治安維持法100年群馬集会 20251026 前橋総合福祉会館 81人参加
司会・開会 大川正治
主催者 治安維持法100年群馬集会実行委員長 吉村駿一
日本共産党群馬県委員長 渋沢哲男
JNN報道特集『暴走した悪法100年 弾圧された女性たち』 YouTubeで見られる。
高知の反戦運動 「草の家」
小松とき 1929年、入党。1932年、反戦ビラをまき、50人検挙。大きく報道された。
槇村○○ 26歳で死亡。映画「人間の〇」1978 夫・益吉、子・仲哉
米沢市戦争資料館
菱谷さん 北海道の人。
原田完75 『レジスタントの京都 治安維持法の青春』日本機関紙出版センター2025.7 1980円(1003人の被害者名簿CD付)
1969年、桐生工業高校卒業後、京都の染物会社に就職。18歳で入党。労働争議により1年2か月で解雇。退職金100万円もらった。民商へ。1970年代中頃。商店街関連の活動。府会議員。議員を辞めてから京都の「ノーサイor NOSAI」部長、国民救援会会長などを勤める。
4 or 9/22、毎日新聞の取材を受けた。『前衛』に寄稿。
高市早苗は村山談話に関して「教育勅語のどこが悪いか」と問い詰めたらしい。
母・山田寿子(としこ、1911.1-1998.2)は1929年、19歳の時、芝浦製作所田町工場に就職し、関東金属労組に参加。1930年入党。4回拘留。7年の実刑。
1回目 1929年3月、山宣葬儀デモ
2回目 山田隆(後の夫、1937年11月、結婚)が捕まってしゃべり、捕まったが、逃げられた。
3回目 特高から性加害。くるぶしに鉄球を打たれたのが耐えられなかったという。
4回目 7年の実刑。
1932年10月、検挙、市ヶ谷刑務所。
1933年、転向上申書・保釈。
1936年、栃木刑務所に収監。(5年とは1932-37のことか)
1937年11月、仮保釈。山田隆と結婚。
山田寿子さんの著書『長い旅路』
思想は自白しか証拠がない。
拷問の種類
1 肉体的
2 精神的 第三者に拷問するのを見せる
3 性的
戦前は女性には相続権がなかった。
スパイ防止法 神谷「共産党は最後は暴力だ」
農業予算は嘗ては4兆円だったが、今は2兆円に、防衛予算は嘗ては2兆円が10兆円に。
以上
質疑・感想
『群馬県警察史』
おとといの上毛新聞に共産党の大沢綾子県議の収支報告書に多額の金額が書かれていたが、それは大沢個人のものではなく、西毛地区委員会のものである。誤解を招きやすい報道であった。
以上
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