アンゲラ・メルケル『自由』下 KADOKAWA 2025
感想 2026年7月12日(日)
リーマン・ショック(2007年7月、リーマンの破綻は9月)
社会主義の不自由を嫌悪・否定し、「自由」を求めたはずのメルケルさんだったが、資本主義の強欲を抑えるための方策を考え出さねばならなかったという皮肉。
2007年の「リーマン倒産放置ショック」(米政府はリーマンが倒産するに任せた)が政治に求めたことは、銀行資本の強欲の全てを満たしてやらないと「市場」が「安定」せず、経済(生産・消費)が成り立たなくなるという強欲そのものだった。これは資本主義政体の危機そのものではないか。放置しておけば、生産は落ち込み、失業者は街にあふれるだろう。「市場」への政府の介入方法が、「市場」の強欲を全て満たしてやることであり、そうしないことには「市場」が回復しないというのは皮肉なことだ。そしてその事後対策が、銀行員の給料を抑制することぐらいしかなかったのである。
リーマン・ショックの原因をつくったのは、銀行の放縦な経営を許したアメリカとイギリスの資本主義政体であった。
感想 2026年7月15日(水)
ユーロ金融危機は、ギリシャの財政赤字が当初発表のGDP比3.7%ではなく、実は12.7%だったと判明したことから始まった。その後イタリア、スペイン、ポルトガルなどの財政危機も発覚し、その解決策として、ギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガルの今後2年間に迫る国債償還の合計額7500億ユーロの融資枠組みが決まった。また実際その融資枠組みが決まると、アイルランドも融資を求めてきた。
結論として全てを面倒みないと解決できないということである。
ギリシャは国民投票でEU首脳部からの要望に対抗しようとしたが、その不可能を悟ったパパンドレウ首相は退任し、サラマスに交代した。
このユーロ危機の原因は米発のリーマン倒産事件だったのではないかと思われる。
IMFが融資に協力した。
この危機の中でも堅実な経済だったのが、ドイツ、フィンランド、オランダなどであった。
感想 2026年7月16日(木)
ユーロ・ギリシャ金融・財政危機の続き
「財政と金融との分離」という問題と、ギリシャの内政問題という二つの問題が述べられている。
財政と金融との分離 メルケルさんは各国の財政政策と金融を掌るECB欧州中央銀行とは独立しているべきだ、財政政策と金融政策の分離は通貨同盟の中核だ067と考えていたが、その考えは各国の首脳からも自国の担当者からもまずいと指摘され067、結局、ECB総裁マリオ・ドラギが、ギリシャの短期国債を無制限に買い入れるという「無条件金融取引」を決定し、メルケルさんもそれに従ったようだ。結果的にその決断は功を奏し、ギリシャの国債利回りは着実に下降していった。069メルケルさんはドイツ国内の連邦憲法裁判所の判断を気にしていたが、ドイツ連邦憲法裁判所よりも欧州司法裁判所の判断が優先されたようだ。068
ギリシャの内政問題 2015年1月26日、ギリシャではアレクシス・チプラス首相の左派政権が生まれ、2015年7月5日、EU合意案を否決することを目的とした国民投票が実施され、その結果6割がEU合意案を拒否するという政権の方針に賛成した。ところがおかしなことに、そのギリシャが、その直後の2015年7月12日、EU合意案を受け入れたのだ。そのことをメルケルさんはギリシャ国民がユーロを手放したくなかったからだと説明する。またメルケルさん自身もギリシャをEUから離脱させたくなかった。もしギリシャが離脱したら、波及効果が生じ、EUの存続に悪影響を与えると懸念したのである。返済開始が2033年、EFSFによる融資の「加重平均満期」は42.5年とのこと。「加重平均満期」とは、資産全体からの資金回収にかかる平均的な期間。債権などの満期を迎えるまでの残存期間を投資金額の割合で加重平均したもの。
「トロイカ」 本書のどこかで「トロイカ」が何であるかについて説明があったはずなのだが、失念したのでAIで調べてみた。「トロイカ」とは、欧州委員会EC(EUの行政府)、ECB欧州中央銀行(ユーロ圏の中央銀行)とIMF国際通貨基金である。ギリシャ国民はトロイカに反発した。
「ヨーロピアン・セメスター」066とは、各国の議会による審議以前にEC欧州委員会が、加盟各国の国家予算案や改革計画を審査できるというものである。
感想 2026年7月17日(金)
082, 083, 084
メルケルのプーチン評
プーチンは2000年に大統領に就任して以来、ロシアが再び国際舞台で(特にアメリカから)軽んじられることのない大国になることを目指し、そのために全精力を傾けてきた。彼にとっては、民主的な体制を構築するとか、きちんと機能する経済を通じて全ての人に豊かさがもたらされるといったことは、どうでもよかった。それよりもアメリカが冷戦に勝ち抜き勝者となったという事実に対して、何等かの形で反抗することを重視していた。冷戦後のこの多極化世界において、ロシアもまた不可欠な極となることを求めていた。そのために彼がとりわけ活用したのが、スパイとして培った自らの経験だった。
プーチンの主張
2007年2月10日の「ミュンヘン安全保障会議」で私は、意見の相違は多々あるが、ロシアとの対話の道を絶えず模索して取り組むべきだと呼びかけた。
続いてプーチン大統領が演台に立った。彼は一極世界について語り、こう問いかけた。「しかし、一極世界とは本当のところ何なのでしょうか。いかに美しく飾り立てようと、結局のところ、それが意味するところは一つです。それはつまり、権力の中心が、そして意思決定の中心が一つしかない世界のことです。たった一人の主、たった一人の君主による世界です。…国際法の基本原理はますます軽視されています。それどころか、ある特定の規範が、そう、実際の所、ある一国の法体系のほぼ丸ごと全部が、あらゆる分野でその国境を踏み越え、経済、政治、人的分野において他の国々に押しつけられています。その一国とはもちろん、とりわけアメリカ合衆国です。」
さらにプーチンはイラク戦争を暗に示唆しつつ「ほとんど際限のない肥大化した武力の行使」について語り、アメリカの目指す欧州ミサイル防衛システムについて疑問を呈し、NATOによる国連委任のないセルビア空爆をほのめかしつつ、国連がEUとNATOによって置き換えられことは許されないと訴え、NATOの拡大は挑発的だと述べた。そして演説の最後に、
「ロシアは千年の歴史を持つ国であり、ほぼ常に独立した外交を行う特権を有してきました。今日においても、この伝統を変えるつもりはありません。我々は世界の変化を注視し、自らの可能性と潜在能力を現実的な目で評価しています。(意味深)そしてもちろん、責任ある、同じく独立したパートナー諸国と協力し合って、選ばれた者だけでなくすべての人々に安全と繁栄が保証された、公正で民主的な世界を構築していきたいと願っています。」
2008年、ルーマニアのブカレストでNATO首脳会議が開催された。議題はジョージアとウクライナから要望された、NATO加盟に先立つMAP(加盟行動計画)への参加を認めるかどうかであった。このことに関してメルケルとサルコジ大統領と米のブッシュとは意見を異にしていた。082 ブッシュは両国の参加に前向きだった。ライス国務長官がブッシュを代弁していた。092
メルケルが危惧していた点は、082
・ウクライナのクリミアにはロシア黒海艦隊が常駐して、その条約の有効期限は2017年だった。
・当時のウクライナ国内では、NATO加盟希望者は少数派であり、国内に深い亀裂があった。
・ジョージアは南オセチアとアブハジアの両地域で未解決の領土紛争を抱えていた。
もしウクライナとジョージアをNATOに加える約束をすれば、プーチンとの「戦争」になるだろうとメルケルは恐れていたのだろうか。メルケル「中東欧諸国がどんなにロシアの存在を毛嫌いしても、ロシアは実際存在しており、核武装している、無視できない存在だ。」
しかしこの時2008年のメルケルらの判断を、ブチャの虐殺2022.4.3を見たゼレンスキーは「ロシアに対するバカげた恐れだった」とこっぴどく批判した。080それに対してメルケルは、対ロシア抑止効果の評価での見解の違いだという。098
096 2008年のNATO首脳会議の翌日、プーチンはブッシュをソチに招待した。当時は敵対ばかりではなかった。(とメルケルさんは言うが、これはプーチンが、その4か月後の2008年8月の南オセチアの民兵とジョージア軍との武力衝突に対するブッシュの出方を探っていたのではないか。)実際、ブッシュはジョージアの派兵要請に応じなかった。
蛇足
091 1898年、ルーマニアのニコラエ・チャウシェスク大統領は軍事裁判で死刑判決を受け、即日処刑された。(はっきりしているが、極端だと私は思う。)
095 ウクライナのユシチェンコ大統領は選挙期間中にダイオキシンを盛られた。(プーチンの影が見え隠れする。)
感想 2026年7月19日(日)
プーチンの変節
ソ連崩壊直後のプーチンはEUに対して好意的でEUとの条約にも入っていた*が、どういう訳か次第に変節し、EUとの関係を好まなくなったという。その理由として、プーチンの大国意識を指摘する。つまりプーチンはかつてロシアが支配していた東欧などの衛星諸国と対等な立場でEUとの同じ条約に加盟するのを好まないという。そしてそのかつての衛星諸国がEUに参加しようとすると、関税を強化するぞとか、石油を半額にしてやるぞとか言って、飴と鞭の両用で阻止しようとした*らしい。メルケルさんは、それをプーチンの大国意識というのだが、本当なのだろうか。
*ソ連崩壊後、EUはロシアを含むEU周辺諸国に対して様々な条約を用意して、取り込みを図った。099
1994年、欧州共同体とロシアは、自由貿易圏の創設を目指した「パートナーシップ協力協定」を締結し、それは1997年に発効した。
2008年、EUはその南東に隣接した国々との「地中海連合」を創設した。これには、北アフリカ諸国や中東バルカン諸国などが含まれ、イスラエルやパレスチナも含まれている。
2000年、ロシアは「ユーラシア経済共同体」を創設し、それは2001年に始動した。
*ウクライナのヴィクトル・ヤヌコーヴィッチ大統領は、EUとの「東方パートナーシップ首脳会議」開催の直前に変節し、ロシアとの関税同盟の方向に舵を切った。モルドバとジョージアは仮著押印した。
感想 2026年7月20日(月)
日本会議が11宮家の男系男子の養子縁組を考え始めたのは、愛子天皇人気に対するカウンタパンチだったとのことだが、それと同じことが、ロシアとウクライナ・EUとの関係についても言えるのではないか。革命には反革命が伴う。それは歴史の事実である。ベルリンの壁が大勢の大衆によって取り壊されるのを見て喜ぶ人がいる反面、旧ソ連を信じていた人にとっては、苦々しく思われたことだろう。それがプーチンだったのではないか。
プーチンの孤立 欧米の歴史は華々しい。立派な建築、美術品、洗練された民主主義的政治システム、巧みな弁舌…。それに対して、ロシアやロシア仲間はどうか。華々しい歴史があっただろうか。遊牧民や西洋の歴史から立ち遅れて植民地化された国々などしか見当たらない。悔しい、と思うだろう。当然だ。
2014年は、ロシアにとって分岐点だったのではないか。つまりウクライナのベルリンの壁が崩壊したのだ。マイダン(広場)革命のとき、一旦は政界の代表者たちで合意が成立したのに、それを大勢の大衆が覆し、ヤヌコーヴィッチは追放され、ロシアに逃げ、クーデターだと叫んだ。ウクライナではその政界の代表者たちではなく、牢屋に入っていて解放された女性ユーリア・ティモシェンコ*の仲間トゥルチノフが議会の議長と大統領代行になった。
*2011年、ティモシェンコはロシアとのガス契約に関する職権乱用を巡り、審理妨害で逮捕され、禁錮7年の判決を受け、さらに2013年、1996年の実業家射殺事件の首謀者としても起訴されていた。
クリミアでの住民投票3/16と、ウクライナ東部二州の独立が宣言2014/4され、住民投票5/11が行われたのはこの年2014年のことである。
感想 2026年7月21日(火)
・ドイツの2021年度予算の軍事費の対GDP比は1.33% 2%達成目標が2020年代末。これは日本の2%(2025年度補正予算を含む)よりも少ない。ちなみに1%は三木武夫の1976年、それを超えたのが1987年の中曾根康弘の1.004%
・難民認定率(2012年~2014年ころの申請承認の割合)が1%をはるかに下回っていた。(下128頁) 難民認定率は日本で報道されているほど高くない。(しかしAIによれば、2014年、日本は0.22%、ドイツでは30%~40%とある。)
・ドイツのメルケル首相が、小学校の体育館で、子どもとの「市民対話集会」2015.7.15に出席し、しかも相手は「不法」難民の女の子。そんなことは日本でありうるか。その背景は何か。キリスト教か、神道か。神道は居丈高に権威を振りまくが、キリスト教は博愛か。141
・EU内では首脳間の交流が多く、日常的に行われている。日本ではあり得ないことだ。習近平や金正恩や李在明と問題があるごとに日常的に気軽に話し合っているか。その背景には、戦前の謝罪が尽くされている/いないことが関係しているのではないか。日本はまともに謝罪をしていないし、謝罪しても反故にする。それでは相手は信用しない。また領土問題も未だに抱えている。
・メルケルさんの難民問題に対する崇高さ、ポリシー。毎年恒例の夏季記者会見2015.8.31で、ハイデナウでの難民受入施設への襲撃事件を受け、メルケルさんはまず「人間の尊厳は不可侵である」と定めたドイツ基本法第1条の意義を強調する。「ドイツ国民であるかどうか、どういった理由でどこからこの国にやって来たのか、最終的に難民申請が承認される見通しがあるかどうかにかかわらず、私たちは全ての人に対して、その人の人間としての尊厳を重んじます。他者に暴言を吐いたり、攻撃したり、宿舎に放火したり、暴力を振るったりする人々に対しては、法治国家として断固たる姿勢で立ち向かいます。憎悪を煽るデモを呼びかける人々と戦います。他者の尊厳を疑問視するような人々を、決して許しません。」そして住まいや就労の長期的な展望と統合のためのより良いサービスの提供を説明し、難民を生み出しているそもそもの原因に対処することの重要性を強調した。147すばらしい。
感想 2026年7月23日(木)
ドイツ国内におけるISテロ問題 メルケルさんのIS観は「テロ」との戦いであり、内向きだ。なぜISが起ったのか、ISは人間ではないのか、という問いは見られない。ISの影響は、EU全体の難民・移民問題にからんでいる。184
感想 2026年7月23日(木)
ドイツの人は偉い。ハンガリーのブダペスト151の高速道路上を徒歩でオーストリアやドイツに向かって歩く大勢の難民の人たちを、ミュンヘン中央駅やドイツの各地の駅で大勢のドイツ人ボランティアが出迎え、お菓子や食べ物を手渡したという。
メルケルさんらが2015年9月4日、5日、その受け入れの決断をしたのだが、必ずしもすべての人を受け入れるというわけではなかった。内紛下のシリアなどの難民ではなく、ただドイツの生活水準に憧れて来る人は別である。
問題の核心は自らの祖国を離れたいという気持ちになる貧困、国際間格差である。それに対してメルケルさんはトルコやアフリカ諸国(エチオピア、マリ、ナイジェリア、セネガル176)に対して金銭的解決をした。
トルコとは「1対1メカニズム」と称し174、ギリシャがトルコに一人を送還すると、トルコ国内のシリア難民を一人EUが受け入れるというものである。これによってバルカンルートの難民数が2016年4月4日以降、2015年10月比で95%減少したという。175
やはりこの原動力はキリスト教的博愛か。メルケルさんもその点を指摘している。158
感想 2026年7月24日(金)
ドイツでは移民増加のせいか、ISのせいか、暴力的極右のせいか、暴力事件が頻発した。
・集団婦女暴行事件190 2015年12月31日、ケルン中央駅。窃盗、暴行、性的暴行。加害者は数百人の北アフリカ、アラブ出身者。
・列車内暴行事件179 2016年7月18日、一人の男が斧とナイフで。5人中4人が重傷。逃走中にさらに1人を襲撃、警官に射殺された。ISが犯行声明を出した。
・自爆179 2016年7月24日、居酒屋で男が自爆。15人中の一部が重傷。精神病の難民。ISとのつながりが疑われる。
・広場でトラックが暴走181 12人が死亡、数十人が負傷、一部が重体。ポーランド人のトラック運転手を射殺していた。ISが犯行声明。難民申請者。ミラノで警官に射殺された。2016年12月19日の出来事。
・政治家が極右に自宅で射殺された。195 CDUの元ヘッセン州議会議員で、カッセル行政区長官だったヴァルター・リュプケ。極右勢力とつねに立ち向かい、2105年以前から敵意や脅迫に幾度もさらされていた。2019年6月1日のことである。
感想 2026年7月24日(金)
BRICSの登場は米帝国主義支配の終焉の始まりを意味していた。中国は2008年11月、世界の金融・経済危機打開のために、4600億ユーロ相当の大金を自国内に投資した。それは同時に世界の金融危機打開にも貢献した。その額はその3か月後の米オバマによる6000億ユーロの景気対策に匹敵する。210
2009年のG20ピッツバーグ・サミットで合意されていた、IMFにおける議決権配分改革を、アメリカは2015年末まで妨げようとした。
2014年、BRICS が、IMFと世界銀行に代わる開発銀行である「新開発銀行」を創設した。
2015年、中国が、新たな開発銀行AIIB(アジアインフラ投資銀行)を創設し、50か国以上が参加した。米日はそれへの協働を拒否したが、独英仏伊はAIIBに参加した。
2013年以降、アメリカはWTOでも、その紛争解決機関の上訴審である「上級委員会」の新委員選出を阻止してきた。そのためWTOの紛争解決機能は弱体化した。
感想 2026年7月29日(水)
WTO体制の崩壊から二国間・多国間自由貿易協定の時代に変遷した。
WTOは1995年に設立された。1947年に締結されたGATTを基礎としている。
ドーハ・ラウンド2001では農業分野などでの環境基準が提起され、開発途上国の無税での参入も盛り込まれた。2008年のワシントンでのG20 は、世界経済の崩壊を恐れて成立を求めたが、2013年、オバマは途上国の無税参入を拒否した。
ドイツは韓国、カナダ、日本、シンガポール、ベトナムなどとは自由貿易協定を結んだが、アメリカとは失敗した。
217 パリ気候協定 法的拘束力による強制から自主性へ
1997年、京都議定書が採択され、第1約束期間(2008年から2012年まで)に1990年比5.2%のCO2削減を先進国に義務付けたが、米は2001年、参加を撤回した。
2012年、第2約束期間(2013年から2020年まで)に1990年比18%削減で合意したが、ロ日ニュージーランドは不参加で、カナダは前年の2011年に離脱していた。
この3年前の2009年のコペンハーゲン会議で、産業革命以前の水準から2℃以上の気温上昇を避けなければならないこと(そのためには世界のCO2排出量を2050年までに50%削減しなければならないのだが)、2020年までに自主的削減目標を各国が事務局に伝達すること、後進国に2020年以降毎年1000億ドルの支援をすることなどが決まった。
2015年のCOP21パリ会議に170か国が各国の(自主的)貢献目標を提示し、それを5年ごとに更新することに合意した。今世紀末までにCO2を実質ゼロにすることを自らに義務付けた。
アフリカとのパートナーシップ
2015年のG7エルマウ・サミットは、今後5年間で西アフリカ諸国を含む60以上の国々と保健パートナーシップを結ぶことで合意した。
私たちはアフリカ諸国のためにではなく、アフリカ諸国と共に何かを打ち立てなければならない。
2017年、初のG20アフリカ・パートナーシップが開催された。
236 中国の「九段線」は第二次大戦後中華民国が打ち立てた海図に由来する。中国の「多国間主義への支持表明」は、口先だけのものであることが判明した。
感想 2026年7月29日(水)
237 トランプ
2016年、トランプはヒラリー・クリントンとの大統領選挙戦中でも、ドイツと私の批判を展開した。私が2015年と16年に大量の難民を受け入れてドイツを荒廃させたと批判した。
2017年3月私はワシントンを訪れた。トランプは安倍晋三とは19秒間も手を離そうとしなかったらしいが、私の時には、記者から依頼され、私がささやいても、トランプは私と二度目の握手をしようとしなかった。それが彼の作戦なのだ。会談中、トランプのハッタリによるドイツ批判に対して、メルケルさんは数字で対応し、土俵が違っていた。彼は相手に良心の呵責を起させることを狙っているようだった。
トランプだけでなくオバマもドイツの防衛費増を迫っていた。2014年のNATO首脳会議で、全加盟国が2024年までに防衛費GDP比2%を目標とされていたが、ドイツはそれを達成できそうもなかった。ただしドイツは2016年、2017年、国防予算を8%増やした。私は安全保障をNATOに頼っていることを自覚していた。(メルケルさんの方向性は間違っているのでは。)
G20ハンブルク・サミットが2017年7月7日に開かれた。反グローバル主義者が車を燃やし、商店を略奪し、石を投げ、警官592人が負傷した。
気候変動に関して19対1の決議を採択した。これは異例である。トランプが私に電話でパリ協定からの離脱を表明していた。宣言は「我々はパリ協定から離脱するというアメリカ合衆国の決断を承知する。…それ以外のG20諸国の首脳(安倍晋三を含む)は、パリ協定が不可逆的なものであることを宣言する」
2016年の杭州G20で、中国が鉄鋼輸出でダンピングをしているのではないかと問題視されたが、習近平はそれを否定した。国際的な調査が行われるさなか、2018年6月、トランプは、中国だけでなくほぼすべての国に、鉄鋼とアルミニウムに関税をかけた。2022年12月、WTOはそれをルール違反と判定したが、バイデンは同関税を撤廃しなかった。私はカマラ・ハリスが大統領になることを願っている。
感想 2026年7月29日(水) メルケルさんのトランプ対処法を学ぶ
メルケルさんのポリシー「私の責務は挑発に乗ることなく、両国の良好な関係のために全力を尽くすことだ。」237
メルケルさんはフランシスコ教皇の忠言「曲げて、曲げて、曲げて、けれど折れないように」242から学んだ。
トランプの対話策略 トランプは対話のテーマについて考えていない。対話中に次の足を引っ張るネタを考えているから、対話そのものは深まらない。「彼がこちらの示す論拠に注意を向けるのは、それをもとに新たな批判を考え出そうとしている時ぐらいだった。今話し合われている問題を解決することを、彼はおそらく目指していないのだ。彼が目指しているのは、対話相手に良心の呵責を覚えさせることのように私には思えた。私が断乎として反論する姿勢だと分かると、トランプは唐突に長々とした演説を止め、話題を変えた。」239
感想 2026年7月30日(木)
市民との対話
メルケルさんはトゥンベリらの要望に応えて対談の場を持ったという。こんな小娘にと言っては失礼だが、こんなことは歴代の日本の首相の場合にありうることだろうか。日本の首相は事前に質問内容を出させないと、質問に応じない。日本の首相は事前に差しさわりのない答弁を用意しておき、その場で自分の頭で考えようとしない。民主的成熟度の差を感じる。265
2020年8月20日、メルケルさんはスウェーデンのグレタ・トゥンベリ、ドイツのルイーザ・ノイバウアー、「フライデーズ・フォー・フューチャー」のベルギー代表2名らと、連邦首相府で対話を行った。
ドイツでは1990年から2020年までの30年間でCO2排出量を40%削減し、2005年から2021年までのメルケルさんの首相在任期間の16年間で、電力の再生可能エネが占める割合は10%から40%超にまで上昇した。266
原発
福島原発事故直後の2011年3月12日、6万人の人々が45キロの距離(シュトゥットガルトからネッカーヴェストハイム原発まで)を、人間の鎖でつなぎ政府の原発稼働延長政策に反対した。251
2011年5月、ドイツの原発政策を審議した「倫理委員会」の報告書はこう述べている。「問題の中心となるのは、想像できる物事ではなく、むしろ想像できない物事である」と。
メルケルさんは2011年6月9日の連邦議会で、「ドイツは2022年までに原子力利用を終結する」と宣言した。
メルケルさんは「原子力利用のリスクに対する自分の中での評価が変化した」256と述べている。日本でも事故時の政権が民主党ではなく自民党だったら、脱原発の方針は変えなかったのではなかろうか。
ロシアからのガス
ロシアからドイツに向けてバルト海の海底を走る「ノルドストリーム2」は、2021年9月に建設されたまま一度も天然ガスを運んだことがない。それはロシアがウクライナ東部2州、ルハンスクとドネツクを承認2022.2.21し、それに対するドイツによるロシアへの制裁が原因である。
それ以前の2021年7月に、米(バイデン)独は、ウクライナを支援することや、ロシアがエネルギーを武器として脅した場合、ロシアからの天然ガスの輸入を制限することなどの共同声明を出していた。262 私はこの米独共同声明について事前にプーチンに電話で伝えていた。私の後任オラフ・シュルツ首相が「ノルドストリーム2」を止めた。263
2014年のロシアによるクリミア併合以降も稼働していた「ノルドストリーム1」(第1ライン2011開通、第2ライン2012年開通)も止められた。前記とほぼ同時期の2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻し、それに対して制裁がなされ、ロシアも「タービン欠品」を理由に供給を停止した。
このため、天然ガスの方がLNGよりも安く、ドイツの燃料費は値上がりした。
ロシアからの天然ガス輸送方法は、「ノルドストリーム1」以前に、ウクライナ経由とベラルーシ・ポーランド経由とがあったが、ウクライナ経由は、ウクライナ国内の通過料問題があり、供給が不安定であった。
ドイツは冷戦時代もソ連から石油と天然ガスを輸入していて、米から白い目で見られていた。258ドイツのガス輸入に占めるロシア産の割合は、2005年に40.6%、2019年に48.8%で、かなりの量をロシアに依存していた。259 独ロ関係は長い間いい関係だったともいえる。
ところが2017年に就任したトランプ大統領は、米の安全保障に差し障るとして、ノルドストリーム2の建設に係るドイツ企業に制裁を科す法案を成立させた。アメリカは2016年までLNGの輸出を禁止していたが、シェールガスの水圧破砕法の発見261によって輸出に転換するようになったようだ。
感想 2026年7月31日(金)
アフガン戦争
アフガニスタン戦争に、ドイツ軍兵士9万3000人が投入され、うち59人が亡くなったという。メルケルさんは戦争参加を「誇りに思う」というが、私は賛成できない。日本は平和憲法があって良かった。中村哲さんのような人も生まれた。
アフガニスタン戦争の終結は、トランプ大統領とタリバンとの合意によって決まり、ドイツ軍や他のNATO欧州軍、それに当事者であるはずのアフガニスタンの当時の政権は蚊帳の外であった。
メルケルさんは混乱している。アフガニスタン戦争に参加したことは間違いでなかった、テロは軍事力で撲滅できると言いつつ、実際は認識不足だったと白状している。
アフガン戦争は2001年9月11日の「テロ」から2021年8月の退却まで、ブッシュ、オバマ、トランプと三代に渡る戦争だった。オバマは戦争終結を急ぎ、トランプも大枠ではオバマの路線を受け継いだようだ。
メルケルさんの野党とのコンセンサス
メルケルさんは野党を含めた各党の党首や議会各会派の議員団長とコンセンサスをとって政治を切り盛りしている。2021年8月のアフガン退避計画の概要について電話で説明している。270 日本はどうか。
オバマ大統領がその任期の終わる2017年初めまでに8400人の米軍勢力を縮小しようとするのを、メルケルさんは維持してもらいたいと要望し、オバマもそれを受け入れた。277 メルケルさんは軍事力を信奉していたようだ。
ドイツもアフガニスタンに経済支援をしている。278 2007年に7700万ユーロ、2016年に4億5000万ユーロ。アフガンのインフラ整備でも貢献している。
感想 2026年8月1日(土)
メルケルのリビア・イニシアティブ
チュニジアで2010末から始まったアラブの春の民衆運動は、2011.1リビアにも押し寄せた。人々はカダフィー独裁に異議を唱えた。仏英は軍事介入を唱え、アメリカを含むNATOが軍事介入2011.3.19し、カダフィーの車を空爆2011.10.27し、カダフィーは民衆によって殺された。その後リビアは東西に分裂し、周辺国エジプトやトルコ、ロシア、アラブ首長国連邦にいたるまで、それぞれの思惑で東西いずれかの陣営に武器供与し、紛争は収まらなかった。
この間ドイツは軍事介入に反対(国連で棄権)し、NATO諸国から批判された。それに対してドイツはリビアの平和的統一を手助けしようとした。2020年1月にベルリンで開催された国際会議はそのためのものである。この会議には国連のグテーレス事務総長を始め、EU諸国、アフリカ諸国、アラブ諸国が参加した。プーチンや、トルコのエルドアン、エジプトのエルシーシ大統領、アルジェリアのテブン大統領、コンゴのンゲソ大統領、ジョンソン英首相、アメリカのポンペオ国務長官、アラブ首長国連邦のナヒヤーン外相・皇太子、中国の楊潔篪(ヤンチェチー)外事工作委弁公室主任なども出席した。もちろんリビアのガッサン・サラメ国連特使も、ベルリンのこの会議に招かれた。ここで停戦と武器禁輸で合意した。「リビア和平会議」である。
ドイツは2016年以降、アフリカ諸国に資金供与もしている。武器や弾薬も供与したとあるが、いかがなものか。
感想 2026年8月1日(土)
戦後ドイツの再軍備は1956年に始まるが、徴兵制はその時から始まっていた。メルケルさんは「私個人は徴兵制は防衛上必要だ」と淡々と語るが、私としては違和感を感じる。ドイツでも自由党FDPは徴兵制に反対で、兵役義務の廃止を求めていた。285
本節では、徴兵義務そのものは憲法上に残しておきながら、財政健全化・緊縮財政の観点(2009年基本法改正、2016年発効)から、徴兵制を停止2009することについて書かれている。徴兵制の停止であり廃止ではない。これは2010年ころの話だから、アフガン戦争2001-2021のころのドイツ兵は、志願制の兵隊だったのだろうか。
感想 2026年8月1日(土)
西バルカン諸国のユーゴ戦争1991-2001後の和解についても、ドイツのイニシアティブが発揮された。2014年、西バルカン諸国の首脳をドイツに招いた。
1999年、ドイツ空軍は創立以来初めて戦闘行為に参加し、ミロシェヴィッチ大統領率いるセルビアとユーゴの軍隊と戦った。
感想 2026年8月3日(月)
AIから新事実を発見 イスラエルはナチスのホロコーストに対してドイツに賠償金を請求し、西ドイツはそれに応じた(金銭ではなく物質的賠償)が、東ドイツは応じなかった。理由は自らを反ファシズム国家としたからである。
アフガン戦争はアメリカによるあてどもない単なる報復感情の発散に過ぎなかったのではないか。罰せられるはずの犯人はすでに死亡しているから、処罰のしようがないのである。それを転じて応援したとされる人物を罰しよとすることは筋違いであるし、その人物を住まわせたとしてタリバンを攻撃することは、タリバンにとってはいい迷惑だったのではないか。だから戦果に対する何ら「あてどもない」単なるリベンジに過ぎなかったのではないかと思う。
メルケルさんは「テロ」という言葉を疑わずに用いる。この世には恐ろしい「テロリスト」がいる、タリバンはテロリストだ、ヒズボラはテロリストだ、と端から信じていて、なぜその「テロリスト」が生まれるようになったのかについて思いはせることがない。そしてパレスチナの人々に対して思いやる言葉が全くない。中東戦争でのイスラエルによるパレスチナ占領の歴史について知らなかったのだろうか。それとも知ろうとしなかったのか。知っていても敢えて言及しなかったのか。このことについての欧州の人々の常識が信じられない。その背景にはAIによれば、冷戦構造による思考パターンがあるようだ。つまりソ連がパレスチナを擁護していたから、西側はパレスチナは無視するという思考パターンである。
イスラエルは対ヒズボラ戦争にドイツを抱き込むうえで巧妙だった。イスラエルはメルケルさんを招待して会議をする前に、ホロコースト記念館を見学させてドイツ人の贖罪意識を喚起させたり、メルケルさんの名を冠した「メルケル博士女性化学物理学奨学金制度」を創設295したりして、飴と鞭の両面で懐柔し、ヒズボラに対する監視軍(国連レバノン暫定軍)にドイツ軍を参入301させようとした。2006年9月のことである。
メルケルさんは2008年3月にイスラエルを訪問した。296
感想 2026年8月3日(月)
310カイロス 退任の挨拶
情緒的で分かりにくい。しかし誠実さは伝わる。一生懸命にやってきた。16年間首相を務めてきた。疲れた。
303 国是
トランプが「コミュニスト」と言って対立候補を批判するように、メルケルさんも「テロ」、「テロリスト」、「反ユダヤ主義」などの言葉を無反省に用いている。これらの言葉は、事実以上に反感や価値判断を含んでいる。相手をけなすことになるから、軽々しく使うべきではないと思う。より具体的に表現するべきだと思うのだが。
イスラエル人入植者やイスラエル軍によって連日西岸で行われているパレスチナ人に対する暴力こそ、被害者にとっては憎むべき「テロ」ではないのか。彼女はアルジャジーラを見ていないのか。そういう現実の中で、彼女が平板に「二国家共存」を口にしても、重みが感じられない。
「ハマスはイスラエルの殲滅を目標としている」307と言い、ハマスのロケット弾攻撃そのものだけを切り離して取り上げるのは片手落ちではないか。そしてこの間のSNSでのイスラエル批判は「反ユダヤ主義」であり、表現の自由の逸脱だとして罰せられなければならないとも言っている。ここまでくると一方的な暴論ではないか。
彼女はイランの核開発をやり玉に挙げているが、イスラエルが核兵器をもち、米ロ中英仏、インド、パキスタン、北朝鮮が核兵器を持ちながら、イランだけを悪玉としてやり玉に挙げるのは、公平と言えるのだろうか。
「民主主義国家による問題解決」という考え方も、聞き捨てにできない気になる言葉だ。それは批判されるべき「非民主主義国家」の存在を暗に前提し、それを問題解決の過程で蚊帳の外に置いてよしとしているのである。304「富の公平な分配から、気候変動、テロと大量破壊兵器による脅威まで、世界が直面する大きな課題は、欧州とイスラエルのように、共通の価値観と利益によって結びついている国々が協力し合うことでしか解決できない」
感想 2026年8月4日(火)
メルケルさんは誠実ですね。私はメルケルさんのテロやイスラエルに対する見方には不満があるが、メルケルさんがコロナ・パンデミックの時に、自らの物理化学者としての観点が先行するあまり、国民の実生活を無視したイースター休暇中の隔離政策を宣言したところ、国民から抗議の声が上がり、すぐ思いとどまり、一旦決めた閉じこもり隔離政策を撤回して国民に向かって謝罪した。国民との信頼関係を大切にしたのである。一国の首相が国民に向かって謝罪するというのは勇気の要ることに違いない。
メモ 2026年8月5日(水)
347 パンデミック ヨーロッパが迎えた試練 EU全体としてのコロナ対策
当初はコロナに各国がバラバラに対応していたが、後に仏独が中心となって、EUやヨーロッパとしての財政的措置(復興基金創設348)を含む、統一的な対応を取るようになった。(そこには欧州中心主義的な行動も見られる。医療に必要とされる防護用品347を輸出制限した。347
347 新聞では「フォンデアライエン」と表記されるが、正確には、ウルズラ・フォン・デア・ライエンというらしい。フォンデアライエンは、2019年12月1日、ジャン=クロード・ユンケルの後任として欧州委員会委員長に就任した。欧州が統一してコロナに対処すべきだという考え方はフォンデアライエンの働きかけによるところが大きい。
350 新しい領域
351 欧州はテロの脅威に対抗するために米の情報に依存していた。
354 コロナ禍における政界政治
ミンスク合意(ロシアによるクリミア半島占領後の2014年9月、2015年2月)は一部しか守られず、前線での停戦は守られなかった。ドネツク・ルハンスク2州でロシアが支援する分離主義者が問題の種であったが、ミンスク合意は、分離主義者が支配する地域に自治権を与え、そこでの地方選挙を認めていた。
357 ポロシェンコは以前の自らの立場を翻し、キーウで、1万人のデモ隊と共に「降伏反対!赦免反対!」と叫んでゼレンスキーに抗議していた。つまり、ポロシェンコは、ミンスク合意に反対し、分離主義者に自治権を与えることにも、紛争の責任者(分離主義者)に恩赦を与えることにも反対するようになった。
355 2019年12月9日、パリで、ノルマンディー・フォーマット会議が開かれた。
358 そこでマクロン、ゼレンスキー、プーチン、メルケルは、シュタンマイヤー方式*の実施と、ミンスク合意の履行を宣言したが、ロシアの国境管理問題については合意されなかった。
*シュタンマイヤー方式とは、2015年10月、ドイツのシュタンマイヤー外相を招いてパリで開催されたノルマンディー会議で提案されたもので、OSCE欧州安全保障協力機構の監視下で、ドネツク・ルハンスク2州での地方選挙を認めるというものだった。
355 ゼレンスキーは前任者のポロシェンコが、ドンバスでの紛争を解決せず、クリミア半島の解放もしなかったと激しく批判した。
359 プーチンは次第にミンスク合意への関心を失った。プーチンはジョー・バイデンの招待を受け、2021年6月16日、ジュネーブにやって来た。それまでの1年間、プーチンはコロナを口実に欧州の首脳とは面会していなかったのだが。
362 考えの違う非民主主義国の政治家とこそ、直接の対話が必要になる。最小限の共通点を見つけるには、絶え間ない情報交換が必要だ。そうしないと自分の考え方だけが正しいと思い込んでしまう。
363 防衛費の上昇は不可欠だ。GDP最低3.5%が必要だ。(私は反対)
364 外交努力も必要だ。
退任式典
366 ベンドラーブロックは、現在連邦国防省のベルリン本部であるが、1945年7月20日、反ナチス運動が始まったところである。(日本にはそういうものがなかった。)
エピローグ
371 政治家は厳しい質問を避けるために、質問をはぐらかしながら時間を埋めるきらいがある。そして自分の発言を理解しにくくするために、不完全なフレーズを頻発するものである。
以上