2020年7月18日土曜日

「太平洋戦争」を書く前に 直木三十五 1931年、昭和6年2月号 「文芸春秋」からみる昭和史 1988

「太平洋戦争」を書く前に 直木三十五 1931年、昭和6年2月号 「文芸春秋」からみる昭和史 1988

 

 

感想 筆者は太平洋戦争(対米中戦争)の開始が必然であると、クールに科学的に述べている。これは開戦への警告なのだろう。筆者が説明する当時の東アジアの状況は、一定程度の「既得権」を持つ日本にとっては、その既得権が次第に制約を受けるようになるだろうと予測される反面、中国の側から見れば、その半植民地的状況から回復しようとすることは、当然の権利であった。そして悲しいかな、日本には、そういう世界史の趨勢についての自覚がなく、「対華21か条の要求」に見られるように、朝鮮同様中国をも、植民地的に扱おうとしたようだ。それでは問題が起る。

 

 石原莞爾が「世界最終戦争」を予言していたと喧伝されているが、当時は誰もが太平洋戦争を予測してもおかしくない状況だったのかもしれない。

 

 直木賞は芥川賞と共に菊地寛が発案した新人作家に対する文芸春秋社の賞1935.1である。芥川龍之介や直木三十五は菊地の友人で、芥川や直木の死後、菊地は芥川賞や直木賞を発案した。なお、直木三十五の本名は、植村宗一である。

 

 

要旨

 

編集部注

 

080 1930年、ロンドン軍縮会議をめぐって、統帥権干犯事件が起り、軍縮は米英の世界制覇への策謀だとの声が強まった。1931年、筆者は村田春樹のペンネームで小説「太平洋戦争」を「文芸春秋」に連載し始めた。本文はその前書きである。

 

本文

 

現在の日本の国勢や国情の延長線上に、小説として太平洋戦争を構成した。これは、現在起りつつある、日本における、経済、外交、社会、思想、軍備等の事実に基づいた小説である。

081 以下現在の日本が置かれた状況を概説する。

 

一、経済について

 

 この小説で扱う経済問題は二つある。それは日本の産業にとって重要問題である。

 

A、綿紡績業で、消費が飽和に達し、生産過剰の危機にある。

B、ロシアで五カ年計画が完成し、その経済的赤化政策としてダンピングの恐れがある。

 

A、1914年から1928年にかけて、紡績の生産量は増加したが、消費量が減少した。ランカシャ綿業地で恐慌が起っているのは当然の帰結だ。

 支那は日本にとって唯一の消費地である。また日本は、支那国内に紡績工場を(建設し)投資している。

 一方で綿はレーヨンの脅迫も受けている。また、支那自身が、外国の投資を用いて紡績工場を興している。また、アメリカも(中国で)躍進している。

 

B、ロシアは5カ年計画を完成し、国内の供給が完了すると、思想的に赤化運動を行ったように、経済的にも全世界に挑戦するだろう。すでにアメリカに対して、小麦や木材をダンピングしている。

082 ロシアは、多く生産し少ししか消費できないという資本主義のジレンマに対する脅威である。

 

二、支那について

 

 「反帝国主義」と「不平等条約撤廃」は、支那の二大方針であり、仮に蔣介石がいなくでも変わりはない。これは近代支那の世論であり、対外的・対内的の唯一無二のモットーである。このモットーは蔣介石政府の樹立から盛んになったが、唱えられていたのは、かなり昔からである。

 それに対して日本は、この支那の大思潮に対しての対策よりも、時の政府担当者の力の軽重を基に、策を講じてきた。だから、ある時は南を助け、ある時は北を助け、ある時は満洲と結んだ。

 近代支那は日本に対してだけでなく、他の国々に対しても、上記の二大政策の下に、一方的意思によって、条約の撤廃を主張し、時として、その武力的解決を試みている。東支鉄道の共同管理漢口租界の回収提議がそれである。

 日本は中国と地理的に近いし、歴史的にも関係が深いから、そして外交方針がしばしば誤ったために、支那が日本に対して、いつ、いかなる手段に出てくるか計りがたい。それは日本にとっては不利だが、支那にとっては、正当の勢いである。従って、第三者から見た場合、支那の主張は、独立国として当然のことである。一方、日本は、既得権の擁護や投資物の保護ぐらいの主張しかできない。

 日本の対支投資すら今日では支那は拒絶しつつある。双橋無線電信の始末を見よ。日本を拒んで、アメリカの手へ移ろうとしている。また日本・上海間の航空路を拒絶し、ドイツ資本と結び、ドイツ漢沙航空会社が調印されたではないか。

 恐らくこの情勢は、今後より強く続くだろう。遠交近攻の策とは、六国時代だけではない。

 

三、満洲について

 

 蔣(介石)と張(作霖)(1931年時点ではすでに死んでいる1928.6.4のではないか)の提携は、一層満洲の危機を早めるだろう。反帝国主義と不平等条約撤廃の二大方針は、早くも1923年に現れた。つまり、「南満洲及び東部蒙古に関する条約」*を廃棄しようと(支那側が)言い出した。

 

*対華21か条の要求1915.1.18の第2項「南満洲及び東部内蒙古に関する件」(全7か条)その主なものは、(1)旅順・大連の租借期限を99ヵ年延長すること。(2)日本人の土地租借権と土地所有権を認めること。(3)日本人の居住と営業の自由。(4)鉱山採掘権の承認。(5)政治、財政、軍事についての顧問を求める場合は、先ず日本政府と協議すること。(これ、独立国といえるか。)

 

083 今日、それが実行として現れてきた。即ち、条約で禁じられている、満鉄の東西に併行線を敷設して圧迫し、胡蘆島に貨物を集中させようとしている。この二大幹線(海竜、吉林、奉天、打虎山、胡蘆島線と、通遼、昴事漢線)の外に、多くの支線からなる包囲線を造り、最近では、国際協定を無視した低廉な運賃で、満鉄に挑戦しつつある。

 もしこの協定の蹂躙やその他の挑戦的態度がこのまま続くと、在満の朝鮮人が圧迫を受けて悲惨な生活をしているのと同じように、在満20万の日本人と10億の投資も、やがて駆逐され併呑されるだろう。

 

四、アメリカの対満野心

 

 アメリカの鉄道王ハリマンは、ポーツマスで日露が談判している時、日本に来て、満鉄の買収運動を試みた。

 1908年、ストレートが、満洲における鉄道敷設を目的として銀行を設立しようとしたが、袁世凱が失脚して挫折した。

 1908年、「高平・ルート協定」で、アメリカは、支那で商工業の機会均等を要求した。これは、一見紳士的だが、自国に有利で、日本の対支経済を制限した。

 1909年、ノックスは英のボーリング会社と結び、錦州から瑗琿(えんこん)への鉄道を敷設しようとしたが、日、露、仏、英の反対で失敗した。

 1917年、「石井ランシング協定」でアメリカは、満洲における日本の特殊利益を承認したが、1921年のワシントン会議でこれを破った

 1917年、シベリア出兵の時、アメリカは、東支鉄道、シベリア鉄道を自国の単独管理にしたいと申し出たが、日本の強硬な反対に逢って、結局列国の共同管理になった。

 

 満鉄の包囲、併行路線の敷設にアメリカの投資がある。

 満洲地図の上に、一抹の不安と暗さが漂わないか。

 

 

五、軍備について

 

 開戦して3ヶ月も経たないうちに、新兵器が現れるだろう。アメリカのロボットはすでに完全に飛行機を操縦している。ドイツの120人乗り飛行機が飛んだ。ロボット飛行機も完成に近いだろう。75哩の射程を持つ砲ができた。*哩はマイル。1.6キロメートル。

084 私は、現在の武器を基準にして武器を計画している軍事設備や作戦を冷笑したい。開戦と同時にそれを廃棄しなければならなくなるだろう。

 

 

六、科学

 

 (生糸の)生産下落は、アメリカの不景気のためだけではない。レーヨンの進歩とその圧迫のためでもある。最近1年間で生糸は1割3分の需要増加をしたが、レーヨンは30割である。科学は経済に影響を及ぼす。

 資本主義の生産過剰は、科学の発達を考慮に入れなければならない。

 第二次電池(充電式電池)が発明されたら、世界恐慌がもう一度起るだろう。ソビエト・ロシアも科学に破れるだろう。

 

七、太平洋戦争

 

 欧州大戦の悲惨さはいずれ忘れ去られるだろう。それは人間が戦争の英雄的魅力を感じるときだ。

 日本は必然的に、次第に圧迫され、憤怒し、自己存立のために――いや、日本だけでなく、イギリスも、支那も、アメリカも――(米英との戦争を開始するだろう。)

今起りつつある事実に基づいた必然的経路を考えると、そこへ到達しそうだと私は思う。

 

昭和5年12月5日

 

1931年、昭和6年2月号

 

以上 2020717()

 

ウイキペディアより

 

直木三十五 1891.2.12—1934.2.24  小説家、脚本家、映画監督。

 

現在の大阪市中央区安堂寺町2丁目に生まれる。本名は植村宗一。早稲田大学英文科予科を経て早稲田大学高等師範部英語科へ進学したが、月謝未納で中退。『人間』(創刊1920)編集。プラトン社勤務(1923--)娯楽雑誌『苦楽』編集。映画製作集団「聯合映畫藝術家協會」を結成1925

 

以上

 


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