2026年6月22日月曜日

小松実『いまにつながる治安維持法体制に決着を』治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟千葉県本部2024

 

小松実『いまにつながる治安維持法体制に決着を』治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟千葉県本部2024

 

 

感想 2026619()

 

私は戦後の米の対日方針が変わったのは朝鮮戦争の時と考えていたが、それ以前からすでに始まっていたということが本書から分かった。1946年、つまり早くも戦後1年にして、米の対日方針は変更され、労働運動や共産主義運動は好ましくないとされ、企業・団体からの共産党員のパージや、共産党それ自体の解体につながった。その法的な表れが、占領時の「団体等規制令」であり、独立後の「破防法」であった。

 

 

メモ

 

 

第Ⅰ部 小松実「いまにつながる治安維持法体制に決着を」

 

 

1 安倍・菅・岸田政権と「戦争する国」づくり(省略)

 

2 占領政策の転換と治安維持法勢力の復権

 

(1)ポツダム宣言と日本政府のサボタージュ

(2)大衆運動の高揚、占領政策の転換と治安維持法勢力の復権

 

017 1946515日、「共産主義を歓迎せず」とアチソンが表明した。対日理事会での発言。対日理事会は連合国最高司令官に助言する機関である。

1946520日、マッカーサーが「暴民デモを許さず」という声明を出した。これは前日519日の食糧メーデーに対するものであった。

 

194721日、ゼネスト中止命令。

1947312日、トルーマン・ドクトリン「ポーランド、ルーマニア、ブルガリアなど東欧諸国を全体主義」と非難した。冷戦の始まり。

 

194816日、「日本を反共の防壁にする」とロイヤル陸軍長官が演説した。

1948518日、ロイヤル陸軍長官が「日本の限定的再軍備について」という覚書を、フォレスタル国防長官に提出。その中でロイヤル陸軍長官は「アメリカの限りある人的資源の節約になる。日本軍は徹底的にアメリカの管理下に置かれ、その指揮の下で訓練を受ける。しかしすぐに軍隊をつくると、ポツダム宣言を廃棄しなければならないので、当面は警察力を増強させよ。将来的に憲法を改正して本格的な軍隊をもたせろ」とした。

 

19492月、以上のロイヤル覚書を、米統合参謀本部は正式決定した。

 

19508月、警察予備隊の公布と即日施行

1952年、保安隊と名称変更

1954年、自衛隊と名称変更

 

 

020 1948731日、公務員から争議権・団交権を剥奪。政令201号。

 

19491月、衆院選で共産党が4議席から35議席に大躍進。

19493月、ドッジラインによる緊縮財政強制。

19494月、「団体等規制令」で団体の名簿を提出させる。

19497月、ドッジラインの緊縮財政による首切りを断行したが、その際、団体等規制令にもとづいて提出されていた名簿に基づいて、共産党員を狙い撃ちした。

1949815日、吉田内閣の増田甲子七(かねしち、元内務官僚で警保局事務官)が「松川事件は今までにない凶悪犯罪である。三鷹事件をはじめ、その他の各種事件と思想的底流に於いては同じものである」と、共産党や労組による犯行だと匂わせる談話を発表した。

 

195066日、GHQが共産党中央委員24名を公職追放し、翌日、アカハタ編集委員など17名も追放した。

 

1950810日、警察予備隊を公布、即日施行

1950830日、GHQが全労連の解散指令。

19501013日、1万人の戦犯が公職追放を解除された。また対日講和締結直後には、特高関係者の追放も解除され、

19524月、内閣調査室が設置され、特高官僚がその役職に就き、

19527月、破壊活動防止法と、その実施機関の公安調査庁設置法が公布された。破防法は共産党の監視を目的とし、その団体(共産党)の解散を命ずることができる。

 

 

3 特高官僚・思想検事たちのその後(省略)

4 国賠同盟の組織と運動のさらなる発展を(省略)

 

 

第Ⅱ部 荻野富士夫「特高警察が踏みにじった人々の記録~千葉県編」(省略)

 

 

第Ⅲ部 治安維持法強行成立から100年――21世紀を真に人権と平和の世紀にするために

藤田廣登1934-

 

 

076 治安維持法に関する政府答弁の反動化。安倍晋三時代の金田勝利法相の傲慢な答弁2017になってしまった今日の状況であるが、1976930日の三木武夫総理大臣の答弁は違っていた。「治安維持法は当時としては一つの法体系であったが、すでにその時でも批判があり、今日から考えれば、こういう民主憲法のもとに考えれば、我々としても非常な批判をすべき法律であることは申すまでもない」と答弁している。

 

087 治安維持法違反だけでなく、警察犯罪処罰令や行政執行法の違反も含めると、被弾圧者数は数百万人となるだろう。

 

096 「治安維持法犠牲者等国家賠償法」制定の請願で、かつては自民の議員の中にも紹介議員になってくれた人がいたが、現在では党議拘束をかけていて皆無である。また国民民主でもかつては一部議員が賛同してくれたが、今ではない。請願にのってくれる政党は、共産党、立民、社会党(社民党、新社会党の国家議員はいないから社民党の間違いか)、れいわ、沖縄の風、無所属などであり、2023年度の請願を承諾してくれた紹介議員数は、衆参合わせて112人である。

 

098 1968年、国連総会で「戦争犯罪と人道に反する罪に対する時効不適用に関する条約」が成立した。賛成58、反対7(米)、棄権36(日本)、退場23 1970年に正式発効した。

 

弾圧犠牲者に対する謝罪と賠償をしている国は多い。独伊韓米英豪仏、スペイン、カナダ、チリである。

 

102 2682人 人権指令1945/10/4で牢屋から出られた人数

 

公職追放 203,660人 1946228

追放解除 201,507人 1952428

 

 

感想 2026622()

 

些事ですが、気になった点を三点述べます。

 

本文74頁 「上州特有の寒風の吹きすさぶ」とありますが、「上州」は群馬県のことを指し、栃木県は「野州」とのことです。AIで調べてみました。ちなみに私は群馬県人です。

それで栃木でも「野州の空っ風」というかというと、そうでもないらしく、「日光おろし」とか「男体おろし」とか「那須おろし」とかいい、女子刑務所があったのは栃木市で、那須はそれより北の方ですから、「日光下ろし」とか「男体おろし」とかいうのでしょうか。

 

本文87頁 犠牲者「数百万人」の主語が不明確。これが前述の行政執行法による処分だとすると、合計数が合わないし、また3年間だけの集計でいいのかという疑問がわきます。恐らく主語は、行政執行法による処分でしかもこの3年間の処分数だけでも257万人にのぼるのだから、治安維持法や警察犯処罰令などの処分数も入れれば、被害者総数は数百万人になるだろうという推量なのではないかと思います。

 

 

本文103頁 「同年228日」の「同年」が何年ことかが不明確。直前の1947年だとすると、それは間違いで、これは1946年のことですから、「同年」という表現は誤解を招くのでは。

 

以上

 

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