2026年8月11日火曜日

幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について 平野三郎 鉄筆文庫

 

日本国憲法 9条に込められた魂 鉄筆編 鉄筆文庫 006 2016

 

 

付録5 「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」 平野三郎氏記 憲法調査会事務局 昭和3919642

 

 

感想 202686()

 

幣原さんが戦前、世界平和のために献身し、国際協調に尽くしたことが、憲法9条に決断した原動力だった。幣原さんの考えを手短に要約してみよう。

世界平和のためには、世界政府に武力を集中する必要がある。武力は必要だ。

世界政府をつくるためにはその前に世界各国が協議をする必要がある。軍縮でも協議が必要である。しかし軍縮協議は簡単ではない。各国が利己主義を捨てきれないからだ。軍縮協議にはそういう堂々巡りのジレンマが付きまとう。そういう場合に自己否定的なお手本が必要だ。その役割を日本が引き受けよう。このように幣原さんは決断した。

 

 

メモ

 

128 第一部

 

私が幣原先生から憲法についてお話を伺ったのは昭和2619512月下旬であり、それは先生が同年310日に急逝される10日ほど前のことであった。

 

 

129 憲法9条は占領下の一時的な規定ではなく、長い間僕が考えた末の最終的の結論というようなものだ。

130 原子爆弾ができた以上、世界の事情は根本的に変わってしまった。戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる。

 

131 僕は世界は結局一つにならなければならないと思う。各国の交戦権を制限しうる集中した武力がなければ、世界の平和は保たれない。その武力は一個に統一されなければならない。ある協定の下で軍縮が達成され、その協定を有効にするために必要な国々が、進んでまた誠意をもってそれに参加する。各国の軍備が国内治安を保つに必要な警察力程度に縮小され、国際的に管理された武力が存在し、それに反対して結束するかもしれない如何なる武力の組み合わせよりも強力である、というような世界である。

 

原子爆弾が出現した以上、この理論を現実に移す秋が来たと僕は信じた。

 

133 恐らく世界にはもう大戦争はあるまい。原子爆弾という異常に発達した武器が、戦争そのものを抑制するからである。いかなる理想主義も人類の生存には優先しないことを各国とも理解するからである。

 

世界同盟実現の成否は、偏に軍縮にかかっている。軍縮協定なき世界は静かな戦争状態である。しかし軍縮ほど難しいものはない。交渉者に与えられる任務は、如何にして相手を欺瞞するかにあるからだ。原子爆弾の登場によって軍縮交渉は行われるだろう。しかし軍縮交渉は合法的スパイ活動の場でもある。原子爆弾は世界中に広がり、遂に身動きの取れない瀬戸際に追い詰められるだろう。軍拡競争は一刻も早く止めなければならぬ。しかし自衛のために力が必要だ。その結果がどうなるか、そんなことは分からない。責任は自分にはない。責任は相手にある。

136 果てしない堂々巡りである。集団自殺の先陣争いと知りつつ、一歩でも前へ出ずにはいられない鼠の大群と似た光景――それが軍拡競争の果ての姿であろう。

 

137 ここまで考えを進めて来た時に、第九条というものが思い浮かんだのである。そうだ誰かが自発的に武器を捨てるとしたら―― 何という馬鹿げたことだ、恐ろしいことだ。まさに狂気の沙汰である。しかし僕は何のために戦争に反対し、何のために命を賭けて平和を守ろうとして来たのか。このとき僕は天命をさずかったような気がしていた。

 

138 武装宣言は正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だ。世界は今一人の狂人を必要としている。何人(なんぴと)かが自ら買って出て狂人にならないかぎり、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ。日本人は原子爆弾という悪魔を投げ捨てることによって、再び神の民族になるのだ。僕が言うところの「死中に活」というのはその意味である。

 

139 日本の独立後に他国が侵略して来ても、第九条を堅持することが日本のために必要だと思う。強大な武力と対抗する陸海空軍は有害無益だ。我国の自衛は徹頭徹尾正義の力でなければならない。そしてその正義は世界の公平な輿論によって裏付けられなければならない。そうした輿論が形成されるように必ずなるだろう。世界の秩序を維持しなければならないからだ。そして第三国が日本の安全のために必要な努力をするだろう。

 

 

問 そうしますと憲法は先生の独自のご判断でできたものですか。一般に信じられているところは、マッカーサー元帥の命令の結果ということになっています。草案は勧告という形で日本に提示されたが、あの勧告に従わなければ、天皇の身体を保証できないという恫喝があったのですから、事実上命令に他ならなかったと思いますが。

 

答 ここだけの話にしてもらいたいのだが、僕には天皇制を維持するという重大な使命があった。(この表現だけでは幣原自身の天皇制観がどうなのかは分からない)元来、第九条のようなことを日本側から言い出すようなことは、できるものではない。(自殺行為だから)まして天皇制の問題に至ってはなおさらである。(絶対主義的天皇制を象徴天皇制に格下げするのだから)

 

幸いマッカーサーは(どういう経過かは知らないが)天皇制を存続する気持ちを持っていて、米国本土からもその線の命令があった。しかし、豪州とニュージーランドは、日本人は天皇のためなら平気で死んでゆくと、戦中の皇軍に怖れをなし、天皇制廃止をとなえ、ソ連に同調しようとしていて、対日理事会での票決で、アメリカが孤立する恐れがあった。

 

143 しかし、豪州やニュージーランドが恐れるのは日本の再軍備であり、天皇制そのものではない。戦争を放棄するならば、天皇が名目的に存続するだけなら反対はしないだろう。この構想は天皇制の存続と第九条の実現の、一石二鳥の名案である。

 

しかし、象徴天皇制への移行は国体に触れることだから、日本側から口にすることはできなかった。憲法を押し付けられた形をとったが、そうでなければできなかった。僕はマッカーサーに命令として出してもらうように決心したが、首相自らが国体と祖国の命運を売り渡すという国賊行為の汚名を覚悟しなければならないという大問題だったので、僕は松本君*にも打ち明けなかった。(*松本烝治。幣原内閣の憲法改正担当国務大臣)

僕は誰にも気づかれないようにマッカーサーに会った。昭和21124日のことである。僕は二人きりで長時間話し込んだ。

 

144 マッカーサーは(豪やニュージーランドなどからの天皇制廃止の主張にあって)非常に困った立場にいたが、僕の案はそれを打開するものであり、うまくいった。マッカーサーも第九条の永久的規定には驚いたようだったが、賢明な元帥は最後にはよく理解し、感激して握手した。

 

元帥が躊躇した理由は二つある。(日本を米の対ソ連戦争に捲き込むという)アメリカの将来的戦略と、共産主義者に対する影響であった。僕は元帥に言った。

 

 「幸か不幸か日本が戦争に負けたことは、戦争放棄を提起しやすい立場にある。これは世界史的任務である。貴下さえ賛成するなら、現段階における日本の戦争放棄は、対外的にも体内的にも承認される可能性がある。歴史の偶然を今こそ利用すべきである。日本を(対米従属ではなく)自主的に行動させることが世界を救い、したがって(結果的に)アメリカを救う唯一の道ではないか。

 また、日本の戦争放棄が共産主義者に有利な口実を与えるという危険はあり得るが、(世界滅亡という)より大きな危険から遠ざかる方が大切だろう。資本主義と共産主義とのイデオロギー的対立は絶対的に不動のものではない。マルクス・レーニン主義はやがて歴史のかなたに埋没するだろう。米資本主義が現に共産主義の理論的攻撃にもかかわらず、いささかの動揺もないことは、資本主義がマルクス・レーニン主義の理論に先行し、自らを創造発展せしめたからである。(資本主義にそんな理論があるのか。)彼らロシア人の敵はアメリカでも資本主義でもない。世界の共通の敵は戦争それ自体である。」

 

 

天皇制存廃問題

 

 私は吉田茂・外務大臣(憲法公布・施行時は首相)と、マッカーサーの草案をもって天皇を訪問した。僕は天皇に反対されたらどうしようかと内心不安だった。陛下は言下に「徹底した改革案を作れ、その結果天皇がどうなっても構わない。」と言われた。この英断で閣議も納まった。憲法も陛下の一言が決したと言ってよい。

天皇が権力に固執されたら、おそらく今日天皇はなかったであろう。日本人の常識として天皇が戦争犯罪人になるということは考えられないであろうが、実際はそんな甘いものではなく、当初の戦犯リストの冒頭に天皇の名があったのである。それを外してくれたのが元帥だった。元帥の草案に天皇が反対されたら、情勢は一変していたに違いない。

 憲法は天皇と元帥の聡明と勇断によってできたといってよい。天皇と元帥が一致しなかったら、天皇制は存続しなかっただろう。

 

 去年、金森君*に聞かれたときも僕は断った。(*金森徳次郎。吉田内閣の憲法問題専任国務大臣)

このいきさつは僕の胸の中だけに留めておかねばならない。そのつもりでいてくれたまえ。

 

 

150 第二部 前記第一部の結論に至るまでの思考過程

 

感想 202688()

 

幣原さんは戦争中にマルクス主義の文献を読んだようだ。恐らくソ連を隠然たる勢力として気にかけていたに違いない。本書に書かれている限り、その思考過程についてはよく分からない。どの文献を読んだかについても記されていない。マルクス主義といっても、唯物弁証法という歴史的発展論であり、剰余価値説については触れられていない。

 

ダーウインについても述べている。おそらくマルクス主義と同様、歴史的発展という点で共通するからなのだろう。

 

 

メモ

 

150 私は一生を平和のために捧げてきたようなもので、そのため長い間ずいぶん苦労した。しかし、そのために図らずも憲法改正という大事業を引き受けることになった。私は二度と戦争が起こらない保証を新憲法で確立したいと決心していた。

 

151 憲法改正案がたくさん出されたが、満足できるものは一つもなかった。自由党は天皇制護持に熱心なだけであり、進歩党は宣戦と講和の大権は議会の協賛を要するとしていたが、統帥権をやめるというに過ぎなかった。共産党は「日本人民共和国は侵略戦争を支持せず、それに参加しない」とするが、侵略戦争は行わわれたためしがない(どういう意味か)。結局、戦争をなくそうとするものはなかった。

 

人間は平和を願いながら実際は血なまぐさい歴史を綴ってきた。

ナポレオン戦争時のプロイセン軍将校だったカール・フォン・クラウゼヴィッツは、戦争の原因を政治であるとした。

マルクスは、資本主義社会では、階級闘争が帝国主義になり、それが戦争に発展するという。マルクス主義では、(クラウゼヴィッツの言う)政治は経済である。

 

こうした学説では戦争の問題は片付かない。社会主義なら平和になると言っても、現に今度の戦争は資本主義と社会主義の同盟軍がやった。またやがて資本主義と社会主義との最後の決戦はさけられないだろう。

 

ダーウインは、生存競争が生物進化の法則であると言った。私はこの生物学から戦争と平和の問題を考えるのが順序だと思った。政治的原因や経済的原因だけでは平和の問題は解決できない。ダーウインの進化論が核心である。

 

兄弟同志は戦争を始めるが、兄弟は相互扶助して外敵と競争する。人間は他人と競争するが、さらに大きな外敵と競争するために、これまで競争相手であった他人と相互扶助をする。その過程で人間は進化する。

154 戦争と平和は、生存競争と相互扶助ではないか。戦争と平和は人間の進化のために必要な二つの条件であり、人間の本質だ。これは歴史の宿命か。戦争の固まりみたいに思われた大日本国憲法も、平和を基調としていた。

 

ヘラクレイトスは「戦争は万物の王である」と言い、ムッソリーニは「人類は戦争を通じてのみ偉大な存在となる。永久平和など不合理な童話は、世界に存在したこともなく、将来も存在しないだろう」と言った。

 

私は諦めかかった。

 

156 恐竜は肉体が強大になり過ぎて滅び、鹿は角を伸ば過ぎて自らの行動を失い、キリンは首が長くなったために運命を危うくしているし、馬は人間が必要としなくなれば存在理由がなくなるだろう。スカンジナビア半島に棲息するレミンダスという鼠は、繁殖が頂点に達すると一列になって大移動し海に飛び込んで溺死する。死の行進である。

 

157 人間はどうか。人間もやがては滅びるだろう。人間は戦争を繰り返し、今や原爆という武器を手に入れた。原爆は進化における究極兵器である。人間も死の行進をするようになった。

 

158 進化論は科学であるが、科学とは何か。科学は増長した。科学は何事も解決できると増長した。しかし科学は倫理と無関係である。科学は人間を指導することはできない。人間は進化論を批判できる。それは哲学である。哲学は科学を征服する。人間は原爆の世界でも世界の修正を思い立つことができる。

 

160 人間は歴史を作れるだろうか。私には自信がない。

 

人間の意志は決して実現できない。実現できるなら今度の戦争も防げたはずだ。私がいかに戦争に反対し、平和を叫んでみても、怒涛のような戦争の激流を阻止することはできなかった。英米と戦うことが無理だということは、心あるものには分かっていた。しかし日本には必勝という信念があった。一度も負けたことがないからである。つまり今度の戦争は誰が何と言ってもどうしても避けることができなかったと思われる。

 

161 歴史の流れは人間の意志とは無関係に流れていくものではないか。何者か人間を超越した大きな力が、歴史を貫いてゆくように思われる。歴史とは何か。

 

 唯物史観によれば、歴史は物質の反映である。物質は人間の精神に優先し、精神の外部に独立して存在する。物質は科学が説明する。人間の認識は不十分で不正確である。科学の発展の過程で、人間は自然の中から新しいものを認識する。

 

 なるほど。しかしこれは永遠の法則といえるだろうか。人間の認識は事物の外観だけに限られ、真理の認識に至らない。その疑問に対して唯物論者は弁証法で説明する。エンゲルスは、「人間の認識は常に相対的誤謬の中で実現されるが、真実性を主張する無条件的権利を持っている。それは限りない世代の連続の中で解決される矛盾である。」と。レーニンはこのことに関して「そこには相対的真理と絶対的真理との弁証法的関係が見事に描き出されている」と感心している。

 

163 しかし(原爆が出現した)今日では「限りない人間世代の連続」があるかどうかは疑わしい。第三次世界大戦が起こり、究極兵器が発射されたら、人間は消滅するだろう。唯物論者は、精神はなくても物質は存在するというから、「かつてここに愚かな生物ありき」と立札を建てるだろうか。

 

 しかし唯物史観も人間の精神の自由を極力認めようとしている。レーニンは「自由とは自然の法則を特定の目的のために計画的に作用させる可能性の内にある。それは自然の必然性の認識に基づいて、外的自然を支配することである。つまり、自由とは必然性の洞察である」と言っているが、そのような自由は外的自然に支配されている自由だから、歴史を動かし得る人間本来の自由とは呼べないと私は思う。(幣原さんは「歴史を動かし得る人間本来の自由」は物質の外に存在できると考えているのか。)

 人間の精神は客観的実在を認める。しかしその精神は物質の反映にすぎない。その不十分で不正確なしがない影である客体が、なぜ主体を絶対の真理だと認めることができるのか。(むむ。)確固たる第三者がそれを認めるに違いない。それは人間の精神から抜け出した第三者であるはずだ。それは主体と客体を見比べ、物質を客観的実在だと宣告する。つまり唯物論者は人間ではなく、神である。唯物論者は神を否定するが、彼自身は神とならなければできない芸当をした。唯物弁証法は物質を神と見立て、物質という神に向かって旅を続ける永遠の旅人である。この哲学には根拠がなく、歴史の証明はできないと私は思った。

 

 一方、観念論は問題にならない。感覚や観念と客体とが不可分だとしたら、精神の及ばない世界には何ものも存在しないことになる。しかし、実際、南極大陸は精神とは無関係に存在している。

 

166 哲学史は物質と精神のいずれを主体とするかという論争の歴史であったが、それは無益な水掛け論にすぎない。

 真の本性は、観念論がしたように、外面という表皮ではない。また唯物論のように、内面にあるために予感し規定はできるが、決して到達できないような秘められた実在でもない。そのような存在は初めから存在していない。私は真の存在は、精神と物質の連鎖の中にあるのではないかと思う。

 私はすこし分かった気がした。宇宙の存在は精神と物質の連鎖の中にある。歴史は人間と離れて存在するはずがない。確かに歴史には一定の方向があり、それは個々の人間の意志とは別個に動いてゆく。しかし、人間のいないところに歴史が綴られることがない以上、自然の歴史などあり得ない。(恐竜時代は)

167 歴史は時間であるが、時間は本来無である。つまり、過去はすでにないし、現在は無限分割の極限であり、これも無である。未来も固より無である。その時間が一個の時計のように存在するというのは、弁証法的に統一されるからである。弁証法は、ヘーゲルが言うように、綜合的・内面的であり、観念の中だけで実現する。それは本来、唯物論とは結びつかない。時間は観念の統一である。時間は人間の観念によって組織される構造である。歴史も観念による人間的構造である。歴史には人間の意図がある。

 

 私はようやく一つの確信に達した。人間と遊離した歴史の必然など存在しない。歴史は人間のものだ。人間が人間の歴史を構成する。人間は歴史をどのようにも書き換えることができる。

 

168 歴史は今新しい段階に達しようとしている。究極兵器の登場によって人間は戦争進化の頂上に達した。戦争に向かうか平和に向かうか。新しい時代がやってきた。前史の閉幕である。戦争に血塗られた過去の歴史は去った。人間開花とは戦争のない世界である。どうして戦争をなくせるか。生存競争と戦争を区別すればよい。

 

169 戦争で大勢を殺すほど褒められるのは、生存競争と戦争を混同した錯覚に起因する。生存競争と相互扶助は車の両輪である。生存競争と戦争は同義語ではない。殺されることがなくなれば人間は退化するという人がいる。逆である。進化が滅亡の段階に達した今、大転換を図る必要がある。ムッソリーニは言った。「人間は戦争を通じてのみ偉大な存在になる」と。しかしスパルタクスの競技を通して競争者の数は減少し、進化は断絶する。そこで殺人と競技が分離し、殺人を目的としない競技に進化した。平和的生存競争である。平和的生存競争の花が開く。

 

以下の論考は第一部と重複するので重要部分だけを記す。

 

170 どうして戦争をなくすか。平和的方法で解決するには武器に頼らないことだから、武器を持たないことが一番確実だ。

老子の大道国家や、カントやルソーの永久平和案は夢に過ぎない。争いの解決には武力が必要だが、その武力は一つに統一されなければならない。

173 徳川幕府は武力を統一したが、将軍の永久支配というイデオロギーを凍結しようとしたため、学問の禁止という愚民政策を強行せざるを得なかった。そのために徳川幕府は300年しか持たなかった。人間は常に自由を求めてやまないのである。

 

174 資本主義と社会主義との戦いが予想されるが、原爆の出現がその戦争を抑制する。資本主義も社会主義も目的ではなく(平和に向けた)手段にすぎない。いかなる理想主義も人類の生存には優先しないということを人々は知るからである。よって世界同盟は必然である。

 

問題の成否は軍縮にかかっている。

 

178 「もし誰かが自発的に武器を捨てるとしたら――」と私は思いついた。

179 武装宣言が正気の沙汰と言えるか。

180 世界は今一人の狂人を必要としている。

武力は弱者の武器に過ぎない。

181 死中にこそ活がある。

私は人間天皇と戦争放棄とを一緒にマッカーサーに進言した。このことは彼の名においてのみ可能であることを彼は知っていた。

私としては松本君らに(マッカーサーとのこの内幕を)打ち明けることができなかったことは忍び難いことだったが、やむを得なかった。

 

182 マッカーサーが同意するまでには、日米軍事同盟という観点から、かなりの躊躇があった。

私は言った。世界が滅びれば、アメリカも滅びる。

183 「アメリカさえ賛成すれば、現段階における日本の戦争放棄は、対外的にも対内的にも承認される可能性がある」と私はマッカーサーに言った。

イデオロギーは絶対的に不動ではない。

184 マルクスの予言と論理は現実の中に消滅し、やがて歴史の彼方に埋没してゆくものである。二つのイデオロギーは徐々に接近し、いずれは区別のつかないものになってしまう時代がやがてくるだろう。

敵はロシアでも共産主義でもない。戦争それ自体である。このことはやがてロシア人も気づくだろう。彼らの敵はアメリカでも資本主義でもない。

 

以上

 

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