「産業と教育との連携」 東京帝国大学講師 細谷俊夫 1943
Wikiによれば、
細谷俊夫(ほそや としお、1909年(明治42年)8月29日 - 2005年(平成17年)5月16日)は、日本の教育学者。
東京出身。1932年東京帝国大学文学部教育学科卒。小学校教員を経て、1946年岡崎高等師範学校教授、名古屋大学教育学部の創設に参加、49年名大教授。52年東大教育学部教授、70年定年退官、名誉教授、立教大学教授。白梅学園短期大学学長。産業技術教育を研究、日本産業教育学会理事長。1937年教育科学研究会技術教育研究部会に参加した。
妻は入沢宗寿の長女。長女はコロンビア大学図書館員で、牧野成一(1935- 言語・教育学者、プリンストン大学名誉教授)の妻。四女(都立大泉高校教諭)は佐藤道輔の妻。
要旨 中級技術者の養成に当たる産業教育と産業界(経営体)との連携強化の必要性について述べる。
満州事変以後重工業産業技術が著しく進歩022したため、学校で技術を修得することは不可能になってきた。学校は産業界の基礎的知識を習得するための予備的な機関025として機能することによって産業教育全体の発展に与すべきである。
明治14年、産業教育でも陶冶的で総合的な知識が求められ、明治32年、大機械生産の全面的確立が一応完了したため、陶冶的な要素も産業教育で教えるゆとりが出て来た。
しかし第一次大戦以後、産業教育における主知主義批判が濃厚になってきた。
「産業が著しく国家的性格を帯びてきた今日、経営体はもはや事業主と従業者との構成する単なる利益社会ではなく、各人がそれぞれの職分を通じて国家に奉仕するために結合する協同体としての性格を高めてきた。024」そのため職場自体が教育の場になった。また社会教育(産業報国会や青少年団025)が産業人に働きかけるようになった。
経営体内の技術者を学校での再教育の必要性がある。
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