「満洲国に於ける日本人教育に就いて」満洲国建国大学助教授 西元宗助 1943
感想
西元宗助には当時の多くの人々に見られるような気負いがあまり見られない。それどころか教育福祉(養護)の充実を提言し、養護をおろそかにした鍛錬・錬成を警告し、これは日本教育全般の通弊であると言っている。これは当時にあっては勇気ある独創的な発言だったのではないか。
また日本人が周辺のアジア諸民族と親和することに熱意が乏しく、さらにはアジア諸民族に対して民族的偏狭な優越感を以て臨むとすれば、大東亜共栄圏の建設の上で弊害になると指摘している。
ネットで検索してみると、Wikiは扱っていないが、h-kishi.sakura.ne.jpが「『子に語るもの』京都府立大学名誉教授 西元宗助(にしもとそうすけ) ききて 飯田忠義」と題して、平成元年1989年2月12日に、NHK教育テレビの「こころの時代」で放映された原稿を掲載している。その中で西元宗助は、3年間のソ連抑留から帰国する船中で、今後日本で民主化すべきものとして、社会教育としての部落問題を挙げ、これからそれに関わっていく決意を述べている。西元宗助は仏教者である。
西元宗助が戦後部落解放に尽力しようと決意した背景には、本研究会で発表した鹿児島出身で京大法学部出の伊東茂光061の影響があるのかもしれない。西元宗助も京大(哲学科)出で鹿児島出身である。
https://pub.hozokan.co.jp>author(法蔵館)によれば、西元宗助は1909年、鹿児島市出身で、1932年、京都大学文学部哲学科(教育学)を卒業し、京都府立大学名誉教授で、昭和35年1960年にペスタロッチ賞を受賞し、1990年12月13日に没したとある。
またsaganet.ne.jpの「第1406回『迷える者は道を問わず』令和2年2020年1月9日~」によれば、西元宗助1909-1992とあるから、本論文を発表した時1942年は33歳だったことが分かる。ただし没年は法蔵館資料の2年後となっている。
要旨
240 要項
日本を盟主とする大東亜共栄圏の主要な一環をなす我が満州国は、満州事変を緒縁として日本の仗義(じょうぎ、正義)によって新しく建国された民族協和の新国家である。その国性は康徳2年(昭和10年1935年)の訪日宣詔によって、更に康徳7年(昭和15年1940年)の国本奠定詔書によって明確にされたように、天照大神を国祖神として仰ぎ、日本を親邦(友邦と言うのは妥当でない)とする一徳一心の一帝国である。そして在満日本人は日本臣民であるとともに、中核的な満州国国民でなければならない。私はこの立場から満洲建国十周年に当たり、満州国に於ける日本人教育の諸問題を概観し、検討し、反省したい。
「鮮系」日本人教育についても当然論究すべきだが、本論では日本内地人教育に問題を限定する。満州国における日本人教育の如何は、実に満州国の国造(くにつくり)の成否にかかわり、直ちに大東亜共栄圏の建設と、その圏内における日本人教育の問題に連繋する。
満洲での教育は教育行政上二系統に分かれ、一は満州国の主として民生部管轄下の教育であり、他は日本側の関東局在満教務部管轄下の日本内地人教育である。(鮮系日本人教育は一部を除き、満洲国民生部の管轄下にある)
241 日本内地人教育は、その重要性と満州国の現状に鑑み、昭和12年1937年12月の治外法権撤廃と付属地行政権の移譲とに関わらず、軍事及び神社行政と共に、特に日本側に留保された。(日本による治外法権が維持されたということか)そのため在満日本人教育と称する場合、普通この在満教務部管轄下の日本人教育を意味するが、本論では所謂在満日本人教育に限定せず、国策上(特に教育国策上からも)最も重視すべき、そして最も検討を要する満洲開拓青年義勇隊の教育(これも在満青年学校としては在満教務部の管轄下にある)と、満州国経営の諸学校における日本人教育(これは民族共学である点で注目に値する)についても述べる。以下の所論を次の四項に分ける。
一、都市における日本人子弟教育
二、開拓地教育――特に寄宿舎教育
三、満洲開拓青年義勇隊(日本(内地)では満蒙開拓青少年義勇軍)の教育
四、満州国諸学校における日本人教育――民族共学
本文
241 第一、満州国における日本人子弟の大部分を占めている、主として満鉄沿線都市における日本人子弟教育について述べる。これらの都市における日本人子弟の教育上の問題点は、満鉄沿線都市のもつ、建国以前からの伝統的な植民地的性格に基く植民地的気風である。一般に在満邦人子弟は、意志が弱く、堅忍持久の精神が乏しく、落ち着きがなく、礼儀作法に無頓着で、経済観念が薄く、ものの取り扱いが粗雑で、感情が豊かでなく、日本的な生活感情が稀薄になりつつあると言われている。その反面在満邦人子弟は、開放的で、線が太く、明朗であるという長所も認められている。(註一)
第二、満洲はシベリア的亜寒帯地方に属し、半年間の厳しい冬が原因の健康上の問題がある。在満日本人子弟の体格上の特質は、最近の在満教務部の身体統計(註二)によると、日本内地に比べて体型が狭長型で、俗に「もやし型」であり、近視や齲歯(うし、虫歯)が多い。そして疾病率特に結核感染率が高い。
第三、在満日本人の家庭には歴史的伝統がなく、舅姑がいない若夫婦によって構成され、また極端な住宅難で、家庭教育が困難である。六畳や四畳半の一間に家族四人ないし五人が住んでいるような場合もある。
243 また初等中等教員の不足、児童生徒の転校移動が激しいことに起因する問題もある。
開拓地における教育問題 開拓地は目下建設の途上であり、冬季や雨季での通学の困難、教師児童が生活を共にし、生活を教育し、共同的勤労的精神を培うための寄宿舎教育を行っている。
満洲開拓青年義勇隊 これは日本内地では満蒙開拓青少年義勇軍と言われている。この義勇隊は大きな国家的使命を負託され、この義勇隊の中から将来満州国や大東亜を背負って立つべき俊傑の士が出ることを私たちはひそかに期待している。しかし現実の義勇隊はその理想と使命に関して楽観できない。義勇隊の意義は、ただ国防上・軍事上の立場からと、農政的な開拓移民の立場からだけで考慮されがちで、国家教育の立場からは従来あまり考慮されなかった。これは根本的で致命的な問題である。国策推進のためにも検討・反省を加えるべきである。
244 その問題点は第一に、保健衛生上の問題である。入隊時に厳重な身体検査が行われているはずだが、身体を害うものが相当いる。統計(註三)的裏付けもある。毎年相当数の疾病者特に結核性患者を出している。その原因は衣食住の不完全・不十分なことである。
第二は、精神上の問題である。義勇隊青年の特徴は逞しさである。自己の生命をなんとも思わない本能的な逞しさであるが、これは善悪両面に現れる。善い面は、どんな困苦欠乏にも耐え、国のため、人のために即座に生命を投げ出す捨て身の行動となって現実を処理する勇猛果断な実行力である。日本海でソ連の機雷に触れた気比丸が沈んだとき、偶々乗り込んでいた義勇隊の青年たちは、女子供を真っ先に助け、最後に自分達は従容として船と運命を共にした。しかし他面その逞しさは理性を欠いた妄道となり、暴力になり、他人の生命をも無視するきらいがある。またその行動が集団的になるため警戒を要する。
現在の青年義勇隊の一部は種々の問題を醸しつつあるが、その詳細は述べない。以下その原因を述べるが、それは義勇隊内部の心ある方々の意見である。
245 その根本原因は彼らが親元から離れていることである。入隊年齢は普通16歳と言われているが、実際は昨年1941年あたりから14歳くらいの者もいる。広漠とした満洲の昿野(何もない野原)に来て、中隊長を中心にして同一年齢層の青少年たちが老若男女のいない単一な集団社会を形成しているところに根本の困難がある。青少年たちは一定の期間だけ在満するのではなく、生涯親兄弟を離れて生活し、満洲の土になるのである。私たち満洲に来ている者は、口先だけは満洲に骨を埋めるなどと言うが、大概の官吏は数年のうちに内地に戻る。在満部隊も平時では3、4年すると内地に戻る。ここに青少年たちの世にもまれな類ない覚悟のほどが生じ、逞しい品性も陶冶されるのだが、他面何と言っても未だ年のゆかない、志操の固まらない年頃であるから、非常な無理が生ずる危険がある。その他に衣食住の問題や教職員幹部の問題、その他の教育的施設の問題などがある。
次は満州国側の諸大学における日本人子弟教育の問題である。満州国経営の大学は民族共学を建前とし、特に建国大学等では、民族共塾を実施している。これらの大学に3550名余の日本内地人学生が在学している。問題点の第一は、満洲建国の理想である民族協和が「容易ならぬ」問題であるということである。その原因は学校内部だけにあるのではなく、学校の外部つまり満州国の現状にある。今その説明は差し控える。ただし優秀な日系学生が在籍する学校では、民族協和が比較的良好に行われている。
第二、民族共学であるから、日系学生は修学上や訓練上で「足踏み」を余儀なくされ、学力その他を低下させる恐れがある。しかしその反面、将来国家の中堅となる各民族青年学徒を、異民族学生と生活を共にさせて内面的に深く接触させることは、大東亜の建設上有意義であり、この接触が特別に良い「風格」を日本人学生に齎しつつある。
これに関連して、日本内地から来た学生の中には、狭い島国根性的な民族的偏見を持つ者がいるが、このような学生は優秀な異民族学生と絶えず接触することによって「大乗的」な広い豊かな心を持つようになり、特に大亜細亜的識見を持つようになる。その反対に国家に対する自覚が薄弱な近代的思想を抱いていた学生は、異民族学生と接することによって、堅固な日本的自覚を持つようになる。
満州国における日本人教育の問題は、以上の外に大同学院をはじめとする70余の政府職員養成機関と、満鉄をはじめとする特殊会社・準特殊会社における社員や技術員養成所(100余)における日本人教育の問題があるが、ここでは省略する。
247 以上が満州国での日本人教育における主な問題点であるが、最後に満州国「固成」からの問題点がある。
それは満州国における日本人教育では民族協和に対する関心やそれへの努力がまだ乏しいことである。その主な原因は、昭和12年1937年の治外法権撤廃の際に教育行政権を日本側に留保したことに基き、日本内地人子弟の教育行政機関である教務部が満州国内に設置されたため、在満日本人子弟の教育と満州国の教育とが、形式上はともかく、実質的に無関係であることである。それはともかく、満州国建国の理想である民族協和――協和という言葉よりも親和という言葉を使いたい――の立場から、中核分子としての日本人自身が民族協和に対して熱意が乏しいことは遺憾だ。
このことは私どものように各民族子弟とともにいつも接触している者が特に痛感するところである。来るべき大東亜を背負って立つべき日本人子弟が徒に偏狭な民族的優越感を以て他に望み、アジア諸民族と相親和する心を万一欠くならば、憂うべきことである。(この時代にこういうことを言える人は珍しいのではないか。)
以上が満州国における日本人教育の諸問題であるが、次にその対策を述べる。
第一、保健衛生上の施設をできるだけ完備し、一層養護に留意することである。これは特に開拓地教育や義勇隊教育では刻下の急務である。
248 これに関連して教育における鍛錬と養護の関係で、今日の情勢を省みて、深く反省する必要がある。鍛錬は肝要であるが、鍛錬が肝要であればあるほど、発達期における少年子弟に対しては、そして特に満洲のような日本内地と著しく風土を異にする所では、養護が必要である。この自明の理が案外閑却され、学校教育と条件や性質が異なる軍隊教育の鍛錬を(学校が)受容しながら、しかも他面では、軍隊教育では養護的施設に留意して養護を徹底していることを反省しない。これは満洲に限らず、現代日本教育全般の通弊である。(よく言った)
第二、情操の陶冶 情操の不十分ということ――何か潤いが欠けていること――このことは私ども在満日本人全体の問題であるが、在満日本人子弟の教育では特に留意しなければならない。今日意志の鍛錬が強調される反面、情操的陶冶が閑却されがちである。感情の陶冶、感情の愛惜を無視した錬成は剛直であり、逞しくはあるが案外に脆く、誘惑に打ち克つことができない人間を作る虞がある。錬成が真に錬成にならないのである。私は鍛練や錬成を真に尊重するからこそ特にこのことを言う。プラトンのノモイ篇の第一巻では、難行苦行のクリュプタイヤ*は外部の苦痛に打ち克つ鍛錬として大いに必要であるが、その反面柔軟な感情の涵養、内なる欲望に打ち克つ消極的鍛錬つまり節制を強調している。
*クリュプティアkrypteia スパルタの若者が奴隷ヘイロタイの住む田園地方に派遣され、反乱を起こしそうな屈強な人物を殺害するという軍事教練。
249 満洲における情操の涵養は困難であるが、その方策について思い付きを述べる。第一、宗教的信仰を無視してはならないこと。第二、日本内地での国民的・家庭的な年中行事を満洲で奨励すること。第三、在満邦人の家庭状態の改善。また義勇隊で今最も必要なことは温かい親の心である。これについては次の教職員の問題とも関連する。青年義勇隊は渡満後第二年度に一度日本内地の親許に帰らせ、家庭的雰囲気に浸らせることが絶対に必要であると私どもは考える。この制度を速やかに確立すべきである。
第三、教職員に対する待遇の改善 特に開拓地教員や義勇隊幹部の負担過重に対する対策を無視してはいけない。「教育は人にあり」と言われるとおり、教育者は教育の根本問題であるのに、教育者が閑却視されている。ソ満国境に近い青年義勇隊や開拓地の教職員は、第一線の将兵に劣らぬ苦労をし、人知れぬ尊い献身的努力をしている。
第四、日満間の絶えざる人的交通が肝要である。それと共に満洲生まれの日本人子弟、特に都市の邦人子弟を一定期間日本内地に戻して日本内地の教育を受けさせる。
以上とは反対に日本内地の学生、特に師範教育系統の学生・生徒に、大陸で一定期間教育を受けさせることは、師範生特有の師範型を打破して気宇を広大にし気力を養う点で望ましい。そして現在の青年義勇隊の内容を改革し、兵役と同様に日本青年に適当な時期(4月から10月ころまでが適当である)にこの義勇隊に入隊させ、修業年限半年程度の教育を受けさせたらどうか。
250 優秀な日本人が満州国の日系国民になって他民族を信服させることは、民族協和を真に可能にするための絶対条件である。満州国国民教化の点から、日本人教育の確立は必要である。満州国における日本人教育の重要性は、大東亜建設の上で重大である。翻って日本内地の教育は、大東亜共栄圏建設の上で重大な責務をもつ。
註一 「在満日本人児童の長所短所」満鉄初等教育研究会
「研究要報」(第一輯―第八輯)満鉄教育研究所 特に石川七五三二氏論文「在満日本児童の情意的特色」
註二 「初等学校及中等学校児童生徒の体位」昭和15年版 関東局在満教務部編
註三 「満洲開拓青年義勇隊統計年報」(秘扱)康徳八年度版
以上
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