高退教 赤嶺政賢記念講演会 20260627土 群馬県教育会館
感想 2026年6月28日(日)
赤嶺さんの思い出話。未来を語らない。元気がない。私と同世代一つ下の78歳。
石垣島が家畜の島だという話は、島民を追い出してそこを戦場とするという政府の避難政策に対する反対の気持を込めたものだろうと推察する。東教大卒業後、石垣島の高校教師になったという。
講師 赤嶺政賢 日本共産党幹部会委員、同党沖縄県委員長
1947年、那覇市生、東京教育大卒、石垣市で高校教師。
1985年、那覇市議会議員3期
2000年、衆院議員9期、2014年、オール沖縄候補として沖縄1区で当選。
会長 須田
副会長 鏑木
右翼が来ている。ここにも。政権の姿勢が分かる。高崎での反原発集会にも、国会前にも、来ていた。またそこでは警察が、最寄りの横断歩道を使わせず、遠回りをさせた。千葉県の共産党員が前橋の総合福祉会館に来た時も右翼が来ていた。
赤嶺政賢
翁長は元は基地推進派で、日の丸・君が代を推進していた。ところが教科書に沖縄戦での集団自決を記述することが問題視されるころから、変節した。しかし、安保は容認の考えは変わらなかった。
転覆したボートは事業活動ではなかったので、事業登録をしていなかった。文書を出すべきだった。
海上保安庁も止めない程海は良かった。同庁は学生を乗せることを知っていた。
1996年、名護市長は橋本竜太郎に説得されて変節した。
1995年、少女暴行事件、自民党も共闘した。
普天間返還
当初、普天間の移設が条件になったが、条件付きの普天間返還ではなく、無条件普天間返還を求めた。
5年~7年で返還すると言っていた。つまり2001年~2003年に返還すると言っていたが。
自民は変節し、「辺野古を完成しなければ普天間は戻らない」と言っている。
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