2025年4月21日月曜日

飯島喜美 日本共産党員 24才で結核で獄死

 

飯島喜美 日本共産党員 24才で結核で獄死 命日の20241218日、出身地の千葉県旭市に顕彰碑を建立 1960年代、作家の山岸一章が喜美の生涯を取材していた。

 

1911年、千葉県旭市の提灯つくり職人の父倉吉と母ちかの長女として生まれる。小学校卒業後、地元の書店多田屋に子守奉公、本ばかり読んでいて首。

1927年、15歳で東京亀戸(現・江東区)の東京モスリン紡織亀戸工場に就職。募集文言「学校・病院・寄宿舎完備無料」

1928年、16歳でストライキを指導、外出の自由を勝ち取る。(19231月、渡辺政之輔と川合義虎が亀戸で南葛労働会を結成)

1929年、17歳で日本共産党に入党。

1930年、18歳でモスクワ国際労働者大会に参加して演説。「女子の賃金は男子の半額、食事は粗悪」

1931年、帰国

19335月、東京で検挙・拷問・服役。

19351218日、栃木刑務支所の2畳の独房で死亡。

 

 

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