『太陽がほしい』 「慰安婦」とよばれた中国女性たちの人生の記録 班忠義 合同出版 2016
映画『太陽がほしい』パンフレット 2019年8月16日(金)
ドキュメンタリー映画『太陽がほしい』の誕生について 班忠義
Ⅰ シナリオ 映画『太陽がほしい』
シナリオ 映画『太陽がほしい』
映画に登場する主な人物
中国人元「慰安婦」に関する年表
日本軍「慰安婦」問題関連年表
用語解説
Ⅱ 特別寄稿 映画『太陽がほしい』をどう観るか
中国人「慰安婦」被害者一人ひとりに向き合うこと 川上詩朗
戦争裁判の法廷に届かなかった被害者証言 内海愛子
一人ひとりの記憶に刻むために 小森陽一
あとがきにかえて 班忠義
・戦前の日本政府は強姦をどう扱ったか
・内海愛子
戦地での掠奪・強姦は国内法で禁じられ、罰があった。
『陸軍刑法』(1908年、明治41年法律第46号)*
*最初の『陸軍刑法』は、1881年、明治14年、太政官布告69号として制定され、1908年に廃止された。
掠奪は懲役1年以上の罪であり、この時、「婦女を強姦したる時は無期復は7年以上の懲役に処す」とし、強姦だけの場合は、一般刑法*で裁き、親告罪だった。つまり被害者が告訴しなければ成立しなかった。097
*1907年、明治40年、5年以上の有期懲役とされた。
『陸軍刑法』は1942年(昭和17年)に改正され、「掠奪の罪」を「掠奪及び強姦の罪」に改定した。
「戦地又は帝国軍の占領地において婦女を強姦したる者は無期又は1年以上の懲役に処す」(88条の2)とし、非親告罪になった。
法務局説明 この条項を新設した理由は、「戦地又は占領地における強姦事情は国内のものと著しくその事情を異にして之が頻発は軍の威信を害すること大である」そのため「強姦を非親告罪として必罰しうる如くするとともに刑の範囲を広め罪刑の適正を期せんとした。」
軍幹部が「軍規の乱れ」を嘆いていた。
陸軍大臣が「上官(への)暴行、抗命(命令に抗う)、逃亡等の軍紀犯、涜(とく)職、強姦犯等破廉恥罪多発しあるは遺憾に堪へず 是等事件処理の適否は軍紀に及ぼす影響蓋し大なるものあり」(「法務部長等会同席に於ける陸軍大臣口演要旨抜粋」昭和15年、1940年)
大山文雄陸軍省法務局長は、極東国際軍事裁判(東京裁判)に「軍法会議処刑人員表」を提出した。それによると、陸軍刑法の掠奪・強姦で処刑されたものは4人、一般刑法の強姦・同致傷128人だった。
・林博史
一方、林博史は、「国際法を破れ」という指令が上からあったとするが、これは内海説と矛盾する。
林博史は関東学院大学教授で、日本軍の戦争犯罪を研究する。017, 070
「まず、日中戦争が始まった段階で、(日本政府は)国際法に適応しなくていい、という通達を出してます。つまり、国際法を守らなくていいということです。日中戦争から太平洋戦争というあの戦争というのは、西欧的な価値観に対する否定なんです。だから自由、民主主義とか人権とか西洋的なもので、それを否定するというのが日本の戦争目的です。」
内海の示す東京裁判に提出された資料は、軍首脳が、意図的に、自らの責任を回避するために残しておいた、或いは捏造した資料かもしれない。
・女性の扱われ方で朝鮮と中国との違いと共通点
中国では、湖北省黄岡県の袁竹林さん048の場合のように、朝鮮人の場合と同じく、慰安所形式のところもあったが、ほとんどは、山西省盂県のように、拉致、監禁、強姦・輪姦という形態だった。また、尹玉林さんのように子持ちの未亡人であることをいいことに、彼女の自宅を強姦の場所として使用した例もあった。010, 036, 079さらに万愛花さんの場合のように、共産党員に対しては、輪姦するばかりでなく、歯を全て抜き024、拷問椅子に横たえらせ、足に大量の煉瓦をぶら下げさせ、逆さ吊りにする065など、致命的な拷問を加えた。
朝鮮人に対しては、慰安所形式で、中国人と比べて、扱いに表面的な「穏やかさ」があったかもしれないが、本質的な行動の自由がないから、実質的には監禁と同じであり、また順番・チケット制だが、実質的には輪姦と同じである。
中国人と朝鮮人とで共通点も多いが、中国人の方が程度の点で過酷であったと言える。
反抗する者を残虐なやり方で殺すのはどちらも同じだった。
韓国人の証言では、反抗する者を、首だけ残して土に埋め、日本刀で斬り殺した。(『国際公聴会』1992での証言)一方、中国では、万愛花さんが告発017, 024, 072し、元日本人兵士・金子安次も証言している068が、井戸にぶち込み、子どもも井戸の中にぶち込み、手榴弾を投げ込んで殺した。中国の方がひどい。
特に中国では「共産党」に対する、三光作戦(政策)087(殺しつくす、焼き尽くす、奪いつくす)が行われた。これはひどい。非戦闘員を巻き込んだ非人道的な戦い方だ。西煙住民虐殺1941.4.27、南社事件1941.4.29,
039, 087
一方、朝鮮は戦場ではなかったが、三・一独立運動当時の民衆を巻き込んだ虐殺、その後の緩和期を挟んで、戦争末期には、満州での抗日ゲリラ掃討などの弾圧が加えられた。
韓国人「慰安婦」の多くは、中国に取り残され、現地の中国人と結婚しなければ生き延びられなかった。また中韓国交回復後、韓国に帰れるようになったとき、韓国で彼女を受け入れられる家庭は少なく、また中国に戻らざるを得なかった人もいた。ナヌムの家のような保護施設に受け入れられた人は、数少ない幸運な人達であった。(この項は要確認)
・日本人の「慰安婦」もいた。城田すず子(仮名)054, 080
彼女の家庭は貧しかった。好きでやったことではなかった。館山に彼女がいた救援施設がある。「かにた婦人の村」という。「戦後40年、慰安婦のことは日本のどこからも、ただの一声も上がらない」に抗して、彼女の希望で、日本人「慰安婦」の鎮魂碑が建てられた。1985
また日本人「慰安婦」の存在は、金子安次が証言している。055
・この映画の完成に、班忠義監督と共に大きく貢献した人は、張双兵032, 080という山西省羊泉村の小学校教師である。彼はガイサンシー087を初めて被害者としてとらえ、その悲惨な境遇を世に知らしめた。当初中国では元「慰安婦」のことをガイサンシーと呼んで、汚れたものとして差別していた。彼は1995年頃からガイサンシーの調査を始めた。
095 日本政府の立場 川上詩朗弁護士によると、
1995、第一次訴訟(4人の原告)
1996、第二次訴訟(2人の原告)
2007.4.27、最高裁は1972年の日中共同声明で被害者の日本国に対する損害賠償請求権が放棄されたことを理由に、上告を棄却した。
日本政府はサンフランシスコ平和条約と2国間条約により「慰安婦」問題は法的に解決済みであるとする。
しかし、2007年の最高裁判決は、サンフランシスコ平和条約第14条(b)が、「請求権を放棄する」と定めている意味について、「請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく、当該請求権に基づいて裁判上訴求する権能を失わせるにとどまるものと解するのが相当である」との判断を示した。(日中共同声明第5項についても同旨)
096 同日言渡された中国人強制連行・強制労働事件での判決(西松判決)も、同様な理由を述べた上で、最高裁としては珍しく付言として、「個別具体的な請求権について債務者側において任意の自発的な対応をすることは妨げられない」として解決を促した。その結果西松建設は中国人強制連行・強制労働被害者と和解して解決に至った。
最高裁判決の立場によれば、日本政府が任意で自発的に被害者個人に補償を行うことには、法的障害がないことになる。
101 内海愛子によれば、
連合国戦争犯罪委員会極東・太平洋委員会が作成した「戦犯と重要証人リスト」には、中国での強姦の実行犯と部隊の責任者の名前を挙げている。また極東国際軍事裁判判決文「B部 第8章 通例の戦争犯罪(残虐行為)」も、中国戦線からの帰還兵の証言を引用しているが、植民地から連行された朝鮮人、台湾人女性たちに関する証拠は1件もない。戦争裁判は植民地の女性たちの被害をまったく取り上げない。
感想 アジア諸国に対してとるべき日本の態度とは何かに関して、先日2019.8.14参加した講演会*で、一橋大学の学生熊野功英さんが言っていた言葉が明確に解答を与えているように思われる。
*2019 8・14 日本軍「慰安婦」メモリアル・デー 水曜デモ1400回 世界同時アクション In Tokyo 忘れない! 被害女性の勇気を!!
加害の事実を加害者の側から被害者に詳細かつ具体的に述べ、その後も加害事実を検証し、積み上げ、修正主義的な発言が表明された場合には毅然としてそれを譴責して、再発防止の努力を続けることが、真の和解と親善に繋がる。
私は彼の言葉に同感した。聴衆の多くの人々も同感の拍手を惜しまなかった。熊野さんは若い学生でありながら、よくここまで達したものだと、脱帽した。この提言の素材は次の二つによるようだ。
一つは、ナチスによって村人が虐殺されたフランスのオラドゥール村、今はオラドゥール市の市長と遺族会会長の言葉である。
「謝罪の言葉よりも、事実を正面から認め、歴史修正主義の動きに毅然として反対していくことのほうが大切だ。」
もう一つは、第12回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議2014.6.2による日本政府への提言「日本軍『慰安婦』問題解決の為に」である。それが示す謝罪とは、
「誰がどのような加害行為を行ったのかを加害国が正しく認識し、その責任を認め、それを曖昧さのない明確な表現で国内的にも、国際的にも表明し、その謝罪が真摯なものであると信じられる後続措置が伴って初めて、真の謝罪として被害者たちに受け入れられることができる。」
付記
058 元日本兵の湯浅謙自身が、生体解剖をやったと語っている。また同じく元日本兵の富永正三は、兵隊を一人前にするための最終段階で、中国人を殺したと言っている。
これ等や、徴用工として日本に送って強制的に働かせたことは、捕虜に関する人道的な処遇を求めるジュネーブ協定に違反している。
ジュネーブ4条約中の捕虜条約(Treatment of prisoners of war)によれば、捕虜は
・人道的に扱われなければならない。
・暴力、脅迫、侮辱、見世物の対象にされてはならない。
・住居、食事、衣服、衛生、医療が施されなければならない。
住民虐殺(南京虐殺)は、戦時国際法、国際人道法違反である。(岩波新書『中国侵略の証言者たち』016,
103, 105)
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