2026年6月17日水曜日

小松実「今なぜ、スパイ防止法なのか」20260607

 

小松実「今なぜ、スパイ防止法なのか」20260607

 

 

感想

 

スパイ防止法の真の狙いは、政権に反対する民衆の監視である。

 

政府が使う表づらの言葉に騙されるな

 

国家権力には民衆には隠しておきたい秘密がある。日米軍事同盟の機密は隠しておきたいものの最たるものだろう。卑近な例で示せば、「防衛、装備品、移転」などと言っているが、それらの言葉の真意は、軍事、武器、輸出である。政府は真意を隠しておきたいのである。「インテリジェンス」は賢いインテリかと思いきや、情報収集ばかりでなく、CIACentral Intelligence Agency 米中央情報局は、他国の大統領夫妻を拉致したり、他国の元首をピンポイントで爆死させたりしている。それがインテリジェンスである。

 

 

スパイ防止法の真意

 

参政党代表・神谷宗幣の、公務員の資質に関する言葉が、スパイ防止法の本質を端的に物語っている。「極左の考えを持った人たちが浸透工作で社会の中枢にがっぷり入っていると思うんですよ。これをね、洗い出してね。極端な人たちには辞めてもらわないといけないと思います、私は。これをね、洗い出すのがスパイ防止法です。」(2025714日、松山市での街頭演説)

 

江藤淳の言葉もスパイ防止法の本質を端的に物語っている。「スパイ防止法の意味は、特定されている事項の重要性もさることながら、日本の言論人に対して、日本国民すべてに対して、…日本、日本の皇室、日本の歴史に対する忠誠心の根幹に立ち返ることを言外に求め、また明文をもって求めた法律案であるという、この一点にあると思うのであります。」(1985423日、スパイ防止法制定促進全国決起大会・記念講演)機密漏洩防止そのものよりも、国民を特定の思想に導き、それ以外の考えを排除する思想統制が本丸なのである。

 

 

自民党の憲法改正実現本部長であり、衆院憲法審査会会長の古谷圭司は、戦前の1928年、29年、三・一五、四・一六で、共産党を大弾圧した時の特高課長だった纐纈彌三が、衆院議員引退時1967.1に、岐阜県の選挙地盤を贈与した旧内務官僚で、岩手県特高課長だったこともある古谷亨・元自治大臣の養子である。

 

 

レジュメ

 

p.1

 

先般2026.5.27「国家情報局」へ格上げされた「内調」(内閣情報調査室)は、追放解除された戦前の特高が中心となって組織された。

 

その間の歴史を整理すると、

 

1 戦後の「スパイ防止法・防諜法案」に関する動きと狙い

 

(1)スパイ防止法は日米安保とともに始まった

 

19519月、大橋武夫法務総裁「講和後の治安対策の中心は、日米安全保障条約である。公安保障法案(後の破防法)や、ゼネスト禁止・集会デモ禁止・プレスコードなどの立法化の他に、防諜法案の成立を期して行く。」

1951.9.8、サンフランシスコ講和条約が締結されたが、そのとき「日米安保条約」が極秘裏に調印されていた。特高追放が解除された。

 

1952.4.9、「内調」設置が閣議決定された。内調は内閣の意思決定をサポートする(戦前特高による)情報分析組織。

1952.7.21、破防法と公安調査庁設置法が同時に公布・施行された。公安調査庁は法務省の外局で、特定の団体(共産党)を調査・規制する。公安調査庁は旧特高関係者を中心に組織された。

 

1957年、岸信介が訪米時に、アイゼンハワー大統領から、軍事情報の交換や、軍事技術の提供を念頭に、「日本も秘密保護法が必要だ」と要求された。

1958.3、岸信介首相「防諜法は、自衛隊の機密ばかりでなく、国の秩序を守り、国の利益に反する行動を押さえるためにも必要」

 

195812月、参議院決算委員会で保科善四郎(元海軍中将)が質問した。「国際共産主義国家が、その目的のために手段を選ばない策謀を行いつつ現実も、これは無視することができない。…こういう観点からしましても、私は防諜法のようなものを速やかに制定しまして、諜報活動や、国内に不穏な策動を起こすような、こういうものに対する防止に備える必要がある。」

 

岸信介首相答弁「今日の国際情勢におきましては、直接侵略だけではなしに、間接的な侵略に対しても備えをしなければならぬ。…しこうして今日までの法制でもって、日本の国家機密を十分保護する手段が欠けておるということも事実である」

 

背景 1950年代末、第一次防衛力整備計画が始まり、日米共同作戦が日程に上ってきていた。

 

p.2

 

19665月、自民党安全保障調査会の保科善四郎試案は、「防諜法の制定、強力な総合中央情報局の設置」*を、その防諜法では、「暴力革命を実行することが明らかになった政治団体の予防的規制」を掲げた。*現在のスパイ防止法と国家情報局とよく似ている。

 

19704月、参院予算委員会で佐藤栄作首相「国家の機密、さようなものはございますから、やはり機密保護法は必要だろう。…これは私の持論でございます。

 

197810月、参院予算委員会で福田赳夫首相「いまとにかくスパイ天国とまで言われるわが日本です。こういう状態を放置しておいていいのかどうかというような重大な問題もある。」

 「スパイ天国」という言葉は「国の秩序を守り、国の利益に反する行動を押さえるため」の弾圧法の整備のために使われて来た。

1979年、勝共連合が「スパイ防止法制定促進国民会議」を設立し、政治家・保守系文化人・財界に呼びかけ、岸信介をスパイ防止法のための法律制定促進議員・有識者懇談会の会長に据えた。

 

勝共連合は1968年に設立されたが、その時「日本から共産主義勢力が駆逐され、世界から妖怪が姿を消して、真の平和と繁栄が確立されるまで、断じて追撃の手を休めない」と宣言した。

文鮮明の「勝共連合かく闘えり」によれば、「日中が接近し、ソ連が日本やアジアに出てくると、日本でスパイが暗躍する。共産主義の思想戦に打ち勝ち、安全保障体制を確立するためには、スパイ防止法の制定が必要だ」とした。

 

19804月、自民党が「スパイ防止法案要綱」を作成た。

 

19856月、中曽根康弘首相は衆院内閣委員会で「日本は世界でも有数のスパイ天国だと言われておりまして、…特に防衛機密の保持という点は、非常に重要な問題であると考えております。従って、国益を守るために、そういうような外国がやっているような制度というものも、日本においてはこれは検討すべき課題であると考えております。」

 そしてこの直後に自民党は議員立法として、「国家機密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」を提出した。その第一条、目的では、「外国のために国家機密を探知し、または収集し、これを外国に通報する等のスパイ行為等を防止するため」とし、「自衛隊の配備とか編成・装備などの国家機密を調査し、収集した者を死刑・無期懲役などの重罰に処す」とした。

 この時勝共連合は、その「スパイ防止法制定促進国民会議」を使って、地方議会に(同法)促進の決議を働きかけ、19854月時点で、地方議会の45%が意見書採択決議を行った。そして19877月までに、全国3323自治体のうちの1790議会(53.9%)が決議をしたのである。

 

江藤淳の言葉もスパイ防止法の本質を端的に物語っている。「スパイ防止法の意味は、特定されている事項の重要性もさることながら、日本の言論人に対して、日本国民すべてに対して、…日本、日本の皇室、日本の歴史に対する忠誠心の根幹に立ち返ることを言外に求め、また明文をもって求めた法律案であるという、この一点にあると思うのであります。」(1985423日、スパイ防止法制定促進全国決起大会・記念講演)機密漏洩防止そのものよりも、国民を特定の思想に導き、それ以外の考えを排除する思想統制が本丸なのである。

 

1985年、法案発表の1か月後、日本新聞協会編集委員会に「スパイ防止法に関する小委員会」が設置され、同委員会は、半年後に、「同法案は表現の自由を制約する恐れがある」とする反対意見を発表した。また日本弁護士連合会や各界からも、「国家機密が政府のさじ加減で無限大に広がり、言論・表現の自由を脅かす」とする反対の声が上がった。

 

 法案は継続審議となり、198510月の臨時国会での論戦や、社会的な反対・批判の声が高まり、廃案となった。その後は、ソ連崩壊により、同法案推進側の運動の勢いは失われた。

 

 

(2)安倍政権以来の「戦争国家づくり」とともに復活した「スパイ防止法」

 

201312月、安倍政権下で「特定秘密保護法」が成立した。

 

勝共連合の「勝共連合かく闘えり」によれば、「特定秘密保護法の半分に(廃案となった)スパイ防止法の内容が生かされている。安倍首相側近の国会議員は「1980年代に皆さん(勝共連合)が取り組んでくれたことが生かされた」と感慨深く語ったという。これは国民運動の結実の一つと言えよう。」

 

20176月、「共謀罪法」が成立した。これは実際の行為ではなく、相談や計画をしただけでも処罰できるもので、ラインやメールを含めて盗聴・盗撮・密告が、市民生活全体に対して行えるようになった。

 

20206月、「土地利用規制法」が成立し、基地・原発の周辺1キロや離島などの583か所(2024年度末)が指定された。

 

20245月、「経済秘密保護法」が成立し、民間企業や研究機関の従業員・研究者がセキュリティー・クリアランスの対象となった。

 

2025516日、「能動的サイバー防御法」が成立し、疑わしいと判断したサイバーに警察・自衛隊が侵入し、破壊できる。

 

刑事デジタル法」が成立し、捜査機関が本人に知らせないまま、その電子データを取得できるようになった。これをするためには、全ての電子データを調べることが前提となっている。

 

2025714日、参政党代表・神谷宗幣の、公務員の資質に関する言葉が、スパイ防止法の本質を端的に物語っている。「極左の考えを持った人たちが浸透工作で社会の中枢にがっぷり入っていると思うんですよ。これをね、洗い出してね。極端な人たちには辞めてもらわないといけないと思います、私は。これをね、洗い出すのがスパイ防止法です。」(2025714日、松山市での街頭演説)

 

2025815日、石破内閣閣議決定「『(日本が)各国の諜報活動が非常にしやすいスパイ天国であり、スパイ活動を事実上野放しで抑止力が全くない国家である』とは考えていない。」つまり「スパイ防止法」は立法事実がないということである。

 

202510月、自民・維新の連立合意書は、「インテリジェンスに関する国家機能の強化が急務」との認識のもと、内調を昇格した「国家情報局」の創設を明記し、「2027年までに日本版CIA=対外情報庁(陸軍中野学校)と情報要員の養成機関の設立」を明記した。

 

20251027日、参政党が「国旗損壊罪法案」を参院に単独提出した。

20251125日、参政党が「スパイ防止法」関連2法案を参院に単独提出した。

20251126日の党首討論で、神谷宗幣が高市に「スパイ防止法」の制定に協力するよう呼びかけると、高市は、「速やかに法案を提出する」と応じた。

202642日、参政党は「国旗損壊罪法案」を参院に再提出した。

 

20251126日、国民民主党が「インテリジェンスに係る態勢の整備に関する法律案」を衆院に提出した。

 

2026527日、「国家情報会議設置法」が可決された。議長を総理大臣とする国家情報会議の下に、内調を昇格させた国家情報局を置き、現在の情報機関(外務省、公安調査庁、警察庁、防衛省など)からの情報提供を義務付け、個人情報が本人の同意なく同局に集約・分析される危険がある。また国家情報会議・局に対する国会や第三者機関によるチェック・監視体制などの規制がない。これは国民監視と思想選別による、排除から処罰への流れである。まさに「現代版治安維持法」体制の構築である。

 

 

2 なぜ今「スパイ防止法」なのか――急ピッチで進む「戦争する国」づくり

 

20147月、集団的自衛権行使容認の閣議決定

20159月、戦争法(安保関連法)の強行採決

 

202010月、日本学術会議会員任命拒否

 

20229月、「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」の初会合で、読売グループ本社の山口寿一社長が、最初に、敵基地攻撃能力の必要性を訴えた。

202212月、「安保関連3文書」を閣議決定し、敵基地攻撃能力の保有を宣言し、長距離ミサイル等攻撃型兵器を導入する方針を決定した。そして4年後の

2026331日、熊本の健軍駐屯地に「12(ひとふた)式地対艦誘導弾能力向上型(12SSM、射程1000km)」を、富士に「島嶼防衛用高速滑空弾(低空、変則軌道)」の配備を強行した。

202312月、「防衛装備移転三原則」と「同運用指針」を改定し、海外移転の範囲を拡大した。移転要件を大きく緩和し、8か国、74品目に拡大し、米へのパトリオットの輸出が可能になった。

20243月、「防衛装備品移転三原則」と「同運用指針」を改定し、英伊との共同開発による次期ジェット戦闘機の完成品の、パートナー国以外の第三国への輸出ができるようになった。

20244月、日米首脳共同声明は、米軍と自衛隊の作戦や能力などをシームレスに統合した。一体化。

20245月、防衛省設置法を改定し、自衛隊を米軍指揮下に組み込む統合作戦司令部を設置した。

20259月、「防衛力の抜本的強化に関する有識者会議」報告書が出された。この第一回会合は20242月に始まっていた。座長は経団連名誉会長の榊原定征である。構成員は、澤田純NTT会長や宮永俊一三菱重工名誉会長らである。その提言によれば、「防衛力の抜本的強化と経済成長の好循環」を謳い、軍事産業を経済成長のエンジンにし、防衛増税を課し、復興特別所得税から1%分を拝借し、残りの1.1%分の復興特別所得税は期間を延長するよう提言した。

2026412日、高市首相が、自民党大会で、「立党から70年、時は来た。改憲の発議にめどが立ったと言える状態で来年の党大会を迎えたい」と発言するとともに、現職自衛官に制服姿で君が代を歌わせた。

2026421日、防衛装備移転三原則とその運用指針を改定し、5類型の縛りを撤廃し、殺傷兵器の武器輸出を全面解禁した。

 

2026427日、「安保三文書」改定のための「総合的な国力から安全保障を考える有識者会議」の第一回会合が、軍産学官+メディアから構成員をそろえて開かれた。今秋に提言を出し、年内に改定する予定である。

その中味は、軍事費をGDP3.55%にし、敵基地攻撃能力をさらに強化し、日米の司令部機能を強化し、経戦能力を強化し、ドローンやAIを軍事活用し、米の抑止力強化を計り、非核三原則を見直し、科学技術とアカデミアを軍事総動員し、軍事産業の強化と武器輸出を推し進め、原潜を導入するなど、現代版国家総動員体制を狙っている。

 

20265月、自民党安全保障調査会が、202512月から13回行った会議の議論をまとめた、「安保三文書」の改定に向けた「提言案」を大筋了承した。これは、「安保三文書」改定のための有識者会議への防衛省の報告を踏まえ、高市首相の強調する、国力=外交力・防衛力・経済力・技術力・情報力・人材力=総動員による戦争国家を掲げた。

 

戦争と弾圧は手を繋いでやってくる。仕上げとしての9条改憲、緊急事態条項の創設が目論まれている。

 

3 治安維持法体制下の弾圧法と現在

 

戦前の治安体制 上田誠吉(自由法曹団の弁護士)によれば、治安維持法は3階建ての構造をしていた。

 

1階 刑法 大逆罪、外患罪、内乱罪、騒擾罪など。

2階 警察による取締法規 出版法、新聞紙法、行政執行法、警察犯処罰令など。

3階 軍事法規 軍機保護法*、要塞地帯法、資源秘密保護法、国家総動員法など。

そして治安維持法はこの1階から3階までを貫く柱の役割を果たしていた。

 

*北大生の宮澤弘幸を弾圧した、宮澤・レーン事件は、軍機保護法による。

 

治安維持法による弾圧犠牲者

 

治安維持法は1925年に成立し、国体の変革や私有財産制度の否認に対して、最高刑を10年としたが、1928年に改定され、国体変革には最高刑を死刑にし、さらに「目的遂行罪」を創設した。それは国体変革を目指す秘密結社のためにする行為を処罰の対象にするものであった。そしてその判断は特高警察や思想検事であった。さらに1941年に改定されて全65条に拡充され、「国体変革の結社を支援するための結社や、それを準備するための結社を、組織した者も死刑の対象にした。さらに、予防拘禁制度も導入した。

 

・警察署などでの拷問による虐殺 93

・獄死者 飯島喜美、伊藤千代子など400

・逮捕者 数10万人

 

また行政執行法(逮捕状もなく「ちょっと来い」で検束)による検束者 

 

1931年  47万人

1932年  87万人

1933年 123万人

 

弾圧の先兵たちの戦後 立法・行政・司法の中心で居座り続けた。

 

・特高警察官僚の54人が国会議員に

・行政・地方自治体のトップや、内調や公安調査庁のトップに

・思想検事らはほぼ無傷で戦後の司法界に君臨した。

 

政府は今でも戦争と弾圧に対する反省がなく、治安維持法体制に決着がつけられていない。

 

20176月、衆院法務委員会で金田勝利法務大臣「治安維持法は適法に制定され、適法に執行された。謝罪・賠償・調査に必要はない」とにべもなく、治安維持法を擁護している。(共産党の畑野君枝・衆院議員の質問に対する答弁)

 

p8

 

4 「新たな戦争前夜」を押し返すために、緊急に国民的共同を! スパイ防止法反対!

 

維新・国民民主・参政のスパイ防止法案に共通する問題点 小松公生の同盟パンフから

 

1 秘密にすべき情報の範囲が曖昧である。何を諜報活動と看做すのか、どんな情報が守られるべき情報なのかが示されていない。従ってどういう情報の収集や把握・公開が違法なのかが曖昧で、それを決めるのは為政者の胸先三寸ということになる。恐ろしい。

2 「外国」との関係をどう考えるのかが不明である。従って国内で政府批判や政治批判をする人々を「外国に内通する勢力」とか「外国の影響下にある団体」などと一方的に処断できる恐れがある。現に、312日の衆院予算委で、軍拡増税を追求する共産党の辰巳孝太郎議員に対して「スパイ!」というヤジが飛ばされたが、政府を批判すればスパイということになりかねない恐れがある。

3 メディアなどが安全保障に関する問題をスクープした場合、「公然化していない情報を公開した」として処分される危険がある。これは報道の自由を大きく侵害する。

4 そもそもスパイ行為という発想が、憲法の平和主義と相容れない戦時を前提としたものであり、敵国の存在を想定した発想である。

 

 

情報機関はすでに市民活動や国民世論を監視している。

 

2024714日の朝日新聞によれば、大垣署が市民活動を監視していた。中部電力子会社のシーテック社の巨大風車建設を憂慮する住民の個人情報を大垣署が同社に提供していたことが判明した。

198611月、神奈川県警公安部が、共産党の緒方靖男国際部長宅を前年1985年夏ごろから盗聴していた。

200766日、共産党の志位和夫委員長(当時)が、自衛隊が、ヘリ騒音苦情電話やイラク派遣反対活動を反自衛隊活動と看做して、「反戦を主張する写真展」や「年金改悪反対」を、「一般情報」として収集していたことを暴露した。

19881116日、公安調査庁が、日本共産党本部の入口を、5年間にわたり盗撮していたことが暴露された。

 

 

参考資料

 

治安維持法国賠同盟発行のパンフ「高市極右暴走政権と現代版治安維持法『スパイ防止法』を斬る」300

 

 

メモ

 

刑法85条 スパイ(間諜)罪 戦前の日本に存在したが、1947年に削除された。

現在、その代わりになるものは、特定秘密保護法、国家公務員法・地方公務員法、不正競争防止法、自衛隊法、銃刀法、出入国管理法などがある。

 

 

ロイヤル陸軍長官演説

 

194816日、ケネス・C・ロイヤル陸軍長官が「日本を反共の砦にする」と演説した。これはサンフランシスコのコモンウエルス・クラブという公的フォーラムでの米国向け演説である。

19482月、ロイヤル陸軍長官は、米陸軍省に日本の再軍備計画の検討を指示した。

19485月、ロイヤル陸軍長官は、「限定的再軍備」の構想を提起した。その理由は「米の人的資源が節約できる」からだった。ポツダム宣言は守らなければならないから、まずは正式な軍隊ではなく「警察隊」をつくるという構想であり、「いずれ九条を改憲すべきだ」とした。

 

以上は不破哲三さんの書物に書いてある。

 

1950 警察予備隊

1952 保安隊

1954 自衛隊

 

 

第一次レッドパージ

 

1949年、日共が35議席に躍進した。→国労、全逓、東芝の各労組を潰せ。

19497月~8月、下山事件、三鷹事件、松川事件、…

12万人の首切り=合理化=整理が行われた。これをドッジ・ラインという。ドッジ・ラインとは、19422月の、引き締め政策で、インフレと消費を抑制し、輸出を振興した。GHQ顧問で、デトロイト銀行頭取のジョセフ・ドッジが立案。

 

第二次レッドパージ

 

1950年、GHQ指令に基づき、日本政府と民間企業が日本共産党員とその同調者を公務や職場から解雇・追放した。

 

戦犯の社会復帰

 

1952428日の講和条約発効から19585月までに行われた。

 

 

「有識者会議」の濫用

 

p.4 スパイ防止法をつくるための産学官+メディアの「有識者会議」

 

 

特高・公安で、内調をつくった村井順は、19657月、ALSOKをつくった。村井は元内務警察官僚。

 

 

治安維持法改正1928

 

それまでは訴追するためには共産党員であることを証明する必要があったが、1928年の改正により、「目的遂行罪」を天皇の緊急勅令でつくり、党員でなくても、訴追しやすくなった。

 

衆院憲法審査会は50人で構成されているが、しっかり改憲反対を言う人は、共産党の畑野君江1人だけ1/50である。衆院憲法審査会は50人、参院審査会は45人で構成されている。

 

 

公安調査庁

 

公安調査庁の目的は共産党のあらさがしをすることである。

公安調査庁の予算は160億円 千葉の共産党委員長を尾行している。

 

大川化工機事件はその予算を執行するためのもの。だから大失態しても処分はされない。

 

 

ブントが共産党員の名前をばらした。(AIによると、1960年代ころ、名簿の奪い合いは日常的にやっていたようだ。)社民党も民社党も連合の芳野も。

 

 

産経 ヤクルト 水野成夫(しげお)

 

ヤクルトは、かつて産経新聞が所有していた球団である。水野成夫は、フジテレビの創業者で産経新聞の社長だったが、1965年、国鉄スワローズを買収し、「サンケイスワローズ」、「サンケイアトムズ」として経営したが、1968年、球団経営から撤退し、1969年以降、ヤクルトが経営に参加するようになった。

 

以上

 

感想 こんな片田舎の閑静な前橋の総合福祉会館に、右翼の街宣車がお出迎えとはびっくりした。

 

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