不景気の真相 1930年、昭和5年5月号 「文芸春秋」にみる昭和史 第一巻 1988
感想
文芸春秋社は、民衆数人を招いて不景気の時勢について自由に語らせ、「浜口首相は民衆に不人気であり、浜口首相の政策によって不況がもたらされた」と批判することを意図したのだろうか。
招かれた民衆は、質屋(二人)、市電運転手、円タク業者、文房具雑誌商、区会議員、食堂経営者、荒物洋品商、生魚商、葬儀屋などで、司会は文芸春秋社支配人の藤井常治郎、佐々木茂索の二名が担当している。
編集部注
1929年、昭和4年10月、ニューヨーク株式市場が大暴落し、世界恐慌が始まった。「ルンペン」という語ができ、米価は半分になり、借金のかたに娘を売る農家が増えていった。1930年の大学卒業者の就職率は、5月の時点で、39%、東海道を徒歩で帰郷する失業者が日に60人、沿道の市町村では救済のためにお粥などを提供したという。
本文から抜粋(濱口内閣批判に関する部分)
071 柴田(食堂)「政友会内閣と民政党内閣とはどうも気分が違う。いわゆる民政党内閣となったその日からすでに気分がいけないのですな、まあ不景気内閣ツてなわけで…」(笑い声起る)
075 梨本(生魚商)「吾々の方から近頃流行語が出ておりますが、少し景気の悪い顔をしていると、『もう浜口内閣か』と、こうやるのです。またしみったれた家庭を見ますと、『浜口内閣だ、あいつは浜口だ』と言う。…どうか早く浜口内閣が替わってくれなければ、吾々魚屋は日乾しになってしまいます。」
安川(文房具雑誌商)「まったく同感ですね、それは誰でも考えております。」
柴田「それでもおかしいですな、都市が浜口内閣を支持したというのですからな。本所深川はほとんど政友会を一人も出さなかった。…どっちかと言えば、負担の軽い浜口内閣は実はよいと思っておった。」
梨本「五千円くらいの借金は、景気の好い時ですと大した応えはないが、こう景気が悪いと、ちょうど五千円の借金が一万円くらいに付くのです。」
以上 2020年7月17日(金)
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