近現代史ゼミ 「スパイ防止法」がスパイを作る? 私たちは歴史から何を学ばなければならないか
2026.7.25 内藤真治 前橋総合福祉会館
連絡先
県教育会館3F forum.gunma@gmail.com
設楽 090-2482-6019
ぐんま教育フォーラム https://www.gkb-form.org/
次回は9月26日である。
感想
今日は内藤真治さんのお話をお聞きました。記憶力がすばらしく、また一本気骨のある話しぶりに感動しました。また豊富な文献と、地図や写真を取り入れ、分かりやすく説明してもらいました。
また会場の参加者から、毎月15日、高崎駅でのペンライトデモが紹介され、とかく暗くなりがちな昨今の状況に勇気をいただきました。
内藤さんの話の内容は、治安維持法に関するものでした。
若槻内閣は治安維持法を制定する際に、「思想や表現の自由を尊重しなければならない」としつつ、「ただし国体を破壊するものは例外だ」と、思想や表現の自由の尊重はカムフォラージュに過ぎないことが暴露されました。
治安維持法での取り調べは、警察のストーリーに沿わせて自白させるというもので、今の冤罪事件につながるものです。
メモ
高市は126代の今上天皇、2686年の皇室の歴史と言っているが、これは史実ではない。私は国民学校3年生で小学校を終わったが、当時の「国史教科書」によると、仏教伝来は(皇紀)1112年、桜田門外の変は2520年となっていた。戦闘機の「零戦」は「零式艦上戦闘機」のことであり、この零は皇紀2600年(西暦1940年)を意味する。
ところで「直協」とは「直接協同偵察機」を意味し、地上部隊の支援偵察機である。前橋の空港で訓練された特攻隊員はこの「直協」にのり、あひるのように足を機内に入れないで、沖縄への途上で無残に犠牲になったという。
「治安維持法〇〇〇〇」という書物には、治安維持法で捕まった人たちの名前が掲載されている。
その中に群馬の角田義平治さんがいる。義平治は改名による。元は○○と言った。角田義一はその長男である。角田義平治『我が告白』は、捕まって転向したことを告白している。
煥乎堂の高橋清七の娘、高橋ゆうさんもそのひとりである。ゾルゲ事件で捕まった尾崎秀実(ほつみ、1940年10月逮捕)の、満鉄東京支社や支那研究室などで、秘書をしていた。古在由重との会談に彼女の名前が出て来る。
山宣(山本宣治)は1928年の治安維持法改正に一人で反対した。1928年、無産政党から8人が当選したが、反対したのは山宣だけだった。
宇治の花屋敷に山本家の墓がある。宇治の小高い丘の上である。その近くに山宣家の旅館がある。宇治川のほとりの料理旅館「花やしき浮舟園」であり、近くの善法墓地に山本家の墓がある。
墓(記念碑)に刻まれた文字は官憲によって石膏で塗りつぶされたが、民衆は掘り起こした。官憲はその墓を引き倒した。警察が破壊命令を出したが、墓石は旅館の石の中に埋めて隠され、戦後に復活した。
小説『山宣会』
同志社山宣会
立命山宣会
別所温泉に上小農民組合がつくった山宣記念碑がある。「上小」の上は上田を意味し、小は「こさがた」という地名を意味する。
多喜二
俳優座の人が多喜二の死体を前にしている。(多喜二死亡時の写真)「せんだこりあ」さんである。それは「千駄ヶ谷のコリアン」?という意味らしい。(未確認)
原泉(女優、当時は原泉子、中野重治の妻)もその一人である。
東京帝国大学、慶応義塾大学、慈恵医大でも解剖を断られた。
長野以北北海道まで、生活綴り方運動や、生活図画運動が起こった。それまでの、手本をまねる学習ではなく、ありのままを描こうという運動である。夏目漱石の「吾輩は猫である」に出て来る表現「一瓢(ぴょう)を携えて墨堤(ぼくてい)に遊ぶ」の「ぴょう」は、瓢箪の「瓢」を意味し、それは酒の容器を意味するが、瓢箪の「箪」は食べ物を容れる容器である。
AIによれば、これは論語「一箪の食、一瓢の飲」に由来するのだが、「瓢」は瓢箪(ひょうたん)であり、水を入れる容器であるが、箪は(瓢箪ではなく)竹で編んだ飯入れである。
横浜事件
劇作家の「ふじたあさや」(早稲田中退)の実父は、中央公論の編集長の藤田親昌であった。中央公論は今では読売傘下になっているが、かつては違った。
富山県泊町の旅館「紋左」の経営者の氏は、柚木(ゆのき)という。「柚木」は「ゆき、ゆぎ、ゆずき、ゆのき、ゆうぼく」などの読みがある。紋左の当時のおかみの名は柚木ひさである。
木村亨『横浜事件の真相』
荻野富士夫「戦後治安体制の確立」6000円
密告
聞いて黙っていても罰せられた。
今日7/25の朝日新聞によると、熊本日日新聞の報道として、熊本の自衛隊特報隊が、民衆の愛国心や自衛隊に対する感情を調べていて、それに対して小泉進次郎は「ノーコメ」だそうだ。
戦前の当局はガス抜きをすることもあり、時には民衆に酒をふるまった。
戦前は前女の校歌を歌わせなかった。三番?の「か弱き乙女」*がいけないと。そして「海行かば」を歌わせたという。校史を編集しているとき発見したらしい。作詞は高橋元吉。その前身の校歌に丹澤校長作詩の校歌もある。*AIによればこの歌詞は存在しないとある。
以上
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