、明朗闊達に常に希望と感謝と喜悦に満たされながら勇往邁進する国民性を錬成する。(観念的。恐ろしい)
285 以上が私どもの新学制制度の基礎となる教育の重点である。従来の口と耳による教育を改善し、体験教育、「行」の教育に変え、学校という特殊社会に籠城することを止め、実社会・実生活と「手を握る」教育に変える。暗誦的・形式的教育を、創造の教育・発明発見の教育へ変え、独善主義・利己主義・自由主義教育を協和主義的・国家主義的教育に変える。遊戯的・模型的教育を、実際的「大自然的」教育に導き、試験や筆答によって競争させる教育を、陶冶の過程を尊重する教育に変え、断片的・部分的偏知教育を、「生命躍動」の教育に変え、命令的・強制的教育を、自発的・良心的教育に変え(前言の威圧的な民族協和と矛盾)、外形的・仮定的教育を、信仰的・情操的教育に導くなど、私どもは従来の教育に一大方向転換を命じようとした。行の教育、汗の教育、実行の教育によって国民の性格と生活を改善し、新国家を担うことのできる知識、技能、識見、信念、品格、熱誠などをもつ忠良な国民を養成しようとし、その確信の下に学校教育の要項や学制立案上の条項を定め、新学制を出現させた。(空念仏)
新学制の学科目や学校設備、学校体系などに関して実例を挙げて話すべきところだが、また学制公布から5年間の実績に鑑みて、その可能性や修正の必要についても話すべきところだが、時間の関係上述べられない。各位の研究に任せる。
286 最後に一言お願いしたいことがある。日本人が満洲へ行く際の気構え、心構えについてである。満洲ばかりでなくどこに行くにしても、大手を広げて闊歩できる「本当の日本人」であってほしい。(非国民は満洲に来るな。)私は数年前に教師採用のために九州から関東方面で希望者の試験をしたが、日本精神の理会と信念に関して甚だ物足りなさを感じ、これでは異民族である満洲人を徳化・訓化し、「我こそは天照大神の愛する子供である、御民われ生きるしるしあり」という貴い精神を持って大東亜建設に邁進する満洲人の養成ができるのかと疑った。日本人よ、真の日本精神に還れ、その上でどしどし大陸に進出し、全世界を立派に道義の国家に造り変えようではないか。私はこう自問し、責任を感じながら満洲に帰った。満洲の子は学校では貧弱でも、純朴で忍耐強く勤労愛好の精神と強健な身体を持って立派な国家をつくる希望に燃えている。吾々は日本の朝野、特に教育家の援助を得て、満州国の元祖で至仁至愛広大無辺な天照大神の尊いお姿を彼ら幼少年の純真な心底に植え付けて真の道義国家をつくり、世界改造の拠点としたい。
以上
0 件のコメント:
コメントを投稿