関東大震災96周年 中国人虐殺を考える集い メモ 20190908
プログラム
・遺族挨拶
・慎蒼宇(シンチャンウ)講演「関東大震災における朝鮮人・中国人虐殺」(別途掲載)
・小笠原強「1923年の被害者名簿について」調査を担当している。
・林伯燿・西中誠一郎「福清“おねえさん”のお墓」映像とともに
・木野村間一郎 受けとめ伝えていくための力を「アジア歴史センターネット」9.13金曜日朝朝7時ごろNHKで放映
・内海愛子 閉会挨拶
遺族挨拶 王希天遺族(王希天基金会)、温州・福清遺族挨拶
蘇秀栄(ソシュウエイ)「歴史の公道と正義を求める」 蘇上四の孫 7ページ
張令威 「御挨拶」 王希天基金会常務理事 7ページ
周江法(シュウコンヘン) 周瑞楷の孫(あるいは周松権(周可洪の孫)かも)
王思迪 王希天基金会常務理事 4-5ページ
小笠原強 日中戦争研究者
日清戦争時に在日中国人は敵国人と扱われ、襲撃されることもあった。日本人も犠牲になっている。
在日中国人の日本での行商では、縄張りがあったため、分散して住んでいた。
朝鮮人が2万人、中国人が1万人、震災後集められ、送還された。プロ野球選手の王貞治さんの親族も送還された。
1923年関東大震災から96周年 真実を隠すことはできない! (パンフレット)
日本政府は、「政府部内には資料がない」と、関東大震災時における朝鮮人、中国人の大虐殺がまるでなかったかのように隠蔽し続けている。
中国人被害者のほとんどは中国浙江省・温州、福健省から行商や出稼ぎに来ていた人々だった。このことは下記の資料や内閣総理大臣を会長とする中央防災会議HPにも掲載されている。
震災当時の清浦内閣は、翌年、国際基準に従って、被害者に対する20万円(当時)の政府支出を決定し、中国政府との交渉を行った。しかし、それが「時局」を口実に中断された。
被害者の遺族はこの6年間、日本政府が事実を認め、当時の政府決定を実現することを求めている。
日本政府の外国人労働者に対するやり方は、「安い労働力」としての「使い捨て政策」であるし、朝鮮・韓国、中国に対する蔑みの態度は変わらないようだ。それは排外主義攻撃だ。
かつての虐殺の歴史に向き合い、間違いを正すことなしに、戦争に向かった当時と変わったとは言えない。改竄、捏造、廃棄、沈黙を繰り返す日本政府が、この問題を解決するように求めるとともに、加害の歴史と誠実に向き合うことを願う。
中国人虐殺 大島事件、王希天事件、神奈川事件
東京・神奈川近辺で、氏名が判明しているだけでも750名余、実際には800名を超えるとされる中国人が、軍隊、警察、民衆によって虐殺された。
現在の江東区で集団虐殺の大島事件が起き、そのほか東京、神奈川の広範囲で虐殺が起きた。
当時の中国人労働者が置かれていた民族蔑視や劣悪な労働条件改善のために「僑日共済会」を現・江東区内で組織した留学生の王希天(27歳)は、大島町事件の調査と救援活動の途中捕らえられ、9月12日未明、逆井橋で軍隊の手によって虐殺された。
からくも生き延びた幸存者によって虐殺事件が伝えられ、詳細な名簿と資料が作成され、日中政府間交渉が行われたが、いまだに賠償が実現していない。
資料
支那人に関する報道
九月六日警視庁廣瀬外事課長直話
大島町支鮮人殺害事件
目下東京地方にある支那人は約四千五百名にして、うち二千名は労働者なるところ、九月三日大島町七丁目に於いて(略)支那人及び朝鮮人三百名乃至四百名、三回にわたり銃殺または撲殺せられたり。(以下省略)(外務省の便箋を使用している。)
花岡中国人強制連行裁判 丹羽政雄 (パンフレット009)
原審判決は、日中共同声明5項は「日中戦争の遂行中に生じた中華人民共和国の国民の、日本国又はその国民若しくは法人に対する請求権は、共同声明5項によって、裁判上訴求する権能を失ったというべきであり、そのような請求権に基づく裁判上の請求に対し、同項に基づく請求権放棄の抗弁が主張された時は、当該請求は棄却を免れないこととなる。」と判示し、公訴人らの本件請求を棄却した。
以上
2019年9月17日(火)
0 件のコメント:
コメントを投稿