2025年4月30日水曜日

前川喜平氏講演会 足利九条の会 20250429 火

 

前川喜平氏講演会 足利九条の会 20250429 火 2-4:30pm

 

 

金子 司会

岩田順三朗 事務局長 挨拶

 

20年前に足利に九条の会を立ち上げた。与党が憲法改正のキャンペーンを張り、井上ひさしや大江健三郎などが九条の会を結成する頃だった。2004年に準備をし、2005年に結成し、今年が20周年になる。草の根運動で右翼に対抗しよう。

 

講師紹介

 

1955年、奈良県生まれ、

麻布高校、1979年東大法学部卒業、文部省入省、ケンブリッジ大学留学(国際関係学修士)、宮城県教育行政課長、ユネスコ代表部一等書記官、文部大臣秘書官、大臣官房長、初等中等教育局長、2016年、文部科学事務次官、2017年退官。同年、加計学園問題で国会参考人として証言。

現在、現代教育行政研究会代表、日大文理学部非常勤講師、福島市と厚木市の自主夜間中学でボランティア講師。

著書 『面従腹背』『権力は腐敗する』『コロナ期の学校と教育政策』

 

 

前川喜平氏講演

 

戦前は429日は天長節といい、児童生徒は登校し校長が教育勅語を奉読した。

 

米国の戦争は、米国の外でやっておきながら、「自衛」と言えるか。米国はイエメンという国家に対して平気で戦争をしかけている。

 

日本国憲法の「名誉ある地位」とは、平和主義であるが、現実はその理想に近づいていない。日本国憲法はこれまでの歴史で人類が勝ち取って来た平和主義を現わしている。戦争を違法としている。

 

以前は戦争を国家の権利としていて、19世紀までの戦時国際法は宣戦布告を定めていた。ところが、日本は日清、日露、太平洋戦争ともで宣戦布告をせずに戦争を始めた、とケンブリッジ大学の先生に指摘された。

 

司馬遼太郎の『坂の上の雲』は、「日本は戦争を積み重ねることによって、国が発展してきた」と戦争を美化している。

 

18世紀のカントから平和主義が始まった。カントは1795年、「永遠平和のために」を書いた。平和主義はそこから始まった。「永遠平和のために」はカントが70歳の時に書かれたものである。

 

世界は平和に向かっている、と考えたい。その○○は国際連盟である。1970年の大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」であった。1920年、サーモン・レヴィンソンは「戦争の違法化運動」を世界に展開した。それが国際連盟につながった。アメリカは加わらなかった。加盟国は「戦争はしません」と誓約した。日本が国際連盟を脱退したあとに、ソ連が加盟した。

 

1928年のパリ不戦条約は、戦争を違法化した。この条約には米ソ日伊が入った。そこには「国家の政策としての戦争を放棄する」と書かれている。ところが1931年、日本はその体制を崩した。日本は「満州事変は戦争じゃない、いざこざだ」と言った。

 

幣原喜重郎が外相だった。幣原は「軍部の存在はろくでない」と言っていた。幣原は戦後二代目の首相になった。九条は幣原の提案だった。幣原は第2項の戦力の不保持を提案した。それは平野三郎の口述筆記に書いてある。だから日本国憲法は押しつけではない。

 

「国際紛争解決のために武力の行使はしない」と国際連合憲章に書いてある。

 

92項の戦力不保持は日本独特のものである。それはカントの常備軍廃止と共通する。

 

ミャンマーの軍部は自国民を苦しめている。

侵略されないようにすればいい。自衛隊は防災省と改名すべきだ。万一戦争があったら戦争をする。ユニフォームも迷彩色ではなくもっと明るい色に変える。

 

世界を法の支配下に置く方向に向けるべきだ。トランプはWTOに違反している。戦力不保持の憲法原則を日本政府は破壊している。コスタリカのような国は少ないが、現在でも部分的軍縮はできている。例えば生物化学兵器の禁止である。条約をつくることに意義がある。核禁条約もしかり。

 

非核三原則で佐藤栄作はノーベル平和賞を貰ったが、本人にはその気がなく、国民に押されて非核三原則を提示したにすぎない。佐藤は国民にそう言っておけばよいと考えただけである。

 

戦争をしてはいけないという約束事を積み重ねていくべきだ。日本国内だけに限れば、警察や司法によって、戦争の違法化は出来ている。戦国時代を克服したといえる。世界では国際司法裁判所や国際刑事裁判所があることが大事である。国際刑事裁判所はプーチンやネタニヤフを捕まえることができる。

 

安倍晋三の言う「積極的平和主義」は、抑止力=軍拡競争であり、それでは戦争の危機が高まるばかりだ。それに反して「積極的平和」は、ヨハン・ガルトゥングが、人権保証から平和が実現すると考えたものである。日本国憲法の前文に「恐怖と欠乏から免れた平和のうちに生存する権利」があるが、それである。中村哲さんはそれを身をもって示した。アフガンの人々がタリバン兵に雇われるのではなく、食糧が生産されればアフガンの人々はタリバンを必要としない、医療より水だと、彼は土木工学と数学を勉強した。彼は日本人だからタリバンに殺されないことを知っていた。彼は国会で「アフガンへの自衛隊派遣は有害無益」と述べた。

緒方貞子は「人間の安全保障」を説いた。それは人間が安心して暮らせればそれが安全保障となる、という考えだ。難民の中には「緒方貞子」と子どもに命名した人が多い。私はユネスコで働いた。ユネスコ憲章には「人の心の中に平和の砦を築かねばならない」とある。

 

ヘイトをなくすべきだ。ヘイトスピーチを犯罪とする法をつくるべきだ。牢屋に入れてもいい。公教育は反ヘイト教育をすべきだ。子どもにロールプレイをさせ、苛められる立場に立たせる。日本の介護は他民族に頼らねばならない。西洋で移民の子がテロに走る原因はヘイトである。

 

米軍を縮小せよ。

北朝鮮はユネスコに加盟している。北朝鮮は英語を使わず、フランス語を使う。

 

トランプは戦争をしたくない。ブッシュは911で戦争をしかけた。アフガンにはビンラディンがいたから戦争の口実はあったが、イラクには戦争をしかける理由はなかった。政治家が軍需産業とのつながりがあったからイラク戦争を開始した。トランプには軍需産業とのつながりはない。ITと近い。トランプは戦争は金もうけにならないと考えているようだ。

日本の軍事予算はかつては文科省予算と同額の5兆円だったが、今では2倍の差ができ、軍事費が8兆円、文科省予算が4兆円となっている。日本は国債で軍事費を賄っている。これは日露戦争以来のことである。軍事費は生産力につながらない。

日本の政権は台湾有事を煽っている。「台湾有事は日本有事」ではない。中台戦争は内戦にすぎない。大陸の正当な政府に対して戦争をしてはならない。米が中国に戦争をしかけ、中国が沖縄の米軍を攻撃し、日本が中国に参戦する、などとなってはならない。米軍が中国と戦うなら日本の基地を使うなと言うべきである。

「ウクライナは将来の日本」か。プーチン「ウクライナはロシア領だ。」ネタニヤフ「パレスチナはユダヤ人の土地だ。」神話の神功皇后のように、(朝鮮を)自分の土地にしてよい、と吉田松陰は言っていた。つまり大日本がアジアの盟主になるという考え方である。日本が外敵から攻撃されたことはフビライハンの1回きりだ。白村江の戦いで唐軍は日本にやって来なかった。ロシアは日本まで占領するつもりはなかった。日本が共産党政権になれば、米軍との戦争になる。石橋湛山は小日本主義を唱え、日本の植民地を放棄せよ。自由貿易をせよと唱えた。

 

軍産学連携

 

「安全保障技術制度」の金は使わないと学術会議が述べた。ところがデュアルユースに防衛省から金を出す。名目は内閣府や文科省と見せかけて、実は防衛省の指示があるデュアルコース向けの奨励金がある。維新や国民は学術会議法案に賛成である。

 

自衛名目で戦争できる改憲

国民民主は危ない。

113を「明治の日」にしようという議連がある。戦前、四大節(正月、紀元節、天長節、明治節)があり、今祝日になっていないのは明治節だけである。

統一教会は家父長的である。

 

 自衛隊の戦前回帰

 

牛島満の辞世の句が沖縄15旅団のHPに掲載されている。旧日本軍へのノスタルジーが自衛隊内にある。中谷防衛大臣は牛島の句を「平和を願う句だ」と言っている。防大の講演に櫻井よしこなどを講師として呼んでいる。「皇室のいない八月」は、憲法改正のために軍隊がクーデターを起こすという映画である。自衛隊が暴走する恐れがある。

 

1993年頃の河野談話から始まり、1997年に従軍慰安婦に関する記述が教科書に掲載されるようになった。右傾化はその1997年に始まった。日本会議結成され天皇だけを神とする国家神道を復活させようとしている。神社が神社本庁から脱退して九条の会をつくってもらいたい。

 

2018年道徳が教科化された。戦争ができる国民づくりが始まった。検定済みの教科書を使え、評価せよとされたが、文科省の抵抗で、54321の評価ではなく記述式の評価にさせた。記述式では差はつかない。

教科書の問題がある。戦争できる国民づくりをする教科書の典型は「星野君の二塁打」である。上野いいつけを守れ、自己犠牲せよというものだ。

「星野君の二塁打」では、野球監督が星野君に送りバントを命じたが、星野君は二塁打を打った。チームは逆転して試合に勝った。しかし星野君はきまりを守らなかった、犠牲の精神がなければ社会のために役に立たない、なぜ自分がヒーローになったのかと責められる。

しかし、上に言われた犠牲は真の犠牲とは言えない。

 

それに対して2015年のラグビーワールドカップの監督は、自分で判断できる選手を養成しようとした。監督エティージョーンズは、自分の指示に従わず、試合を勝利に導いた選手をほめた。監督の指示に従っていたら同点で勝利ではなかった。

以上

質疑応答

 

1 私は高校時代に文理両道の寺田寅彦に関心があった。大学ではインド哲学部に入った。

2 戦争すると国民が政府を支持する。サッチャーはフォークランド戦争で支持率を上げた。国内問題を戦争で解決するという手法である。軍需産業が維持され、軍産政学の複合体が独り歩きする。アイゼンハワーはそれを警告した。

3 学校はなぜ憲法を教えないのか。戦争直後はGHQの命令で民主主義を教えた。ところが1955年ころから「知らしむべからず」の方針に変わり、人権・平和教育に対して政権は敵対的になった。それをカバーしたのが組合であった。個人の尊厳が土台になっている。それに対するものは、「国家は重く、個人の命は軽い」という考え方である。

 

政治への関心 学校で政治教育をすべきだ。201510月、文科省が高校向けに通知を出した。それは「現実の日本の政治を扱え」というものだったが、「政治的中立を守れ、教師は自分の意見を述べるな」さらに「学校の外でも不用意にFBなどで自分の意見を述べて生徒に影響を与えるな」というものだった。それは教委を通じて校長に伝達された。「通知」には○○の効果はない。(法的強制力はない。)

 

ドイツの「フォイステルバッハのコンセンサス」

ドイツのフォイステルバッハという町に教師や研究者が集まり、政治教育について討論した。それがガ政治教育のイドラインとなっている。

 

1 圧制の禁止 教師は生徒に押しつけてはならない。

2 論争の存在を認める。

3 生徒指向 生徒自身の考えで判断させる。

 

文科省の考える生徒像は、生徒が主体的に考える生徒ではなく、教師の言いなりになる生徒である。

 

以上

 

2025年4月28日月曜日

井上久士日中友好協会会長・駿河大学名誉教授講演「「台湾有事」の虚実――戦後80年と東アジアの平和

 

井上久士日中友好協会会長・駿河大学名誉教授講演「「台湾有事」の虚実――戦後80年と東アジアの平和 2025426() 14時~16時 伊勢崎市民プラザ

 

 

感想

 

中国には台湾が独立したと看做せば、武力行使をするという法律がすでに制定されている。また台湾の世論調査で独立志向が多いのにびっくり。しかし今すぐと言うのは少ないが。

 

 

中国の「反国家分裂法」 2005314日制定

 

8条「「台湾」分裂勢力がいかなる名目、いかなる方式であれ、台湾を中国から切り離す事実をつくり、台湾の中国からの分離をもたらしかねない重大な事変が発生し、または平和統一の可能性が完全に失われたとき、国は非平和的方式その他必要な措置を講じて、国家の主権と領土保全を守ることができる。

 

 

台湾の世論調査(大陸委員会、20248月調査)

 

・今すぐ独立する。 4.8%

・暫く現状を維持するが、ゆくゆく独立する。 20.8% 多い。

現状を維持し続ける。 36.9% これもある意味、統一はしたくないと解釈できる。

 

以上小計 62.5% A

 

・暫く現状を維持するが、その後、状況を見て、独立か統一かを決定する。 25.5% B これも独立の可能性を否定していない。

 

AB 88

 

・暫く現状を維持するが、ゆくゆく統一する。 5.3% 少ない

・すぐに統一する。 1.5

 

以上小計 6.8% これは減少傾向にある。6年前の201811月の調査では、現状維持後に統一が16.0%、速やかに統一が3.1%で、合計19.1%であった。13%減少している。

 

・その他 5.2

 

講演者は、台湾での独立志向は少ない、と言われたが、私はこのアンケを見て、台湾ではかなり独立傾向が強いのではないかと思った。

となると中国が武力を使って統一しようとする可能性がかなり高いように思われる。その時日本はその世論操縦や沖縄などへのミサイル配備を土台に、アメリカ防衛を口実に、武力を使って中国に宣戦布告する恐れが十分あり得る、と嫌な気持ちになった。講演者は台湾が国名を「中華民国」を止めて、「台湾国」にしたら戦争になるのではないかと言っていた。

 

その他のメモ

 

支部代表 加藤

支部長 山口

前橋日中友好協会二胡教室の皆さま6

 

映画二本「荒野に…」「スマン国境…」を製作・上映した。

太極拳を20人が35年間年間200日やった。

活動報告を毎日広報で知らせている。

私は沖縄に50回行った。すでに全島にミサイルが配備されている。戦争前夜という感を受けた。今10万人避難訓練が行われている。

 

20年前二胡教室を立ち上げた。7曲演奏披露。太古展(湖上に浮かぶ船を描写)、埴生の宿、見上げてごらん夜の月、李香蘭の蘇州夜曲、台○○、アリランの娘、ふるさとの7

 

 

井上久士日中友好協会会長・駿河大学名誉教授講演「「台湾有事」の虚実――戦後80年と東アジアの平和

 

1 トランプ再登場とパラダイムシフト

2 台湾問題の現在

3 戦後80年と歴史問題

 

 

1 米の対中政策のパラダイムシフト

 

トランプが関税をかけない国もある。ロシアや、米国が黒字になっている国には関税をかけない。

 

対中政策の変更は、オバマの時代の後半から始まり、関与政策から封じ込め政策へ変わった。

中国の経済成長は激しく、今の中国は日本の4倍の経済規模になった。米は抜かれるという恐怖感を持っている。米は経済や軍事で世界第一を維持したい。(日本バッシング・為替介入後に)米保険会社が日本に続々入ってきたことを想起せよ。そのために米は日本の軍事力を増やそうとした。その点は共和も民主も同じ。

オバマは「世界民主主義サミット」なるものを2021年に開催し、民主主義国を専制主義国とを対比した。その非民主主義国としての、中国、ロシア、トルコ、サウジアラビア、イラン、ベトナム、シンガポール、ラオス、カンボジア等をサミットから排除した。これは世界の分断と言える。それ以前の冷戦時代も世界の分断だった。中国が市場経済を導入したので「共産主義」とは名指しせず、「専制主義」と名指すようになった。

安倍晋三はよく「自由で開かれたアジア太平洋」と言うが、その含意は、「自由でなく、開かれていない国がある」ことを意味する。つまり中国であるが、それをあからさまには言わないのである。

 

トランプはアメリカ第一主義であり、今までの米とは違う。

米は世界大戦で30万人が死んだが、日本や欧州と違って、国土は戦場にならなかった。ところが戦後、欧州や日本が台頭し、次に中国が台頭し、今や米の経済力は凋落傾向にある。今は米覇権の最終段階と言える。

 

トランプは軍事費を出したくない。日本へのGDP3%の要求をトランプはまだ言っていないが。中国の軍事予算額はGDP2.3%から2.4%である。日本は中国と軍事力では対抗できない。

 

日本は「トランプさん関税24%を8%にしてください」と媚びるが、フランスやカナダ、EUは対抗策を講じている。

 

ASEAN10か国の合計は日本と同程度の経済力をもつようになった。中国はASEANにシフトしている。

 

 

中国はアメリカ対中国を含む全世界という構図にもって行きたい。

 

 

Gideon Rachman, The Financial Times, 2025.4.15

 

米国人は中国の製品を欲しがっている。

その製品が高くなったり、なくなったりすれば、苦しむのは米国人だ。スマホの例を見よ。

米国で販売されているスマホの半数以上がアップルのiPhoneで、その80%は中国で生産されている。

世界のエアコンの80%、米国が購入している扇風機の4分の3が、中国で生産されているため、トランプは今年の夏が猛暑でないことを祈らねばならない。

ホワイトハウスはクリスマスまでに貿易戦争が終わっていることを願うだろう。米国が輸入している人形と自転車の75%も中国製だからだ。

米国市場は中国の輸出の14%しか占めていない。

中国経済は14兆~15兆ドル規模の経済であり、対米輸出は5500億ドルにすぎない。

中国がトランプに慈悲を乞うなどあり得ない。

 

しかし、中国でも失業者は出るだろう。若い女性服が売れなくなるだろう。

以前、共産圏に物を売らないというココムという西側の協定があった。

 

シンガポールのシンクタンクISEASの調査:ASEAN究極の選択「中国か、米国か」2024

 

            中国  米国

ASEAN 50.5% 49.5

ブルネイ 70.1% 29.9

カンボジア 45.0% 55.0

インドネシア 73.2% 26.8

ラオス 70.6% 29.4

マレーシア 751% 24.9

ミャンマー 42.3% 57.7

フィリピン 16.7% 83.3

シンガポール 38.5% 61.5

タイ 52.3% 47.8

ベトナム 21.0% 79.0% 習近平がベトナム訪問

 

ASEAN諸国のBRICS加盟が増加傾向。インドネシアが加盟、タイ、マレーシアが加盟申請中、ラオス、カンボジア、ミャンマー、ベトナムが加盟に意欲。

 

 

 

2 台湾問題の現在

 

1895417日の下関条約後の1895523日に、台湾は「台湾民主国」をつくって独立宣言をし、日本の占領に抵抗し、全島で激しい抗日ゲリラ闘争を展開した。

 

 

ポツダム宣言81945.7.26の中に盛り込まれているカイロ宣言は「連合国の目的は、満洲や台湾、澎湖島など、日本が中国人から盗取した一切の地域を、中華民国に回復することである」としている。(カイロ宣言はローズベルト、チャーチル、蒋介石中国主席によって194312月に発せられた。)

「化外の民」1871と突き放しておきながら、今度は「盗取」か。

 

 

台湾人アンケ「中台戦争は起るか」2024.3

 

・非常有同感 10.5

・還算有同感 まあそう思う 26.6% 以上小計 37.1

 

・没意見 意見はない。賛成でも反対でもない 7.8%

 

・不太有同感 あまりそう思わない 35.1%

・一點也没同感 全くそう思わない 15.3% 以上小計 50.4

 

・不知道 分からない 4.8

 

解釈 「中台戦争は起こらない」が50.4%、「起る」が37.1%と、「起らない」とのんびり構えている人が多いが、「起るかもしれない」という人も40%弱と、かなりの数が不安に思っていることが分かる。

 

日中友好協会の立場

 

「中台」という表現は不適切であり、「両岸」が正しい。

頼清徳総裁には要注意。台湾の人々は独立を主張して中国を刺激すべきではない。

 

 

安倍談話2015.8.14

 

・「日露戦争は(正しい戦争であり、)アジア・アフリカの民衆(人々)に勇気を与えた。」

・(第一次大戦後の)国際社会がつくろうとした新しい国際秩序は、日本に対して壮絶な犠牲を与え、日本はそれに対して挑戦した。

・日本兵と中国人民とを、死んだことでは同じであるとして、同等にあつかい、「国内外に斃れたすべての人々」を哀悼する。

・積極的平和主義=軍事主義を高く掲げる。

 

20208月の安倍晋三式辞は「歴史の教訓を深く胸に刻み」を削除。

 

 

書道や二胡、太極拳などの文化を通して中国人と仲良くしてゆくべきだ。

中国にも右翼はいる。排外的なところは改めるべきだ。

 

 

南京事件調査研究会「南京大虐殺否定論13の嘘」柏書房 20年前に出版 

 

811日、練馬で日中友好協会の島田正彦が講演。

 

以上

 

 

2025年4月21日月曜日

飯島喜美 日本共産党員 24才で結核で獄死

 

飯島喜美 日本共産党員 24才で結核で獄死 命日の20241218日、出身地の千葉県旭市に顕彰碑を建立 1960年代、作家の山岸一章が喜美の生涯を取材していた。

 

1911年、千葉県旭市の提灯つくり職人の父倉吉と母ちかの長女として生まれる。小学校卒業後、地元の書店多田屋に子守奉公、本ばかり読んでいて首。

1927年、15歳で東京亀戸(現・江東区)の東京モスリン紡織亀戸工場に就職。募集文言「学校・病院・寄宿舎完備無料」

1928年、16歳でストライキを指導、外出の自由を勝ち取る。(19231月、渡辺政之輔と川合義虎が亀戸で南葛労働会を結成)

1929年、17歳で日本共産党に入党。

1930年、18歳でモスクワ国際労働者大会に参加して演説。「女子の賃金は男子の半額、食事は粗悪」

1931年、帰国

19335月、東京で検挙・拷問・服役。

19351218日、栃木刑務支所の2畳の独房で死亡。

 

 

2025年4月20日日曜日

木村亨 横浜事件

 

木村亨 横浜事件 横浜事件とは神奈川県警事件とも言える。

 

 

 前段

 

193612小林陽之介が立命教授の大岩誠とともに逮捕された。小林陽之介は「在独中にドイツ共産党員であった」ことから治安維持法違反とされ、大岩誠も「在欧中1930.5—1933.1のフランス共産党員としての活動」が治安維持法違反とされた。小林は1936年夏「コミンテルンの新方針である人民戦線を展開する使命を以て帰国した」とされた。

その後、1930年代前半に欧州留学中に左翼運動に関係した知識人が1936年、37年ごろに取調べを受けた。

 

米国共産党事件

 

19429、「米国で共産主義運動をしていた」川田寿*とその妻定子が逮捕された。川田寿は1930年に渡米してから当地で定子と結婚し、19411月、米国から帰国し、外務省と関係の深い世界経済調査会に就職した。川田は横浜入港時に多数の左翼関連文献を持ち込んだと言われる。当局は拷問して苛酷な取調べをしたが、日本共産党再建の事実は見つけられず、米国での共産党活動だけが犯罪とされた。

 

Wikiによれば「川田寿は米国で労働運動を研究し、反戦運動に加わった」とあるが、共産主義運動をしていたとは書いてない。

 

ソ連事情調査会事件

 

次に川田寿の勤務先の世界経済調査会でソ連の研究をしていた益田直彦高橋善雄194315月にそれぞれ逮捕された。世界経済調査会と満鉄東京支社を舞台に、左翼グループ「ソ連事情調査会」があるとされ、満鉄関係の平館利雄西沢富夫が逮捕され、さらに翌1944年春、満鉄上海支所の3人が逮捕された。

 

泊会議 泊事件 「細川嘉六を中心とする所謂党再建準備会なる非合法グループ事件」

 

19429、警視庁が細川嘉六を雑誌『改造』昭和1789月号に掲載された細川の論文「世界史の動向と日本」が共産主義を宣伝したという容疑で検挙した。陸軍省報道部長・谷萩那華雄大佐がこれを共産主義を宣伝したと問題視した。本来は出版物だから新聞紙法違反とすべきであるが、治安維持法違反とされた。

 

満鉄関係の平館利雄西沢富夫から押収した写真に写っていた人々をことごとく捕まえて拷問し、2人が亡くなったそうだ。何がなんでも検察の筋書き通りに自白させる今の冤罪警察の始まりとも言える。

この写真を契機に細川嘉六は警視庁から神奈川県警と横浜検事局に移送された。写真は細川の論文『植民史』を東洋経済新報社から出版したとき、19427、細川の郷里富山県泊町に出版関係者とその他の友人を招待し、会食したときの記念写真である。これが共産党再建準備の謀議とされた。

 

20231219日から24日までのギャラリー古藤で開かれた展示会の主人公・木村まきさんの夫の木村亨さんはその写真に写っていた人の一人で、中央公論社の人。警察は中央公論や改造をよく思っていなかったようだ。また世界に目を向けることも嫌っていたようだ。

 

木村亨の他に、相川博(元改造社)、小野康人(改造社)、加藤政治(東洋経済新報社)および西尾忠四郎(満鉄東京支社)が検挙され、計8名となる。

 

 

 

次に、細川嘉六やソ連事情調査会の取り調べの過程から、アジア協会の新井義夫が浮上し、19437月に逮捕された。

 

『横浜事件と再審裁判 資料集成』 インパクト出版会 2016

 

『横浜事件と再審裁判 資料集成』 インパクト出版会 2016

 

(注)これは未完。拷問に関する口述書が圧巻。pp. 224-237

 

感想 202515()

 

こんなことを言って法律家には悪いが、法律は屁理屈だね。そして権力の側が得をするようにできている。法律には普遍的な哲学がない、と思いませんか。トランプの不倫有罪も、駆け引き次第で、ネット出廷が許されたり、無罪にもなったりするらしい。法律はまさに政治そのもの。あなたのご意見は。

 

 

感想・メモ 20241230()

 

 免訴ではなく無罪を求める。「刑の廃止」や「大赦」によって公訴権(検察権)、刑罰権348が消滅する、今後訴追される心配がなくなる、過去の有罪判決の効力が失われるからいいじゃないかというが、それでは過去の有罪判決は不問とされ、有罪の烙印は永久に残り、永久に犯人視され続ける。そうではなく、(悪法と拷問を断罪し、)無罪としなければならない。

 

再審制度の目的は、人権の救済、無辜の救済347である。

 

 

感想・メモ 20241220()

 

免訴ではなく無罪を求める理由が分かった。免訴とは裁判をせず、白黒をつけないということである。それは不当な原判決が生き残る=無効にならない、ということを意味する。それに名誉が回復されず、刑事補償の利益も得られないということもある。

それに対して横浜地裁2006は刑訴法に基いて免訴を主張し、官報や新聞発表による名誉回復265や、刑事補償の手立てもあるという。

 

 

感動的な言葉 20241219()

 

横浜事件を担当した海野晋吉弁護士1966/11.1「横浜事件のように権力の暴威による事件は、たとえ抵抗しても起きてしまってからではもう遅いのである。現在の若い人々にも、明るい言論の発展のために、涙と血で綴られた横浜事件の暗黒のページを、じっくりとひもといてその内容を深く理解してもらいたいと痛感する。」250

 

 

感想・メモ 20241217()

 

 新事実発見 あの非道で鬼畜のような特高・松下英太郎が、戦後は新橋駅烏森口でトンカツ屋「牡丹」を経営していたという。どんな立場だったのか。経営していたのだから店長か社長か。新橋駅といえば一等地である。どういう経緯で店を入手したのか。松下に新橋で会ったが、戦前の秘密をばらそうとはしない受け答えである。しかし、その応答の中から、「東条政権のために近衛勢力の駆逐一掃を図ろうと(横浜)事件の利用をたくらんだ警保局長・唐沢俊樹が、近衛の息のかかっている昭和塾風見章を狙って、近衛派一掃を図った」という推理が裏付けられたという。(昭和511976310日、青山憲三(青山銊治の筆名)「横浜事件余話」同人雑誌「星霜」No.16 p.60-65241

 

戦前は権力側についていた元看守の土井は、「再審裁判のためにどんな努力もする」と、過酷な拷問を受けた被告らを励ましたという。(昭和62198751日、青山憲三(青山銊治の筆名)「最後の抗議-横浜事件再審裁判日誌-」同人雑誌「星霜」p.51-60241

 

 

感想・メモ 20241216()

 

拷問・医療放棄=殺人

 

・左翼専属の特高がいたらしく、被疑者が別の警察署に移されたときでも、同一の特高が拷問を担当している場合がある。相川博の場合234

・特高の拷問パターンは共通しているようだが、荻野によれば、確か、日本人よりも朝鮮人や中国人に対する拷問の方がひどく、場合によっては殺す=死刑にしたようだ。

・拷問の例 後ろ手に縛る、竹刀、竹刀を半分に切ったもの、竹刀を箒のようにバラバラにしたもの、木刀、拳固、棒を脚の間に入れて正座させ、腿に乗っかり靴で踏みつける、裸にする、失神したら水をかける、髪の毛をつかんで床を転がす、逆さづり(これは口では言っているが実際はやらなかったようだ。○○によれば、朝鮮人はこれをやられた。)、角材の上に正座させ、腿の上に靴で乗って踏みつける、…

・失神したら拷問を休んだ。

・「小林多喜二はどうして殺されたか知っとるだろう235」「お前のような国賊を一人や二人殺しても罪にも何にもならないのだ233」…

・反知性主義 「貴様のような痩せこけたインテリは何人も殺しているのだ」234

・牢屋では治療はしない、死ぬのを傍観している。

・拷問の時間・期間 およそ2時間、1年半くらい。

 

・「自白」原稿を作ったのは、特高ではなく検事だったのではないか。左翼理論が出て来るから。32年テーゼとか、取り調べられる方もその中身を知らず、カンニング・ペーパーを写したようだ。

 

・特高の中にも、どれだけいたかは知らないが、「この人はきゃしゃで、あまり酷い拷問を加えたら死んでしまうかもしれないから、手心を加えるよう」と発言した人もいたようだ。

・一方中には酷い特高がいて、奥さんの差し入れ弁当を、被疑者の目の前で食べてしまうこともあった。しかし、差し入れを一定期間本人にやらないという方針は、どうも検事の指図があったように思われる。

・和田洋一『灰色のユーモア』によれば、女性の場合は陰門に物差しを突き刺してぐるぐる回したという。

 

059 特高Nは一番の古参で、「エロの大家」と言われていた。N曰く「女がしぶといゆうたって、何でもありまへんで、私はね、女がどつかれても、けられても、髪の毛を引っ張られても白状しよらん時は、物差しを持ってきて、穴の中に差し込んでやりますね。そして両手でキリキリともんでやりますね、そしたらどんなしぶとい女でも、とびあがりよりますわ、そしてすぐ白状しよりますわ」

Nは人をまともに見ることができず、いつも下眼づかいをして、ジロッと相手を眺める。顔色は全くの土色である。これは栄養失調からきているかもしれなかったし、エロの方で精力を浪費することから来ているかもわからなかった。Nは特高の中でも一番陰惨で哀れな男だったが、この男がある日巡査部長に昇格した。

 

 

感想 壮絶横浜事件 20241212()

 

 

唯一の女性被告人であった川田定子によれば、3年間の留置の間に入浴を許されたのはわずか1回だけ、それも裁判所に出頭する時だけだった。そして拘置所の居室を囲むタタキでは、看守による暴力が繰り返された。185

 

高木によれば、肺湿潤になって高熱を出しても、横臥許可が出ただけで投薬もなし。一度仲間と連絡を取ろうとしたことが露見しそうになり、舌を噛み切って自殺を図ろうとした上に、革手錠を2週間はめられて、用便も食事も寝具の始末も一切を口と足ですませる生活が続く。他の房から激しくせき込む声が夜ごと聞こえ、それが同じく横浜事件で不当逮捕・勾留されている浅石晴世であり、房の中で朝血まみれになって死んでいるのが発見されたことを知る。185

 

拷問による自白調書で自らの意思に反してそれを認めさせられた元被告人らは、木村亨をはじめとして初回の予審から特高の不法拷問を暴露し、党再建準備会は事実無根、我々は共産主義者でなく民主主義者である、との主張を繰り返してきた。それに取り合おうとしなかった予審判事が、無条件降伏直後、手のひらを返すように、「君たちの調書にある党再建準備会という件は全部取り消すから、どうか勘弁してくれ」と哀願するように木村に泣きついたという事実もある。184

 

心身ともに限界状態にあった被告人らは、いい加減な公判を受け入れざるを得なかった。186

 

 

感想 20241210()

 

横浜事件(自由主義的な出版関係者を拷問によって治安維持法違反とした事件)再審請求にまつわる論議の中で、

 

 検察側の非人間性の暴露 その原因は、明治国家体制=天皇制。個人の尊厳など毛頭念頭にない。非人間的な拷問の被害者に対する配慮など毛頭なく、再審請求を拒絶できる理由ばかりを考え出そうとする。つまり再審開始の条件を、過去の審理における事実誤認132だけに限定し、法の改変(治安維持法の無効化)に伴う無罪・免訴を再審の対象とせず、検事総長一人の特権(非常上告)とする。おかしい。

 

 

天皇によるポツダム宣言受諾の時点1945/8/14で明治国家体制は崩壊し、ポツダム宣言10項の「言論、宗教、思想の自由…は確立せらるべし」116という条項によって、治安維持法は崩壊・消滅したのであり、検察側の主張する「治安維持法等廃止の件(ポツダム勅令)」112の時点1945/10/15ではない。

ポツダム宣言の同条項10項や、自由意思による国家建設を説いた12項などは、明治国家体制の天皇の性格=国体と矛盾する。明治国家体制では、天皇は唯一の主権者であり、統治権を総攬し、緊急の必要がある場合に法律に代る勅令を発し、戦時又は国家事変の場合には、臣民の権利・義務に関する大権を施行することが可能であった。139, 140

 

 横浜事件の審判で、予審終結決定が824日、公判とその即日判決(確定)が同30日に行われたことと、治安維持法の失効時期が問題となる。

 

 袴田事件同様、横浜事件でも京都人民戦線事件でも、「自白」=検察ストーリーの拷問によるでっち上げであった。

 

 

感想 2024127()

 

 検察が拷問して自白を強要しておきながら再審請求を拒否するための文章をなんとしてでも考案しようとするとは、みっともないかぎりだ。そして特別公務員暴行陵虐罪が確定した部下の仲間=特高を、サンフランシスコ講和条約の発効に伴う大赦・放免で服役しなかったというのも、根深い問題を抱えているようにみえる。戦後度重なる冤罪「自白」事件を見よ、同根ではないか。

 

 

 

メモ

 

 

再審請求審 008 再審請求書 請求の趣旨 請求の理由

 

1 確定判決の存在と再審の理由

2 本件判決のなされた事件の概要

009 第3 判決及び訴訟記録の存在不明と再審規定の解釈

1 いわゆる横浜事件関係の判決書及び訴訟記録の存在不明

2 判決書及び訴訟記録の存在不明と再審法規の解釈

012 第4 本件判決の復元

014 第5 再審理由

1 旧刑訴法4856号該当

 

警察が作った、でっち上げたストーリーを拷問016-によって「自白」したとする。袴田さんと同じ構図。あからさまで苛酷な肉体的拷問。

 

019 2 旧刑訴法4857号該当

 

021 証拠方法 甲第1号証の1 判決(小野康人)写し 昭和20915 …

 

024 別紙1 判決 中央公論出版部記者 木村亨 当31

 

右の者に対する治安維持法違反被告事件に付当裁判所は検事山根隆二関与審理を遂げ判決すること左の如し

 

主文 被告人を懲役2年に処す 但し本裁判確定の日より3年間右刑の執行を猶予す

 

昭和20915日 横浜地方裁判所第2刑事部 

 

感想 この「判決」は当時の警察のマルクス主義の理解程度を物語っていると言えよう。そのストーリーには欠陥がある。「被告が共産党の目的に与した、結果的にその目的達成を支援した」と言っても、当時はすでに共産党は壊滅していて実質的に存在しないから、支援する対象が存在しない。

 

 

026 再審理由補充書 請求人 木村まき、小林貞子、板井庄作、由田道子、高木晋、平舘道子 2000420

 

1 はじめに・問題の所在

027 2 ポツダム宣言の受諾と大日本国憲法の存立=旧憲法体制への影響

029 3 ポツダム宣言受諾と治安維持法の失効

030 4 結びに・治安維持法の失効と「刑の廃止」

 

感想 日本が814日にポツダム宣言を受諾した時点で、日本は戦前の日本ではなくなり、治安維持法は失効していたと解釈し、その後行われた横浜事件の判決は、「免訴」となるという論理らしい。原告は無罪あるいは免訴を望んでいたようだ。

 

 

 

031 上申書 請求人 板井庄作 2000420

 

感想 032, 033 判決文の謄本がないとして当局は再審を受け入れなかったようだ。それに対して抗議・反論している。

 

 

032 再審理由補充書(2) 請求人 木村まき 外5名 200128

 

033 第1 再審請求における原判決謄本添付の意義

1 法が判決謄本添付を求める趣旨

2 本件の場合

1)本件における特殊事情

034 2)特定すべき内容

2 再審制度の根本理念との関係において――求められる要件緩和

035 1 再審請求事件における先例

1)財田川差戻決定の内容

037 2)財田川決定に学ぶもの

2 本件の場合

3 免訴再審と原確定判決

038 1 審判に必要な事項と免訴再審の要件

2 ポツダム宣言受諾と「刑の廃止」

 

 

再審理由補充書(3) 200159

 

1 はじめに

039 第2 加藤老事件

1 事件概要

040 2 再審審理の基本原則

3 記録の滅失の場合の補充立証

4 補充立証による確定事件の再現

イ 凶器の再現

041 ロ 血痕鑑定書の再現

5 新証拠による開始決定

3 榎井村事件

1 事件の概要

2 再審審理の基本原則

042 3 記録の滅失と総合評価

4 確定事件の再現

5 証拠評価のための事実の取り調べ

イ Bの自白の信用性に対する疑問

ロ Kの供述に対する疑問

043 6 新証拠による開始決定

4 松尾事件

1 事件の概要

2 再審審理の基本原則

044 3 記録の滅失の場合の審理方法

4 事実の取り調べ

イ 次の資料の取り調べ

045 ロ 裁判所が独自になした事件関係者からの事情聴取

ハ 事件現場での検証

ニ 裁判所が全ての事件関係者から事情を聴取

5 確定判決の事件記録再現と心証形成の再現

6 新証拠による開始決定

5 結び

 

 

046 再審理由補充書(4) 200159

 

1 本件再審請求の骨子

2 新証拠並びに記録取り寄せ等について

 

 

047 鑑定の請求 2001529

1 鑑定事項

2 弁護人が推薦希望する鑑定人 奥平康弘

 

 

048 陳述書 請求人 板井庄作 2002219

 

1 経歴等

1 経歴

2 社会主義への接近

2 昭和塾、昭和塾塾友研究会政治班

1 昭和塾

2 昭和塾塾友研究会政治班

049 3 共産党、コミンテルンとの関係

4 予審終結決定書が挙示する私の発言について

3 検挙から取り調べ

1 検挙

050 2 磯子署への留置・暴虐の始まり

3 長谷川検事の取り調べ

4 特高刑事による取り調べ

051 第4 横浜拘置所

1 拘置所移監後はほとんど取調がなかったこと

2 浅石君の拷問死

052 3 独房での生活

4 敗戦

5 予審について

5 裁判

053 第6 おわりに

 

感想・メモ

 

048 上層部が下部の(特高)警官による拷問殺人を承認していた節がある。某特高が坂井庄作に「小林多喜二が何故死んだかを知っているだろうな。お前のような奴らは殺しても構わないのだ

050 一高卒の検事・長谷川明は自分が一高の先輩であると称し、私の如き人間が出たことは「一高の恥」であると言い、さらに私を「国賊」と罵った。

 

当時拷問を働いた特高たちは、戦後特別公務員暴行陵虐罪に問われたが、有罪判決直後のサンフランシスコ講和条約発効による大赦で服役しなかったように、当局には戦前の拷問を反省する節が見えない。

 

 

054 証拠説明書 200257

 

055 証拠説明書 2003214

 

056 「再審請求最終意見書」(2003年平成1525日)に見える敗戦直後の歴史

 

Ⅰ はじめに 第1 請求人ら救済の必要性と緊急性 1 横浜事件第1次再審請求報道の反響

 

清沢冽『暗黒日記』は、これ(横浜事件)を評して「蝋山君の言うところでは、中央公論・改造の背景に30万の知識階級(などの)…政府の(に対する)オポジション(反対勢力)がある。それが(特高の)ブラックリストになっている(掲載されている)が、それ(その反対勢力)を(政府は)取り除こうというのである。(それが)東条内閣の政策の一つである」(昭和19710日)

 

059 Ⅲ ポツダム宣言の受諾と旧憲法・治安維持法の効力 第1ポツダム宣言受諾後のわが国の政治・社会状況 1 戦勝連合国側の動き 

060 『GHQ』竹前栄治 岩波新書、「ポツダム宣言受諾と治安維持法」古川純 法律時報20025月号、『戦後史資料』塩田庄兵衛 新日本出版社、

061 『日本占領革命――GHQからの証言・上』T・コーエン TBSブリタニカ、

062 『戦後史資料』塩田庄兵衛 新日本出版社、 『日本占領革命――GHQからの証言・上』T・コーエン TBSブリタニカ、『未完の占領政策』油井大三郎

064 1945104日の(GHQによる)「人権指令」によって、特高警察等の思想・秘密取締機関は廃止され、山崎巌内相以下の関係職員4000名は即刻罷免され、1010日にはすべての政治犯3000名が釈放された。

 

2 日本国側の動き

065 814日の、(ポツダム宣言を受け入れて国民に発した)天皇の詔書の直後に出された「内閣告諭」には、「聖断既に下る。今や国民の斉しく嚮(む)かうべきは、国体の護持にあり、…」とし、東久邇宮も「国体護持という一線は、対外交渉の最後の線であるとともに、国民指導の根本方針である」と旧態依然であった。

065 『新憲法の誕生』古関彰一 中公叢書

066, 067 『治安維持法関係資料集・第4巻』荻野富士夫 新日本出版社

 

1945103日、山崎巌内相はロイター通信社の特派員に「思想取締の秘密警察は現在なお活動を続けており、反皇室的宣伝を行う共産主義者は容赦なく逮捕する。政府形態の変革、とくに天皇制廃止を主張する者はすべて共産主義者と考え、治安維持法によって逮捕される。」

 

067 「敗戦と治安体制」荻野富士夫 法律時報20025月号

『日本国憲法「改正」史』渡辺治 日本評論社

 

 1945927日に天皇が初めてマッカーサー最高司令官を表敬訪問した際の写真が翌々日の新聞に掲載されたところ、その衝撃的な印象に驚いた山崎巌内相は、それが皇室の尊厳を傷つけるという理由で、新聞の即刻発売禁止を命令した。その措置に憤激したGHQは、直ちにその命令を撤回させただけでなく、(9月)27日に遡って「新聞・映画・通信に対する一切の制限法令」の撤廃を命ずる指令を出した。

 

068 また19465月の「食糧メーデー」において「国体はゴジされたぞ。朕はタラフク食ってるぞ、ナンジ人民飢えて死ね、ギョメイギョジ」と書かれたプラカードに対して、政府はこの表現を天皇を侮辱するものとし、刑法の不敬罪で訴追して処罰しようとしたが、GHQはこれを許さず、むしろ不敬罪の規定そのものの撤廃を命じ、直ちに刑法典から削除させた。

 1945104日のGHQの「人権指令」が日本の為政者や国民にもたらした衝撃は大きい。

 

 

069 第2 ポツダム宣言の受諾と旧憲法・治安維持法の効力 1 はじめに――問題の所在 

071 2 ポツダム宣言の受諾と天皇・日本国政府の統治権

072 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

276 再審と通常の裁判とは異なる。再審は不当に有罪判決を下した原審による不名誉をそぐためのものであるから、検察側による権力の執行は制限される。また恩赦などによる免訴は、不当に有罪判決を下した原審の誤りをそのままに放置するので許されない。

 

312 横浜事件は、戦前戦後を通じて、裁判所が被告(板井庄作)の弁明を一度も聞かないで、最後は「免訴」という逃げ道を作って、審判を開かずに終わったようだ。

 

 

 

 

318 二 治安維持法と裁判所、裁判官の責務

 

2 大審院判事三宅正太郎の懸念 『治安維持法』(現代法学全集)37巻、533

 

319 三宅が懸念した「極めて苛酷不自然な法」としての治安維持法

 

戦争中、司法権の独立を喪失した司法精神、某検事が指摘した「判検事一体の司法精神」によって裁判官を検察官のファッショ化に追随させ、共産党とは何の関係もない反ファシズム運動や反戦思想、新興宗教、キリスト教、知識人、ジャーナリストにまで治安維持法を拡大適用させた。この「判検事一体の司法精神」は、今日にまで持ち越された負の遺産である。

 

「友人に会ったことも、会食したことも、起きるから眠るまで一日中の行動の全てが、共産党の目的遂行のためにした行為として犯罪である。」(滝内礼作「被告人」『法学セミナー』19579月号、4頁)

 

 

325 第8 弁護人岡山未央子の意見陳述の要旨 2

 

327 浅石晴世、和田喜太郎325、高橋善雄、田中政男は拷問で殺された。西尾忠四郎は出獄直後に亡くなった。

 

3 浅石と和田は木村亨と中央公論社の同僚であった。浅石は羽仁五郎にかわいがられていて、軽井沢の別荘に行ったこともある。

 

329 鳥見迅彦の詩が『全集・戦後の詩』(全5巻、角川文庫)に載っている。鳥見は横浜事件の被害者とほぼ同時期に、同じ横浜の特高から拷問を受けていた。

 

330 鳥見の第一詩集『けものみち』1955の中の「手錠と菊の花」より

 

この手錠をはずしてくれたまえ

きいろい菊の花の小枝で顔をかくし

あなたはなぜそんなにいつまでも声なくわらっているのか

私は菊の花のにおいはきらいです

 

 

 

337 上告趣意書 第1 刑訴法4051号に基づく上告理由 二 憲法32条違反 その2 違法な免訴判決に対する上訴の利益 2

 

344 再審公判では公訴権の復活・存続を考えることは許されない。再審公判は検察官の公訴権が原因となってはいない。それは憲法39条(適法・無罪については刑事上の責任は問われない。また同一の犯罪について重ねて刑事上の責任を問われない)と、刑訴法452条(不利益再審の禁止)によって、真実である。

 

三 憲法31条違反(再審制度の趣旨の没却)~原審判断の誤りの根本にあるもの 1原審判断の誤り

 

345 実体審理をしないで「刑事手続きから解放」されることや「もはや処罰されることがなくなること」には何の利益もない。

 

 

上告趣意書 第2 刑訴法4052号に基づく上告理由

 

349 プラカード事件大法廷判決は「原審がした免訴の判決に対して無罪を主張して上訴することは違法である」とするが、これは免訴判決自体の誤りを主張して上訴することまで否定していない。

 

 

 

 

 

 

 

 

476 刊行を終えて 本書は木村まきさんの寄贈ともいえる。木村まきさんは横浜事件の訴訟の全過程をまとめた本を出版するのを主導した。

 

木村まきと平舘道子の2人を原告として国賠訴訟を提訴したが、(1943年)当時国家賠償という法律がなかったとして一審の東京地裁は棄却した。二審東京高裁もそれを支持して控訴を棄却し、最高裁への上告は、手続きの遅れを理由に高裁が上告を却下した。

 

20121221日、(木村亨と平舘利雄の)国賠訴訟を提訴。

2016630日、東京地裁は拷問という違法行為や裁判などの記録の廃棄は認めるが、当時(1947年以前)国賠の法律がなかったとして棄却。本書が出版されたのも2016630日である。

201810月、東京高裁は一審を支持して控訴を棄却。国賠は今後の立法府の責任とする。

20191月、高裁が手続きの遅れを理由に上告を却下した。

 

木村まき1949-2023 岩手県一関市出身。2023814日、木村まきが自宅で亡くなっていた。74歳。

 

 

NET情報 某特高は「俺は拷問などしていない」と白を切ったという。毎日新聞インタビュー。時代の背景を感じる。これは、強制連行はなかったとか、慰安婦は自主的に営業していたなどとする開き直りと通じる。

 

 


 

横浜事件第三次再審請求弁護団『横浜事件と再審裁判 資料集成』 インパクト出版会 2016

 

 

本書は「治安維持法違反」の被告・木村亨さんの妻・木村まきさんの執念の結晶です。本書は木村まきさんらの刑事補償請求の結果生まれたもので、私は永田浩三さんのネットでのご案内で、武蔵大学近くのギャラリー「古藤」で、20231223日、本書を無料でいただきました。

 

横浜事件に関する裁判は複雑で、先ず再審請求審、再審開始決定に対する即時抗告審、東京高裁による即時抗告棄却後の再審公判、再審公判の控訴審、上告審、そして刑事補償請求と国家賠償訴訟とがあります。

 

なおこれは第三次再審請求審1998について述べたものです。再審請求審は第四次まであり、被告の人数が多く中心となるグループは、第一次と第三次、被告が一人(小野康人)の再審請求が第二次1994.7.27(466)と第四次2002(468)2008(473)、同免訴確定2009.3.30となります。

 

第一次再審請求審1986.8.7(464)は、国側の裁判記録が存在しない(戦後焼却処分)という理由で退けられました057が、第三次再審請求審では、ポツダム宣言の受諾による治安維持法の消滅という理由で再審が認められました。

 

横浜事件は某軍人(陸軍報道部長・谷萩那華雄)が、細川嘉六のリベラルな論文「世界史の動向と日本」を問題視し、それを受けて警察が、治安維持法を根拠に、拷問を加えて強引に同法違反の罪を着せました。Wiki 軍国主義の方針にちょっとでもそれるような議論をすることも許されない時代だったことが伺われます。

 

 

横浜事件の問題点は何と言っても拷問です。被告らは命の危険を感じて治安維持法違反だったと、つまり共産党を再建しようとしていたと、「自白」をしました。鬼畜のような拷問であると私は考えますが、それをここにほんの一例ですが、本書の写真で掲げます。

 

被告は80余名056が逮捕され、30余名が起訴され、拷問を受け、4人が獄死、2人が獄死同然で死亡しました。

 

 

拷問を加えた28人を戦後告訴し、3人に有罪の実刑判決が下されたが、それは実質無罪で、サンフランシスコ平和条約時の大赦により、収監されることはありませんでした。

 

 

 

荻野富士夫「治安維持法は今も生きている」

  荻野富士夫「治安維持法は今も生きている」 20250621  土 エデュカス地下会議室 『治安維持法 100 年 「新しい戦中」にしないために』発行記念 「治安維持法とは何だったのか その歴史と現在を考える」 主催 歴史教育者協議会、大月書店     感想 荻野富...