「大東亜新秩序建設と日本語教授施設に関する一私案」 伊藤猷典 1943
感想
この人からも神がかり的な印象を受けなかった。日本語を外国語とする人にどう日本語を教えたらよいのかということについて統計も示しながら論理展開する。
しかし大日本帝国による大東亜共栄圏の建設を大前提とし、その目的のために大東亜での日本語教育を如何に効果的にすべきかを提案する。
筆者の国際感覚は対等な多民族関係ではなく日本中心主義であり、他民族に対する優越感や他民族を蔑視する態度が散見される。
筆者についてWikiには載っていないが、Web上でいくつかのサイトが見つかる。
国会図書館によれば、伊藤猷典、イトウ, ユウテン, 1889-1970
Webcat Plusによれば、
タイトル 著作者等 出版元 刊行年月
碧巌集定本 : 雪竇重顕頌古圜悟克勤評唱 克勤 著 ; 伊藤猷典 校定 理想社 1963
宗教々育概説資料 伊藤猷典 著 愛知学院大学出版部 1958
教育史概説 伊藤猷典 著 愛知学院大学出版部 1957
教育学方法論史 伊藤猷典 著 愛知学院大学出版部 1956
曹洞聖訓 伊藤猷典 編 愛知学院大学出版部 1956
教育原理 伊藤猷典 著 愛知学院大学出版部 1956
論理学概説 伊藤猷典 編 愛知学院大学出版部 1956
修証義の基本精神 伊藤猷典 著 愛知学院大学出版部 1955
鮮満の興亜教育 伊藤猷典 著 目黒書店 1942
日本の古本屋によれば、
『教育学の対象と方法』伊藤猷典 、教育研究会 、大正15年1926年
『台北帝国大学文政学部 哲学科研究年報 第一輯』昭和9年1934年5月
『教授方法学 現代教育学大系原論篇第15巻』成美堂 、昭和18年1943年
“A NEW APPROACH TO PEDAGOGICS AND ITS KEYSTONE MICHI”台北日日新報社 、昭和12年1937年
京都大学大学院文学研究科図書館によれば、
授与年月日 著 者 論 題
1939/3/4 伊藤 猷典 「教育學の方法についての一考察」(旧制/文/3)
京大文学部教育学専攻出身なのかもしれない。
教育や宗教(仏教)に関わったようだ。
要旨
一 序説
288 大東亜新秩序の中での大日本帝国の地位は、他の諸国・諸地域と並立の関係ではなく、その中枢となり、指導者となりつつ新秩序を建設する。従って教育制度も他の諸国・諸地域の制度は漸次我が国の制度に準ずることになるべく、殊に日本語の学習や日本精神の体得について熱烈な(国家権力からの)希望がある。
日本語や日本精神の普及についてどんな設備をすることが最も効果的なのだろうか。
日本語を普及することは日本精神普及の前提として不可欠な条件である。
二 満州事変発生より大東亜戦争開始以前になされたる施設
289 所謂九・一八事件以後大東亜戦開始前までにどんな設備がなされたのか。一昨年1940年2、3月の頃、私は実際に見学したのだが、武漢では武漢特別市暫行小学校規定により、日本語教授は小学校初級(修業年限4年)にはなく、高級(修業年限2年)で毎週2時間あり、北支臨時政府治下の国立北京師範学院付属小学、同女子師範付属小学を始め、その他の小学校では、初級3、4年において、毎週60分ずつ、高級1、2年において毎週90分ずつ課し、維新政府治下の南京市第一模範小学校では、5、6年生に対して毎回30分ずつ、1週6回課し、また蒙古聯合自治政府治下の小学校では、初級1年で4時間、同2年で5時間、3、4年と高級1、2年で各6時間ずつとなっている。次表にまとめると以下の通りである。
第一表 中華民国各地小学校に於ける日本語教授毎週時間数
地域名/学年 |
初級1年 |
初級2年 |
初級3年 |
初級4年 |
高級1年 |
高級2年 |
武漢特別市小学校 |
― |
― |
― |
― |
2 |
2 |
北支に於ける小学校 |
― |
― |
60分 |
60分 |
90分 |
90分 |
南京模範小学校 |
― |
― |
― |
― |
30分宛6回 |
30分宛6回 |
蒙古聯合自治政府小学校 |
4 |
5 |
6 |
6 |
6 |
6 |
日本と最も関係の深い満州国は「日満一徳一心」の精神に基づくだけあって、日本語は各学校体系を通じて国語の一つとして重視されている。初等教育での時間表は次表の通りである。ただし日本語として特別に教えるのではなく、国民科の総時数を大体折半し、一半を日本語で、他の一半を満語または蒙語で教えており、その日本語による授業の時間数を示した。従って国民科の授業時間数は大体この2倍である。
第二表 満州国初等教育に於ける日本語による国民科の授業毎週時間数
初等学校の種類/学年 |
第一学年 |
|||||
国民学舎及国民義塾 |
10 |
第二学年 |
||||
同 |
8 |
9 |
第三学年 |
|||
同 |
7 |
8 |
9 |
第四学年 |
||
国民学校(修業年限4年) |
6 |
6 |
7 |
8 |
第一学年 |
第二学年 |
国民優級学校(修業年限2年) |
―――――――――――――――――― |
8 |
8 |
290 白系露人のための学校 一昨年1940年9月、私が参観した新京市站後街国民学校では、各学年を通じて日本語の毎週教授時数は6時間であり、ハルピン市公立砲隊街国民学校と同国民優級学校では毎週3時間であった。
291 以上の通り、中支、北支、満州国における先蹤はまちまちである。大東亜戦争開始以来新たに大東亜新秩序の中に編入された諸地域の学校体系での日本語教授はどうすべきかについて述べる前に、次の点を指摘したい。
二、制度確立前に考慮すべき諸要素
い、共栄圏内諸地域の性質的差異
共栄圏の中には独立国と日本の新領土との別がある。また後者の中には大日本帝国の重要な一肢体(かつて当局は台湾を第二の沖縄県とみなし、一視同仁政策を取っている)と、そうではなく植民地とみなされるもの、ないしは現在はそうでなくてもやがて独立を認める地域などの別がある。こういう区別に応じて同化政策をとるか、適地政策をとるかの別が生じ、日本語学習の必要度も濃淡緩急の差がある。
ろ、教授者の立場から見た難点
(い)日本語教師の払底 台湾では来年昭和18年度1943年度から義務教育制度が施行され、その準備として初等教員が大量に養成されているが、当局が望むような学歴や素質の人材が集まりにくいのでお困りのやうに承っています。大東亜共栄圏の地理的中央に位置する台湾でも教員の獲得に悩んでいる。今後南方諸地域では優良な日本語の教員を得ることはかなり骨が折れるだろう。
292 (ろ)原地人が日本語教師になることは容易でないこと 日本語普及のためには日本人が自ら教えなくても、原地人に日本語を学ばせて、それを通じて日本語を普及すればよいという説もあるが、次のような難点がある。
台北市の著名な某学校で台湾人の女教員が授業で「袴を着ます」と言った。またインドのラクナウ中学校長のカリ・ダス・カプル氏は『日本の教育』の中で日本の教育事情を絶賛するが、一点酷評している。それは日本の中学校の英語教育で、教師がろくに英語が話せないことである。それは片田舎の中学校ではなく、東京市内の著名な某中学校だった。
大東亜共栄圏内に日本語を普及するためには、主要な地位には標準日本語を教えられる優良な日本人教師を配置されたいが、費用は嵩むだろうし、数も制限されるだろう。
は、日本語学習者の立場から
293 (い)学習が容易でないこと 日本語を常用しない家庭の子弟を収容する国民学校第一学年の入学後7、8か月経たときの授業で、児童が日本語を上手に話せるので感心する。唱歌の斉唱は上手である。ハルピンの国民学校で金髪碧眼の少女が「紀元二千六百年」の歌や「愛国行進曲」を歌うのを聞いたが、あまりに日本的でびっくりした。しかし、細かく見ると、例えばシの発音は難しいようだ。また漢字も書くことは難しいようだ。北満学院で白系露人が板書する際、「観覧席」の「観」に「覧」を活字と同様に書こうとしてやっかいのようだった。(崩し字で書かないということか)また満人にとっては、同一の漢字が日本と満洲とで発音が異なり、時には意味も異なることがあり難しい。それは満州国協和会の某研究者の言である。
(ろ)日常生活における日本語の必要度 何割の人間が日本語を必要とするのだろうか。日本の領土となって47年を経過した台湾で、日本語の理解者は何割か。10年前の昭和7年4月末現在では全人口の22.7%、7年後の昭和14年4月末では45.59%、昭和15年4月末では51%、そして昨年昭和16年1941年4月末では57%と上昇した。図表にすると以下の通りである。
第三表 台湾に於ける国語解答者進展状況
年度別/解者別 |
公学校 |
同左卒業 |
国語普及 |
同左修了 |
合計 |
台湾人 |
国語解者 |
昭和 7年4月末現在 |
291,067 |
364,386 |
42,381 |
324,537 |
1,022,371 |
4,496,870 |
22.74% |
昭和12年4月末現在 |
458,022 |
551,146 |
263,371 |
661,461 |
1,934,000 |
5,108,914 |
37.86% |
昭和14年4月末現在 |
544,632 |
605,158 |
496,531 |
812,139 |
2,458,460 |
5,392,806 |
45.59% |
昭和15年4月末現在 |
582,615 |
616,394 |
763,263 |
855,631 |
2,817,903 |
5,524,990 |
51.00% |
昭和16年4月末現在 |
691,823 |
736,795 |
735,303 |
1,076,041 |
3,239,962 |
5,682,233 |
57.02% |
昭和16年4月末現在の57%の中には50日から100日間の国語講習会に出席した者も含まれる。真に日常の会話ができる者は全人口の30%ではないかと想像する。この数字は台湾土着の原住民の70%は日本語を知らなくても日常の生活に差支えがないことを示している。これは「帝力何ぞ我に於いて有らんや」という鼓腹(こふく、世の中がよく治まり、食が足りて案楽な様子)の民が、なお70%いることを意味する。
に、東亜共栄圏確立に関し原地人の協力の必要
294 原地の住民を従属的地位にだけ限定しない必要がある。小学校教師、下級官吏、下級技術者を養成するための程度の低い、申し訳程度の教育施設だけでは不十分である。彼らも指導的地位が簡単に得られるように、高等教育を受けられる便宜を与えねばならぬ。
ほ、前記四点から暗示される点
295 制度確立前に考慮すべき点として以上い、ろ、は、にの四点を述べた。この結論から暗示されることは、少数の利用者には日本語学習の徹底的設備をなし、大多数の者には第二次的方法を取るということである。
四、爪哇(ジャワ)における先蹤
凡そ世上に存在するものには合理的根拠があり、教えるところが多いものである。ジャワでオランダ人が行った教育施設についても同様のことが言える。その施設は一面では原住民を搾取するものと非難も起こり得るが、他面では参考にすべき点がある。ジャワではオランダ本国の制度をそのまま移そうとしないで、「異なった必要のためには異なった教育を」「適当な場所に適当な教育施設」をなし、他に類を見ない連鎖学校を設立した。
296 い、適学適所
財政的にも社会的にもあまり発展していない村落に住む児童に、堂々とした校舎を設備し、身分不相応に高い教育を施しても、児童にも村落にも、彼らの社会的秩序・慣習を破壊する恐れがあるし、福祉を齎す所以とならない。未開の児童に不相応に高い教育を施すと、その結果は所期の目的に反して、学問を鼻にかけ、無学の父母・隣人を尊敬せず、村人と親和せず、素朴な彼らの社会を嫌悪し、徒に都会に憧れ、都会に走るおそれがあるため、(オランダ人は)その土地、その住民に必要以上の教育施設を行わないで、簡易な小学校をたくさん作った。
ろ、本国語学習開始期の確定
原住民の子弟がまだ自らの原地語を十分に語れないときにオランダ語の学習を開始することがしばしば問題を惹起し勝ちであったため、1930年、蘭土学校(原地上流子弟が学ぶ国民学校)の下級の3年間はオランダ語でなく、全部原地語で教授することが教育学的見地から妥当だと決定され、(現在も*)実施されている。小学校で外国語を課すことの可否に関して、中華民国臨時政府もこれに類似したことを、民国27年1938年3月8日の第一次会議で決定した学制研究会建議案の中で述べている。ジャワの蘭土学校の下級の3年間でオランダ語を教授しないことは次の連鎖学校と関係がある。
*日本による蘭印占領は1942.1.11—3.9であり、本論文が発表された時期は1942年の夏8/6—8だから、本論文を書く頃にはすでに日本がインドネシア蘭印を占領していたと推測できる。p.297の記述「ジャワ以外の地でこの制度が施かれたことを聞かない」は、本論文執筆時にはすでに日本が蘭印を占領していたことをほのめかしている。
は、連鎖学校Schakel or Liaison school
連鎖学校は第二級国民学校(修業年限は蘭土学校と同じだが、オランダ語を履修しないため、上級学校に進めない)や村落の庶民学校(修業年限3年)での最初の3年を終了し、将来有望で余裕のある児童のために設けられた学校である。ここでオランダ語を学び、一般普通智識を修得した上で、ヨーロッパ式の上級学校に進学できる。
297 この連鎖学校の開設によって、村落の平凡な庶民学校に入学しても優秀な児童は上級学校への連絡路を見出すことができ、最高教育施設である大学へも進学できる可能性が保証され、今までこの道を閉ざされていた原住民子弟の幸福は絶大なものがあった。地方原住民はこの学校の考案が天才的魔術的妙味あるものと評している。東亜共栄圏の各地で、大日本帝国の一肢体とみなされる重要地点は別だが、その他の地域では、一々の小学校で日本語を課さなくても、この連鎖学校の制度を採用すれば、間に合うと思うのだが、ジャワ以外の地でこの制度が施かれたことを聞かない。
五、東亜共栄圏内に於ける初等教育制度の大綱
結論として、東亜共栄圏の中に日本語学習に考慮して次の5種類の機関を併置すべきでないか。
一、皇国民小学校 昭南港(シンガポール)その他日本人が多数居住する地に、日本人子弟のために設け、教科内容は内地国民学校に準ずる。
一、東亜民族小学校 日本領土の一肢体として重要な地域や、植民地内での重要な都市に、東亜共栄圏確立に直接協力するはずの原地人子弟のために設ける。日本語その他の教科内容は、台湾公立国民学校規則第二号表による。
298 一、原地民族小学校 やがて独立を許されると思われる地域や植民地などに設置し、教科内容は東亜共栄圏確立の趣旨に反しない範囲で、原地人の採択に任せる。程度は前二者に準じる。
一、原地民族小学塾 民度が低く、世の潮流と直接交渉のない地に設け、原地人の子弟を教育する。修業年限は1年から3年。この種の学校はたくさん設けた方が良い。
一、東亜民族小学塾 先述の連鎖学校に倣い、原地民族小学校や小学塾の第三学年終了者を収容して日本語を教授し、日本式上級学校への道を開く。日本語普及に関する人物と経費を最小限にとどめながらしかも原地人の中の英才を集め、原地人の向上心を満足させることを主目的とする。別名は登竜門小学校である。
前記5種の学校と各学年での日本語教授時数と進学路を併記すると次の通りである。
第四表 東亜共栄圏内に於ける初等教育機関の種類と日本語教授時間数
学校の種類/学年 |
第一学年 |
第二学年 |
第三学年 |
第四学年 |
第五学年 |
第六学年 |
皇国民小学校 |
日本文部省制定国民学校令施行規則による |
|||||
東亜民族小学校 |
13 |
15 |
14 |
13 |
13 |
13 |
原地民族小学校 |
ー |
ー |
ー |
ー |
ー |
ー |
原地民族小学塾 |
ー |
ー |
ー |
|||
東亜民族小学塾 |
6時間以上 |
同左 |
同左 |
註 第一、東亜民族小学校については国民科の時間総数を示した。
第二、原地民族小学校に於いては日本語は随意とする。
第三、原地民族小学校第三学年と原地民族小学塾第三学年の終了者が東亜民族小学塾の第四学年に進学できる。
以上
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