2022年6月15日水曜日

「満洲国の新学制の精神」 満州国師道大学教授兼建国大学教授 一條林治 1943

「満洲国の新学制の精神」 満州国師道大学教授兼建国大学教授 一條林治 1943

 

 

感想 

 

筆者は一点しか見ていない。自身の批判的・創造的精神を捨て去り、目標を授ける上司の束縛から抜け出せずにそれに甘んじる。排他的になると、一点しか見えなくなるのかもしれない。満州国の教育方針は天照大神を根幹に据えた仁愛・忠誠の教育であり、それは教育勅語に現れているとするが、これが何度も会議を重ねて得られた結論だというから唖然とする。

 日満二国家が生物(生命)的に一体だなどと本気で言っているが、大の大人が「国体明徴」1935の名の下によく恥ずかしげもなくこんなことを言えたものだ。

 

ネット上では筆者の名前は出て来るが、説明文は見当たらない。

 

acaddb.com 著者一條林治ID DA1565183Xによれば、

 

『教育論』満州国教育史研究会監修 満州国教育史研究会の19人中の一人として一條林治の名前がある。

また『満洲・満州国教育資料集成』の中に、「満蒙に於ける師範教育確立に関する卑見」一條林治とある。

 

 

https://kazuo1947.livedoor.blog/ 「blog 小野一雄のルーツ改訂版」によれば、

 

『敎育機關』[新京法政大學][新京醫科大學]

【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16)】康德八年、昭和十六年 滿洲年鑑附錄

康德七年九月三十日、昭和15930日現在。但しその後判明せるものは補正す。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445663/4

『敎育機關』    p25-27/73

新京法政大學]  p25/73

學  長      田所耕耘

學長代理      筒井雪郎

敎  授      一條林治

同         中西仁三

同         矢野續藏

同         柚木 馨

同         玉井 茂

同         高橋貞三

同         村 敎三

同         松木太郎

同         田畑志良

學  監      神宮司 操

事務官       丸山常吉

助敎授       岩崎二郎

同         康 成九

同         中島太郎

同         岩井萬龜

同         谷口嘉六

同         根箭重男

同         泉 政吉

同         陳 國柱

同         黄 演准

 

[新京醫科大學]  p25/73

學  長      山口淸治

敎授學生科長    岡崎一武

同 敎務科長    伊藤亮一

事務官庶務科長   森田悌三

敎  授      橋本元文

同         瀧津久次郎

同         山本義男

同         橋本多計治

同         郭 松根

同         江上義男

同         耿 熙麟

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445663/25

昭和十五年十二月一日印刷、昭和十五年十二月五日發行

昭和十六年 康德八年 滿洲年鑑〔附錄〕

編輯人 福富八郎

    大連市東公園町三十一番地

發行人 白井由藏

    大連市東公園町三十一番地

印刷人 鍋田覺治

    大連市東公園町三十一番地

印刷所 滿洲日日新聞社印刷所

    大連市東公園町三十一番地

發行所 滿洲日日新聞社大連支店

    大連市東公園町三十一番地

發賣所 滿洲書籍配給株式會社

    新京特別市西七馬路一四

發賣所 滿洲日日新聞社

    奉天市大和區協和街四段

發賣所 大連日日新聞社

    大連市東公園町三十一番地

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445663/70

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

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要旨

 

278 要項

 

一、新学制の意義

 

新学制とは康徳4年(元年は193431日、この日満州国が帝政になった。)193752日の勅令によって公布された学校令と、同年1010日の民生部令(日本の文部省令に相当する)によって公布された学校規程のことを言う。二つとも翌康徳5193811日から実施され、現在に至る。

 

二、新学制制定の経過

 

 1新学制の発端は既に建国前にあり、2建国直後の応急措置、3旧学制に対する態度、4新学制制定の工作(中央・地方の活動、高等師範学校規程、新学制草案、研究会、審議等)

 

三、新学制の精神

 

 1国家経営要項(道義の確立、日満両国の生命的一体、民業の確立、民族協和、万邦協和)(建国宣言、執政宣言、日満議定書、組織法、即位詔書、囘鑾(かいらん*)訓民詔書)2教育の重点(建国精神の徹底、実業教育の尊重、労作訓練の尊重)3学校教育要項(十三項目)4学制立案上の要点(十一項目)5特異点(学校体系、初等教育、中等教育、高等教育、研究機関、学科目、設備、教師等)6実施上の諸注意(教科書、教育費、学校学級経営法、教育拡充策、成績考査及び上級学校入学選抜法等)

 

*囘鑾(かいらん)とは天子が行幸先から宮城に帰ること。あるいは巡行。

 

四、新学制施行の成績

 

1実行した点(建国精神の徹底、実業教育及び日語教育の普及、訓練の徹底と国民的自覚)2実行上の難点(設備及び経費の不十分、教師の不足、中等教育と高等教育との連絡不十分、日本国教育との連絡不十分)3協力を要すべき点(教師の養成・訓練及び待遇改善、国家の官吏登庸上の注意)4有望性(国民の淳朴・従順・忍耐・勤勉性、広大な沃野、街村の教化的育成の有望性)

 

五、結論

 

1満州国の建設と街村の教化的育成と教育者の活動、2文教部の復活(文教尊重及び国民訓練強化の具現化)3教師の改善充実(養成、錬成、待遇改善)4親邦日本国に俟つべきもの(在満日本人の指導的模範的行動、日系教師の自覚と献身的努力)

 

本文

 

279 前掲の三、新学制の精神について述べる。

 

 新学制とは、康徳4193752日の勅令によって公布された学校令と、同年1010日に民生部令(日本の文部省令に相当)によって公布された学校規程のことであり、現在もそれが実施されている。新学制の発端はすでに建国前にあり、満州国での施設経営や今後採るべき方策は既に建国前に確定されていた。それは遠くはヨーロッパの文芸復興に遡り、近くは青島還付以後の排日侮日の蒋介石政府のやり方を見れば自明だ。(意味不明)日本が生きるために、東亜が生きるためには、満州国の独立が不可欠である。満州国が独立した以上、おたがい命をかけてその成長・発達を図らなければならない。

 

280 我々は大同*元年193211月から新学制の起草に取り掛かったが、それを勅令で公布するまでに5年と500余回の会合を要した。*大同1932年―1934

 

 「国家経営要項」は建国宣言、執政宣言、日満議定書、皇帝即位詔書、国家組織法等に基づき、私がそれを5項目にまとめ、これに基いて教育の目的・方法を決定した。その5項目は前掲の通り、道義の確立、日満両国の生命的一体、民業の確立、民族協和、万邦協和である。以下それぞれ説明する。

 

281 第一「道義の確立」 満州国にも昔から道義があり、智仁勇、仁義礼智、五輪五常など、口には唱えられてきた。殊に建国後、王道主義を実行し、王道楽土を築くと盛んに唱えられたが、その王道とは何かについて一定の見解がなかった。そこで(満州国)「建国の必然性」にもどり、満州国は日本国を本源に建設された生命一体の国家であるから、あくまで日本国を本源とし模型としてその大本を立てるべきだと考えた。日本国は天照大神の宏大無辺な御仁愛と、その御仁愛に感激する国民の忠誠とによってできた国家であるから、満州国もこの仁愛・忠誠によって君民一体、億兆一心の天壌無窮の国家をつくることを根本道義としなければならない。これに基づく人倫の大道は日本の教育勅語に明示されている。満州国の王道主義もこの根本精神に基づいて教育制度の精神を確立すると決めた。その後畏くも皇帝陛下は康徳2193552日に囘鑾(かいらん*)訓民詔書を御渙発し「仁愛を政本とし忠孝を教本として天壌無窮の国家を建設した日本帝国を範とし、永久に(日本に)依頼し、渝(かわ)らない。」「朕日本天皇陛下と精神一体の如し」とし、国家統治の大権を行う根本精神が日本天皇陛下の精神に基づく旨を明示した。これによって満州国の根本道義が確立した。

282 さらにありがたいことに、康徳71940年一昨年715日に、満州国皇帝は国本奠定(てんてい)詔書を渙発して建国神廟を建て、天照大神を満州国の元神として祀り、「惟神(かんながら)の大道に随って、神人合一の国家を建設する」という旨を示した。この皇帝陛下の天業翼賛の精神を奉じて忠誠を尽くすことは満州国の国本*であり、根本道義である。このことにより新学制はさらに不抜の根柢を与えられた。*「国本」とは国家の基本。国基。

 

第二項「日満一体」

 

 「一体」とは生命一体の関係にある国家という意味である。(恐ろしい)満州国を日本の属国にするとか植民地にするとかいう意味ではない。(うそ)両国は根本道義でまったく一致し、政治、産業、経済、交通、文化、教育、国防、外交などに於いて全く一体不可分の関係にあるべきである。(それを占領とか植民地化とかいうのではないのか)その後の即位の詔書や昨年1941128日の詔勅、本年194231日の建国十周年詔書でも、「死生存亡すべて日本国と生命一体たるべき」旨を仰せ出され、日満一体の本義を確立した。

 

第三項 「民業の確立」

 

 第一項の道義の確立が満洲国家の「精神的本質」の確立であるとすれば、これは肉体的・物質的方面の確立である。つまり国民の生活活動、ことに産業・経済の活動は、どんなに地方化・分業化されても、「国家の生存と発達」、つまり国家の根本道義の顕現という目標の下に組織・統一されなければならない。資本家や労働者が勝手にやり、国民生活に確固とした国家的組織統制がなければ、「健全な国家」の発達はできない。ただ働き汗を流すというだけでなく、それが国家の根本道義に基いて組織統一されなければならない。これは街村の教化的育成によって初めて実現される。(強権的)その成否は「建国偉業」の達成と緊密に関係する。国民教育経営の根本もここにある。

 

283 第四項 「民族協和」

 

 満州国は複合民族の国家であり、億兆一心、君民一体を理想とする国家であるから、民族協和が不動の原理である。しかし血液、伝統、文化、言語、風俗、慣習、信仰などを異にする民族が一体になることは簡単でない。どんな民族協和が、どうして実現するか。これは「机上の空論」では解決できない。私はその当時民族協和を指導者中心の生活組織体であると解釈した。協和は国民生活の組織統一である。(「協和」の名に反する威圧的な協和)組織統一には中心があり、民族協和はその中心に特定の民族だけがなるのではなく、凡ての民族がその中心になることができる。しかしそれには条件があり、中心者としての資格がある。その資格は少なくとも熱烈旺盛な建国精神の体得者・実践者であり、これは不可欠の条件である。建国の「必然性」、建国の理想などから見ると、各民族中で少なくとも日本人は、この資格なしに満州国に行く必要はない。日本人たるものが苟も満洲に行くならば、この中心者となり得る資格を持って行くべきである。(なぜ日本人だけに言及するのか)

 

284 第五項「万邦協和」

 

 これは「世界平和」(対米戦争をしていながらどうして平和などと言うのか不可解。)の確立、「全人類の」福祉の増進に貢献すべきであるということである。その実現のための第一条件は「東亜共栄圏の確立」であり、その中軸は日満華(汪兆銘の南京傀儡政権)三国の協力一体である。それは日満両国の生命一体を根源とする。日満両国の生命一体を実現しないで、万邦協和は期待できない。逆に万邦協和を目標としない日満両国の活動は両国の根本方策に反する。

 

 以上5項目が満州国経営上の根本方策であるから、我々はこれに基いて満州国の教育について考えた。

 私は教育における重点として二点を挙げた。一は教育の目的である。建国精神の徹底と実業教育の尊重とにより、熱烈旺盛な建国精神を堅持し、至誠を以て職域で精励し、君国のために己を捧げる人間を養成することが教育の目的である。換言すれば、人文的陶冶と実科的陶冶とを渾然として融合させ、人格の全一的陶冶を期する。実業教育は単なる職業教育ではなく、また建国精神の徹底は単に道徳理念の啓培で終わらない。それが国民の「血」となり「肉」となり(どういう意味か)堅実に職場に「脚をしっかり踏みしめて」旺盛熱烈な国家奉仕の精神を以て、惟神の道(行動が神のもの、そんなことはあり得るのか)の実践に努め、神人合一の境地に(生徒を)入らせる(教師はそれではすでに神か)教育が目標とすべき教育である。

 二は教育の方法である。それは労作訓練の尊重である。労作訓練とは広義には体験教育、狭義には「」の教育であり、理想的陶冶を目標とする「霊肉一致」の活動である。それは外形的には観察、実験、実習、実行を重視し、内面的には、常に希望と感謝と喜悦に満たされつつ勇往邁進する不退転の活動心である。(意味不明)体験的、行的、実践的、修練的教育によって、満州国から恨み、悶え、苦しみ、嫉妬、偽り、我が儘、我利など、苟も民族の融合や国家の発達を阻害するものを全部取り除き、明朗闊達に常に希望と感謝と喜悦に満たされながら勇往邁進する国民性を錬成する。(観念的。恐ろしい)

 

285 以上が私どもの新学制制度の基礎となる教育の重点である。従来の口と耳による教育を改善し、体験教育、「行」の教育に変え、学校という特殊社会に籠城することを止め、実社会・実生活と「手を握る」教育に変える。暗誦的・形式的教育を、創造の教育・発明発見の教育へ変え、独善主義・利己主義・自由主義教育を協和主義的・国家主義的教育に変える。遊戯的・模型的教育を、実際的「大自然的」教育に導き、試験や筆答によって競争させる教育を、陶冶の過程を尊重する教育に変え、断片的・部分的偏知教育を、「生命躍動」の教育に変え、命令的・強制的教育を、自発的・良心的教育に変え(前言の威圧的な民族協和と矛盾)、外形的・仮定的教育を、信仰的・情操的教育に導くなど、私どもは従来の教育に一大方向転換を命じようとした。行の教育、汗の教育、実行の教育によって国民の性格と生活を改善し、新国家を担うことのできる知識、技能、識見、信念、品格、熱誠などをもつ忠良な国民を養成しようとし、その確信の下に学校教育の要項や学制立案上の条項を定め、新学制を出現させた。(空念仏)

 

 新学制の学科目や学校設備、学校体系などに関して実例を挙げて話すべきところだが、また学制公布から5年間の実績に鑑みて、その可能性や修正の必要についても話すべきところだが、時間の関係上述べられない。各位の研究に任せる。

 

286 最後に一言お願いしたいことがある。日本人が満洲へ行く際の気構え、心構えについてである。満洲ばかりでなくどこに行くにしても、大手を広げて闊歩できる「本当の日本人」であってほしい。(非国民は満洲に来るな。)私は数年前に教師採用のために九州から関東方面で希望者の試験をしたが、日本精神の理会と信念に関して甚だ物足りなさを感じ、これでは異民族である満洲人を徳化・訓化し、「我こそは天照大神の愛する子供である、御民われ生きるしるしあり」という貴い精神を持って大東亜建設に邁進する満洲人の養成ができるのかと疑った。日本人よ、真の日本精神に還れ、その上でどしどし大陸に進出し、全世界を立派に道義の国家に造り変えようではないか。私はこう自問し、責任を感じながら満洲に帰った。満洲の子は学校では貧弱でも、純朴で忍耐強く勤労愛好の精神と強健な身体を持って立派な国家をつくる希望に燃えている。吾々は日本の朝野、特に教育家の援助を得て、満州国の元祖で至仁至愛広大無辺な天照大神の尊いお姿を彼ら幼少年の純真な心底に植え付けて真の道義国家をつくり、世界改造の拠点としたい。

 

以上

 

2022年6月12日日曜日

「北支に於ける教育の現状及び問題」 国立北京師範大学教授 飯田晁三 1943

「北支に於ける教育の現状及び問題」 国立北京師範大学教授 飯田晁三 1943

 

 

感想

 

坦々とした記述で、神がかり的な表現は感じられなかった。戦後筆者は文部省の調査機関に勤務したとのことだが適任ではなかったか。「中共の対民衆思想工作」「文化工作」など「工作」という語が気になった。またもちろん大東戦争完遂が大前提なのだが。

 

 

メモ

 

1937年の事変以後日本は中国北部を制圧し、その政治組織に介入した。本論は教育に関するものだが、日本から日本人顧問が中国の教育制度の中に関与した。授業内容でも事変後小学校初級3年から日本語を教え始めた。264

・事変後学校数・生徒数共に事変前の3割くらいに減少した。267

・社会教育施設の中には抗日思想や中共の思想工作に利用されていたものもあった。269

1937年事変後の中国北部(河北省、山東省、山西省、河南省の四省と北京、天津、青島の三特別市)の教育行政に関する政治的主権は三つの時期に分類されるとしている。260

 

一、北平市治安維持会文化組1937S12.8--

二、中華民国臨時政府教育部1937S12.12.14--

三、華北政務委員会教育総署1940S15.3.30—1945.8.15S15.3.30汪兆銘の南京傀儡政権に編入された)

 

・教員の質は低く、小学校を卒業した者でも師範学校に入ることができた。ただし、同じ師範学校と言っても、中学を卒業してから入る者と区別され、小学校卒の者が入る師範学校は「簡易師範学校」と言い、中学卒の者が入るものはそのまま「師範学校」とされ、他の教育課程でも細分化された亜流があった。

・教員の待遇は悪く、月給20円くらいだった。雇用が設立主体(特別市や県区坊郷鎮と、省や私人)であったため、待遇にバラツキがあった。263, 274

 

吉川弘文館『世界史年表』によれば、

 

1931.9.18盧溝橋事件。奉天占領。11チチハル(黒竜江省西部の都市)入城。

1931.11.7毛沢東が江西省瑞金中華ソヴィエト臨時政府を樹立。

1932.1上海事変5停戦協定

1932.2リットン調査団が来る。

1932.3.1満州国建国宣言

1932.6—33.2国民党軍による4次赤軍大包囲戦

1932.6国民政府がソ連と国交回復。四川戦争

1932.9.15日満議定書調印

1932.10リットン報告書

1933.1—3日本軍が熱河(現在の内モンゴル自治区、遼寧省、河北省に分割編入された)に侵入

1933.5馮玉祥・吉鴻昌らが抗日同盟軍を結成。(蒋介石がこれを破る)日中塘沽停戦協定

1933.8廬山会議 11十九路軍の福建人民政府成立 12蒋介石が福建を討伐

1934.5宋慶齢らが中国人民対日作戦基本要綱を発表。ソ連が中東鉄道(北満鉄道)を満州国に譲渡。(35.3

1934.9国民党軍が中共の首都瑞金を猛攻し、瑞金が陥落。

1935.1広田外相が対中三原則を発表。

1935.1日満軍がチャハル(省都は張家口。1952年、内モンゴル自治区と河北・山西両省とに編入された。)侵入(~6) 6宋哲元が満州を攻撃

1935.8中共が抗日八・一宣言。11冀東防共自治委員会組織 12冀東政務委員会成立。北京に華北自治反対の学生運動。

1936.1内蒙古自治政府成立。3中共抗日救国宣言 3長嶺子事件 5中華民国憲法草案公布 6抗日人民政府成る。11綏(スイ)東事件(日本軍と内蒙古徳王軍が綏遠省に侵入、溥作義の反撃)12西安事件(—37.2

1937.1汪兆銘帰国 6日ソ乾岔子事件

1937.7.28北京攻略

1937.8—11第二次上海事件

1937.9日本海軍が中国沿岸を封鎖

1937.11日本軍が杭州湾上陸。蒙疆連合(察南・晉北・蒙古)委員会成立

1937.11国民政府が重慶へ遷都。12南京陥落。北京に中華民国臨時政府成立。済南陥落。

1938.3南京に中華民国維新政府成立。5日本軍が徐州を攻略。7—8日ソが張鼓峰事件

1938.10日本軍がバイアス湾上陸。広東占領。武漢三鎮陥落。

1938.12汪兆銘が重慶脱出。

1939.9張家口に蒙古連合自治政府成立。

1940.3汪兆銘が南京に新政府を樹立

1940.7第二次近衛内閣が大東亜共栄圏建設の声明

 

Wikiでは飯田晁三に関する項目が見当たらないが、

 

埼玉大学社会科教育研究会『埼玉社会科教育研究』No.27(2021.3)の中の、放送大学大学院文化科学研究科 埼玉県越谷市立城ノ上小学校 中山 正則「戦前の郷土教育から,戦後の新教科「社会科」の成立への変遷―埼玉県師範学校郷土館創設と師範学校関係者の活躍,高石幸三郎市長誕生と川口プランの成立へ―」によれば、

 

3.埼玉県郷土教育の中心,埼玉師範学校郷土館

 

海後宗臣・飯田晁三・伏見猛彌共著『我国に於ける郷土教育と其施設』(昭和 71932)年,目黒書店刊)に,郷土室を有した主な学校の一覧表があり,昭和81933)年埼玉県師範学校郷土室の記載がある。

 

とある。

 

 

また特別コレクション詳細(Detail of special collection data)

https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=pro_view&id=4110014

国立教育政策研究所教育図書館

飯田晁三旧蔵資料(文部省調査局調査課資料)

イイダチョウゾウキュウゾウシリョウ(モンブショウチョウサキョクチョウサカシリョウ)

によれば、

 

昭和22年からの文部省調査局調査課の資料。「参考資料」「資料月報」「外国教育調査協議会」関係資料、「文部時報」関係資料、「調査課関係書類」、「迷信調査関係資料」、「教育長[]講習関係書類」など飯田晁三が調査課で携わった業務に関連する資料である。

 

【旧蔵者】飯田晁三

 

大正1019214月旧制第一高等学校文科丙類(仏語)に入学、昭和219273月東京帝国大学文学部教育学科卒業、大学院に進学し、フランスの教育史研究を進め、昭和3192812月に同文学部助手に就任。

昭和1319389月、陸軍省と文部省の要請で中国の軍特務部に督学官として赴任し、翌年19391青島特別公署教育局副局長、昭和1619418月には北京師範大学教育学院教授に就任した。

 

戦後、中国から帰国し、昭和2219471月に文部省調査局調査課に勤務し、その後昭和25195011月に国立教育研究所に転出、昭和301955年には東京都立大学人文学部教授となり、その後、明星大学人文学心理・教育学科主任教授となった。

 

平成5年度1993年度文部省科学研究費一般研究(C)「戦後改革期における「学校五日制」実施の経緯とその帰結」でまとめられたものが教育図書館に寄贈された。

 

とある。

 

 

またhttps://ci.nii.ac.jp/author/DA01024999によれば、飯田晁三の著書を紹介し、

 

『新教育のあゆみ』海後宗臣, 飯田晁三編 小学館 1958.7 新教育の実践体系 1

 

『師範學校生徒の家庭状況,學業成績及びその性行に關する調査』阿部重孝, 飯田晁三共著 [出版者不明] [1934]

 

『ドゥクロリー教育法』 飯田晁三著 目黒書店 1931.4 現代教育問題精選

 

とある。

 

 

要旨

 

260 支那事変勃発1937以後現在1942までの北支での教育建設の経過と現状、及び現在教育上主要と考えられる二、三の問題について述べる。

 北支とは華北政務委員会の統治下にある地域のことであり、河北省、山東省、山西省、河南省の四省と北京、天津、青島の三特別市を包含し、人口は約1億である。

 中央行政官庁は華北政務委員会であり、地方行政の区域は前述の四省三特別市に分かれ、各省市に行政官庁として省公署特別市公署をおき、更に各道県市に分け、それぞれ公署を置いている。

 私が話す北支の教育とは北支での支那側の教育であり、かつ華北政務委員会教育総署が所管する教育についてであり、他の管轄の教育は除く。

 

 

 北支における教育の現状

 

 昭和12193777日の支那事変勃発から現在までの北支における教育行政機関から見た場合次の三つの時期に分けられる。

 

一、北平市治安維持会文化組の時代1937S12.8--

二、中華民国臨時政府教育部の時代1937S12.12.14--

三、華北政務委員会教育総署設置以来現在までの時代1940S15.3.30—1942(この委員会は1940S15.3.30汪兆銘の南京傀儡政権に編入され、1945.8.15まで続いた。)

 

 事変勃発後、軍は治安の回復したところに直ちに治安維持会を組織させ、治安維持と行政を行わせた。昭和1219378月には早くも北京と天津地方に北平市治安維持会が成立し、その文化組は学校の恢復や教育の革新に努力したが、北支で教育建設が本格的に行われるようになったのは、昭和1219371214日に北京に中華民国臨時政府が成立してからである。翌昭和13193814日教育部が設けられ、教育部総長に湯爾和が任命された。

261 教育部は従来の抗日教育を徹底的に是正する方針で、同年昭和131938415日に訓令を発して13か条を示した。これを臨時政府教育部の教育方針と称する。その主要な点は以下の通りである。

 

一、党化(ママ)排日教育を厳重に取り締まること、

二、学校恢復は小学校より着手し、次に中等学校に及ぶこと、

三、学制は暫く旧制度によること、

四、外国人経営の教会学校等は厳重に監督指導し、新政府の教育方針に順応させること、

五、教科書は教育部が編纂または審査したものを使用すること、

六、中、小学校教員を再訓練し、特に思想の是正に力めること、

 

なお従来の教育法令中で臨時政府の教育方針に抵触しないものは暫く適用して現在に至っている。

 事変前の排日教育に鑑み、教育革新の根本は中、小学校教科書の改編であり、昭和13193831日、教育部の中に直轄編審会を設置し、我が国の文部省から専門家二人を招聘し、新教科書の編纂に着手し、同年昭和1319389月の新学年から新教科書を使用させた。さらに同年昭和131938824日、小学校、中学校、師範学校の教科課程を改訂し、新たに日本語を加え、従来の公民科を修身科と改めた。さらに教育部と北京、天津、青島の各特別市公署に日本人教育行政職員を、また主要な大学や中、小学校に日本人教員を招聘させた。

 

262 昭和151940330日、国民政府の南京還都に伴って臨時政府は解消し、華北政務委員会が設置されて教育総署が北支の教育を掌ることとなって現在に至っている。

 

 我が国の対支文化指導に関して、(傀儡)国民政府が満州国を正式に承認したことと、大東亜戦争の勃発によって米英の勢力が東亜から一掃されたこととは画期的な変化である。

 

一、教育行政

 

 中央教育行政官庁は華北政務委員会教育総署である。この教育総署に総務局、文化局、教育局、秘書室を置き、長官を督辨といい、現在は周作人が督辨である。督辨の下に次官に相当する署長がある。各局に局長、秘書室に秘書主任を置く。他に日本人の学務専員が二名いる。また教科用図書の編審のために教育総署直轄の編審会が設置され、我が国の文部省から専門家二名を招聘し、総編纂副総編纂としている。

 地方教育行政機関は、省では省公署教育庁、特別市では特別市公署教育局であり、道、県、市の各公署にそれぞれ教育科が置かれている。

 現在、日本人の教育行政職員として、省の教育庁と特別市教育局に顧問補佐官と学務専員等が置かれ、教育行政の指導・監督と日本側機関との連絡等を担当している。

 また道、県、市の各公署に日本人参事が置かれている。ただし青島特別市公署だけは行政系統の中に日本人が入り、副局長、科長、督学等の地位についている。

 

263 教育費は設立主体が負担するが、これは支那の教育の発達を阻む一つの理由となっている。教職員の任免は学校長に権限がある。監督官庁の許可を必要とするが、校長は毎学年の始めに教員に対して一年契約の聘書(辞令)を出す。ここに教職員の採用に関して情実の入る余地があり、また教職員の地位が不安定である原因となっている。これは教育の発達を阻む一つの理由である。

教職員の資格については、各職務に対する任用資格が規定され、教員免許状はない。ただし、現在地方によっては小学校教員の検定試験を行っているところもある。教員の俸給は職務の質と程度によって規定されるのが普通で、教員の経験や学力等はほとんど考慮されていない。

 この教職員の任免と待遇等について、現在すでに各地方で改善されつつある。

 

 視学制度 各省、特別市、道、県、市に督学が置かれている。教育総署には督学が置かれていないが、将来置くべきである。

 学制 以下に示す学制は民国11年大正111922年と民国17年昭和31928年の改正によって定められたものである。これはアメリカの制度に倣ったものである。学年は81日に始まり、731日に終わる。1学年を二学期に分けている。

 

北支現行学校系統図

 

年齢    学年

初等教育

幼稚園

      1 小学校(初級) 簡易小学

     

     

     

10    5 小学校(高級) 補習学級 短期小学

11    6 

 

中等教育

12    7 中学校(初級) 簡易師範学校 高級職業学校 初級職業学校 補習学校

13    8 

14    9 

15    10 中学校(高級) 簡易師範学校 師範学校 幼稚師範科 簡易師範科

16    11 中学校(高級)             師範学校 幼稚師範科

17    12 中学校(高級)             師範学校 幼稚師範科(一部)

 

高等教育

18    13 大学・独立学院 特別師範科 専科学校

19    14 大学・独立学院       専科学校

20    15 大学・独立学院       専科学校(一部)

21    16 大学・独立学院

22    17 研究院 大学・独立学院(一部)

23    18 研究院

24    19 研究院

 

 

二、初等教育 

 

 小学校教育は、民国21年昭和719321224日国民政府公布の「小学法」と、翌年19333月教育部公布の「小学規程」による。小学校は修業年限6年で、これを初級小学4年、高級小学2年の二段階に分け、土地の状況によっては初級小学だけを設置できるとしている。入学年齢は満6歳である。この他に初等教育普及のために簡易小学短期小学が設けられている。簡易小学は初級小学に入学することができない学齢児童を収容し、その授業時数は最小限2800時間であり、短期小学は満10歳以上満16歳以下の年長失学児童を収容するもので、修業年限は2年である。

 

 小学校は市、県、区、坊と郷、鎮が設立することになっているが、省や私人が設立することも認めている。教科目と教授時数は、民国27年昭和131938824日臨時政府教育部修正公布が実施されている。事変前と比較して著しい差異は、公民科を廃して修身科を設けたことと、日本語を初級3年以上に課したことである。教科書は教育総署直轄編審会が編纂したものを使用している。(前述)

265 事変前から小学校教育を義務修学とする方針の下に、種々の実施と奨励に関する規定を公布して普及に努めたが、まだ十分でない。「民国二十一年度1932年度全国初等教育統計」によると、支那全国の就学率は24.79%であり、北支では31.16%に過ぎない。

 

三、中等教育

 

 中等教育の機関は中学校、師範学校、職業学校である。

 中学校は初級中学と高級中学とに分かれ、修業年限はそれぞれ3年である。両者を合併設置できる。設立の主体は省または特別市であるが、県、市、私人も設立できる。初級中学の入学資格は高級小学卒業者であり、男女によって学校を分けることを原則とする。学科課程は民国271938824日臨時政府教育部が修正公布したものによっている。事変前のものと比較し、公民科を修身科とし、英語5時間を2時間とし、新たに日本語3時間を必修科目とした。教科書も事変前のものを禁じ、編審会編纂のものを使用している。

 

 中学校の学科課程と教科書は男女同一である。ただし女子には家事、裁縫等を加え、教科書も一、二女子用のものが編纂されている。女子教育の問題は今後研究されなければならない。

 

266 師範学校は初級中学卒業者を入学させ、修業年限3年のものを本体とするが、他に簡易師範学校、簡易師範科、幼稚師範科または特別師範科を設置できる。簡易師範学校は高級小学校卒業者を入学させ、修業年限は4年で、簡易師範科は初級中学校卒業者を入学させ、修業年限は1年で、共に初級小学と、簡易小学教員や短期小学教員を養成する。幼稚師範科は幼稚園や初級小学教員を養成し、初級中学卒業者を入学させ、修業年限は2年または3年である。特別師範科は高級中学卒業者を入学させ、修業年限は1年である。

 

 師範学校は省または特別市が設立するが、必要な場合は県や市も設立できる。簡易師範学校は県または市が設立する。いずれも私人が設立することを認めない。

 学科課程は小、中学校と同様、事変後修正公布したものにより、日本語はいずれも必修科目である。教科書も編審会編纂のものを使用している。

 

 職業学校には初級職業学校と高級職業学校とがある。初級職業学校は高級小学卒業者を入学させ、修業年限は1年、2年、3年である。高級職業学校は初級中学卒業者を入学させ、修業年限を3年とするものが原則だが、高級小学卒業者を入学させ、修業年限5年または6年のものも設立できる。農、工、商、家事等によって学校を分け、学科課程は示された要綱によって定め、主管教育行政官庁の許可を要する。

 

 北支の中等教育では現状と将来から考えて、師範教育と職業教育の振興が緊要である。

 

四、高等教育

 

267 高等教育の機関には大学、独立学院、専科学校がある。大学とは(日本の)総合大学の意味であり、文、理、法、教育、農、工、商、医の各学院(日本の学部に相当)の中の三学院以上もつものをいう。一または二の学院からなるものを独立学院という。修業年限はいずれも4年(医学院は5年)である。専科学校は工業、農業、商業、医学、薬学、芸術、音楽、体育等に関する専門の知識技能を授ける学校で、修業年限は2年と3年がある。現在、大学は国立北京大学、国立北京師範大学、私立輔仁大学の三校であり、独立学院は二校、専科学校は六校ある。次の表は民国29年度昭和15年度16年度1940年度1941年度のもので、昨年194111月、従来の男女師範学院が合併改組され師範大学となり、又1941128日、大東亜戦争の勃発により、米国系の燕京大学と北京協和医学院の二校が廃校となり、大学と独立学院の数は公立2、私立3の計5校となった。

 

北支教育統計-事変前後比較

事変前

事変後(民国29年度)

事変後/事変前

学校数

学生数

学校数

学生数

学校数

学生数

総計

104,983

4,260,026

31,776

1,664,642

0.30

0.39

初等教育計

103,661

4,066,101

31,467

1,586,162

0.30

0.39

小学校

103,661

4,066,101

31,467

1,586,162

0.30

0.39

公立

92,803

3,660,906

30,336

1,447,271

0.33

0.40

私立

10,858

405,195

1,131

138,891

0.10

0.34

中等教育

843

134,600

218

59,319

0.26

0.44

中学校

398

90,955

141

47,713

0.35

0.52

公立

184

39,859

46

13,984

0.25

0.35

私立

214

51,096

95

33,729

0.44

0.66

師範学校

377

36,720

51

6,004

0.14

0.16

職業学校

67

6,925

26

5,604

0.39

0.81

公立

52

4,646

15

2,035

0.29

0.44

私立

15

2,279

11

3,569

0.73

1.57

高等教育

35

15,680

14

7,553

0.40

0.48

大学・学院

25

14,823

8

6,761

0.32

0.46

公立

14

8,697

3

2,208

0.21

0.25

私立

11

6,126

5

4,553

0.45

0.74

専科学校

10

857

6

792

0.60

0.92

公立

9

661

6

792

0.67

1.20

私立

1

196

-

-

-

-

備考 事変前統計で、初等教育は民国21年度1932年度、中等教育は22年度1933年度、高等教育は23年度1934年度の各教育部統計による。事変後の統計は教育総署「二十九年度華北教育統計」による。

 

五、社会教育

 

 社会教育施設の主なものは、新民教育館、新民学校、図書館、補習学校、新民茶社、体育場、問字処、問事処、閲報処などである。

 新民教育館とは事変前は民衆教育館といい、民衆教育の有力な中心機関であったが、事変後これを新民教育館と改称して復活した。これは社会教育区の中心機関であり、その規模に応じて、新民学校、読書会、問字処、問事処、代筆処、映画、講演、図書室、巡回文庫、診療所、託児所などを開設している。

269 新民学校は事変前の民衆学校に相当し、男女年長の無学者の補習教育機関である。学科目は読、書、算、常識を中心とし、土地の状況に応じて、昼間または夜間に二、三時間くらいの授業を行い、多くは小学校に付設されている。

 教育総署の民国29年度1940年度の統計によれば、社会教育施設数は3118か所であり、そのうち新民学校が767、新民教育館196、図書館70、補習学校227、体育場92である。

 そのほかに新民会、宗教団体、社会事業団体もあり、特に農村や前線では新民会が中心的な活動場所となっている。

 これらの社会教育施設は事変前に抗日思想の宣伝に大きな役割を果たした。現在における敵側の、特に中国共産軍の対民衆思想工作の状況から見て、今後北支で社会教育に一層重点を置くと共に、その方法について研究する必要がある。

 

六、日本語普及状況

 

 北支における文化工作上、日本語の普及は極めて重要でかつ必要である。

 

(1)学校における日本語教育

 小学校、中学校、師範学校を対象に、教育部は民国271938824日、教育課程を修正公布し、日本語を正科として課した。小学校では初級3年から課し、授業時数は初級34年が毎週60分、高級1、2年が90分である。ただし、地方の情況によっては主管教育行政機関の許可を得て免ずることができる。小学校では都市農村の主要な地点ではほとんど正科として課している。

 

270 中学校では各学年とも毎週3時間、師範学校では各学年とも毎週2時間(外に選修科目として3時間課すことができる)課すことになっている。現在中学校ではほとんどすべてに日本人教員が配属され、日本語を教授している。

 大学と専科学校ではそれぞれ規定を定めて日本語を必修科として大抵毎週6時間以上課している。

 

 以上の外に日本語と日本文学を専門に教授する学校として北京師範大学文学院日文系、北京大学文学院日文系、外国語専科学校、中央日本語学院、済南に日本語専科学校等がある。中等学校程度の日語学校は各地に設置されている。

 現在北支の支那側学校に派遣されている日本人教員は400名以上いて、小学校と中学校で大多数が日本語教授を担当している。

 また日本語奨励のため、各地で日本語作文の募集、日本語による学芸会、雄弁大会の開催等を行っている。

 

(2)一般に対する日本語教育及び普及施設

 一般民衆に対する日本語教育施設として、補習学校式の日語学校、日本語の講習会、ラジオや新聞の日本語講座等がある。

 また日本語の奨励、普及のために教育総署は毎年一回北支全般に日本語文検定試験を実施している。その他官庁や会社で日本語検定試験を実施し、合格者に等級に応じて手当を支給している。

 

 

北支における教育問題

 

271 一、義務教育の問題

 

 民国91920年、義務教育規程が公布されたが、事変前の民国21年度1932昭和7年の統計によると、支那全国の義務教育就学率は24.79%で、北支では31.16%であった。前国民政府は民国211932625日に教育訓令「短期義務教育実施辨法大綱」と「第一期実施義務教育辨法大綱」を公布し、年長失学者のために短期小学を設置すべきことと、同年8月から3か年計画で各市町村に義務教育実験区を設け、未就学児童の少なくも10%を収容・教育すべきことを規定したが、十分な成果が得られなかったようだ。

 

 義務教育が十分に実施されない理由として次のことが考えられる。

 

1 家庭の貧困と学校教育に対する無理解

 

 不就学児童と中途退学者(小学校の中途退学者は極めて多い)の多くは家庭の貧困による。それと同時に小学校教育の内容が実際生活にほとんど役立たないと考えている父兄が相当いる。

 

272 2 政治の不安定

 

 内乱による政権の異動、教育行政当局者の異動等がしばしば行われたために、一貫した教育政策や企画がなく、また教育に対する理解と熱意がない者もいた。ただし山西省は義務教育が最も普及していて、就学率が60%であったが、これは閻(エン)錫山が山西モンロー主義のもとに長年統治し、内乱がなく、財政が豊かで、教育政策が一貫していたためと言われている。

 

3 教育費負担方法の不適

 

 小学校の経費を各設立者が負担するため、貧弱な町村は必要な施設を施せない。事変前に義務教育奨励のために省や国庫から補助できると規定を定めたが、その実施状況は明らかでない。民国21年度1932年の統計によれば、児童一人当たりの教育費は省、市によって非常に差がある。経費を国庫や省から一定の基準で補助する必要がある。

 

 そのほかの理由として、学校の地理的分布の適否や教育行政担当局や教員の熱意・努力不足もある。

 

 事変後の初等教育の恢復状況で、就学率は事変前の半分にも達していないが、現に軍の作戦地帯である北支でこれだけ恢復したのは著しい実績と言える。これは各方面の異常で不断の努力の結果である。民国30年度1941年と今年度1942年の初等教育は、飛躍的に増大したと推定される。

 

273 心からの親日意識の涵養は小学校時代からなされなければならない。初等教育の普及は人心に大きな安定を与える。特に北支では、重慶側と共産軍側の文化的・思想的工作に対抗し、それを撲滅するためにも初等教育は重要である

 義務教育制を励行し成績を上げなければならない。義務教育普及の方策として、一、義務教育費国庫補助や省補助の制度を確立し、教育費負担の均衡・適正を図る必要がある。本年度から教育総署は各省に国庫補助をする計画であり、父兄に初等教育の必要性を理解させ、有効な就学奨励法を講ずる必要がある。特に農村では校長の人選に留意し、小学校が社会教化の中心となれるようにすべきである。今でも各地に多数存在する私塾は、この役割をかなり果たしているようだ。この私塾の存在理由は、特に農村での初等教育の形式や内容を考える上で参考になる。

 

二、小学校教員の待遇及び養成の問題

 

 初等教育の普及と発達には小学校教員の資質向上とその計画的養成が不可欠である。民国21年度1932年の統計によると、支那全体の小学校教員中、師範学校卒業生が36.39%で、しかもこの中には簡易師範学校の卒業生も含まれていると思われる。現在でも農村では小学校卒業者で教員をしている者がいる。待遇を改善して教員の資質を向上させる必要がある。

 

274 待遇改善に関して考慮されるべき点

 

(1)任免制度を改め、県公署または省公署にその任免権を移し、一年契約制度を廃止すること。これはすでに実施している所もある。

(2)教員検定制度を実施し、学力、学歴、人物を基準にした数種の資格を定め、その資格に応じて待遇を定めること

(3)俸給表を制定し、資格、経歴や地方の情況に応じて、最低限度の俸給を規定すること。また昇給と転任の制度を認めること。

 

 教員の俸給についての全般的な調査がないが、教員一人当たりの教育経費は、民国29年度1940年では294円強であり、月額24.50円に過ぎない。このことから教員の平均俸給は20円くらいと言えるだろう。その後多少の増俸や物価手当があっただろうが、教員の生活は決して安定しているとは言えない。現在、教員の俸給が地方により区々であるのは、教育費の負担方法が適切でないからであるが、義務教育費の国庫または省補助制度を確立し、俸給の少なくとも半額は国庫や省から支給するように改めるべきである。

 

275 教員養成 民国29年度1940年現在の小学校教員数は61,782名で、師範学校生徒数は6,002名である。ただしこの師範学校の中には課程の異なったものが含まれている。師範学校の卒業生を毎年2,000名とし、教員の平均勤続年数を20年とすると、この卒業生数では現状の維持ができない。小学校が事変前の状態に戻れば、教員数は186,917名(民国21年度1932年統計)で、さらに125,000名を必要とする。各省市で教員の需要数を見越して計画を立てるべきである。今後の小学校教員をすべて新しい師範学校の卒業生で補充するという目標を立てるべきである。教育の根本的な立て直しには新しい教育を受けた清新な教員の熱情を必要とする。師範学校教育の革新が不可欠である。

 

 小学校教員の再教育 各省市とも教育総署の命令で毎年講習会を開き、合宿訓練を行い、新教育方針の徹底、時局に関する正しい認識を与えるなど、思想方面の教育を重視した講習を行っている。河北省ではこの他に常設的な教育研究所を設け、6か月間再教育を行っている。そのほかの省市でも種々の取り組みが行われている。今後、各省市ともそれぞれ同一の組織内容をもつ教員再教育機関を設ける必要がある。

 

三、留学生の問題

 

 教育総署の華北教育統計によると、民国29年度1940年現在で北支から日本に留学している者の数は474名であり、その内訳は、公費83名、私費391名、男子428名、女子46名、高等教育修了者126名、中等教育修了者348名である。ただし、教育総署に登記せずに留学している者も相当数いる。留学生の数は逐年増加傾向にある。

276 留学生の大部分は7月に学校を卒業してから日本に行き、東京の東亜学校に入学して日本語を学習し、翌年の3月に入学試験を受ける。多くの学生は希望する学校に入学できず、他の入学しやすい学校に入学している。入学しても講義が理解できない者が相当数いると思われる。これは学生の学力不足や日本語未習得のせいであろう。中には日本語力不足のために試験問題の意味が分からない場合や、理解できても日本語で書いたり話したりして解答できない場合も相当数あると思われる。また入学してから英語その他の外国語が多用され、学習上二重三重の負担になっている。中にはこのことから日本文化の価値を疑う者もないとは言えない。

 

 我が国の対支文化政策の上から見て、留学生の問題は重要で基礎的な問題ではないかと思う。米国は支那人学生の留学を奨励し、種々の便宜を図り、これらの留学生を通じて支那の政治、経済、文化に大きな影響を与えたが、それに対して従来我が国は支那人留学生に対してあまりに無関心ではなかったか。今後は制度でも実際の教育においても、考慮してもらいたい。

277 これは北支だけの問題ではなく、大東亜諸地域の問題でもある。国家として留学生教育の制度を確立してもらいたい。例えば北支について、日本政府と華北政務委員会とで協定して委員会を作り、その委員会が、我が国の諸学校の収容能力に基き、留学させる学生の専攻学科、入学学校などを凡そ予定してから選考試験を行って合格者を留学させるのが望ましい。こうして留学生の資質が向上し、日本に行ってから希望する学校に入れるかどうかという不安がなくなり、日本留学の権威を高めることができる。

 また日本に来てから所定の学校に入るまでの間の予備教育の施設を充実する必要がある。現在東亜学校やその他の施設があるが、これらを国家的施設にし、内容を充実し、日本語の学習だけでなく、教育指導、生活指導も行うことが望ましい。現在でも教育総署から留学生に関する事務を行う者を東京に駐在させているが、事務だけで指導はしていないようだ。

 入学後の教育は日本の学生と同様に厳重な教授と訓練をしていただきたい。彼らの学生生活に対して厳格で温かい指導をしていただきたい。それは彼らに深い感銘と喜びを与えるだろう。

 

 この他にも問題があるだろうが、その問題は大東亜戦争完遂、大東亜共栄圏の建設という大目標を基底にして研究され解決されるべきである。

 

以上

 

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