2022年5月15日日曜日

日本諸学研究報告第十八篇(教育学) 文部省教学局編纂 昭和18年1943年1月

 日本諸学研究報告第十八篇(教育学) 文部省教学局編纂 昭和1819431

 

 

「凡例」

 

本書は昭和1786日から3日間開催された日本諸学振興委員会第四回教育学会の研究発表である。その研究発表の主題は「大東亜新秩序の建設と教育及び教育学」である。

 

 

「学会挨拶」 教学局長官 藤野恵

 

Wikiによれば、藤野恵1894.4.161949.10.9 内務・文部官僚、官選県知事、文部次官。

 

経歴

 

広島県出身。

19197月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し群馬県属となる。同年10月、高等試験行政科試験に合格[1]

192010月、群馬県多野郡長に就任。以後、静岡県理事官・内務部社会課長兼調査課長、臨時震災救護事務局事務官、内務省社会局事務官、兼社会局書記官・社会部福利課長、同部保護課長などを歴任[1]

19351月、香川県知事に就任[2] 19366月、文部省実業学務局長に転じ、さらに同普通学務局長を務めた[1]

19394月、鹿児島県知事となる。『鹿児島県史』の編纂、戦時体制の整備などを推進した[3]

19408月、文部省教学局長官に転じ、同省総務局長を経て*、19447月から19456月まで文部次官を務めた[1]。*本書の出版はこの時分かもしれない。

1945年に退官し、戦後、公職追放となった[4]

 

家族

 

父の藤野玖三は大阪商船広島支店に勤務していたが、支店廃止に伴い、設備一式を譲り受けて同僚と代理店を共同経営していた[5]大日本商工協会福山支部長。

 藤野幹(台湾総督府官吏)1883年に藤野玖三の長男として生まれ、1908年東京帝国大学法科大学政治学科卒。台湾総督府専売局書記となり、翌年高等文官試験に合格して同府事務官となり、1919年明治製糖取締役に転じ、のち社長となった[6]

岳父に矢野二郎、娘婿に小松化成社長河合二良(河合良成二男)

 

メモ

 

001 「忠誠勇武なる我が皇軍は大御陵威の下未だ嘗てその比を見ざる大戦果を収め大東亜新秩序の建設は着々と進められ、…」

002 「大東亜の建設は我が肇国の大精神を顕現するものに他ならぬ。米英諸国の侵略と圧迫によって久しきに亘り浸食せられ来った東亜をして真にその本来の姿に帰し、皇国を核心として道義に基づく共栄の新秩序を確立し、以て真に正しき世界の平和を樹立せんとする聖業であります。

 而してかかる教育の根本とするところは申す迄もなく、教育に関する勅語を奉体して国体の本義に徹し、肇国の大精神を体得せしむることにあるのであります。」

 

感想 戦争に向けた教育学でなければならないということか。

 

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