『サハリン、ウクライナ、そして帰郷 ソ連残留日本人の軌跡』 降旗英捷(ふりはたひでかつ)ユーラシア文庫2025 山口裕之編訳
メモ・感想
045 ソ連時代の学校で、マルクス・レーニン主義に関する教科の評定では、5段階評定で上から4番目の2以下にすることはないらしい。それは社会主義国の面子らしい。
051 ソ連時代、難しい軍事作戦には共産党員兵士を使っていた。降伏すれば家族や自分が職場で嫌な目に会ったり、党から追われたりするのではないかと恐れて、共産党員は非共産党員よりもよく戦ったからだ。日本での天皇のために戦うというのと同じ構図。
072 ペレストロイカ以降のソ連崩壊後、ホームレスの老人が現れ始めた。高利で借金し、工場の閉鎖や失業で返済できなくなり家を失ったようだ。
085 ウクライナの医者は専門性が欠ける。賄賂を渡せば医大を卒業できるから勉強しない。これはソ連時代もそうだった。ウクライナでは賄賂をやらないと介護員が親切にしてくれない。
090 チェルノブイリ事故1986.4.26について、事故発生後しばらくは報道されなかった。そのために人々は5月1日のメーデーに参加し、私は末の妹の手術の付き添いで5月2日にキエフに行き、その時雨が降っていた089。事故処理に当たった人が、数カ月で数十人亡くなった。
091 選挙に立候補出来る人は皆金持ちばかりで、買収をしている。
095 ウクライナの美しい自然が想像されます。
「ウクライナの自然や風景が好きです。春が訪れて夏になる数週間の間に暖かな雨が降って、やがて緑に覆われていき、見渡す限り花が咲きます。明るくなりかけた時間帯に、森を散策し、キノコを採ることも好きでした。そして、多様な動物の世界。夜が明ける頃から釣りをした穏やかで広い川や湖。晴れ上がった空を飛び、やがて村の家々の屋根や柱の上に巣をつくるツルの群の姿も美しい記憶として残っています。」
095 「日本ではどこもきれいで整った印象ですが、ウクライナでは、森でも町中でもどこでも、とてもたくさんのごみがあり、紙でも袋でも吸い殻でも、多くの人がポイ捨てをする」
とのことですが、日本の私がすんでいる町の、信号付近の道路わきには、使用済みのティッシューや、おにぎりやパンの空き袋、工事関係者の袋や伝票、それにレシートや煙草の空き箱、吸い殻、酒の空き缶、食べ物の残りやレジ袋、新聞紙等々、毎日毎日ゴミを捨てる人が後を絶ちません。私が毎日大きなゴミ袋を持って拾っているせいか、最近は少なくなった気がしますが。
101 御両親の故郷長野県・安曇野での親戚の方々との面会・歓待の場面には感動しました。また最後の詩「私の心に来た春」にも感動しました。降籏さん、お疲れさまでした。
本書を編訳した山口裕之さんの生き方もすばらしいですね。1992年から1年間モスクワ大学に交換留学し(早稲田在学中ですかね)、1995年に信濃毎日に入社し、途中休職してベラルーシに2001年から1年間滞在し、チェルノブイリ原発事故後の被災者支援活動を取材したとのこと。
以上
2025年4月14日(月)
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