前川喜平氏講演会 足利九条の会 20250429 火 2-4:30pm
金子 司会
岩田順三朗 事務局長 挨拶
20年前に足利に九条の会を立ち上げた。与党が憲法改正のキャンペーンを張り、井上ひさしや大江健三郎などが九条の会を結成する頃だった。2004年に準備をし、2005年に結成し、今年が20周年になる。草の根運動で右翼に対抗しよう。
講師紹介
1955年、奈良県生まれ、
麻布高校、1979年東大法学部卒業、文部省入省、ケンブリッジ大学留学(国際関係学修士)、宮城県教育行政課長、ユネスコ代表部一等書記官、文部大臣秘書官、大臣官房長、初等中等教育局長、2016年、文部科学事務次官、2017年退官。同年、加計学園問題で国会参考人として証言。
現在、現代教育行政研究会代表、日大文理学部非常勤講師、福島市と厚木市の自主夜間中学でボランティア講師。
著書 『面従腹背』『権力は腐敗する』『コロナ期の学校と教育政策』
前川喜平氏講演
戦前は4月29日は天長節といい、児童生徒は登校し校長が教育勅語を奉読した。
米国の戦争は、米国の外でやっておきながら、「自衛」と言えるか。米国はイエメンという国家に対して平気で戦争をしかけている。
日本国憲法の「名誉ある地位」とは、平和主義であるが、現実はその理想に近づいていない。日本国憲法はこれまでの歴史で人類が勝ち取って来た平和主義を現わしている。戦争を違法としている。
以前は戦争を国家の権利としていて、19世紀までの戦時国際法は宣戦布告を定めていた。ところが、日本は日清、日露、太平洋戦争ともで宣戦布告をせずに戦争を始めた、とケンブリッジ大学の先生に指摘された。
司馬遼太郎の『坂の上の雲』は、「日本は戦争を積み重ねることによって、国が発展してきた」と戦争を美化している。
18世紀のカントから平和主義が始まった。カントは1795年、「永遠平和のために」を書いた。平和主義はそこから始まった。「永遠平和のために」はカントが70歳の時に書かれたものである。
世界は平和に向かっている、と考えたい。その○○は国際連盟である。1970年の大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」であった。1920年、サーモン・レヴィンソンは「戦争の違法化運動」を世界に展開した。それが国際連盟につながった。アメリカは加わらなかった。加盟国は「戦争はしません」と誓約した。日本が国際連盟を脱退したあとに、ソ連が加盟した。
1928年のパリ不戦条約は、戦争を違法化した。この条約には米ソ日伊が入った。そこには「国家の政策としての戦争を放棄する」と書かれている。ところが1931年、日本はその体制を崩した。日本は「満州事変は戦争じゃない、いざこざだ」と言った。
幣原喜重郎が外相だった。幣原は「軍部の存在はろくでない」と言っていた。幣原は戦後二代目の首相になった。九条は幣原の提案だった。幣原は第2項の戦力の不保持を提案した。それは平野三郎の口述筆記に書いてある。だから日本国憲法は押しつけではない。
「国際紛争解決のために武力の行使はしない」と国際連合憲章に書いてある。
9条2項の戦力不保持は日本独特のものである。それはカントの常備軍廃止と共通する。
ミャンマーの軍部は自国民を苦しめている。
侵略されないようにすればいい。自衛隊は防災省と改名すべきだ。万一戦争があったら戦争をする。ユニフォームも迷彩色ではなくもっと明るい色に変える。
世界を法の支配下に置く方向に向けるべきだ。トランプはWTOに違反している。戦力不保持の憲法原則を日本政府は破壊している。コスタリカのような国は少ないが、現在でも部分的軍縮はできている。例えば生物化学兵器の禁止である。条約をつくることに意義がある。核禁条約もしかり。
非核三原則で佐藤栄作はノーベル平和賞を貰ったが、本人にはその気がなく、国民に押されて非核三原則を提示したにすぎない。佐藤は国民にそう言っておけばよいと考えただけである。
戦争をしてはいけないという約束事を積み重ねていくべきだ。日本国内だけに限れば、警察や司法によって、戦争の違法化は出来ている。戦国時代を克服したといえる。世界では国際司法裁判所や国際刑事裁判所があることが大事である。国際刑事裁判所はプーチンやネタニヤフを捕まえることができる。
安倍晋三の言う「積極的平和主義」は、抑止力=軍拡競争であり、それでは戦争の危機が高まるばかりだ。それに反して「積極的平和」は、ヨハン・ガルトゥングが、人権保証から平和が実現すると考えたものである。日本国憲法の前文に「恐怖と欠乏から免れた平和のうちに生存する権利」があるが、それである。中村哲さんはそれを身をもって示した。アフガンの人々がタリバン兵に雇われるのではなく、食糧が生産されればアフガンの人々はタリバンを必要としない、医療より水だと、彼は土木工学と数学を勉強した。彼は日本人だからタリバンに殺されないことを知っていた。彼は国会で「アフガンへの自衛隊派遣は有害無益」と述べた。
緒方貞子は「人間の安全保障」を説いた。それは人間が安心して暮らせればそれが安全保障となる、という考えだ。難民の中には「緒方貞子」と子どもに命名した人が多い。私はユネスコで働いた。ユネスコ憲章には「人の心の中に平和の砦を築かねばならない」とある。
ヘイトをなくすべきだ。ヘイトスピーチを犯罪とする法をつくるべきだ。牢屋に入れてもいい。公教育は反ヘイト教育をすべきだ。子どもにロールプレイをさせ、苛められる立場に立たせる。日本の介護は他民族に頼らねばならない。西洋で移民の子がテロに走る原因はヘイトである。
米軍を縮小せよ。
北朝鮮はユネスコに加盟している。北朝鮮は英語を使わず、フランス語を使う。
トランプは戦争をしたくない。ブッシュは9・11で戦争をしかけた。アフガンにはビンラディンがいたから戦争の口実はあったが、イラクには戦争をしかける理由はなかった。政治家が軍需産業とのつながりがあったからイラク戦争を開始した。トランプには軍需産業とのつながりはない。ITと近い。トランプは戦争は金もうけにならないと考えているようだ。
日本の軍事予算はかつては文科省予算と同額の5兆円だったが、今では2倍の差ができ、軍事費が8兆円、文科省予算が4兆円となっている。日本は国債で軍事費を賄っている。これは日露戦争以来のことである。軍事費は生産力につながらない。
日本の政権は台湾有事を煽っている。「台湾有事は日本有事」ではない。中台戦争は内戦にすぎない。大陸の正当な政府に対して戦争をしてはならない。米が中国に戦争をしかけ、中国が沖縄の米軍を攻撃し、日本が中国に参戦する、などとなってはならない。米軍が中国と戦うなら日本の基地を使うなと言うべきである。
「ウクライナは将来の日本」か。プーチン「ウクライナはロシア領だ。」ネタニヤフ「パレスチナはユダヤ人の土地だ。」神話の神功皇后のように、(朝鮮を)自分の土地にしてよい、と吉田松陰は言っていた。つまり大日本がアジアの盟主になるという考え方である。日本が外敵から攻撃されたことはフビライハンの1回きりだ。白村江の戦いで唐軍は日本にやって来なかった。ロシアは日本まで占領するつもりはなかった。日本が共産党政権になれば、米軍との戦争になる。石橋湛山は小日本主義を唱え、日本の植民地を放棄せよ。自由貿易をせよと唱えた。
軍産学連携
「安全保障技術制度」の金は使わないと学術会議が述べた。ところがデュアルユースに防衛省から金を出す。名目は内閣府や文科省と見せかけて、実は防衛省の指示があるデュアルコース向けの奨励金がある。維新や国民は学術会議法案に賛成である。
自衛名目で戦争できる改憲
国民民主は危ない。
11・3を「明治の日」にしようという議連がある。戦前、四大節(正月、紀元節、天長節、明治節)があり、今祝日になっていないのは明治節だけである。
統一教会は家父長的である。
自衛隊の戦前回帰
牛島満の辞世の句が沖縄15旅団のHPに掲載されている。旧日本軍へのノスタルジーが自衛隊内にある。中谷防衛大臣は牛島の句を「平和を願う句だ」と言っている。防大の講演に櫻井よしこなどを講師として呼んでいる。「皇室のいない八月」は、憲法改正のために軍隊がクーデターを起こすという映画である。自衛隊が暴走する恐れがある。
1993年頃の河野談話から始まり、1997年に従軍慰安婦に関する記述が教科書に掲載されるようになった。右傾化はその1997年に始まった。日本会議が結成され。天皇だけを神とする国家神道を復活させようとしている。神社が神社本庁から脱退して九条の会をつくってもらいたい。
2018年道徳が教科化された。戦争ができる国民づくりが始まった。検定済みの教科書を使え、評価せよとされたが、文科省の抵抗で、54321の評価ではなく記述式の評価にさせた。記述式では差はつかない。
教科書の問題がある。戦争できる国民づくりをする教科書の典型は「星野君の二塁打」である。上野いいつけを守れ、自己犠牲せよというものだ。
「星野君の二塁打」では、野球監督が星野君に送りバントを命じたが、星野君は二塁打を打った。チームは逆転して試合に勝った。しかし星野君はきまりを守らなかった、犠牲の精神がなければ社会のために役に立たない、なぜ自分がヒーローになったのかと責められる。
しかし、上に言われた犠牲は真の犠牲とは言えない。
それに対して2015年のラグビーワールドカップの監督は、自分で判断できる選手を養成しようとした。監督エティージョーンズは、自分の指示に従わず、試合を勝利に導いた選手をほめた。監督の指示に従っていたら同点で勝利ではなかった。
以上
質疑応答
1 私は高校時代に文理両道の寺田寅彦に関心があった。大学ではインド哲学部に入った。
2 戦争すると国民が政府を支持する。サッチャーはフォークランド戦争で支持率を上げた。国内問題を戦争で解決するという手法である。軍需産業が維持され、軍産政学の複合体が独り歩きする。アイゼンハワーはそれを警告した。
3 学校はなぜ憲法を教えないのか。戦争直後はGHQの命令で民主主義を教えた。ところが1955年ころから「知らしむべからず」の方針に変わり、人権・平和教育に対して政権は敵対的になった。それをカバーしたのが組合であった。個人の尊厳が土台になっている。それに対するものは、「国家は重く、個人の命は軽い」という考え方である。
政治への関心 学校で政治教育をすべきだ。2015年10月、文科省が高校向けに通知を出した。それは「現実の日本の政治を扱え」というものだったが、「政治的中立を守れ、教師は自分の意見を述べるな」さらに「学校の外でも不用意にFBなどで自分の意見を述べて生徒に影響を与えるな」というものだった。それは教委を通じて校長に伝達された。「通知」には○○の効果はない。(法的強制力はない。)
ドイツの「フォイステルバッハのコンセンサス」
ドイツのフォイステルバッハという町に教師や研究者が集まり、政治教育について討論した。それがガ政治教育のイドラインとなっている。
1 圧制の禁止 教師は生徒に押しつけてはならない。
2 論争の存在を認める。
3 生徒指向 生徒自身の考えで判断させる。
文科省の考える生徒像は、生徒が主体的に考える生徒ではなく、教師の言いなりになる生徒である。
以上
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