新藤通弘(みちひろ)『革命のベネズエラ紀行』新日本出版社2006
メモ 2026年6月2日(火)
「サモーラ計画」*は1000万ha/3000万haを対象とし、02年2月から開始された。大土地所有者の暴力的抵抗にあい、十分に推進できなかった。この2年間で大土地所有者に殺された農民や協同組合指導者は180人である。この間170万haが農民に分配され、15万haから20万haが、国に回収された。
*「サモーラ計画」 2003年2月6日、「土地・農業開発法」に基づく「サモーラ計画」で、13万家族に200万haの農地を分配した。今後5年間で、農地1000万ha/3000万haを50万家族に分配する計画である。066
感想 2026年6月1日(月)
米ブッシュ(子)政権(2001年1月~2009年1月)も、ベネズエラ軍事侵攻作戦を考えていた。トランプだけではない。本書158頁で、「2005年9月、米軍によるベネズエラ侵攻の「バルボア計画」が暴露された」とある。
また内政干渉もあの手この手でやっていて、2006年2月の国防見通し報告では「ベネズエラの大衆迎合の権威主義的政治が、ラテンアメリカの政治的不安定を招いている」とし、またライス国務長官は「チャベスによる干渉政策に対する予防戦略として、積極的に反チャベス統一戦線の結成を(中南米諸国などに)呼び掛けている」と、米下院外交委員会で明らかにした。そして2006年3月、国務省の年次人権報告書は「ベネズエラ政府は、メディア活動の自由を制限し、野党の政治活動に嫌がらせを行っている」とし、クラッドック米南方軍司令官は「チャベスは、過激な大衆迎合主義を輸出して、ペルーやニカラグアの大統領選挙にも影響を及ぼしており、ラテンアメリカの不安定要因となっている」と非難した。
感想 2026年6月1日(月)
これは20年前の2005年ころの話で、今はどうなっているか知りませんが、ベネズエラは社会主義国ではなく、資本主義国です。つまり基幹産業のほとんどを私企業が握っており、国営企業の生産額GDP比はごくわずか7%です。但し、様々な協同組合による福祉的施策が行われたり、国営企業が私有企業に対抗して基幹産業に参入したりなどの取り組みも行われているとのことです。その意味で当然、私企業との軋轢が生じるだろうと推察されますが。
不思議なことに、チャベス政権以前の1985年~90年には、国営企業のGDP比が22.3%と高かった時代もあったのだが、その後1990年代に民営化の流れがあり、多くの国営企業が民営化されたとのことです。
感想 2026年5月30日(土)
労働側が資本側と一体となって資本側の利益のために協力するということが、実際にベネズエラであった。労働側といっても労組のダラ幹であるが。日本でも共産党が議会で多数を占めた場合、それに反発し、自己の利益を独り占めにしようとする旧勢力は、大人しく黙ってはいないだろう。ベネズエラでは議会で多数をとるという社会主義であった。そこにもろさもあり、民主的でもあったと言える。ベネズエラの守旧勢力は、あの手この手を使った。労使合同スト01.12、クーデター(失敗02.4)、国営石油企業のストライキ02.12、大統領罷免要求国民投票03.11-04.8などである。
感想 2026年5月25日(月)
本書071で「ラテンアメリカで文盲一掃を成し遂げた最初の国は、1960年のキューバで、次が2005年のベネズエラで、ボリビアは3番目になるだろう」とあり、AIでも、キューバの先進性について触れている。
しかしAIによると、現在では南米でもほとんどの国で識字率が90% or 96%とあるから、この20年間で急速に識字率が向上したようだ。逆に言えば、2000年以前の南米の識字率は低かっただろうと推察され、これは日本では考えられないことである。それだけ南米では一部の富裕層が富を独占していたということなのだろう。戦争直後の日本でも、被差別部落の石川一雄さん1939.1.14-2025.3.11のように、貧困のために学校に通えないで文盲だったように、差別が識字に影響していたことは明らかだ。差別は優越的な植民地主義を産む。石川一雄さんが小学1年生のころは1944年だった。
第一部 遥かなるベネズエラ――2004年11月
はじめに
3 2002年4月11日クーデターとヤグーノ陸橋 この「クーデター」は反チャベス派による「クーデター」であり、たった2日間で失敗し、辞任したはずのチャベスが2日後に返り咲いた。
4 反動派によるメディア封鎖
感想 2026年5月21日(木)
ベネズエラ「共産主義」の特殊性 1998年~2005年
ベネズエラ「共産主義」は、旧ソ連や中国のように一党独裁ではないということだ。つまり「共産主義」に反対する、全国民の20%~30%を占めるお金持やその党派、多くの放送局・新聞も「共産主義」と共存しているということである。だから「共産主義」政権にとっては、非常に政治がやりにくく、米からのちょっかいも受けやすいと言える。012
ベネズエラは一党独裁ではなく、従来の政党を含めた選挙を実施している。このことはベネズエラの特殊性である。1998年の大統領選を始め、制憲国民投票、国政・地方選挙を何度もやっていたのだが、反チャベス側は2005年の9回目、10回目には棄権やボイコットするようになった。勝てないと分かったからなのだろう。041
また一党独裁ではないから、旧来のマスコミが反チャベス派によって独占されていて、そのためフェイク報道が行われる危険性があり、実際、「チャベス派が反チャベス派に向かって発砲し、12名を殺害した」という報道が行われた。「ヤグーノ陸橋事件」2002.4.11である。しかし、これは実際は、反チャベス派の市長の指揮下にある「首都警察」が、逃げようとするチャベス派の群衆に向かって発砲するのを援護するために、チャベス派が「首都警察」に発砲していたようで、著者はその様子を示すビデオをベネズエラで購入してきた。またビルの上から無差別に発砲しているスナイパーもいた。これはチャベス政権に対するスキャンダルをつくりたいのだろうと思われる。そのスナイパーはその後国外に逃亡した。034
5 新憲法『ポポル・ヴフ』 「ポポル・ヴフ」とは、マヤ共同体時代の創世記神話046
050 AIでは「国会の承認を経ずに」とされ、独裁的・強権的と指摘される憲法236条「大統領は法的強制力をもつ政令を閣僚評議会において制定できる」という規定(授権法)に基づく政令は、憲法203条「国会の5分の3の賛成によって承認されなければならない」という歯止めがある。2001年11月、チャベスはこれに基づき、49の法律を制定した。
6 新自由主義政策の破綻とチャベス政権の登場
1939年、それまで28年間続いていた、家父長制的頭目主義型(カウディージョ型)のゴメス独裁政権が崩壊した。ゴメスは数十人の愛人を持っていたという。
1939年からの10年間、軍事政権が続いた。
1945年から文民政権が成立した。(軍事政権の間に一時的に成立したということか。)
1948年、軍事クーデターによりヒメネス独裁政権が成立した。
1958年、軍事クーデターによりヒメネス独裁政権が倒れ、文民政治が復活した。(軍事クーデターなのに文民政治なのか。)民主行動党ADと、キリスト教社会党COPEIと、民主共和連合党URDとの三党が「平和的政権交代(プント・フィホ)協定」を結んだ。
1960年、URDが後退し、ADとCOPEIとの事実上の二大政党制になり、これがその後30年間1980年代末まで続いた。
この二大政党制時代は、寡頭制支配層(オリガルキアつまり大資本家、大土地所有者、高級公務員、労働組合幹部、メディア支配層)が支配した。彼らは中道左派や中道右派を自認したが、実は保守だった。恩顧主義(クリエンテリスモ)で、自らの党員や支持者だけを公務員として雇用し、汚職が蔓延した。そして労働組合を傘下にもち、民主行動党は、ベネズエラ労働者総同盟CTVを、キリスト教社会党は、独立労働組合総連合CODESAと労働総同盟CGTを持った。
一方、ベネズエラ共産党系の「ベネズエラ労働者統一センター」CUTVは1963年に創立され、世界労連に加盟し、階級的な労組である。
またチャベス派の労組は「全国労働者連合」UNTといい、CUTVと協力関係にある。
上記の二大政党と左翼政党とが対立していたが、左翼政党は1960年代、武装闘争をやっていて国民の支持を失った。
1980年代後半、民主行動党のハイメ・ルシンチ政権84~89、カルロス・アンドレス・ペレス政権89~93年が続き、新自由主義的政策をとった。
057 1989年2月27日、カラカス大暴動が起こり、ペレス政権は戒厳令を敷いた。犠牲者1万人。
ペレス政権は民営化を進め、国営企業の多くは外国企業が取得した。
062 1992年2月、ウーゴ・チャベス中佐は、クーデターを起こしたが失敗した。(同年11月にも別の軍事クーデターが起ったが、これも失敗した。)
1993年5月、ペレス大統領が機密費の不正使用疑惑で逮捕された。
1993年12月の大統領選で、ラファエル・カルデラは、自らが設立した「キリスト教社会党」から離反して「国民統一党」を創設し、勝利した。これに「社会主義運動」MASと「ベネズエラ共産党」PCVが協力した。
しかしカルデラは従来の政党と同じことをやった。
チャベスは1996年、それまでのクーデター方針を変え、選挙で政権を奪うことにした。第五共和国運動がそれであり、チャベスは1998年の大統領選に出馬した。チャベスはこの時、「愛国ポーロ戦線」を結成した。それはチャベス派の第五共和国運動と、社会主義運動MASやベネズエラ共産党PCVとで構成された。
感想
ベネズエラの場合、「労働組合」という名前がついていても、それは必ずしも社会主義的とは限らない。
ベネズエラの歴史は混沌としていた。
二大政党というと聞こえはいいが、それは有産者階級が労働組合を抱き込んで作ったもので、身内にひいきする利権集団であった。
7 革命を支える社会的諸改革
8 ベネズエラ革命とはなにか
感想・メモ
南米では毎年首脳会議を開催しているようだ。イベロ・アメリカ首脳会議071、南米諸国共同体CSN首脳会議072などである。
アメリカは資本主義を批判する南米諸国に対して、これまでも不快感を示してきたようだ。ブッシュ大統領、ライス国務長官、ゴスCIA長官、ノリエガ米国務省西半球問題担当国務長官補などが、チャベスやカストロなどによる南米の動きを警戒する発言をしている。089
チャベス暗殺説もあったようだ。089, 175
088 チャベスはすぐさま社会主義が実現できるとは考えていない。著者はチャベスの立場を「市場経済を活用した社会主義の建設」と言う。
現在のベネズエラは多様な利益集団が同居している。寡頭制支配層による資本主義、半封建的大土地所有制、ベネズエラ石油公社などの国家資本主義、海外投資による国際資本主義、農村・商工業などの小商品生産、農村協同組合、製造業・サービス業における国家支援の協同組合などである。そして民間金融は寡頭制支配の資本主義が支配している。
ベネズエラ共産党は武装闘争をしていた時期もあり、それはキューバが推奨したようだ。そしてそれをやめたことからキューバ共産党との軋轢もあったようだ。095
チャベスは毛沢東を尊敬していたようだ。084
メモ
7 革命を支える社会的諸改革
064 2002年4月の軍事・メディアクーデターを、チャベス大統領は国民の力を得て退けることができた。クーデターは米国政府に支援された寡頭制勢力、民主行動党とキリスト教社会党の指導部、大資本家、特権高級官僚、特権労働組合幹部、カトリック教会高級聖職者、反動軍部連合によるものだった。
さらに2002年12月から反動勢力が石油ストを行ったが、それをまた国民の力を得て沈静化させ、チャベス大統領はようやく社会改革に乗り出すことができた。
ボリーバル・サークル
ボリーバル・サークルは革命を推進する基盤となっている参加型民主主義の大衆組織であり、「全ての権力を人民に!」をスローガンとし、チャベス大統領を最高司令官とする革命運動である。
ボリーバル・サークルは、2001年12月に創設され、2004年7月現在、25万組織、250万人の会員を擁し、2004年8月の大統領罷免(信任)国民投票で中心となって闘った。
ボリーバル・サークルの教育政治調整責任者のソラヤ・オヘーダによれば、
「ボリーバル・サークルは7~11人で構成される水平的な組織であり、社会開発、政治、地域、教育、観光、スポーツや、社会的防衛、文化的防衛、食糧や文化の問題で活動している。地域や職場や先住民の中につくられていて、革命と防衛で大きな役割を果たしている。
ボリーバル・サークルは経済権力やメディア権力と対決している。ボリーバル・サークルに圧倒的に多くの国民が参加しているから、チリのように打倒されることはない。目標とするモデルはなく、成果は民主主義の過程で生まれる。
ボリーバル・サークルの基礎には団結と解放がある。文化や政治モデルを外国に押し付けてはいけない。」
066 社会改革第一弾 農業改革
2003年2月6日、「土地・農業開発法」に基づく「サモーラ計画」で、13万家族に200万ヘクタールの農地を分配した。今後5年間で、農地1000万ヘクタール/3000万ヘクタールを50万家族に分配する計画である。
分配するだけではなく協同組合を組織した。エンゲルスは「フランスとドイツにおける農民問題」の中で、「収用した大農場を国有化するのではなく、現在耕している農業労働者に、協同組合に組織した上で引き渡し、それを全社会が管理する」としている。
問題は米帝である。米帝はベネズエラの寡頭制と連携して干渉した。グアテマラ革命1954で、キューバ革命1959で、チリ人民連合革命1970で干渉した。
067 教育改革「ロビンソン計画」
教育省局長のブランディミーラ・モレーノによれば、「1999年から始まったボリーバル教育計画は、男女差別や政治差別による未就学の男女児童・成人に対して総合教育を行う。
0~5歳までの就学前教育は「シモンシート(シモンちゃん)計画」といい、6~12・13歳まで(先住民地域では15歳まで)は「ボリバリアーナ学校計画」という。12・13歳以上の高等教育には、成人も含まれる。
第一次ロビンソン計画は、150万人の青年・成人を対象にした識字化計画で、第二次ロビンソン計画は、小学校卒業程度の学力を目指し、リバス計画は、中学校卒業程度の学力を目指し、500万人を対象にしている。そしてスクレ計画は、大学卒業程度の学力を目指し、47万人を対象にしている。
ロビンソン計画はシモン・ボリーバルの師であるシモン・ロビンソンにちなんでいるが、それぞれ3年間行う。
068 ボリバリアーナ大学は2年前(2003年7月, 071)に新設された。全国の各行政区の全てで大学教育が行う予定である。
批判的で集団的に解決する人間を育てることを教育の目標としている。」
「ロビンソン(教育)計画」の他に、「居住区に入ろう(医療)計画」、「人民の店(地域おこし)計画」がある。
カラカス市西部の山裾にあるサンアントニオ貧民街地区の(小学校の)カルメン・ビーダ・キハーダ副校長によれば、
「この小学校は、以前(ここに)あった小学校が、2004年4月に、「ボリーバル小学校」に指定されたもので、現在でも改築中である。6歳から10歳まで、1学級40人、60分授業、午前7時から午後3時までの8時間。生徒数は719人。1年生から7年生まで。21教室、教師数19人、(1教師は)4時間を担当。
069 医者、心理専門家、音楽教師もおり、コンピューターが15台ある。
このような「ボリバリアーナ学校」は全国に3000あり、さらに増築中である。
給食は朝・昼・おやつがあり、1日の3/4の栄養をまかなう。学費・給食費は無料。
070 夜間はロビンソン計画やスクレ計画、リバス計画に使用される。土・日は、社会計画のための住民の話し合いのために使われている。
国民はこの革命に積極的に参加している。」
2003年7月、チャベス大統領は、識字運動「ロビンソン計画Ⅰ」を開始した。150万人の文盲の一掃を目指し、10万人の教師を動員した。これはキューバの識字方式「私も読み書きができる!」(UNESCOが表彰した)を採用し、70人のキューバ人の教育者が協力している。読み書きができるようになると、小学校卒業程度の「ロビンソン計画Ⅱ」に進む。2005年現在、140万人が学んでいる。就学前教育では2005年までに134万人が学んでいる。
(2003年)9月、「スクレ計画」が、47万人の大学教育未就学者を対象に、11月には、「リバス計画」が、中学校過程の未就学者500万人を対象に始まった。2005年、スクレ計画で34.7万人が、リバス計画で76.3万人が学んでいる。
2003年7月、ボリバリアーナ大学が新設された。
補注
ロビンソン計画で文盲を一掃したベネズエラは、2006年、ボリビアのエボ・モラーレス革新新政権に、キューバと共同で、識字運動への協力を申し入れた。またキューバと共同で、5000人ずつ、ボリビア人奨学金留学生を無料で招待すると発表した。モラーレス大統領は、2006年3月20日、120万人の文盲を30カ月で一掃する識字運動を開始した。ラテンアメリカで文盲一掃を成し遂げた最初の国は、1960年のキューバで、次が2005年のベネズエラで、ボリビアは3番目になるだろう。
医療の「居住区に入ろう計画」では、キューバはベネズエラに2万5千人の医療関係者を派遣し、医療の無料化に協力している。また「奇蹟計画」では、13万人のベネズエラ人の視覚障害者がキューバで治療を受けて視力を回復した。主に白内障である。2005年10月のイベロ・アメリカ首脳会議で、チャベス大統領は、キューバとベネズエラが協力して、南米600万人の白内障患者を10年間で60万人にするよう提案した。
2005年9月、チャベス大統領は、ブラジルのポルトアレグレで開かれた南米諸国共同体CSN首脳会議で、南米12か国の統合理念として、文盲の一掃と医療の無料化を提案した。
感想 2026年5月25日(月)
本書071で「ラテンアメリカで文盲一掃を成し遂げた最初の国は、1960年のキューバで、次が2005年のベネズエラで、ボリビアは3番目になるだろう」とあり、AIでも、キューバの先進性について触れている。
しかしAIによると、現在では南米でもほとんどの国で識字率が90% or 96%とあるから、この20年間で急速に識字率が向上したようだ。逆に言えば、2000年以前の南米の識字率は低かっただろうと推察され、これは日本では考えられないことである。それだけ南米では一部の富裕層が富を独占していたということなのだろう。戦争直後の日本でも、被差別部落の石川一雄さん1939.1.14-2025.3.11のように、貧困のために学校に通えないで文盲だったように、差別が識字に影響していたことは明らかだ。差別は優越的な植民地主義を産む。石川一雄さんが小学1年生のころは1944年だった。
072 貧民救済の「人民の店」
2003年4月に「食料公社」が創設され、「人民の店」を推進している。「人民の店」は政府の補助を受け、現在全国2000カ所で、市場価格の半値で、地域住民に食料や必需品を販売している。700万人の貧困層の生活を支援してきた。
経営者の一人セサル・ペレスによれば、「2001年12月の最初のストライキのとき、人民の店(メルカル)をつくる計画が浮上した。大きな商店がストライキをするなら、協同組合経営の店をつくろうということになった。この店は2001年12月に開店した。「バンデス」という融資公社から2800万ボリーバル(1ドル=2000ボリーバル)の融資を受け、1800万ボリーバルで商品を買い、1000万ボリーバルを建物の資金に宛てた。金利は12%(市中金利は20%)で3年返済。7人が共同出資し、給料は月80万ボリーバル。商品は政府支援により一般の店より40~50%安い。」
「人民の食堂」は100%政府資金で、50万人が利用している。
キューバ人のスポーツ・インストラクターが働き、キューバ人の歯科医師がいる診療所がある。「居住区に入ろう計画」の診療所がある。
074 現代の赤ひげ――キューバ人・ベネズエラ人医師の活動
チャベス政権が成立した当時の1998年の医師数は、医師1人に対して住民500人で、しかも多くの医師は富裕層だけに奉仕し、国民の60%は医療の恩恵を受けていなかった。病床数は1000人当たり1.7、利用率は53%であった。
カラカスの低所得者が多いリベルタドール市のフレディ・ベルナル市長は、2003年4月16日のベネズエラ・キューバの協定に基づき、キューバから医師の派遣を要請し、「居住区に入ろう計画」が始まった。
診察料は無料で、前述073の診療所にはキューバ人女性医師が勤務していた。そこにはベネズエラ人医師もいた。現在5万人のベネズエラ人医師がいるが、貧民を対象にした医師は1000人である。
2004年11月現在、「居住区に入ろう計画」で(ベネズエラで働く)キューバ人医師数は1万300人、歯科医は3062人。ベネズエラ人医師数は1103人、看護師2596人であった。
現在キューバ人医師・看護師2万5千人がベネズエラで働いている。報酬は月200ドル。ベネズエラの最低賃金は月183ドル。2万5千人のうちの亡命者は40人。
ボリーバル革命の5つの軸 ①人道主義の社会的性格、②資本主義の悪習と決別した経済的性格、③少数支配を解体し、国民が主人公の参加型民主主義の政治的性格、④各地域の調和的発展、⑤各国との対等平等の国際関係である。
また2000年以降、8000人の重病・難病患者を付添人1人とともに、キューバが治療している。往復の航空運賃はベネズエラ政府がもち、キューバでの治療・入院費は、キューバ政府がもつ。
2004年のジニ係数(1に近いほど不平等)は0.48である。ちなみに2023年の日本のジニ係数は0.59、税金や社会保障(年金・医療)による再分配後は0.38であった。高齢化で増加傾向。
077 女性の自立を後押しする「女性の発展のための銀行」
ボリーバル革命は、子ども、女性、老人、先住民、貧困者(国民の80%)、病人、文盲などの社会的弱者に対する政策を行っている。その一つとして、1999年10月、チャベス大統領は「女性機会均等法」を制定し、全国女性庁を設立した。
「女性のための銀行」は、縫製業、パン屋、理髪院、美容院などの自営業を起業する女性のための銀行で、無担保で100万ボリーバル(500ドル)を、2~9人のグループに、18か月間融資する。金利は年利12%(市中金利は28~30%)である。同銀行は2001年に設立され、首都と23県全体に支店がある。18か月で完済すると、50%増の融資が受けられ、融資の最大は、500万ボリーバルである。グループは返済に共同責任を負う。また同銀行は、簿記や経営指導など、女性に対する職業訓練を行い、これまでに65万人が受講し、13万人の雇用を創出した。
078 チャベス大統領は2004年4月、米州機構OASで「米州社会憲章」草案を提起した。同草案は貧困問題の解決、文盲の一掃、労働・雇用の権利、参加型民主主義を規定している。また家事労働は付加価値を創造するものとし、政府は主婦に年金を支給すべきである」としている。
2006年3月、チャベス大統領は、一定の基準以下の収入しかない貧困家庭で家事労働に専念する女性に、最低賃金の80%の年金を支給し始めた。
また、2004年3月、失業対策計画「見つめ直そう計画」を開始し、仕事を紹介し、職業訓練を行っている。目標は100万人を雇用し、失業率を15%から5%にすることである。最貧困層の120万人に6か月間から2年間奨学金を授与し、職業訓練を行う。
その他、貧困層向けの住宅建設と都市の総合的開発を兼ねた「住宅建設計画」や、10万人の予備役兵の生活安定のための「ミランダ計画」、先住民の生活改善のための「グアイカイプーロ計画」などがある。
以上の教育、医療、生活などの政策の恩恵を受けた国民は1500万人、2550万人の国民の6割に及ぶ。
感想 2026年5月26日(火) 私みたいに老齢年金を給付されると、人々は甘えて怠けないか。老齢年金をもらわないで働いている人もいて、偉いと思う。銀行融資や職業訓練は自立のためのものだから、それは当たらない。家事労働の女性に対する年金は、日本の専業主婦に対する第3号被保険者年金と同じである。しかし75歳の後期高齢者になると、さすがに体が若い時のようには動かなくなり、心臓機能も、脚の筋肉も弱くなり、頻脈が頻繁に起ったり、足を引っかけて躓きやすくなったりし、とても一人前の仕事はできなくなるのが実情だ。これも怠け癖の成れの果てか。
8 ベネズエラ革命とは何か
081 五つの軸で進められる革命
五つの軸に関するチャベスの説明によれば、
第一の軸 人道主義的・社会的性格は、シモン・ボリーバル、毛沢東、イエス・キリストに影響された。
第二の軸 資本主義の悪習と石油への依存を廃棄する国民経済モデルの創出という経済的性格。
第三の軸 民主主義の装いをした寡頭制・独裁制を解体し、新たな政治モデルを創出するという政治的性格。
第四の軸 ベネズエラ国内の各地域の調和のとれた発展と、各県の潜在性の開発を目指す。
第五の軸 平等の均衡に基づいた多極世界の実現を希望する。
082 チャベスにはカリスマ性があり、「チャベス革命」と言われるが、チャベス以外にも有能な人材がいて、チャベスは頻繁に国外に出かけている。筆者は「チャベス革命」とは言わない。
(一)昨年2004年10月末の地方選挙以後、チャベスは11月にヨーロッパを訪問し、12月にキューバと中国を訪問し、(昨年)2005年1月にブラジルを訪問し、3月にウルグアイ、インド、フランスを訪問している。
有能な指導者として、
ホセ・ビセンテ・ランヘル副大統領は元民主共和連合党の党員のジャーナリスト、
ニコラス・マドゥーロ国会議員は、第五共和国運動の国会議員、
アリ・ロドリゲス外相は、元左翼革命運動の幹部、
アリストブロ・イストゥリス教育・スポーツ相は、「皆のための祖国党」員、
リノ・マルティネス労働相、
ホルヘ・ガルシア・カルネイロ国民参加・社会開発相は元国防相、
ウイリアム・ララ第五共和国運動MVR全国幹事、
アダン・チャベス在キューバ大使、
ファン・バレート首都市長、
ベルナル・カラカス市長。
それに国会議員の中に6人の元武装闘争の参加者もいて、チャベスを支持している。
083 与党、第五共和国運動
2005年2月末現在の党員数は120万人で、ラテンアメリカ最大と言われる。2004年6月、全国指導部の理事26人が選出された。課題は党機関紙がないことである。
チャベスの思想的発展過程
チャベスは議長でかつ書記長である。
チャベスによると、チャベスは5つ上の兄アダン・チャベス1953-に政治行動上で影響を受けた。アダンは「左翼革命運動」の元党員である。「左翼革命運動」は1960年に創立されたマルクス・レーニン主義政党である。チャベスはアダンの周囲のゲリラ兵に共感を持った。「左翼革命運動」は急進的な土地改革や、迅速な工業化、基幹産業の国有化、ベネズエラにおける米独占資本主義権力の支配の終焉を提起した。1982年、チャベスはアダンの紹介でダグラス・ブラーボに会い、ベネズエラ革命の戦略について語った。ダグラスは、1965年に武装闘争を放棄した「ベネズエラ共産党」*から除名され、「ベネズエラ革命党」PRVを設立し、1970年代の初めまで武装闘争を継続していた。
しかしマルクス・レーニン主義の考え方は、国軍の兵士が進める革命理論と合わず、ボリーバルなどのベネズエラの先人の思想を研究することになった。以上はチャベスの語るところである。
084 またチャベスは2005年の「世界社会フォーラム」で次のように述べている。
「中国の曽慶紅・国家副主席が毛沢東全集を持ってきてくれた。私は毛沢東主義者である。私は軍事学校に入学した少年のころから毛沢東を読み始めた。軍事関係の本や、哲学書、政治論文などの赤い本を読み始めた。チェの本*や、キューバ国防省の雑誌『ベルデ・オリーボ』、ボリーバルを読み始めた。私は毛沢東主義者でボリーバル主義者となった。
筆者はチャベスが毛沢東の人民公社論の誤りや、文化大革命での権力闘争の誤りを知らないのではないかと思う。
095 注36 「ベネズエラ共産党」は1961年、武装闘争を展開したが、1965年、武装闘争路線を放棄した。一方、キューバ共産党は「ベネズエラ共産党」の武装闘争継続派を支持し、ベネズエラ共産党はキューバ共産党と論争した。
ソ連のチェコ侵略を契機に、1970年、「ベネズエラ共産党」の(ソ連)批判派が分裂して「社会主義運動」を結成した。一方、「ベネズエラ共産党」自体はソ連の資金援助を1989年まで受け続けた。同党の党員数は1960年代の初めには4万人いたが、1990年代初めは壊滅状態となった。しかし、現在では国政選挙で15万票を獲得している。同党はマルクス・レーニン主義という用語を使用せず、科学的社会主義という用語を近年用いるようになった。
注38 チャベスはチェ・ゲバラを激しく批判している。「ゲバラのボリビアでの武装闘争は間違っていた。また「一つ、二つ、三つのベトナムを」というゲバラの主張は、ベネズエラでも、ラテンアメリカでも間違っていた。」ゲバラやカストロは、ラテンアメリカでの武装闘争を主張していた。
感想 2026年5月26日(火) こういう共産主義や社会主義の路線闘争に関する議論は、私はどうもあまり好きになれない。空論のような気がする。それぞれに理屈はあるのだろうが、理屈通りには進まないのが現実だ。頭を冷やせ。
084 社会主義論の議論を提唱
社会主義に関するチャベスの発言の最初のものは、第Ⅰ部冒頭に掲載した2004年12月の北京大学での講演である。その1か月後の2005年1月30日、チャベスは「世界社会フォーラム」で演説した。
「資本主義を乗り越える必要がある。そのことは多くの知識人が言っている。資本主義は資本主義の内部からは乗り越えられないだろう。社会主義モデルが必要である。」
チャベス同様、筆者も、社会主義はこれまでに存在しなかったと考える。現状の「社会主義社会」と言われるものは、物質的にも精神的にも、もっと人間性が豊かでなければならない。
086 2004年12月24日、北京大学でチャベスは「ソ連に80年間存在したものは、マルクス、レーニン、トロツキーから引き継いだ構想や理念ではなかった。それは社会主義構想の頽廃だった。」
2005年2月25日、「第四回社会債務・米州社会憲章サミット」でのチャベスの開会演説「ベネズエラではこの政府ができてから6年が経過したが、社会主義としてこの計画を定義したことがない。私は個人的資格でこのことを述べているが、それは、ボリーバル革命を推進している諸党や女性、青年、学生、ミランダ戦線*、労働者、先住民、兵士、市民、知識人、専門家、中間層など全ての集団の中で、討論を開始するためである。私が今持っている確信は、近年、我々が過ごし、学んだこの数年間の場所と思想、環境から育てられた。」
*ベネズエラの「ミランダ戦線」は、ベネズエラのフランシスコ・デ・ミランダにちなんだ社会主義的な政治・社会組織であり、ベネズエラ統一社会党PSUVなどの与党勢力の一部として、地域の住民評議会などと連携し、社会運動や政府の政策の推進を担っている。
087 ニコラス・マドゥーロ国会議長によれば、ベネズエラ国会でこれから社会主義について議論をする。
、「2004年2月29日、チャベス大統領が革命の反帝国主義的性格を宣言したように、人道的社会に到達するために、また、ボリーバルの目的を達成するためには、社会主義を建設する必要がある。」(プレンサ・ラティーナ、2005年2月26日)
チャベスが社会主義論を提唱する背景
チャベスは青年時代から大変な読書家で博学である。チャベスはボリーバル、マルティ、ベネデッティ(ウルグアイの詩人)、ガレアーノ(ウルグアイの作家)などのラテンアメリカの思想家・知識人を始め、マルクス、レーニン、トロツキー、グラムシ、毛沢東などに言及する。
チャベスは新自由主義による悲惨な状況は資本主義では克服できないと体験し、その弊害を克服できるのは社会主義であると確信したのだろう。
088 チャベスは、1998年の政権掌握後から2003年までは、カストロに次ぐ「例外的(革命)異端児」と見る向きが支配的だったが、2003年になると南米での風向きが変わった。つまり、2003年にブラジルのルーラ中道左派政権とアルゼンチンのキルチネル中道左派政権ができ、2004年には、パナマにトリホス中道政権が、2005年には、ウルグアイにバスケス左翼政権ができた。そしてこれらの南米諸国は2004年12月に、共通通貨と共通パスポートを持つEU型の「南米諸国共同体」設立に向かうと宣言した。そして米州機構でも米国の一方的な主張は通らなくなった。
チャベスは市場経済を活用した社会主義の建設を考えている。
現在のベネズエラには、寡頭制支配層が経営する資本主義、農村の半封建的大土地所有制、ベネズエラ石油公社など国が所有する国家資本主義、海外投資による国際資本主義、農村・工業・商業部門での小商品生産、農村につくられつつある協同組合、国に支援された製造業・サービス業の協同組合などが混在している。そして民間金融業は、寡頭制資本主義が支配している。
089 革命の一層の進展を目指して
チャベス大統領はキューバ、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、中国、イラン、ロシアなどとの関係を強化し、「南米テレビ」、「南米銀行」、「南米石油企業同盟」を設立し、反アメリカ帝国主義国際統一戦線の結成を提唱している。
ブッシュ政権(2001年1月~2009年1月)二期目の国務長官ライスは、チャベス政権を「否定的勢力」とし、ゴスCIA長官は「チャベスは合法的戦術を用いて権力を強化し、カストロに支援されて南米地域に干渉している」とし、ノリエガ米国務省西半球問題担当国務長官補は「チャベスは自らを米国の反対勢力と位置づけ、地域を不安定化している」と敵意を剥き出しにしている。
チャベス暗殺計画も指摘されている。
カラカスのベルナル市長「第四共和政下でつくられた、前政権から引き継いだ旧い官僚的機構を変革することが一番の課題である」
第二部 本格的な社会構造改革へ 2005年8月
はじめに
099 カマラーダ(同志、キューバではコンパネーロ)、ソシアリスモ(社会主義)
前回のベネズエラ訪問は2004年11月だったが、その9か月後の2005年8月、私はベネズエラを再訪した。
ベネズエラでは分配から所有(の平等)へと施政が変化してきた。「カマラーダ」、「ソシアリスモ」の言葉を9か月前よりもよく耳にするようになった。
100 キューバでも1959年にバチスタ独裁を倒した3、4年後には、「セニョール」から「コンパネーロ」に変わった。ただし、1990年代に経済困難が続いて経済開放が行われ、貧富の差が拡大し、外国人観光客が増え、「コンパネーロ」の代わりに再び「セニョール」が使われるようになった。
101 ベネズエラ独自の革命を目指して
キューバではベネズエラ以上に米国資本が入っていて、革命後はそれを急速に国有化し、政治・経済的にはソ連圏に組み込まれ、市場の機能を極端に制限した中央指令経済をとった。そのため、1990年代には苦しむことになった。
一方ベネズエラでは、米国の経済支配はキューバほどではなく、一定の民主主義的伝統もあった。ベネズエラ石油公社PDVSAも1990年代の民営化を乗り越え、国営のままである。チャベスはキューバをモデルとしないとし、独自の政治・経済モデルを追求すると言っている。
1 革命推進条件を整備して
103 内発的発展を目指すとは?
2005年5月、ベネズエラの「内発的発展計画」「社会的生産企業」「共同生産企業」などは、所有面での変革を目指す。私はキューバ革命を研究しているが、このような言葉は初耳だ。これまでの「居住区に入ろう計画」(無料医療計画)や、「ロビンソン計画」(文盲一掃計画)、「人民の店計画」(低価格供給計画)などは分配の性格をもつ計画だった。
1999年2月、チャベスが大統領に就任しても、それは国家行政の長にはなったが、行政権全体を掌握してはおらず、立法権も安定多数ではなく、司法権は旧体制の支持勢力が占めていた。04年末までのチャベスの政策は、分配の政策であり、諸権力を掌握した05年以降に、所有面での改革に移った。
チャベス政権の性格を三段階に分けてみると、
1 98年~02年4月、政治権力(行政・立法)の確立。新憲法や各種改革法の制定。
2 02年~04年11月、司法権力や選挙権力を確立。主として分配面での社会改革の開始。
3 04年12月~現在まで、国軍の掌握。所有面での改革を開始。
105 98年12月~02年4月 政治権力(行政・立法)の確立期
98年12月、チャベスが大統領に選出された。得票率56.20%
99年2月、チャベスが大統領に就任。官僚機構は旧体制が握っていた。
99年12月、憲法制定国民投票を実施し、賛成86% 国名を「ベネズエラ・ボリーバル共和国」と改名。
00年7月、大統領選挙を実施し、チャベスの得票率は60.3% 国会議員選挙も実施し、第五共和国運動MVRが多数派になった。
01年6月、反チャベス派が米政府と結託し、チャベス政権打倒計画に着手。
01年11月、チャベス政権が、土地改革法や石油法など49の改革法を制定。これらの法律で破綻した旧体制の、民主行動党AD、キリスト教社会党COPEI、ベネズエラ労働者総同盟CTV、ベネズエラ経団連FEDECAMARAなどが、反チャベス活動を強化。
01年12月、ベネズエラ労働者総同盟CTVとベネズエラ経団連FEDECAMARAが、反チャベス政権の労使合同ストを開始。
02年2月、チャベス大統領がベネズエラ石油公社PDVSAの幹部を更迭。旧体制派は米政府の支援を受け、国内が騒然となった。PDVSAは国家収入の半分を占める。
02年4月、旧体制派と一部反動派軍部が、米政府の支持を受けてクーデター。クーデターは失敗。
106 02年5月~04年11月 司法権力・選挙権力の確立
感想 2026年5月30日(土)
労働側が資本側と一体となって資本側の利益のために協力するということが、実際にベネズエラであった。労働側といっても労組のダラ幹であるが。日本でも共産党が議会で多数を占めた場合、それに反発し、自己の利益を独り占めにしようとする旧勢力は、大人しく黙ってはいないだろう。ベネズエラでは議会で多数をとるという社会主義であった。そこにもろさもあり、民主的でもあったと言える。ベネズエラの守旧勢力は、あの手この手を使った。労使合同スト01.12、クーデター(失敗02.4)、国営石油企業のストライキ02.12、大統領罷免要求国民投票03.11-04.8などである。
02年12月、反動派が「民主調整委員会」CDを結成し、PDVSAなど有力企業のストを実施(石油スト)。しかし中小企業や多くの零細企業はそれに同調せず、PDVSA内部でも次第にチャベス派が実権を握り、石油生産の回復を図った。
03年2月1日、石油ストが終結した。
03年2月、農業改革「サモーラ計画」を開始し、大土地所有制の一掃を狙った。
03年4月、「人民の店MERCAL計画」を推進。政府の補助金で協同組合を設立し、日用品を市価より30~50%安い価格で販売。食糧省の戦略的食糧計画庁が担当。
「食料供給の家」を設立。貧困層に無料で食糧を提供。05年までに127万人が受給している。
03年4月、「居住区に入ろう計画」を開始。貧民区で無料の医療提供。キューバ人医師2万人が診療。
03年7月、「ロビンソン計画Ⅰ」を実施。150万人の文盲に10万人の教師。05年10月28日、148万人の文盲を識字化し、キューバに次いでラテンアメリカで2番目の文盲一掃を宣言。
03年9月、「スクレ計画」に着手。47万人の大学教育希望者を支援。
03年11月、「リバス計画」に着手。500万人の中学未就学者が対象。
04年3月、「見つめ直そう計画」の開始。最貧層120万人に6か月から2年の間、奨学金を授与し、職業訓練と(職業)紹介。
その他、「住宅建設計画」(都市向け)、「ピアール計画」(鉱山地区対策)、「グアイカイプーロ計画」(先住民対策)、「ミランダ計画」(国軍予備役兵士対策)、「新身分証明書発行計画」(選挙有権者登録)、「奇跡計画」(白内障治療計画)など合計14の計画が進められている。奇跡計画では13万人がキューバで白内障の手術を受けた。
03年11月、反革命派がチャベス大統領罷免国民投票の実施を要求した。要求署名簿の不正問題で04年6月まで議論が継続され、議論の是非を最高裁TSJと全国選挙管理委員会CNEに委ねた。
当初最高裁判事20人中、政府派と反政府が10人ずつだったが、
04年4月、与党が新最高裁法を可決し、判事の数を20人から30人に増やし、判事の任命を単純過半数にし、最高裁で多数派を確保した。04年12月、与党寄りの12人の新判事を任命された。
04年6月、全国選挙管理委員会でチャベス派が多数を占めた。
ベネズエラでは三権の他にさらに市民権力(護民官制・選挙権力)がある。選挙権力の全国選挙管理委員5人と、準委員10人は国会が任命する。
全国選挙管理員5人のうち2人が政府派、2人が反政府派で、残る1人はフランシスコ・カラスケーロ委員長で、委員長は中立、どちらかといえば政府寄りだった。同委員会で署名簿の有効性を判断した。署名簿に不正はあったが、
04年6月、大統領罷免要求数が選挙登録者の20%を超えていることが確認された。
04年8月、さらに大統領罷免要求投票を実施するかどうかの国民投票が行われた。
この間、全国選挙管理委員会でもチャベス派が多数を占めるようになり、05年1月、1人を除き4人がチャベス派になった。
04年8月、大統領罷免要求国民投票が行われ、チャベスは59.09%を、反政府派の民主連合CDは40.63%を獲得した。
首長選挙 当初首都カラカスやミランダ県では、首長はチャベス派ではなかった。02年4月のクーデターの時には、反対派のアルフレード・ペーニャ市長は首都警察を握ってチャベス派を弾圧したが、
04年10月、県知事選挙が行われ、カラカス市長にチャベス派のファン・バレードが市長となり、ミランダ県でも勝利した。反対派は20県中スリア県など2県だけとなった。
この時、市長選も同時に行われ、335市中270市でチャベス派が勝利した。
2 政治・経済・司法・選挙・軍事の実験の掌握へ
112 04年12月~06年1月
チャベス大統領は所有面での改革を開始した。
03年1月、チャベス大統領はホルヘ・ガルシア・カルネイロ将軍を国防相に任命した。同将軍は02年4月のクーデターの際、反乱派の上層部の指示に従わず、チャベス大統領の指示に従い、戦車で事態を逆転させた。また同将軍は貧困地域での住宅建設や衛生施設の改善・輸送面で貢献した。
05年、チャベス大統領は、軍民共同による主権の擁護を推進し、50万の予備役兵と100万の一般市民が登録した。これは巨大な技術力・軍事力を持つ強国との非対称戦争に備えるものであった。ベトナム戦争などはその一例である。
113 チャベス大統領は、04年12月、ベネズエラ石油公社PDVSAの総裁アリ・ロドリゲス*を外相に、エネルギー・鉱山相のラファエル・ラミレスを兼任でPDVSAの総裁に任命し、PDVSAの管理運営権を掌握した。PDVSAからの国庫納入額は1974年、収益の70%であったが、90年代には40%に減少していた。*2026年6月現在の大統領は、デルシー・ロドリゲス1969.5.18-
05年、チャベス大統領は南米諸国共同体CSNの結成に貢献した。
05年1月、コロンビア革命軍FARCの幹部(外相格)であるロドリゴ・グランダを、コロンビアの治安当局から賄賂を受けていたベネズエラの警官や兵士が、ベネズエラ国内のカラカスで逮捕拉致2004.12.13し、コロンビア国境に連行した。
これによりチャベス政権とコロンビアとの関係が悪化したが、キューバやブラジルの協力で、コロンビアとの外交関係は維持された。ロドリゴ・グランダはカラカスでの国際会議に出席していた。
114 好調なベネズエラ経済
カラカスの露店で販売されている商品の大半は輸入品である。露天商は許可証を持っていない。
石油ストによる損失14億ドルの影響もあり、2003年のGDPは(前年比)マイナス7.7%だったが、04年度はプラス17.9%、05年度はプラス9.4%と好調である。
対外累積債務は04年度で445億ドルあるが、05年9月、南米諸国共同体CSNの第二回首脳会議で、チャベス大統領は南米開発銀行の創設を提案し、50億ドルを拠出するとした。財政赤字は03年度の(GDPの)4.3%から(04年度or 05年度は)2%に、インフレ率は14.4%、失業率は12.1%である。
116 ドン・キホーテのように革命を
スペイン文学の最高傑作であるミゲル・セルバンテスの『ドン・キホーテ』発刊400周年にあたる2005年4月23日、チャベスは、同書のダイジェスト版を100万部発行し、無料で配布した。この政策はドン・キホーテの恋人の名にちなんで「ドゥルシネーア作戦」と名付けられている。ボリーバルはその死に臨みこう言ったという。「私は無駄な骨折りをしてきた。イエス・キリスト、ドン・キホーテと私、三人は歴史において最大のたわけものであろう」と。チャベスは三人の考えを世界で実現することがベネズエラの国民の課題であると強調している。
2004年3月に設立された市民組織「賛同する中産階級」は、貧困層への文化・啓発活動を広げている。全国24都県に60の支部を持ち、全国指導部が結成された。かつてはチャベス大統領の改革路線に無関心か反対の人が多かった中産階層にも、革命を支持する人が増えている。
データが示す社会福祉施策の向上(1998年と2005年との比較)
年金受給者数 38万7000人→56万9000人
最賃 月183ドル→199ドル
乳幼児死亡率 21.4→16.7
平均寿命 68.7歳→73.4歳
貧困率 48%(97年)→37%
極貧層 17.1%→13.3%
「キリスト計画」04.1は、2021年までに貧困ゼロを目指す。
「黒人イポリータ計画」(孤児救援計画)はボリーバルの乳母であった黒人イポリータにちなむ。
3 革命の深化、農業改革の本格的推進
119 農業改革の本格的推進
「全国土地改革庁」INTIが土地の分配(農業改革)を担当している。
農業改革はキューバの模倣ではなく、ベネズエラの農業改革の伝統を引き継いだ。ベネズエラの農村人口は(全人口の)10%で、食料自給率30%にすぎない。人々を農村に帰還させなければならない。
120 ベネズエラでは土地の所有が偏在している。大土地所有(ラティフンディオ)であり、5万ヘクタール持っている人もいるが、その多くは未使用地である。また政治家の恩顧主義を利用して公有地を簒奪し、登記謄本も持っていない。ジニ係数は0.9以上で、ラテンアメリカではパラグアイに次いで土地が一部に集中している。
1961年の憲法第105条でも、大土地所有の解体と農民・農業労働者への土地再分配を規定した。ボリーバル憲法でも「大土地所有は社会的利益に反する。未使用地には課税する。農民や農牧畜生産者には土地を所有する権利がある。土地所有の共同や私的形態を保護・推進する。」
1960年代に「民主行動党」政権も農業改革を行い、小農を育成しようとしたが、私有地の大土地所有に手をつけず、公有地の未使用地を小農に分配したにすぎなかった。改革は失敗した。
1997年時点で、20ha以下の小農75.1%が全農地の5.7%を所有する(小土地所有(ミニフンディオ))のに対して、1000ha以上の大農0.1%(4945戸)は全農地の46.4%を所有している(大土地所有(ラティフンディオ))。
02年11月、「土地・農業開発法」が制定され、5000ha以上の未使用地を大土地所有とした。それが05年4月に改訂され、「未使用地と適格収穫率の80%未満で近隣の土地所有の平均以上」と(没収対象を)定めた。*「適格収穫率」とは全国平均の収穫量。また登記証本を持たない土地は、国に収用され、その際支払いはないとされた。現在ベネズエラの私有地の80%、2400万ha(全農地は3000万ha)の所有権の合法性は疑わしいとされる。
「サモーラ計画」*は1000万ha/3000万haを対象とし、02年2月から開始された。大土地所有者の暴力的抵抗にあい、十分に推進できなかった。この2年間で大土地所有者に殺された農民や協同組合指導者は180人である。この間170万haが農民に分配され、15万haから20万haが、国に回収された。
*「サモーラ計画」 2003年2月6日、「土地・農業開発法」に基づく「サモーラ計画」で、13万家族に200万haの農地を分配した。今後5年間で、農地1000万ha/3000万haを50万家族に分配する計画である。066
123 メディーナ・アンガリータ元大統領「愛情をもって農村に戻ろう」
1922年、マラカイボ湖で油田が発見された。ベネズエラは1920年代は農業国であったが、現在の都市人口は92%、農村人口は8%である。民主行動党やキリスト教社会党政権の、農業軽視の新自由主義政策により、多くの農村住民が大都市に移住し、都市で不安定就業者(インフォーマル・セクター)を形成した。ベネズエラの50%弱がインフォーマル・セクターである。彼らはカラカスでは簡易テントを張って露天商を営んでいる。カラカスでのインフォーマル・セクターは60%超であると思われる。
124 ベネズエラは食糧の64%を輸入している。チャベスは都市部のインフォーマル・セクターを農村に戻そうとしている。
1945年、1961年の農業改革は、土地を再配分して小農を育成したが、チャベスは、個人農に対してではなく、農民や都市失業者に対して、協同組合や農業法人として分配している。その割合は90%である。協同組合農場は「サモーラ農場」として組織されている。
メディーナ・アンガリータ元大統領は元軍人で、1945年、農業改革法を公布した。
1954年、グアテマラのアルベンス内閣は農業改革を実施したが、米国系多国籍企業のユナイティッド・フルーツ社の農地の多くが、その改革の対象となったため、同社と結託したCIAが支援する傭兵によって顛覆された。
キューバでも1959年、カストロ政権が第一次農業改革を実施したところ、キューバの最良耕地の1/4を所有する米国系製糖企業と衝突し、アイゼンハワー政権以降の歴代米政権は、カストロ政権打倒政策を打ち出した。
4 内発的発展計画の最前線を訪ねる
126 「大平原の魂」はベネズエラの第二の国歌
歌「アルマ・ジャネーラAlma Llanera」は、ペドロ・エリアス・グティエレスの1914年の作品で、ベネズエラの第二の国歌とされる。これは一般に「平原児の魂」と訳されるが、ジャーノは平原で、ジャネーロは牧童であるから「牧童の魂」という意味である。石橋純は「大平原の魂」とする。1930年代以降、ベネズエラが石油の不労収入に依存する(レンティスモ)以前の農業国の様子を歌っている。
127 チャベスもベネズエラ南西部バリーナス県サバネータ出身の牧童(ジャネーロ)である。
ボリーバルに影響を与えたシモン・ロドリゲスは、1828年、「イスパノアメリカは独創的でなければならない」と説いた。チャベスによれば、ベネズエラの最初の社会主義者は、シモン・ロドリゲスとシモン・ボリーバルである。
128 「内発的発展の核」とは何か
「内発的発展」とは自力で経済発展をするという意味のようだ。東南アジアでも言われている。毛沢東の自力更生論に影響されているらしい。
130 「国家経済・社会発展計画総路線2001-2007」は内発的発展論の原型である。それは社会(公正)、政治(参加型民主主義)、経済、領域(国内)、国際(協調)の5つの分野での発展を説く。
131 キーワードは創造的 意味不明
133 「見つめ直そう計画」の本格的推進* 省略
* 2004年3月、失業対策計画「見つめ直そう計画」078
134 内発的発展計画の全国的展開 省略
136 革命家ファブリシオ・オヘーダ
ファブリシオ・オヘーダ1929-66は新聞記者だったが、1958年、「民主共和連合」URDを代表して、独裁者ヒメネスを打倒するための統一戦線「愛国会議」の議長となった。ヒメネスは亡命し、ファブリシオ・オヘーダは同年1958年、「民主共和連合」の国会議員に選出された。
1960年、キューバに赴き、1962年、『マルティの革命的存在』をキューバで出版し、同年1962年6月、国会議員を辞職し、武装闘争に転じたが、1966年6月、カラカスで政府軍諜報機関により暗殺された。
(ベネズエラでの)武装闘争は1961年から始まり、それにベネズエラ共産党、民主共和連合URD、そして民主行動党ADの離党者が結成した「左翼革命運動」MIRなどが参加した。1965年、武装闘争は鎮圧され、ベネズエラ共産党は武装闘争を放棄した。
その後もキューバ共産党はベネズエラの武装闘争継続派を支援し続けたため、キューバ共産党とベネズエラ共産党との論争が起こったが、70年代初めに、(ベネズエラの)武装闘争は消滅した。
138 「ファブリシオ・オヘーダ内発的発展の核」計画
この計画は2005年6月に始まった。協同組合形式で運営されていて、中に何でもそろっている一つの都市のような集団である。建設には、周辺地域住民やボリーバル政府、ベネズエラ石油公社、ベネズエラ軍があたった。組合員はもと失業者だった人たちである。好条件な政府融資が受けられる。販売先は、靴工場協同組合の場合は、小中学校で、販売価格は、中間流通業者を通さないから、市販価格より安い。農場や病院もあり、診療代・薬代は無料である。
143 いろいろな生産の組織形態の出現
全国協同組合管理庁SUNACOOPの説明によれば、(内発的発展の核計画の)生産活動は、協同組合形式を主とする①社会的生産企業であり、それは次の②~④に分けられる。⑤については後述する。
②住民共同体生産企業
③住民共同体サービス業
④住民共同体商業・流通企業
⑤共同経営
①社会的生産企業は、地域住民が参加して協同組合を設立する。利益を上げることが目的ではないが、もし利益が出れば、地域の社会保障や環境維持に当てられ、貧困層に、生産した必需品を無料で供給する。
②住民共同体生産企業は、生活必需品を生産し、
③住民共同体サービス業は、上下水道や電気・通信・ゴミ収集・食堂などのサービスを提供し、
④住民共同体商業・流通企業は、流通・販売を担当する企業である。
協同組合は将来、社会的生産企業に組織化されるだろう。
⑤共同経営は株式会社経営である。閉鎖されている企業の株を協同組合(労働者)が買い取り、経営者と共同経営する。買い取り資金は政府が無利子で融資する。利益は株数に応じて配分される。この共同経営は1950年代、西ドイツで始まり欧州に拡大され、90年代に、ラテンアメリカに導入された。
146 各種生産組織形態を経済発展の中でどう位置づけるか
現在のベネズエラは資本主義社会である。
ベネズエラでは一時は国営企業が優勢だった時もあったが、現在では劣勢である。チャベスは国営企業を増やそうとしている。
1985年~90年の国営企業のGDP比は22.3%で、総投資の50.9%を占めていたが、1990年代の民営化の流れの中で、基幹産業の多くが私企業になり、現在では国営企業のGDP比は7%にすぎない。
大手私企業は経済の中核を占め、経済活動の根幹を握っている。
カラカス電力
ベネズエラ電話会社
ポラール・グループ(食品・たばこ・飲料)
シスネーロス・グループ(通信・飲料)
ベネズエラ・ゼネラル・モーターズ(自動車)、ベネズエラ・フォード(自動車)
シベンサ・グループ(金属)
シドール・グループ(製鉄、旧国営)
地方・商業銀行
ベネズエラ国際航空(旧国営)
一方、90年代の民営化を乗り切った国営は
ベネズエラ石油公社(GDPの1/4を占める)
ガイアナ・ベネズエラ公社(製鉄・アルミ)
カロニ電力公社
電力生産管理公社
などである。
社会主義社会に向かうにはレーニンが言うように「瞰(かん)制高地」=基幹産業を国が掌握する必要がある。チャベスは民間大手と競争する国有企業を創設し始めた。例えば、
国民主権銀行(零細企業を育成)BPS
女性の発展のための銀行(女性企業家を育成)BDM
ベネズエラIT公社
ベネズエラ通信公社COVETEL
ベネズエラ工業公社(中小製造業に融資)VINESA
ベネズエラ農業公社CVAとその傘下の砂糖会社CVAASA
穀物・植物油公社CVACOSA
農業資材会社CVAECISASA
メルカル(食糧販売のチェーン店)MERCAL
農産物供給・サービス公社CASA・SA
コンビアサ航空会社CONVIASA
観光会社VENETUR
テレスル国際テレビ局TELESUR
基幹部門を国が握り、その他は民間に任せつつ、国は、市場経済を通じて社会主義経済の基礎を築こうとしているようだ。
5 社会主義論で何が話し合われているか
150 チャベスが社会主義について最初に述べたのは2004年12月の北京大学での演説であった。その後の2005年1月、世界社会フォーラムでも演説した。チャベス「一時トニー・ブレアの第三の道に傾倒し、「人間的社会主義」について書いたり話したりしたが、それは不可能だと分かった。社会主義こそ進むべき道である。」
チャベスは読書家で、聖書、ボリーバル、マルティ、マルクス、エンゲルス、レーニン、トロツキー、グラムシ、毛沢東、ゲバラ、ベネデッティ、ガレアーノ、ダグラス・ブラーボなどから影響を受けた。
151 チャベスの社会主義論
2005年12月の(反対党がボイコットした042)国会議員選挙で、チャベスの第五共和国運動MVRと組んだ党は、共産党PCV、皆のための祖国PPT、われわれもできるPODEMOSなどであり、「変革ブロック」という選挙共闘組織をつくった。039そして新議会の第二副議長に、共産党のロベルト・マヌエル・エルナンデスを選んだ。
チャベスの社会主義論の特長
・資本主義は貧困や利己主義、商品崇拝を解決できない。
・民間ではなく国が関与しなければならない分野がある。
・参加型民主主義、複数政党制、キリスト教
・市場経済の活用
・多様な所有制
・キリストは最初の社会主義者であり、ボリーバルやシモン・ロドリゲスは空想的社会主義者だった。
・他国の社会主義モデルを模倣しない。
・現在は社会主義に移行する「革命的民主主義」の段階である。
153 チャベスにおけるキリスト教と社会主義の関係
チャベスは「社会主義はモラルを追求しなければならない」とする。これはフィデル・カストロの考えにも共通する。キリストは「金持ちは天の国に入るのは難しい」と言っている。(新約聖書マタイによる福音書19, 21-24)
155 ベネズエラ共産党の主張
ヘロニモ・カレーラ「現在のベネズエラの社会主義は、空想的社会主義だ。ヒューマニズムだ。」
ベッキオ「科学的社会主義の立場から現政権に貢献したい。」
ペドロ・エウセ「共同経営で株を持つことは、ブルジョワ改良主義であり、資本の民主化論にすぎない。資本は民主化されない。株を所有すると労働者が資本家の野心を持つようになる。」
2006年3月来日したベネズエラ共産党員のフェリーペ・フィゲロアとジョニ・ニーニョは「スターリンの農業集団化は誤りだった。個人崇拝による特権層の創出ではなく、労働者国民が決定に参加しなければならない。」
キューバの国営企業の非効率、労働規律の低さ、生産性の低さを私は見てきた。今のベネズエラで国有化を全面的に行えば、効率性が機能しなくなるのではないか。
05年のベネズエラでのアンケによれば、47.9%が社会主義的政府を望み、25.7%が資本主義政府を望み、24.6%は無回答であった。
157 執拗な米国政府からの干渉
2005年初頭、ブッシュ政権はチャベス政権を「近隣諸国に不安定要因を作り出す否定的勢力」とし、敵視・干渉政策を推進している。
158 2005年6月、1976年のキューバ航空機爆破事件犯人で、ベネズエラで服役中に脱獄したポサーダ・カリーレス(CIAの協力者)の身柄引渡を、ベネズエラ政府から犯人引渡協定に基づいて要求されても、ブッシュ政権は無視しているが、それはテロ政策のダブルスタンダードである。
2005年8月、米国の宗教右派指導者パット・ロビンソンが「戦争するよりも安上がりなので、チャベスを暗殺しなければならない」と公言したが、おとがめなしである。
2005年9月、米軍によるベネズエラ侵攻の「バルボア計画」が暴露されたが、その解明はなされていない。
最近、ブッシュ政権は米国製兵器部品のベネズエラへの供給を抑制しつつ、2005年度、ベネズエラ政府がスペインやブラジルから防衛的な船舶や航空機の購入契約を結ぶと、スペインやブラジルに対して販売しないように圧力を加えた。しかし両国から反撃される結果となった。
2005年12月4日のベネズエラ国会議員選挙では、野党の大敗が確実な状況の中で、ブッシュ政権は、ベネズエラの民主行動党や、キリスト教社会党、ベネズエラ計画党、正義第一党の野党四党に対して、投票日寸前に、候補者名簿を撤回させ、選挙をボイコットさせた。選挙投票の仕組みは候補者名簿を提出する以前から分かっており、撤回の前日には「指紋検出器」*を使用しないことが決定され、ヨーロッパ連合EUや米州機構OASの国際選挙監視団に対して選挙参加を約束したばかりであった上での、急なボイコットであった。
*指紋検出器に関して、野党は指紋が監視に利用されると主張していて、その撤回要求が受け入れられた。
但しこの選挙では全ての野党がボイコットしたのではなく、社会主義運動MASや急進大義党などは参加した。
上記野党四党は、選挙不参加によってチャベス支持者の投票意欲をそぎ、75%の棄権率を誘発させ、選挙の違法性を主張したかったが、国際選挙監視団は違法性を指摘しなかった。彼らは今後6年間の議席を失うことになった。
ただし、国会議員選挙の投票率はかねてから低調であった。
2006年2月、米国防省は国防見直し報告の中で「ベネズエラの大衆迎合の権威主義的政治が、ラテンアメリカの政治的不安定を招いている」とし、さらにライス国務長官は「チャベスによる干渉政策に対する予防戦略として、積極的に反チャベス統一戦線の結成を呼び掛けている」と米下院外交委員会で明らかにした。
2006年3月、米国務省年次報告書は「ベネズエラ政府はメディア活動の自由を制限し、野党の政治活動に嫌がらせを行っている」とし、クラッドック米南方軍司令官は「チャベスは過激な大衆迎合主義を輸出し、ペルーやニカラグアの大統領選挙にも影響を及ぼしており、ラテンアメリカの不安定要因となっている」とし、予防戦争政策の地ならしをしている。
一方、ベネズエラは世界第五位の石油輸出国であり、米国にとっては第四位の石油供給国となっている。チャベス大統領は米国との良好な関係を希望し、米国への石油の安定供給を保障している。また石油価格の高騰に苦しむ米八州の低所得層に対して、ベネズエラ石油公社の子会社の米国内のシトゥゴ社を通じて、市価より40%安い灯油を提供している。
2005年10月、訪欧したチャベス「ベネズエラ国民は愛でもって世界の人々の愛に報います。」
161 ベネズエラ革命の弱点は?
汚職と官僚主義である。
与党第五共和国運動の党員数は120万人である。
ベネズエラ共産党の1960年代初期の党員数は6万人で人口の1%であったが、現在は1万5000人の少数党である。
チャベスが、旧高級官僚(行政権力)を更迭し、憲法を改定し、立法権力(国会)や司法権力、選挙権力を掌握するなど、五つの権力を掌握したのは2005年7月のことであった。
旧勢力革命派(旧二大政党、旧二大政党派の労組、財界、宗教界、マスコミ、富裕層)が米帝国主義と提携して抵抗している。
185 あとがき
1980年代90年代、ラテンアメリカは対外債務のために国際通貨基金IMFや世界銀行から新自由主義を押し付けられ、格差が拡大した。この時期はラテンアメリカでは「失われた10年」、「絶望の10年」と呼ばれている。
アメリカは米州自由貿易構想FTAAを推進しているが、それから自立しようとした最初の国がベネズエラであり、それにブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、ボリビアが続いた。それは議会選挙を通じて行われた。
「新聞赤旗」は南米に記者を派遣し、2004年から紹介している。私は「日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会」で講演していたが、2004年11月、同委員会の人たちとベネズエラを8日間訪ねた。それは25年ぶりの訪問だった。その時の会談の詳細は『赤シャツのボリーバル革命が進むベネズエラを訪問して』(みやぎ書房2005、日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会訪問団記録)としてまとめた。
2005年8月にベネズエラを再訪し、前年の分とまとめて、雑誌『経済』に掲載した。
今年3月、ベネズエラ国際連帯委員会の人たちを日本に招聘した。
以上
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