日本国憲法作成時の年表
1945年
9月27日、昭和天皇が東京・赤坂の米国務省(米大使館)を初訪問し、マッカーサーとツーショット写真を撮った。
10月4日、GHQが近衛文麿国務大臣に憲法改正を示唆。
10月9日、幣原内閣成立
10月11日、マッカーサーが幣原に憲法の自由主義化を示唆
10月25日、憲法問題調査委員会(松本委員会)が設置される。
11月22日、近衛文麿が「帝国憲法改正要綱」を天皇に奉答。(AIによれば、11月22日当時、前年に解散した大政翼賛会に代わる政党はなく、近衛は内大臣府御用掛として憲法改正草案(近衛草案)を奉答した。近衛は貴族院議員(公爵議員)であった。)
12月26日、憲法研究会が「憲法草案要綱」を発表。(AIによれば、憲法研究会は民間団体で、その憲法草案要綱は民主的で、後の日本国憲法やGHQ草案にも大きな影響を与えた。国民主権、天皇は国家的儀礼を司るだけの存在とされ、生存権、男女平等、信教の自由、寄生地主の廃止、…などを含んでいた。作成者は、高野岩三郎、鈴木安蔵、森戸辰雄ら知識人や学者7人が中心となった。首相官邸やGHQに提出され、新聞でも報道された。)
1946年
1月1日、昭和天皇「人間宣言」
2月1日、毎日新聞が「松本委員会試案」をスクープ
2月3日、マッカーサーが3原則(象徴天皇制、戦争放棄、封建制度の廃止)を提示。民政局にGHQ草案の作成を指示。(ベアーテ・シロタ・ゴードンによれば2月4日)
2月8日、日本政府がGHQに「憲法改正要綱」を提出。
2月13日、GHQが「憲法改正要綱」を拒否し、日本側にGHQ草案を手渡す。
3月6日、日本政府が、GHQとの協議に基づいた「改正要綱」を発表。
4月17日、日本政府がひらがな口語体の「憲法改正草案」を発表。
5月22日、第1次吉田内閣が成立。(選挙の結果、吉田茂が率いる日本自由党などの野党勢力が躍進して第一党となった。幣原は首相退任後、日本進歩党の総裁となった。それ以前は貴族院議員(無所属)だった)
6月20日、第90回帝国議会に改正案を提出。
以上
0 件のコメント:
コメントを投稿