2025年4月20日日曜日

『横浜事件と再審裁判 資料集成』 インパクト出版会 2016

 

『横浜事件と再審裁判 資料集成』 インパクト出版会 2016

 

(注)これは未完。拷問に関する口述書が圧巻。pp. 224-237

 

感想 202515()

 

こんなことを言って法律家には悪いが、法律は屁理屈だね。そして権力の側が得をするようにできている。法律には普遍的な哲学がない、と思いませんか。トランプの不倫有罪も、駆け引き次第で、ネット出廷が許されたり、無罪にもなったりするらしい。法律はまさに政治そのもの。あなたのご意見は。

 

 

感想・メモ 20241230()

 

 免訴ではなく無罪を求める。「刑の廃止」や「大赦」によって公訴権(検察権)、刑罰権348が消滅する、今後訴追される心配がなくなる、過去の有罪判決の効力が失われるからいいじゃないかというが、それでは過去の有罪判決は不問とされ、有罪の烙印は永久に残り、永久に犯人視され続ける。そうではなく、(悪法と拷問を断罪し、)無罪としなければならない。

 

再審制度の目的は、人権の救済、無辜の救済347である。

 

 

感想・メモ 20241220()

 

免訴ではなく無罪を求める理由が分かった。免訴とは裁判をせず、白黒をつけないということである。それは不当な原判決が生き残る=無効にならない、ということを意味する。それに名誉が回復されず、刑事補償の利益も得られないということもある。

それに対して横浜地裁2006は刑訴法に基いて免訴を主張し、官報や新聞発表による名誉回復265や、刑事補償の手立てもあるという。

 

 

感動的な言葉 20241219()

 

横浜事件を担当した海野晋吉弁護士1966/11.1「横浜事件のように権力の暴威による事件は、たとえ抵抗しても起きてしまってからではもう遅いのである。現在の若い人々にも、明るい言論の発展のために、涙と血で綴られた横浜事件の暗黒のページを、じっくりとひもといてその内容を深く理解してもらいたいと痛感する。」250

 

 

感想・メモ 20241217()

 

 新事実発見 あの非道で鬼畜のような特高・松下英太郎が、戦後は新橋駅烏森口でトンカツ屋「牡丹」を経営していたという。どんな立場だったのか。経営していたのだから店長か社長か。新橋駅といえば一等地である。どういう経緯で店を入手したのか。松下に新橋で会ったが、戦前の秘密をばらそうとはしない受け答えである。しかし、その応答の中から、「東条政権のために近衛勢力の駆逐一掃を図ろうと(横浜)事件の利用をたくらんだ警保局長・唐沢俊樹が、近衛の息のかかっている昭和塾風見章を狙って、近衛派一掃を図った」という推理が裏付けられたという。(昭和511976310日、青山憲三(青山銊治の筆名)「横浜事件余話」同人雑誌「星霜」No.16 p.60-65241

 

戦前は権力側についていた元看守の土井は、「再審裁判のためにどんな努力もする」と、過酷な拷問を受けた被告らを励ましたという。(昭和62198751日、青山憲三(青山銊治の筆名)「最後の抗議-横浜事件再審裁判日誌-」同人雑誌「星霜」p.51-60241

 

 

感想・メモ 20241216()

 

拷問・医療放棄=殺人

 

・左翼専属の特高がいたらしく、被疑者が別の警察署に移されたときでも、同一の特高が拷問を担当している場合がある。相川博の場合234

・特高の拷問パターンは共通しているようだが、荻野によれば、確か、日本人よりも朝鮮人や中国人に対する拷問の方がひどく、場合によっては殺す=死刑にしたようだ。

・拷問の例 後ろ手に縛る、竹刀、竹刀を半分に切ったもの、竹刀を箒のようにバラバラにしたもの、木刀、拳固、棒を脚の間に入れて正座させ、腿に乗っかり靴で踏みつける、裸にする、失神したら水をかける、髪の毛をつかんで床を転がす、逆さづり(これは口では言っているが実際はやらなかったようだ。○○によれば、朝鮮人はこれをやられた。)、角材の上に正座させ、腿の上に靴で乗って踏みつける、…

・失神したら拷問を休んだ。

・「小林多喜二はどうして殺されたか知っとるだろう235」「お前のような国賊を一人や二人殺しても罪にも何にもならないのだ233」…

・反知性主義 「貴様のような痩せこけたインテリは何人も殺しているのだ」234

・牢屋では治療はしない、死ぬのを傍観している。

・拷問の時間・期間 およそ2時間、1年半くらい。

 

・「自白」原稿を作ったのは、特高ではなく検事だったのではないか。左翼理論が出て来るから。32年テーゼとか、取り調べられる方もその中身を知らず、カンニング・ペーパーを写したようだ。

 

・特高の中にも、どれだけいたかは知らないが、「この人はきゃしゃで、あまり酷い拷問を加えたら死んでしまうかもしれないから、手心を加えるよう」と発言した人もいたようだ。

・一方中には酷い特高がいて、奥さんの差し入れ弁当を、被疑者の目の前で食べてしまうこともあった。しかし、差し入れを一定期間本人にやらないという方針は、どうも検事の指図があったように思われる。

・和田洋一『灰色のユーモア』によれば、女性の場合は陰門に物差しを突き刺してぐるぐる回したという。

 

059 特高Nは一番の古参で、「エロの大家」と言われていた。N曰く「女がしぶといゆうたって、何でもありまへんで、私はね、女がどつかれても、けられても、髪の毛を引っ張られても白状しよらん時は、物差しを持ってきて、穴の中に差し込んでやりますね。そして両手でキリキリともんでやりますね、そしたらどんなしぶとい女でも、とびあがりよりますわ、そしてすぐ白状しよりますわ」

Nは人をまともに見ることができず、いつも下眼づかいをして、ジロッと相手を眺める。顔色は全くの土色である。これは栄養失調からきているかもしれなかったし、エロの方で精力を浪費することから来ているかもわからなかった。Nは特高の中でも一番陰惨で哀れな男だったが、この男がある日巡査部長に昇格した。

 

 

感想 壮絶横浜事件 20241212()

 

 

唯一の女性被告人であった川田定子によれば、3年間の留置の間に入浴を許されたのはわずか1回だけ、それも裁判所に出頭する時だけだった。そして拘置所の居室を囲むタタキでは、看守による暴力が繰り返された。185

 

高木によれば、肺湿潤になって高熱を出しても、横臥許可が出ただけで投薬もなし。一度仲間と連絡を取ろうとしたことが露見しそうになり、舌を噛み切って自殺を図ろうとした上に、革手錠を2週間はめられて、用便も食事も寝具の始末も一切を口と足ですませる生活が続く。他の房から激しくせき込む声が夜ごと聞こえ、それが同じく横浜事件で不当逮捕・勾留されている浅石晴世であり、房の中で朝血まみれになって死んでいるのが発見されたことを知る。185

 

拷問による自白調書で自らの意思に反してそれを認めさせられた元被告人らは、木村亨をはじめとして初回の予審から特高の不法拷問を暴露し、党再建準備会は事実無根、我々は共産主義者でなく民主主義者である、との主張を繰り返してきた。それに取り合おうとしなかった予審判事が、無条件降伏直後、手のひらを返すように、「君たちの調書にある党再建準備会という件は全部取り消すから、どうか勘弁してくれ」と哀願するように木村に泣きついたという事実もある。184

 

心身ともに限界状態にあった被告人らは、いい加減な公判を受け入れざるを得なかった。186

 

 

感想 20241210()

 

横浜事件(自由主義的な出版関係者を拷問によって治安維持法違反とした事件)再審請求にまつわる論議の中で、

 

 検察側の非人間性の暴露 その原因は、明治国家体制=天皇制。個人の尊厳など毛頭念頭にない。非人間的な拷問の被害者に対する配慮など毛頭なく、再審請求を拒絶できる理由ばかりを考え出そうとする。つまり再審開始の条件を、過去の審理における事実誤認132だけに限定し、法の改変(治安維持法の無効化)に伴う無罪・免訴を再審の対象とせず、検事総長一人の特権(非常上告)とする。おかしい。

 

 

天皇によるポツダム宣言受諾の時点1945/8/14で明治国家体制は崩壊し、ポツダム宣言10項の「言論、宗教、思想の自由…は確立せらるべし」116という条項によって、治安維持法は崩壊・消滅したのであり、検察側の主張する「治安維持法等廃止の件(ポツダム勅令)」112の時点1945/10/15ではない。

ポツダム宣言の同条項10項や、自由意思による国家建設を説いた12項などは、明治国家体制の天皇の性格=国体と矛盾する。明治国家体制では、天皇は唯一の主権者であり、統治権を総攬し、緊急の必要がある場合に法律に代る勅令を発し、戦時又は国家事変の場合には、臣民の権利・義務に関する大権を施行することが可能であった。139, 140

 

 横浜事件の審判で、予審終結決定が824日、公判とその即日判決(確定)が同30日に行われたことと、治安維持法の失効時期が問題となる。

 

 袴田事件同様、横浜事件でも京都人民戦線事件でも、「自白」=検察ストーリーの拷問によるでっち上げであった。

 

 

感想 2024127()

 

 検察が拷問して自白を強要しておきながら再審請求を拒否するための文章をなんとしてでも考案しようとするとは、みっともないかぎりだ。そして特別公務員暴行陵虐罪が確定した部下の仲間=特高を、サンフランシスコ講和条約の発効に伴う大赦・放免で服役しなかったというのも、根深い問題を抱えているようにみえる。戦後度重なる冤罪「自白」事件を見よ、同根ではないか。

 

 

 

メモ

 

 

再審請求審 008 再審請求書 請求の趣旨 請求の理由

 

1 確定判決の存在と再審の理由

2 本件判決のなされた事件の概要

009 第3 判決及び訴訟記録の存在不明と再審規定の解釈

1 いわゆる横浜事件関係の判決書及び訴訟記録の存在不明

2 判決書及び訴訟記録の存在不明と再審法規の解釈

012 第4 本件判決の復元

014 第5 再審理由

1 旧刑訴法4856号該当

 

警察が作った、でっち上げたストーリーを拷問016-によって「自白」したとする。袴田さんと同じ構図。あからさまで苛酷な肉体的拷問。

 

019 2 旧刑訴法4857号該当

 

021 証拠方法 甲第1号証の1 判決(小野康人)写し 昭和20915 …

 

024 別紙1 判決 中央公論出版部記者 木村亨 当31

 

右の者に対する治安維持法違反被告事件に付当裁判所は検事山根隆二関与審理を遂げ判決すること左の如し

 

主文 被告人を懲役2年に処す 但し本裁判確定の日より3年間右刑の執行を猶予す

 

昭和20915日 横浜地方裁判所第2刑事部 

 

感想 この「判決」は当時の警察のマルクス主義の理解程度を物語っていると言えよう。そのストーリーには欠陥がある。「被告が共産党の目的に与した、結果的にその目的達成を支援した」と言っても、当時はすでに共産党は壊滅していて実質的に存在しないから、支援する対象が存在しない。

 

 

026 再審理由補充書 請求人 木村まき、小林貞子、板井庄作、由田道子、高木晋、平舘道子 2000420

 

1 はじめに・問題の所在

027 2 ポツダム宣言の受諾と大日本国憲法の存立=旧憲法体制への影響

029 3 ポツダム宣言受諾と治安維持法の失効

030 4 結びに・治安維持法の失効と「刑の廃止」

 

感想 日本が814日にポツダム宣言を受諾した時点で、日本は戦前の日本ではなくなり、治安維持法は失効していたと解釈し、その後行われた横浜事件の判決は、「免訴」となるという論理らしい。原告は無罪あるいは免訴を望んでいたようだ。

 

 

 

031 上申書 請求人 板井庄作 2000420

 

感想 032, 033 判決文の謄本がないとして当局は再審を受け入れなかったようだ。それに対して抗議・反論している。

 

 

032 再審理由補充書(2) 請求人 木村まき 外5名 200128

 

033 第1 再審請求における原判決謄本添付の意義

1 法が判決謄本添付を求める趣旨

2 本件の場合

1)本件における特殊事情

034 2)特定すべき内容

2 再審制度の根本理念との関係において――求められる要件緩和

035 1 再審請求事件における先例

1)財田川差戻決定の内容

037 2)財田川決定に学ぶもの

2 本件の場合

3 免訴再審と原確定判決

038 1 審判に必要な事項と免訴再審の要件

2 ポツダム宣言受諾と「刑の廃止」

 

 

再審理由補充書(3) 200159

 

1 はじめに

039 第2 加藤老事件

1 事件概要

040 2 再審審理の基本原則

3 記録の滅失の場合の補充立証

4 補充立証による確定事件の再現

イ 凶器の再現

041 ロ 血痕鑑定書の再現

5 新証拠による開始決定

3 榎井村事件

1 事件の概要

2 再審審理の基本原則

042 3 記録の滅失と総合評価

4 確定事件の再現

5 証拠評価のための事実の取り調べ

イ Bの自白の信用性に対する疑問

ロ Kの供述に対する疑問

043 6 新証拠による開始決定

4 松尾事件

1 事件の概要

2 再審審理の基本原則

044 3 記録の滅失の場合の審理方法

4 事実の取り調べ

イ 次の資料の取り調べ

045 ロ 裁判所が独自になした事件関係者からの事情聴取

ハ 事件現場での検証

ニ 裁判所が全ての事件関係者から事情を聴取

5 確定判決の事件記録再現と心証形成の再現

6 新証拠による開始決定

5 結び

 

 

046 再審理由補充書(4) 200159

 

1 本件再審請求の骨子

2 新証拠並びに記録取り寄せ等について

 

 

047 鑑定の請求 2001529

1 鑑定事項

2 弁護人が推薦希望する鑑定人 奥平康弘

 

 

048 陳述書 請求人 板井庄作 2002219

 

1 経歴等

1 経歴

2 社会主義への接近

2 昭和塾、昭和塾塾友研究会政治班

1 昭和塾

2 昭和塾塾友研究会政治班

049 3 共産党、コミンテルンとの関係

4 予審終結決定書が挙示する私の発言について

3 検挙から取り調べ

1 検挙

050 2 磯子署への留置・暴虐の始まり

3 長谷川検事の取り調べ

4 特高刑事による取り調べ

051 第4 横浜拘置所

1 拘置所移監後はほとんど取調がなかったこと

2 浅石君の拷問死

052 3 独房での生活

4 敗戦

5 予審について

5 裁判

053 第6 おわりに

 

感想・メモ

 

048 上層部が下部の(特高)警官による拷問殺人を承認していた節がある。某特高が坂井庄作に「小林多喜二が何故死んだかを知っているだろうな。お前のような奴らは殺しても構わないのだ

050 一高卒の検事・長谷川明は自分が一高の先輩であると称し、私の如き人間が出たことは「一高の恥」であると言い、さらに私を「国賊」と罵った。

 

当時拷問を働いた特高たちは、戦後特別公務員暴行陵虐罪に問われたが、有罪判決直後のサンフランシスコ講和条約発効による大赦で服役しなかったように、当局には戦前の拷問を反省する節が見えない。

 

 

054 証拠説明書 200257

 

055 証拠説明書 2003214

 

056 「再審請求最終意見書」(2003年平成1525日)に見える敗戦直後の歴史

 

Ⅰ はじめに 第1 請求人ら救済の必要性と緊急性 1 横浜事件第1次再審請求報道の反響

 

清沢冽『暗黒日記』は、これ(横浜事件)を評して「蝋山君の言うところでは、中央公論・改造の背景に30万の知識階級(などの)…政府の(に対する)オポジション(反対勢力)がある。それが(特高の)ブラックリストになっている(掲載されている)が、それ(その反対勢力)を(政府は)取り除こうというのである。(それが)東条内閣の政策の一つである」(昭和19710日)

 

059 Ⅲ ポツダム宣言の受諾と旧憲法・治安維持法の効力 第1ポツダム宣言受諾後のわが国の政治・社会状況 1 戦勝連合国側の動き 

060 『GHQ』竹前栄治 岩波新書、「ポツダム宣言受諾と治安維持法」古川純 法律時報20025月号、『戦後史資料』塩田庄兵衛 新日本出版社、

061 『日本占領革命――GHQからの証言・上』T・コーエン TBSブリタニカ、

062 『戦後史資料』塩田庄兵衛 新日本出版社、 『日本占領革命――GHQからの証言・上』T・コーエン TBSブリタニカ、『未完の占領政策』油井大三郎

064 1945104日の(GHQによる)「人権指令」によって、特高警察等の思想・秘密取締機関は廃止され、山崎巌内相以下の関係職員4000名は即刻罷免され、1010日にはすべての政治犯3000名が釈放された。

 

2 日本国側の動き

065 814日の、(ポツダム宣言を受け入れて国民に発した)天皇の詔書の直後に出された「内閣告諭」には、「聖断既に下る。今や国民の斉しく嚮(む)かうべきは、国体の護持にあり、…」とし、東久邇宮も「国体護持という一線は、対外交渉の最後の線であるとともに、国民指導の根本方針である」と旧態依然であった。

065 『新憲法の誕生』古関彰一 中公叢書

066, 067 『治安維持法関係資料集・第4巻』荻野富士夫 新日本出版社

 

1945103日、山崎巌内相はロイター通信社の特派員に「思想取締の秘密警察は現在なお活動を続けており、反皇室的宣伝を行う共産主義者は容赦なく逮捕する。政府形態の変革、とくに天皇制廃止を主張する者はすべて共産主義者と考え、治安維持法によって逮捕される。」

 

067 「敗戦と治安体制」荻野富士夫 法律時報20025月号

『日本国憲法「改正」史』渡辺治 日本評論社

 

 1945927日に天皇が初めてマッカーサー最高司令官を表敬訪問した際の写真が翌々日の新聞に掲載されたところ、その衝撃的な印象に驚いた山崎巌内相は、それが皇室の尊厳を傷つけるという理由で、新聞の即刻発売禁止を命令した。その措置に憤激したGHQは、直ちにその命令を撤回させただけでなく、(9月)27日に遡って「新聞・映画・通信に対する一切の制限法令」の撤廃を命ずる指令を出した。

 

068 また19465月の「食糧メーデー」において「国体はゴジされたぞ。朕はタラフク食ってるぞ、ナンジ人民飢えて死ね、ギョメイギョジ」と書かれたプラカードに対して、政府はこの表現を天皇を侮辱するものとし、刑法の不敬罪で訴追して処罰しようとしたが、GHQはこれを許さず、むしろ不敬罪の規定そのものの撤廃を命じ、直ちに刑法典から削除させた。

 1945104日のGHQの「人権指令」が日本の為政者や国民にもたらした衝撃は大きい。

 

 

069 第2 ポツダム宣言の受諾と旧憲法・治安維持法の効力 1 はじめに――問題の所在 

071 2 ポツダム宣言の受諾と天皇・日本国政府の統治権

072 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

276 再審と通常の裁判とは異なる。再審は不当に有罪判決を下した原審による不名誉をそぐためのものであるから、検察側による権力の執行は制限される。また恩赦などによる免訴は、不当に有罪判決を下した原審の誤りをそのままに放置するので許されない。

 

312 横浜事件は、戦前戦後を通じて、裁判所が被告(板井庄作)の弁明を一度も聞かないで、最後は「免訴」という逃げ道を作って、審判を開かずに終わったようだ。

 

 

 

 

318 二 治安維持法と裁判所、裁判官の責務

 

2 大審院判事三宅正太郎の懸念 『治安維持法』(現代法学全集)37巻、533

 

319 三宅が懸念した「極めて苛酷不自然な法」としての治安維持法

 

戦争中、司法権の独立を喪失した司法精神、某検事が指摘した「判検事一体の司法精神」によって裁判官を検察官のファッショ化に追随させ、共産党とは何の関係もない反ファシズム運動や反戦思想、新興宗教、キリスト教、知識人、ジャーナリストにまで治安維持法を拡大適用させた。この「判検事一体の司法精神」は、今日にまで持ち越された負の遺産である。

 

「友人に会ったことも、会食したことも、起きるから眠るまで一日中の行動の全てが、共産党の目的遂行のためにした行為として犯罪である。」(滝内礼作「被告人」『法学セミナー』19579月号、4頁)

 

 

325 第8 弁護人岡山未央子の意見陳述の要旨 2

 

327 浅石晴世、和田喜太郎325、高橋善雄、田中政男は拷問で殺された。西尾忠四郎は出獄直後に亡くなった。

 

3 浅石と和田は木村亨と中央公論社の同僚であった。浅石は羽仁五郎にかわいがられていて、軽井沢の別荘に行ったこともある。

 

329 鳥見迅彦の詩が『全集・戦後の詩』(全5巻、角川文庫)に載っている。鳥見は横浜事件の被害者とほぼ同時期に、同じ横浜の特高から拷問を受けていた。

 

330 鳥見の第一詩集『けものみち』1955の中の「手錠と菊の花」より

 

この手錠をはずしてくれたまえ

きいろい菊の花の小枝で顔をかくし

あなたはなぜそんなにいつまでも声なくわらっているのか

私は菊の花のにおいはきらいです

 

 

 

337 上告趣意書 第1 刑訴法4051号に基づく上告理由 二 憲法32条違反 その2 違法な免訴判決に対する上訴の利益 2

 

344 再審公判では公訴権の復活・存続を考えることは許されない。再審公判は検察官の公訴権が原因となってはいない。それは憲法39条(適法・無罪については刑事上の責任は問われない。また同一の犯罪について重ねて刑事上の責任を問われない)と、刑訴法452条(不利益再審の禁止)によって、真実である。

 

三 憲法31条違反(再審制度の趣旨の没却)~原審判断の誤りの根本にあるもの 1原審判断の誤り

 

345 実体審理をしないで「刑事手続きから解放」されることや「もはや処罰されることがなくなること」には何の利益もない。

 

 

上告趣意書 第2 刑訴法4052号に基づく上告理由

 

349 プラカード事件大法廷判決は「原審がした免訴の判決に対して無罪を主張して上訴することは違法である」とするが、これは免訴判決自体の誤りを主張して上訴することまで否定していない。

 

 

 

 

 

 

 

 

476 刊行を終えて 本書は木村まきさんの寄贈ともいえる。木村まきさんは横浜事件の訴訟の全過程をまとめた本を出版するのを主導した。

 

木村まきと平舘道子の2人を原告として国賠訴訟を提訴したが、(1943年)当時国家賠償という法律がなかったとして一審の東京地裁は棄却した。二審東京高裁もそれを支持して控訴を棄却し、最高裁への上告は、手続きの遅れを理由に高裁が上告を却下した。

 

20121221日、(木村亨と平舘利雄の)国賠訴訟を提訴。

2016630日、東京地裁は拷問という違法行為や裁判などの記録の廃棄は認めるが、当時(1947年以前)国賠の法律がなかったとして棄却。本書が出版されたのも2016630日である。

201810月、東京高裁は一審を支持して控訴を棄却。国賠は今後の立法府の責任とする。

20191月、高裁が手続きの遅れを理由に上告を却下した。

 

木村まき1949-2023 岩手県一関市出身。2023814日、木村まきが自宅で亡くなっていた。74歳。

 

 

NET情報 某特高は「俺は拷問などしていない」と白を切ったという。毎日新聞インタビュー。時代の背景を感じる。これは、強制連行はなかったとか、慰安婦は自主的に営業していたなどとする開き直りと通じる。

 

 


 

横浜事件第三次再審請求弁護団『横浜事件と再審裁判 資料集成』 インパクト出版会 2016

 

 

本書は「治安維持法違反」の被告・木村亨さんの妻・木村まきさんの執念の結晶です。本書は木村まきさんらの刑事補償請求の結果生まれたもので、私は永田浩三さんのネットでのご案内で、武蔵大学近くのギャラリー「古藤」で、20231223日、本書を無料でいただきました。

 

横浜事件に関する裁判は複雑で、先ず再審請求審、再審開始決定に対する即時抗告審、東京高裁による即時抗告棄却後の再審公判、再審公判の控訴審、上告審、そして刑事補償請求と国家賠償訴訟とがあります。

 

なおこれは第三次再審請求審1998について述べたものです。再審請求審は第四次まであり、被告の人数が多く中心となるグループは、第一次と第三次、被告が一人(小野康人)の再審請求が第二次1994.7.27(466)と第四次2002(468)2008(473)、同免訴確定2009.3.30となります。

 

第一次再審請求審1986.8.7(464)は、国側の裁判記録が存在しない(戦後焼却処分)という理由で退けられました057が、第三次再審請求審では、ポツダム宣言の受諾による治安維持法の消滅という理由で再審が認められました。

 

横浜事件は某軍人(陸軍報道部長・谷萩那華雄)が、細川嘉六のリベラルな論文「世界史の動向と日本」を問題視し、それを受けて警察が、治安維持法を根拠に、拷問を加えて強引に同法違反の罪を着せました。Wiki 軍国主義の方針にちょっとでもそれるような議論をすることも許されない時代だったことが伺われます。

 

 

横浜事件の問題点は何と言っても拷問です。被告らは命の危険を感じて治安維持法違反だったと、つまり共産党を再建しようとしていたと、「自白」をしました。鬼畜のような拷問であると私は考えますが、それをここにほんの一例ですが、本書の写真で掲げます。

 

被告は80余名056が逮捕され、30余名が起訴され、拷問を受け、4人が獄死、2人が獄死同然で死亡しました。

 

 

拷問を加えた28人を戦後告訴し、3人に有罪の実刑判決が下されたが、それは実質無罪で、サンフランシスコ平和条約時の大赦により、収監されることはありませんでした。

 

 

 

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